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* | #少なくとも中共との中は悪化していた | ||
#*韓国や北朝鮮との仲も悪化していた | |||
#*日本が技術供与しないので、中国は現実ほど経済発展しなかった。 | |||
#**2008年の北京五輪や2010年の上海万博もなかった。 | |||
#中曽根氏も一時憲法改正を考えていたので引き継いで憲法を改正していた可能性も・・・ | |||
#台湾と国交を樹立、または現在の日本と台湾の関係は「アメリカと台湾」の関係のようになっていた | |||
#朝鮮総連の本部は実史よりも早くに差し押さえになっていた | |||
#長期政権になっていたはず・・。 | |||
#アメリカとの関係はその当時の大統領が共和党か民主党によって変わっていたはず・・。 | |||
#都知事に出馬していなかったかもしれない・・。 | |||
#当時はバブル景気真っ只中なので、総裁選で勝って就任したとしてもバブルが長く続いていたかどうかは微妙・・。 | |||
#現実よりも東京一極集中が進み、地方が衰退していた。 | |||
#*大阪府の人口は20世紀のうちに神奈川県に抜かれていた。 | |||
#国と日本相撲協会の関係が悪化した。 | |||
#*千代の富士の国民栄誉賞受賞が遅れる。 | |||
#*[[ベタな表彰式の法則#大相撲優勝力士|表彰式]]に総理が直接出席することは未だになかったかも。 | |||
== | ==1995年== | ||
;小泉純一郎が総裁になっていたら | |||
# | #北朝鮮のテポドン発射は98年以前に起こってた | ||
# | #田中角栄の戦後最年少総理の肩書きを奪っていた | ||
#* | #*安部晋三は戦後最年少総理になれなかった | ||
# | #小渕、森(場合によっては橋本も)は首相に就任しなかった | ||
# | #安部晋三は06年の総裁選に立候補しなかった、立候補しても2010年以降にずれ込んでいた | ||
#* | #*2012年の総裁選は初当選になる。 | ||
# | #実史通り長期政権となっていた場合、今頃自民党総裁は、小泉→福田→麻生または小池、別の場合は小泉→橋本→福田とかか? | ||
#郵政民営化は早ければ20世紀中に実現。 | |||
# | #派遣労働などの規制緩和も現実より早く行われたため不況がさらに進行していた。 | ||
# | #地元の神奈川県との関係で08年にオリンピック立候補は大阪では無く横浜になった可能性も | ||
# | #平成の大合併も早まった。 | ||
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== | ==1999年== | ||
;加藤紘一または山﨑拓が総裁になっていたら | |||
# | #当然翌年の「加藤の乱」は起こらないが、代わりに「森の乱」あるいは「小泉の乱」が起こっていた(新内閣で森派は冷遇される可能性が高いため)。 | ||
#* | #*そして1年程度で退陣。小泉内閣が史実通り(または数か月早く)発足した。 | ||
# | #小渕恵三総理が2000年4月に倒れ、翌月に亡くなることもなかった。 | ||
#* | #*娘の優子氏はいずれ地盤を引き継ぐが、父の引退に伴うため、数年遅れていた。 | ||
# | #野中広務氏は幹事長にはならなかった(加藤氏の総裁選出馬に批判的だったため、たとえ打診されても断っていた)。 | ||
# | #公明党と連立を組むことはなく、自公連立政権は誕生しなかった。 | ||
==== | ==2006年== | ||
# | ;福田康夫が出馬し総裁になっていたら | ||
# | #李登輝氏の日本訪問は絶対に認めない | ||
#* | #親中反米派ということ以外はとりたてて地味なまま任期を全うしていたと思う。 | ||
# | #*反米? | ||
# | #昔の角福戦争のあおりを受け、真K子からしょっちゅう喧嘩を吹っ掛けられる。これは現実通り。 | ||
# | #どっちみち2007年の参議院選挙で大敗して辞任、後任は・・・安倍晋三? | ||
# | #*ねじれ国会に苦しむ。 | ||
#* | #**そして'''例の台詞'''を残し職務放棄…。 | ||
#***'''「あなたとは違うんです」'''のことか。 | |||
