もしあの放送局が○○だったら/関東
ラジオNIKKEI(日経ラジオ社)
終夜放送を行っていたら
- 競馬関係の番組を放送していた。
- 競馬関係者の冠番組が、現実より多くなっていた。
- 土日は、競馬一色になっていたかも。
- もしかしたら、アニラジが多くなっていたかも知れない
- 「オールナイトニッポン」のような帯番組を放送していただろう。
日本経済新聞系列の放送局でなかったら
日本短波放送の時代より日本経済新聞が筆頭株主であり、2003年に日経のグループ整理に伴い、社名が「日経ラジオ社」となりました。
- もし、日経の系列に入ってなかったら?
- もちろん、今でも「ラジオたんぱ」を名乗っていた。
- 経済関係の番組はあまり多くなかったかも知れない。
社名が『日本短波放送』のままだったら
プロ野球中継から撤退しなかったら
東京MXテレビ
史実より早く開局していたら
- 1970年代に開局していたら
- 教育番組中心の編成になってたかも。
- 90年代以後も教育番組は健在。石原慎太郎が知事に就任してからは、道徳や歴史の番組に妙に力を入れ始める。
- 石原知事主導の教育番組に労働組合が反発。頻繁に争議が起きていたかもしれない。
- NETと東京12チャンネルの一般局化に伴って、両局で放送していた教育番組の一部が移行してきたかも。
- 両局の関係者が、開局のために様々な面で協力したかもしれない。
- 表向きは「新局開局のための支援」だが、本音は「教育番組を
押し付けて引き受けてもらって自分たちは一般局になりたい」 - 両局の役員は、一般局化を認めてもらうために、史実以上に?積極的に郵政官僚や政治家に働きかけた。
- 表向きは「新局開局のための支援」だが、本音は「教育番組を
- 東京12チャンネルから移行した工業高校向けの番組は、少なくとも1980年頃までは続いた(史実の東京12チャンネルでは73年度末まで)。
- 科学技術学園高校向けに今でも続いていたかもしれない。
- 両局の関係者が、開局のために様々な面で協力したかもしれない。
- 90年代以後も教育番組は健在。石原慎太郎が知事に就任してからは、道徳や歴史の番組に妙に力を入れ始める。
- 社名もココにならって「東京14チャンネル」にしていたかも。
- NHK東京テレビ実験局→放送試験局は別チャンネルになっていた。
- あるいは、試験放送休止後に開局していた。
- 高校野球東京大会の中継には史実より力を入れている。
- 国立高校初出場の時や、荒木大輔の現役時代の盛り上がりは史実以上のものになっていた。
- パリーグ(特に日本ハム戦)の中継にも力を入れていそう。
- 開局時期によってはオイルショックによりいきなり存亡の危機に立たされた。
- ここと同様に上記のようになった場合、放送開始が夕方(下手すると夜)・放送終了が21時とかになっていた。
- 開局がエフエム東京と同時だ。
- テレビ東京の前身が東京都域局として開局していたら、ここは開局構想すら上がらなかった可能性もある。
- 東京都域ではない。
- その場合、テレビ東京の総合チャンネル化が史実より早まった。
- 1980年代に開局していたら
- (当時問題になっていた)「いじめ」をテーマにした番組が放送されていたかも。
- サンテレビ・近畿放送(当時)などとも仲良くなっていた。
- 実質的なネットワークのようなものを組んでいた。
- エフエム東京と同時開局というのが自然か?
- TFMの開局は1970年。
- 「東京でしか見られない放送局」として地方から上京してきた若者の間で特別視された。
- 1990年代前半に開局していたら
- 現実とあまり変わらず?
- (当時できたてほやほやの)Jリーグ中継に力を入れていたかも。
- ただし当初は東京が本拠地のチームが存在しなかったため特定のチームを重視するような姿勢にはならなかった気がする。
- 早い時期から東京移転が噂されていたヴェルディは日本テレビが筆頭株主のためあまり大きく扱えない。
- 柏レイソルの公式戦の中継を史実よりも早くやっていた。
- 早い時期から東京移転が噂されていたヴェルディは日本テレビが筆頭株主のためあまり大きく扱えない。
- ただし当初は東京が本拠地のチームが存在しなかったため特定のチームを重視するような姿勢にはならなかった気がする。
- サンテレビ制作の阪神タイガース主催試合中継をネットしていた試合数が史実よりも多くなっていた。
- 遅くても、1993年頃までに開局していた。
- 茨城放送と同時に開局していた可能性もある。
史実より遅く開局していたら
- 21世紀初頭に開局していたら
- 21世紀としては初めて開局した民放テレビ局として認められていた。
- 放送研究者などの間で「インターネットなどとは異なる21世紀ならではのテレビ局のあり方を追求してほしい」と期待された。
- 局自身もそのような決意を何回か表明している。
開局当時の編成方針を踏襲していたら
開局時はニュース番組主体の編成でした。仮に、現在もこの編成が続いていたら?
