もし東京メトロが○○だったら
2019年3月10日 (日) 22:03時点における>ありにゃんによる版 (→東京地下鉄道・東京高速鉄道の鉄道以外の事業も継承していたら)
独立済み
民営化されなかったら
営団地下鉄は2004年に東京メトロとなり民営化しましたが、もし民営化しなかったらどうなっていたか?を考えてみましょう。
- 副都心線は史実通り開業している。
- 民営化前に延伸した半蔵門線も、当然押上まで開業している。
- 丸ノ内線のワンマン化はなかった。
- 千代田線北綾瀬支線・有楽町線・副都心線も。
- エチカは開業していない。
- エチカが無い代わり、史実では'86~88年まで表参道で売ってた「メトロランチ・パクチカ」の発展版を大手町駅など主要駅で販売してた。
- 副都心線、丸ノ内線の発車メロディーは使われず、ただのブザー音のみ。
- 江戸川橋駅、代々木公園駅などの改装は行われなかった。
- 改装はいずれにしろやっていたのでは。
- 南北線や新線池袋駅などで導入された新デザインが他の駅にも導入されていた。
- 改装はいずれにしろやっていたのでは。
- 10000系や15000系は出ない代わりに、08系タイプの電車が副都心線用に作られていた。
- 結局似たような電車が現れていた可能性もある。
- 駅番号導入は遅れていた。都営地下鉄の導入と同時導入していたと思われる。
- 南北線のナンバリングが行われるとしたら、赤羽岩淵が一番になり、目黒が最後の数になっていたかもしれない。
- 三田線と合わせるために結局変わらない気がする。
- 駅のサインシステムはゴシック4550のまま。
- 南北線のナンバリングが行われるとしたら、赤羽岩淵が一番になり、目黒が最後の数になっていたかもしれない。
- 有楽町線や半蔵門線のさらなる延伸が行われていた。
- イメージアップ戦略はなさそうで、輸送に特化していた。
- 当然ながら正式名称は「帝都高速度交通営団」。
- 2010年現在も「営団」という組織が残っていた。
- 逆に全線都営地下鉄になっているかもしれない。
- もちろん大手私鉄にはなっていない。
- 東京マラソンの冠スポンサーは別の企業になっていた。
- 大阪市交通局も民営化していたかどうか怪しい。
- 仮に民営化しても愛称は単に「大阪地下鉄」か「大阪サブウェイ」になっていたかもしれない。
- 駅構内においての写真撮影禁止は現在も続いている(あくまでも建前だが)。
JR東日本が運営していたら
帝都高速度交通営団は、かつて国鉄が出資していました。では「国鉄路線の一部」としてJR東日本に引き継がれていたらどうなっていたのでしょうか?
- それでも運賃制度は特別扱いになる。
- 青春18きっぷをはじめとするJRの企画切符が使えるようになっていたかも。
- 千代田線の北千住〜綾瀬間は正真正銘の「JR常磐線」ということになる。
- しかし運賃の扱いはそのまま。
- 在来線と運賃制度が同じだったら、亀有と金町の利用者が厄介な特例に悩まなくて済んでいた。
- しかし運賃の扱いはそのまま。
- 相互乗り入れがJR中心になる。
- 東西線は終日津田沼に乗り入れる。その代わり、東葉高速鉄道の乗り入れは平日のラッシュ時のみ。
- 名実ともに「第二中央総武線」として機能している。
- 有楽町線の電車が京葉線の海浜幕張まで乗り入れる。
- 乗り入れではなく、そもそも北有楽町〜新木場を建設しなかった可能性も。
- TDRに行くのがかなり楽になっていた。
- 千代田線も終日取手に乗り入れ。
- 反対側は当初予定の喜多見方面からさらに西へ延び、南武線に直通していた。
- 埼京線と副都心線が乗り入れため、埼京線の乗車率が500%ぐらいになる。
- 当然、副都心線を伸ばす形で複々線化。これで戸籍上の東北本線は5複線に。
- 副都心線の渋谷〜池袋は、戸籍上の山手線の線増扱いか。
- 東武・東急への乗り入れは行われなくなる。
- 副都心線と南北線は大崎から品鶴線に乗り入れていた。
- 東西線は終日津田沼に乗り入れる。その代わり、東葉高速鉄道の乗り入れは平日のラッシュ時のみ。
- 史実より規模が大きくなっている可能性がある
- 東葉高速鉄道は東西線の一部として建設されてる。
- さすがに総武本線につなげて成田空港までは行かないか。
- 埼玉高速鉄道は南北線の一部としてとっくの昔に蓮田まで建設。
- 宇都宮線に直通。
- 東葉高速鉄道は東西線の一部として建設されてる。
- 有楽町線の豊洲~住吉間は完成していた。
- 都営地下鉄との断絶が現実以上に酷くなっていた。
- 山手線内の駅が膨大になり、運賃規則の表も路線ネットワークもとんでもなくカオスになっていた。
- ソウルの首都圏電鉄のように、他のJR線への乗り入れ区間は便宜上地下鉄線の一部として扱うようになっていたかもしれない。
- 特に常磐緩行線は全線が千代田線として案内されていた可能性が高い。但し北千住以東はあくまでも愛称扱い。
