もしあの選手があのJクラブに入団しなかったら
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イルハン・マンスズ(ヴィッセル神戸)
ヴィッセル神戸は2002W杯でトルコ代表として活躍したイルハン・マンスズを2004年に獲得しました。しかし、怪我などもありさらに無断帰国で契約解除に至りました。もし、最初から獲得していなかったら・・・
- 三木谷オーナーはヴィッセルや楽天イーグルスの戦力補強でケチることはなかったはず。
- アルパイ・オザランも浦和レッズに加入しなかった。
大久保嘉人(セレッソ大阪)
国見高校時代アビスパ福岡の特別指定選手だった大久保。卒業後もそのままアビスパ入りがほぼ確定的だったものの入団発表直前になって大久保本人が決断し急転セレッソへ入団しました(大久保の著書『情熱を貫く』より参照)もし仮にアビスパへ行っていたら?
- セレッソのその後
- 2002年にJ2降格後のJ1復帰が遅れていた可能性も。
- 佐藤寿人はセレッソでレギュラーになれていた。
- アビスパ福岡なら
- 地元出身ということでサポーターからの熱い期待と声援を受けていたのは間違いないはず。
- 2001年のアビスパはJ2降格することなくJ1に残留できていた。もし降格してもすぐにJ1復帰しその後もJ1に定着出来ていたかもしれない(史実では2002年以降アビスパがJ1で戦ったのは2006年、2011年の2シーズンのみ)
- もしかしたら2000年の2ndステージで優勝していたかもしれない(史実でも優勝争いに絡んだが、最終的に6位で終了)。
- アビスパのJ2降格、あるいは海外のクラブから国内に復帰する際に神戸か川崎へ移籍→その後は史実通り、かも。
- ただし(点取り屋としての大久保を復活させた)風間八宏が監督に就任する以前の川崎へ移籍した場合、ジュニーニョや鄭大世などの存在もあるから神戸時代と同じ起用法になっていたかもしれない。
- その場合、2014年のW杯メンバーに選ばれたかどうかは微妙になっていた。
- ただし関塚監督時代に入団していた場合、フッキの東京Vへの完全移籍or我那覇の不調などから、なんだかんだでFWで起用された可能性はあった。
- ただし(点取り屋としての大久保を復活させた)風間八宏が監督に就任する以前の川崎へ移籍した場合、ジュニーニョや鄭大世などの存在もあるから神戸時代と同じ起用法になっていたかもしれない。
小村徳男(横浜マリノス)
大学卒業後、井原正巳と共にプレーするべく日産自動車(横浜マリノス)に入団しますが、この時他のクラブ(住友金属、三菱自動車、松下電器、マツダなど)からもオファーを受けていました。
- 横浜マリノスその後
- 小泉淳嗣の在籍期間が延びる。
- 背番号5は松田直樹が背負った可能性も(史実では鈴木健仁移籍後の1999年に14から3に変更)。
- 2000年1stステージや2001年ナビスコ杯の優勝はなかった。
- 鹿島アントラーズなら
- 秋田豊が入団しなかったかもしれない。
- おそらくオファーを受けていた地元の名古屋へ入団か?
- ポルトガル語の通訳としても重宝された。
- クラブの成績そのものは初年度の1stステージ制覇を始め史実と大きな変化はなさそう。
- 鹿島での秋田と同じように2003年頃に退団→その後は史実通り、という感じになっていたか?
