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*明治時代、山陽鉄道(現・[[山陽本線]])が県庁所在地・[[山口市]]を経由しない路線になったのでそれでは不便ということで、[[下関市]]と[[防府市]]が新たな県庁所在地の候補に名乗りを上げた、もしこの時防府に移転していたら。


== 改革結集の会 ==
{{駅名標/西日本|name=防府|ruby=ほうふ|roma=Hōfu|back=しんしものせき|back2=Shin-Shimonoseki|next=とくやま|next2=Tokuyama}}
;山田太郎(参議院議員)
{{駅名標/西日本|name=防府|ruby=ほうふ|roma=H&#333;fu|back=<small>はなぎ/すおうみやいち</small>||back2=Hnagi/Shu&#333;-Miyaichi|next=むれ|next2=Mure}}
#史実通り、民進党にはいなかった。
#県庁を誘致したために下関とは犬猿の仲。
#*どっちにしても、下関市民は山口や防府に背を向けて、対岸の九州に目を向けている。
#**下関市は佐波県から脱退して、対岸の[[もしあの県が存続していたら#小倉県|企救県]](県庁:[[北九州市|小倉]])に加入する。
#***下関の人口が少し減っている、近年の合併でようやく20万を越す。
#****萩や長門市とも犬猿の仲とも思われる。
#*****話は異なるが、浜田県が存続した場合、萩や長門は浜田県に属していた可能性あり。
#******ちょっと遠くないかな。
#[[山口]]県はそれほど地味ではなかった。
#明治維新で活躍したのに、県名と市が一致しないため小学生を中心に混乱を招く。
#*宮武外骨が「幕府側に付いた藩は県庁所在地の名を県名にできなかった」という説を唱えることはなかった。
#*そもそも「山口県」にならない。今の県名はもともと広域地名ではなく、「県庁が置かれた場所の地名。すなわち防府県になる。
#**山梨県の県庁所在地甲府市が「甲斐国」の「国府」で「甲府」なように,「旧国+府名→県名」そのままにはなりにくいのでは? 「佐波県」「吉敷県」とかかな?
#***維新で活躍したのに県名が違うのは長州が蛤御門で御所に発砲したからだと噂される。
#防府は明治時代とっくに市になっている。
#*その代わり、山口市の市制施行が昭和にまでずれ込む。
#**現実でも昭和だが。
#***市制施行なんて無理でしょう。
#防府駅は昭和時代にとっくに高架化していた。
#*もちろん2面2線以上。
#**駅ビルまで完成している。
#防石鉄道は予定通り完成し、国鉄に買収された後「山口線」となる
#*いや、防石線になる。
#**そして山口市内に鉄道は通ることはありませんでした・・・。
#***いや、防府から萩に向けての防長線がバスではなく鉄道化され、その中間駅に湯田・山口ができる。
#[[西日本旅客鉄道/広島支社#宇部線・小野田線の噂|宇部線]]は防府が起点に。
#*小郡はただの田舎町となり、防府のベッドタウンとなる。
#**宇部線は私鉄のままで、本州最西端の私鉄に。
#***いや、どのみち戦時中に買収されている。
#新幹線は[[山口の駅/周防#防府駅の噂|防府]]に止まる。
#*そうなると山口県内の駅は新下関・防府・徳山・新岩国?
#**そして平成になり防府にのぞみが止まるようになる。
#***平成9年に新宇部駅が設置される。
#防府天満宮が日本最古の物だと現実以上にPRする。
#*大宰府天満宮がある福岡県に敵対心を燃やす。
#**未完成の五重の塔を町おこしに作ろうとする。
#*防府空襲で市街地が壊滅し、防府天満宮が焼失したかも。
#現実以上に化学工場が進出しそこそこ発展する。
#*その結果徳山・宇部の影が薄くなる。
#海軍兵学校を防府に移転するように国に陳情する。
#*戦時中、海軍兵学校防府分校はあった。
#*築地から江田島に移転した理由が「田舎」ということなので、移転が実現したとしても周辺の開発は規制される。
#**弥山登山が大平山登山になる。
#**防府の飛行場は海上自衛隊の基地になる。
#戦時中、空襲の標的になり、市街地はほぼ壊滅する。
#*その結果、防府天満宮及びに毛利邸等貴重な史跡が全焼。
#**原爆の標的に入れられた可能性も有り。
#平成の大合併で政令指定都市を目指し、山口市、宇部市、徳山市、新南陽市を編入する。
#*現在の山口市の吸収合併ほどはおかしくならない。
#**周南という変な名前の町は生まれない。
#***その代わり西京市なるものが誕生し格好のネタに。
#[[広島市|広島]]まではいかないまでも、[[福山市|福山]]規模の人口になっていた。
#*現在の人口は40万〜50万くらい。
#*いや、防府に県庁が移ったくらいでそこまではいかない。ただ、山口が発展しないことや、新幹線の駅が中心にあるといったことを鑑みると、それでも30万都市にはなっていたと思われる。
#山口の都市は分散型ではなく一極集中へ
#*現実ほど「広島の属国」や「小倉の属国」にはならなかったはず。
#戦後空襲で焼けた防府の復興計画の一環として港湾と工業地域が開発され下関の機能の一部を奪う。
#佐波県になっていた。(防府は佐波郡に属する為)
#向島から一匹も狸がいなくなる。
#佐波県と下関県に分離している。
#*と、議会で可決されそうになるが、県民が傍聴席で県歌を大声で熱唱したために取り消しとなった。
#**それでも萩と長門市はちゃっかり浜田県に属している。
#***長門と周防で長州藩だったから分離なんてしないと思う。
#山口大学ではなく防府大学ができる。
#*[[防衛大学校]]と間違えられる。
#東京に出て行く人が少なくなる、(県庁所在地である防府を目指す人もいるので)。
#路面電車まで走っている。
#*防府市交通局が設立されるか私鉄になるか。
#CHAKUWIKIに「もし山口県庁が山口にあったら」や勝手に交通整備で「防府市営地下鉄」等のページが作られていた。
#*もちろんすでに「偽防府の特徴」のページも作られていた。
#夏目雅子の墓は違う場所にあったかもしれない。
#ユニクロの本社も置かれている。
#防府には[[アニメイト]]も進出していたでしょう。
#山陽本線に華城駅や牟礼駅が設置されていた。
#人口密度高そう・・・。
#[[桃太郎電鉄]]にも早い段階で防府駅が登場した。
#防府市を舞台としたアニメも作られていただろう。
#ジャスコ・長崎屋・そごうが出店していた。
#民放TV局は恐らく在福岡局のエリア。
#*加えて防府に本拠を置く独立U局が置かれる。
#*それはどうかな?むしろ在山放送局の本社が防府市に置かれるかも。(実史のKRY本社は、周南市(旧:徳山市)に置かれ、tysとyabは山口市に置かれている。)
#**仮にKRYが徳山で開局しても、テレビ放送開始までには防府に拠点を移しているかも。
#山口ナンバーはなく、周防ナンバーと下関ナンバーに分かれている。
#関門橋を西鉄が走っている。
#周防も会津の敵に見做されていたはず。
#*加えて浜田県になっている石見も。
#城下町ではないので他の中国地方の県庁所在地にコンプレックスを感じている。
#*むしろ、変に縦社会にならずに済んだと思う。必ずしも城下町=県庁所在地ではないので。
#*防府は、律令時代の「国府所在地」を売りにしている。
#戦前は軍都だった。
#現在の山口線の方が山陰本線になり、益田から向こうは萩線になっていた。
#国道9号は防府市で国道2号と合流していた。
#*寧ろ、[[国道9号]]は[[萩市|萩]]を経由して、下関が終点になっていた。
#**山口を経由して小郡と益田を結ぶ路線は、三桁国道になっていた。
#**防府と萩を結ぶ路線が、国道55号になっていた。そして、史実の国道55号以後の路線は、一つ後にずれている(史実の国道55号→国道56号)。
#中国自動車道と山陰自動車道は防府で接続し、防府JCTが設置されていた。
#*山陰自動車道も、防府終点ではなく、萩経由になっていた。
#JRバス防長線は「国鉄防長線」として鉄道で建設されていた。
#大平山が夜景の名所として有名になる。
#山口銀行や西京銀行の本店も防府に置かれた。
#支店経済都市になることは間違いない。
#*接待向けにおいしいフグを提供する店も多くできたであろう。
#広島・岡山・倉敷・福山・防府と中国地方第五の都市になっていた。
#防府北基地の位置に防府空港ができていた。
#秋穂・阿知須が市になっていた。
#*最近になって編入される。
#北九州・防長工業地帯と呼ばれていた。
#山陽鉄道開業時から防府を名乗るため三田尻がマイナーになっていた。
#防石鉄道は電化されて東京の私鉄のお古が走っている。
#*防長交通は防石鉄道に吸収されていた。
#山梨の甲府と間違えられる(特に、地理に疎い人は混乱する)。


== 希望の党 ==
{{もし県庁}}
;山田太郎(参議院議員)
[[カテゴリ:もしあの県の県庁が○○に置かれていたら|やまくち]]
#2017年の衆議院選挙には当然出馬していた。
[[カテゴリ:山口|もしけんちようかほうふし]]
#*仮に当選していたら、共同代表に就任していた?
 
==[[自由民主党]]==
*[[もし自由民主党にあの政治家が所属していたら]]
 
==[[社会民主党]]==
;大橋巨泉
議員辞職時には社民党の議員たちが辞職を止める場面も。もし社民党に所属していたら。
#土井たか子党首辞任後に党首に就任していた。社民党の衰退はこれほど進まず、一定の勢力を維持できていた。
#*福島みずほは、党首になれなかったかも知れない。
 
;山田太郎(参議院議員)
#表現規制反対という点では主要政党の中でもっとも強く掲げているところだが・・・
#ネットからの支持は低かった。
#2016年の参議院選挙では、党首・副党首が落選しながら彼が当選するという異例の事態になっていた。
#*山田太郎の得票率を足しても獲得議席は増えない。
#*事実上乗っ取って「表現の自由を守る党」にしていたか?
 
;山本太郎
#気づいたら福島瑞穂の後継として党首になってそう。
 
;蓮舫
#もしかしたら、今頃は社民党の党首として活躍していたかも。
#*勿論、民進党の代表にはなっていない。
#*場合によっては、社民党は民進党に吸収合併されてたかも知れない?
 
==改革クラブ==
;姫井由美子
#生活の党には参加せず2013年の任期満了まで参議院議員だった。
#たちあがれ日本と会派を組んでいたら「姫と虎のツーショット」が見られたか。
 
==[[新党改革]]==
;小泉純一郎
#荒井広幸は脱退していた。
#代表に就任していたら、公約はやはり「改革を止めるな」。
#舛添要一は代表に就任していなかった。
 
==新進党==
;小泉純一郎
#新自由主義者として大いに活躍していた。
#1995年自民党総裁選には当然出馬していない。
 
;中曾根康弘
*首相時代に数々の民営化を行った新自由主義者として有名。
#元自民党総裁の元首相が2人在籍していた。
#中曽根派は丸ごと新進党入りしていた。
#自社さ政権誕生時の首班指名で、社会党委員長の村山富市に投票することに反対していた。この時非自民側が海部俊樹ではなく中曽根を担いでいればあり得たのでは。
 
;前原誠司
*日本新党に在籍していたものの、新進党結党には参加せず新党さきがけに移籍。もし新進党結党に参加していたら、
#解党後は何処に属していただろうか。
#1996年衆院選の結果はどうなっていただろうか。
 
==[[日本維新の会]]==
;安倍晋三
#2012年の自民党総裁選では石破茂あたりが選ばれていた。
#*安倍氏に入っていた票が同じ町村派の町村氏に流れていただろうから、首相は町村氏では?
#石原慎太郎は維新の会に合流せず。
#*太陽の党は自民党に合流していた。
#場合によっては自維[[みんなの党|み]]連立が実現していた。
#*みんなの党にも維新の会にも消費増税反対派がいたからそれは無いのでは?(自民党は消費増税賛成。)
#「維新の党」は結成されず「日本維新の会」のままだった。
 
;菅義偉
#安倍晋三が2012年の自民党総裁選に出馬していなければこうなっていた。
#令和おじさんとして親しまれていなかった。
#2014年の分党の際は[[次世代の党]]側だった。
#*[[維新の党]]ではないか?
#*無所属を経て、自民党に復党していたかもしれない。
 
;松原仁
#2014年分党の際は橋下側だった。
 
==[[日本のこころ]]==
;松原仁
#元々民主党での数少ない保守派議員なので、それなりの地位も得ていた。
#以降、玄葉・野田・前原などの政経塾会派も日本の(略)に移籍するかもしれない。
#この方が彼の能力を発揮できただろう。もっとも党勢の衰退自体を防げたかどうかは分からないが。
#むしろたちあがれ日本の頃に参加していた。
 
==[[民主党]]==
;石破茂
*1994年に自民党を離党、新進党を経て1997年に自民党に復党しました。もし自民党に復党せず、違う政党に所属し続けていたら。
#小沢一郎と行動を共にし続けていたら、自由党を経て民主党所属となっていた。民主党内の保守系議員の代表格として頭角を現していた。
 
;小泉龍司
*2009年衆院選では連合埼玉推薦だったものの、民主党に入党せず。もし民主党に入党していたら、
#党内では右派という扱いになっていた。
#史実通り消費増税法案には賛成票を投じていた。
#*場合によっては反対票も有り得る。
#**その場合は未来の党結成に参加していたかも?
#いつの間にか自民党会派に復帰し、自民党に復党する事も無かった。
#*当然だが、自民系分裂戦(追加公認対決を含む)は無かった。
 
;小坂憲次
*羽田孜に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、民主党に入らず自民党に復党した
#2009年に落選せず、参議院議員転身はなかった。
#小坂家と関係が深い信濃毎日新聞は民主党の広報紙と揶揄されるような論調になっていた。
#篠原孝は別の選挙区から出馬していた。
 
;左藤恵
#娘婿の左藤章も民主党から出馬していた。
#*それでも2012年衆院選は林原由佳(維新)に議席をとられていた。
#川条志嘉は2012年衆院選も自民党から出馬していた。
 
;鈴木宗男
*自民党から新党大地結党を経て、現在日本維新の会所属ですが、一時期は民主党に接近した時期もありました。民主党に所属していたら。
#田中真紀子・辻元清美ら、鈴木宗男疑惑追及の中心だった人たちと同じ政党に所属することになる。
 
;武村正義
#つまり「排除の論理」が無かったらである。
#*流行語にはならなかった。
#*さきがけが話題になる事は無かった。
#さきがけの解党が早まったか。
#*さきがけ自体が民主党に正式合流していた。
 
;東国原英夫
#もしかしたら、代表にまで上り積めていたかも知れない。
#*その場合、民進党の迷走はなかった・・・?
#*2016年の民進党代表選挙で、かつてタレント時代の同僚だった蓮舫と対決していたかも。
 
;舛添要一
*もし自民党ではなく民主党に入党していたら、
#何となく党内右派だっただろうか。
#民国政権下では閣僚入りを果たしていた。
 
==民進党==
;山本太郎
#やはり無派閥。
#国民民主党結党前に離党し、[[立憲民主党]]に入党。
#東京選挙区から比例区への転出は史実通りか。
 
==みんなの党==
;石破茂
#新進党路線を受け継ぐ数少ない存在になっていた。
 
;小泉純一郎
#2010年参院選では比例区から出馬していた。
#顧問格に就任していた。
#2013年の分裂の際はどちら側に付いていただろうか?
 
;杉村太蔵
#青年局長に就任していた。
#[[たちあがれ日本]]にはいなかった。
#2020年現在も議員活動を続けているだろうか。
 
;長崎幸太郎
*所謂小泉チルドレンの一人。2009年に自民党離党し、以後無所属。(後の山梨県知事)
#当然だが2010年、2013年の参議院選挙では自民党候補を応援していなかった。
#*2010年の方では寧ろ出馬していた。
#*仮に当選していたら、山梨2区に戻る事は無かった筈。
#解党後は日本を元気にする会結成に参加していたかもしれない。
#*まさかの[[次世代の党]]?
#*[[維新の党]]も有り得る。
#*やはり無所属だろう。
 
;中村喜四郎(2代目)
#当然、最強の無所属議員とは呼ばれていなかった。
#いつの間にか自民党会派入りする事は無かった。
#代表代行か副代表に就任していた。
#*まさかの2代目代表就任?
#解党後はやはり無所属か?
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 政治史|あのせいとうにあのせいしかかしよそく]]
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