- 史実の旅客6社とは別に地下鉄専業の会社が設立されていた可能性もある。社名は「東京地下旅客鉄道株式会社(JR地下鉄)」。
前身の営団地下鉄が誕生しなかったら
- 東京地下鉄道と東京高速鉄道は別々に路線網を広げていた。
- さらに都営地下鉄が加わったら・・・・。
- 東京地下鉄道は京急と直通運転が実現していた。
- 東京高速鉄道側の直通運転は解消。幻の新橋駅は現在でも使われている。
- 東京高速鉄道は東急鉄道と合併していた。
- 新橋から先は史実の浅草線のルートで延伸。
- 浅草線は東京駅止まり。
- 東京高速鉄道側の直通運転は解消。幻の新橋駅は現在でも使われている。
- 小田急電鉄も地下鉄進出。(戦前に構想があったという)
- 東京都内の地下鉄の路線網は現実とはまったく違う様相になっていた。
- 大阪のように「都営モンロー主義」になっていたとすれば、史実以上に無秩序な路線網になっていた可能性が高い。
- 郊外私鉄との直通運転はあまり行われていない。
- それらは都営地下鉄が実施する。
- 逆。都営は一切乗り入れを行わず、私鉄の傘下にある地下鉄会社が私鉄と乗り入れを行っている(史実の例だと神戸高速鉄道がこれに近い)。
- 第三軌条集電方式の路線が増えていた。
- それらは都営地下鉄が実施する。
- エチカは東京地下鉄道が展開していた。
- 東西線と千代田線はJRが建設していた。
- 丸ノ内線は西武軌道線の置き換えとして東京地下鉄道が建設。
- 東京地下鉄道は、西武との連携を重視するようになり、有楽町線の東武乗り入れはなく成増方面の建設もない。
- 「営団」という言葉は戦後早くに忘れ去られていた。
- この世界軸だと、後に戦時合併かGHQの政策を受けて都営にされてた可能性が高い?
全て都営地下鉄の路線だったら
- 東京市が銀座線の買収に成功していたらありえた。
- 現実の大江戸線は丸ノ内線・銀座線と同じ規格で作られていた。
- 特に合わせるメリットが感じられないから、結局リニア式になりそう。
- 中野坂上に連絡線が設けられ、車両の大規模検査は中野工場で実施されていた。当然E5000形は登場せず。
- 南北線は開業当初は都営7号線と呼ばれていた。
- 路線名 (これも南北線出ない可能性あり) が付けられるのは四谷or目黒延伸辺りの時期。
- 都営6000形の製造量数が現実より多かった。
- 副都心線池袋駅は新線池袋駅のままだった。
- 現在も千代田線に特急は乗り入れていない。
- 都営三田線の西高島平から先の延伸&東上線乗り入れの方が実現しており、よってそれと引き換えに有楽町線の小竹向原~和光市は建設されなかった。
- 東上線電車は、副都心線経由ではなく都営三田線経由で、目黒線の方に顔を出していた。
- 東急が土地の関係からホームを10両対応にすることができず、目蒲線が継続していた。
- 2018年4月に民営化され「東京高速鉄道株式会社」となっていた。
- 愛称はやっぱり「東京メトロ」になっていたりして・・・。
- むしろ「東京都地下高速鉄道株式会社」になっていると思う。
- 13号線開業に伴い池86系統などの都営バス路線が大幅に見直された可能性が高い。
- 都電杉並線は現実の丸の内線開業と同時に廃止された。
- 雑司が谷駅は新雑司ヶ谷駅を名乗っていた。
- ただし鬼子母神前停留場はそのままの可能性もある。
東京地下鉄道・東京高速鉄道の鉄道以外の事業も継承していたら
- 東京地下鉄道・東京高速鉄道は地下鉄以外にも路面電車や乗合バスも経営していました。
- 青バス・ユーランバス・葛飾乗合自動車・城東軌道線・西武軌道線(東京地下鉄道系)、黄バス(東京高速鉄道系)が営団の路線になっていた。
- ユーランバスの後身であるはとバスは営団の関連会社になっていた。
- 都バスの一部路線の業務委託をすることは無かった。
- ちなみに現実でも東京地下鉄とその関連団体のメトロ文化財団がはとバスに出資している。
- 東京高速鉄道が東急系だったので現実では都バスになった東京横浜電鉄の山手線以内のバス路線が営団になっていたかもしれない。
- 民営化するときに持ち株会社になっていた。
- 地下鉄のみならず、軌道・バス事業も競合していため、東京都交通局との関係が現実以上に悪化していた。
- 西武軌道線が地下鉄に置き換えられるのは史実通り。
東京地下鉄道・東京高速鉄道が東京急行電鉄に買収されていたら
- 五島慶太は東京地下鉄道・東京高速鉄道も大東急の一部として組み込む予定だったと言う話があります。
- どちらにしろ戦後に東急から切り離され、50年近く早く東京地下鉄成立。
- 5000系以降の車両は東急車輌のステンレスカーになっていた。
- 16000系はまんまE233系2000番台・4000形のコンパチとなる。
- 東急色が強くなるので有楽町線計画が大幅に改定されていた可能性が考えうる。
- 起点が保谷になることもなく西武有楽町線の開業はなかったか、相当遅れていた。
- 東横線と日比谷線の直通断絶はなかった可能性がある。