- 浦和レッドダイヤモンズなら
- 1995年か98年にステージ優勝できていたかも。
- 1999年のJ2降格はなかった。
- 21世紀になってから井原とのコンビが実現。
- 坪井慶介にポジションを奪われ退団後、史実通りの経過を辿ったか。
- ガンバ大阪なら
- 順天堂大学の後輩である森下仁志とチームメイトになった。
- バブンスキー、ダンブリー、山口智が加入しなかったかもしれない。
- サンフレッチェ広島なら
- 史実通りの退団時期(2006年途中)なら2002年の降格はなかっただろう。
菊地直哉(ジュビロ磐田)
- 清水エスパルスなら
ジュニアユースの所属経験があり、清水商業高校1年時には特別指定選手になった。
- 背番号は「27」ではなかった。
- 大榎克己の「6」を引き継いだ可能性も。
- サポーターから地元の星として期待される。
- 戸田和幸の移籍で空いたボランチのレギュラーに定着。
- アルビレックス新潟への期限付き移籍はない。
- フェイエノールトなら
高校3年時に練習に参加し入団目前まで至ったが条件が折り合わず破談。
- 清商の先輩でもある小野伸二との日本人コンビが見られた。
- ジーコジャパンに召集されていたかも。
- あの事件は起こしていない。
- ブンデスリーガでプレーするにしても移籍先は1部のクラブだった。
今野泰幸(コンサドーレ札幌)
現在ザックジャパンの主力選手として活躍する今野泰幸は東北高校時代に地元のベガルタ仙台を始めとする複数のクラブから注目されていたものの結局獲得するクラブは現れませんでした。そして同じく地元でJFLのソニー仙台入りが内定していたところに当時コンサドーレの監督だった岡田武史監督からの評価を受け急遽コンサドーレ入団が決まりました。その後の今野の活躍はご周知の通りですがもしこのとき違った運命になっていたら?
- コンサドーレのその後
- 特に大きな変化はなし?
- ベガルタ仙台なら
- 入団早々からポジションを獲得しチームに貢献。同じ地元出身の千葉直樹とともにサポーターから「ミスターベガルタ」と呼ばれ親しまれる。
- J2降格もなかったかも知れない。仮に降格してもなかなかJ1復帰できない、ということにもならなかった。
- もし降格して史実通り移籍、となった場合FC東京ではなく岡ちゃんが率いていたマリノスへと移籍していたかも。
- あるいは浦和、もしくはこの時点でガンバに移籍していた可能性も。
- 2005年のリーグ最終戦のロスタイムの同点ゴールはなく、ガンバではなくセレッソがリーグ優勝していた。
- ソニー仙台なら
- JFLでの活躍が認められJリーグのクラブ(おそらくJ2のどこか)からオファーを受け移籍する。
高原直泰(ジュビロ磐田)
数クラブからオファーがあった時、「最初は横浜フリューゲルスに行こうと思っていた」と某インタビュー記事で本人が語っていましたが、実史では当時のコーチ・山本昌邦氏に説得されジュビロ磐田に入団しました。仮に横浜フリューゲルスに入団していたら?
- ジュビロ磐田のその後
- 実史とは大差ないものの、得点力が課題になっていた。
- 清水範久の在籍期間がもっと長かった。
- 横浜フリューゲルスなら
- クラブ合併に伴い、その後はマリノスか遠藤保仁の様に京都に移籍していた。
- 三島市出身なので久保山由清と共に清水エスパルスへ移籍の可能性も。
- 横浜FCのJ1昇格前後に加入したかもしれない。その代わり城彰二か久保竜彦のいずれかは移籍してこなかった。
中田英寿(ベルマーレ平塚)
中田英寿は当時のJリーグ全12クラブ中ヴェルディ川崎以外の11クラブからオファーを受けベルマーレ平塚に入団しますが、仮にベルマーレ以外のチームに移籍していたら
- ベルマーレのその後
- 94年の天皇杯獲得は無かった
- 彼が入団したのは95年なので、実史と変わらない。
- それでも同年のアジアウィナーズカップで優勝できたかは微妙なところ。
- 彼が入団したのは95年なので、実史と変わらない。
- 鹿島アントラーズなら
- 少なくとも10冠達成は早まった。
- 小笠原満男は入団しなかったかも知れない。
- 96年のチャンピオンズファイナルで優勝した可能性もある。
- 野口幸司に1試合で5得点を決められずに済んだ。
- 浦和レッドダイヤモンズなら
- 第1次オジェック時代の時にファーストステージを制覇していた
- 小野伸二は入団しなかったかもしれない。
- おそらく清水エスパルスに入団していた。
- 小野がエスパルスに入団しなかったのは倒産騒動がらみなのでレッズじゃなくてもエスパルス入りは無い。
- ならジュビロか?
- 小野がエスパルスに入団しなかったのは倒産騒動がらみなのでレッズじゃなくてもエスパルス入りは無い。
- おそらく清水エスパルスに入団していた。
- 1999年シーズンにJ2へ降格することも無かった。
- 仮に降格していたら、史実どおり海外クラブへ移籍している。
- ジェフユナイテッド市原なら
- 98年のJ1参入決定戦参加はなかった。
- 横浜マリノスなら
- 90年代はアントラーズ、ジュビロとの3つ巴のタイトル争いを演じていた
- 中村俊輔は入団しなかったかも。
- 横浜フリューゲルスなら
- 海外クラブに留学後、フリューゲルスに戻ってくるがクラブ合併の話を聞いて移籍を決意する
- 三浦淳宏のレギュラー定着が遅れる。
- 遠藤保仁の入団もなかったかもしれない。
- 清水エスパルスなら
- 98年の1stステージをジュビロとのデッドヒートの末に制していたかも。
- サントスは獲得しなかった。
- ジュビロ磐田なら
- 史実どおりに98年に海外移籍なら99年の優勝もなく名波の海外移籍もないだろう。
- 名古屋グランパスエイトなら
- ピクシー・小倉とのコンビでベンゲル監督在任時にリーグ優勝を果たしていた可能性も。
- 望月重良の入団先が変わる。
- ガンバ大阪なら
- エムボマと中田の連携プレイで大活躍、しかしその後エムボマ、中田共に移籍し・・・
- サンフレッチェ広島なら
- 少なくともヤンセン時代に天皇杯を獲得していた
服部公太(サンフレッチェ広島)
渋谷幕張高校時代にU-18日本代表に選ばれ、当時JFLの東京ガスから熱心なオファーを受けたが、高校のコーチの後押しもありJリーグ挑戦を決意した。
- サンフレッチェのその後
- 2003年のJ1復帰が遅れていた可能性も。
- 2001年の時点で降格していたかもしれない。
- 山岸智の移籍加入が早かった。
- 東京ガス(FC東京)なら
- ポジションは攻撃的MFのままだったかも。
- ケリーが入団しなかった可能性がある。
- 史実通り左サイドにコンバートされていたら小林成光はブレイクしなかった。
- J1での連続出場記録が更に伸びていた。
- フル出場はチームメイトの土肥洋一より長かった。
- 逆にJ1通算出場は300試合程度だった。
福田正博(三菱重工)
- 三菱(レッズ)のその後
- JSL1部への復帰が遅れる。
- 「ミスターレッズ」と言えば山田暢久。
- 「負けないよ」発言はなかった。
- 読売クラブ(ヴェルディ)なら
小学校の担任の義兄が読売クラブのコーチだった縁で中学進学時にJrユースへ勧誘されたが固持した。
- トップ昇格が早ければカズは別のクラブで日本に復帰していた。
- 神奈川県選抜の国体初優勝が遅れた。
- 古河電工(ジェフ)なら
中央大学卒業時に勧誘されたJSLクラブの中で最後まで候補だったがアマチュア志向の強い三菱を選んだ。
- ブンデスリーガへの留学が実現していた。
- フクアリを「福田正博アリーナ」の略称と勘違いする人がいるか?
本田圭佑(名古屋グランパス)
本田圭佑は中学生時代ガンバ大阪のジュニアユースチームに所属していたものの同じポジションに生年月日も一緒である家長昭博がいたこともありユースには昇格できませんでした。その後星稜高校に進学しグランパスに入団する訳ですが、もし仮に本田がガンバでユース→トップチームへ、という道に進んでいたらどうなっていたか?
- グランパスのその後
- 優勝争いに加わり始めたのがピクシー監督就任、即ち本田海外移籍以降ということで特に大きな変化はなし?
- ガンバ大阪なら
- 入団後即レギュラー獲得しルーキーイヤーの2005年はもちろん翌2006年、2007年もリーグ優勝し3連覇に貢献。
- 浦和は未だにリーグ優勝を果たせていない。
- 史実とは逆に家長が高校へ進学し選手権で活躍→別のクラブでプロ入りしていたかも。
- 星稜高校といえばサッカーではなく野球のイメージのままだった。
- 2015年の高校選手権優勝もなかった。
- 当時だったら女子駅伝?
- アニメファンからは「新谷良子の母校」という認識が一層深まっていた。
- もしかしたら西野監督と対立し干される→他クラブに移籍してブレイク、となっていたかも知れない。
- その場合海外移籍と代表レギュラー定着は数年遅れていた。
- もっとも、本田自身にとってユースに上がれなかったことをバネに奮起して高校での3年間で大きく成長した、と言える部分も大きいだけにもしガンバで順調にトップチームまで昇格していたらここまでの選手になれていたかどうか?と言われると…
- 代表入りやW杯出場はともかく、ACミランで背番号10を着けるまでにはならなかっただろうな。
- そうなるとじゅんいちダビッドソンが本田のモノマネをすることもなく2015年のR-1グランプリでの優勝もなかったか?
- 代表入りやW杯出場はともかく、ACミランで背番号10を着けるまでにはならなかっただろうな。
松田直樹(横浜マリノス)
2011年8月9日の松田直樹の告別式で、生前の盟友でもありマリノス時代のチームメイトであった安永聡太郎氏が弔辞で、「(安永氏が)サンフレッチェ広島に行きかけるのを聞いて、オレ(松田直樹)も広島行く!でも、実際は(安永氏が)マリノスに行く事になって、ヤスがマリノスに行くならばオレも行く」 と言うエピソードを明かしました。もし、実史ではミスターマリノスの名をほしいままにしていた松田直樹選手がサンフレッチェ広島に入団していたら (なお、広島サポいわく当時の松田は競合が多かったと言う)
- 横浜マリノスその後
- 小村徳男や那須大亮は移籍が遅れていたか、不動のセンターバックとしてマリノスで活躍。
- 実史では小村は2002年にベガルタ仙台、那須は2008年に東京ヴェルディ1969(当時)に移籍。
- いずれにせよ、フリューゲルスを吸収するのは不可避であった。
- 栗原勇蔵のレギュラー定着は早まっていた。
- ボンバーこと中澤佑二は2002年にマリノスに移籍しなかった。
- 背番号3は永久欠番になっていない。
- サンフレッチェ広島なら
- 安永と松田が入団する事で、安永と同じFWの久保竜彦は別のクラブに入団していたかも知れない。
- 00年当時、トムソン監督が敷いた3バック「上村、ポポヴィッチ、フォックス」の内1~2選手はサンフレッチェにいなかった。
- 95年と96年の天皇杯決勝で勝っていたかもしれない。
- 2001年以前にサンフレッチェを退団していなかったら、松田と同じポジションで、「広島にルーツのある父の勧めで入団した」と言うトゥーリオの台頭は遅れていた。
- 中澤は2002年に実史どおり松田を慕っていたのと2002年の日韓W杯を目指していた(実際の中澤は落選したが)ため、サンフレッチェに移籍していた。
- ただ、サンフレッチェはマリノスより年間予算が少ないため、代わりにほかの主力選手が流出していた。
- 02年と08年のサンフレッチェJ2降格は回避されていた。
- それ故に、サンフレッチェはJ2未経験クラブのままであった。
- サンフレッチェで現役を全うしていたら、ミスターサンフレッチェの称号は松田のものであった。
- 初のリーグ優勝も史実(2012年)より早かったはず。
松波正信(ガンバ大阪)
高校卒業後4クラブからオファーを受けましたが、先輩・磯貝洋光の在籍していたガンバを選びました。もし入団先が異なっていたら?
- ガンバ大阪その後
- 松波が「ミスターガンバ」と呼ばれることはなかった。
- もちろん監督に就任することもあり得ない。
- 1997年2ndステージの2位浮上もなかった。
- 大黒が早い段階でレギュラーに定着した。
- 吉原の在籍期間も史実より長かった。
- 鹿島アントラーズなら
- 本田泰人と帝京コンビを組んでいた。
- しばらくは長谷川祥之・黒崎比差支のスーパーサブ的な起用が続く。
- 柳沢敦が入団しなかった可能性も。
- 当時のガンバよりも遥かに良好な環境や指導に恵まれ、実史以上に成長していて、A代表入り→W杯出場の可能性も。
- ジェフユナイテッド市原なら
- バベルとの2トップでゴールを量産する。
- 史実と同日に最年少ハットトリックを記録した。
- 城彰二は入団しなかったかも知れない。
- 名古屋グランパスエイトなら
- 小倉隆史は入団しなかったかもしれない。
- 小倉の方が先なのだが?
- 同じ岐阜出身で帝京高校の先輩の森山泰行と2トップを組んでいた。
柳沢敦(鹿島アントラーズ)
柳沢敦は高校時代にJリーグ13クラブからオファーを受けジーコの誘いもあり鹿島に入団しましたが、では鹿島以外のクラブに入団していたら (鹿島以外では横浜Mしか分からなかった・・・残りの11クラブの補足希望)
- どこにせよ
- 遅かれ早かれQBKと呼ばれた。
- 鹿島アントラーズその後
- 少なくとも鈴木隆行の活躍の場が増えてレンタル移籍の期間が少なくなっていた
- 鈴木がレンタル移籍しなかったらジェフが98年に降格してたかも知れん
- 2000年のナビスコ杯でニューヒーロー賞は受賞しなかった。
- 平瀬智行は史実より長く鹿島に在籍していた。
- 黒崎久志も。
- 富山第一高校の後輩の中島裕希も鹿島ではなく柳沢のいたクラブに入団していた。
- 浦和レッドダイヤモンズなら
- 00年のJ2降格時に移籍していた可能性も
- 移籍しなかったら背番号9は柳沢(実史では永井雄一郎)が引き継いでいた
- 背番号は13に拘っているので、それは無いかも。2009年現在、背番号13をつけている鈴木啓太は別の背番号をつけていた可能性も。
- むしろ、J2降格が無かった可能性もある。
- 移籍しなかったら背番号9は柳沢(実史では永井雄一郎)が引き継いでいた
- ジェフユナイテッド市原なら
- 城彰二のマリノス移籍後チームのエースストライカーとして定着。
- オシムが監督に就任するまでのジェフの成績も史実より上がっていた。
- 柏レイソルなら
- 入団の動機は「カレカが誘ったから」とか?
- 「ヤナガシワ」が現実以上に有名になった。
- 他クラブのサポーターからは「嫌な柏」と揶揄される。
- 北嶋秀朗や玉田圭司の入団はなかったかもしれない。
- 海外移籍中にFWの穴を埋められず実史より早くJ2降格、となっていた恐れも。
- 2000年の2ndステージで優勝していた。
- その年に例のトンズラをしても、サポーターに「リンダリンダ」の替え歌を歌われる事はなかった。
- 横浜マリノスなら
- 少なくとも鹿島のFWが削がれる分、マリノスはJ初期に短い黄金時代を築いていたかも知れない
- 城彰二、久保竜彦がマリノスに入団しなかった
- 吉田孝行はフリエから直接ヴィッセルに移籍したかも。
- 都会の諸々の誘惑に身を持ち崩し、遊びに走り、戦力外通告されてサッカー界から去っていた可能性もないとはいえない。
- 横浜フリューゲルスなら
- クラブ消滅・マリノスとの合併時にそのままF・マリノス入りか、あるいは楢崎正剛・山口素弘と共に名古屋へ移籍していた可能性も。
- もし後者なら呂比須ワグナーの名古屋移籍はなかったはず。
- 98年元旦の天皇杯決勝で鹿島を破って優勝。
- ベルマーレ平塚なら
- 中田、呂比須とのコンビで活躍するも結局クラブの財政難により移籍することに・・・
- ジュビロ磐田なら
- ゴン中山と2トップを組みゴールを量産し史実以上の磐田の黄金時代を築く。
- 鹿島より先に磐田が10冠を達成していた可能性が高い。
- 高原直泰は入団していなかったかも知れない。
- おそらく横浜フリューゲルスへ入団していた。
- ガンバ大阪なら
- 入団直後に松波正信からポジションを奪い、エムボマとの2トップで大活躍し97年のセカンドステージを制覇していたかも知れない
- ガンバに柳沢が入団していたら松波の引退が早まっていただろう
- 03年に大黒将志にポジションを奪われ移籍、或いはスーパーサブとして今もガンバに在籍してる
- 吉原宏太はガンバに移籍しなかった。
- セレッソ大阪なら
- 西澤明訓と2トップを組み、森島寛晃はMFでの起用が多くなる。
- 京都サンガより先に関西勢初のタイトルを獲得できた。
- J2降格もなかった。
- 大久保嘉人が入団しなかった可能性がある。