ページ「Chakuwiki:借井戸/旧サイトの画像についての要望」と「もしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったら」の間の差分

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==このサイトの著作権について==
この項目では最終的にプロ入りした選手を扱います。最終的にプロ入りしなかった選手の場合は[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]へお願いします。
確かに文章は一刀氏(の遺族)に属し、使用を全面的に許諾することになっています。少なくとも一刀氏が生きていた時点までのコンテンツは自分のコンテンツと偽ったりでもしない限り自由に使えますし、<br>遺族はこのサイトに関わらないようなので、死亡後のコンテンツが含まれているからと言って法的手段を取るとも思えません。いったんそういう声明を出した以上権利者たる遺族も取り消しは不可能です。<br>しかし、写真は各著作権者に属することになっていますが、ここの運営者は全員に許諾を得てインポートしたのか、Chakuwikiさん、お答えください。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2020年12月28日 (月) 19:41 (JST)
==1960年代==
:一部勘違い若しくは不適切な解釈、そして実際に削除要求が来ていることからこの提起はいったん取り下げます。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 16:28 (JST)
===平松政次(1965年・中日)===
#巨人のV9はなかった。
#通算250勝していた。
#あるいは「雨、雨、権藤、雨、権藤」が「雨、雨、平松、雨、平松」になっていた。
#*この場合、投手としての寿命は3年程度だった。
#**通算白星は100勝程度か?
#大洋、横浜からは生え抜きの200勝投手は出ない。
#カミソリシュートを会得していたか怪しい。
#同郷の星野仙一と打倒巨人に燃えていた。


==画像の取扱いについて==
===江本孟紀(1965年・西鉄)===
お世話になります。吉田宅浪と申します。<br/>さて、私が元祖Chakuwikiにアップロードした画像が、こちらのサイトでも使用されていますが、当該画像のアップロード者が「Maintenance script」というアカウントになっております。<br/>元はといえば、著作権者の私の画像であるのに、他者名義でアップロードされていることについて、著作人格権の問題があるのではないかと考えておりますが、いかがでしょうか。<br/>なお、私としては、本来の著作権者が表示されていない現状での、本サイトにおける当該画像の使用を速やかに停止してほしいと考えております。--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] ([[利用者・トーク:吉田宅浪|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 15:08 (JST)
#史実よりは活躍できなかった。
#*えっ、もっと活躍したのでは?
#*ノムさん補正が(ry
#「ベンチが(ry」発言もなかった。
#*あるいは田淵らとのトレードで阪神入りし史実通りの現役末期を過ごす。
#彼の告発により、八百長事件が史実より早く露見する。