- アニメは、ほとんど放送されない状態だった。
- 「東京情報チャンネル」(ディレクTVで全国放送していたときのチャンネル名)は、現在もスカパー!のチャンネルとして残っていた。
- 毎日放送と親しくなることもなかった。
- 現実で言うここやここ見たいな状態になっていた。
開局当初からアニメに積極的だったら
開局当初はアニメはほとんど放送されていない状態でしたが、2000年代半ば以降は殆どの作品を放送しております。もし開局当初から殆どの作品を放送していたら?
- 東京都内のアニヲタは史実以上に増えていた。
- 都内外に関わらず、東京タワー向けUHFアンテナが史実より早く増えていた。
- 秋葉原にサテライトスタジオか何かを設けていても不思議ではない。
- 2010年の東京都青少年健全育成条例改正案には局を挙げて猛反発していた。
- 現在のマスコットは「ゆめらいおん」ではなく萌え系のキャラクター。
首都圏ネット4を脱退しなかったら
- 地上デジタル放送の送信所は東京タワーのままだった。
- ここでもハピモ(千葉テレビ制作)、ありがとッ! (テレビ神奈川)、ごごたま (テレビ埼玉)が放送されていた。
- 東京MX側は何を放送するんだろう。
- U・LA・LAか5時に夢中が放送されていたかもしれない。
- 東京MX側は何を放送するんだろう。
- 首都圏ネット4にとちぎテレビや群馬テレビも加盟していた。
- それでもTVKとの仲は悪いまま。
- テレ玉や千葉テレビとの関係も微妙と言ったところか?
地上デジタル放送の送信所が東京タワーのままだったら
- 一部で東京MXが見られないということはなかった。
- 親会社であるTFMがスカイツリーに送信所を移していないことと関連して理解されることが多い。
- さらにTFMの大株主に東京タワーの運営会社である日本電波塔が名を連ねていることもよく指摘される。
- 東京タワーのフットタウンのどこかにTFMと合同でPRスペースか何かを設けている。
全日帯アニメの放送に積極的になっていたら
深夜アニメの大半は東京MXテレビでの放送になって久しいですが、同様の現象が全日帯アニメにまで波及したら
- TBS・フジテレビでアニメ枠新設はなかった。
- MBS制作のアニメも廃枠になっていた。
- サンデーLIVEスタート時に戦隊やライダーがMXに移っていたかも。(アキバレンジャーや仮面ライダーアマゾンズがMXだったので。)
- 2018年のヴァンガアニメの新シリーズは19時台で放送。
- バディファイトも2018年6月以降はMXに移っていた。
- 全曜日19時台は新作アニメの放送になる。
- プリキュア(再放送)などは18時半辺りで放送。
- テレ東アニメは大幅に減少する。
- 特にBSジャパンで放送されていないアニメはMXに飛ばされる。
- こうなるかもしれない。
- BS11も全日帯アニメ枠が増える。
- 同時ネットでテレ東系よりも低予算で全国をカバー。
- 場合によってはサン、KBSでもネット。
- 同時ネットでテレ東系よりも低予算で全国をカバー。
- 月曜は小学館関係のアニメで固定。
- 火曜はブシロード枠。
- 史実で深夜で放送されたアニメがMX全日帯で放送されたかも。
- ホークス戦中継による休止も増える。
都外へのスピルオーバー制限が厳格に行われていたら
- 東京タワーにしろ東京スカイツリーにしろ、都県境が近い方角には岐阜放送ばりに送信アンテナがお辞儀する形になっていた。
- 少なくとも横浜駅、浦和駅、柏駅、津田沼駅周辺では受信不能レベルになるように設定されていた。
- ケーブルテレビでも再送信される局は史実より少なかった。
- 北関東や山梨、伊豆半島東部で再送信される可能性は極めて低くなっていた。
- ケーブルテレビでも再送信される局は史実より少なかった。
- 少なくとも横浜駅、浦和駅、柏駅、津田沼駅周辺では受信不能レベルになるように設定されていた。
- 周辺の独立局との連携を史実以上に強めていた。
- テレビ神奈川とも史実ほど関係は悪化していない。
- ただしそれでもMXのみ放送の番組は一定数は存在する。
独自のネットワークを結成したら
放送対象地域が関東広域圏だったら
テレビ神奈川
放送対象地域が関東広域圏だったら
独自のネットワークを結成したら
2003年12月に地デジ放送を開始していたら
太田町への移転が見送られていたら
テレビ神奈川は、2004年5月に横浜市中区太田町の横浜メディア・ビジネスセンター内に本社を移転させましたが、仮に移転が見送られていたら。
- TVKロゴは現在も大文字のまま。
- 地上デジタル放送は、簡易マスターからの送出になっていた。
- 「JOKM-DTV。こちらはTVKテレビです。」…
- そこは「JOKM-DTV。こちらはTVKテレビデジタルテレビジョンです。」...とかになると思う
文化放送
アニラジに力を入れていなかったら
- かつてのRFラジオ日本同様、硬派路線の放送局となっていた。
- ラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ)が代わりに放送。
- 短波対応のラジオがもう少し普及していた。
- 意外と、TBSがアニラジに積極的になる。
- たぶんニッポン放送じゃね。
- そういやLFには放送業界で1,2を争うほどのオタクがいたような・・・。
- 仮にLFが力を入れた場合、平日は一応オールナイトニッポンは残すが史実のRと魂ラジの時間帯はアニラジを放送する。さらに宇宙Gメンのとこもアニラジに転用か?