;麻生太郎が当選し総裁になっていたら | |||
#実際に総理になった時(2008年~2009年)ほど、失言や漢字の読み間違いは問題にならなかった。 | |||
#政権は2、3年はもっていた。 | |||
#安倍晋三氏は引き続き官房長官か、外務大臣として、麻生新内閣に入閣していた。 | |||
==2008年== | |||
;小池百合子が総裁になっていたら | |||
# | #我が国初の女性首相が誕生。 | ||
#* | #*女性閣僚の比率が高くなっていたかも。 | ||
#自民党政権がもう少し長続きしていたかも。 | |||
# | #女性の社会進出は、大いに増えていた。 | ||
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== | ==2012年== | ||
;石原伸晃が総裁になっていたら | |||
#日経平均1万回復はなかった。 | |||
;石破茂が総裁になっていたら | |||
#派閥リーダーなどの反発で党内の統制がなかなか取れず、早々と辞任していたかもしれない。 | |||
#*そして安倍晋三か石原伸晃が総裁になっていた。 | |||
#*当然、自民党は「2009年の惨敗の反省が生かされていない」とかなりのバッシングを受けていた。 | |||
#上記のようなことが無ければ、史実通り衆議院解散・総選挙となっていた場合、自民党は史実以上に圧勝していた。 | |||
#*日本維新の会、みんなの党の議席は史実より伸び悩んでいた。 | |||
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;谷垣禎一が総裁になっていたら | |||
周囲の反対を押しのけて立候補し、自分を裏切った石原氏を下して総裁に再選されたとしたら? | |||
# | #2012年12月の衆議院解散には追い込めず、翌年の参院選で衆参ダブル選となり、ここでようやく政権を取り戻した。 | ||
#* | #*新内閣が発足するも、石原氏はもちろん、安倍氏、麻生氏も入閣することはなかった。 | ||
# | #中、韓との関係は史実ほど悪くはないが、景気も現在ほど回復はしていなかった。 | ||
#自民党史上初の「総裁経験者である幹事長」が誕生することもなかった。 | |||
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[[category:歴史のif検討委員会 政治史|しみんとうそうさいせん]] | |||
2016年3月17日 (木) 00:16時点における版
1989年
- 石原慎太郎が総裁になっていたら
- 少なくとも中共との中は悪化していた
- 韓国や北朝鮮との仲も悪化していた
- 日本が技術供与しないので、中国は現実ほど経済発展しなかった。
- 2008年の北京五輪や2010年の上海万博もなかった。
- 中曽根氏も一時憲法改正を考えていたので引き継いで憲法を改正していた可能性も・・・
- 台湾と国交を樹立、または現在の日本と台湾の関係は「アメリカと台湾」の関係のようになっていた
- 朝鮮総連の本部は実史よりも早くに差し押さえになっていた
- 長期政権になっていたはず・・。
- アメリカとの関係はその当時の大統領が共和党か民主党によって変わっていたはず・・。
- 都知事に出馬していなかったかもしれない・・。
- 当時はバブル景気真っ只中なので、総裁選で勝って就任したとしてもバブルが長く続いていたかどうかは微妙・・。
- 現実よりも東京一極集中が進み、地方が衰退していた。
- 大阪府の人口は20世紀のうちに神奈川県に抜かれていた。
- 国と日本相撲協会の関係が悪化した。
- 千代の富士の国民栄誉賞受賞が遅れる。
- 表彰式に総理が直接出席することは未だになかったかも。
1995年
- 小泉純一郎が総裁になっていたら
- 北朝鮮のテポドン発射は98年以前に起こってた
- 田中角栄の戦後最年少総理の肩書きを奪っていた
- 安部晋三は戦後最年少総理になれなかった
- 小渕、森(場合によっては橋本も)は首相に就任しなかった
- 安部晋三は06年の総裁選に立候補しなかった、立候補しても2010年以降にずれ込んでいた
- 2012年の総裁選は初当選になる。
- 実史通り長期政権となっていた場合、今頃自民党総裁は、小泉→福田→麻生または小池、別の場合は小泉→橋本→福田とかか?