谷口さんが亡くなられてしまい、当サイトの本文や画像の権利ってあやふやなような気がします。話変わりますがmirahezeで開設予定の「wikiサイト」でも画像の大半がインポートされてない状況ですがこちらも参加されないユーザーの画像も厄介になるかもしれません。--[[利用者:富士見|富士見]] ([[利用者・トーク:富士見|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 16:32 (JST)
===山田久志(1967年・西鉄)===
:吉田さん。著作権の内氏名表示権に反すると。アメリカにはDMCA制度が存在し、申し立てが認められた場合アメリカ法内で著作権の侵害があった場合にアメリカ法に従う<br>検索サービス提供会社の検索サービスから該当の画像が使われているページ<big>全て</big>を検索除外できます。<br>ただ、権利者の管理下にある画像でなければいけないという規定があったという事例を聞いたことがあるので、慎重に調べたうえでご検討ください。<br>--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 16:36 (JST)
#阪急は史実より成績が低下していた。
::サイト管理者さんにもわかるように簡単に言うと、<br>1.著作者人格権の一種である氏名表示権に引っかかっている。<br>2.著作者人格権は譲渡不可能なので、吉田宅浪氏に存在するから、一刀氏が何を言おうが関係ない。<br>3.吉田宅浪氏は削除を求めていて、応じない場合は検索で不利益を被るばかりか刑事・民事の面での対応も有り得る。これは脅しではなく日米の法律上の事実ですから何らかの対応をしないとまずいのでは?<br>4.これは都合が悪いから返答しないというわけにはいかない問題である。<br>民事の方はせいぜい少額訴訟で敗訴して賠償と裁判費用が求められ半公開記録に残って払わない場合は自宅サーバなど少しでも金になるものの差押えを食らって差押え費用や年利3%が嵩んで<br>時効が近づくたびに訴訟されるだけだろうけど刑事は罰金刑辺りが付く可能性や前科として不利益になる可能性、そしてなにより裁判記録に残る、あるいは実名報道される可能性がある、<br>はたから見てもそう推察できるということは事実です。これは脅しではなく実際あなたはそれぐらいのことをやっているということです。<br>そして画像ダウンロードが違法化されれば過失ではない閲覧者にも累が及ぶ可能性があるわけだけれども理解されていますか。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 16:49 (JST)
#*初日本一は早くて1980年代、下手すればオリックスになってからだったかもしれない。
::(富士見氏宛)他所のサイトのことは他所でやっていただくべきだと思います。(Miraheze版の管理者の方も、過去にそう仰っていた。)<br/>そのうえで、一般論から申し上げますと、画像の著作権は一応元の著作権者に帰属する(Chakuwikiにアップした結果、著作権者に谷口まさと氏が加わったとしても、それを以って原著作者の著作権が消えるわけではない。)というのが、元祖Chakuwikiにおける考え方だったと思いますし、そうであるならば、.orgであろうがMirahezeであろうが、Fandomであろうが、他のChakuwiki類似サイトであろうが、許可なく画像を取り込んでしまうのは、色々とよろしくないのではないかと感じます。<br/>(未来切手氏宛)アメリカ法がどうのというのではなく、そもそもChakuwikiのコンテンツとしての著作権者は谷口まさと氏ですが、画像については、従来曖昧になっていたこと、及びアップロード者の意向がかなり優先されるという管理方針であったことを鑑みると、アメリカ法云々以前にきちんと対処すべき問題であると考えます。--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] ([[利用者・トーク:吉田宅浪|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 16:55 (JST)
#11位という下位指名のため、入団後しばらくはファーム生活が続いたかもしれない。
::(吉田宅浪さん宛)一刀氏やサイト、コミュニティの方針よりも法律の方が強いので。正しく原語の意味でのペンは剣よりも強しです。<br>あなたとしてはサイトのいざこざに外国の法律を持ち出したくないのでしょうが、このサイトの方が聞く耳を持ちそうにない今、<br>アメリカ法で検索エンジンから遠ざけてサイトを封じ込めて形式はサイトで事実上MA氏のアーカイブにする、あるいはそうなりかねない状態に持ち込んで対応してもらうしかなさそうです。Mirahezeに波及するかもしれない件ですがそれは権利者の権利なので、<br>権利者の大部分がMirahezeに同意した場合その権利者があえて権利を主張する方もいないでしょうから波及しにくいと言えます。<br>この方は法的リスクも顧みずに(ここ重要)アクセス数だけで唐澤**ウィキまで欲しがった方ですからその点をよく考えられた方がいいと思います。<br>私のサイトですがmiraheze版ができ次第履歴の件は対応します。確かURLと対応するページにあるの文言を添えるだけでいいはずでしたが<br>(氏名表示権はmirahezeを提示する形で保証するということ)...--[[特別:投稿記録/60.104.118.246|60.104.118.246]] 2021年1月10日 (日) 17:11 (JST)
#*西鉄末期~西武初期の低迷もあり、通算200勝を達成できたかは微妙。それでも西武黄金時代前期の貴重な戦力として通算180勝位は挙げたと思う。
:::上記は私の書き込みです。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 17:12 (JST)
#福岡時代は東尾とともに投手陣の柱として活躍。その後チームの西武への身売りと同時かその前後にトレードで放出、となっていた可能性も。
::::貴殿のサイト含め、しばらくは私の投稿した画像の利用は控えていただきたく存じます。--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] ([[利用者・トーク:吉田宅浪|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 17:27 (JST)
#*田淵獲得の際の交換要員として真弓らとともに阪神へ、となっていたかも。
:::::しばらくは今まで通りあなたやその他の方の画像の使用は控えますが、週刊誌が著作権表示をして多摩に暇人氏の画像を使ったように、画像利用は投稿者の情報(利用者名)を書けば使えます。<br>よって、履歴が判明し次第使用します。<small>履歴が分からない以上chakurikiの画像全てを使わないでいただきたいと言われているのと同じですね。</small>一応言っておきますが私は画像は代替を見つけて使用、<br>記事はmiraheze公開後にmirahezeやmirahezeのアーカイブに履歴をリンクさせる(mirahezeだと記事名移動や削除のたびに対応する必要がある)、テンプレートや単純なカテゴリは著作権性がないものとみなして使用しています。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 17:44 (JST)
 