- 二部が「オールナイトニッポンA&G」として声優による放送になっていた。
- たぶんニッポン放送じゃね。
若葉1丁目で再開発があったら
- 同地を離れることなく新ビルにめでたく入居。
- このビルにはあの名門校も入居。
- 現実で文化放送メディアプラスがある浜松町1丁目駐車場跡地には別の資本のビルが建っていた。
本社が大阪だったら
- テレビ免許を交付され、準キー局としてテレビ朝日かTBS辺りとネットを組んでいた。
- むしろテレビ東京だろ。
- 現実のOBCとなっていた。
- だがラジ関には圧勝している。
- やけに左寄りの内容だった頃から何度も革新が強い京都への移転が噂される。
- 筆頭株主が史実通りカトリック聖パウロ修道会の場合は大阪万博のキリスト教館にこの放送局の臨時スタジオが設置されていた。
放送エリアが全国だったら
放送エリアを全国に広げる計画もあったが、却下されました。もし実現していたら…
- 特に関東圏では聴取率トップに。
- 西武ライオンズファンも全国に広がっていた。
- 全国での放送開始が1978年以前ならライオンズの本拠地はまだ福岡なのでその可能性は極めて薄い。
- 同じく全国に放送エリアを広げるつもりだった日本テレビが黙っていなかったのは間違いない。
- 正力松太郎が郵政省などに圧力をかけていた。
- しかしラジオとテレビは別という理由で却下。
- 日本の放送史は現実と大きく異なっていた。
- 史実では存在できなかった全国区の中波ラジオ局ができていたためテレビ局の資本や民放のビジネスモデルなどに大きな影響が出ていた。
- 史実通り宗教放送局として開局していたらだろうか。
NACK5と合併していたら
- 文化放送の本社は浜松町ではなく川口に移転していた。
- 文化放送のエリアが関東広域であることを考慮すると東京都区部以外への移転はなさそう。
- そもそも総資産額や従業員数などを考慮すると文化放送主導の合併になった公算が大きい。
- ただしNACK5の最大株主である西武鉄道がかなり暗躍した場合は展開が変わっていた可能性あり。
- 日本で初めてAMとFMを兼営する民放が誕生する。
- 総務省(or郵政省)も戸惑うと思われる。
- 他地域でも同様の合併が噂された。
- FM波での補完放送開始時に旧NACK5のノウハウを生かして大胆な番組改編を行っていた。
- 西武ライオンズはもちろんのこと、埼玉県にフランチャイズをおくスポーツチームを応援していた。
ニッポン放送
独自のネットを結成したら
アニラジにもっと力を入れていたら
- おそらくオールナイトニッポンのパーソナリティーのレパートリーは声優中心。
- Rも同様。・・・といいたいが毎日30分4枠か60分1枠+30分2枠か60分2枠なんかに分割。
- またANNの月曜はMBSの某番組をネット受けしていたかも。もう終わったけど。
社屋をお台場に移転したら
かつて、ニッポン放送は有楽町の社屋を建て替える間、お台場のフジテレビの社屋を間借りしていた時期がありました。もし、ニッポン放送がそのままお台場に移転したら?