- 郵政民営化は早ければ20世紀中に実現。
- 派遣労働などの規制緩和も現実より早く行われたため不況がさらに進行していた。
- 地元の神奈川県との関係で08年にオリンピック立候補は大阪では無く横浜になった可能性も
- 平成の大合併も早まった。
1999年
- 加藤紘一または山﨑拓が総裁になっていたら
- 当然翌年の「加藤の乱」は起こらないが、代わりに「森の乱」あるいは「小泉の乱」が起こっていた(新内閣で森派は冷遇される可能性が高いため)。
- そして1年程度で退陣。小泉内閣が史実通り(または数か月早く)発足した。
- 小渕恵三総理が2000年4月に倒れ、翌月に亡くなることもなかった。
- 娘の優子氏はいずれ地盤を引き継ぐが、父の引退に伴うため、数年遅れていた。
- 野中広務氏は幹事長にはならなかった(加藤氏の総裁選出馬に批判的だったため、たとえ打診されても断っていた)。
- 公明党と連立を組むことはなく、自公連立政権は誕生しなかった。
2006年
- 福田康夫が出馬し総裁になっていたら
- 李登輝氏の日本訪問は絶対に認めない
- 親中反米派ということ以外はとりたてて地味なまま任期を全うしていたと思う。
- 反米?
- 昔の角福戦争のあおりを受け、真K子からしょっちゅう喧嘩を吹っ掛けられる。これは現実通り。
- どっちみち2007年の参議院選挙で大敗して辞任、後任は・・・安倍晋三?
- ねじれ国会に苦しむ。
- そして例の台詞を残し職務放棄…。
- 「あなたとは違うんです」のことか。
- そして例の台詞を残し職務放棄…。
- ねじれ国会に苦しむ。
- 麻生太郎が当選し総裁になっていたら
- 実際に総理になった時(2008年~2009年)ほど、失言や漢字の読み間違いは問題にならなかった。
- 政権は2、3年はもっていた。
- 安倍晋三氏は引き続き官房長官か、外務大臣として、麻生新内閣に入閣していた。
2008年
- 小池百合子が総裁になっていたら
- 我が国初の女性首相が誕生。
- 女性閣僚の比率が高くなっていたかも。
- 自民党政権がもう少し長続きしていたかも。
- 女性の社会進出は、大いに増えていた。
2012年
- 石原伸晃が総裁になっていたら
- 日経平均1万回復はなかった。
- 石破茂が総裁になっていたら
- 派閥リーダーなどの反発で党内の統制がなかなか取れず、早々と辞任していたかもしれない。
- そして安倍晋三か石原伸晃が総裁になっていた。
- 当然、自民党は「2009年の惨敗の反省が生かされていない」とかなりのバッシングを受けていた。
- 上記のようなことが無ければ、史実通り衆議院解散・総選挙となっていた場合、自民党は史実以上に圧勝していた。
- 日本維新の会、みんなの党の議席は史実より伸び悩んでいた。
- 谷垣禎一が総裁になっていたら
周囲の反対を押しのけて立候補し、自分を裏切った石原氏を下して総裁に再選されたとしたら?
- 2012年12月の衆議院解散には追い込めず、翌年の参院選で衆参ダブル選となり、ここでようやく政権を取り戻した。
- 新内閣が発足するも、石原氏はもちろん、安倍氏、麻生氏も入閣することはなかった。
- 中、韓との関係は史実ほど悪くはないが、景気も現在ほど回復はしていなかった。
- 自民党史上初の「総裁経験者である幹事長」が誕生することもなかった。