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== | <[[もしあの歌がコケていたら]] | ||
*新規登録は曲名の50音順にお願いいたします。 | |||
*カバーなど同じ曲が複数のアーティストでシングル発売された場合、曲名を中項目に、アーティスト名を小項目に(発売順で)書いてください。 | |||
==さ== | |||
===Sign(Mr.Children)=== | |||
#ミスチルはレコード大賞出演せぬまま。 | |||
#*その年の大賞はEXILE「Carry On」辺りになっていた。 | |||
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== | ===さくら(森山直太朗)=== | ||
#森山直太朗のブレイクはなかったかも。 | |||
#「世界に一つだけの花」は3ミリオンは軽く超えていた。 | |||
#他アーティストがこの曲の2番煎じソングをリリースすることもなかった。 | |||
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== | ===桜ノ雨(absorb)=== | ||
#新たな定番卒業ソングにならなかった。 | |||
#初音ミクが好意的な形で報道番組に取り上げられる機会はなかった。 | |||
#*赤い羽根共同募金とか献血の呼びかけといった社会活動で採用されなかった。 | |||
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# | |||
#* | |||
== | ===桜の木になろう(AKB48)=== | ||
#女性アイドルグループのバラードは売れないジンクスが続いていた。 | |||
#衣装に使われたピンクのジャケットは流行しなかった。 | |||
# | #*ピンクのジャケットといえば未だに林家ペー・パー子の印象が強いままだった。 | ||
# | #カバーとなれば、徳永英明が相応しいがいつカバーアルバムに収録されるかどうかは未だに不明である。 | ||
#* | |||
# | |||
== | ===survival dAnce 〜no no cry more〜(trf…現TRF)=== | ||
#trfのブレイクはなかった。 | |||
#*一応その前に「EZ DO DANCE」と「寒い夜だから・・・」があったのでそれなりの知名度は得ていたかと。 | |||
# | #TKもプロデューサーとしては注目されなかった。 | ||
#* | |||
# | |||
===さよなら人類(たま)=== | |||
# | #イカ天出身者の代表的な曲はBLANKEY JET CITYの『不良少年のうた』だった。 | ||
# | #*カブキロックスの「お江戸」、JITTERIN'JINNの「プレゼント」、BEGINの「恋しくて」などのほうが(曲としては)有名では? | ||
# | #[[もしあの番組が大コケしていたら/TBS系#三宅裕司のいかすバンド天国|イカ天自体]]がコケていたこともありえる。 | ||
===3月9日(レミオロメン)=== | |||
# | #卒業ソングになることはなかった。 | ||
# | #*当初の目的である結婚ソングとしても定着しなかった。 | ||
#*3月9日生まれ限定の誕生日ソングにはなるが、それも初音ミクの登場で影が薄くなる。 | |||
#ニコニコ動画に初音ミクのオリジナル曲として「3月9日」という楽曲が作成されていたかもしれない。 | |||
#*そしてネットではそっちが有名になった。 | |||
== | ==し== | ||
===secret base 〜君がくれたもの〜(ZONE)=== | |||
# | #ZONEの解散が早まっていた。 | ||
#* | #*「10年後の8月」の復活もなかった。 | ||
# | #*というよりブレイクできないままだったかと。 | ||
# | #「今日の5の2」や「あの花」のEDとして、女性声優らがカバーすることも無かった。 | ||
#同じ北海道出身のガールズバンドだったWhiteberryは「夏祭り」の一発屋で終わることなく史実より人気が出ていた。 | |||
#この曲が主題歌だった「キッズ・ウォー」もコケていたかも。 | |||
#*もしかしたら井上真央の芸能生活にも影響を与えていたかも知れない。 | |||
#*本曲はシリーズ3作目の主題歌なので、1作目の『魔法のメロディ』と2作目の『愛の花』を手掛けたMELODYの二の舞になっていたと思う。 | |||
== | ===シーズン・イン・ザ・サン(TUBE)=== | ||
#TUBEのブレイクはなかった。 | |||
#*「ベストセラーサマー」の一発屋だったかも。 | |||
#1986年夏のキリンビールの注目度も少なかった。 | |||
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#* | |||
# | |||
===シャツを洗えば(くるりとユーミン)=== | |||
#[[出版社/さ・た行#宝島社|宝島社]]から発売された雑誌サイズCDがコケていた場合、宝島社は音楽CD事業から撤退していた。 | |||