- おそらく、しばらくフジテレビの社屋を間借りした後、フジテレビの近所にある別の場所に社屋を建てて、そこに入居していた。
- もしくは、現実の「フジテレビ湾岸スタジオ」に入居していたかもしれない。
RFラジオ日本
「社会の木鐸」宣言がなかったら
- 大幅な聴取率低下を招くことはなかった。
- 『林原めぐみのHeartful Station』は現在もRF製作のまま。
- FMヨコハマ開局時に本社制作番組が増えてたかも。
- ホエールズ→ベイスターズ戦のホームゲームが放送されてたかも。
- 『ROCK TODAY』が『POWER ROCK TODAY』に改題されなかった。
- ラジオたんぱが「社会の木鐸」化していた。
毎日新聞からのニュース提供を続けていたら
- 毎日新聞がTBSを手放した。
- 一方で、毎日新聞はNETを傘下に入れた。
- 茨城放送も毎日系にしてグループ局になっていた。
- ジャイアンツびいき放送局は別の民放に変わっていた。
- 読売資本が残ったままならTBS。
- 出力増強とラジオ関東からの社名変更はなかった。
- 毎日新聞社と毎日放送が出資してテレビ放送も開始してた。
開局時より日本テレビの傘下だったら
- もちろん、開局時より「ラジオ日本」を名乗っていた。
- どこかのタイミングで社名に「讀賣」が入っていたと思われる。
- 本社は横浜ではなく東京だった。
- 日本テレビの社屋に入居していた。
- 麹町→汐留への移転の際には、汐留・日テレタワーに仲良く引越し。
- もしくは、麹町の旧日テレ社屋をラジオ用に改装し、現在もそこに入居。
- JRN・NRNとは異なる第3のラジオネットワークを立ち上げていた。
- 岐阜放送・ラジオ関西は確実に加わっていた。
- 開局当初から巨人戦をキラーコンテンツとしていた。
- 箱根駅伝の中継も行っていた。
- 日本テレビホールディングス設立後は同社の完全子会社に。
- 出力も100kwに増力され、関東広域放送が実現していた。
テレビ放送免許が受理されていたら
→*もしあの放送局がテレビ放送を開始していたら#RFラジオ日本
独自のネットを新設したら
放送対象地域が関東広域圏だったら
エフエム横浜
FM群馬やFM三重やJ-WAVEより先んじて開局していたら
- FM群馬やFM三重にFM横浜がネット番組を供給していた。
- JFN Bラインが発展することはなかった。
- JFN系列は「NORU SORU」まで本格的な深夜放送を手がけなかった。
- FM横浜の全国での存在感が増した。
送信所が大山に移転せず円海山のままだったら
- 磯子中継局は存在しない。
放送大学
一般の番組も放送されていたら
- それでもCMは放送されていない。
- 放送されていた場合、他民放に扱いが近くなっている。
- この局でしか放送されないCM(教育関連商品?)もあったと思われる。
- 放送されていた場合、他民放に扱いが近くなっている。
- 放送時間も実際より長くなっていた。
- かつての東京12チャンネルや日本教育テレビのような編成になっていた。
- 局名が変わっている。「BUTテレビ」(Broadcasting University Television)とか。
- 緊急地震速報などが流れる。(実際は「緊急地震速報」等を流す義務は放送大学には無い。)
- 栃木県や茨城県にも中継局が設置されていた。
- でも、中継局は、宇都宮と水戸のみ。
- 参考までに、実史上ではアナログ放送時代、東京都区内と横浜市内に、SHF波による中継局が開設されていた。
送信所が東京スカイツリーに移転していたら
- 放送大学を視聴できる世帯が増えていた。
- 送信所機能を失った東京タワーは・・・。
- 東京タワーは、NHKと在京キー局の予備送信所として、残されてます。
- 2018年10月に地上波放送が廃止される事は史実と変わらず。
TBS(東京放送)
独立項目
ラジオ東京が日本初の民間放送局だったら
TBSの前身・ラジオ東京(KRT)は1951年12月25日に開局し、毎日放送(MBS)や中部日本放送(CBC)(いずれも1951年9月1日開局)より遅れて開局しています。もし、ラジオ東京が日本初の民間放送局として開局していたらどうなっていたのでしょうか?
- 民放最初の放送局と他局に対し自負していた。
- MBSやCBCとの関係は現実のように悪くはならなかった。
- もしかしたらTBSが「新日本放送」を名乗っていたかも。
- 意外にコールサインの「JOKR」が定着し、「ラジオ東京」が「東京放送」に改称後も、略称が、「KR」もしくは「KRT」のままだったりして。
- 「日本放送」(史実ではニッポン放送の開局前の社名)の可能性も。
- その場合、日本テレビは「読売テレビ」に…あれ?