::::::厳密に言うとアーカイブサイトから持ってくることも可能ですが面倒なので代替画像を探します。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 17:45 (JST)
===門田博光(1968年・阪急)===
:::::::日本語がきちんと通じない方のようで残念ですが、私以外の方の画像については、それぞれの考えがあるのでどうこう言うつもりはありません。ただ、関係ないサイトで、私の投稿した画像を利用するのはお控えくださいと申し上げておるだけです。(Miraheze版だろうがなんだろうがにリンクされようとそうであるまいと、使用しないでください。)--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] ([[利用者・トーク:吉田宅浪|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 18:49 (JST)
#現実以上の大豊作ドラフトとして語り継がれる。
:::::::::近代的価値観がきちんと通じない方の様で残念ですが法的に問題がないものに何故指図を受けなければならないのですか。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 18:56 (JST)
#阪急黄金期の成績がさらに向上していた。
:::::::::::以後、私に対するお願いと称する不当な要求は扱いません。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 18:59 (JST)
#*西本監督時代に1度は日本一になっていたかも知れない。
::::::::::::都合が悪くなると、そういう風に仰るのは、なにか痛いところを突かれたからでしょうか?「画像は各著作権者に属する」と[[Chakuwiki・トーク:著作権]]で書いているのはあなたですね。そしてその著作権者が、今後の使用は控えるよう求めているにもかかわらず、使用を続けることこそ法的に問題があるものと思料いたします。(Wikipediaに上がっている画像みたいに、完全に権利放棄することを前提にアップしたものなら話は別ですが。)--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] ([[利用者・トーク:吉田宅浪|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 19:25 (JST)
#戸板で搬送されることはなかった。
:::::::::::::画像は一切使用していないというのはさておき、画像も投稿されたものであり、[https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/net/1607784895/233-235 この通り]、著作権は一刀氏にあり、<br>さらにパブリックドメインになるという解釈が成り立ちます。この指摘の後に「他所から引用した文章または画像」というのを通常であれば<br>他所から引用したという文言が画像の部分までかかっていると解釈するのが順当であると考えを変えました。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 19:44 (JST)
#加藤英司がレギュラーに定着できず他球団に移籍していた可能性も。
権利者による削除要請の方法は現在準備中ですのでお待ち下さい。他サイトの話題は別の場所でお願いします。--[[利用者:Chakuwiki|Chakuwiki]] ([[利用者・トーク:Chakuwiki|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 19:30 (JST)
#*それはない。その代わりに、大熊忠義氏の引退が早まっていたか、バーニー・ウイリアムス氏の入団はなかった可能性の方が高い。
:対応、深く感謝します。Fandom版よりこちらのほうがよっぽどマトモで良かったです。--[[利用者:吉田宅浪|吉田宅浪]] ([[利用者・トーク:吉田宅浪|トーク]]) 2021年1月10日 (日) 19:32 (JST)
#南海末期の成績が更に悲惨な状況になり身売りが早まっていたかも。
::宣言、深く敬意を表します。目的ありきで法律に基づかず理屈で反論できず悔し紛れに余計な一言で因縁をつけられる問題利用者よりChakuwikiさんのほうがよっぽどマトモで良かったです。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 19:37 (JST)
#門田本人は阪急・オリックスとブレーブス一筋でプレーし「ミスターブレーブス」と呼ばれていたかも知れない。
::上に、不適切な解釈だった可能性があると書いているにもかかわらずそれ以前の書き込みを根拠に矛盾を突いたかのようにおっしゃられるのは自由ですが<!--ここから-->誰もついてきませんよ<!--ここまでブーメラン-->。--[[利用者:未来切手|未来切手]] ([[利用者・トーク:未来切手|問い合わせ先其之壱]] [[特別:投稿記録/未来切手|足跡]]) 2021年1月10日 (日) 19:51 (JST)
#*ブーマーとのハイタッチで肩を脱臼、は史実通り、か?
[[Chakuwiki:著作権]]を公開しました。--[[利用者:Chakuwiki|Chakuwiki]] ([[利用者・トーク:Chakuwiki|トーク]]) 2021年1月12日 (火) 15:05 (JST)
#最も低い指名順位でプロ入りした名球会員と呼ばれる。
#引退後、朝日放送の解説者に就任していた場合、福本豊氏との交流が盛んになっていた。
#*サンテレビの「熱血!!タイガース党」に出演していたかもしれない。
 
===荒川尭(1969年・大洋)===
*厳密には期限ギリギリに入団している。
#暴漢に襲われることもなく、大洋の三塁手として80年代前半まで君臨した。
#*クリート・ボイヤーは入団しなかった。
#*田代富雄はブレイクが遅れていた。
#*『がんばれ!レッドビッキーズ』に出演することはなかった。
#養父である荒川博が大洋の監督に就任していた。
#新人のトレード禁止規定は今の形になってなかったかもしれないから、江川はもっと早期に巨人に移籍できていたかも。
 
==1970年代==
===新井宏昌(1970年・近鉄)===
#1979年の初優勝及び1980年の連覇に貢献。
#*しかし当時の近鉄外野陣は栗橋茂、佐々木恭介、平野光泰と実力者が揃っていたため、レギュラーで活躍できたかどうかは微妙。
#1989年の優勝にも史実通り貢献し、近鉄一筋で現役生活を終える。
#*史実でのトレード相手だった山口哲治も近鉄一筋で現役生活を終えていた。
#登録名は本名<!--帰化前なので厳密には通名だが-->の「新井鐘律」のままだったかもしれない。
 
===福間納(1970年・阪急)===
#阪急の日本一3連覇に貢献していた。
#*「優勝請負人」と呼ばれていた。
#*1978年の日本シリーズでは、投手陣で困ることがなかったので、日本一になることができたかもしれない。
#谷村智啓氏とのトレードで阪神に移籍していた。
#1年遅れて入団していた可能性が高い。
 
===山倉和博(1973年・南海)===
#香川伸行の南海への入団はなかった。
#城島の師匠は山倉だった。
#巨人は優勝回数は史実より少なかった。
#退団の原因となっていた山倉が巨人でコーチをやっていた可能性は低いので、デーブ大久保はもう少し長く巨人に在籍していた。
 
===古賀正明(1974年・阪神)===
#阪神の投手陣が史実より充実していた。
#トレードに出されたのは史実通り。
#1975年に、新人王を獲得していた。
 
===住友一哉(1975年・阪急)===
#史実より活躍していた。
#阪急はV5を達成していた。
#同じ徳島県出身の上田利治氏と長池徳士氏から可愛がられていた。
#引退後は、スコアラーやスカウトやコーチや球団職員を歴任していた。
 
===江川卓===
[[もし江川問題が○○だったら]]
 
===森繁和(1976年・ロッテ)===
#リリーフ転向はなかったかもしれない。
#1978年ドラフトで江川を指名する球団が増えていた。
#落合監督就任後に中日の投手コーチを務めるのは史実通り。
 
===川口和久(1977年・ロッテ)===
#ロッテは史実以上に好成績を収めていた。
#*10.19はロッテと近鉄のパ・リーグ優勝を決める試合となっていたかもしれない。
#*逆に広島は低迷していた。
#それでも史実通りFAで巨人に移籍。
#*ロッテは川口の穴埋めとしてエリック・ヒルマンを獲得。
#その後はコーチを経てロッテの監督に就任。
 
===木田勇(1978年・広島)===
#1年目から北別府学との二枚看板で優勝に貢献。
#*史実では経験できなかった日本一も経験。
#*史実通り新人で投手タイトルを総ナメした場合、MVPは江夏豊ではなく彼になっていたかも。
#1981年の日本ハムは優勝できたかどうか微妙なところか。
 
==1980年代==
===川村一明(1980年・阪急)===
#史実より活躍していた。
#1984年の日本シリーズでは、確実に日本一になっていた。
 
===長冨浩志(1983年・ロッテ)===
#千葉移転後、小宮山悟と共に地元のエースとして親しまれる。
#終始ロッテでプレーし、引退後投手コーチに。
#*あるいは高橋慶彦とのトレードで広島へ、となっていたかも知れない。
#1985年ドラフトで広島は誰を1位指名しただろうか?
#*おそらく伊東昭光あたりかと(清原は当時の戦力とポジションを考えると恐らく回避の可能性が高い)
 
===蒲谷和茂(1984年・大洋)===
#中継ぎ投手として、重宝されていた。
#*交通事故に巻き込まれることがなかったので、史実以上に活躍していたことであろう。
#西武は1991年のドラフト会議で林尚克氏を指名していた可能性が高い。
 
===元木大介(1989年・ダイエー)===
#外国人に頼らずとも小久保、松中と共にクリーンアップを形成していた。
#*城島、ズレータも含めて超重量打線に・・・。
#**元木の出番がないような気がする・・・
#**2番レフトとしてダイハード打線の一翼を担う。
#**正遊撃手に定着し、鳥越の移籍はなかった。
#*ダイエーは史実より早く1990年代半ばには弱小球団から脱皮していた。
#**生卵事件もなかった。
#FA宣言し巨人移籍を試みるが、王監督に説得され思いとどまる。
#*というか王監督になった時点で解雇されるのでは。
#**本人はもともとホークスのファンだったので、小学校時代に王氏と会わなければ、意中の球団として入団していた可能性がある。
#あのキャラクターから巨人以上に叩かれる。
#大神いずみと結婚しない。
#*在福局の女子アナ、もしくはローカルタレントが結婚相手だった?
#お姉ちゃんと遊ぶ場所が中洲になる。
#1990年ドラフトでは巨人は小池秀郎を1位指名し、1989年ドラフトの野茂の8球団競合を超えて9球団1位競合になる。
#大越基の入団時に2人が高校時代に甲子園で対戦したことが話題に上る。
#ハワイ留学はないのでその時のチームメイトだったベニーは赤の他人に。
 
==1990年代==
===小池秀郎(1990年・ロッテ)===
#1995年のバレンタイン監督初就任の年に優勝していた。
#*マリーンズになってから2~3回は優勝していた。
#*バレンタイン就任までは投げてもなかなか勝てない不運な投手として同情されていた、と思う。
#*引退は数年遅れていた。
#*黒木・小宮山と並ぶ三本柱になっていた。
#1996年の開幕投手を務める。
#*なので[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]の王監督の開幕投手には格というものがという発言は無かった。
#ロッテになじめず近鉄時より悲惨な成績に。
#史実通り中日にトレード、という可能性も。
 
===福留孝介(1995年・近鉄)===
#アトランタ五輪には参加していなかった。
#中村、ローズ、福留の最強クリーンアップが実現していた。
#*クラークは獲得していなかった。
#**礒部公一も捕手のままだったか、外野に転向していてもレギュラーを取れなかった。
#*日本一になっていた…、かな?
#オリックスとの合併時にFA宣言し中日に移籍。
#*史実より早くメジャーへ移籍したかもしれない。
#**その場合、2013年に日本球団に復帰して阪神に入団するのは現実通りだが、元が在阪球団の選手だっただけに人気は現実以上だっただろう。
#2002年の松井秀喜は三冠王を獲っていた。
 
===新垣渚(1998年・オリックス)===
#1年目からオリックスのエースとして活躍し、松坂との熾烈な新人王争いをしていた。
#しかし、ダイエーに対する未練は残っていて、2004年オフに合併のどさくさに紛れて、ソフトバンクにFA移籍。
#*FA権取るのは早くても2006年では?
#三輪田さんは自殺せずに現在もオリックスでスカウト部長をしていた。
#*三輪田さんの実力で良い選手を獲得することができ、オリックスの戦力が今より少しマシになっていた。
#彼のシーズン暴投記録は2003年にオリックスで達成していた。
#2004年時点での成績によっては、分配ドラフトで楽天に移籍していた可能性もある。
 
==2000年以降==
===内海哲也(2001年・オリックス)===
#ブレイクできない、あるいは大幅に遅れていた。
#*オリックスは高卒の生え抜きを育てるのが下手だし・・・。
#結局どこかで巨人にトレードされ、そこでようやく活躍の場を得ていた。
#*おそらく谷と同時に移籍した。
#*それでも、炭谷銀仁朗の人的補償で西武に移籍するのは史実通り(2018年度の内海の成績にもよるが)。
#李景一が巨人に指名されなければ拒否しなかったかもしれない。
 
===福井優也(2005年・巨人)===
#結局芽が出ることがなく一軍登板がないまま解雇になっていた(同じくドラフト下位指名の東野のように這い上がってくる、という可能性もなくはないが…)
#*退団後に広島に拾われて後は史実通りになった可能性も。
#早稲田大学で斉藤佑樹・大石達也と同僚になることもなかった。
#2010年のドラフトでは広島も大石を指名していた可能性も。
 
===長野久義===
;2006年・日本ハム
#4番を任されていた可能性も。
#坪井智哉はこの時点で引退していた。
#*おそらく長野の背番号は坪井の7、もしくは小笠原の移籍で空き番になっていた2。
#*他球団に拾われていて現役続行もあった、場合により阪神復帰も。
#中田翔を獲得しに行かなかったかもしれない。
#2008年オフに二岡智宏・林昌範とのトレードでM・中村とともに巨人に移籍。
#糸井嘉男のブレイクもなかったかも。
#Hondaは2009年の都市対抗で優勝できなかった。
 
;2008年・ロッテ
#2009年ドラフトでは巨人も菊池雄星を指名していた。
#大村三郎(サブロー)が巨人に移籍することはなかった。
#*サブローの代わりに巨人に移籍した。
#レフト角中・センター岡田・ライト長野という12球団屈指の外野になっていた。
 
===木村雄太(2006年・横浜)===
#投手事情が悪いので1年目から酷使されていた。
#しかし、裏金発覚時に強制的に2軍落ち。残りシーズンの1軍昇格禁止に。
#*横浜球団も厳重注意処分になっていた。
#2009年オフに清水直行とのトレードでロッテに移籍。
#*となると、那須野巧はどこにトレードされていたのだろうか。
#さすがに初勝利まで7年もかかるということはなかったはず。
 
===菅野智之(2011年・日本ハム)===
#入団発表は斎藤佑樹同様札幌ドームで行われていた。
#2012年の巨人は東浜巨の指名に動いていた。
#*大谷翔平かもしれない。
#おそらく背番号はダルビッシュの着けていた11。
#*翌年大谷翔平が入団した場合は大谷は何番になっていたことやら?
#ローテーション入りしていたら、2012年日本シリーズで原監督率いる巨人との対決が実現
#*もし敗戦投手になっていたら「スパイ」「八百長」等マスコミやアンチ巨人が騒いでいた。
#**そして「だから菅野は巨人に入ったほうが良かった」と不毛な言い争いが発生した。
#栗山も後任に原が就任なんてことも。
 
==関連項目==
*[[もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら]]
 
[[category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|とらふとしめいきよひ]]

2021年1月13日 (水) 01:03時点における版

この項目では最終的にプロ入りした選手を扱います。最終的にプロ入りしなかった選手の場合はもしあの選手が日本プロ野球入りしていたらへお願いします。

1960年代

平松政次(1965年・中日)

  1. 巨人のV9はなかった。
  2. 通算250勝していた。
  3. あるいは「雨、雨、権藤、雨、権藤」が「雨、雨、平松、雨、平松」になっていた。
    • この場合、投手としての寿命は3年程度だった。
      • 通算白星は100勝程度か?
  4. 大洋、横浜からは生え抜きの200勝投手は出ない。
  5. カミソリシュートを会得していたか怪しい。
  6. 同郷の星野仙一と打倒巨人に燃えていた。

江本孟紀(1965年・西鉄)

  1. 史実よりは活躍できなかった。
    • えっ、もっと活躍したのでは?
    • ノムさん補正が(ry
  2. 「ベンチが(ry」発言もなかった。
    • あるいは田淵らとのトレードで阪神入りし史実通りの現役末期を過ごす。
  3. 彼の告発により、八百長事件が史実より早く露見する。

山田久志(1967年・西鉄)

  1. 阪急は史実より成績が低下していた。
    • 初日本一は早くて1980年代、下手すればオリックスになってからだったかもしれない。
  2. 11位という下位指名のため、入団後しばらくはファーム生活が続いたかもしれない。
    • 西鉄末期~西武初期の低迷もあり、通算200勝を達成できたかは微妙。それでも西武黄金時代前期の貴重な戦力として通算180勝位は挙げたと思う。
  3. 福岡時代は東尾とともに投手陣の柱として活躍。その後チームの西武への身売りと同時かその前後にトレードで放出、となっていた可能性も。
    • 田淵獲得の際の交換要員として真弓らとともに阪神へ、となっていたかも。

門田博光(1968年・阪急)

  1. 現実以上の大豊作ドラフトとして語り継がれる。
  2. 阪急黄金期の成績がさらに向上していた。
    • 西本監督時代に1度は日本一になっていたかも知れない。
  3. 戸板で搬送されることはなかった。
  4. 加藤英司がレギュラーに定着できず他球団に移籍していた可能性も。
    • それはない。その代わりに、大熊忠義氏の引退が早まっていたか、バーニー・ウイリアムス氏の入団はなかった可能性の方が高い。
  5. 南海末期の成績が更に悲惨な状況になり身売りが早まっていたかも。
  6. 門田本人は阪急・オリックスとブレーブス一筋でプレーし「ミスターブレーブス」と呼ばれていたかも知れない。
    • ブーマーとのハイタッチで肩を脱臼、は史実通り、か?
  7. 最も低い指名順位でプロ入りした名球会員と呼ばれる。
  8. 引退後、朝日放送の解説者に就任していた場合、福本豊氏との交流が盛んになっていた。
    • サンテレビの「熱血!!タイガース党」に出演していたかもしれない。

荒川尭(1969年・大洋)

  • 厳密には期限ギリギリに入団している。
  1. 暴漢に襲われることもなく、大洋の三塁手として80年代前半まで君臨した。
    • クリート・ボイヤーは入団しなかった。
    • 田代富雄はブレイクが遅れていた。
    • 『がんばれ!レッドビッキーズ』に出演することはなかった。
  2. 養父である荒川博が大洋の監督に就任していた。
  3. 新人のトレード禁止規定は今の形になってなかったかもしれないから、江川はもっと早期に巨人に移籍できていたかも。

1970年代

新井宏昌(1970年・近鉄)

  1. 1979年の初優勝及び1980年の連覇に貢献。
    • しかし当時の近鉄外野陣は栗橋茂、佐々木恭介、平野光泰と実力者が揃っていたため、レギュラーで活躍できたかどうかは微妙。
  2. 1989年の優勝にも史実通り貢献し、近鉄一筋で現役生活を終える。
    • 史実でのトレード相手だった山口哲治も近鉄一筋で現役生活を終えていた。
  3. 登録名は本名の「新井鐘律」のままだったかもしれない。

福間納(1970年・阪急)

  1. 阪急の日本一3連覇に貢献していた。
    • 「優勝請負人」と呼ばれていた。
    • 1978年の日本シリーズでは、投手陣で困ることがなかったので、日本一になることができたかもしれない。
  2. 谷村智啓氏とのトレードで阪神に移籍していた。
  3. 1年遅れて入団していた可能性が高い。

山倉和博(1973年・南海)

  1. 香川伸行の南海への入団はなかった。
  2. 城島の師匠は山倉だった。
  3. 巨人は優勝回数は史実より少なかった。
  4. 退団の原因となっていた山倉が巨人でコーチをやっていた可能性は低いので、デーブ大久保はもう少し長く巨人に在籍していた。

古賀正明(1974年・阪神)

  1. 阪神の投手陣が史実より充実していた。
  2. トレードに出されたのは史実通り。
  3. 1975年に、新人王を獲得していた。

住友一哉(1975年・阪急)

  1. 史実より活躍していた。
  2. 阪急はV5を達成していた。
  3. 同じ徳島県出身の上田利治氏と長池徳士氏から可愛がられていた。
  4. 引退後は、スコアラーやスカウトやコーチや球団職員を歴任していた。

江川卓

もし江川問題が○○だったら

森繁和(1976年・ロッテ)

  1. リリーフ転向はなかったかもしれない。
  2. 1978年ドラフトで江川を指名する球団が増えていた。
  3. 落合監督就任後に中日の投手コーチを務めるのは史実通り。

川口和久(1977年・ロッテ)

  1. ロッテは史実以上に好成績を収めていた。
    • 10.19はロッテと近鉄のパ・リーグ優勝を決める試合となっていたかもしれない。
    • 逆に広島は低迷していた。
  2. それでも史実通りFAで巨人に移籍。
    • ロッテは川口の穴埋めとしてエリック・ヒルマンを獲得。
  3. その後はコーチを経てロッテの監督に就任。

木田勇(1978年・広島)

  1. 1年目から北別府学との二枚看板で優勝に貢献。
    • 史実では経験できなかった日本一も経験。
    • 史実通り新人で投手タイトルを総ナメした場合、MVPは江夏豊ではなく彼になっていたかも。
  2. 1981年の日本ハムは優勝できたかどうか微妙なところか。

1980年代

川村一明(1980年・阪急)

  1. 史実より活躍していた。
  2. 1984年の日本シリーズでは、確実に日本一になっていた。

長冨浩志(1983年・ロッテ)

  1. 千葉移転後、小宮山悟と共に地元のエースとして親しまれる。
  2. 終始ロッテでプレーし、引退後投手コーチに。
    • あるいは高橋慶彦とのトレードで広島へ、となっていたかも知れない。
  3. 1985年ドラフトで広島は誰を1位指名しただろうか?
    • おそらく伊東昭光あたりかと(清原は当時の戦力とポジションを考えると恐らく回避の可能性が高い)

蒲谷和茂(1984年・大洋)

  1. 中継ぎ投手として、重宝されていた。
    • 交通事故に巻き込まれることがなかったので、史実以上に活躍していたことであろう。
  2. 西武は1991年のドラフト会議で林尚克氏を指名していた可能性が高い。

元木大介(1989年・ダイエー)

  1. 外国人に頼らずとも小久保、松中と共にクリーンアップを形成していた。
    • 城島、ズレータも含めて超重量打線に・・・。
      • 元木の出番がないような気がする・・・
      • 2番レフトとしてダイハード打線の一翼を担う。
      • 正遊撃手に定着し、鳥越の移籍はなかった。
    • ダイエーは史実より早く1990年代半ばには弱小球団から脱皮していた。
      • 生卵事件もなかった。
  2. FA宣言し巨人移籍を試みるが、王監督に説得され思いとどまる。
    • というか王監督になった時点で解雇されるのでは。
      • 本人はもともとホークスのファンだったので、小学校時代に王氏と会わなければ、意中の球団として入団していた可能性がある。
  3. あのキャラクターから巨人以上に叩かれる。
  4. 大神いずみと結婚しない。
    • 在福局の女子アナ、もしくはローカルタレントが結婚相手だった?
  5. お姉ちゃんと遊ぶ場所が中洲になる。
  6. 1990年ドラフトでは巨人は小池秀郎を1位指名し、1989年ドラフトの野茂の8球団競合を超えて9球団1位競合になる。
  7. 大越基の入団時に2人が高校時代に甲子園で対戦したことが話題に上る。
  8. ハワイ留学はないのでその時のチームメイトだったベニーは赤の他人に。

1990年代

小池秀郎(1990年・ロッテ)

  1. 1995年のバレンタイン監督初就任の年に優勝していた。
    • マリーンズになってから2~3回は優勝していた。
    • バレンタイン就任までは投げてもなかなか勝てない不運な投手として同情されていた、と思う。
    • 引退は数年遅れていた。
    • 黒木・小宮山と並ぶ三本柱になっていた。
  2. 1996年の開幕投手を務める。
    • なのでダイエーの王監督の開幕投手には格というものがという発言は無かった。
  3. ロッテになじめず近鉄時より悲惨な成績に。
  4. 史実通り中日にトレード、という可能性も。

福留孝介(1995年・近鉄)

  1. アトランタ五輪には参加していなかった。
  2. 中村、ローズ、福留の最強クリーンアップが実現していた。
    • クラークは獲得していなかった。
      • 礒部公一も捕手のままだったか、外野に転向していてもレギュラーを取れなかった。
    • 日本一になっていた…、かな?
  3. オリックスとの合併時にFA宣言し中日に移籍。
    • 史実より早くメジャーへ移籍したかもしれない。
      • その場合、2013年に日本球団に復帰して阪神に入団するのは現実通りだが、元が在阪球団の選手だっただけに人気は現実以上だっただろう。
  4. 2002年の松井秀喜は三冠王を獲っていた。

新垣渚(1998年・オリックス)

  1. 1年目からオリックスのエースとして活躍し、松坂との熾烈な新人王争いをしていた。
  2. しかし、ダイエーに対する未練は残っていて、2004年オフに合併のどさくさに紛れて、ソフトバンクにFA移籍。
    • FA権取るのは早くても2006年では?
  3. 三輪田さんは自殺せずに現在もオリックスでスカウト部長をしていた。
    • 三輪田さんの実力で良い選手を獲得することができ、オリックスの戦力が今より少しマシになっていた。
  4. 彼のシーズン暴投記録は2003年にオリックスで達成していた。
  5. 2004年時点での成績によっては、分配ドラフトで楽天に移籍していた可能性もある。

2000年以降

内海哲也(2001年・オリックス)

  1. ブレイクできない、あるいは大幅に遅れていた。
    • オリックスは高卒の生え抜きを育てるのが下手だし・・・。
  2. 結局どこかで巨人にトレードされ、そこでようやく活躍の場を得ていた。
    • おそらく谷と同時に移籍した。
    • それでも、炭谷銀仁朗の人的補償で西武に移籍するのは史実通り(2018年度の内海の成績にもよるが)。
  3. 李景一が巨人に指名されなければ拒否しなかったかもしれない。

福井優也(2005年・巨人)

  1. 結局芽が出ることがなく一軍登板がないまま解雇になっていた(同じくドラフト下位指名の東野のように這い上がってくる、という可能性もなくはないが…)
    • 退団後に広島に拾われて後は史実通りになった可能性も。
  2. 早稲田大学で斉藤佑樹・大石達也と同僚になることもなかった。
  3. 2010年のドラフトでは広島も大石を指名していた可能性も。

長野久義

2006年・日本ハム
  1. 4番を任されていた可能性も。
  2. 坪井智哉はこの時点で引退していた。
    • おそらく長野の背番号は坪井の7、もしくは小笠原の移籍で空き番になっていた2。
    • 他球団に拾われていて現役続行もあった、場合により阪神復帰も。
  3. 中田翔を獲得しに行かなかったかもしれない。
  4. 2008年オフに二岡智宏・林昌範とのトレードでM・中村とともに巨人に移籍。
  5. 糸井嘉男のブレイクもなかったかも。
  6. Hondaは2009年の都市対抗で優勝できなかった。
2008年・ロッテ
  1. 2009年ドラフトでは巨人も菊池雄星を指名していた。
  2. 大村三郎(サブロー)が巨人に移籍することはなかった。
    • サブローの代わりに巨人に移籍した。
  3. レフト角中・センター岡田・ライト長野という12球団屈指の外野になっていた。

木村雄太(2006年・横浜)

  1. 投手事情が悪いので1年目から酷使されていた。
  2. しかし、裏金発覚時に強制的に2軍落ち。残りシーズンの1軍昇格禁止に。
    • 横浜球団も厳重注意処分になっていた。
  3. 2009年オフに清水直行とのトレードでロッテに移籍。
    • となると、那須野巧はどこにトレードされていたのだろうか。
  4. さすがに初勝利まで7年もかかるということはなかったはず。

菅野智之(2011年・日本ハム)

  1. 入団発表は斎藤佑樹同様札幌ドームで行われていた。
  2. 2012年の巨人は東浜巨の指名に動いていた。
    • 大谷翔平かもしれない。
  3. おそらく背番号はダルビッシュの着けていた11。
    • 翌年大谷翔平が入団した場合は大谷は何番になっていたことやら?
  4. ローテーション入りしていたら、2012年日本シリーズで原監督率いる巨人との対決が実現
    • もし敗戦投手になっていたら「スパイ」「八百長」等マスコミやアンチ巨人が騒いでいた。
      • そして「だから菅野は巨人に入ったほうが良かった」と不毛な言い争いが発生した。
  5. 栗山も後任に原が就任なんてことも。

関連項目