# | #*『MY LITTLE LOVER×kitson ハーモニー』や『green/アカシア 持田香織×JOURNAL STANDARD Special CD BOX』などは制作されなかった。 | ||
# | |||
#* | |||
===羞恥心(羞恥心)=== | |||
# | #ヘキサゴンファミリーコンサートは開かれなかった。 | ||
# | #ヘキサゴンの歌手プロジェクトは「羞恥心」「Pabo」だけで終わり、「ヘキサゴンファミリー」なんて呼ばれるコトもなかった。 | ||
# | #*「新撰組リアン」も作られなかった。 | ||
#* | #「悲愴感」も結成されなかった。 | ||
#* | #渡り廊下走り隊の作詞をカシアス島田がすることもなかった。 | ||
#2008年度、話題をかっさらった企画物の楽曲が一曲(以上)減っていた。 | |||
#*「崖の上のポニョ」はCDだけでミリオンセラーを達成していたかもしれない。 | |||
#*鼠先輩や矢島美容室が史実以上に売上を伸ばしていたかもしれない。 | |||
#「クイズ!ヘキサゴンⅡ」の放送も2009年春で終了していた可能性がある。 | |||
===17才=== | |||
====南沙織==== | |||
#1971年の紅白に出場することはなかったので、デビュー後半年でトップバッターなんて快挙もなかった。 | |||
#森高千里によるカバーもなかった。 | |||
[[ | ====森高千里==== | ||
#「17才」と聞いて南沙織を連想する人たちが史実より多かった。 | |||
#森高千里は歌手活動を諦めてバラドルになっていただろう。 | |||
#*女優に転身していた可能性もある。 | |||
#*この場合、「くまモンモン」は(同じく熊本県出身の)水前寺清子か茂森あゆみあたりに歌われていたかもしれない。 | |||
#「気分爽快」や「渡良瀬橋」も現実ほど売れてなかった。 | |||
#*「渡良瀬橋」が事務所の後輩の松浦亜弥にカバーされることもなかった。 | |||
#[[ポンキッキファン|ポンキッキーズ]]で「ロックン・オムレツ」が流れることもなかった。 | |||
==すせそ== | |||
===西瓜BABY(Not yet)=== | |||
#同時発売した渡り廊下走り隊7「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていた。 | |||
#*場合によっては渡り廊下は解散に追い込まれることもなかった。 | |||
#指原莉乃は選抜総選挙で順位が飛躍的に上昇することはなかった。 | |||
#*上記も踏まえると、第5回総選挙は渡辺麻友が1位だった。 | |||
#サマーソングの定番が減っていた。 | |||
#Not yetは指原移籍とともに解散していた。 | |||
===STAR(浅香唯)=== | |||
#浅香唯はイロモノ歌手のまま浮上できなかっただろう。 | |||
#0930の児玉美代のように宮崎ローカルタレントになったかもしれない。 | |||
===Thriller(マイケル・ジャクソン)=== | |||
#ミュージックビデオは余り普及していない。 | |||
#マイケルジャクソンは史実ほど売れていない。 | |||
#*彼の死があそこまで話題になることも無かった。 | |||
#*「子供(ジャクソン5)時代は活躍したが、成人後は売れなくなった人」として知られることになるかも。 | |||
#妹のジャネット・ジャクソンも、史実ほど売れていなかったかも。 | |||
#*ジャネットが史実通り売れていたら、マイケルは「ジャネットの兄」として知られることになる。 | |||
#マイケルのソロよりも、ザ・ジャクソンズとしての活動のほうが知られていたかも。 | |||
#*『Victory』などのザ・ジャクソンズのアルバムが史実以上に売れていた可能性もある。 | |||
#マイケルがザ・ジャクソンズから脱退することはなかった。 | |||
#*1990年にザ・ジャクソンズが解散することもなく、1990年代以後もザ・ジャクソンズ名義の新譜がリリースされていた。 | |||
#**マイケルが史実どおり2009年に死去した場合、マイケルの死によって解散していたかも。 | |||
===世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)=== | |||
#WANDSのブレイクはなかった。 | |||
#*と同時に『もっと強く抱きしめたなら』も大ヒットすることはなかった。 | |||
#中山美穂はこの曲を最後に歌手活動を停止していた。 | |||
#酒井法子がカバーすることもなかった。 | |||
===世界に一つだけの花(SMAP)=== | |||
#2004年の選抜高校野球では「さくら」(森山直太朗) が流されていた。 | |||
#SMAPは今頃(2009年12月)解散してしまった可能性もあり。 | |||
#*いや、春頃(2010年4月)だな。解散しても俳優や司会として残るんだろうが。 | |||
#*もしかしたら某不祥事で…? | |||
#槇原敬之はとっくに世間から忘れられている。 | |||
#*ダウンタウンと組んで曲を出すこともなかった。 | |||
#*「槇原敬之死亡説」が囁かれていたこともなかった。 | |||
#*「R-35」が出た頃にようやく世間が思い出してくれた。 | |||
#**山根康広のような存在にはなれたかも。 | |||
#下火を迎え始め、ジャニーズ事務所の後輩グループ嵐・NEWSなどがより早く大ブレークしていた。 | |||
#「さくら(独唱)」は年内にミリオンセラーになっていた。 | |||
#「ナンバーワンよりオンリーワン」という考えは現実ほど広まっていない。 | |||
#羽田空港国際線ターミナル駅の接近メロディは嵐の曲のどれかになっていた。 | |||
#中国語バージョンも作られていない。 | |||
#CCCDの採用は全レコード会社に広まっていた。 | |||
#*発売したビクター・エンタテインメントは当時CCCDを採用していたがこの曲では採用されなかった。 | |||
#**よってCCCD不採用による違法コピー蔓延が原因と断定されていたことは明らかだった。 | |||
===千本桜(黒うさP)=== | |||
#2015年時点でのVOCALOID文化は史実より小規模なものになっていたかもしれない。 | |||
#*下手したら、VOCALOID自体が過去のコンテンツ扱いされていた可能性もある。 | |||
#*少なくともVOCALOID曲のカラオケ化はほとんどなかった。 | |||
#ミュージカル化や小説化はなかった。 | |||
#トヨタ・AQUAのCM曲にピアノアレンジ版が採用されることはなかった。 | |||
#初音ミク以外のクリプトン製VOCALOIDキャラは史実ほど目立たない。 | |||
===空も飛べるはず(スピッツ)=== | |||
#スピッツのブレイクは遅れていた。 | |||
#*「ロビンソン」の一発屋に終わった、としたほうがよろしいかと。 | |||
#**ちなみにリリースは「空も飛べるはず」→「ロビンソン」だが、ヒットした順番は逆。 | |||
#**もしくは結局「チェリー」が史実通りヒットし、代表曲が1つ減る程度だったかも。 | |||
#「ロビンソン」「チェリー」よりもベタな曲を作っていた。 | |||
#スピッツの卒業ソングといえば「楓」だった。 | |||
#TOKIO長瀬は俳優業から撤退した。 | |||
===それは僕たちの奇跡(μ's)=== | |||
#キャラ名義で10万越えシングルといえば未だに「Don’t say “lazy”」か「もってけ!セーラーふく」。 | |||
#「MUSIC JAPAN」にμ'sが出演する事はなかった。 | |||
==た== | |||
===Diamonds(プリンセス・プリンセス) === | |||
#プリンセス・プリンセスの解散が数年早まっていた。 | |||
#SONYのCMに出演することもなかったか、しても別の曲で出演していた。 | |||
#CMで森三中に真似されることも無かった。 | |||
#「世界で一番熱い夏」も現実ほど売れなかった。 | |||
#*阪神の新井良太の登場曲は別の曲になっていた。 | |||
#1989年の年間チャート1位は「とんぼ」(長渕剛)か「愛が止まらない」(Wink)あたりだった。 | |||
===たいせつなともだち(なかまゆうき)=== | |||
#卒園式の定番曲にはならなかった。 | |||
#「泣ける曲」として話題になることはなかった。 | |||
#[[ベネッセコーポレーション|ベネッセ]]のテレビCMに使用されることもなかった。 | |||
===太陽のKomachi Angel(B'z)=== | |||
#B'zはブレイクできなかった。 | |||
#*前作の「BE THERE」が多少だけど売れたし、この後の曲がさらにヒットしたからそれはないと思う。 | |||
#カメリアダイヤモンドの注目度も下がり、三貴グループの経営悪化も早まっていた。 | |||
===007<!--ダブルオーセブン-->/美しき獲物たち(デュラン・デュラン)=== | |||
#Billboard Hot 100での007主題歌の1位は未だに達成されていない(2015年4月現在)。 | |||
===旅立ちの日に…(川嶋あい)=== | |||
#「旅立ちの日に」といえば埼玉県秩父市立影森中学校教員作曲の合唱曲だけだった。 | |||
#*当然この曲と混同することはなかった。 | |||
#上記の合唱曲とタイトルが同じことがコケた原因になっていた。 | |||
#川嶋あいがそれほど有名にならなかったかも。 | |||
#「合唱曲とは別に『旅立ちの日に』というJ-POPの楽曲がある」というトリビアができていた。 | |||
===たらこ・たらこ・たらこ(キグルミ)=== | |||
#新語・流行語大賞にノミネートされなかった。 | |||
#同時期に注目されていたCMソング、ロコロコ・イエロー「ロコロコのうた」が割りを食うこともなく史実よりヒットしていたかも。 | |||
===だんご3兄弟(速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団)=== | |||
#1999年上半期の日本音楽界の話題は宇多田ヒカル一色だった。 | |||
#*1999年の年間オリコン1位も宇多田ヒカルの歌う曲だったかも。 | |||
#「おしりかじり虫」がどうなったかも怪しくなる。 | |||