- または、実史ではペーパーカンパニーに終わった「読売放送」だったかも。
- 日本テレビより早くテレビに参入していたかもしれない。
- その場合、テレビチャンネルはVHF4chがTBSに使用され関西と同じチャンネルになる。一方日テレはVHF6chを使用する。
- そのため地デジのリモコンキーIDがJNN系列は4ch、NNN系列は6chが標準になっていた。
社屋を緑山に移転していたら
TBSは1970年代に郊外への社屋移転計画を打ち出し、横浜市緑区に土地を取得したが、周囲の反発にあい実行されませんでした。(この土地に建てられたのが後の「緑山スタジオ」)
- 「横浜」にあるのに「東京」放送では矛盾するのでこの時点で「TBS」に社名変更。
- 赤坂の知名度が下がっていた。
- 青葉台駅から出てる関係者用バスが一般にも開放。
- SASUKEの収録はどこで行われていたのだろうか・・・。
- そもそもたけし城もSASUKEも存在しなかったのではなかろうか。
- 実史上で春秋の改変時に放送される『オールスター感謝祭』も緑山から放送?
- 緑山からの放送だったら、「赤坂5丁目ミニマラソン(に相当するコーナー)」は、どのルートになっていたか?
- 東急こどもの国線の通勤路線化が史実よりも早まった。
- 東北放送など、郊外に局舎のあるネット局から「うちと似た所にあるんですね」と言われる。そうした地域(宮城県など)の視聴者・リスナーがTBSの放送センターを見ても、地元の放送局と大差のない立地条件なので、違和感を感じない。
- キー局で唯一本社が東京都内にないことになる。
- 但し、何らかの形で都内にも拠点を残していたと思われる。
東京放送の略称として「TBC」が使われていたら
史実では仙台の「東北放送」が1955年に「TBC」という略称を使っていたので、1960年にこの放送局が「ラジオ東京」から「東京放送」に社名変更した時、この放送局は略称として「Tokyo Broadcasting System」の略称として「TBS」を名乗ることになりました。もし、東北放送をはじめとする他の放送局がそれまで「TBC」の略称を使わわなかったので、東京放送が「TBC」の略称を使うことができたら、どうなっていたのでしょうか?
- エステサロン「東京ビューティセンター」は、「TBC」の略称を名乗らなかった。
- 東京放送の歴代ロゴは、史実のデザインか、それとも史実の東北放送のロゴか。
- 「TBS」と言えば「東京ビッグサイト」の略称になっていたかも。
- その後追いで、放送界では、東北放送か別の地方局が「TBS」の略称を使い始めるか。ただし、地方局だから、筆記体ロゴ(史実の東京放送のロゴ)は使っても「ミクロコスモス」は使わないだろう。
ラジオ単営局のままだったら
テレビ東京
日本テレビ
『正力タワー計画』が実現していたら
日本テレビは、東新宿駅付近(当時)に「正力タワー」を建設する計画を立てていたことがあります(これについてはこちらを参照)が、結局実現しませんでした。仮にこの計画が実現していたら。
- 東京タワーへの送信所機能移転はなかった。
- 東京MXテレビは、正力タワーからの送信になっていた。
- 地上デジタル放送開始時には、地デジ用の送信アンテナも設置されていた。
- もちろん、NTV・MX兼用。
- 在京テレビ局の送信所機能一本化は、東京スカイツリー完成まで実現しない。
- 逆に正力タワーに一本化だろ。
- 現在の東京タワーは(アナログ放送終了が延期されなければ)2011年7月にお役ごめん。
- 333メートルの東京タワーの2倍を誇るこのタワーをつくり、タワー建造のための莫大な出費によって日テレは当分の間経営悪化に襲われた。
- 東京の赤坂・四ツ谷・麹町周辺はVHFアンテナを2本必要とした。また、正力タワーへの一本化まではデジタル放送を視聴するのにUHFアンテナを2本必要とした。このため、早期に一本化されている。
- 東新宿周辺は電磁波被害に悩まされ続けている。
- 1958年6月に、日テレ・清水社長が新宿区東大久保に「屋根つき野球場」の建設計画を表明する事が無かった。(『大衆とともに25年沿革史』(日テレ社史)に「屋根つき野球場」についての記載あり。)
- 北関東でもキー局VHFの受信が容易になるので、場合によっては東北新幹線開通前後でも宇都宮タワーが存在しなかった。
- おそらく開業はとちぎテレビ開局時までにずれ込んでいた。
JNNより早くネットワークを完成させていたら
日本テレビは1953年8月、日本最初の民放テレビ局として開局しましたが、同局をキーステーションとするニュースネットワーク「NNN」はTBSをキーステーションとする「JNN」に約7年遅れで結成されました。 もし、日本テレビがTBSより早く「NNN」を結成していたら?
