ページ「もしあの年の自民党総裁選で○○だったら」と「もしあの歌がコケていたら/さ~な行」の間の差分

(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
>むらまさ
(→‎1979年: 改行削除)
 
>Quon六兆年
(→‎さ: 連投すいません。新設します。)
 
1行目: 1行目:
==1979年==
<[[もしあの歌がコケていたら]]
福田赳夫が総裁になっていたら
*新規登録は曲名の50音順にお願いいたします。
#大平、田中派は自民を離党し自由党(仮)を結党。当初党首は大平。
*カバーなど同じ曲が複数のアーティストでシングル発売された場合、曲名を中項目に、アーティスト名を小項目に(発売順で)書いてください。
#内閣不信任案は当然可決。解散総選挙へ。
====
#おそらく自由党は新自由クラブ、民社党、公明党、社民と共闘、社会党、共産党とはある程度距離を置いて協力となる。
===Sign(Mr.Children)===
#史実と異なり、大平死去の同情票が自由党に流れ、自民は大敗下野する。
#ミスチルはレコード大賞出演せぬまま。
#鈴木総理で自新民公連立内閣が発足、自新は合流して新自由党に。
#*その年の大賞はEXILE「Carry On」辺りになっていた。
#レーガン政権とは距離を置いて中国やイランと接近した政権運営となる。
#社会党は新政権への参加で分裂、参加する右派が民社社民連と合流して民主党(仮)になり鈴木政権に合流。
#残った自民は社会党左派、共産との協力を模索し、共産党も野坂、宮本で再分裂する。野坂派は自民に協力、宮本派は独自路線堅持で冷戦崩壊あたりで議席喪失。
#史実以上に政策がねじれた政権ができつづけ政権交替が繰り返されていた。
#松下政経塾出身者は新自由党と民主党に合流し、日本新党は存在しなかった。
#橋下氏は政治家にならなかった。


==1989年==
===さくら(森山直太朗)===
;石原慎太郎が総裁になっていたら
#森山直太朗のブレイクはなかったかも。
#少なくとも中共との中は悪化していた
#「世界に一つだけの花」は3ミリオンは軽く超えていた。
#*韓国や北朝鮮との仲も悪化していた
#他アーティストがこの曲の2番煎じソングをリリースすることもなかった。
#*日本が技術供与しないので、中国は現実ほど経済発展しなかった。
#**2008年の北京五輪や2010年の上海万博もなかった。
#中曽根氏も一時憲法改正を考えていたので引き継いで憲法を改正していた可能性も・・・
#台湾と国交を樹立、または現在の日本と台湾の関係は「アメリカと台湾」の関係のようになっていた
#朝鮮総連の本部は実史よりも早くに差し押さえになっていた
#長期政権になっていたはず・・。
#アメリカとの関係はその当時の大統領が共和党か民主党によって変わっていたはず・・。
#都知事に出馬していなかったかもしれない・・。
#当時はバブル景気真っ只中なので、総裁選で勝って就任したとしてもバブルが長く続いていたかどうかは微妙・・。
#現実よりも東京一極集中が進み、地方が衰退していた。
#*大阪府の人口は20世紀のうちに神奈川県に抜かれていた。
#国と日本相撲協会の関係が悪化した。
#*千代の富士の国民栄誉賞受賞が遅れる。
#*[[ベタな表彰式の法則#大相撲優勝力士|表彰式]]に総理が直接出席することは未だになかったかも。


==1995年==
===桜ノ雨(absorb)===
;小泉純一郎が総裁になっていたら
#新たな定番卒業ソングにならなかった。
#北朝鮮のテポドン発射は98年以前に起こってた
#初音ミクが好意的な形で報道番組に取り上げられる機会はなかった。
#田中角栄の戦後最年少総理の肩書きを奪っていた
#*赤い羽根共同募金とか献血の呼びかけといった社会活動で採用されなかった。
#*安部晋三は戦後最年少総理になれなかった
#小渕、森(場合によっては橋本も)は首相に就任しなかった
#安部晋三は06年の総裁選に立候補しなかった、立候補しても2010年以降にずれ込んでいた
#*2012年の総裁選は初当選になる。
#実史通り長期政権となっていた場合、今頃自民党総裁は、小泉→福田→麻生または小池、別の場合は小泉→橋本→福田とかか?
#郵政民営化は早ければ20世紀中に実現。
#派遣労働などの規制緩和も現実より早く行われたため不況がさらに進行していた。
#地元の神奈川県との関係で08年にオリンピック立候補は大阪では無く横浜になった可能性も
#平成の大合併も早まった。


==1999年==
===桜の木になろう(AKB48)===
;加藤紘一または山﨑拓が総裁になっていたら
#女性アイドルグループのバラードは売れないジンクスが続いていた。
#当然翌年の「加藤の乱」は起こらないが、代わりに「森の乱」あるいは「小泉の乱」が起こっていた(新内閣で森派は冷遇される可能性が高いため)。
#衣装に使われたピンクのジャケットは流行しなかった。
#*そして1年程度で退陣。小泉内閣が史実通り(または数か月早く)発足した。
#*ピンクのジャケットといえば未だに林家ペー・パー子の印象が強いままだった。
#小渕恵三総理が2000年4月に倒れ、翌月に亡くなることもなかった。
#カバーとなれば、徳永英明が相応しいがいつカバーアルバムに収録されるかどうかは未だに不明である。
#*娘の優子氏はいずれ地盤を引き継ぐが、父の引退に伴うため、数年遅れていた。
#野中広務氏は幹事長にはならなかった(加藤氏の総裁選出馬に批判的だったため、たとえ打診されても断っていた)。
#公明党と連立を組むことはなく、自公連立政権は誕生しなかった。


==2006年==
===survival dAnce 〜no no cry more〜(trf…現TRF)===
;福田康夫が出馬し総裁になっていたら
#trfのブレイクはなかった。
#李登輝氏の日本訪問は絶対に認めない
#*一応その前に「EZ DO DANCE」と「寒い夜だから・・・」があったのでそれなりの知名度は得ていたかと。
#親中反米派ということ以外はとりたてて地味なまま任期を全うしていたと思う。
#TKもプロデューサーとしては注目されなかった。
#*反米?
#昔の角福戦争のあおりを受け、真K子からしょっちゅう喧嘩を吹っ掛けられる。これは現実通り。
#どっちみち2007年の参議院選挙で大敗して辞任、後任は・・・安倍晋三?
#*ねじれ国会に苦しむ。
#**そして'''例の台詞'''を残し職務放棄…。
#***'''「あなたとは違うんです」'''のことか。


;麻生太郎が当選し総裁になっていたら
===さよなら人類(たま)===
#実際に総理になった時(2008年~2009年)ほど、失言や漢字の読み間違いは問題にならなかった。
#イカ天出身者の代表的な曲はBLANKEY JET CITYの『不良少年のうた』だった。
#政権は2、3年はもっていた。
#*カブキロックスの「お江戸」、JITTERIN'JINNの「プレゼント」、BEGINの「恋しくて」などのほうが(曲としては)有名では?
#安倍晋三氏は引き続き官房長官か、外務大臣として、麻生新内閣に入閣していた。
#[[もしあの番組が大コケしていたら/TBS系#三宅裕司のいかすバンド天国|イカ天自体]]がコケていたこともありえる。


;谷垣禎一が当選し総裁になっていたら
===3月9日(レミオロメン)===
#消費税率は、2008年頃に8%、2010年頃に10%になっていた。
#卒業ソングになることはなかった。
#麻生、安倍両氏の入閣、および党役員への就任はない。
#*当初の目的である結婚ソングとしても定着しなかった。
#*3月9日生まれ限定の誕生日ソングにはなるが、それも初音ミクの登場で影が薄くなる。
#ニコニコ動画に初音ミクのオリジナル曲として「3月9日」という楽曲が作成されていたかもしれない。
#*そしてネットではそっちが有名になった。


==2008年==
====
;小池百合子が総裁になっていたら
===secret base 〜君がくれたもの〜(ZONE)===
#我が国初の女性首相が誕生。
#ZONEの解散が早まっていた。
#*女性閣僚の比率が高くなっていたかも。
#*「10年後の8月」の復活もなかった。
#自民党政権がもう少し長続きしていたかも。
#*というよりブレイクできないままだったかと。
#女性の社会進出は、大いに増えていた。
#「今日の5の2」や「あの花」のEDとして、女性声優らがカバーすることも無かった。
#同じ北海道出身のガールズバンドだったWhiteberryは「夏祭り」の一発屋で終わることなく史実より人気が出ていた。
#この曲が主題歌だった「キッズ・ウォー」もコケていたかも。
#*もしかしたら井上真央の芸能生活にも影響を与えていたかも知れない。
#*本曲はシリーズ3作目の主題歌なので、1作目の『魔法のメロディ』と2作目の『愛の花』を手掛けたMELODYの二の舞になっていたと思う。


==2012年==
===シーズン・イン・ザ・サン(TUBE)===
;石原伸晃が総裁になっていたら
#TUBEのブレイクはなかった。
#日経平均1万回復はなかった。
#*「ベストセラーサマー」の一発屋だったかも。
#安倍、菅などが離党して維新に合流していた。
#1986年夏のキリンビールの注目度も少なかった。
#維新が大勝して200議席程度になり、公明、未来、減税と連立して自民は政権奪回できなかった。おそらく総理は橋下。
;石破茂が総裁になっていたら
#派閥リーダーなどの反発で党内の統制がなかなか取れず、早々と辞任していたかもしれない。
#*そして安倍晋三か石原伸晃が総裁になっていた。
#*当然、自民党は「2009年の惨敗の反省が生かされていない」とかなりのバッシングを受けていた。
#上記のようなことが無ければ、史実通り衆議院解散・総選挙となっていた場合、自民党は史実以上に圧勝していた。
#*日本維新の会、みんなの党の議席は史実より伸び悩んでいた。


;谷垣禎一が総裁になっていたら
===シャツを洗えば(くるりとユーミン)===
周囲の反対を押しのけて立候補し、自分を裏切った石原氏を下して総裁に再選されたとしたら?
#[[出版社/さ・た行#宝島社|宝島社]]から発売された雑誌サイズCDがコケていた場合、宝島社は音楽CD事業から撤退していた。
#2012年12月の衆議院解散には追い込めず、翌年の参院選で衆参ダブル選となり、ここでようやく政権を取り戻した。
#*『MY LITTLE LOVER×kitson ハーモニー』や『green/アカシア 持田香織×JOURNAL STANDARD Special CD BOX』などは制作されなかった。
#*新内閣が発足するも、石原氏はもちろん、安倍氏、麻生氏も入閣することはなかった。
#**逆に安倍さんは立候補せず、麻生さんとともに谷垣さんを支援→二人そろって要職に就任してた。
#中、韓との関係は史実ほど悪くはないが、景気も現在ほど回復はしていなかった。
#自民党史上初の「総裁経験者である幹事長」が誕生することもなかった。


;町村信孝が総裁になっていたら
===羞恥心(羞恥心)===
#史実通り政権を取り戻したが、途中で病に倒れていた。
#ヘキサゴンファミリーコンサートは開かれなかった。
#日本はTPPには参加しなかった。
#ヘキサゴンの歌手プロジェクトは「羞恥心」「Pabo」だけで終わり、「ヘキサゴンファミリー」なんて呼ばれるコトもなかった。
#町村新内閣では、安倍氏を支援した人たちは干されていた。
#*「新撰組リアン」も作られなかった。
#*安倍氏とその支援者たちが独立し、町村派(清和政策研究会)が分裂。
#「悲愴感」も結成されなかった。
#**町村派が党内最大派から転落し、額賀派(平成研究会)が復権する。
#渡り廊下走り隊の作詞をカシアス島田がすることもなかった。
#2008年度、話題をかっさらった企画物の楽曲が一曲(以上)減っていた。
#*「崖の上のポニョ」はCDだけでミリオンセラーを達成していたかもしれない。
#*鼠先輩や矢島美容室が史実以上に売上を伸ばしていたかもしれない。
#「クイズ!ヘキサゴンⅡ」の放送も2009年春で終了していた可能性がある。


===17才===
====南沙織====
#1971年の紅白に出場することはなかったので、デビュー後半年でトップバッターなんて快挙もなかった。
#森高千里によるカバーもなかった。


[[category:歴史のif検討委員会 政治史|しみんとうそうさいせん]]
====森高千里====
#「17才」と聞いて南沙織を連想する人たちが史実より多かった。
#森高千里は歌手活動を諦めてバラドルになっていただろう。
#*女優に転身していた可能性もある。
#*この場合、「くまモンモン」は(同じく熊本県出身の)水前寺清子か茂森あゆみあたりに歌われていたかもしれない。
#「気分爽快」や「渡良瀬橋」も現実ほど売れてなかった。
#*「渡良瀬橋」が事務所の後輩の松浦亜弥にカバーされることもなかった。
#[[ポンキッキファン|ポンキッキーズ]]で「ロックン・オムレツ」が流れることもなかった。
 
==すせそ==
===西瓜BABY(Not yet)===
#同時発売した渡り廊下走り隊7「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていた。
#*場合によっては渡り廊下は解散に追い込まれることもなかった。
#指原莉乃は選抜総選挙で順位が飛躍的に上昇することはなかった。
#*上記も踏まえると、第5回総選挙は渡辺麻友が1位だった。
#サマーソングの定番が減っていた。
#Not yetは指原移籍とともに解散していた。
 
===STAR(浅香唯)===
#浅香唯はイロモノ歌手のまま浮上できなかっただろう。
#0930の児玉美代のように宮崎ローカルタレントになったかもしれない。
 
===Thriller(マイケル・ジャクソン)===
#ミュージックビデオは余り普及していない。
#マイケルジャクソンは史実ほど売れていない。
#*彼の死があそこまで話題になることも無かった。
#*「子供(ジャクソン5)時代は活躍したが、成人後は売れなくなった人」として知られることになるかも。
#妹のジャネット・ジャクソンも、史実ほど売れていなかったかも。
#*ジャネットが史実通り売れていたら、マイケルは「ジャネットの兄」として知られることになる。
#マイケルのソロよりも、ザ・ジャクソンズとしての活動のほうが知られていたかも。
#*『Victory』などのザ・ジャクソンズのアルバムが史実以上に売れていた可能性もある。
#マイケルがザ・ジャクソンズから脱退することはなかった。
#*1990年にザ・ジャクソンズが解散することもなく、1990年代以後もザ・ジャクソンズ名義の新譜がリリースされていた。
#**マイケルが史実どおり2009年に死去した場合、マイケルの死によって解散していたかも。
 
===世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)===
#WANDSのブレイクはなかった。
#*と同時に『もっと強く抱きしめたなら』も大ヒットすることはなかった。
#中山美穂はこの曲を最後に歌手活動を停止していた。
#酒井法子がカバーすることもなかった。
 
===世界に一つだけの花(SMAP)===
#2004年の選抜高校野球では「さくら」(森山直太朗) が流されていた。
#SMAPは今頃(2009年12月)解散してしまった可能性もあり。
#*いや、春頃(2010年4月)だな。解散しても俳優や司会として残るんだろうが。
#*もしかしたら某不祥事で…?
#槇原敬之はとっくに世間から忘れられている。
#*ダウンタウンと組んで曲を出すこともなかった。
#*「槇原敬之死亡説」が囁かれていたこともなかった。
#*「R-35」が出た頃にようやく世間が思い出してくれた。
#**山根康広のような存在にはなれたかも。
#下火を迎え始め、ジャニーズ事務所の後輩グループ嵐・NEWSなどがより早く大ブレークしていた。
#「さくら(独唱)」は年内にミリオンセラーになっていた。
#「ナンバーワンよりオンリーワン」という考えは現実ほど広まっていない。
#羽田空港国際線ターミナル駅の接近メロディは嵐の曲のどれかになっていた。
#中国語バージョンも作られていない。
#CCCDの採用は全レコード会社に広まっていた。
#*発売したビクター・エンタテインメントは当時CCCDを採用していたがこの曲では採用されなかった。
#**よってCCCD不採用による違法コピー蔓延が原因と断定されていたことは明らかだった。
 
===千本桜(黒うさP)===
#2015年時点でのVOCALOID文化は史実より小規模なものになっていたかもしれない。
#*下手したら、VOCALOID自体が過去のコンテンツ扱いされていた可能性もある。
#*少なくともVOCALOID曲のカラオケ化はほとんどなかった。
#ミュージカル化や小説化はなかった。
#トヨタ・AQUAのCM曲にピアノアレンジ版が採用されることはなかった。
#初音ミク以外のクリプトン製VOCALOIDキャラは史実ほど目立たない。
 
===空も飛べるはず(スピッツ)===
#スピッツのブレイクは遅れていた。
#*「ロビンソン」の一発屋に終わった、としたほうがよろしいかと。
#**ちなみにリリースは「空も飛べるはず」→「ロビンソン」だが、ヒットした順番は逆。
#**もしくは結局「チェリー」が史実通りヒットし、代表曲が1つ減る程度だったかも。
#「ロビンソン」「チェリー」よりもベタな曲を作っていた。
#スピッツの卒業ソングといえば「楓」だった。
#TOKIO長瀬は俳優業から撤退した。
 
===それは僕たちの奇跡(μ's)===
#キャラ名義で10万越えシングルといえば未だに「Don’t say “lazy”」か「もってけ!セーラーふく」。
#「MUSIC JAPAN」にμ'sが出演する事はなかった。
 
==た==
===Diamonds(プリンセス・プリンセス) ===
#プリンセス・プリンセスの解散が数年早まっていた。
#SONYのCMに出演することもなかったか、しても別の曲で出演していた。
#CMで森三中に真似されることも無かった。
#「世界で一番熱い夏」も現実ほど売れなかった。
#*阪神の新井良太の登場曲は別の曲になっていた。
#1989年の年間チャート1位は「とんぼ」(長渕剛)か「愛が止まらない」(Wink)あたりだった。
 
===たいせつなともだち(なかまゆうき)===
#卒園式の定番曲にはならなかった。
#「泣ける曲」として話題になることはなかった。
#[[ベネッセコーポレーション|ベネッセ]]のテレビCMに使用されることもなかった。
 
===太陽のKomachi Angel(B'z)===
#B'zはブレイクできなかった。
#*前作の「BE THERE」が多少だけど売れたし、この後の曲がさらにヒットしたからそれはないと思う。
#カメリアダイヤモンドの注目度も下がり、三貴グループの経営悪化も早まっていた。
 
===007<!--ダブルオーセブン-->/美しき獲物たち(デュラン・デュラン)===
#Billboard Hot 100での007主題歌の1位は未だに達成されていない(2015年4月現在)。
 
===旅立ちの日に…(川嶋あい)===
#「旅立ちの日に」といえば埼玉県秩父市立影森中学校教員作曲の合唱曲だけだった。
#*当然この曲と混同することはなかった。
#上記の合唱曲とタイトルが同じことがコケた原因になっていた。
#川嶋あいがそれほど有名にならなかったかも。
#「合唱曲とは別に『旅立ちの日に』というJ-POPの楽曲がある」というトリビアができていた。
 
===たらこ・たらこ・たらこ(キグルミ)===
#新語・流行語大賞にノミネートされなかった。
#同時期に注目されていたCMソング、ロコロコ・イエロー「ロコロコのうた」が割りを食うこともなく史実よりヒットしていたかも。
 
===だんご3兄弟(速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団)===
#1999年上半期の日本音楽界の話題は宇多田ヒカル一色だった。
#*1999年の年間オリコン1位も宇多田ヒカルの歌う曲だったかも。
#「おしりかじり虫」がどうなったかも怪しくなる。
#速水けんたろうが「ファイターズ讃歌」を歌うこともなかった。
#慎吾ママやミニモニ。はそれほど話題にならなかった。
#普通に「おかあさんといっしょ」から出た童謡の1曲という認識で終わっていた。
#*酷い場合、「おかあさんといっしょ」で生まれた曲の中でもマニアックな部類になっていた。
#「およげ!たいやきくん」と比較されることもなかった。
 
==ちつて==
===地上の星(中島みゆき)===
#2009年の紫綬褒章受賞は無かった。
#*名言「棚から本マグロ」もおそらく存在してなかった。
#下手すれば、プロジェクトXの主題歌としても長続きしなかったかも。
#*プロジェクトX自体が早く終わっていたと思う。
#彼女が紅白に出場し、黒部のトンネルの中で歌うこともなかった。
#「悪女」や「空と君とのあいだに」を知らない世代にとって彼女は、完全に“過去の人”として見られる。
 
===チャコの海岸物語(サザンオールスターズ)===
#サザンは夏の印象が強まることはなかった。
#*2番煎じバンドであるTUBEが結成されたかどうかは怪しい。
#紅白歌合戦に出場することはなかった。
#*桑田佳祐は三波春夫のコスプレで「とにかく受信料は払いましょう」発言をすることもなかった。
#サザンは原由子産休のかわりに解散していたかもしれない。
 
===チョコレイト・ディスコ(Perfume)===
#邦楽のバレンタインソングの代表曲は2014年現在も「バレンタイン・キッス」(国生さゆり)だった。
#*あるいは(シングル発売はされていないが)「Valentine's RADIO」(松任谷由実)。
#Perfumeの代表曲といえば『[[#ポリリズム|ポリリズム]]』だった。
#本作前のシングルである近未来三部作(『リニアモーターガール』、『コンピューター・シティ』、『エレクトロ・ワールド』)の一般的な認知度が上がっていた
 
===TSUNAMI(サザンオールスターズ)===
#大森隆志脱退を機にサザン解散に至ったかもしれない。
#平成の名曲として紹介されるコトはなかった。
#2000年のレコード大賞は浜崎あゆみの「SEASONS」になっていた。
#*よって、浜崎あゆみのレコード大賞引退が1年早くなっていた。
#2001年の選抜高校野球の入場行進曲は「桜坂」(福山雅治)あたりになっていた。
#*「らいおんハート」(SMAP)、「Everything」(MISIA)などの可能性も。
#**↓の6のような事態になっていたら同じ「未来日記」で使われていた「桜坂」もコケてこの2曲のどちらかだったかも。
#サザンオールスターズの代表曲(最大のヒット曲ではない)は未だに「いとしのエリー」のままだった。
#この曲が主題歌となった『ウンナンのホントコ! 未来日記』もコケていたかも。
 
===Tell Your World(livetune)===
#GoogleのCMに初音ミクは起用されなかった。
#livetune自体ブレイクしなかった。
#*Clarisなどへの楽曲提供はなかった。
#*BUMP OF CHICKENが初音ミクとコラボすることはなかったかもしれない。
#初音ミクは「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」のような歌しか歌えなかっただろう。
 
==と==
===TRUTH(THE SQUARE…現・T-SQUARE)===
#スクェアの代表曲は今でも「OMENS OF LOVE」のままだった。
#「FACES」(史実ではアイルトン・セナのテーマ)や「明日への扉」(史実ではアラン・プロストのテーマ)がF-1グランプリで使用されることもなかった。
 
===トイレの神様(植村花菜)===
#彼女の知名度は上がらないままだった。
#2010年の紅白歌合戦の出場者が2~3組増えていたかもしれない。
#*この歌は10分弱という異例の長さを誇るため。
#*美川憲一あたりも出場できたかも。
 
===どかーん(真心ブラザーズ)===
#真心ブラザーズの代表曲は『サマーヌード』を待たなければならない。
#高校野球の応援曲の定番は一つ減っていた。
 
===TORA TORA TORA(MAX)===
#MAXは無名の音楽グループのまま解散し、メンバー全員は沖縄に帰って行った。
#*この曲を発売する前、所属事務所の社長から「この曲が売れなかったら沖縄に帰す」と言われた経緯があるため。
#*スーパーモンキーズとしては、安室奈美恵との格差が大きくなっていた。
 
===Don't Go Breaking My Heart(恋のデュエット)(エルトン・ジョン&キキ・ディー)===
#キキ・ディーの知名度は史実より低くなっていた。
#キキ・ディーのヒット曲といえば「I've Got The Music In Me(歌は恋人)」。
 
===Don't Say Lazy(桜高軽音部)===
#未だにアニソンシングルのオリコンランキング一位獲得がおきていない。
#*マスゴミの反応を見ようと、2ちゃんねらーの工作でオリコンに入った可能性もあり。
#**それなら結局売れたと一緒じゃねぇか。
#*「声優によるアニソンシングル」な。
#史実以上にCagayake Girlsが注目されていた。
#そもそも[[もし「けいおん!」が大ヒットしていなかったら|「けいおん!」自体大コケしていた]]可能性もある。
#豊崎愛生、寿美菜子はスフィア出身なのでいずれはソロデビューはしたが、史実よりは盛り上がらなかった。
#*佐藤聡美、日笠陽子、竹達彩奈のソロデビューは無かった。
 
===とんぼ(長渕剛)===
#長渕剛の代表曲といえば「乾杯」や「ろくなもんじゃねえ」、あるいは古くからのファンは「順子」「巡恋歌」を挙げる人が多くなっていた。
#この曲が主題歌だったドラマ「とんぼ」もコケて長渕は俳優業から撤退していたかも知れない。
#*その後の本人のキャラクターや路線も変わっていたはず。
#当然清原和博が打席に入る際の入場曲に使われることもなかった。
 
==な行==
===何度でも(DREAMS COME TRUE)===
#ドリカムの代表曲といえば未だに「LOVE LOVE LOVE」や「うれしい!たのしい!大好き!」などの20世紀発表の楽曲を挙げる人が多い。
#*ドリカムの21世紀発表の代表曲といえば「やさしいキスをして」。
#「救命病棟24時」の次回作でドリカム以外のアーティストが起用された可能性は…やっぱりないか。
 
===日本ブレイク工業 社歌(萬Z(量産型))===
#社歌のシングルがオリコンチャート入りすることはなかった。
#2009年に、社歌のコンピレーションアルバムが発売されることもなかっただろう。
#萬Zが[[天体戦士サンレッドファン|このアニメ]]の主題歌を歌うこともなかったかも知れない。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌が大ヒットしていたら]]
{{行別|もしあの歌がコケていたら}}
[[Category:歴史のif検討委員会_芸能史|あのうたかこけていたらさ]]
[[Category:音楽|もしこけていたらさ]]

2015年7月18日 (土) 21:16時点における版

もしあの歌がコケていたら

  • 新規登録は曲名の50音順にお願いいたします。
  • カバーなど同じ曲が複数のアーティストでシングル発売された場合、曲名を中項目に、アーティスト名を小項目に(発売順で)書いてください。

Sign(Mr.Children)

  1. ミスチルはレコード大賞出演せぬまま。
    • その年の大賞はEXILE「Carry On」辺りになっていた。

さくら(森山直太朗)

  1. 森山直太朗のブレイクはなかったかも。
  2. 「世界に一つだけの花」は3ミリオンは軽く超えていた。
  3. 他アーティストがこの曲の2番煎じソングをリリースすることもなかった。

桜ノ雨(absorb)

  1. 新たな定番卒業ソングにならなかった。
  2. 初音ミクが好意的な形で報道番組に取り上げられる機会はなかった。
    • 赤い羽根共同募金とか献血の呼びかけといった社会活動で採用されなかった。

桜の木になろう(AKB48)

  1. 女性アイドルグループのバラードは売れないジンクスが続いていた。
  2. 衣装に使われたピンクのジャケットは流行しなかった。
    • ピンクのジャケットといえば未だに林家ペー・パー子の印象が強いままだった。
  3. カバーとなれば、徳永英明が相応しいがいつカバーアルバムに収録されるかどうかは未だに不明である。

survival dAnce 〜no no cry more〜(trf…現TRF)

  1. trfのブレイクはなかった。
    • 一応その前に「EZ DO DANCE」と「寒い夜だから・・・」があったのでそれなりの知名度は得ていたかと。
  2. TKもプロデューサーとしては注目されなかった。

さよなら人類(たま)

  1. イカ天出身者の代表的な曲はBLANKEY JET CITYの『不良少年のうた』だった。
    • カブキロックスの「お江戸」、JITTERIN'JINNの「プレゼント」、BEGINの「恋しくて」などのほうが(曲としては)有名では?
  2. イカ天自体がコケていたこともありえる。

3月9日(レミオロメン)

  1. 卒業ソングになることはなかった。
    • 当初の目的である結婚ソングとしても定着しなかった。
    • 3月9日生まれ限定の誕生日ソングにはなるが、それも初音ミクの登場で影が薄くなる。
  2. ニコニコ動画に初音ミクのオリジナル曲として「3月9日」という楽曲が作成されていたかもしれない。
    • そしてネットではそっちが有名になった。

secret base 〜君がくれたもの〜(ZONE)

  1. ZONEの解散が早まっていた。
    • 「10年後の8月」の復活もなかった。
    • というよりブレイクできないままだったかと。
  2. 「今日の5の2」や「あの花」のEDとして、女性声優らがカバーすることも無かった。
  3. 同じ北海道出身のガールズバンドだったWhiteberryは「夏祭り」の一発屋で終わることなく史実より人気が出ていた。
  4. この曲が主題歌だった「キッズ・ウォー」もコケていたかも。
    • もしかしたら井上真央の芸能生活にも影響を与えていたかも知れない。
    • 本曲はシリーズ3作目の主題歌なので、1作目の『魔法のメロディ』と2作目の『愛の花』を手掛けたMELODYの二の舞になっていたと思う。

シーズン・イン・ザ・サン(TUBE)

  1. TUBEのブレイクはなかった。
    • 「ベストセラーサマー」の一発屋だったかも。
  2. 1986年夏のキリンビールの注目度も少なかった。

シャツを洗えば(くるりとユーミン)

  1. 宝島社から発売された雑誌サイズCDがコケていた場合、宝島社は音楽CD事業から撤退していた。
    • 『MY LITTLE LOVER×kitson ハーモニー』や『green/アカシア 持田香織×JOURNAL STANDARD Special CD BOX』などは制作されなかった。

羞恥心(羞恥心)

  1. ヘキサゴンファミリーコンサートは開かれなかった。
  2. ヘキサゴンの歌手プロジェクトは「羞恥心」「Pabo」だけで終わり、「ヘキサゴンファミリー」なんて呼ばれるコトもなかった。
    • 「新撰組リアン」も作られなかった。
  3. 「悲愴感」も結成されなかった。
  4. 渡り廊下走り隊の作詞をカシアス島田がすることもなかった。
  5. 2008年度、話題をかっさらった企画物の楽曲が一曲(以上)減っていた。
    • 「崖の上のポニョ」はCDだけでミリオンセラーを達成していたかもしれない。
    • 鼠先輩や矢島美容室が史実以上に売上を伸ばしていたかもしれない。
  6. 「クイズ!ヘキサゴンⅡ」の放送も2009年春で終了していた可能性がある。

17才

南沙織

  1. 1971年の紅白に出場することはなかったので、デビュー後半年でトップバッターなんて快挙もなかった。
  2. 森高千里によるカバーもなかった。

森高千里

  1. 「17才」と聞いて南沙織を連想する人たちが史実より多かった。
  2. 森高千里は歌手活動を諦めてバラドルになっていただろう。
    • 女優に転身していた可能性もある。
    • この場合、「くまモンモン」は(同じく熊本県出身の)水前寺清子か茂森あゆみあたりに歌われていたかもしれない。
  3. 「気分爽快」や「渡良瀬橋」も現実ほど売れてなかった。
    • 「渡良瀬橋」が事務所の後輩の松浦亜弥にカバーされることもなかった。
  4. ポンキッキーズで「ロックン・オムレツ」が流れることもなかった。

すせそ

西瓜BABY(Not yet)

  1. 同時発売した渡り廊下走り隊7「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていた。
    • 場合によっては渡り廊下は解散に追い込まれることもなかった。
  2. 指原莉乃は選抜総選挙で順位が飛躍的に上昇することはなかった。
    • 上記も踏まえると、第5回総選挙は渡辺麻友が1位だった。
  3. サマーソングの定番が減っていた。
  4. Not yetは指原移籍とともに解散していた。

STAR(浅香唯)

  1. 浅香唯はイロモノ歌手のまま浮上できなかっただろう。
  2. 0930の児玉美代のように宮崎ローカルタレントになったかもしれない。

Thriller(マイケル・ジャクソン)

  1. ミュージックビデオは余り普及していない。
  2. マイケルジャクソンは史実ほど売れていない。
    • 彼の死があそこまで話題になることも無かった。
    • 「子供(ジャクソン5)時代は活躍したが、成人後は売れなくなった人」として知られることになるかも。
  3. 妹のジャネット・ジャクソンも、史実ほど売れていなかったかも。
    • ジャネットが史実通り売れていたら、マイケルは「ジャネットの兄」として知られることになる。
  4. マイケルのソロよりも、ザ・ジャクソンズとしての活動のほうが知られていたかも。
    • 『Victory』などのザ・ジャクソンズのアルバムが史実以上に売れていた可能性もある。
  5. マイケルがザ・ジャクソンズから脱退することはなかった。
    • 1990年にザ・ジャクソンズが解散することもなく、1990年代以後もザ・ジャクソンズ名義の新譜がリリースされていた。
      • マイケルが史実どおり2009年に死去した場合、マイケルの死によって解散していたかも。

世界中の誰よりきっと(中山美穂&WANDS)

  1. WANDSのブレイクはなかった。
    • と同時に『もっと強く抱きしめたなら』も大ヒットすることはなかった。
  2. 中山美穂はこの曲を最後に歌手活動を停止していた。
  3. 酒井法子がカバーすることもなかった。

世界に一つだけの花(SMAP)

  1. 2004年の選抜高校野球では「さくら」(森山直太朗) が流されていた。
  2. SMAPは今頃(2009年12月)解散してしまった可能性もあり。
    • いや、春頃(2010年4月)だな。解散しても俳優や司会として残るんだろうが。
    • もしかしたら某不祥事で…?
  3. 槇原敬之はとっくに世間から忘れられている。
    • ダウンタウンと組んで曲を出すこともなかった。
    • 「槇原敬之死亡説」が囁かれていたこともなかった。
    • 「R-35」が出た頃にようやく世間が思い出してくれた。
      • 山根康広のような存在にはなれたかも。
  4. 下火を迎え始め、ジャニーズ事務所の後輩グループ嵐・NEWSなどがより早く大ブレークしていた。
  5. 「さくら(独唱)」は年内にミリオンセラーになっていた。
  6. 「ナンバーワンよりオンリーワン」という考えは現実ほど広まっていない。
  7. 羽田空港国際線ターミナル駅の接近メロディは嵐の曲のどれかになっていた。
  8. 中国語バージョンも作られていない。
  9. CCCDの採用は全レコード会社に広まっていた。
    • 発売したビクター・エンタテインメントは当時CCCDを採用していたがこの曲では採用されなかった。
      • よってCCCD不採用による違法コピー蔓延が原因と断定されていたことは明らかだった。

千本桜(黒うさP)

  1. 2015年時点でのVOCALOID文化は史実より小規模なものになっていたかもしれない。
    • 下手したら、VOCALOID自体が過去のコンテンツ扱いされていた可能性もある。
    • 少なくともVOCALOID曲のカラオケ化はほとんどなかった。
  2. ミュージカル化や小説化はなかった。
  3. トヨタ・AQUAのCM曲にピアノアレンジ版が採用されることはなかった。
  4. 初音ミク以外のクリプトン製VOCALOIDキャラは史実ほど目立たない。

空も飛べるはず(スピッツ)

  1. スピッツのブレイクは遅れていた。
    • 「ロビンソン」の一発屋に終わった、としたほうがよろしいかと。
      • ちなみにリリースは「空も飛べるはず」→「ロビンソン」だが、ヒットした順番は逆。
      • もしくは結局「チェリー」が史実通りヒットし、代表曲が1つ減る程度だったかも。
  2. 「ロビンソン」「チェリー」よりもベタな曲を作っていた。
  3. スピッツの卒業ソングといえば「楓」だった。
  4. TOKIO長瀬は俳優業から撤退した。

それは僕たちの奇跡(μ's)

  1. キャラ名義で10万越えシングルといえば未だに「Don’t say “lazy”」か「もってけ!セーラーふく」。
  2. 「MUSIC JAPAN」にμ'sが出演する事はなかった。

Diamonds(プリンセス・プリンセス)

  1. プリンセス・プリンセスの解散が数年早まっていた。
  2. SONYのCMに出演することもなかったか、しても別の曲で出演していた。
  3. CMで森三中に真似されることも無かった。
  4. 「世界で一番熱い夏」も現実ほど売れなかった。
    • 阪神の新井良太の登場曲は別の曲になっていた。
  5. 1989年の年間チャート1位は「とんぼ」(長渕剛)か「愛が止まらない」(Wink)あたりだった。

たいせつなともだち(なかまゆうき)

  1. 卒園式の定番曲にはならなかった。
  2. 「泣ける曲」として話題になることはなかった。
  3. ベネッセのテレビCMに使用されることもなかった。

太陽のKomachi Angel(B'z)

  1. B'zはブレイクできなかった。
    • 前作の「BE THERE」が多少だけど売れたし、この後の曲がさらにヒットしたからそれはないと思う。
  2. カメリアダイヤモンドの注目度も下がり、三貴グループの経営悪化も早まっていた。

007/美しき獲物たち(デュラン・デュラン)

  1. Billboard Hot 100での007主題歌の1位は未だに達成されていない(2015年4月現在)。

旅立ちの日に…(川嶋あい)

  1. 「旅立ちの日に」といえば埼玉県秩父市立影森中学校教員作曲の合唱曲だけだった。
    • 当然この曲と混同することはなかった。
  2. 上記の合唱曲とタイトルが同じことがコケた原因になっていた。
  3. 川嶋あいがそれほど有名にならなかったかも。
  4. 「合唱曲とは別に『旅立ちの日に』というJ-POPの楽曲がある」というトリビアができていた。

たらこ・たらこ・たらこ(キグルミ)

  1. 新語・流行語大賞にノミネートされなかった。
  2. 同時期に注目されていたCMソング、ロコロコ・イエロー「ロコロコのうた」が割りを食うこともなく史実よりヒットしていたかも。

だんご3兄弟(速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団)

  1. 1999年上半期の日本音楽界の話題は宇多田ヒカル一色だった。
    • 1999年の年間オリコン1位も宇多田ヒカルの歌う曲だったかも。
  2. 「おしりかじり虫」がどうなったかも怪しくなる。
  3. 速水けんたろうが「ファイターズ讃歌」を歌うこともなかった。
  4. 慎吾ママやミニモニ。はそれほど話題にならなかった。
  5. 普通に「おかあさんといっしょ」から出た童謡の1曲という認識で終わっていた。
    • 酷い場合、「おかあさんといっしょ」で生まれた曲の中でもマニアックな部類になっていた。
  6. 「およげ!たいやきくん」と比較されることもなかった。

ちつて

地上の星(中島みゆき)

  1. 2009年の紫綬褒章受賞は無かった。
    • 名言「棚から本マグロ」もおそらく存在してなかった。
  2. 下手すれば、プロジェクトXの主題歌としても長続きしなかったかも。
    • プロジェクトX自体が早く終わっていたと思う。
  3. 彼女が紅白に出場し、黒部のトンネルの中で歌うこともなかった。
  4. 「悪女」や「空と君とのあいだに」を知らない世代にとって彼女は、完全に“過去の人”として見られる。