#速水けんたろうが「ファイターズ讃歌」を歌うこともなかった。 | |||
#慎吾ママやミニモニ。はそれほど話題にならなかった。 | |||
#普通に「おかあさんといっしょ」から出た童謡の1曲という認識で終わっていた。 | |||
#*酷い場合、「おかあさんといっしょ」で生まれた曲の中でもマニアックな部類になっていた。 | |||
#「およげ!たいやきくん」と比較されることもなかった。 | |||
==ちつて== | |||
===地上の星(中島みゆき)=== | |||
#2009年の紫綬褒章受賞は無かった。 | |||
#*名言「棚から本マグロ」もおそらく存在してなかった。 | |||
#下手すれば、プロジェクトXの主題歌としても長続きしなかったかも。 | |||
#*プロジェクトX自体が早く終わっていたと思う。 | |||
#彼女が紅白に出場し、黒部のトンネルの中で歌うこともなかった。 | |||
#「悪女」や「空と君とのあいだに」を知らない世代にとって彼女は、完全に“過去の人”として見られる。 | |||
===チャコの海岸物語(サザンオールスターズ)=== | |||
#サザンは夏の印象が強まることはなかった。 | |||
#*2番煎じバンドであるTUBEが結成されたかどうかは怪しい。 | |||
#紅白歌合戦に出場することはなかった。 | |||
#*桑田佳祐は三波春夫のコスプレで「とにかく受信料は払いましょう」発言をすることもなかった。 | |||
#サザンは原由子産休のかわりに解散していたかもしれない。 | |||
===チョコレイト・ディスコ(Perfume)=== | |||
#邦楽のバレンタインソングの代表曲は2014年現在も「バレンタイン・キッス」(国生さゆり)だった。 | |||
#*あるいは(シングル発売はされていないが)「Valentine's RADIO」(松任谷由実)。 | |||
#Perfumeの代表曲といえば『[[#ポリリズム|ポリリズム]]』だった。 | |||
#本作前のシングルである近未来三部作(『リニアモーターガール』、『コンピューター・シティ』、『エレクトロ・ワールド』)の一般的な認知度が上がっていた | |||
===TSUNAMI(サザンオールスターズ)=== | |||
#大森隆志脱退を機にサザン解散に至ったかもしれない。 | |||
#平成の名曲として紹介されるコトはなかった。 | |||
#2000年のレコード大賞は浜崎あゆみの「SEASONS」になっていた。 | |||
#*よって、浜崎あゆみのレコード大賞引退が1年早くなっていた。 | |||
#2001年の選抜高校野球の入場行進曲は「桜坂」(福山雅治)あたりになっていた。 | |||
#*「らいおんハート」(SMAP)、「Everything」(MISIA)などの可能性も。 | |||
#**↓の6のような事態になっていたら同じ「未来日記」で使われていた「桜坂」もコケてこの2曲のどちらかだったかも。 | |||
#サザンオールスターズの代表曲(最大のヒット曲ではない)は未だに「いとしのエリー」のままだった。 | |||
#この曲が主題歌となった『ウンナンのホントコ! 未来日記』もコケていたかも。 | |||
===Tell Your World(livetune)=== | |||
#GoogleのCMに初音ミクは起用されなかった。 | |||
#livetune自体ブレイクしなかった。 | |||
#*Clarisなどへの楽曲提供はなかった。 | |||
#*BUMP OF CHICKENが初音ミクとコラボすることはなかったかもしれない。 | |||
#初音ミクは「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」のような歌しか歌えなかっただろう。 | |||
==と== | |||
===TRUTH(THE SQUARE…現・T-SQUARE)=== | |||
#スクェアの代表曲は今でも「OMENS OF LOVE」のままだった。 | |||
#「FACES」(史実ではアイルトン・セナのテーマ)や「明日への扉」(史実ではアラン・プロストのテーマ)がF-1グランプリで使用されることもなかった。 | |||
===トイレの神様(植村花菜)=== | |||
#彼女の知名度は上がらないままだった。 | |||
#2010年の紅白歌合戦の出場者が2~3組増えていたかもしれない。 | |||
#*この歌は10分弱という異例の長さを誇るため。 | |||
#*美川憲一あたりも出場できたかも。 | |||
===どかーん(真心ブラザーズ)=== | |||
#真心ブラザーズの代表曲は『サマーヌード』を待たなければならない。 | |||
#高校野球の応援曲の定番は一つ減っていた。 | |||
===TORA TORA TORA(MAX)=== | |||
#MAXは無名の音楽グループのまま解散し、メンバー全員は沖縄に帰って行った。 | |||
#*この曲を発売する前、所属事務所の社長から「この曲が売れなかったら沖縄に帰す」と言われた経緯があるため。 | |||
#*スーパーモンキーズとしては、安室奈美恵との格差が大きくなっていた。 | |||
===Don't Go Breaking My Heart(恋のデュエット)(エルトン・ジョン&キキ・ディー)=== | |||
#キキ・ディーの知名度は史実より低くなっていた。 | |||
#キキ・ディーのヒット曲といえば「I've Got The Music In Me(歌は恋人)」。 | |||
===Don't Say Lazy(桜高軽音部)=== | |||
#未だにアニソンシングルのオリコンランキング一位獲得がおきていない。 | |||
#*マスゴミの反応を見ようと、2ちゃんねらーの工作でオリコンに入った可能性もあり。 | |||
#**それなら結局売れたと一緒じゃねぇか。 | |||
#*「声優によるアニソンシングル」な。 | |||
#史実以上にCagayake Girlsが注目されていた。 | |||
#そもそも[[もし「けいおん!」が大ヒットしていなかったら|「けいおん!」自体大コケしていた]]可能性もある。 | |||
#豊崎愛生、寿美菜子はスフィア出身なのでいずれはソロデビューはしたが、史実よりは盛り上がらなかった。 | |||
#*佐藤聡美、日笠陽子、竹達彩奈のソロデビューは無かった。 | |||
===とんぼ(長渕剛)=== | |||
#長渕剛の代表曲といえば「乾杯」や「ろくなもんじゃねえ」、あるいは古くからのファンは「順子」「巡恋歌」を挙げる人が多くなっていた。 | |||
#この曲が主題歌だったドラマ「とんぼ」もコケて長渕は俳優業から撤退していたかも知れない。 | |||
#*その後の本人のキャラクターや路線も変わっていたはず。 | |||
#当然清原和博が打席に入る際の入場曲に使われることもなかった。 | |||
==な行== | |||
===何度でも(DREAMS COME TRUE)=== | |||
#ドリカムの代表曲といえば未だに「LOVE LOVE LOVE」や「うれしい!たのしい!大好き!」などの20世紀発表の楽曲を挙げる人が多い。 | |||
#*ドリカムの21世紀発表の代表曲といえば「やさしいキスをして」。 | |||
#「救命病棟24時」の次回作でドリカム以外のアーティストが起用された可能性は…やっぱりないか。 | |||
===日本ブレイク工業 社歌(萬Z(量産型))=== | |||
#社歌のシングルがオリコンチャート入りすることはなかった。 | |||
#2009年に、社歌のコンピレーションアルバムが発売されることもなかっただろう。 | |||
#萬Zが[[天体戦士サンレッドファン|このアニメ]]の主題歌を歌うこともなかったかも知れない。 | |||
==関連項目== | |||
*[[もしあの歌が大ヒットしていたら]] | |||
{{行別|もしあの歌がコケていたら}} | |||
[[Category:歴史のif検討委員会_芸能史|あのうたかこけていたらさ]] | |||
[[Category:音楽|もしこけていたらさ]] |
2015年7月18日 (土) 21:16時点における版
- 新規登録は曲名の50音順にお願いいたします。
- カバーなど同じ曲が複数のアーティストでシングル発売された場合、曲名を中項目に、アーティスト名を小項目に(発売順で)書いてください。
さ
Sign(Mr.Children)
- ミスチルはレコード大賞出演せぬまま。
- その年の大賞はEXILE「Carry On」辺りになっていた。
さくら(森山直太朗)
- 森山直太朗のブレイクはなかったかも。
- 「世界に一つだけの花」は3ミリオンは軽く超えていた。
- 他アーティストがこの曲の2番煎じソングをリリースすることもなかった。
桜ノ雨(absorb)
- 新たな定番卒業ソングにならなかった。
- 初音ミクが好意的な形で報道番組に取り上げられる機会はなかった。
- 赤い羽根共同募金とか献血の呼びかけといった社会活動で採用されなかった。
桜の木になろう(AKB48)
- 女性アイドルグループのバラードは売れないジンクスが続いていた。
- 衣装に使われたピンクのジャケットは流行しなかった。
- ピンクのジャケットといえば未だに林家ペー・パー子の印象が強いままだった。
- カバーとなれば、徳永英明が相応しいがいつカバーアルバムに収録されるかどうかは未だに不明である。
survival dAnce 〜no no cry more〜(trf…現TRF)
- trfのブレイクはなかった。
- 一応その前に「EZ DO DANCE」と「寒い夜だから・・・」があったのでそれなりの知名度は得ていたかと。
- TKもプロデューサーとしては注目されなかった。
さよなら人類(たま)
- イカ天出身者の代表的な曲はBLANKEY JET CITYの『不良少年のうた』だった。
- カブキロックスの「お江戸」、JITTERIN'JINNの「プレゼント」、BEGINの「恋しくて」などのほうが(曲としては)有名では?
- イカ天自体がコケていたこともありえる。
3月9日(レミオロメン)
- 卒業ソングになることはなかった。
- 当初の目的である結婚ソングとしても定着しなかった。
- 3月9日生まれ限定の誕生日ソングにはなるが、それも初音ミクの登場で影が薄くなる。
- ニコニコ動画に初音ミクのオリジナル曲として「3月9日」という楽曲が作成されていたかもしれない。
- そしてネットではそっちが有名になった。
し
secret base 〜君がくれたもの〜(ZONE)
- ZONEの解散が早まっていた。
- 「10年後の8月」の復活もなかった。
- というよりブレイクできないままだったかと。
- 「今日の5の2」や「あの花」のEDとして、女性声優らがカバーすることも無かった。
- 同じ北海道出身のガールズバンドだったWhiteberryは「夏祭り」の一発屋で終わることなく史実より人気が出ていた。
- この曲が主題歌だった「キッズ・ウォー」もコケていたかも。
- もしかしたら井上真央の芸能生活にも影響を与えていたかも知れない。
- 本曲はシリーズ3作目の主題歌なので、1作目の『魔法のメロディ』と2作目の『愛の花』を手掛けたMELODYの二の舞になっていたと思う。
シーズン・イン・ザ・サン(TUBE)
- TUBEのブレイクはなかった。
- 「ベストセラーサマー」の一発屋だったかも。
- 1986年夏のキリンビールの注目度も少なかった。
シャツを洗えば(くるりとユーミン)
- 宝島社から発売された雑誌サイズCDがコケていた場合、宝島社は音楽CD事業から撤退していた。
- 『MY LITTLE LOVER×kitson ハーモニー』や『green/アカシア 持田香織×JOURNAL STANDARD Special CD BOX』などは制作されなかった。
羞恥心(羞恥心)
- ヘキサゴンファミリーコンサートは開かれなかった。
- ヘキサゴンの歌手プロジェクトは「羞恥心」「Pabo」だけで終わり、「ヘキサゴンファミリー」なんて呼ばれるコトもなかった。
- 「新撰組リアン」も作られなかった。
- 「悲愴感」も結成されなかった。
- 渡り廊下走り隊の作詞をカシアス島田がすることもなかった。
- 2008年度、話題をかっさらった企画物の楽曲が一曲(以上)減っていた。
- 「崖の上のポニョ」はCDだけでミリオンセラーを達成していたかもしれない。
- 鼠先輩や矢島美容室が史実以上に売上を伸ばしていたかもしれない。
- 「クイズ!ヘキサゴンⅡ」の放送も2009年春で終了していた可能性がある。
17才
南沙織
- 1971年の紅白に出場することはなかったので、デビュー後半年でトップバッターなんて快挙もなかった。
- 森高千里によるカバーもなかった。
森高千里
- 「17才」と聞いて南沙織を連想する人たちが史実より多かった。
- 森高千里は歌手活動を諦めてバラドルになっていただろう。
- 女優に転身していた可能性もある。
- この場合、「くまモンモン」は(同じく熊本県出身の)水前寺清子か茂森あゆみあたりに歌われていたかもしれない。
- 「気分爽快」や「渡良瀬橋」も現実ほど売れてなかった。
- 「渡良瀬橋」が事務所の後輩の松浦亜弥にカバーされることもなかった。
- ポンキッキーズで「ロックン・オムレツ」が流れることもなかった。
すせそ
西瓜BABY(Not yet)
- 同時発売した渡り廊下走り隊7「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていた。
- 場合によっては渡り廊下は解散に追い込まれることもなかった。
- 指原莉乃は選抜総選挙で順位が飛躍的に上昇することはなかった。
- 上記も踏まえると、第5回総選挙は渡辺麻友が1位だった。
- サマーソングの定番が減っていた。
- Not yetは指原移籍とともに解散していた。
STAR(浅香唯)
- 浅香唯はイロモノ歌手のまま浮上できなかっただろう。
- 0930の児玉美代のように宮崎ローカルタレントになったかもしれない。
Thriller(マイケル・ジャクソン)
- ミュージックビデオは余り普及していない。
- マイケルジャクソンは史実ほど売れていない。
- 彼の死があそこまで話題になることも無かった。
- 「子供(ジャクソン5)時代は活躍したが、成人後は売れなくなった人」として知られることになるかも。
- 妹のジャネット・ジャクソンも、史実ほど売れていなかったかも。
- ジャネットが史実通り売れていたら、マイケルは「ジャネットの兄」として知られることになる。
- マイケルのソロよりも、ザ・ジャクソンズとしての活動のほうが知られていたかも。
- 『Victory』などのザ・ジャクソンズのアルバムが史実以上に売れていた可能性もある。
- マイケルがザ・ジャクソンズから脱退することはなかった。
- 1990年にザ・ジャクソンズが解散することもなく、1990年代以後もザ・ジャクソンズ名義の新譜がリリースされていた。
- マイケルが史実どおり2009年に死去した場合、マイケルの死によって解散していたかも。
- 1990年にザ・ジャクソンズが解散することもなく、1990年代以後もザ・ジャクソンズ名義の新譜がリリースされていた。
世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)
- WANDSのブレイクはなかった。
- と同時に『もっと強く抱きしめたなら』も大ヒットすることはなかった。
- 中山美穂はこの曲を最後に歌手活動を停止していた。
- 酒井法子がカバーすることもなかった。
世界に一つだけの花(SMAP)
- 2004年の選抜高校野球では「さくら」(森山直太朗) が流されていた。
- SMAPは今頃(2009年12月)解散してしまった可能性もあり。
- いや、春頃(2010年4月)だな。解散しても俳優や司会として残るんだろうが。
- もしかしたら某不祥事で…?
- 槇原敬之はとっくに世間から忘れられている。
- ダウンタウンと組んで曲を出すこともなかった。
- 「槇原敬之死亡説」が囁かれていたこともなかった。
- 「R-35」が出た頃にようやく世間が思い出してくれた。
- 山根康広のような存在にはなれたかも。
- 下火を迎え始め、ジャニーズ事務所の後輩グループ嵐・NEWSなどがより早く大ブレークしていた。
- 「さくら(独唱)」は年内にミリオンセラーになっていた。
- 「ナンバーワンよりオンリーワン」という考えは現実ほど広まっていない。
- 羽田空港国際線ターミナル駅の接近メロディは嵐の曲のどれかになっていた。
- 中国語バージョンも作られていない。
- CCCDの採用は全レコード会社に広まっていた。
- 発売したビクター・エンタテインメントは当時CCCDを採用していたがこの曲では採用されなかった。
- よってCCCD不採用による違法コピー蔓延が原因と断定されていたことは明らかだった。
- 発売したビクター・エンタテインメントは当時CCCDを採用していたがこの曲では採用されなかった。
千本桜(黒うさP)
- 2015年時点でのVOCALOID文化は史実より小規模なものになっていたかもしれない。
- 下手したら、VOCALOID自体が過去のコンテンツ扱いされていた可能性もある。
- 少なくともVOCALOID曲のカラオケ化はほとんどなかった。
- ミュージカル化や小説化はなかった。
- トヨタ・AQUAのCM曲にピアノアレンジ版が採用されることはなかった。
- 初音ミク以外のクリプトン製VOCALOIDキャラは史実ほど目立たない。
空も飛べるはず(スピッツ)
- スピッツのブレイクは遅れていた。
- 「ロビンソン」の一発屋に終わった、としたほうがよろしいかと。
- ちなみにリリースは「空も飛べるはず」→「ロビンソン」だが、ヒットした順番は逆。
- もしくは結局「チェリー」が史実通りヒットし、代表曲が1つ減る程度だったかも。
- 「ロビンソン」の一発屋に終わった、としたほうがよろしいかと。
- 「ロビンソン」「チェリー」よりもベタな曲を作っていた。
- スピッツの卒業ソングといえば「楓」だった。
- TOKIO長瀬は俳優業から撤退した。
それは僕たちの奇跡(μ's)
- キャラ名義で10万越えシングルといえば未だに「Don’t say “lazy”」か「もってけ!セーラーふく」。
- 「MUSIC JAPAN」にμ'sが出演する事はなかった。
た
Diamonds(プリンセス・プリンセス)
- プリンセス・プリンセスの解散が数年早まっていた。
- SONYのCMに出演することもなかったか、しても別の曲で出演していた。
- CMで森三中に真似されることも無かった。
- 「世界で一番熱い夏」も現実ほど売れなかった。
- 阪神の新井良太の登場曲は別の曲になっていた。
- 1989年の年間チャート1位は「とんぼ」(長渕剛)か「愛が止まらない」(Wink)あたりだった。
たいせつなともだち(なかまゆうき)
- 卒園式の定番曲にはならなかった。
- 「泣ける曲」として話題になることはなかった。
- ベネッセのテレビCMに使用されることもなかった。
太陽のKomachi Angel(B'z)
- B'zはブレイクできなかった。
- 前作の「BE THERE」が多少だけど売れたし、この後の曲がさらにヒットしたからそれはないと思う。
- カメリアダイヤモンドの注目度も下がり、三貴グループの経営悪化も早まっていた。
007/美しき獲物たち(デュラン・デュラン)
- Billboard Hot 100での007主題歌の1位は未だに達成されていない(2015年4月現在)。
旅立ちの日に…(川嶋あい)
- 「旅立ちの日に」といえば埼玉県秩父市立影森中学校教員作曲の合唱曲だけだった。
- 当然この曲と混同することはなかった。
- 上記の合唱曲とタイトルが同じことがコケた原因になっていた。
- 川嶋あいがそれほど有名にならなかったかも。
- 「合唱曲とは別に『旅立ちの日に』というJ-POPの楽曲がある」というトリビアができていた。
たらこ・たらこ・たらこ(キグルミ)
- 新語・流行語大賞にノミネートされなかった。
- 同時期に注目されていたCMソング、ロコロコ・イエロー「ロコロコのうた」が割りを食うこともなく史実よりヒットしていたかも。
だんご3兄弟(速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団)
- 1999年上半期の日本音楽界の話題は宇多田ヒカル一色だった。
- 1999年の年間オリコン1位も宇多田ヒカルの歌う曲だったかも。
- 「おしりかじり虫」がどうなったかも怪しくなる。
- 速水けんたろうが「ファイターズ讃歌」を歌うこともなかった。
- 慎吾ママやミニモニ。はそれほど話題にならなかった。
- 普通に「おかあさんといっしょ」から出た童謡の1曲という認識で終わっていた。
- 酷い場合、「おかあさんといっしょ」で生まれた曲の中でもマニアックな部類になっていた。
- 「およげ!たいやきくん」と比較されることもなかった。
ちつて
地上の星(中島みゆき)
- 2009年の紫綬褒章受賞は無かった。
- 名言「棚から本マグロ」もおそらく存在してなかった。
- 下手すれば、プロジェクトXの主題歌としても長続きしなかったかも。
- プロジェクトX自体が早く終わっていたと思う。
- 彼女が紅白に出場し、黒部のトンネルの中で歌うこともなかった。
- 「悪女」や「空と君とのあいだに」を知らない世代にとって彼女は、完全に“過去の人”として見られる。
チャコの海岸物語(サザンオールスターズ)
- サザンは夏の印象が強まることはなかった。
- 2番煎じバンドであるTUBEが結成されたかどうかは怪しい。
- 紅白歌合戦に出場することはなかった。
- 桑田佳祐は三波春夫のコスプレで「とにかく受信料は払いましょう」発言をすることもなかった。
- サザンは原由子産休のかわりに解散していたかもしれない。
チョコレイト・ディスコ(Perfume)
- 邦楽のバレンタインソングの代表曲は2014年現在も「バレンタイン・キッス」(国生さゆり)だった。
- あるいは(シングル発売はされていないが)「Valentine's RADIO」(松任谷由実)。
- Perfumeの代表曲といえば『ポリリズム』だった。
- 本作前のシングルである近未来三部作(『リニアモーターガール』、『コンピューター・シティ』、『エレクトロ・ワールド』)の一般的な認知度が上がっていた
TSUNAMI(サザンオールスターズ)
- 大森隆志脱退を機にサザン解散に至ったかもしれない。
- 平成の名曲として紹介されるコトはなかった。
- 2000年のレコード大賞は浜崎あゆみの「SEASONS」になっていた。
- よって、浜崎あゆみのレコード大賞引退が1年早くなっていた。
- 2001年の選抜高校野球の入場行進曲は「桜坂」(福山雅治)あたりになっていた。
- 「らいおんハート」(SMAP)、「Everything」(MISIA)などの可能性も。
- ↓の6のような事態になっていたら同じ「未来日記」で使われていた「桜坂」もコケてこの2曲のどちらかだったかも。
- 「らいおんハート」(SMAP)、「Everything」(MISIA)などの可能性も。
- サザンオールスターズの代表曲(最大のヒット曲ではない)は未だに「いとしのエリー」のままだった。
- この曲が主題歌となった『ウンナンのホントコ! 未来日記』もコケていたかも。
Tell Your World(livetune)
- GoogleのCMに初音ミクは起用されなかった。
- livetune自体ブレイクしなかった。
- Clarisなどへの楽曲提供はなかった。
- BUMP OF CHICKENが初音ミクとコラボすることはなかったかもしれない。
- 初音ミクは「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」のような歌しか歌えなかっただろう。
と
TRUTH(THE SQUARE…現・T-SQUARE)
- スクェアの代表曲は今でも「OMENS OF LOVE」のままだった。
- 「FACES」(史実ではアイルトン・セナのテーマ)や「明日への扉」(史実ではアラン・プロストのテーマ)がF-1グランプリで使用されることもなかった。
トイレの神様(植村花菜)
- 彼女の知名度は上がらないままだった。
- 2010年の紅白歌合戦の出場者が2~3組増えていたかもしれない。
- この歌は10分弱という異例の長さを誇るため。
- 美川憲一あたりも出場できたかも。
どかーん(真心ブラザーズ)
- 真心ブラザーズの代表曲は『サマーヌード』を待たなければならない。
- 高校野球の応援曲の定番は一つ減っていた。
TORA TORA TORA(MAX)
- MAXは無名の音楽グループのまま解散し、メンバー全員は沖縄に帰って行った。
- この曲を発売する前、所属事務所の社長から「この曲が売れなかったら沖縄に帰す」と言われた経緯があるため。
- スーパーモンキーズとしては、安室奈美恵との格差が大きくなっていた。
Don't Go Breaking My Heart(恋のデュエット)(エルトン・ジョン&キキ・ディー)
- キキ・ディーの知名度は史実より低くなっていた。
- キキ・ディーのヒット曲といえば「I've Got The Music In Me(歌は恋人)」。
Don't Say Lazy(桜高軽音部)
- 未だにアニソンシングルのオリコンランキング一位獲得がおきていない。
- マスゴミの反応を見ようと、2ちゃんねらーの工作でオリコンに入った可能性もあり。
- それなら結局売れたと一緒じゃねぇか。
- 「声優によるアニソンシングル」な。
- マスゴミの反応を見ようと、2ちゃんねらーの工作でオリコンに入った可能性もあり。
- 史実以上にCagayake Girlsが注目されていた。
- そもそも「けいおん!」自体大コケしていた可能性もある。
- 豊崎愛生、寿美菜子はスフィア出身なのでいずれはソロデビューはしたが、史実よりは盛り上がらなかった。
- 佐藤聡美、日笠陽子、竹達彩奈のソロデビューは無かった。
とんぼ(長渕剛)
- 長渕剛の代表曲といえば「乾杯」や「ろくなもんじゃねえ」、あるいは古くからのファンは「順子」「巡恋歌」を挙げる人が多くなっていた。
- この曲が主題歌だったドラマ「とんぼ」もコケて長渕は俳優業から撤退していたかも知れない。
- その後の本人のキャラクターや路線も変わっていたはず。
- 当然清原和博が打席に入る際の入場曲に使われることもなかった。
な行
何度でも(DREAMS COME TRUE)
- ドリカムの代表曲といえば未だに「LOVE LOVE LOVE」や「うれしい!たのしい!大好き!」などの20世紀発表の楽曲を挙げる人が多い。
- ドリカムの21世紀発表の代表曲といえば「やさしいキスをして」。
- 「救命病棟24時」の次回作でドリカム以外のアーティストが起用された可能性は…やっぱりないか。
日本ブレイク工業 社歌(萬Z(量産型))
- 社歌のシングルがオリコンチャート入りすることはなかった。
- 2009年に、社歌のコンピレーションアルバムが発売されることもなかっただろう。
- 萬Zがこのアニメの主題歌を歌うこともなかったかも知れない。
関連項目
もしあの歌がコケていたら |
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あ~お/か~こ/さ~の/は~わ |