- 当時開局していたテレビ局は、大半がNNN系列になっていた。
- NNNのクロスネットが禁止され、JNNのクロスネットは禁止されなかった可能性も。
- 当然、沖縄にもNNN系列局はできていた。
- 琉球放送が日テレ系列になっていた。
- 沖縄テレビがFNNとNNNのクロスネットになっていた。
- いや、南西放送が開局していたというのが自然だろう
- 南西放送開局まで、沖縄テレビがNNNメインのFNNとのクロスネットだったのでは。
- 鹿児島以外にも「○○読売テレビ」「○○読売放送」を名乗る局ができていた。
- JNNではなくNNNに排他協定ができていた。
1社による全国の放送ネットワークが完成していたら
→もし日本テレビ1社による全国の放送ネットワークが完成していたら
視聴率至上主義に走らなかったら
1990年代の中盤から日本テレビは視聴率ノルマのもとに、視聴率優先の番組作りに転換。しかしそこから生まれた幾多の演出等は多くの視聴者の反感を買っていったにも関わらず、テレビ全般にまで広がるほどの影響を与えるにまで発展してしまいました。 仮にもし、現在に至るまで日本テレビが視聴率至上主義に踏み切らなかったにどうなっていたでしょう?
- 五味一男は早いうちに退職した。
- 「進め!電波少年」は1年ぐらいで打ち切りに。
- 時代劇枠や「火曜サスペンス劇場」はまだ続いていた。
- むしろ史実より廃止が早まった。
- 日本テレビは史実より低迷していた。
- 最近まで3冠王はフジテレビが総なめ。
- テレ朝の台頭やフジの後退により、今ではフジvs日テレvsTBSの三つ巴の状態に。
- 最近まで3冠王はフジテレビが総なめ。
- 視聴率買収事件は無かった。
- 2000から2001年にかけてあった「電波少年年越しカウントダウンフライング事件」も起きなかった。
- 日本のTV番組の形式は大幅に変わっていただろう。
- 皇室アルバムを金曜のゴールデンタイムに1時間番組でやる。
- 城朋子や梅原幹が台頭することはなかった。
- 2014年現在「それいけ!アンパンマン」は夕方に放送され、「名探偵コナン」は未だ月曜夜に居座っている。
- 福澤朗がフリーになる時期が史実より遅かった。
- 「金曜ロードショー」が「金曜ロードSHOW!」になることはなかった。
- リーマンショックや東日本大震災を経た後、倒産あるいは他局と合併していた可能性もあった。
- テレビ局は今でもかつての「護送船団方式」を彷彿とさせるような制度に守られているのでそこまで簡単に潰れるような気がしない。
- このご時世、放送事業より副業(不動産・映画等)の方が儲かる状況だからねぇ…
- 汐留本社は大幅に縮小されて空いたスペースは貸事務所になる。(と、氏家社長がかつて言っていました。)
- 読売ジャイアンツ戦の中継に依存する体質が現在まで続いていたかも。
- 「スポーツの日テレ」の地位を築き上げていた。
- 2020年の24時間テレビ・高校生クイズは中止になっていた。
テレビ朝日
開局当初から一般総合局だったら
旧・日本教育テレビが一般総合局化されていなかったら
開局時からANNが結成されていたら
テレビ朝日をキーステーションするニュースネットワーク「ANN」は1970年1月1日に結成されたが、もし前身の日本教育テレビ(略称:NET)開局時にニュースネットワークを結成していたらどうなっていただろうか?