チャコの海岸物語(サザンオールスターズ)

  1. サザンは夏の印象が強まることはなかった。
    • 2番煎じバンドであるTUBEが結成されたかどうかは怪しい。
  2. 紅白歌合戦に出場することはなかった。
    • 桑田佳祐は三波春夫のコスプレで「とにかく受信料は払いましょう」発言をすることもなかった。
  3. サザンは原由子産休のかわりに解散していたかもしれない。

チョコレイト・ディスコ(Perfume)

  1. 邦楽のバレンタインソングの代表曲は2014年現在も「バレンタイン・キッス」(国生さゆり)だった。
    • あるいは(シングル発売はされていないが)「Valentine's RADIO」(松任谷由実)。
  2. Perfumeの代表曲といえば『ポリリズム』だった。
  3. 本作前のシングルである近未来三部作(『リニアモーターガール』、『コンピューター・シティ』、『エレクトロ・ワールド』)の一般的な認知度が上がっていた

TSUNAMI(サザンオールスターズ)

  1. 大森隆志脱退を機にサザン解散に至ったかもしれない。
  2. 平成の名曲として紹介されるコトはなかった。
  3. 2000年のレコード大賞は浜崎あゆみの「SEASONS」になっていた。
    • よって、浜崎あゆみのレコード大賞引退が1年早くなっていた。
  4. 2001年の選抜高校野球の入場行進曲は「桜坂」(福山雅治)あたりになっていた。
    • 「らいおんハート」(SMAP)、「Everything」(MISIA)などの可能性も。
      • ↓の6のような事態になっていたら同じ「未来日記」で使われていた「桜坂」もコケてこの2曲のどちらかだったかも。
  5. サザンオールスターズの代表曲(最大のヒット曲ではない)は未だに「いとしのエリー」のままだった。
  6. この曲が主題歌となった『ウンナンのホントコ! 未来日記』もコケていたかも。

Tell Your World(livetune)

  1. GoogleのCMに初音ミクは起用されなかった。
  2. livetune自体ブレイクしなかった。
    • Clarisなどへの楽曲提供はなかった。
    • BUMP OF CHICKENが初音ミクとコラボすることはなかったかもしれない。
  3. 初音ミクは「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」のような歌しか歌えなかっただろう。

TRUTH(THE SQUARE…現・T-SQUARE)

  1. スクェアの代表曲は今でも「OMENS OF LOVE」のままだった。
  2. 「FACES」(史実ではアイルトン・セナのテーマ)や「明日への扉」(史実ではアラン・プロストのテーマ)がF-1グランプリで使用されることもなかった。

トイレの神様(植村花菜)

  1. 彼女の知名度は上がらないままだった。
  2. 2010年の紅白歌合戦の出場者が2~3組増えていたかもしれない。
    • この歌は10分弱という異例の長さを誇るため。
    • 美川憲一あたりも出場できたかも。

どかーん(真心ブラザーズ)

  1. 真心ブラザーズの代表曲は『サマーヌード』を待たなければならない。
  2. 高校野球の応援曲の定番は一つ減っていた。

TORA TORA TORA(MAX)

  1. MAXは無名の音楽グループのまま解散し、メンバー全員は沖縄に帰って行った。
    • この曲を発売する前、所属事務所の社長から「この曲が売れなかったら沖縄に帰す」と言われた経緯があるため。
    • スーパーモンキーズとしては、安室奈美恵との格差が大きくなっていた。

Don't Go Breaking My Heart(恋のデュエット)(エルトン・ジョン&キキ・ディー)

  1. キキ・ディーの知名度は史実より低くなっていた。
  2. キキ・ディーのヒット曲といえば「I've Got The Music In Me(歌は恋人)」。

Don't Say Lazy(桜高軽音部)

  1. 未だにアニソンシングルのオリコンランキング一位獲得がおきていない。
    • マスゴミの反応を見ようと、2ちゃんねらーの工作でオリコンに入った可能性もあり。
      • それなら結局売れたと一緒じゃねぇか。
    • 「声優によるアニソンシングル」な。
  2. 史実以上にCagayake Girlsが注目されていた。
  3. そもそも「けいおん!」自体大コケしていた可能性もある。
  4. 豊崎愛生、寿美菜子はスフィア出身なのでいずれはソロデビューはしたが、史実よりは盛り上がらなかった。
    • 佐藤聡美、日笠陽子、竹達彩奈のソロデビューは無かった。

とんぼ(長渕剛)

  1. 長渕剛の代表曲といえば「乾杯」や「ろくなもんじゃねえ」、あるいは古くからのファンは「順子」「巡恋歌」を挙げる人が多くなっていた。
  2. この曲が主題歌だったドラマ「とんぼ」もコケて長渕は俳優業から撤退していたかも知れない。
    • その後の本人のキャラクターや路線も変わっていたはず。
  3. 当然清原和博が打席に入る際の入場曲に使われることもなかった。

な行

何度でも(DREAMS COME TRUE)

  1. ドリカムの代表曲といえば未だに「LOVE LOVE LOVE」や「うれしい!たのしい!大好き!」などの20世紀発表の楽曲を挙げる人が多い。
    • ドリカムの21世紀発表の代表曲といえば「やさしいキスをして」。
  2. 「救命病棟24時」の次回作でドリカム以外のアーティストが起用された可能性は…やっぱりないか。

日本ブレイク工業 社歌(萬Z(量産型))

  1. 社歌のシングルがオリコンチャート入りすることはなかった。
  2. 2009年に、社歌のコンピレーションアルバムが発売されることもなかっただろう。
  3. 萬Zがこのアニメの主題歌を歌うこともなかったかも知れない。

関連項目

もしあの歌がコケていたら
あ~お/か~こ/さ~の/は~わ