- 実史より早くかつ多くの系列局が開局した。
- ANNが実際は無い高知県やクロスネットの宮崎・福井両県にも系列局が存在していた。
- 青森テレビは、JNNにネットチェンジせずそのままANNに加盟し続けた。
- その場合青森放送は、現実の秋田放送の様な編成となっている。
- 青森朝日放送は開局しなかったか、「テレビユー青森」という名のJNN局として開局。
- 県民は第3局目をFNN・FNSで開局を希望したが元国会議員の圧力でJNN系列局として開局。
- 毎日放送はANNの「A」を朝日と勘違いしている事から、テレビ東京(当時:東京12チャンネル)と完全なネットワークを結んだ。
- 北海道放送は、JNN排他協定がなければ1962年にJNNを離脱しANN入りしていたかもしれない。
- 1962年まではSTVがNETの教育番組を放送していたが、NETネットワーク拡大を目指したことにSTVが激怒している。
- その結果、HBCがNETの番組を多く放送する事態になったため、HBCはJNNを離脱してもおかしくなかった。
- 北海道テレビも史実より早く開局し、JNNに加盟していた。
- 名古屋テレビもニュースネットワークは最初からANN入りしていた。よってNNN加盟はなかった。
TBS系列局を救済したら
テレビ朝日はかつて朝日新聞とともに北海道テレビや山形テレビを助けたことがあります。また、TBS系列(JNN)は2009年4月以降の視聴率低下の影響もありTBS系列局の多くはTBSと不仲で、経営に苦しんでいる局も多いようです。もしテレビ朝日がTBS系列局を助けた場合、どうなるでしょうか。
- TBS自体はなくなるか、TBSがテレビ朝日系列局を受け入れる。
- 在阪局は毎日放送と組むのが自然だが、MBSはテレビ朝日と険悪なのでABCとそのまま組む。
- テレ朝と朝日新聞との関係は維持されるが、毎日新聞との連携はTBS以上に強くなる。
- TBS・MBS以外のJNN系列26局の面倒をテレ朝が見ることで、テレ朝の経営が厳しくなる可能性がある。
- とりあえずテレ朝はTBS系列ではない関西テレビを救わずに済むので喜ぶ。
- 各地にある特に平成新局の〇〇朝日テレビ/〇〇朝日放送は最悪潰れるかも・・・
- KUTVはそのままANN入りするので、テレビ事情も多少改善される・・・かも。
不祥事により放送免許がはく奪されたら
テレビ朝日はかつて、「アフタヌーンショーのやらせ事件(1985年)」や「椿発言事件(1993年)」などの不祥事の時に放送免許剥奪が議題に挙がっていましたが、それが現実のものになっていたら…
社名変更がなかったら
テレビ朝日は1977年まで日本教育テレビ(NET)、2003年まで全国朝日放送(ANB)という社名でした。
TOKYO FM
送信所が富士山頂に置かれていたら
TOKYO FMの前身、FM東海は「富士山頂超短波放送実用化試験局」で免許申請を行いました。
- 受信エリアは現実より広かった。
- 現在は社名が変更になってもエフエム東京にはならないはず。
- エフエム富士…何でもありません。
- JFNが結成されたか怪しい。
フジテレビ
今でも硬派路線だったら
局舎が品川区大崎に移転したら
局舎の移転先の候補として、お台場とともに大崎駅周辺(現在の大崎ニューシティやゲートシティ大崎がある辺り)も候補になっていました。もし、そこに移転したら…
- 局舎は汐留にある日本テレビタワーと同様な構造の建物になっていた。
- 関西テレビや東海テレビやテレビ西日本などの系列局の支社も入居していた。また、同系列であるニッポン放送本社も大崎駅周辺に移転していた。
- そこに本社を構えているソニーとコラボした番組や企画が実施されていた。
- JR東日本の車内広告において、自社の番組を大胆に宣伝していた。
- お台場は、2020年の東京オリンピック開催決定まであまり注目されていなかったかもしれない。
- しかし、東京臨海高速鉄道りんかい線の開業は史実通り。
- 建設費が莫大になることはなかったので、フジテレビの経営は史実より良好になっていたかもしれない。
- 京浜急行バスと東急バス(実史上の運行は東急トランセ)の「羽田空港~大崎駅西口」の空港連絡バスが、実史より早くから運行していた。
- お台場にあるFCGビルの予定地は高級ホテルか国際展示場か博物館か大型ショッピングモールが立地されていた。
局舎が富士山麓に移転していたら
フジテレビがその名前にちなんで富士山麓に移転していたら?
- 名実ともに富士テレビ
- フジテレビ用の営業マグレブが用意される。
- りんかい線は富士テレビと関係がなくなる。
- 中央新幹線にフジテレビが協力、自社の目の前に駅を設置する。
- 富士山が噴火したら速報はフジテレビが最初に出す。
- ていうか、速報なんか流している内に巻き込まれるんじゃ・・・。
- マグマにも負けない頑丈な建物が建設されたりして。
- しかしそんなものを作ったせいで建設費が高騰、経営を圧迫することになる。
- だからこそ河田町支局を残す必要があるのだよ。
- マグマにも負けない頑丈な建物が建設されたりして。
- ていうか、速報なんか流している内に巻き込まれるんじゃ・・・。
- 関東はおろか東海・甲信越もネットする。
- そのエリアのFNN系列局は実質経営統合。
- 長野放送→フジテレビ長野支局
- テレビ静岡→フジテレビ静岡支局
- 新潟総合テレビ→フジテレビ新潟支局
- 新設:フジテレビ甲府支局
- というか静岡・山梨・長野の各県が関東広域圏に入るようになる。
- でも、静岡県西部は愛知県の影響が強いので、静岡県西部は東海テレビのエリアに。
- 他局は現実通りなのにフジテレビだけ各県をカバーする、という意味では。
- というか静岡・山梨・長野の各県が関東広域圏に入るようになる。
- そのエリアのFNN系列局は実質経営統合。
- 旧社屋は「フジテレビ河田町支局」になる。
- 建物の老朽化が進んでいるので一回改築。
- むしろ正式名称は「フジテレビ東京支局」となる。
- お台場の発展が遅れた。
- 案外日テレが移転しているかもしれない。
- 「一緒に送信所も移転したら電波が遠くまで飛ばせるじゃん」と思い、送信所まで東京タワーから富士山山頂に移転。
- 費用がかかりまくりそう…
- 北関東の扱いがさらになおざりになる。
- 赤坂の某局も追従して赤坂に移転する。
- 芸能人はヘリやセスナで東京からフジテレビに移動してくる。
局舎が新宿区河田町に留まっていたら
- 局舎は建て替えられて、汐留にある日本テレビタワーと同様な構造の建物になっていた。
- 建て替え中は、新宿区市谷仲之町(新宿支局があったところ)を仮社屋にしていた。
- 青海にある湾岸スタジオが史実よりも広大なスタジオになっていた。
- JR東日本、小田急電鉄、京王電鉄、西武鉄道、東京地下鉄、都営地下鉄の車内広告において、自社の番組を大胆に宣伝していた。
- お台場は、2020年の東京オリンピック開催決定まであまり注目されていなかったかもしれない。
- りんかい線は史実通りだったか?
- フジテレビの経営は史実より良好になっていた。
- 東京テレポート駅ではなく曙橋駅がフジテレビ前に。発車メロディーも踊る大捜査線じゃないがフジテレビの曲が使われていた。
違う時期に局舎をお台場に移転していたら
- 2002~2003年頃に移転していた場合、局舎の周辺を走る東京臨海高速鉄道りんかい線の全線開業とほぼ同時期なのでそのころからお台場の観光客がかなり急増していた。さらにこの時期は日テレやテレビ朝日も局舎移転していたので局舎移転ラッシュになっていた。
- 移転と同時に大半の番組がハイビジョン制作に切り替わっていた。
- 史実より遅く移転していたら視聴率はマシになっていたかもしれない。
芙蓉グループ入りしていたら
テレビ埼玉
史実(1979年4月1日)より早く開局していたら
- 早くても、1972年頃に開局していた。
- いや、千葉テレビ放送や群馬テレビと同様に、1971年に開局していた可能性もあり得る。
- 巨人主催試合のトップ&リレーナイターを史実より長く中継していた。
- 江川事件による打ち切りは史実通り。
- ライオンズの所沢への移転までに、日本ハム主催の試合の中継に力を入れていた可能性もあり得る。
- 1979年に茨城放送か栃木放送がテレビ事業に進出していた。
- CRTの場合はIBSが科学万博までにテレビ開始。
- 2020年頃に新社屋に移転する計画があった。
- するとしたら武蔵浦和らへんか?
- そうなると現実よりも武蔵浦和のタワーマンション数は減っていた。
- するとしたら武蔵浦和らへんか?
独自のネットワークを結成したら
放送対象地域が関東広域圏だったら
千葉テレビ放送
放送対象地域が関東広域圏だったら
平成新局として開局したら
- だいたい1991年頃の開局が無難か?
- 同時期に、ロッテ球団の千葉移転があったので、現実以上に千葉ロッテマリーンズに力を入れていただろう。
- また、Jリーグ開幕と時期が被った時には、Jリーグ中継に力を入れていたかも知れない。
- もし、東京MXテレビと開局時期が被った場合、MXとの関係は現実より良いものとなっていた・・・?
とちぎテレビ
史実(1999年4月1日)より早く開局していたら
- 早くても、1970年代に開局していた。
- 栃木放送がテレビと兼営する形で開局していた。
- 茨城県で、第3セクター方式による放送局が開局していた。
- あるいはIBSが科学万博までにラテ兼営化。
- この内容にほとんど近い。
FMナックファイブ
独自のネットを結成したら
放送対象地域が関東広域圏だったら
群馬テレビ
放送対象地域が関東広域圏だったら
茨城放送
茨城放送テレビが開局していたら
栃木放送
栃木放送テレビが開局していたら
もしあの放送局が… | |
---|---|
○○だったら | 北海道・東北/関東/キー局/甲信越・北陸 東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/甲信越/北陸/東海/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら ラジオネットが新設されたら/ラジオネットが新設されたら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |