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*編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/日本の駅]]」をご覧ください。
==主な駅==
*[[秋葉原駅]]
*[[東京駅]]
*[[御茶ノ水駅]]
*[[東京23区の駅/港区#赤坂見附駅・永田町駅の噂|永田町駅]]


==JR==
==分割済み==
===有楽町駅・日比谷駅の噂===
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/新幹線]]
====有楽町駅の噂====
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/関東]]
{{駅名標/東日本|name=有 楽 町|ruby=ゆうらくちょう|roma=Yūrakuchō|back=新 橋|back2=Shimbashi|next=東 京|next2=Tōkyō|color=#99CC00|back-link=新橋駅|next-link=東京駅のホーム#山手線・京浜東北線(3~6番線)ホームの噂}}
*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿]]
[[画像:YurakuchoST00.jpg|thumb|200px|中央口]]
所在地: [[東京/千代田区#有楽町の噂|有楽町]]・丸の内
#周辺には乗換駅がゴロゴロあるが、どれも便利とは言えない立地関係にある。
#[[東京駅]][[東京駅のホーム/京葉線|京葉線ホーム]]へはこちらからも一応乗り換えは出来る。特に[[東京の劇場・コンサートホール#東京国際フォーラム|国際フォーラム]]からだと明らかに近い。
#*ただし、こちらの有人改札で通行券をもらい、東京駅側で当日中にそれを渡すこと。自動改札を通るなど、左記を怠った場合追加料金となる。
#*京浜東北線は9号車3番ドア、山手線は10号車品川寄りのドアが便利とのこと。
#*有楽町駅から徒歩5分ほど。ただし、直接乗り換えた場合でもあまり変わらない。
#*ちなみに、道中に相田みつを美術館がある。近道だもの。
#近くの宝くじ売場に大黒様が置いてある。
#*駅の中にも大黒様が置いてある。
#ガード下の[[吉野家]]は日本一の売上を誇っていた。
#*現在は少し場所を変えた上、2店舗に分散している。
#常磐線の電車が乗り入れていた。
#永田町・市ヶ谷・飯田橋・池袋・和光市・東武東上線、西武有楽町線・池袋線方面寄りの改札口の反対側に[[都営地下鉄三田線]]の日比谷駅が真向かいに在るのに対し、反対側の新富町・豊洲・新木場方面寄りの改札口はJR有楽町駅に近い。
#*エスカレーターだけの上り口は改札すぐそこがビックカメラ(D4出口)。銀座一丁目方の端は上がるとガードの真下あたり。
#麹町駅、小竹向原駅と同様に両端にしか改札口が無かったが、エレベーターが新設されたので専用の改札口が存在する。
#JRの乗換案内の車内放送では「地下鉄日比谷線、地下鉄有楽町線はお乗り換えです」と、何故か駅名が違う日比谷線の方を先に言う。
#京浜東北線快速は止まりません。


====日比谷駅の噂====
==二地域以上==
{{駅名標/メトロ|name=日比谷|roma=Hibiya|back=霞ケ関|back2=Kasumigaseki|next=銀座|next2=Ginza|symbol=H|s-no=08|next-no=09|color=#9caeb7}}
===東北本線===
{{駅名標/都営|name=日比谷|ruby=ひびや|roma=Hibiya|back=内幸町|back2=Uchisaiwaicho|next=大手町|next2=Otemachi|symbol=I|s-no=08|next-no=09|color=#0079c2}}
;1870年代
所在地: 有楽町一丁目
#東海道本線と同時に開業。でも、東海道本線と接触はしないかも。
#千代田線と日比谷線の乗り換えは近くて便利
#*直接接続しようとすると東京市街地を地上で貫通する必要があるため起点は史実通り上野だったと思われる。
#*そのためなのか小田急沿線から[[東京ディズニーリゾート|TDR]]や[[千葉市/美浜区#幕張メッセ|幕張メッセ]]等へ行く場合は日比谷・八丁堀乗り換えが最速であることが多い。
#やはり大宮はハブられる。
#*一方で有楽町線と他のメトロ線との乗り換えはと言うと…
#*高崎線開業時にやっぱり分岐駅として開業か?
#**有楽町線はまあ「有楽町駅」だからしょうがない。でも三田線への乗り換えはJRより楽。
#*高崎線がない状態での建設なら中山道沿いのルートなど端から通らないはず。つまり[[もし東北本線が日光街道沿いに敷設されていたら|日光街道沿い]]に敷かれる。
#[[銀座]]へも歩いてすぐ。
#建設スピードは史実より遅い。
#*東銀座までは雨の日でも濡れずに行ける。
#*当時金のなかった政府が自前で建設することになったと推定されるため。
#**丸の内地区へも歩いてすぐで、東京駅・大手町駅とも地下道で結ばれている。
#*利根川の渡がなくなる時期は変わらない。
#千代田線付近に日比谷公園と直結した出口がある。
#最初の部分開業は上野~大宮辺りか。
#名物となっている、日比谷線1番線(中目黒方面)を独占する[[テレビ東京|テレ東]]広告。神谷町か六本木でなく何故ここなのかは謎。
#*大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
#東京ミッドタウン日比谷に直結した出口は在るが階段とエスカレーターしか無い上に、どの駅からも改札口から中途半端な距離が在る。
#**と…なると県庁所在地は予定通り岩槻になっていたかもしれない。


*路線 - [[山手線]] [[京浜東北線・根岸線|京浜東北線]] [[東京メトロ有楽町線]](有楽町) 日比谷線 千代田線 [[都営地下鉄三田線]](日比谷)
===上越線===
*バス - 都営バス [[東急バス]] 丸の内シャトル 東京空港交通
;1900年代
#ルートは後閑駅付近から赤谷川沿いに進み三国峠で上越国境を越えるもの。
#*この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
#**代わりに猿ヶ京温泉が有名になっていた。
#*苗場にプリンスホテルは建設されていない。
#沼田から先は壮絶な難工事になっていた。
#一部区間はラック式鉄道が採用され後に輸送のネックになる。
#*碓氷峠と同時期に改良されていたかもしれない。
#*後に清水トンネル経由の新線が開業するかも。
#**新清水トンネルが複線構造になっていた。湯檜曽駅・土合駅は上り線ホームもトンネルの中にある。
#上越新幹線のルートは史実とあまり変わらない。
#川端康成『雪国』の書き出しが変わっている。
#*明治時代の技術で清水トンネルのような「国境の長いトンネル」はまず無理。
#「上越線」という名称ではなかった。
#*高崎線と合わせて「[[もしあの路線が本線だったら#高崎線・上越線|武越本線]]」かな。


===神田駅の噂===
===東海道本線===
{{駅名標/東日本|name=神 田|ruby=か ん だ|roma=Kanda|next=秋葉原|next2=Akihabara|back=東 京|back2=Tōkyō|color=#99CC00|back-link=東京駅のホーム#山手線・京浜東北線(3~6番線)ホームの噂|next-link=秋葉原駅}}
;1840年代
{{駅名標/東日本|name=神 田|ruby=か ん だ|roma=Kanda|next=御茶ノ水|next2=Ochanomizu|next-link=御茶ノ水駅|back=東 京|back2=Tōkyō|color=#f15a22|back-link=東京駅のホーム#中央線(1~2番線)ホームの噂}}
*この時代には各地で鉄道建設ラッシュでした。
[[画像:KandaSTSG00.jpg|thumb|160px|南口]]
#日本の鉄道歴史が大きく変わっていたかもしれない。
所在地: 鍛冶町二丁目/[[神田#神田須田町・神田淡路町の噂|神田須田町]]一丁目
#*というより定時法や新しい製鉄技術などの導入により日本史の流れ自体が激変している。
#中央線と山手線・京浜東北線との乗り換えは東京駅よりこちらの方が便利なのは最早常識?
#京駅(現・京都駅)~草津駅から建設されていた。
#*2015年から快速も止まるようになるのでその傾向は増々強まる
#*上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
#*ただし、秋葉原同様、上野東京ラインは通過
#**徳川幕府主導なら駿府-江戸-日光間が最優先だろう。その後尾張・水戸・紀伊へと支線を敷く構想を考えていたと思われる。
#*ただし中央線の起点で、特快も停まる。
#***江戸-駿府間が後の東海道本線に、江戸-日光間は後の東北本線と日光線になっていた。
#*中央線がJC、京浜東北線がJKなので「JCからJKに乗り換え」ができる。
#**当時の物流や人の流れを考慮するとまず東海道(江戸-京都・大坂)に建設していたのでは。
#京浜東北線快速が神田に停車したのは某都議会議員の政治力との噂。
#ついでに、中山道本線も開業。
#*あるいは、上野東京ライン建設による日照権の見返りとの噂も
#*当時の技術ではついでに開業できるほど楽に建設できたとは思えない。
#*いずれにせよここが地元で平成時代の東京都政を長らく牽引していた某都議会議員の影響力は凄かった。某都議会議員は2017年に78歳で引退しましたが。
#横浜駅ではなく神奈川駅と名乗っていたかもしれない。
#不自然なまでに淡路町駅寄りまで延びている銀座線の出入口がある。
#東海道新幹線のルートもかなり違う。
#*出入口に近い須田町交差点がかつて都電の要衝で、都電乗換の連絡通路だった名残。
#日本の開国相手がオランダではなくイギリスになっているのが前提条件。
#*昔は地下街があった。
#幕府?で鉄道導入を推進した人物が「超人的な先見の明の持ち主」として後世まで称えられる。
#神田とつくけど古本屋街も明神も近くにない。
#*当時アジアのどこにも鉄道はなく鉄道に乗ったことのある日本人も誰もいなかった。
#神田川にも明神にも御茶ノ水の方が近いためここが神田じゃなきゃ御茶ノ水が神田駅を名乗ってただろう。
#*「日本の鉄道の父」と呼ばれている。
#町割りと線路が綺麗な「X」の字状に交わっている。
#史実の中国(清)の鉄道草創期と同じように各方面から相当な反発を受ける。
#歴史ある神田の名前を冠しているが、完全なガード下の駅で、駅舎等は無く、構内も狭い。
#*線路や停車場への破壊工作が発生していたかもしれない。
#夜間、改札を1歩出ると異様な数の客引きが通りを占拠していてまともに歩けない。
#*[[ベタな鉄道忌避伝説の法則]]で言われている話が本当に存在したかもしれない。
#*条例だの、客引き行為等防止重点地区というのは完全に名ばかりで、キャッチと酔っ払いリーマンだらけのガラの悪い街。問題視された新宿(歌舞伎町)より酷い。天下の千代田区が何とかして欲しい。
#東京駅はなく江戸駅が存在した。
#**中央区日本橋地区から歩いて来ると、神田地区に入った瞬間が分かる。
#*新橋や丸ノ内ではなく日本橋辺りにできていたかもしれない。
#**町人地や大名屋敷が建て込んでいて建設不可かと。
#***ターミナル駅は史実の月島付近の新しい埋め立て地に建設していたと思われる。
#荷物列車が運行されていたとすれば飛脚が大打撃を受けていた。
#*江戸など市中の飛脚はむしろ栄えていたのでは。
#「徳川慶喜は日本初の鉄道ファン」という誤解が史実以上に広がっていたかもしれない(実際には被写体の対象にしていただけ)。
#*そもそも別の人物が日本初の鉄道ファンと言われていた可能性の方が高そう。


*路線 - [[中央快速線|中央線]] 山手線 京浜東北線 東京メトロ銀座線
;1900年代
*バス - 都営バス
#=[[もし東西幹線が中山道ルートだったら|東西幹線が中山道ルートだった場合]]
#静岡県などの有力者が出資した私鉄による建設。
#*駅間距離が現実より短い。
#*静岡〜清水間は現在の静岡鉄道静岡清水線を通る。
#**当時の私鉄は国の代わりに鉄道の全国ネットワークを形成する役割を担っていたので史実通りのルートだったのでは。
#私鉄時代は関西鉄道と仲が良かったかもしれない。
#*というか、史実の関西鉄道が「東海道鉄道」と名乗って、東海道に忠実な路線を敷いていたのかもしれない。
#区間は横浜市-名古屋付近。
#全通からあまり経たないうちに国営化される。


===水道橋駅の噂===
===智頭急行智頭線===
{{駅名標/東日本|name=水 道 橋|ruby=すいどうばし|roma=Suidōbashi|back=御茶ノ水|back2=Ochanomizu|next=飯田橋|next2=Iidabashi|color=#FFD400}}
;1910年代
[[画像:SuidobashiST00.jpg|160px|thumb|JR西口]]
#「西播鉄道」などを名乗る私鉄が建設。
所在地: [[神田#神田三崎町の噂|神田三崎町]]二丁目(JR)/[[東京/文京区#後楽園の噂|文京区後楽]]一丁目(都営)
#*のちに国有化された形か。
#後存知[[東京ドーム]][[関東の遊園地・テーマパーク#東京ドームシティアトラクションズ|シティ]]の最寄駅。
#*発車メロディはもちろん「闘魂こめて」。
#**1番線([[新宿駅|新宿]]方面)はサビ、2番線(秋葉原方面)はAメロ。
#*東京ドームシティの最寄り駅は[[東京23区の駅#後楽園駅・春日駅の噂|後楽園]]じゃないの?
#**JRではって話でしょ。
#朝晩に来ると普段とは違う放送になっててちょっとびっくりする。
#JRと三田線の水道橋駅は神田川で区切られる形で離れている。
#*[[御茶ノ水駅|隣の駅]]も同様で、川を渡ってさらに道路を渡らないと地下鉄の入り口までたどり着けない。乗り換え駅としては不便。
#*黄色自体がずっと神田川沿い。
#ちょこちょこ改修はしているものの、かなり昭和の雰囲気が残っている駅。
#ドームのビジター側から帰って来る時は、小石川庭園の脇にある階段を下りて、信号を渡って、高架を潜って、裏から入ると、比較的混雑に巻き込まれない。


*路線 - [[中央・総武緩行線]] [[都営地下鉄三田線]]
;1960年代
*バス - 都営バス Bーぐる [[群馬の交通#日本中央バス|日本中央バス]] [[東京のバス#東京空港交通|東京空港交通]]
{{駅名標/西日本|name=因幡山形|ruby=いなばやまがた|back=やまさと|next=ちず|back2=Yamasato|roma=Inaba-Yamagata|next2=Chizu}}
#佐用駅では姫新線と線路がつながっていた。
#開業時から急行や特急が多く運転された。
#何らかの形でキハ82が走ったかもしれない。
#特急の所要時間は現実より長い。
#*そのため現在は高速バスに苦戦している。
#*それでも伊丹-鳥取の航空便は廃止されている。
#*JR化後は振り子式のキハ187系投入や一線スルー化などのテコ入れが実施されて、史実とほぼ同じレベルになる。但し、それにかかる費用は地元負担。
#21世紀に入って因美線智頭以南の廃止が噂される。
#「宮本武蔵」駅などできるわけがない。
#*恋山形駅は「因幡山形」、大原駅は「美作大原」と名乗っていた。


===飯田橋駅の噂===
;1970年代
{{駅名標/東日本|name=飯 田 橋|ruby=いいだばし|back=水道橋|next=市ケ谷|back2=Suidōbashi|roma=Iidabashi|next2=Ichigaya|next-link=#市ヶ谷駅の噂|back-link=#水道橋駅の噂|color=#FFD400}}
#鉄道公団の手によって、建設されていたので、高速化に対応できる設計になっていた。
{{駅名標/メトロ|name=飯 田 橋|roma=Iidabashi|back=神楽坂|back2=Kagurazaka|next=九段下|next2=Kudanshita|symbol=T|s-no=06|next-no=07|color=#00a7dB|next-link=#九段下駅の噂}}
#キハ181系気動車による特急「はくと」とキハ58系気動車・キハ65形気動車による急行「とっとり」が運行されていた。
{{駅名標/都営E|name=飯 田 橋|ruby=いいだばし|roma=Iidabashi|back=牛込神楽坂|back2=Ushigome-kagurazaka|next=春    日|next2=Kasuga|s-no=06|next-no=07|color=#b6007a|back-link=東京23区の駅/新宿区#牛込神楽坂駅の噂|next-link=東京23区の駅#後楽園駅・春日駅の噂}}
#*特急「はくと」は米子までに運行されていた。
[[画像:IidabashiST00.jpg|thumb|240px|東口駅舎とビル群]]
#*のちに、特急「はくと」はキハ189系気動車で運行されていた。
[[画像:New Iidabashi Station.jpg|thumb|240px|新駅舎]]
#*JR化後に130km/h化対応工事などのテコ入れが実施されて、史実と同じレベルになるが、工事費用は地元負担。
所在地:[[東京/千代田区#飯田橋の噂|飯田橋]](JR・東西線)/[[東京/新宿区#神楽坂の噂|新宿区神楽坂]](有楽町線・南北線)/文京区後楽(都営)
#1972年or1975年に開業した際には、キハ181系気動車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#中央総武緩行線で1日数本飯田橋折り返しがあった。
#*1975年開業の場合で製造されたキハ181系は、エンジン出力を440PSに落として屋根上ラジエーターを廃止し、保守性や信頼性を高めた1000番台車として製造されていた。
#*折り返し線は開業当初にあった「牛込駅」の跡地でもあったり。
#1981年の神戸ポートアイランド博覧会と1990年の国際花と緑の博覧会が開催された際に、臨時列車が運行されていた。
#**外濠公園の中にある薬局が牛込駅舎があったところ。
#上から見ると総武線の駅しかないRの利いたこざっぱりした駅だけれど、床下は結構すごいんです。
#*お馴染みの地下鉄の乗換えが疲れる駅の1つ。
#**東西線と他線の乗り換えは不便。
#***大江戸線はもっと酷く、「地底にある」といっても過言ではない駅。そのため南北線との乗り換えでは駅名が違う後楽園駅/春日駅で乗り換えた方が良いという逆転現象が生じている。
#****メトロの改札から大江戸線開業時に新設された出口に行こうとすると、階段を下る→下る→上る→上ると言う面倒なアップダウンが待っている。素直にメトロの出口から地上に上がった方が早い。
#****地底にある上にホーム階では階段・エスカレーターから乗り場までの距離がかなり長い。
#*****両方面に比較的急なカーブがあり、そのカーブ上にエスカレーターを設置できないため。
#******両方面ともカーブの先にエスカレーターを設置したため、結果として乗り場と出口の間をかなり歩かされる羽目に。
#*特に西口は寂しい。
#**西口は人通りはいつも多い。
#実は、新宿区・文京区にもまたがっている。
#*この辺は中央線を境に南側が千代田区になっている。北側が文京区や新宿区。
#JRのホームはカーブに設置されているため、ものすごく曲がっている。
#*その為、電車とホームの間が異常に空いている。足を踏み外さないよう注意。
#**列車到着時は「足元にご注意ください」というアナウンスがあり、線路下が光るようになっていた。
#*また、[[中央快速線]]通過時はかなり大きな金属音が鳴る。
#*JRホームの直線区間への移設が決定。
#**おかげで西口が繁華街とは逆側に移転してしまい不便になった。堀があるから無理して橋を架けるよりはそっちの方が予算かからないんだろうけど釈然としない。
#***特に散々言われていた東西線との乗り換えはますます不便になってしまった。
#**地下鉄が集中している東口方面のホームが一体どうなるのか気になるところ。かつての西口のように今度は東口方面に長い連絡通路でも出来るのだろうか。
#水道橋側[[首都高速道路/路線別#5(池袋線)|高速]]の手前に貨物の留置線の様なものがある。ちなみにその脇に建っているビルが[[日本貨物鉄道|JR貨物]]の本社。
#*なぜか[[大和ハウス工業|大和ハウス]]と同棲している。
#*飯田町貨物駅の跡か???
#**そう。JR飯田橋駅は上記の牛込駅と飯田町駅の旅客扱いを統合するために、あんなひどいカーブの上に造ることになっちゃったんだ。
#**JR貨物本社は新宿に移転した。
#[[出版社/さ・た行#竹書房|某指定暴力団]]の最寄り駅。
#*東口には[[まんがライフ・まんがくらぶファン#ポプテピピックファン|元ネタとなった漫画]]の一コマを切り取った広告があるとか
#*CMでもロケ地として使われてしまった。
#駅名が駅名なだけにここの[[アイドルマスター_シンデレラガールズ_スターライトステージ|デレステ]]広告は{{IMCG|クール|速水奏}}(CV:[[女性声優ファン/い#飯田友子ファン|'''飯田'''友子]])だった。
#*いいだ(ば)し
#*その後{{IMCG|パッション|村上巴|巴お嬢}}に差し替えられたが上記の{{あきまへん}}つながり説が挙げられている。
#**そして{{IMCG|パッション|諸星きらり}}になったのだが…これってもしや[[東京ヤクルトスワローズ|中の人の推し球団]]繋がり?
#[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]の乗り換え駅の中で1,2を争うほど乗り換えが不便な最悪の駅。
#*何故かホームから乗り換える方向の改札口へは改札内のエレベーターが無いのは不満。
#(2018年ころの移設工事時は移動したが)橋の上にある。なお、その橋の名前は飯田橋ではなく牛込橋という。
#東口側には地下へ続く階段が2つあるが、片方は東西線の改札前に出れるが、もう片方は離れたところに出る。


*路線 - 中央・総武緩行線 [[東京メトロ東西線]]・有楽町線・[[東京メトロ南北線|南北線]] [[都営地下鉄大江戸線]]
===赤穂線===
*バス - 都営バス 風ぐるま Bーぐる
;1930年代
#実質的に山陽本線の別線扱い。
#*かつては特急「富士」「櫻」「燕」なども通っていた。
#*むしろこっちが山陽本線になっていた。
#**よって現実の上郡回りのルートは上郡線になっていた。
#***戦時中に金属供出によって単線化されていた。
#山陽新幹線建設時にも赤穂経由が検討される。
#赤穂鉄道・西大寺鉄道は太平洋戦争開戦前に廃止される。
#史実の播州赤穂駅は「播磨赤穂」駅として開業していた。
#場合によっては複線化していた。
#*上記通り山陽本線の一部になっていたら当然。


===市ケ谷駅の噂===
===野岩鉄道===
{{駅名標/東日本|name=市 ケ 谷|ruby=いちがや|back=飯田橋|next=四ツ谷|back2=Iidabashi|roma=Ichigaya|next2=Yotsuya|back-link=#飯田橋駅の噂|next-link=東京23区の駅/新宿区#四ツ谷駅の噂|color=#FFD400}}
;1890年代
[[画像:IchigayaST00.jpg|thumb|160px|JR駅舎]]
#日本鉄道が日光線の延長で建設。
所在地:五番町(JR)・九段南(都営)/新宿区市谷田町(メトロ)
#*史実の日中線も含め宇都宮〜米沢が「野岩羽線」となる。
#目の前に名物の釣り堀があってTVドラマでよく映る。
#現実よりトンネルが少ない。
#*[[週刊少年サンデーファン/作品別#おそ松さんファン|このアニメ]]にも登場したことで腐女子達の聖地の一つに。
#上越線開通前は東京〜新潟の最短ルートとしても重宝された。
#*アイドルマスターシリーズのカードに出た事で男性オタクの聖地にもなった。
#[[郡山市]][[福島市]]が史実ほど発展していない。
#飯田橋同様、上だけ見ると総武線だけの単独駅ながら地下には3路線も通っている。
#下野電気鉄道は存在しなかった。
#南北線との連絡線が有楽町線ホームの端っこから見られる。
#新宿線から他の路線に乗り換えようとすると、連絡改札口が本八幡方面のホームにしか用意されていないのでちょっと面倒。
#南北線のホームだけ他の路線から離れている為、途中に動く歩道が用意されている。
#*壁には動く歩道の移動方向を示した装飾があるのだが、2016年辺りに移動方向が左右逆に入れ替えられてしまい向きが揃わなくなってしまった。
#*動く歩道を抜けたら南北線ホーム…と言うわけではなく、更にもう少し歩く。江戸城の石垣を再現したミニコーナーが途中にあるのでそこを見るのも良し。
#**地図で見ると実はそれほど遠くない位置にある(それこそ外濠を挟んでいるだけ。JRの改札から南北線の見附改札に行くと距離感覚が分かりやすい。)のだが、橋やら釣り堀やらのせいで連絡通路を遠回りな場所にしか作れなかったというオチだったりする。


*路線 - 中央・総武緩行線 東京メトロ有楽町線 東京メトロ南北線 都営新宿線
;1940年代前半
*バス - 都営バス 風ぐるま
#[[もしあの鉄道が国有化されていたら/関東#下野電気鉄道|<span style='color:0a008c#;background-color:#ff6200;'>下野電鉄が国有化され]]それを延長する形。


==東京メトロ==
===海峡線===
===溜池山王駅・国会議事堂前駅の噂===
;1970年代
{{駅名標/メトロ2|name=溜 池 山 王|ruby=ためいけさんのう|roma=Tameike-sanno|back=赤坂見附|back2=あかさかみつけ|back3=Akasaka-mitsuke|next=虎 ノ 門|next2=とらのもん|next3=Toranomon|symbol=G|s-no=06|next-no=07|color=#f39700}}
#札幌オリンピック開催中は臨時列車が運行されていた。
{{駅名標/メトロ2|name=国会議事堂前|ruby=こっかいぎじどうまえ|roma=Kokkai-gijidomae|back=赤坂|back2=あかさか|back3=Akasaka|next=霞ケ関|next2=かすみがせき|next3=Kasumigaseki|symbol=C|s-no=07|next-no=08|color=#009944}}
#大阪や東京と北海道各地を結ぶ列車が多数運行されていた。
所在地: 永田町一丁目・二丁目
#津軽線、江差線は複線化されていた。
#千代田線と南北線が唯一乗り換えできる駅。
#おそらく[[もし青函トンネルが○○だったら#在来線規格だったら|在来線規格だった]]。
#そして銀座線→南北線→千代田線→丸ノ内線と並んでるし南北線と千代田線のみ大門浜松町のような副駅名付けたらいいと思う。
#*松前線が現在まで存続し、代わりに江差線木古内以西は史実より早く廃止。
#千代田線と丸ノ内線の乗り換えが一番やりやすいのは恐らくここ。
#北海道新幹線は凍結されたままか、札幌-(新)函館(北斗)間が先に開業。
#銀座線と丸ノ内線も一応乗り換えできるがめちゃくちゃ遠いのでオススメできない。
#青函連絡船では洞爺丸型が延命され津軽丸型は登場しなかった。
#*行くには千代田線と南北線のホームを端から端まで歩かなければならない。
#のちになって新幹線専用トンネルを建設する計画が出る。
#*赤坂見附は隣駅なのでなおさらおすすめしない。
#54年の洞爺丸の事故で建設が急がれたことになっている。このトンネル開通を想定して20系500代(極寒地仕様)が製造される。実際の500代は1000代,1000・2000代は2000・3000代となる。
#*最悪銀座でも乗り換えようと思えるので(赤坂見附ほどではないがここよりマシ)、もはや銀座線と丸ノ内線はお互いに乗りかえ駅と案内していない。
#*12系500代・14系500代も新造車として登場。極寒地仕様に改造した車両は左形式の区分代となる。781系も約10年早く登場。485系1500代は存在せず。781系が東北より北を走る特急に使用される。
#*溜池山王駅側の最も端にある13出入口から丸ノ内線は'''975m'''もある。
#函館-東室蘭間は電化されて、特急「北斗」は電車化された。
#千代田線のホームはかつて地下鉄駅としては一番深いところにあるホームだった。
#丸ノ内線のホームが[[国会議事堂]]の敷地の中にいり組んでいるの開通当初は国会の敷地がおにぎりのような形をしていて当時存在した敷地境界斜辺部の一辺に沿った外側の公道の真下に造られたため。
#地上が騒がしくなるとドアを開けずにそのまま発車することもある。
#丸ノ内線のこのあたりは、マイル法によりカーブを造ったとか。
#南北線を開業させるためだけに、銀座線が駅を造った。
#*しかも相対式ではなく島式でホームを造ったために、銀座線を何日も運休させてホームを造ったそうな。
*路線 - [[東京メトロ銀座線]] 南北線(溜池山王駅) 丸ノ内線 千代田線(国会議事堂前駅)
*バス - 都営バス ちぃばす


===末広町駅の噂===
;1990年代後半
{{駅名標/メトロ|name=末 広 町|roma=Suehirochō|back=神田|back2=Kanda|next=上野広小路|next2=Ueno-hirokōji|symbol=G|s-no=14|next-no=15|color=#f39700}}
#英仏海峡トンネルの注目度が高まっていた。
[[画像:SuehirochoST00.jpg|thumb|120px|1番出入口]]
#旅客列車は最初から特急のみだった。
所在地:外神田四丁目
#*785系に青函トンネル対応の新区分番台が誕生する。
#[[秋葉原]]とは付いていないが、ここからも秋葉原の電気街に出る。
#*E751系も乗り入れに対応していた。
#*もう「北秋葉原」に改称してもいいと思う。
#スシ24は登場せず、九州ブルトレや「出雲」用のオシ24が転用されていた。
#現在銀座線利用者のオタク達が言いたいであろう事はただ一つ、'''「は よ 工 事 終 わ れ」'''
#*あろう事か秋葉原駅から最も近い1番出口が工事によりかなりの期間閉鎖されている。本来なら2017年6月竣工だったのが、さらに1年後に延びてしまった。
#**わざわざ信号を渡って、先にある2番出入口まで行かないといけない。
#*隣の神田などと同様に一足早くホームがリニューアルされて綺麗になった。
#3番出口の階段の途中になぜかOA機器の販売店がある。
#台東区の秋葉原の最寄駅。「肉のハナマサ 秋葉原店」も近かったり。


*路線 - 東京メトロ銀座線
===瀬戸大橋線===
*バス - 風ぐるま
;1960年代
#特急「富士」、準急「砂丘」が四国に乗り入れていた。
#*準急「鷲羽」も高松発着となっていた。
#四国新幹線の用地が確保されていたかは微妙。
#*「現行の瀬戸大橋が老朽化した段階で新幹線対応の新瀬戸大橋を造ろう」という運動があったかもしれない。
#東京と高知、松山を結ぶ寝台特急が運行されていた。
#*ムーンライト松山、高知の先祖に当たる夜行普通列車も存在した。
#*「土佐」「いよ」が上記寝台特急の列車名に。急行「土佐・いよ」は別の列車名に。
#**おそらく気動車急行の方は「うらと」「いしづち」を名乗っていたと思われる。
#*当初は20系で登場し、1972年3月に「さくら」・「みずほ」とともに14系に置き換えられた。
#121系は瀬戸大橋乗り入れ可能な規格で作られていた。
#玉野市は岡山市に吸収されたか。
#瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
#建設資金の調達方法が郵便貯金ではなく世界銀行の融資という形で行われていたかもしれない。
#下津井電鉄が国鉄に買収された。
#*されない。江若鉄道同様廃線→一部の用地が流用される程度だと思う。
#*少なくとも児島駅の位置は変わる。
#四国の電化が早まった。
#*最初に投入されたローカル車両は新車ではなくモハ70形・モハ80形が転用されて来た。
#そろそろ橋の老朽化が問題に挙がってくる頃だと思われる。
#宇高連絡船の廃止時期が早まっていたのは言うまでもない。
#*伊予丸型は建造されなかった。
#茶屋町〜宇野はクモハ42あたりの単行運転になった。
#環境問題が深刻化する前のことなので工事による瀬戸内海の生態系への打撃が史実以上に。
#「紫雲丸事故」で建設が急がれた、とされる。宇野線岡山-茶屋町間は1970年代までに完全複線化。
#岡山-高松間を結ぶ快速に、サロ110連結の岡山区113系が使用される。'90年頃に221系(岡山駅基準・下関方先頭車がクロ221、大型の前面窓・ハイデッキ仕様のグリーン車)が岡山区に配置され、113系サロ110連結編成を置き換えた。


===霞ケ関駅の噂===
;1970年代前半
{{駅名標/メトロ|name=霞ケ関|roma=Kasumigaseki|back=国会議事堂前|back2=Kokkai-gijidomae|next=銀座|next2=Ginza|symbol=M|s-no=15|next-no=16|color=#e60012}}
#宇高連絡船の廃止が早まったのは言うまでも無く。
{{駅名標/メトロ|name=霞ケ関|roma=Kasumigaseki|back=虎ノ門ヒルズ|back2=Toranomon-hills|next=日比谷|next2=Hibiya|symbol=H|s-no=07|next-no=08|color=#9caeb7}}
#*宇野線茶屋町~宇野間の列車の多くは単行運転に。
所在地: [[東京/千代田区#霞が関の噂|霞が関]]二丁目
#*伊予丸型は建造されず、紫雲丸型を修繕しながら廃止まで使い続けていた。
#霞'''ケ'''関駅である。
#「紫雲丸事故」を契機に建設開始された、と語られる。
#*[[埼玉の駅/川越・比企#霞ヶ関駅の噂|霞'''ヶ'''関駅]]は別の駅になる。
#*宇野線岡山~茶屋町間は瀬戸大橋線開通から間もない頃に完全複線化。
#各省庁は大抵この駅周辺に集まっている。
#四国の電化が早まった。
#千代田線では朝ラッシュ時に当駅止まりの列車がいくつか設定されている。
#*電化当初の四国ローカル運用に80系が使用され、国鉄末期に下記の121系に置き換え。
#*日比谷線にも霞が関止まりは設定されている。
#*121系は瀬戸大橋線乗り入れ可能な規格で製作された。
#[[小田急ロマンスカー|特急]]停車駅。
#*予讃本線高松~松山間は瀬戸大橋開通と同時期に電化、'90年代に8000系に置き換わるまで181系が電化区間(瀬戸大橋線直通も含む)の特急に使用されていた。
#この駅と有楽町線桜田門駅間に連絡線がある。
#**場合によってはキハ181系の製作数が史実より少なかった。
#大手町駅とか小川町駅・淡路町駅・新御茶ノ水駅とかが乗換駅なんだったら、桜田門駅を霞ケ関駅と通路でつなげて乗換駅にしてくれてもいいじゃん。
#**電化区間の急行には山陽新幹線岡山開業で転用された153系が使用された。
#*過去に地下鉄サリン事件で狙われた駅だからこれ以上接続路線増やし辛いのかもしれない。
#四国新幹線の用地は確保されたかどうか。
#千代田線ホームの辺りだったかが、旧日本軍の地下施設の跡らしい。
#「土佐」「いよ」が東京発高知・松山行きの寝台特急の列車名に。急行「土佐」「いよ」は別の名称になる。
#日比谷線の駅ナンバーはこの駅以降虎ノ門ヒルズ駅開業の際に1つずつずらされる。
#*おそらく「浦戸」「いしづち」になっていたと思われる。
#瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
#岡山区にサロ111が転入し、岡山~高松間の快速(8・12両編成)に連結された。
#*1990年頃に221系が岡山区に新製配置、上記113系グリーン車連結編成を置き換えた(岡山駅基準・下関方面の先頭車が大型の前面窓・ハイデッキ構造のグリーン車クロ221)。
#下津井電鉄の鉄道事業撤退が早まった。
#高徳本線、土讃本線(多度津~高知間)は電化されただろうか。


*路線 - 東京メトロ丸ノ内線 日比谷線 千代田線
===関門鉄道トンネル===
*バス - 都営バス [[西東京バス]]
;1930年代
#昭和恐慌における失業対策として、着工されていた。
#史実通りに、単線で開業していた可能性が高い。
#*のちに、追加という形で、上り線トンネルが開業していた。
#遅くても、1935年に下り線トンネルが開業し、1937年に上り線トンネルが開業していた。


===大手町駅の噂===
;1950年代
{{駅名標/メトロ2|name=大 手 町|ruby=おおてまち|roma=Otemachi|back=東京|back2=とうきょう|back3=Tokyo|back-link=東京駅|next=淡路町|next2=あわじちょう|next3=Awajicho|symbol=M|s-no=18|next-no=19|color=#e60012|next-link=#淡路町駅・小川町駅の噂}}
#特急「かもめ」と特急「あさかぜ」の運行がずれ込んでいたかもしれない。
{{駅名標/メトロ2|name=大 手 町|ruby=おおてまち|roma=Otemachi|back=竹 橋|back2=たけばし|back3=Takebashi|next=日本橋|next2=にほんばし|next3=Nihombashi|symbol=T|s-no=09|next-no=10|color=#00A7DB|back-link=#竹橋駅の噂}}
#*開業と同時に運行が開始されていた。
[[画像:OtemachiST00.jpg|thumb|180px|D4出入口]]
#最初から、複線で開業されていた。
所在地:[[丸の内・大手町|大手町・丸の内]]
#1950年代後半の開通ならトンネルの西側は最初から交流電化になっていた。EF30形の登場も史実より早かった。
#[[東京駅]]から徒歩連絡が可能。
#*「地下鉄東京」
#[[東京地下鉄|東京メトロ]]と[[東京都交通局#都営地下鉄の噂|都営地下鉄]]で5つの路線が通っている。一方東京駅は[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]だけ。
#*そのためメトロの乗り場は8番乗り場まである。都内のメトロ駅では最大の番線。
#**ちなみに8番乗り場は[[西船橋駅|千葉]]にもある。あちらはJRとの通し番号だが。
#中でも[[東京メトロ東西線|東西線]]は東京駅に近く、<span style="color:skyblue">'''○'''</span>が<span style="color:red">'''○'''</span>とともに東京駅のあちこちにある。
#*決して近いわけではないが、位置関係を把握すれば使いやすい乗り換えルートになる。
#**というかすごく遠い。東西線の大手町は丸ノ内線の東京のほうが近い。
#* [[都営地下鉄三田線|都営三田線]]の駅もJR京葉線や総武線快速線と横須賀線の東京駅に近いが連絡運輸をして無いので定期券で買う場合、別々に買う必要が在る(割と近いことは余り知られて居ない)。
#*実は東京駅と乗り換える場合、半蔵門線、東西線、千代田線は使う方面によって大手町駅(半蔵門線渋谷方面、東西線中野方面、千代田線北千住方面)と三越前駅(半蔵門線押上方面)、日本橋駅(東西線西船橋方面)、二重橋前駅(千代田線代々木上原方面)を使い分けたほうが乗り換えしやすい場合が多い。
#2008年3月より、[[小田急ロマンスカー|特急]]で通勤可能になります。
#PS2ソフト「ミリオンモンキーズ」の'''メトロ'''のステージは、大手町と、京葉線東京駅が舞台だとか。
#中央線各駅停車と常磐各駅停車の電車が乗り換えられる唯一の駅。
#*御茶ノ水駅聖橋口と道路を挟んで反対側に新御茶ノ水駅B1出口があり、乗り換え自体はこの駅でも可能ではあるがこちらは乗換駅とはなっていない。
#各線のホームがコの字型に並んでいるため、乗り換えパターンによってはすごく歩くことになる。
#*特に、丸ノ内線と東西線との乗り換えでは、一度改札を出るよう案内されている。乗り換え用出口改札(色違いになっていて、きっぷは返却されるもの)も用意されている。
#**同じく半蔵門線も押上寄りか渋谷寄りの車両かによって乗り換え経路を変えたほうがいい。
#非定期客限定だが、北千住駅(東武区間除く)から当駅まで利用する際、半蔵門線経由と千代田線経由のどちらに行っても運賃は同じなので混雑率を確認して選ぶべし。
#*尚、北千住駅以外の東武伊勢崎線の駅と当駅以西を利用する際には千代田線の方が安い。
#**因みに表参道駅〜当駅〜北千住駅は千代田線と経路が被っている。


*路線 - [[東京メトロ丸ノ内線]] [[東京メトロ東西線|東西線]] [[東京メトロ千代田線|千代田線]] [[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]] 都営地下鉄三田線
===紀勢本線===
*バス - [[都営バス]] 丸の内シャトル
;1920年代
#線形は史実より悪かった。
#*特に尾鷲~紀伊木本→熊野市間。
#うまくいけば戦前に[[もしあの国鉄路線が全通していたら/西日本#五新線|五新線が全通していた]]


===新御茶ノ水駅・淡路町駅・小川町駅の噂===
==北海道==
====淡路町駅・小川町駅の噂====
===石北本線(上川-遠軽)===
{{駅名標/メトロ|name=淡路町|roma=Awajichō|back=大手町|back2=Ōtemachi|next=御茶ノ水|next2=Ochanomizu|symbol=M|s-no=19|next-no=20|color=#e60012}}
;1980年代
{{駅名標/都営S|name=小 川 町|ruby=おがわまち|roma=Ogawamachi|back=神 保 町|back2=Jimbocho|next=岩 本 町|next2=Iwamotocho|s-no=07|next-no=08|color=#9b7cb6}}
#石勝線のように高規格路線として建設された。
所在地:神田淡路町・[[神田#神田小川町の噂|小川町]]
#*一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
#ホーム番号は淡路町駅からの通しになっている。
#**上川-遠軽間かな
#*改札も階段を介してすぐそこと、実質同一駅として成立している。
#遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
#*元々はホーム番号もそれぞれ独立していたのだが、誤乗が多発したために統一したという経歴を持つ。
#池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
#小川町駅のエスカレーターが非常に長い。
#*名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
#*正しくここが駿河台であることを痛感するような長さである。
#*網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
#新御茶ノ水駅とも乗換駅ではあるが若干離れている。
#**しかし、北見以南に廃止論議が勃発するのは史実通り。
#*300mくらい通路を歩かなければならない。
#*北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
#*この為小川町・淡路町・新御茶ノ水の全駅名が一度に掲載された駅名標は少ない(だいたい小川町とどちらか片方)。
#開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
#*都営の小川町駅が東京メトロの新御茶ノ水駅と淡路町駅にはさまれた形になっている。
#「石北'''本'''線」ではなく「石北線」だった可能性が高い。
#5分ほど歩けば秋葉原駅にも神田駅にも行ける。
#*特に神田駅は須田町まで銀座線の出口が延びている関係上ちょっと歩くだけですぐに確認できる。
#**と言ってもさすがに連絡輸送まではやっていない。
#***丸ノ内線沿線から秋葉原行こうとしたら、ここで降りた方が楽なパターンも多い。
#淡路町駅の改札内トイレは分かりづらい場所にある。
#*1番線(荻窪方面)ホームの一番端っこ。一応表示はあるが、なぜこんな所に・・・と思わずにはいられない。


====新御茶ノ水駅の噂====
===石勝線===
{{駅名標/メトロ|name=新御茶ノ水|roma=Shin-ochanomizu|back=大 手 町|back2=Otemachi|next=湯 島|next2=Yushima|symbol=C|s-no=12|next-no=13|color=#009944|next-link=東京23区の駅/文京区・豊島区#湯島駅の噂}}
;昭和10年代
[[画像:ShinOchanomizuST00.jpg|thumb|240px|JR聖橋口正面のB1出入口]]
#建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
所在地:[[御茶ノ水|神田駿河台]]
#建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
#名前の通り御茶ノ水駅の目と鼻の先に入り口がある。
#*後に複数の慰霊碑が建てられた。
#*但し丸ノ内線の乗換駅は淡路町駅になる。
#*トンネルに「幽霊が出る」などと噂されたり、韓国が謝罪と賠償を要求するなど何かと曰く付きの路線になっていた。
#**元々は御茶ノ水駅が乗換駅だったのだが、延伸により淡路町駅に対象が変更された稀有なケース。
#煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
#***実際は、都営新宿線の小川町駅ができ、淡路町駅とともに地下通路でつながったから、というのが正しい。
#*その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
#**なお、改札を通らない限り淡路町と御茶ノ水を地下経由で移動することは出来ない。
#*JR化後に高速化改良されたと思われるが現実ほど高速運転できなかった。
#*とてつもなく長いエスカレーターで結ばれている。上から見ると吸い込まれそう。
#開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
#**地上を歩いてみると分かるが、あの辺りは靖国通りから御茶ノ水駅まで駿河台の上り坂が延々と続く。その為御茶ノ水側が必然的に深くなってしまった。
#*滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
#**逆に靖国通り側はとてつもなく長い連絡通路を経由しなければ新宿線や丸ノ内線に乗り換えられない。
#**夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
#***このため丸の内線池袋方面と千代田線綾瀬方面で乗り換えた場合、大手町で乗り換えたほうが早かったのではないかと思えてくる。
#***紅葉山駅は廃止後、新夕張ではなく「夕張市」を名乗っていたかも。
#壁にカレンダーが飾ってある。
#***1980年代ならまだ大丈夫だと思うが、2010年代には史実同様廃止が議論されるようになっていた。
#*おそらく職員が毎年毎年日付を入れ替えているものだと思われる。
#*国道38号も札幌~十勝清水~釧路のルートだった。
#*カレンダーができる前は円筒型の壁になっていた。駅自体がシールド工法で作られたことを主張しているかのような感じだった。
#**北海道最長国道は国道38号だった。
#千代田線内では数少ない細長い駅名標を採用している駅。
#**国道274号は滝川~帯広間の国道となっていた。
#いちょうがきれい。
#*登川駅からそのまま東へ延伸する形になっていた。
#*南千歳駅は開業せず史実の南千歳駅の場所に南千歳信号場が千歳線空港支線開業と同時に設置された。
#*準急→急行「夕張」の走行ルートは「札幌-千歳-紅葉山-夕張」だった。
#**史実より(夕張~追分から)札幌まで短時間で行けるので1972年以降も存続する。
#***夕鉄バス札幌急行線との競争や千歳市民・広島町民からの要望によりくるくる電車ポプラ号登場のタイミングで札幌~千歳間快速・以遠普通に格下げ。
#***同時に大幅に本数増加するが千歳以遠の実質的な本数は変わらず。
#***1997年3月改正までキハ56系を使用、以降運転区間短縮があったがキハ201系を使用。
#***場合によっては千歳~追分間が札幌の通勤圏に入ったかも。
#***キハ40系・キハ54・キハ150も代走・送り込みで快速「夕張」を含む仕業に入った。
#***キハ201系は製作コストを減らすため途中から車体傾斜機能なしで増備・別区分番代となった。
#開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
#*しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
#*仮乗降場扱いの駅も多い。
#占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
#追分〜紅葉山(新夕張)間が単線化されず複線のままだった。


*路線 - 東京メトロ丸ノ内線(淡路町) 都営地下鉄新宿線(小川町) 東京メトロ千代田線(新御茶ノ水)
===札幌市営地下鉄東西線(琴似-宮の沢)===
*バス - 都営バス 風ぐるま
;1980年代
#早くても、1985年頃に開業していた。もしくは、遅くても、1988年に開業していた。
#*1990年頃に開業していた可能性もある。
#6000形電車が史実よりも多く増備されていた。
#1999年2月に東豊線の福住~清田間が開業していた。
#*その場合、7000形電車が史実よりも多く増備されていた。
#*6両編成で運行されていた。
#*栄町駅付近か清田駅付近か福住駅付近に車両基地ができていたかもしれない。
#*札幌ドームが開業した2001年に開業していた可能性もあり得る。
#8000形電車の登場は史実通り。
#*その代わりに、史実よりも遅れて投入されていたかもしれない。(2001年辺りに)


===九段下駅の噂===
====東札幌-新さっぽろ====
{{駅名標/メトロ|name=九段下|roma=Kudanshita|back=飯田橋|back2=Iidabashi|next=竹橋|next2=Takebashi|symbol=T|s-no=07|next-no=08|color=#00a7db}}
;1990年代
{{駅名標/メトロ|name=九 段 下|roma=Kudanshita|back=半 蔵 門|back2=Hanzomon|next=神 保 町|next2=Jimbocho|symbol=Z|s-no=06|next-no=07|color=#9b7cb6|next-link=#神保町駅の噂}}
#当初の予定通り千歳線旧線沿いに高架線を建設していた。
{{駅名標/都営S|name=九段下|ruby=くだんした|roma=Kudanshita|back=市ヶ谷|back2=Ichigaya|next=神保町|next2=Jimbocho|s-no=05|next-no=06|color=#9b7cb6|next-link=#神保町駅の噂}}
#*南北線南平岸駅 - 真駒内駅間のようにシェルターで覆うかは微妙なところ。
[[画像:KudanshitaST00.jpg|thumb|240px|4番出入口]]
#建設費節約のためにホームは8両ぶんしかない。
[[画像:KUDANSHITA TZ HD.jpeg|thumb|240px|東西線ホームに設置されたホームドア]]
所在地:九段南
#猪瀬直樹に「バカの壁」と評された壁があった。
#*元々新宿線と半蔵門線は最初から同一ホームで乗り換えられるようになっていたのだが、壁を隔てて改札外乗換をしなければならなかったので非常に不便だった。
#**現在でこそ壁は撤去されたが、同一ホームで乗り換えられるのは新宿方面と[[東京23区の駅/台東区・墨田区#押上駅の噂|押上]]方面なので、大体の人が階段へを登って[[渋谷駅|渋谷]]方面のホームへ向かう。
#***壁を取っ払った後も半蔵門線と新宿線の改札は別々に存在する。
#****というよりは「東京メトロ管理の改札」と「都営地下鉄管理の改札」。利用者はどちらの改札であるかを意識する必要は無い。
#*****それ以前にコンコース側の壁もなくなったのでおそらく大半の利用者は現状においてどっちがどっちの管轄であるかを認識することもほぼないと思われる。(自動改札や券売機、案内板などで微妙に仕様が違うけども)
#***これで恩恵を受けるのは渋谷~半蔵門から来て曙橋へ行く客だけ。それ以外の客はもっと近い乗り換えルートがある。
#**一部の壁は撤去されずにそのまま残った。
#***とはいえ壁の多くが撤去されたので都営地下鉄新宿線急行が九段下を通過する際、警告音と通過シーンに東京地下鉄半蔵門線利用者は驚愕する。
#**あと壁のせいでホームが狭くなって危険だったので、壁崩壊で安全になったともいえる。
#***かつてはあの狭いホームながら急行が通過していたため、運転士もここを通過するときは相当緊張したらしい。
#*日本版[[ベルリン]]の壁とも言われていた。
#**しかし[[東京地下鉄|西ベルリン]]と[[東京都交通局|東ベルリン]]の統一は未だ行われていない…
#*東の[[京都市の駅/東山区・山科区#東福寺駅の噂|東福寺]]である。
#**東福寺の方は分断させられた。
#*ところが今度は券売機が別々になってしまった。東西線改札横の券売機で買った切符では半蔵門線の改札が通れない。逆も同様。
#**そこで工事第2段階「ラッチ統合」が決定した。
#*壁が壊された結果、メトロと都営のホームの清掃の差がはっきり表れた。
#東西線から半蔵門線・新宿線への乗り換えが非常に不便。
#*距離こそないものの、東西線だと先頭車の位置に乗り換え用の改札があるので、降車駅の出口の位置によってはホームを延々と歩かねばならない。
#*新宿線と半蔵門線ののりかえ改札は磁気切符のみオレンジ改札を通らなければいけない。
#**都営・メトロ連絡券であればどの改札でもいい。
#[[日本武道館]]でイベントがあると人々でごった返す。
#*だが下手にイベントが長引くと出口の一部は閉まってしまう時間帯になる。
#**'''[[ひだまりスケッチファン|終電すら無くなる時間帯まで長引いたこともある。]]'''
#**正直武道館の駅なんだし急行を止めれば良いのに。隣の市ケ谷だって都営はこれオンリーであることは共通してるし
#[[就活生]]のようなスーツ姿の若い子がよく乗り降りする。
#*有名大学の入学式や卒業式も行われるため、就活生以外にも大学生の乗降も多い。
#[[靖国神社]]の最寄り駅でもある。
#*一応[[#市ケ谷駅の噂|市ヶ谷]]からも近い。
#「壁」が撤去された結果、都営→京王→小田急→メトロと改札内で乗り換え可能になった。
#*それは壁される前から可能。壁が撤去される前からある南北線と都営三田線の供用区間目黒~白金高輪は白金高輪~神保町~明大前~下北沢~代々木上原~表参道~永田町・赤坂見附~白金高輪と改札内で都営→京王→小田急→メトロを達成できる。
#**シモキタの改札分離で出来なくなりました。
#半蔵門線で接近放送の英語案内を始めたはいいが、田園都市線方面は前駅の神保町から0.4kmしかないので、停車駅案内のある準急や急行は案内中に時間切れになってしまう。これじゃ何の意味だか…。
#東西線ホームの発車メロディーは[[爆風スランプファン]]にとっては必聴モノ。
#*サンプラザ中野くんと向谷実が上野のメトロ本社へ懇願しに行った答えだが、残念乍ら半蔵門線は別の曲に…。<!--日本橋と三越前は2線とも同じ「お江戸日本橋」なのに…-->
#*「大きな玉ねぎの下で」の原曲が発売された当時(1985年)、半蔵門線は半蔵門止まりで、東西線と新宿線しかなかったためかと。
#恐らく東西線では初となるホームドアが完成。東西線カラーの黒と青でカッコ良い。
#*15000系や07系にも対応出来る新型のを長らく西船橋寄り3両分くらいで試験運用を行っていたが、この度全面運用開始。所々液晶モニタ広告もある。
#**半蔵門線ホームにも導入された。
#この駅がノーラッチの乗換駅となったため、ICカードと紙乗車券では適用される運賃が異なる区間がまた色々出現することに・・・
#*以前から三田線と南北線の共用区間の駅もあったわけだけどね
#4番線の番線標が、ここだけ「東武線方面」と都営式に直通先路線名で案内されている。
#*よくよく見ると、この表示なのは5番線(都営新宿線)の番線標とくっついている物だけなので、もしかして都営に合わせてる?


*路線 - 東京メトロ東西線 半蔵門線 [[都営地下鉄新宿線]]
===札幌市営地下鉄東豊線===
*バス - 都営バス 風ぐるま
====栄町-豊水すすきの====
;1971年
#[[冬季オリンピック#札幌(1972年)|翌年の札幌五輪]]を見越し開業。
#南北線と同じ規格。
#*その車両基地で検査するための連絡線が存在する。
#栄町か新道東から[[札幌市/東区#丘珠空港|丘珠空港]]への通路も同時に建設。


===竹橋駅の噂===
===函館本線===
[[画像:TakebashiST00.jpg|thumb|240px|1b出入口(毎日新聞本社ビル)]]
====長万部-小樽====
所在地:一ツ橋
;1950年代
#副駅名「[[毎日新聞]]社」前の通り、毎日新聞本社至近。
#同年代だと比較的線形が良いため多くの準急・急行・特急・貨物の走行経路になっていた。
#*至近というか、駅の真上に本社がある。
#*エスカレーターを上がった先に、本日の毎日新聞とその関連紙(スポニチ、小学生新聞)が貼ってある。やはり売店では毎日新聞を売っている。
#周辺は皇居とビジネス街。あとはコンビニすら無い…。
#*九段下寄りの改札から直結しているパレスサイドビルの地下に[[セブンイレブン|セブン-イレブン]]がある。ただし本当にセブン-イレブンで夜の11時に閉まってしまう。
#*同じビルの1階に[[ファミリーマート]]もある。こちらも23時で閉まる。
#**両方とも日曜日は定休日。と言うよりパレスサイドビル内の商店街が日曜日定休。
#***商店街と言うより飲食店街。
#*一応、国立近代美術館と科学技術館の最寄り駅ではある。
#**科学技術館の地下ホールは稼働率が高くて、いつも何かしらイベントをやっているから、割と知名度は高い。
#少々歩くが日本武道館でイベントある時に九段下駅が混雑する時は、ここに回った方が回避出来る。
#東西線の駅の中でダントツのボロさ。なのに一向にリニューアルの噂すら聞かない。
#*壁のタイルが剥がれている部分は上塗りしてごまかしてあるし、雨漏りする天井はビニール張りでしのいでいるし、本当に酷い。
#**壁のタイル跡に謎のカラーラインアートが描かれている。
#***やっと改修工事が始まった模様。
#東西線の中間駅で唯一エレベーターの無い駅。
#*大手町駅寄りの階段と改札口を通った先の2番出口への階段は階段昇降機が在ってバリアフリー化されてるので車椅子利用者でも利用可能。
#エスカレーターがある。上がった先には「上り専用」の掛け札がかかっているがひっくり返すと「下り専用」と書いてある。
#七夕が近くなると、笹と短冊が置いてあり、道行く人が願いを書いていく。


*路線 - 東京メトロ東西線
===札幌市営地下鉄南北線===
====北24条-真駒内====
;1950年代
#[[もしあの地下鉄が○○だったら#普通鉄道として開業していたら|<span style='color:#fbfaff;background-color:#00c864;'>普通鉄道だった]]。
#[[もし北海道北東部がソ連に占領されていたら|<span style='color:#f00;background-color:#fffefe;'>道東と道北がソ連領になっていたら]]ありえた。


===二重橋前駅の噂===
===定山渓鉄道===
[[画像:NijubashimaeST00.jpg|thumb|240px|4番出入口]]
;1900年代前半
所在地: 丸の内二丁目
#旧北海道鉄道が建設していた。
#[[皇居]]の二重橋に近いことが駅名の由来
#千代田線の中では一番東京駅に近い。
#*[[京葉線]]東京駅にも近いが最短で行こうとすると一旦地上に出ることになる。
#**しかし最近、鍛冶橋通りの一号美術館から丸の内仲通りまでの間で地下通路を建設しており、最終的には最短で京葉線地下丸の内口に行けるルートになるかもしれない。
#**東京駅の京葉地下改札では、遠く離れた東西線や丸ノ内線への乗換え案内はあるクセに、目の前の千代田線への乗換え案内は無し。普通逆だろう。
#都営三田線が並走しているがこちらは駅が設けられなかった。
#*千代田線大手町-三田線大手町-千代田線二重橋前-三田線日比谷-千代田線日比谷 みたいな位置関係なので、三田線の駅を作るには駅間が短すぎた。
#[http://www.tokyometro.jp/news/2017/190861.html このページ]の情報通り2018年3月17日(土曜日)付で副駅名称の「丸の内」を導入決定!!
#*理由は東京マラソンのゴール地点で在り近年、東京の玄関口として更なる注目を浴びて居る丸の内地区へ近いから。
#*丸ノ内線が通らないのに「丸の内駅」。さあメトロはどううまく説明できるのか。


*路線 - 東京メトロ千代田線
===札沼線===
*バス - 丸の内シャトル
;1900年代前半
#旧北海道鉄道が建設していた。


===麹町駅の噂===
==東北==
所在地: 麹町三丁目
===南部縦貫鉄道===
#知る人ぞ知る心霊スポットの一つ。
;大正時代
#*なんでも白シャツを着た男性がベンチに座っているが、列車が来るといつの間にか消えているらしい。
#開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
#上の道路(日本テレビ通り)が狭いせいでホームは上下二段式。
#*後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
#*上が永田町・有楽町・豊洲・新木場方面の1番線ホーム、下が市ヶ谷・飯田橋・池袋・和光市・東武東上線、西武有楽町線・池袋線方面の2番線ホーム。
#建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
#**[http://www.tokyometro.jp/station/kojimachi/yardmap/index.html#adjacent この構内図]を視れば判るが改札口から、どちらのホームへも直接行ける(永田町・新木場寄りにエレベーターも在る)。
#*農産物の輸送も行われた。
#ちょっと歩けば[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]の半蔵門駅にも行けるが、連絡運輸は行っていない。
#*後に沿線で産出される砂鉄の輸送も行われた(史実でも計画されていたが頓挫)。
#ズームイン朝でよく見かけたSマークと話して通じる人はどれほど居るだろうか
#多分電化はされていない。
#七戸駅は町の中心近くに設置。


*路線 - 東京メトロ有楽町線
===三陸鉄道===
*バス - 都営バス 風ぐるま
;1910年代
#軽便線で開業。
#三陸大津波で大きな被害を受ける。


===桜田門駅の噂===
;1960年代
所在地: 霞が関二丁目
#建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
#警視庁の目の前の駅。
#*太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
#*皇居にも当然近い。
#当然ながら国鉄線として開業している。
#*しかし利用客数は有楽町線内最下位。
#一部区間は現実よりカーブなどが多い。
#一時期ロマンスカーが止まっていたことがある。
#開通した頃は急行が走っていた。
#千代田線の霞ヶ関駅と連絡線で繋がっている。
#*列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
#*こっちの上りホームと、向こうの下りホームが繋がっている。なので行き来する場合はスイッチバックをする事になる。
#連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。


*路線 - 東京メトロ有楽町線
===仙石線===
*バス - 都営バス
;1910年代
#軌道法に準拠して建設された。
#*仙台駅付近が併用軌道だった。
#**後に高架化もしくは地下化される。
#*戦時買収を免れていたかもしれない。
#**この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
#石巻-女川も自力で建設していた。
#仙台市電との直通も検討される。
#*というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
#国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
#松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。


===半蔵門駅の噂===
===気仙沼線===
所在地: 麹町一丁目
;1939年
#半蔵門線の由来になっている駅で利用客も多めだが、ホームが少し狭い。
#石巻線が石巻から女川経由で延長された形で開業。
#*上の通りが狭いせいでもある。
#*勿論「石巻線」の一部。
#2017年6月頃にエスカレーター完備の新しい出口ができ、国立劇場へのアクセスが少し楽になった。
#*[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら#三陸鉄道|三陸鉄道の開通]]が戦前だったら[[もしあの路線が本線だったら#三陸鉄道|「三陸本線」]]に。
#昼間の[[渋谷駅|渋谷]]止まりの[[東急田園都市線|田園都市線]]普通電車はこの駅まで回送されてきて引き上げ線で折り返す。
#*それならここまで営業運転しろよ、とも思うが、メトロ側はその必要がないと判断しているようだ。
#**正直、渋谷駅の構造の災いしてここまでわざわざ回送させてる感がある。
#**なお、ラッシュ時はちゃんとここまで客扱いする
#***けど1日1往復しか設定がない。遅延防止のためほとんどを押上まで伸ばした。
#**結果面倒だったのか、2021年3月に昼間の渋谷行きがなくなりましたとさ。
#水天宮前が人形町との連絡を始めた今、半蔵門線14駅のうち唯一の単独駅。
#*麹町駅と徒歩連絡が不可能ではない立地にはあるので、そろそろ時間の問題なのかもしれない。


*路線 - [[東京メトロ半蔵門線]]
;1980年代
*バス - 都営バス 風ぐるま
#隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
#旧国名の付いた駅は現実より少ない。
#震災までは独自のサービスで人気を博していた。
#*「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
#*大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
#震災の被害により一時は廃止も検討された。
#*むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
#**大船渡~気仙沼間も鉄路で復旧していた(この場合宮城方の三セクになるのかやっぱ三陸鉄道になるのか…)
#**史実通り事実上の廃止に追い込まれていたら、「岩手県は三陸鉄道を復旧させたのに宮城県は…」と言われていた。


==都営地下鉄==
===仙台市営地下鉄東西線===
===内幸町駅の噂===
;1987年
所在地: 内幸町二丁目
#南北線と同一規格で建設。
#初見では音読みしてしまう駅名。
#*1000系が現実より多く導入。
#虎ノ門駅や新橋駅にもほど近く、乗り換えようと思えば乗り換えられる。
#*西の終点は最初仙台だった。
#*「西新橋」という副名称も駅名標には書かれている。
#*東西線~南北線の連絡線が存在した。
#**実際、駅あの南半分は港区西新橋に位置する。
#*史実の3000系は2000系になっている。
#***よく知られた「新橋」を含む西新橋とならなかったのは、先に開業していた東西線の「[[西船橋駅|西船橋]]」との混同を避けるためだとか。
#「東北博」へのアクセスで活躍。
#改札内の壁に機械部品で型を取ったアート作品?がある。
*路線 - 都営三田線
*バス - 都営バス 東急バス


===神保町駅の噂===
;1990年代前半
{{駅名標/都営|name=神保町|ruby=じんぼうちょう|roma=Jimbocho|back=大手町|back2=Otemachi|next=水道橋|next2=Suidobashi|symbol=I|s-no=10|next-no=11|color=#0079c2}}
#上記同様南北線と同一規格で建設。
[[画像:JimbochoST00.jpg|thumb|200px|A7出入口]]
#*史実同様リニア規格だったら2000系は当初1000系はもちろん初期都営12-000形や大阪市70系と類似する箇所が多かった。
所在地:神田神保町
#神保町交差点の下を中心に十字状の構造を持つ駅。都営の駅には「専修大学前」の副駅名が付いている。
#*他にも明治・日大・共立女子の最寄り駅でもある。
#新宿線では急行停車駅。
#*本八幡方面の朝ラッシュはここを過ぎると終わる。
#*半蔵門線との乗り換えの便は九段下に劣る。
#**構造からするとバリアフリー化は難しそう。
#***どっちもバリアフリー化は既に完了してる(ただし[[都営地下鉄三田線|都営三田線]]の大手町・日比谷寄りの改札口の近くに改札外のエレベーターが在るので[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]と[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]のホームからは物凄く遠い)。
#新宿線のホームが一番浅い部分にあるため新宿線が最初に通ったように見えるが、実際は三田線が最初である。
#*新宿線と半蔵門線のトンネルは後から同時に掘られたが、新宿線を三田線の上に、半蔵門線を下に、というかなりエクストリームな掘り方がされている。
#**新宿線のホームが三田線開業時からの改札口より後付けになったため、新宿線新宿方面行きホームと改札口の高さがズレてしまっている。
#**ちなみに同時に掘られた半蔵門線部分の駅の開業は新宿線より10年近く後になった。
#***沿線住民の建設反対運動により強制収用までこれだけの年月を要してしまった。
#三田線ホームに[[ベタな自動販売機の法則|自販機]]が無い。気がする。
*路線 - 都営三田線・新宿線 東京メトロ半蔵門線
*バス - 都営バス


===岩本町駅の噂===
;1997年
{{駅名標/都営S|name=岩本町|ruby=いわもとちょう|roma=Iwamotocho|back=小川町|back2=Ogawamachi|next=馬喰横山|next2=Bakuroyokoyama|s-no=08|next-no=09|color=#9b7cb6}}
#「ゆめ交流博」へのアクセスで活躍。
[[画像:IwamotochoST00.jpg|thumb|240px|A3出入口]]
#*その前年に開業が早まったかも。
所在地:神田岩本町
#2000系は当初1000系はもちろん初期都営12-000形や大阪市70系と類似する箇所が多かった。
#開業初期はここが起点だった。
#東の終点はどうなっていたか。
#秋葉原駅に近接していたにもかかわらず、つい最近まで乗換駅ではなかった。
#*地上に渡って橋を渡ればすぐ日比谷線の入口にたどり着ける。
#*というより、地下や構内でつながってない駅同士が乗換駅になっているケースのほうが稀。
#**蔵前駅「」
#**本郷三丁目駅「」
#*ただやはりメインストリートの中央通りまでは多少距離がある。
#*唯一とは言っていないし名前すら違う。急行も止まる小川町なら歩いた方がいい場合もある。
#[[山崎製パン]]本社が駅前にある
#*衣料品関係の問屋も駅周辺に多く立地している。
#*山崎パンのせいか駅周辺のデイリーヤマザキ密度が高め。
#中線は両側のホームが使用可能で、両方向とも急行の退避を行う。
#*列車の折り返しも可能。
#*急行運転開始当初は中線を通過線とし、本線に停車する各駅停車を追い抜く方式だった。
*路線 - [[都営地下鉄新宿線]]


{{東京の駅}}
;2000年代
[[Category:東京23区の駅|*ちよた]]
史実では2015年12月に開業。
[[Category:千代田区|えき]]
#遅くても、2008年12月に開業していた。
#*場合によって、2009年頃にずれ込んでいたかもしれない。
#東日本大震災が起きた時は被害を受けていた。
#2001年に開業していたら同年の「新世紀・みやぎ国体」や翌年の「日韓ワールドカップ」に合わせたとされた。
#2000系は開業時期次第で都営12-000・横浜市初期10000・神戸市5000形や大阪市80・福岡市3000系と類似する箇所が多かった。
#仙台空港に乗り入れているかも。
 
===仙台空港鉄道===
;1990年代
#仙台空港新旅客ターミナルが全面完成した1997年(あるいは前年)に開業。
#*むしろ、仙台空港新旅客ターミナルの全面完成が史実よりも早まっていた。
#開業当初の自社保有車両は701系1000番代の同型車である。ワンマン運転は2両編成の列車のみ。3両編成以上の列車は原則車掌乗務。
#*417・455・457・719系の乗り入れも考慮された。
#大株主に[[名古屋鉄道|名鉄]],そのグループの[[宮城の交通#宮城交通|宮交]]が。
#*[[Wikipedia:ja:仙台空港民営化|仙台空港民営化]]を機に、[[東急電鉄|東急]]へ名鉄グループ保有分の株がすべて譲渡(=名鉄グループ離脱、東急グループ加入)される。
#*直通相手はJRではなく仙台市営地下鉄になっていたかもしれない。
#国際ゆめ交流博覧会が開催された1997年春での開業を目標として建設された。
 
;2001年
#同年の「新世紀・みやぎ国体」,翌年の「FIFAワールドカップ」開催を機に開業。
#2000年に開業した可能性が。
#開業当初の自社保有車両は701系1500番代基本の都市型ワンマン運転対応車両である。JR側も同型車を導入する。
#「宮城国体」「FIFA W杯」の際,宮城スタジアムへの利便性向上の為,臨時列車で仙台空港-利府間に直通臨時列車を多数運行した。
 
===阿武隈急行===
;1930年代
#最初は省線で勿論電化されない。
#福電飯坂東線は戦時中までに全廃に追い込まれた。
#白中線角田以東が[[もしあの国鉄路線が全通していたら/東日本#白中線|実現していた]]かも。
 
;1950年代
#国鉄線で開通。
#*東北線の勾配迂回の役割も果たす。
#上記の福電飯坂東線は開通後すぐ全廃に追い込まれた。
 
;1968年に福島-丸森も開通していたら
#上記同様国鉄線で開通。
#*同じく東北線の勾配迂回の役割も果たす。
#福交飯坂東線の全廃が早まった。
#最初から電化。
 
;1984年に福島-丸森が開通していたら
#現実通り全通前に3セク転換。
#*三鉄と比べられる。
#電化されない。
#*転換当初キハ20系か上記の三鉄36-100と同型車が導入される。
#**その置き換えでAB900系が仙台周辺の混雑緩和も考慮され3ドアのキハE130系同型で導入。
#***ひょっとしたらキハE130系同型車が東日本の他の3セクで導入されたかも。
 
===田沢湖線===
====赤渕-田沢湖====
;1980年
#東北新幹線の大宮-盛岡開通を見越し全通。
#485系が現実より多く導入。
#*でも現実と同じく秋田新幹線の運行開始まで701系は導入されない。
 
===仙台臨海鉄道===
;1910年代
#開業当初は軽便鉄道だった。
 
===秋保電気鉄道===
;1990年代
#県が中心の3セクだった。
 
===仙石東北ライン===
;1956年
#[[もしあの鉄道路線が旅客化されていたら#塩釜線|<span style='color:#fefffe;background-color:#080;'>塩釜線の旅客営業が続いていたら]]あり得た。
#*もちろん同線経由で民営化時[[東日本旅客鉄道|<span style='color:#fefffe;background-color:#080;'>JR東日本]]に継承された。
 
;1960年代
#当初キハ20系などが使用された。
 
;1982年
#当初キハ58系中心だった。
 
;1990年代
#キハ110系が使用された。
#*小牛田への新製配置車はすべてステップレス。
 
===秋田内陸縦貫鉄道===
====角館-松葉====
;1920年代
#生保内線の一部だった。
#*角館-松葉の3セク化は史実通り。
 
==東海==
===伊豆急行===
;昭和10年代
#建設の動機は伊豆半島の要塞化。
#伊東線の延長として建設された。
#*線名は「伊豆線」。
#1950年代から優等列車が乗り入れるようになった。
#*その際停車駅11両対応に。
#史実の伊豆急下田駅は「伊豆下田駅」と名乗っている。
#現実ほどトンネルは多くない。
#当然国鉄線としての建設で、現在はJR東日本。
 
;1970年代
#やはり伊東線の延長で建設。
#全駅11両対応。
 
;1980年代後半
#3セクで開業するが社名は史実通り。
#元[[国鉄113系電車|<span style="color:#098200;background-color:#e06b00;">国鉄→JR111・113系]]が導入される。
#やはり全駅11両対応。
 
===伊勢鉄道===
;1910年代
#参宮鉄道時代から計画はあった。
#*だが着工は国有化後。
#東京などと伊勢神宮の短絡が主目的。
#開通したとたん参宮線の一部に。
#*亀山~津は「亀山支線」として扱われる。
#*なお現在は紀勢本線の一部。
#現在の近鉄鈴鹿線はこの路線の鈴鹿駅に乗り入れていた。
#寝台特急「紀伊」もこのルートを通っていた。
#*所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
#**普通に紀伊勝浦か新宮で長時間停車していたんじゃないの?別にすぐに下りなきゃいけないとは書いてない訳だし。
 
;1980年代後半
#最初から3セクだった。
 
===近鉄鳥羽線===
;1930年代
#「志摩電気鉄道山田線」として開業。
#*この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
#**標準軌への改軌が史実よりかなり早まっている。
#**買収と同時に山田線に編入された可能性も。
#計画時期によっては宇治山田駅は最初から通過可能の構造になっていた。
#朝熊駅では朝熊山ケーブルカーと接続している。
#*ケーブルカーは戦後復活を果たしていた。
#賢島方面の観光開発は更に進んでいる。
#*[[大阪万博#1970年日本万国博覧会の噂|1970年の大阪万博]]あたりで進んだか。
#国鉄参宮線の伊勢市~鳥羽は1960~70年代に廃止されていたかも(史実でも赤字83線に選定されていた)。
#線形は現実よりも悪かったかもしれない。
#*確実に踏切が存在した。
#遅くても難波線開業までに大阪線・名古屋線は全線複線化(宇治山田-鳥羽間の建設・鳥羽-賢島間の改軌費用が回るため)。青山峠区間は(工期短縮が優先)単線並列方式で複線化。そのため上下線の所要時間が異なる。難波線開業の翌年に発生した衝突事故はない。
#*旧東青山駅を経由する線形の悪いルートになるため、アーバンライナーや伊勢志摩ライナーは振り子式車両で製造され、ひのとりは車体傾斜装置を取り付けて製造されていた。
#*[[もしあの鉄道事故が○○だったら/1990年代以前#近鉄特急正面衝突事故|こうなる]]。
 
===愛知環状鉄道===
;1920年代
#岡崎市街地や挙母町、瀬戸と東海道本線を結ぶための路線。
#*貨物列車を名古屋市街地に入れないことも意識されている。
#中岡崎駅が「岡崎駅」を名乗っていた。
#*東海道本線の岡崎駅は「南岡崎」か「岡崎口」に改名された。
#戦時中に空襲時の迂回路として城北線に相当する区間も建設される。
#現在もJRの路線だったかもしれない。
#*最初から多治見ではなく高蔵寺を目指していたのであれば路線名は「挙母線」になっていた。
#*当初の予定通り貨物輸送も頻繁に行われていた。
#*[[もし中央本線が○○だったら#神領~勝川間が複々線化されていたら|<span style='color:#fbfaff;background-color:#db5b00'>中央線の神領~勝川間が複々線化された。]]
#名鉄挙母線は存在しなかった。
 
;1940年代
#名古屋の空襲に備えて勝川-稲沢も城北線として同時に建設。三河鉄道上挙母-大樹寺-岡崎駅前間は不要不急路線に指定され休止される。
#「挙母線」が路線名になる。
#多治見・高蔵寺ではなく神領が終点になる。
#*その為、中央(西)線の快速は高蔵寺ではなく神領に止まる。
#*瀬戸~多治見間の建設計画も出るが着工されない。
#**多分非電化。
#1970年代に、全線にわたり複線化と電化が行われた。
#*上の城北線も同時期に。
#*その為、名古屋を迂回するバイパスルートとして、挙母線と城北線の建設効果を十分発揮した。
#*[[愛知万博|愛・地球博]]の観客輸送で活躍している。
#現在は城北線も含めJRの路線に。
 
===名鉄羽島線===
;1964年
#「夢の超特急」との連絡線ということで開業時は大々的にPRされた。
#*新岐阜からの直通特急が設定されていた。
#この路線の建設に関しても大野伴睦が絡んだ噂がささやかれる。
#現在は結局現実と大きな差はない。
#*ただし新羽島駅の駅舎はもっと古い。
#**地平ホームの1面2線になっていた。
#どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止される。
#一部で国鉄による買収が噂されるも実現せず現在に至ると思われる。
#[[岐阜/西濃#安八町の噂|安八]]・[[岐阜/西濃#輪之内町の噂|輪之内]]経由で[[岐阜/西濃#養老町の噂|養老]]への延伸構想が出ていたかも。
 
===名鉄豊田線===
;1930年代
#三河鉄道の経営状態が良ければ着工できた。
#八事以西が名古屋市電八事線になることはなかった。
#*軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
#**あるいは神宮前に延伸され[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]と接続していた。
#踏切がある代わりに加算運賃が存在しない。
#*トンネルも現実より少なく、一部のルートが現実と異なっている。
#[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|地下鉄鶴舞線]]は存在しないか八事止まり。
#特急が運転され名古屋〜豊田を30分以内で結んでいた。
 
===名鉄豊川線===
;1920年代
#飯田線国有化前なので豊川駅に乗り入れていたかもしれない。
#名鉄小坂井支線はなかった。
 
===名古屋市営地下鉄上飯田線===
;1960年代
#名鉄小牧線の一部だった。
#*300と名古屋市7000形は導入されなかった。
#*2代目3300系の運用はなかった。
#*1980年代までに全線複線化された。
#[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら#桃花台新交通|ピーチライナーの開業]]が早まった。
 
;1970年代前半
#当初上飯田-新栄町が開業。
#当初名古屋市側は300形の20m・片側4扉・DC1500V架線集電版が導入された。
#名鉄100系登場が早まった。
#*上記の2代目3300系の小牧線運用はなかった。
#*同じく小牧線は1980年代までに全線複線化された。
#上記のピーチライナーの開業が早まった。
 
;1970年代後半
#上記同様当初上飯田-新栄町が開業。
#時期によっては3000形登場が早まり史実以上に導入された。
#上記の名鉄100系登場が早まったかも。
#*同じく2代目3300系の小牧線運用はなかった。
#*同じく小牧線は1980年代までに全線複線化された。
#上記のピーチライナーの開業が早まった。
 
;1980年代
#新栄町駅まで開業していた。
#*名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
#*市役所経由で金山まで開業していた可能性もあり得る。
#名古屋市交通局7000形電車は、3000形電車をベースに製造されていた。
#名鉄小牧線は小牧~犬山間も複線化されていた。
#上記のピーチライナーの開業が早まった。
 
;1990年代
#早くても、1991年頃に開業していた。
#*新栄町駅まで開業していたかもしれない。
#*名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
#*もしかしたら、丸田町の先である矢場町or金山or鶴舞orささしまライブまで延伸していた可能性もある。
#7000形電車が史実よりも早く登場し、製造数も史実よりも多くなっていた。
#間内駅付近に車庫ができていた。
#桃花台新交通桃花台線が廃止されることはなかった。
#運行本数が史実よりも多くなっていた。
#2004年には東部線(ささしまライブ~高針橋)が開業していたかもしれない。
#*グローバルゲートを含むささしまライブ24地区の再開発事業が史実よりも進んでいた。
#**中京テレビの移転も史実よりも早まっていた。
#*その際に、上飯田線は2003年頃に丸田町まで延伸していた。
#名鉄300系電車は100系電車、200系電車と同じのタイプの車両に製造されていた。
#*3300系電車(2代目)が投入されることはなかった。
 
;2001年
#間内駅付近に車庫ができていた。
#それ以外で、史実とあまり変わらなかった。
 
===名古屋市営地下鉄桜通線===
====野並~徳重====
;1990年代
#6両編成で運行されていたかもしれない。
#緑区における宅地開発が史実よりも進んでいた。
#2011年に徳重~豊明北間が開業していた可能性もあり得る。
#*もしくは、野並~徳重~豊明北間として開業し、車庫は当初の計画通りに豊明北駅付近に車庫ができていた。
 
;2000年代
*史実では、2011年3月に開業しました。
#2005年に開業した場合、開催されていた愛知万博に合わせての開業であった。
#開業記念イベントが実際に行われていた。(史実では、東日本大震災の影響により、中止となった。)
#その後も、延伸計画が実施されていたかどうかは怪しい。
#無論、6050形電車の登場が史実よりも早まっていた。
 
====中村区役所~今池====
;1970年頃
#国鉄(当時)名古屋駅付近は,地下街「エスカ」「ユニモール」と一体で建設された。車両の大きさは,東山線・名城線(・名港線)と同じ。
#*市電中村線は2年程早く廃止される。
#**その為桜通線は稲葉地~今池間が最初の開通区間に。
#*中村公園駅に,東山線との連絡線も同時に建設。
#*稲葉地付近に車庫が建設される(大規模な検査は中村公園駅の連絡線経由で回送の上,東山線藤が丘工場で実施)。
#現実より建設費が安く,市の財政状況が少し良くなる。現実より浅い場所を通る。
 
===名鉄知多新線===
;1930年代
#常滑か河和から延伸していた形で開業していた。
 
;1970年代
#沿線の宅地造成が史実よりも進んでいた。
#*小野浦駅が開業していた可能性が高い。
#名鉄による観光開発が史実よりも進んでいたかもしれない。
#*南知多ビーチランドと内海フォレストパークの開園が史実よりも早まっていたかもしれない。
#*8800系電車の登場が若干早まっていたかもしれない。
 
===名古屋市営地下鉄名城線===
====新瑞橋-大曽根====
;1980年頃
#[[ナゴヤドーム]]ではなく瑞穂公園に大規模な車庫が建設される。'70年代後半に,2000形(3000形同様の,電機子チョッパ制御・スキンステンレス車両)が名城線に導入される。史実の2000形相当の車両は,2050形を名乗る。
#*2000形は当初から冷房付き。2010年代後半にN2000形(N1000形ベースの名城・名港線用車両)に置き換わる。名城線の6連化は早まる。
#総合リハビリセンター駅は当初の計画通りに清水ヶ岡駅と名乗っていた。
 
===名古屋市営地下鉄鶴舞線===
====上小田井-庄内緑地公園====
;1985年頃
#市交通局3000形・名鉄100系は、1990年頃までにすべて6両化される(従来編成に中間車両を挿入)。その代わり、名鉄100系4+4両編成は存在しない。
#*市交通局3000形・名鉄100系の製造数が史実以上に。
#史実より、1980年代後半の鶴舞線・名鉄犬山線・名鉄豊田線の混雑を緩和している。名鉄犬山線・豊田線の宅地化が、(バブル景気の頃)史実以上に進む。
 
====伏見-八事====
;1970年代前半
#開業当初の車両は300形を20m車・片側4扉・直流1500V架線集電方式に変更した車両。ただ、抵抗制御車両で、当初は非冷房で登場した。
#八事~赤池間の延伸も早かった、名鉄豊田新線(当時)も同時期に開通している。
 
===桃花台新交通===
;1920年代
#[[もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら#桃花台新交通|普通鉄道だった]]。
#*名鉄旧小牧→岩倉支線の延伸扱いだった。
 
;1980年
#8月の入居開始までに開業。
#1990年頃に高蔵寺まで延伸される。
#桃花台ニュータウンと小牧市の人口が史実以上に多かった。
#名鉄、日本車輌、三井物産(日車と物産はVONAを共同開発)が主要株主に。
 
===名古屋市営地下鉄東山線===
====名古屋-栄町====
;1930年代
#=「名古屋地下鉄道」が実現していたらである。
#当初の車両は木目調の内装だった。
#*車体は流石に全鋼製車体。
#建築限界の規格は史実より大きい。
#*ホームの長さも8両編成ぐらいまで対応していた。
 
===遠州鉄道関連===
====遠州鉄道奥山線====
;1940年代前半
#遠州電気鉄道(遠電)の三方原線として建設された。
#*当初は非電化・1067mm軌間で省線との直通が考慮された。
#**陸軍飛行学校への引き込み線が存在した。
 
====浜松電気鉄道中ノ町線====
;1930年代
#開業当初「関東や関西の電車並み」に無駄な高性能車が使用される。
 
===あおなみ線===
;全般
#開業時期次第で市中心の3セクではなく国鉄→JRか市交通局が運営していた。
#*1997年以前だったら旅客化と同時に電化されていた。
#*前者運営の場合1962年以降だったら111・113系が現実より多く導入されたかも。
#**その場合[[もしあの国鉄路線が全通していたら/東海#南方貨物線|南方貨物線が実現していたかも]]。
#国鉄旧笹島駅跡地の再開発が早まったかも。
#*キルメスや木下サーカスやデラファンタジアなどの会場にならなかった。
#*グローバルゲートが現実より早く完成した。
#**[[中京テレビ放送|中京テレビ]]の移転時期次第でそこに入っていたかも。
#**名鉄主体で開発されたかも。
#東山線の高畑延長はなかったかも。
#[[中部国際空港|セントレア]]延長構想はなかったかも。
 
;1916年
#当初は白鳥線を名乗った。
#*もちろん名古屋起点だった。
#*笹島分離(開業)が早まったかも。
#*現実のそれはどうなっていただろうか。
 
;1950年代
#国鉄線で開業。
#*1970年代以降に電化されていたかも。
 
;1962年
#上記同様国鉄線で開業。
#*当初から電化。
#**上記の111・113系が現実より多く導入された。
 
;1963-1970年
#上記同様国鉄線で開業。
#*同じく当初から電化。
#**上記の113系が現実より多く導入された。
 
;1970年代
#上記同様国鉄線で開業。
#*同じく当初から電化。
#**上記の113系が現実より多く導入された。
 
;1980年
#上記同様国鉄線で開業。
#*当初から電化。
#**上記の113系が現実より多く導入された。
 
;1988年
#[[もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら|同年の名古屋オリンピックが実現していたら]]あり得た。
#*現実通り実現しなかった場合翌年のデザイン博を見越し開業。
#市交通局が東部線開業を見越し運営。
#*当初現実の桜通線6000形と似た車両が走る。
 
===静岡鉄道===
====静岡市内線====
;1908年
#旧静鉄が軽便規格で建設。
#安西方面が院(→省→国鉄→JR)線静岡駅方面より先に建設。
 
===リニモ===
;1970年代
#[[もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら#愛知高速交通|<span style='color:#030009;background-color:#fa0;'>普通鉄道だった]]。
 
;1988年
#[[もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら|<span style='color:#fbfaff;background-color:#c08500;'>1988年の名古屋オリンピックが実現していたら]]あり得た。
 
===ゆとりーとライン===
→[[もしあのバス路線が○○だったら#別の時期に運行開始していたら|<span style='color:#30f;background-color:#f9faff;'>もしあのバス路線が○○だったら#別の時期に運行開始していたら]]
 
===長良川鉄道===
;1900年代
#開業当初の社名は「長良川軌道」。
#国有化ではなく名鉄(の前身)と合併していたかも。
 
;1910年代
#名鉄の前身美濃電軌が建設。
 
===北恵那鉄道===
;1900年代
#当初軽便で開業。
#のちに官鉄→院→省線と直通させるため狭軌に改軌される。
#*その後[[もしあの鉄道が国有化されていたら#北恵那鉄道|<span style='color:#030090;background-color:#fbfaff; '>国有化された]]可能性も。
#**その場合でも[[もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/東海#北恵那鉄道|<span style='color:#030090;background-color:#fbfaff;'>現在も存続している]]か分からない。
 
==甲信越・北陸==
===北越急行ほくほく線===
;1930年代
#[[もしあの鉄道が国有化されていたら/東日本#頸城鉄道|頸城鉄道が国有化]]され六日町まで延長されたことに。
#現実よりトンネルが少なくその長さが短い。
#*高度成長期に高規格化。
 
;1970年代
#「南北戦争」と呼ばれる地元でのルート争いがなかったのが前提。
#現実ほど高規格ではない。
#*美佐島駅があそこまで堅牢な構造になる事は無かった。
#*ただ、貨物列車の走行に対応した構造になっていた。
#駅名はそこまで奇抜ではない。
#*増田駅(史実のくびき駅)の駅舎も。
#*時期次第では武蔵野線に「武蔵新座」駅ができていた。
#**酷い場合はそちらが「にいざ駅」になっていたかも…
#この路線の開業時から上越新幹線開業まで上野-金沢の「はくたか」が通っていた。
#*新幹線開業後は越後湯沢-金沢だけ存続。
#**北陸新幹線開業後はさすがに廃止か。
#「電車でGO!」には登場しなかった。
#特急「かがやき」は誕生せず。
#*いや、むしろ特急「きらめき」が「かがやき」と名乗っていた可能性がある。
#**「きらめき」は現在、九州の特急列車だから被らなくて済んだだろう。
#急行「よねやま」が柏崎発着に短縮されたかも。
#*むしろ、別途に上野~十日町~直江津間を結ぶ急行「魚沼」が1982年11月頃までに運行されていた。
#2001年3月までに特急「雷鳥」が当路線に乗り入れて、越後湯沢までに運行されていたかもしれない。
#急行「能登」と特急「北陸」が当路線を経由していたかもしれない。
#もし国鉄→JR東日本の運営だったら、北陸新幹線延伸開業までは、故宮脇俊三氏の著書「線路のない時刻表」で書かれていた空想ダイヤそのまんまのダイヤで運行されていた。史実とは違って最高速度はせいぜい110km/hで、高速化特別工事も実施されず。
 
;1982年
#上越新幹線の開業に控えての開業であった。
#*1981年に開業した場合、上越新幹線の開業までに普通列車だけでの運行であった。
#1982年11月15日のダイヤ改正で越後湯沢~金沢間の特急「はくたか」が新設された。
#*特急「きらめき」や「かがやき」が新設されることはなかった。
#*特急「はくたか」は全てJR西日本所属の車両による運行であった。特急「北越」も同様なことになっていたかもしれない。
#*最高速度が130km/hになるように設計されていた。
#*複線化されていたかもしれない。
#*普通列車が115系電車が走行していた。
#*1985年3月14日のダイヤ改正で信越本線経由の特急「白山」は廃止されていた。
#貨物列車が走行できるように設計されていた。
#*寝台特急「北陸」は1982年11月15日のダイヤ改正で当路線経由となり、寝台急行「能登」は上越線経由になっていた。
#*関西~越後湯沢間のシュプール号が運行されていた。
#路線名は「北越線」か「十日町線」になっていた。
#北陸新幹線の延伸により、当路線の処遇を巡り、新潟県と対立していた。
#*北陸新幹線の金沢延伸開業が史実よりも遅れていたかもしれない。
#民営化後にJR西日本は関西発着の特急「サンダーバード」とともに特急「はくたか」の速達化とサービス向上に力を入れていた。
 
===富山地方鉄道関連===
====万葉線====
;1910年代
#開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
#*いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
#国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
#*「貨物線なのに独立線名」とはならず、名実共に氷見線の貨物支線になっていた。
#場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
#開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
#第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
#伏木線以外にも廃止になった支線があった。
 
====富山地方鉄道不二越・上滝線====
;1950年代
#この年代だと路線が比較的高規格のはずなので、こちらが立山駅行き特急のルートになっていた。
#*むしろ立山へ行くときに遠回りな五百石線(現立山線)の短絡線として建設されていた。
 
====富山地方鉄道富山港線====
;1910年代
#旧富山電軌が建設。
#*当初は全線軌道法を適用。
#[[もしあの鉄道が国有化されなかったら/西日本#富山地方鉄道富岩線|国有化されなかったかも]]。
 
===新潟交通電車線===
;1910年代
#最初新潟水電→新潟電力が建設していた。
 
===山梨交通電車線===
;1900年代
#最初は軽便鉄道だった。
#*いつ頃電化されただろうか。
 
==中国・四国==
===予土線===
;1980年代
#第三セクター線での開業。
#*江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
#*会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
#史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
#*予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
#**その場合、愛媛県も出資している関係で「予土くろしお鉄道」という社名になっていたかもしれない。
#一部の駅に凝った装飾が施される。
#*候補:土佐大正、土佐昭和、半家
#ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
#*牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
#*あるいはこの三セク会社が走らせる(JRグループだからこそあった発想のような気もするが)。
 
===木次線===
;1970年代
#全線が最初から国鉄線として建設された。
#そこまでカーブだらけではない。
#*大東町には寄れていない。
#島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
#*出雲坂根駅は存在しなかった。
#三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
#急行ちどりはもう少し存続していた。
#備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
#特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。
 
===水島臨海鉄道===
;1910年代
#主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
#*倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
#戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
#*戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
#*その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
#**あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
#当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
#*軌間762mmで開業していたかもしれない。
 
===アストラムライン===
;1980年代前半
#まずは本通-長楽寺が開業。
#*市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
#開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
#車両の塗装は白っぽい。
#祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
#バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
#*しかし実際に開業した区間は少ない。
#*1990年頃に[[Wikipedia:ja:西風新都|西風新都]]が完成、長楽寺から広島修道大学の沼田キャンパス辺りまで延伸される。
 
===呉市電===
;1920年代
#史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
#軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
#広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
#*しかし開業することはなかった。
#少なからぬ車両は広島のお古。
#*原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
#人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
#*広電と接続できれば(JRがあの調子なので)それなりに残れた可能性もあったかもだが……
 
===土佐くろしお鉄道===
====ごめん・なはり線====
;1920年代後半
#省線で建設され当初「高知線」の一部だった。
#*その場合史実の「高知線」後免以東は当初「(初代)阿佐線」を名乗った。
#**三縄~豊永間が開業した頃多度津~後免~洲崎間が「土讃線」となり後免以東が「(2代目)阿佐線」に分離された形か。
 
;1970年代
#キハ40系気動車とキハ54形気動車とキハ58形気動車が当路線を走行していた。
#奈半利~室戸間も着工するが、それでも開業に至らなかった。
#特定地方交通線に指定され、1988年3月に中村線とともに土佐くろしお鉄道に移管していた。
;1990年代
#1996年頃or1997年頃に開業していた可能性が高い。
#2002年7月に室戸まで開業していた。
#*その場合、高知~室戸を結ぶ特急「むろと」か快速「むろと」が運行されていた。
#*奈半利以遠は工事の進捗状況からしてさすがに厳しかった気がする。
#宿毛線の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
 
====宿毛線====
;1970年代
#窪川~中村~宿毛間が宿毛線になっていた。
#*土讃線に編入されていたかもしれない。
#特定地方交通線に指定され、1988年3月に土佐くろしお鉄道に移管していたのは史実通り。
#*その代わりに、路線名は、窪川~中村~宿毛間で宿毛線となっていた。
#1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
#*ごめん・なはり線の開業が史実よりも遅れたのは宿毛線の建設に力を注いでいたため。
#宿毛駅が史実とは異なった場所に設置されていた。
#*宇和島方面へ延伸できる構造になっていた。
 
====中村線====
;1930年代
#土讃線の延伸で開業した。
#*1920年代までか開業と同時に[[もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら#須崎-窪川|須崎~窪川間が開業した]]。
#窪川~佐賀間は与津(のち興津)村を経由する。
 
===三江線===
;1910年代
#カーブだらけの線形だった。
#*現実よりトンネルの数が少なく長さが短い。
#木炭や銀など主に沿線や石東の産物が多く輸送された。
#*旅客が少なくてもその輸送量次第で幹線入りしていた可能性も。
 
;1980年代以降
#第三セクター鉄道として開業していた。
#観光鉄道として売り出していた。
 
===土讃線===
====須崎-窪川====
;1920年代後半
#現実より海沿いを通る線形になっている。
#*恐らく久礼~窪川間は旧上ノ加江町と旧東又村を経由するルート。
 
===可部線===
====横川-可部====
;1951年
#[[Wikipedia:ja:第6回国民体育大会|広島国体]]に合わせ開通。
#当初非電化。
 
====可部-三段峡====
;1970年頃
#'70年代に浜田への延長が実現していたかも。
#*でも全線電化されない。
#**キハ40か66・181系が現実より多く導入された。
#*その一環で横川-可部が複線化された。
 
===倉吉線===
;1950年代
#早い時期に[[もしあの国鉄路線が全通していたら/西日本#南勝線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>全通していた。]]
#*陰陽連絡線になれていた。
 
===宇品線===
;1900年代
#[[山陽本線|<span style='color:#fdfdff;background-color:#00f;'>山陽線]][[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#宇品線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の支線扱いだった。]]
 
===大社線===
;1900年代
#[[山陰本線|<span style='color:#fdfdff;background-color:#00f;'>山陰線]][[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#大社線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>の支線扱いだった。]]
 
===山口線===
;1900年代
#[[もしあの路線が本線だったら#山口線|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff; '>山陰本線の一部だった。]]
#益田~正明市→長門市~幡生間は「正明線」となっていた。
 
==九州==
===筑豊電気鉄道===
;1930年代
#地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
#*当初の社紋は史実と全く異なる。
#*合弁相手の鉄道会社は[[Wikipedia:ja:九州鉄道 (2代)|九州鉄道(2代目)]]が有力。
#黒崎駅へは自力で乗り入れ。
#戦時統合で西鉄の路線になっていた。
#*路線名は「西鉄筑豊線」。
#**北九州線全廃あたりで(史実の西鉄SS相当の)「西鉄交通S」に移管されたかも。
#開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
#飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
#*それでも八木山峠は結局越えられず。
#貨物輸送はさすがにやっていない。
 
===沖縄都市モノレール===
;終戦直後
#沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
#*沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
#*むしろ地元資本による開業。
#**当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
#走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
#*場合によっては一部車両が現在も保存されている。
#少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
#*コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
#そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
#*現在では右側通行時代の車両が保存されている。
#*併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
#**自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
#*そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
#*「日本国内で右側通行の貴重な鉄道路線」として注目される。
 
;1970年代(返還直後)
#沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
#現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
#こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
#*もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
 
;1987年
#[[Wikipedia:ja:第42回国民体育大会|海邦国体]]に間に合うように開業。
#*開業が1年早まった可能性も。
#新都心開発が史実より早まる。
#2000年頃までに4両化される。
#[[もし南西放送が開局していたら|南西放送が開局した]]かも。
#*でもセブンが2000年頃進出するわけないか。
 
;1990年代
#首里城公園が開園した1992年か九州沖縄サミットに開催された2000年(前年の1999年)に開業していた。
#2003年には、浦添前田駅までに延伸開業していた。
#*2019年には、てだこ浦西駅までの延伸開業をしていた。
#*むしろ、2003年にてだこ浦西駅までに開業していた可能性もあった。
#会社自体は82年創設なのでこうならなかったのがむしろ不思議。
#現在までに4両編成化されている。
#那覇新都心における再開発が史実よりも進んでいた。
 
;2001年
#21世紀最初の年に開業いていたこともあって、注目された。
#2002年のFIFAワールドカップの開催を機にラッピング列車が運行されていた。
#沖縄タイムスの移転など那覇新都心の開発事業が史実よりも進んでいた。
#2003年頃に石嶺駅まで先行開業していた可能性もある。
#*てだこ浦西駅までの延伸開業は史実通り2019年に開業していた。
#*いや、当初の予定通り、2019年春に開業していた。
#*2003年にてだこ浦西駅までに延伸していた可能性もある。
 
====首里~てだこ浦西====
;2003年
2003年8月に最初から、那覇空港~首里~てだこ浦西間が開業していたら…
#3両編成で運行されていた。
#浦添市でも住宅団地の整備が史実よりも進んでいた。
#*セブンイレブンやドンキホーテなどの企業が史実よりも早く沖縄県に進出していた。
#*てだこ浦西駅周辺の開発も史実よりも早く進んでいた。
#沖縄県において、パーク&ライドが流行していた。
#首里で折り返す列車は通常ダイヤで設定されなかった。
 
;2015年
#てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#2019年の開業の時とあまり変わらなかった?
#浦添市にとって、市制施行45周年という記念すべき年であったので、二重の喜びであった。
 
;2019年春
#てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#浦添市の市街化が史実よりも進んでいた。
#当路線でのSuicaの利用開始も延伸開業を機に同時に行われていた。
 
===大分交通別大線===
;1930年代
#別大国道の整備と並行して建設される。
#両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
#*大分側にはトキハ本店が入居していたかもしれない。
#大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
#もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
#場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
#*それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
#時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。
 
;1960年代
#[[もしあの路線がモノレール規格で開業していたら#大分交通|モノレールで開業]]。
 
===長崎本線===
;1840年代
#最初はオランダ側が無許可で作ったものなので数年で撤去された。
#*出島のオランダ人は商館長の江戸訪問時を除き島の外に出られなかったのでそれはない。
#開通当初は長崎の住民に恐怖が充満した。
#*むしろ「恐怖半分興味半分」とでも表記したほうが正確な状態では。
#最初はウシが引いていたが、しばらくして蒸気機関車の使用も開始された。
#いったい最初の開業区間はどこなのか…
 
=== 鹿児島本線 (八代~川内~鹿児島) ===
;1900年代
#当然、九州自動車道の八代以南は西回りで建設された。
#人吉~吉松間は建設すらされなかった。
#*代わりに立野-延岡間が1930年頃に全通。
#*現実より急勾配・急曲線が多く、トンネルの数が少ない。
#宮崎方面へは水俣駅で分岐していた。
#人吉は平成の大合併まで市制を敷けなかった。
#現実以上に曲線が多かった。
#*電化時に一部区間の線路が付け替えられる。
 
===福岡市営地下鉄七隈線===
;1980年代
#1000系電車と同じタイプの車両が登場していた。
#*[[もしあの地下鉄が○○だったら#七隈線が狭軌だったら|空港・箱崎線と同一規格だった可能性も]]。
#天神~橋本間or博多~橋本間として、開業していた。
 
;1990年代
#遅くても、1999年頃までに開業していた。
#3000系電車の登場は史実通り。
#史実通りに天神南~橋本間として、開業していた場合、2005年に天神南~博多間が開業していた。
#*博多駅前道路陥没事故は起きていたのであろうか?
#*九州新幹線が全通した年である2011年に開業していた可能性もある。
#**その代わりに、東日本大震災の影響により、開業記念イベントは中止となっていた。
#キャナルシティ博多の利用客が史実よりも多くなっていた。
#*キャナルシティ博多イーストビルの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。
 
===南阿蘇鉄道===
;1914年
#「宮地軽便線」で開業。
 
===篠栗線===
====吉塚-篠栗====
;1930年代
#[[西日本鉄道|西鉄]]前身の会社が建設。
#*標準軌が採用されDC600V複線電化。
 
====篠栗-桂川====
;1904-1910年
#当初峠越えの区間は急な勾配や曲線が多かった。
#*鉄オタに難所で知られた。
#「筑前山手」駅は「山手」駅で開業していた。
#長尾線→筑豊線の一部になっていた。
#*史実の桂川-原田は[[もしあの鉄道路線が開業していなかったら#桂川-原田|開業しなかった]]か遅れていた。
#**開業していたら「原田線」に分離された可能性も。
#*戦時中まで吉塚-桂川-飯塚が複線化された。
#**鹿児島線博多-吉塚も同時期に複々線化された。
#***[[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR九州#博多への乗り入れが史実よりも早まっていたら|博多への全列車乗り入れ]]も同時期に行われた。
#*20世紀中に吉塚-桂川-折尾が電化された。
#**電車運用は鹿児島線と共通に。
#[[もし全国の炭鉱や鉱山を存続させていたら]]沿線がかなり発展していた。
 
===西日本鉄道===
====西鉄大川線====
;1980年代
#史実で(天神)大牟田線に編入された津福-大善寺は1930年代に開業していた。
#*安武-犬塚の線形は史実より良かった。
#[[もしあの空港が○○だったら#国際空港として開港していたら|九州国際空港の実現]]を見越して建設され「空港線」になっていた。
#*史実の[[福岡市交通局#空港線の噂|「地下鉄空港線」]]は「地下鉄博多線」になっていた。
#*「空港線」開業前に大牟田線の試験場前-大善寺が複線化された。
#5000形が史実より多く導入された。
#*6000・8000形登場が早まったかも。
 
====西鉄貝塚線====
;1980年代
#[[もし西日本鉄道が○○だったら#宮地岳線|地下鉄との相互乗り入れ]]を前提に建設された。
#*全線複線化前提で踏切は存在しない。
#西鉄と県や古賀・福津・宗像市と新宮町などが株主の3セクが運営。
#*貝塚-三苫が地下鉄箱崎線でそれ以東を運営。
#**史実より前者区間の利用者が多い。
#*当初の保有車は地下鉄1000系同型車。
 
===熊本電気鉄道===
====菊池線====
;1960年
#[[熊本の交通#九州産業交通ホールディングス|産交]]が[[Wikipedia:ja:第15回国民体育大会|熊本国体]]に合わせ建設。
#開業から[[もしあの路線の直通運転が行われていたら#熊本電気鉄道・熊本市電|市電と直通]]。
 
===佐賀関鉄道===
;1920年代後半
#省線で開業。
#「日鉱」は駅名に付かない。
 
===福岡市地下鉄空港線===
;1930年代
#[[西日本鉄道/路線別#福岡市内線|福博電車]]が一部地下化しただけ。
#*現在は[[西日本鉄道|西鉄]][[もしあの鉄道会社を他社が経営していたら#福岡市地下鉄|の経営]]。
#*[[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR九州#福岡市地下鉄と直通運転を行わなかったら|国鉄→JR筑肥・唐津線との直通はなかった]]。
 
;1984年
#[[国鉄103系電車|国鉄103系]]1000代の[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#103系1000番台筑肥線転用|筑肥・唐津線転用が実現していた]]。
#*[[JR九州の車両/形式別#303系|JR303系]]が[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#303系|現実以上に導入され]][[JR九州の車両/形式別#305系|同305系]]は導入されなかった。
 
===北九州モノレール===
;1920年代
#「日本初のモノレール」だった。
#[[日本|<span style='color:#ff0041;background-color:#fbfaff;'>日本]]のモノレール普及が早まったかも。
 
===佐賀電気軌道===
;1930年代
#最初から[[もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら#佐賀電気軌道|<span style='color:#00f;background-color:#ffa400;'>普通鉄道で開通]]し電化。
 
;1980年代
#[[もしあの空港が○○だったら#国際空港として開港していたら|<span style='color:#00f;background-color:#fdfdff;'>九州国際空港の実現]]を見越して建設された。
 
===鹿児島交通枕崎線===
;1930年代
#[[九州旅客鉄道/路線別#指宿枕崎線の噂|<span style='color:#008;background-color:#eef;'>「指宿線」]]の一部だった。
 
===博多南線===
;1900年代
#要するに[[もしあの鉄道路線が開業していたら#那珂川軽便鉄道|<span style='color:#ffa400;background-color:#00f;'>那珂川軽便が実現していた。]]
 
==海外==
===英仏海峡トンネル===
;1890年代
ドーバー海峡にトンネルを建設する構想は古くからあり、19世紀に最初の調査・掘削が行われています。
#オリエント急行はロンドン発着だった。
#*後のTEEにも「ブリタニア」「ロンディニウム」などの愛称を持つロンドン発着の列車があった。
#現実より断面が小さい。
#大戦中にドイツ軍の攻撃対象にされた。
#*むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
#**作戦名も「アシカ作戦」ではなく「ダックスフント作戦」あたりになっていた。
#欧州大陸と同じ規格で建設されたグレート・セントラル本線が真価を発揮できていた。
#*もちろんビーチング・アックスの魔の手にもかからず現役バリバリだった。
;1980年代
1978年に掘削が再開されましたが、その後1986年まで工事中止になってしまいました。
#当初は「世界最長の鉄道トンネル」を名乗った。
#TGVは北線が優先的に建設される。
#日本にカートレインが登場する時期が早まっていた。
#Class 373はTGV Sud-Estをベースとした車両になっていた。
#日本の青函トンネルが開業した年である1988年になっていた可能性もある。
 
===瀋陽地下鉄(中国)===
;1940年代
#要するに、[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄#奉天市地下鉄道(中国)|この計画]]が実現。
#北京ではなくこの地下鉄が「中国初の地下鉄」に。瀋陽市民の自慢ネタが増える。
 
===ソウルメトロ(韓国)===
;1930年代
#[[大阪市高速電気軌道御堂筋線|御堂筋線]]の一部区間のように昭和恐慌の失業者対策の一環で建設された。
#日本時代に建設(開通)した路線は左側通行になる。
 
===中国高速鉄道===
;最初の区間が1964年に開業
#[[もし中国国民党が中国共産党に勝っていたら|国民党が共産党に勝っていたら]]実現していた。
#*その場合、1964年のオリンピックが南京で開催されているので南京~上海で建設された。
#*並びに1980年までに中国全土に高速鉄道網が張り巡らされていた。
 
;最初の区間が1988年に開業
#[[もし中華人民共和国が○○だったら#文化大革命|文化大革命がなかったら]]実現していた。
 
===泰緬鉄道(タイ・ミャンマー)===
;1910年代
*20世紀初頭にイギリスが検討していたが地形の関係で建設が断念された。
#「戦場にかける橋」の内容が変わっていた。
 
===平壌地下鉄(北朝鮮)===
;1930年代
#最初は路面電車同様に府の直営だった。
 
;1980年代
#[[もしあの国が今でも存続していたら/アジア#大韓帝国|大韓帝国が存続していた]]か[[もし朝鮮半島が分断されずに日本から独立していたら#アメリカ主導で独立した場合|朝鮮が西側主導で独立していた]]か[[もし朝鮮戦争が○○だったら#韓国が勝っていたら|南側が朝鮮戦争に勝っていた]]らあり得た。
 
===韓国高速鉄道===
====京釜高速線====
;1930年代
#[[もし弾丸列車が○○だったら#完成していたら|弾丸列車の実現]]を見越し建設。
#鉄道連隊が建設に参加している。
 
===バンコク・スカイトレイン(タイ)===
;1970年代
#国内や東南アジア他国の鉄道整備に大きな影響があったかも。
 
;2010年代後半
#[[韓流]]の方が開通式に参加していたかも。
 
===ジャカルタ都市高速鉄道(インドネシア)===
====南北線====
;1970年代
#史実同様[[日本]]の協力で建設された。
#*「チカテツ」と呼ばれたかも。
#[[韓国]]の[[韓国の地下鉄#ソウル交通公社|ソウルメトロ]]同様[[もしあの路線の直通運転が行われていたら#KRLジャボタベック・ジャカルタ都市高速鉄道(インドネシア)|国鉄→ペルムカ→KAI→KRL線と相互直通している]]。
#*当初使用された車両はそれと同様[[国鉄103系電車|<span style='color:#008; background-color:#fefeff; '>日本国鉄の103系]]基本。
#[[世界の企業#インダストリ・クレタ・アピ|INKA]][[もしあの企業が○○だったら#インダストリ・クレタ・アピが史実より早く設立されていたら|の設立が早まっていた]]。
 
===韓国鉄道===
====京釜線====
;1600年代
#鉄道の[[韓国起源説]]が浮上する。
 
==関連項目==
*[[もしあの駅が別の年に開業していたら]]
 
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[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
[[カテゴリ:もしも借箱/鉄道路線]]

2022年4月21日 (木) 18:50時点における版

分割済み

二地域以上

東北本線

1870年代
  1. 東海道本線と同時に開業。でも、東海道本線と接触はしないかも。
    • 直接接続しようとすると東京市街地を地上で貫通する必要があるため起点は史実通り上野だったと思われる。
  2. やはり大宮はハブられる。
    • 高崎線開業時にやっぱり分岐駅として開業か?
    • 高崎線がない状態での建設なら中山道沿いのルートなど端から通らないはず。つまり日光街道沿いに敷かれる。
  3. 建設スピードは史実より遅い。
    • 当時金のなかった政府が自前で建設することになったと推定されるため。
    • 利根川の渡がなくなる時期は変わらない。
  4. 最初の部分開業は上野~大宮辺りか。
    • 大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
      • と…なると県庁所在地は予定通り岩槻になっていたかもしれない。

上越線

1900年代
  1. ルートは後閑駅付近から赤谷川沿いに進み三国峠で上越国境を越えるもの。
    • この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
      • 代わりに猿ヶ京温泉が有名になっていた。
    • 苗場にプリンスホテルは建設されていない。
  2. 沼田から先は壮絶な難工事になっていた。
  3. 一部区間はラック式鉄道が採用され後に輸送のネックになる。
    • 碓氷峠と同時期に改良されていたかもしれない。
    • 後に清水トンネル経由の新線が開業するかも。
      • 新清水トンネルが複線構造になっていた。湯檜曽駅・土合駅は上り線ホームもトンネルの中にある。
  4. 上越新幹線のルートは史実とあまり変わらない。
  5. 川端康成『雪国』の書き出しが変わっている。
    • 明治時代の技術で清水トンネルのような「国境の長いトンネル」はまず無理。
  6. 「上越線」という名称ではなかった。

東海道本線

1840年代
  • この時代には各地で鉄道建設ラッシュでした。
  1. 日本の鉄道歴史が大きく変わっていたかもしれない。
    • というより定時法や新しい製鉄技術などの導入により日本史の流れ自体が激変している。
  2. 京駅(現・京都駅)~草津駅から建設されていた。
    • 上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
      • 徳川幕府主導なら駿府-江戸-日光間が最優先だろう。その後尾張・水戸・紀伊へと支線を敷く構想を考えていたと思われる。
        • 江戸-駿府間が後の東海道本線に、江戸-日光間は後の東北本線と日光線になっていた。
      • 当時の物流や人の流れを考慮するとまず東海道(江戸-京都・大坂)に建設していたのでは。
  3. ついでに、中山道本線も開業。
    • 当時の技術ではついでに開業できるほど楽に建設できたとは思えない。
  4. 横浜駅ではなく神奈川駅と名乗っていたかもしれない。
  5. 東海道新幹線のルートもかなり違う。
  6. 日本の開国相手がオランダではなくイギリスになっているのが前提条件。
  7. 幕府?で鉄道導入を推進した人物が「超人的な先見の明の持ち主」として後世まで称えられる。
    • 当時アジアのどこにも鉄道はなく鉄道に乗ったことのある日本人も誰もいなかった。
    • 「日本の鉄道の父」と呼ばれている。
  8. 史実の中国(清)の鉄道草創期と同じように各方面から相当な反発を受ける。
    • 線路や停車場への破壊工作が発生していたかもしれない。
    • ベタな鉄道忌避伝説の法則で言われている話が本当に存在したかもしれない。
  9. 東京駅はなく江戸駅が存在した。
    • 新橋や丸ノ内ではなく日本橋辺りにできていたかもしれない。
      • 町人地や大名屋敷が建て込んでいて建設不可かと。
        • ターミナル駅は史実の月島付近の新しい埋め立て地に建設していたと思われる。
  10. 荷物列車が運行されていたとすれば飛脚が大打撃を受けていた。
    • 江戸など市中の飛脚はむしろ栄えていたのでは。
  11. 「徳川慶喜は日本初の鉄道ファン」という誤解が史実以上に広がっていたかもしれない(実際には被写体の対象にしていただけ)。
    • そもそも別の人物が日本初の鉄道ファンと言われていた可能性の方が高そう。
1900年代
  1. =東西幹線が中山道ルートだった場合
  2. 静岡県などの有力者が出資した私鉄による建設。
    • 駅間距離が現実より短い。
    • 静岡〜清水間は現在の静岡鉄道静岡清水線を通る。
      • 当時の私鉄は国の代わりに鉄道の全国ネットワークを形成する役割を担っていたので史実通りのルートだったのでは。
  3. 私鉄時代は関西鉄道と仲が良かったかもしれない。
    • というか、史実の関西鉄道が「東海道鉄道」と名乗って、東海道に忠実な路線を敷いていたのかもしれない。
  4. 区間は横浜市-名古屋付近。
  5. 全通からあまり経たないうちに国営化される。

智頭急行智頭線

1910年代
  1. 「西播鉄道」などを名乗る私鉄が建設。
    • のちに国有化された形か。
1960年代
因幡山形
いなばやまがた Inaba-Yamagata
やまさと
Yamasato
ちず
Chizu
  1. 佐用駅では姫新線と線路がつながっていた。
  2. 開業時から急行や特急が多く運転された。
  3. 何らかの形でキハ82が走ったかもしれない。
  4. 特急の所要時間は現実より長い。
    • そのため現在は高速バスに苦戦している。
    • それでも伊丹-鳥取の航空便は廃止されている。
    • JR化後は振り子式のキハ187系投入や一線スルー化などのテコ入れが実施されて、史実とほぼ同じレベルになる。但し、それにかかる費用は地元負担。
  5. 21世紀に入って因美線智頭以南の廃止が噂される。
  6. 「宮本武蔵」駅などできるわけがない。
    • 恋山形駅は「因幡山形」、大原駅は「美作大原」と名乗っていた。
1970年代
  1. 鉄道公団の手によって、建設されていたので、高速化に対応できる設計になっていた。
  2. キハ181系気動車による特急「はくと」とキハ58系気動車・キハ65形気動車による急行「とっとり」が運行されていた。
    • 特急「はくと」は米子までに運行されていた。
    • のちに、特急「はくと」はキハ189系気動車で運行されていた。
    • JR化後に130km/h化対応工事などのテコ入れが実施されて、史実と同じレベルになるが、工事費用は地元負担。
  3. 1972年or1975年に開業した際には、キハ181系気動車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
    • 1975年開業の場合で製造されたキハ181系は、エンジン出力を440PSに落として屋根上ラジエーターを廃止し、保守性や信頼性を高めた1000番台車として製造されていた。
  4. 1981年の神戸ポートアイランド博覧会と1990年の国際花と緑の博覧会が開催された際に、臨時列車が運行されていた。

赤穂線

1930年代
  1. 実質的に山陽本線の別線扱い。
    • かつては特急「富士」「櫻」「燕」なども通っていた。
    • むしろこっちが山陽本線になっていた。
      • よって現実の上郡回りのルートは上郡線になっていた。
        • 戦時中に金属供出によって単線化されていた。
  2. 山陽新幹線建設時にも赤穂経由が検討される。
  3. 赤穂鉄道・西大寺鉄道は太平洋戦争開戦前に廃止される。
  4. 史実の播州赤穂駅は「播磨赤穂」駅として開業していた。
  5. 場合によっては複線化していた。
    • 上記通り山陽本線の一部になっていたら当然。

野岩鉄道

1890年代
  1. 日本鉄道が日光線の延長で建設。
    • 史実の日中線も含め宇都宮〜米沢が「野岩羽線」となる。
  2. 現実よりトンネルが少ない。
  3. 上越線開通前は東京〜新潟の最短ルートとしても重宝された。
  4. 郡山市福島市が史実ほど発展していない。
  5. 下野電気鉄道は存在しなかった。
1940年代前半
  1. 下野電鉄が国有化されそれを延長する形。

海峡線

1970年代
  1. 札幌オリンピック開催中は臨時列車が運行されていた。
  2. 大阪や東京と北海道各地を結ぶ列車が多数運行されていた。
  3. 津軽線、江差線は複線化されていた。
  4. おそらく在来線規格だった
    • 松前線が現在まで存続し、代わりに江差線木古内以西は史実より早く廃止。
  5. 北海道新幹線は凍結されたままか、札幌-(新)函館(北斗)間が先に開業。
  6. 青函連絡船では洞爺丸型が延命され津軽丸型は登場しなかった。
  7. のちになって新幹線専用トンネルを建設する計画が出る。
  8. 54年の洞爺丸の事故で建設が急がれたことになっている。このトンネル開通を想定して20系500代(極寒地仕様)が製造される。実際の500代は1000代,1000・2000代は2000・3000代となる。
    • 12系500代・14系500代も新造車として登場。極寒地仕様に改造した車両は左形式の区分代となる。781系も約10年早く登場。485系1500代は存在せず。781系が東北より北を走る特急に使用される。
  9. 函館-東室蘭間は電化されて、特急「北斗」は電車化された。
1990年代後半
  1. 英仏海峡トンネルの注目度が高まっていた。
  2. 旅客列車は最初から特急のみだった。
    • 785系に青函トンネル対応の新区分番台が誕生する。
    • E751系も乗り入れに対応していた。
  3. スシ24は登場せず、九州ブルトレや「出雲」用のオシ24が転用されていた。

瀬戸大橋線

1960年代
  1. 特急「富士」、準急「砂丘」が四国に乗り入れていた。
    • 準急「鷲羽」も高松発着となっていた。
  2. 四国新幹線の用地が確保されていたかは微妙。
    • 「現行の瀬戸大橋が老朽化した段階で新幹線対応の新瀬戸大橋を造ろう」という運動があったかもしれない。
  3. 東京と高知、松山を結ぶ寝台特急が運行されていた。
    • ムーンライト松山、高知の先祖に当たる夜行普通列車も存在した。
    • 「土佐」「いよ」が上記寝台特急の列車名に。急行「土佐・いよ」は別の列車名に。
      • おそらく気動車急行の方は「うらと」「いしづち」を名乗っていたと思われる。
    • 当初は20系で登場し、1972年3月に「さくら」・「みずほ」とともに14系に置き換えられた。
  4. 121系は瀬戸大橋乗り入れ可能な規格で作られていた。
  5. 玉野市は岡山市に吸収されたか。
  6. 瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
  7. 建設資金の調達方法が郵便貯金ではなく世界銀行の融資という形で行われていたかもしれない。
  8. 下津井電鉄が国鉄に買収された。
    • されない。江若鉄道同様廃線→一部の用地が流用される程度だと思う。
    • 少なくとも児島駅の位置は変わる。
  9. 四国の電化が早まった。
    • 最初に投入されたローカル車両は新車ではなくモハ70形・モハ80形が転用されて来た。
  10. そろそろ橋の老朽化が問題に挙がってくる頃だと思われる。
  11. 宇高連絡船の廃止時期が早まっていたのは言うまでもない。
    • 伊予丸型は建造されなかった。
  12. 茶屋町〜宇野はクモハ42あたりの単行運転になった。
  13. 環境問題が深刻化する前のことなので工事による瀬戸内海の生態系への打撃が史実以上に。
  14. 「紫雲丸事故」で建設が急がれた、とされる。宇野線岡山-茶屋町間は1970年代までに完全複線化。
  15. 岡山-高松間を結ぶ快速に、サロ110連結の岡山区113系が使用される。'90年頃に221系(岡山駅基準・下関方先頭車がクロ221、大型の前面窓・ハイデッキ仕様のグリーン車)が岡山区に配置され、113系サロ110連結編成を置き換えた。
1970年代前半
  1. 宇高連絡船の廃止が早まったのは言うまでも無く。
    • 宇野線茶屋町~宇野間の列車の多くは単行運転に。
    • 伊予丸型は建造されず、紫雲丸型を修繕しながら廃止まで使い続けていた。
  2. 「紫雲丸事故」を契機に建設開始された、と語られる。
    • 宇野線岡山~茶屋町間は瀬戸大橋線開通から間もない頃に完全複線化。
  3. 四国の電化が早まった。
    • 電化当初の四国ローカル運用に80系が使用され、国鉄末期に下記の121系に置き換え。
    • 121系は瀬戸大橋線乗り入れ可能な規格で製作された。
    • 予讃本線高松~松山間は瀬戸大橋開通と同時期に電化、'90年代に8000系に置き換わるまで181系が電化区間(瀬戸大橋線直通も含む)の特急に使用されていた。
      • 場合によってはキハ181系の製作数が史実より少なかった。
      • 電化区間の急行には山陽新幹線岡山開業で転用された153系が使用された。
  4. 四国新幹線の用地は確保されたかどうか。
  5. 「土佐」「いよ」が東京発高知・松山行きの寝台特急の列車名に。急行「土佐」「いよ」は別の名称になる。
    • おそらく「浦戸」「いしづち」になっていたと思われる。
  6. 瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
  7. 岡山区にサロ111が転入し、岡山~高松間の快速(8・12両編成)に連結された。
    • 1990年頃に221系が岡山区に新製配置、上記113系グリーン車連結編成を置き換えた(岡山駅基準・下関方面の先頭車が大型の前面窓・ハイデッキ構造のグリーン車クロ221)。
  8. 下津井電鉄の鉄道事業撤退が早まった。
  9. 高徳本線、土讃本線(多度津~高知間)は電化されただろうか。

関門鉄道トンネル

1930年代
  1. 昭和恐慌における失業対策として、着工されていた。
  2. 史実通りに、単線で開業していた可能性が高い。
    • のちに、追加という形で、上り線トンネルが開業していた。
  3. 遅くても、1935年に下り線トンネルが開業し、1937年に上り線トンネルが開業していた。
1950年代
  1. 特急「かもめ」と特急「あさかぜ」の運行がずれ込んでいたかもしれない。
    • 開業と同時に運行が開始されていた。
  2. 最初から、複線で開業されていた。
  3. 1950年代後半の開通ならトンネルの西側は最初から交流電化になっていた。EF30形の登場も史実より早かった。

紀勢本線

1920年代
  1. 線形は史実より悪かった。
    • 特に尾鷲~紀伊木本→熊野市間。
  2. うまくいけば戦前に五新線が全通していた

北海道

石北本線(上川-遠軽)

1980年代
  1. 石勝線のように高規格路線として建設された。
    • 一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
      • 上川-遠軽間かな
  2. 遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
  3. 池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
    • 名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
    • 網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
      • しかし、北見以南に廃止論議が勃発するのは史実通り。
    • 北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
  4. 開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
  5. 「石北線」ではなく「石北線」だった可能性が高い。

石勝線

昭和10年代
  1. 建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
  2. 建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
    • 後に複数の慰霊碑が建てられた。
    • トンネルに「幽霊が出る」などと噂されたり、韓国が謝罪と賠償を要求するなど何かと曰く付きの路線になっていた。
  3. 煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
    • その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
    • JR化後に高速化改良されたと思われるが現実ほど高速運転できなかった。
  4. 開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
    • 滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
      • 夕張線(紅葉山~夕張)は特定地方交通線に指定され廃止されていた。
        • 紅葉山駅は廃止後、新夕張ではなく「夕張市」を名乗っていたかも。
        • 1980年代ならまだ大丈夫だと思うが、2010年代には史実同様廃止が議論されるようになっていた。
    • 国道38号も札幌~十勝清水~釧路のルートだった。
      • 北海道最長国道は国道38号だった。
      • 国道274号は滝川~帯広間の国道となっていた。
    • 登川駅からそのまま東へ延伸する形になっていた。
    • 南千歳駅は開業せず史実の南千歳駅の場所に南千歳信号場が千歳線空港支線開業と同時に設置された。
    • 準急→急行「夕張」の走行ルートは「札幌-千歳-紅葉山-夕張」だった。
      • 史実より(夕張~追分から)札幌まで短時間で行けるので1972年以降も存続する。
        • 夕鉄バス札幌急行線との競争や千歳市民・広島町民からの要望によりくるくる電車ポプラ号登場のタイミングで札幌~千歳間快速・以遠普通に格下げ。
        • 同時に大幅に本数増加するが千歳以遠の実質的な本数は変わらず。
        • 1997年3月改正までキハ56系を使用、以降運転区間短縮があったがキハ201系を使用。
        • 場合によっては千歳~追分間が札幌の通勤圏に入ったかも。
        • キハ40系・キハ54・キハ150も代走・送り込みで快速「夕張」を含む仕業に入った。
        • キハ201系は製作コストを減らすため途中から車体傾斜機能なしで増備・別区分番代となった。
  5. 開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
    • しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
    • 仮乗降場扱いの駅も多い。
  6. 占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
  7. 追分〜紅葉山(新夕張)間が単線化されず複線のままだった。

札幌市営地下鉄東西線(琴似-宮の沢)

1980年代
  1. 早くても、1985年頃に開業していた。もしくは、遅くても、1988年に開業していた。
    • 1990年頃に開業していた可能性もある。
  2. 6000形電車が史実よりも多く増備されていた。
  3. 1999年2月に東豊線の福住~清田間が開業していた。
    • その場合、7000形電車が史実よりも多く増備されていた。
    • 6両編成で運行されていた。
    • 栄町駅付近か清田駅付近か福住駅付近に車両基地ができていたかもしれない。
    • 札幌ドームが開業した2001年に開業していた可能性もあり得る。
  4. 8000形電車の登場は史実通り。
    • その代わりに、史実よりも遅れて投入されていたかもしれない。(2001年辺りに)

東札幌-新さっぽろ

1990年代
  1. 当初の予定通り千歳線旧線沿いに高架線を建設していた。
    • 南北線南平岸駅 - 真駒内駅間のようにシェルターで覆うかは微妙なところ。
  2. 建設費節約のためにホームは8両ぶんしかない。

札幌市営地下鉄東豊線

栄町-豊水すすきの

1971年
  1. 翌年の札幌五輪を見越し開業。
  2. 南北線と同じ規格。
    • その車両基地で検査するための連絡線が存在する。
  3. 栄町か新道東から丘珠空港への通路も同時に建設。

函館本線

長万部-小樽

1950年代
  1. 同年代だと比較的線形が良いため多くの準急・急行・特急・貨物の走行経路になっていた。

札幌市営地下鉄南北線

北24条-真駒内

1950年代
  1. 普通鉄道だった
  2. 道東と道北がソ連領になっていたらありえた。

定山渓鉄道

1900年代前半
  1. 旧北海道鉄道が建設していた。

札沼線

1900年代前半
  1. 旧北海道鉄道が建設していた。

東北

南部縦貫鉄道

大正時代
  1. 開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
    • 後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
  2. 建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
    • 農産物の輸送も行われた。
    • 後に沿線で産出される砂鉄の輸送も行われた(史実でも計画されていたが頓挫)。
  3. 多分電化はされていない。
  4. 七戸駅は町の中心近くに設置。

三陸鉄道

1910年代
  1. 軽便線で開業。
  2. 三陸大津波で大きな被害を受ける。
1960年代
  1. 建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
    • 太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
  2. 当然ながら国鉄線として開業している。
  3. 一部区間は現実よりカーブなどが多い。
  4. 開通した頃は急行が走っていた。
    • 列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
  5. 連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。

仙石線

1910年代
  1. 軌道法に準拠して建設された。
    • 仙台駅付近が併用軌道だった。
      • 後に高架化もしくは地下化される。
    • 戦時買収を免れていたかもしれない。
      • この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
  2. 石巻-女川も自力で建設していた。
  3. 仙台市電との直通も検討される。
    • というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
  4. 国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
  5. 松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。

気仙沼線

1939年
  1. 石巻線が石巻から女川経由で延長された形で開業。
1980年代
  1. 隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
  2. 旧国名の付いた駅は現実より少ない。
  3. 震災までは独自のサービスで人気を博していた。
    • 「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
    • 大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
  4. 震災の被害により一時は廃止も検討された。
    • むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
      • 大船渡~気仙沼間も鉄路で復旧していた(この場合宮城方の三セクになるのかやっぱ三陸鉄道になるのか…)
      • 史実通り事実上の廃止に追い込まれていたら、「岩手県は三陸鉄道を復旧させたのに宮城県は…」と言われていた。

仙台市営地下鉄東西線

1987年
  1. 南北線と同一規格で建設。
    • 1000系が現実より多く導入。
    • 西の終点は最初仙台だった。
    • 東西線~南北線の連絡線が存在した。
    • 史実の3000系は2000系になっている。
  2. 「東北博」へのアクセスで活躍。
1990年代前半
  1. 上記同様南北線と同一規格で建設。
    • 史実同様リニア規格だったら2000系は当初1000系はもちろん初期都営12-000形や大阪市70系と類似する箇所が多かった。
1997年
  1. 「ゆめ交流博」へのアクセスで活躍。
    • その前年に開業が早まったかも。
  2. 2000系は当初1000系はもちろん初期都営12-000形や大阪市70系と類似する箇所が多かった。
  3. 東の終点はどうなっていたか。
2000年代

史実では2015年12月に開業。

  1. 遅くても、2008年12月に開業していた。
    • 場合によって、2009年頃にずれ込んでいたかもしれない。
  2. 東日本大震災が起きた時は被害を受けていた。
  3. 2001年に開業していたら同年の「新世紀・みやぎ国体」や翌年の「日韓ワールドカップ」に合わせたとされた。
  4. 2000系は開業時期次第で都営12-000・横浜市初期10000・神戸市5000形や大阪市80・福岡市3000系と類似する箇所が多かった。
  5. 仙台空港に乗り入れているかも。

仙台空港鉄道

1990年代
  1. 仙台空港新旅客ターミナルが全面完成した1997年(あるいは前年)に開業。
    • むしろ、仙台空港新旅客ターミナルの全面完成が史実よりも早まっていた。
  2. 開業当初の自社保有車両は701系1000番代の同型車である。ワンマン運転は2両編成の列車のみ。3両編成以上の列車は原則車掌乗務。
    • 417・455・457・719系の乗り入れも考慮された。
  3. 大株主に名鉄,そのグループの宮交が。
    • 仙台空港民営化を機に、東急へ名鉄グループ保有分の株がすべて譲渡(=名鉄グループ離脱、東急グループ加入)される。
    • 直通相手はJRではなく仙台市営地下鉄になっていたかもしれない。
  4. 国際ゆめ交流博覧会が開催された1997年春での開業を目標として建設された。
2001年
  1. 同年の「新世紀・みやぎ国体」,翌年の「FIFAワールドカップ」開催を機に開業。
  2. 2000年に開業した可能性が。
  3. 開業当初の自社保有車両は701系1500番代基本の都市型ワンマン運転対応車両である。JR側も同型車を導入する。
  4. 「宮城国体」「FIFA W杯」の際,宮城スタジアムへの利便性向上の為,臨時列車で仙台空港-利府間に直通臨時列車を多数運行した。

阿武隈急行

1930年代
  1. 最初は省線で勿論電化されない。
  2. 福電飯坂東線は戦時中までに全廃に追い込まれた。
  3. 白中線角田以東が実現していたかも。
1950年代
  1. 国鉄線で開通。
    • 東北線の勾配迂回の役割も果たす。
  2. 上記の福電飯坂東線は開通後すぐ全廃に追い込まれた。
1968年に福島-丸森も開通していたら
  1. 上記同様国鉄線で開通。
    • 同じく東北線の勾配迂回の役割も果たす。
  2. 福交飯坂東線の全廃が早まった。
  3. 最初から電化。
1984年に福島-丸森が開通していたら
  1. 現実通り全通前に3セク転換。
    • 三鉄と比べられる。
  2. 電化されない。
    • 転換当初キハ20系か上記の三鉄36-100と同型車が導入される。
      • その置き換えでAB900系が仙台周辺の混雑緩和も考慮され3ドアのキハE130系同型で導入。
        • ひょっとしたらキハE130系同型車が東日本の他の3セクで導入されたかも。

田沢湖線

赤渕-田沢湖

1980年
  1. 東北新幹線の大宮-盛岡開通を見越し全通。
  2. 485系が現実より多く導入。
    • でも現実と同じく秋田新幹線の運行開始まで701系は導入されない。

仙台臨海鉄道

1910年代
  1. 開業当初は軽便鉄道だった。

秋保電気鉄道

1990年代
  1. 県が中心の3セクだった。

仙石東北ライン

1956年
  1. 塩釜線の旅客営業が続いていたらあり得た。
    • もちろん同線経由で民営化時JR東日本に継承された。
1960年代
  1. 当初キハ20系などが使用された。
1982年
  1. 当初キハ58系中心だった。
1990年代
  1. キハ110系が使用された。
    • 小牛田への新製配置車はすべてステップレス。

秋田内陸縦貫鉄道

角館-松葉

1920年代
  1. 生保内線の一部だった。
    • 角館-松葉の3セク化は史実通り。

東海

伊豆急行

昭和10年代
  1. 建設の動機は伊豆半島の要塞化。
  2. 伊東線の延長として建設された。
    • 線名は「伊豆線」。
  3. 1950年代から優等列車が乗り入れるようになった。
    • その際停車駅11両対応に。
  4. 史実の伊豆急下田駅は「伊豆下田駅」と名乗っている。
  5. 現実ほどトンネルは多くない。
  6. 当然国鉄線としての建設で、現在はJR東日本。
1970年代
  1. やはり伊東線の延長で建設。
  2. 全駅11両対応。
1980年代後半
  1. 3セクで開業するが社名は史実通り。
  2. 国鉄→JR111・113系が導入される。
  3. やはり全駅11両対応。

伊勢鉄道

1910年代
  1. 参宮鉄道時代から計画はあった。
    • だが着工は国有化後。
  2. 東京などと伊勢神宮の短絡が主目的。
  3. 開通したとたん参宮線の一部に。
    • 亀山~津は「亀山支線」として扱われる。
    • なお現在は紀勢本線の一部。
  4. 現在の近鉄鈴鹿線はこの路線の鈴鹿駅に乗り入れていた。
  5. 寝台特急「紀伊」もこのルートを通っていた。
    • 所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
      • 普通に紀伊勝浦か新宮で長時間停車していたんじゃないの?別にすぐに下りなきゃいけないとは書いてない訳だし。
1980年代後半
  1. 最初から3セクだった。

近鉄鳥羽線

1930年代
  1. 「志摩電気鉄道山田線」として開業。
    • この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
      • 標準軌への改軌が史実よりかなり早まっている。
      • 買収と同時に山田線に編入された可能性も。
  2. 計画時期によっては宇治山田駅は最初から通過可能の構造になっていた。
  3. 朝熊駅では朝熊山ケーブルカーと接続している。
    • ケーブルカーは戦後復活を果たしていた。
  4. 賢島方面の観光開発は更に進んでいる。
  5. 国鉄参宮線の伊勢市~鳥羽は1960~70年代に廃止されていたかも(史実でも赤字83線に選定されていた)。
  6. 線形は現実よりも悪かったかもしれない。
    • 確実に踏切が存在した。
  7. 遅くても難波線開業までに大阪線・名古屋線は全線複線化(宇治山田-鳥羽間の建設・鳥羽-賢島間の改軌費用が回るため)。青山峠区間は(工期短縮が優先)単線並列方式で複線化。そのため上下線の所要時間が異なる。難波線開業の翌年に発生した衝突事故はない。
    • 旧東青山駅を経由する線形の悪いルートになるため、アーバンライナーや伊勢志摩ライナーは振り子式車両で製造され、ひのとりは車体傾斜装置を取り付けて製造されていた。
    • こうなる

愛知環状鉄道

1920年代
  1. 岡崎市街地や挙母町、瀬戸と東海道本線を結ぶための路線。
    • 貨物列車を名古屋市街地に入れないことも意識されている。
  2. 中岡崎駅が「岡崎駅」を名乗っていた。
    • 東海道本線の岡崎駅は「南岡崎」か「岡崎口」に改名された。
  3. 戦時中に空襲時の迂回路として城北線に相当する区間も建設される。
  4. 現在もJRの路線だったかもしれない。
  5. 名鉄挙母線は存在しなかった。
1940年代
  1. 名古屋の空襲に備えて勝川-稲沢も城北線として同時に建設。三河鉄道上挙母-大樹寺-岡崎駅前間は不要不急路線に指定され休止される。
  2. 「挙母線」が路線名になる。
  3. 多治見・高蔵寺ではなく神領が終点になる。
    • その為、中央(西)線の快速は高蔵寺ではなく神領に止まる。
    • 瀬戸~多治見間の建設計画も出るが着工されない。
      • 多分非電化。
  4. 1970年代に、全線にわたり複線化と電化が行われた。
    • 上の城北線も同時期に。
    • その為、名古屋を迂回するバイパスルートとして、挙母線と城北線の建設効果を十分発揮した。
    • 愛・地球博の観客輸送で活躍している。
  5. 現在は城北線も含めJRの路線に。

名鉄羽島線

1964年
  1. 「夢の超特急」との連絡線ということで開業時は大々的にPRされた。
    • 新岐阜からの直通特急が設定されていた。
  2. この路線の建設に関しても大野伴睦が絡んだ噂がささやかれる。
  3. 現在は結局現実と大きな差はない。
    • ただし新羽島駅の駅舎はもっと古い。
      • 地平ホームの1面2線になっていた。
  4. どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止される。
  5. 一部で国鉄による買収が噂されるも実現せず現在に至ると思われる。
  6. 安八輪之内経由で養老への延伸構想が出ていたかも。

名鉄豊田線

1930年代
  1. 三河鉄道の経営状態が良ければ着工できた。
  2. 八事以西が名古屋市電八事線になることはなかった。
    • 軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
      • あるいは神宮前に延伸され名古屋本線と接続していた。
  3. 踏切がある代わりに加算運賃が存在しない。
    • トンネルも現実より少なく、一部のルートが現実と異なっている。
  4. 地下鉄鶴舞線は存在しないか八事止まり。
  5. 特急が運転され名古屋〜豊田を30分以内で結んでいた。

名鉄豊川線

1920年代
  1. 飯田線国有化前なので豊川駅に乗り入れていたかもしれない。
  2. 名鉄小坂井支線はなかった。

名古屋市営地下鉄上飯田線

1960年代
  1. 名鉄小牧線の一部だった。
    • 300と名古屋市7000形は導入されなかった。
    • 2代目3300系の運用はなかった。
    • 1980年代までに全線複線化された。
  2. ピーチライナーの開業が早まった。
1970年代前半
  1. 当初上飯田-新栄町が開業。
  2. 当初名古屋市側は300形の20m・片側4扉・DC1500V架線集電版が導入された。
  3. 名鉄100系登場が早まった。
    • 上記の2代目3300系の小牧線運用はなかった。
    • 同じく小牧線は1980年代までに全線複線化された。
  4. 上記のピーチライナーの開業が早まった。
1970年代後半
  1. 上記同様当初上飯田-新栄町が開業。
  2. 時期によっては3000形登場が早まり史実以上に導入された。
  3. 上記の名鉄100系登場が早まったかも。
    • 同じく2代目3300系の小牧線運用はなかった。
    • 同じく小牧線は1980年代までに全線複線化された。
  4. 上記のピーチライナーの開業が早まった。
1980年代
  1. 新栄町駅まで開業していた。
    • 名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
    • 市役所経由で金山まで開業していた可能性もあり得る。
  2. 名古屋市交通局7000形電車は、3000形電車をベースに製造されていた。
  3. 名鉄小牧線は小牧~犬山間も複線化されていた。
  4. 上記のピーチライナーの開業が早まった。
1990年代
  1. 早くても、1991年頃に開業していた。
    • 新栄町駅まで開業していたかもしれない。
    • 名古屋市営地下鉄桜通線の高岳駅が連絡できるように移転されていた。
    • もしかしたら、丸田町の先である矢場町or金山or鶴舞orささしまライブまで延伸していた可能性もある。
  2. 7000形電車が史実よりも早く登場し、製造数も史実よりも多くなっていた。
  3. 間内駅付近に車庫ができていた。
  4. 桃花台新交通桃花台線が廃止されることはなかった。
  5. 運行本数が史実よりも多くなっていた。
  6. 2004年には東部線(ささしまライブ~高針橋)が開業していたかもしれない。
    • グローバルゲートを含むささしまライブ24地区の再開発事業が史実よりも進んでいた。
      • 中京テレビの移転も史実よりも早まっていた。
    • その際に、上飯田線は2003年頃に丸田町まで延伸していた。
  7. 名鉄300系電車は100系電車、200系電車と同じのタイプの車両に製造されていた。
    • 3300系電車(2代目)が投入されることはなかった。
2001年
  1. 間内駅付近に車庫ができていた。
  2. それ以外で、史実とあまり変わらなかった。

名古屋市営地下鉄桜通線

野並~徳重

1990年代
  1. 6両編成で運行されていたかもしれない。
  2. 緑区における宅地開発が史実よりも進んでいた。
  3. 2011年に徳重~豊明北間が開業していた可能性もあり得る。
    • もしくは、野並~徳重~豊明北間として開業し、車庫は当初の計画通りに豊明北駅付近に車庫ができていた。
2000年代
  • 史実では、2011年3月に開業しました。
  1. 2005年に開業した場合、開催されていた愛知万博に合わせての開業であった。
  2. 開業記念イベントが実際に行われていた。(史実では、東日本大震災の影響により、中止となった。)
  3. その後も、延伸計画が実施されていたかどうかは怪しい。
  4. 無論、6050形電車の登場が史実よりも早まっていた。

中村区役所~今池

1970年頃
  1. 国鉄(当時)名古屋駅付近は,地下街「エスカ」「ユニモール」と一体で建設された。車両の大きさは,東山線・名城線(・名港線)と同じ。
    • 市電中村線は2年程早く廃止される。
      • その為桜通線は稲葉地~今池間が最初の開通区間に。
    • 中村公園駅に,東山線との連絡線も同時に建設。
    • 稲葉地付近に車庫が建設される(大規模な検査は中村公園駅の連絡線経由で回送の上,東山線藤が丘工場で実施)。
  2. 現実より建設費が安く,市の財政状況が少し良くなる。現実より浅い場所を通る。

名鉄知多新線

1930年代
  1. 常滑か河和から延伸していた形で開業していた。
1970年代
  1. 沿線の宅地造成が史実よりも進んでいた。
    • 小野浦駅が開業していた可能性が高い。
  2. 名鉄による観光開発が史実よりも進んでいたかもしれない。
    • 南知多ビーチランドと内海フォレストパークの開園が史実よりも早まっていたかもしれない。
    • 8800系電車の登場が若干早まっていたかもしれない。

名古屋市営地下鉄名城線

新瑞橋-大曽根

1980年頃
  1. ナゴヤドームではなく瑞穂公園に大規模な車庫が建設される。'70年代後半に,2000形(3000形同様の,電機子チョッパ制御・スキンステンレス車両)が名城線に導入される。史実の2000形相当の車両は,2050形を名乗る。
    • 2000形は当初から冷房付き。2010年代後半にN2000形(N1000形ベースの名城・名港線用車両)に置き換わる。名城線の6連化は早まる。
  2. 総合リハビリセンター駅は当初の計画通りに清水ヶ岡駅と名乗っていた。

名古屋市営地下鉄鶴舞線

上小田井-庄内緑地公園

1985年頃
  1. 市交通局3000形・名鉄100系は、1990年頃までにすべて6両化される(従来編成に中間車両を挿入)。その代わり、名鉄100系4+4両編成は存在しない。
    • 市交通局3000形・名鉄100系の製造数が史実以上に。
  2. 史実より、1980年代後半の鶴舞線・名鉄犬山線・名鉄豊田線の混雑を緩和している。名鉄犬山線・豊田線の宅地化が、(バブル景気の頃)史実以上に進む。

伏見-八事

1970年代前半
  1. 開業当初の車両は300形を20m車・片側4扉・直流1500V架線集電方式に変更した車両。ただ、抵抗制御車両で、当初は非冷房で登場した。
  2. 八事~赤池間の延伸も早かった、名鉄豊田新線(当時)も同時期に開通している。

桃花台新交通

1920年代
  1. 普通鉄道だった
    • 名鉄旧小牧→岩倉支線の延伸扱いだった。
1980年
  1. 8月の入居開始までに開業。
  2. 1990年頃に高蔵寺まで延伸される。
  3. 桃花台ニュータウンと小牧市の人口が史実以上に多かった。
  4. 名鉄、日本車輌、三井物産(日車と物産はVONAを共同開発)が主要株主に。

名古屋市営地下鉄東山線

名古屋-栄町

1930年代
  1. =「名古屋地下鉄道」が実現していたらである。
  2. 当初の車両は木目調の内装だった。
    • 車体は流石に全鋼製車体。
  3. 建築限界の規格は史実より大きい。
    • ホームの長さも8両編成ぐらいまで対応していた。

遠州鉄道関連

遠州鉄道奥山線

1940年代前半
  1. 遠州電気鉄道(遠電)の三方原線として建設された。
    • 当初は非電化・1067mm軌間で省線との直通が考慮された。
      • 陸軍飛行学校への引き込み線が存在した。

浜松電気鉄道中ノ町線

1930年代
  1. 開業当初「関東や関西の電車並み」に無駄な高性能車が使用される。

あおなみ線

全般
  1. 開業時期次第で市中心の3セクではなく国鉄→JRか市交通局が運営していた。
    • 1997年以前だったら旅客化と同時に電化されていた。
    • 前者運営の場合1962年以降だったら111・113系が現実より多く導入されたかも。
  2. 国鉄旧笹島駅跡地の再開発が早まったかも。
    • キルメスや木下サーカスやデラファンタジアなどの会場にならなかった。
    • グローバルゲートが現実より早く完成した。
      • 中京テレビの移転時期次第でそこに入っていたかも。
      • 名鉄主体で開発されたかも。
  3. 東山線の高畑延長はなかったかも。
  4. セントレア延長構想はなかったかも。
1916年
  1. 当初は白鳥線を名乗った。
    • もちろん名古屋起点だった。
    • 笹島分離(開業)が早まったかも。
    • 現実のそれはどうなっていただろうか。
1950年代
  1. 国鉄線で開業。
    • 1970年代以降に電化されていたかも。
1962年
  1. 上記同様国鉄線で開業。
    • 当初から電化。
      • 上記の111・113系が現実より多く導入された。
1963-1970年
  1. 上記同様国鉄線で開業。
    • 同じく当初から電化。
      • 上記の113系が現実より多く導入された。
1970年代
  1. 上記同様国鉄線で開業。
    • 同じく当初から電化。
      • 上記の113系が現実より多く導入された。
1980年
  1. 上記同様国鉄線で開業。
    • 当初から電化。
      • 上記の113系が現実より多く導入された。
1988年
  1. 同年の名古屋オリンピックが実現していたらあり得た。
    • 現実通り実現しなかった場合翌年のデザイン博を見越し開業。
  2. 市交通局が東部線開業を見越し運営。
    • 当初現実の桜通線6000形と似た車両が走る。

静岡鉄道

静岡市内線

1908年
  1. 旧静鉄が軽便規格で建設。
  2. 安西方面が院(→省→国鉄→JR)線静岡駅方面より先に建設。

リニモ

1970年代
  1. 普通鉄道だった
1988年
  1. 1988年の名古屋オリンピックが実現していたらあり得た。

ゆとりーとライン

もしあのバス路線が○○だったら#別の時期に運行開始していたら

長良川鉄道

1900年代
  1. 開業当初の社名は「長良川軌道」。
  2. 国有化ではなく名鉄(の前身)と合併していたかも。
1910年代
  1. 名鉄の前身美濃電軌が建設。

北恵那鉄道

1900年代
  1. 当初軽便で開業。
  2. のちに官鉄→院→省線と直通させるため狭軌に改軌される。

甲信越・北陸

北越急行ほくほく線

1930年代
  1. 頸城鉄道が国有化され六日町まで延長されたことに。
  2. 現実よりトンネルが少なくその長さが短い。
    • 高度成長期に高規格化。
1970年代
  1. 「南北戦争」と呼ばれる地元でのルート争いがなかったのが前提。
  2. 現実ほど高規格ではない。
    • 美佐島駅があそこまで堅牢な構造になる事は無かった。
    • ただ、貨物列車の走行に対応した構造になっていた。
  3. 駅名はそこまで奇抜ではない。
    • 増田駅(史実のくびき駅)の駅舎も。
    • 時期次第では武蔵野線に「武蔵新座」駅ができていた。
      • 酷い場合はそちらが「にいざ駅」になっていたかも…
  4. この路線の開業時から上越新幹線開業まで上野-金沢の「はくたか」が通っていた。
    • 新幹線開業後は越後湯沢-金沢だけ存続。
      • 北陸新幹線開業後はさすがに廃止か。
  5. 「電車でGO!」には登場しなかった。
  6. 特急「かがやき」は誕生せず。
    • いや、むしろ特急「きらめき」が「かがやき」と名乗っていた可能性がある。
      • 「きらめき」は現在、九州の特急列車だから被らなくて済んだだろう。
  7. 急行「よねやま」が柏崎発着に短縮されたかも。
    • むしろ、別途に上野~十日町~直江津間を結ぶ急行「魚沼」が1982年11月頃までに運行されていた。
  8. 2001年3月までに特急「雷鳥」が当路線に乗り入れて、越後湯沢までに運行されていたかもしれない。
  9. 急行「能登」と特急「北陸」が当路線を経由していたかもしれない。
  10. もし国鉄→JR東日本の運営だったら、北陸新幹線延伸開業までは、故宮脇俊三氏の著書「線路のない時刻表」で書かれていた空想ダイヤそのまんまのダイヤで運行されていた。史実とは違って最高速度はせいぜい110km/hで、高速化特別工事も実施されず。
1982年
  1. 上越新幹線の開業に控えての開業であった。
    • 1981年に開業した場合、上越新幹線の開業までに普通列車だけでの運行であった。
  2. 1982年11月15日のダイヤ改正で越後湯沢~金沢間の特急「はくたか」が新設された。
    • 特急「きらめき」や「かがやき」が新設されることはなかった。
    • 特急「はくたか」は全てJR西日本所属の車両による運行であった。特急「北越」も同様なことになっていたかもしれない。
    • 最高速度が130km/hになるように設計されていた。
    • 複線化されていたかもしれない。
    • 普通列車が115系電車が走行していた。
    • 1985年3月14日のダイヤ改正で信越本線経由の特急「白山」は廃止されていた。
  3. 貨物列車が走行できるように設計されていた。
    • 寝台特急「北陸」は1982年11月15日のダイヤ改正で当路線経由となり、寝台急行「能登」は上越線経由になっていた。
    • 関西~越後湯沢間のシュプール号が運行されていた。
  4. 路線名は「北越線」か「十日町線」になっていた。
  5. 北陸新幹線の延伸により、当路線の処遇を巡り、新潟県と対立していた。
    • 北陸新幹線の金沢延伸開業が史実よりも遅れていたかもしれない。
  6. 民営化後にJR西日本は関西発着の特急「サンダーバード」とともに特急「はくたか」の速達化とサービス向上に力を入れていた。

富山地方鉄道関連

万葉線

1910年代
  1. 開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
    • いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
  2. 国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
    • 「貨物線なのに独立線名」とはならず、名実共に氷見線の貨物支線になっていた。
  3. 場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
  4. 開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
  5. 第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
  6. 伏木線以外にも廃止になった支線があった。

富山地方鉄道不二越・上滝線

1950年代
  1. この年代だと路線が比較的高規格のはずなので、こちらが立山駅行き特急のルートになっていた。
    • むしろ立山へ行くときに遠回りな五百石線(現立山線)の短絡線として建設されていた。

富山地方鉄道富山港線

1910年代
  1. 旧富山電軌が建設。
    • 当初は全線軌道法を適用。
  2. 国有化されなかったかも

新潟交通電車線

1910年代
  1. 最初新潟水電→新潟電力が建設していた。

山梨交通電車線

1900年代
  1. 最初は軽便鉄道だった。
    • いつ頃電化されただろうか。

中国・四国

予土線

1980年代
  1. 第三セクター線での開業。
    • 江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
    • 会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
  2. 史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
    • 予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
      • その場合、愛媛県も出資している関係で「予土くろしお鉄道」という社名になっていたかもしれない。
  3. 一部の駅に凝った装飾が施される。
    • 候補:土佐大正、土佐昭和、半家
  4. ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
    • 牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
    • あるいはこの三セク会社が走らせる(JRグループだからこそあった発想のような気もするが)。

木次線

1970年代
  1. 全線が最初から国鉄線として建設された。
  2. そこまでカーブだらけではない。
    • 大東町には寄れていない。
  3. 島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
    • 出雲坂根駅は存在しなかった。
  4. 三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
  5. 急行ちどりはもう少し存続していた。
  6. 備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
  7. 特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。

水島臨海鉄道

1910年代
  1. 主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
    • 倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
  2. 戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
    • 戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
    • その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
      • あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
  3. 当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
    • 軌間762mmで開業していたかもしれない。

アストラムライン

1980年代前半
  1. まずは本通-長楽寺が開業。
    • 市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
  2. 開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
  3. 車両の塗装は白っぽい。
  4. 祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
  5. バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
    • しかし実際に開業した区間は少ない。
    • 1990年頃に西風新都が完成、長楽寺から広島修道大学の沼田キャンパス辺りまで延伸される。

呉市電

1920年代
  1. 史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
  2. 軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
  3. 広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
    • しかし開業することはなかった。
  4. 少なからぬ車両は広島のお古。
    • 原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
  5. 人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
    • 広電と接続できれば(JRがあの調子なので)それなりに残れた可能性もあったかもだが……

土佐くろしお鉄道

ごめん・なはり線

1920年代後半
  1. 省線で建設され当初「高知線」の一部だった。
    • その場合史実の「高知線」後免以東は当初「(初代)阿佐線」を名乗った。
      • 三縄~豊永間が開業した頃多度津~後免~洲崎間が「土讃線」となり後免以東が「(2代目)阿佐線」に分離された形か。
1970年代
  1. キハ40系気動車とキハ54形気動車とキハ58形気動車が当路線を走行していた。
  2. 奈半利~室戸間も着工するが、それでも開業に至らなかった。
  3. 特定地方交通線に指定され、1988年3月に中村線とともに土佐くろしお鉄道に移管していた。
1990年代
  1. 1996年頃or1997年頃に開業していた可能性が高い。
  2. 2002年7月に室戸まで開業していた。
    • その場合、高知~室戸を結ぶ特急「むろと」か快速「むろと」が運行されていた。
    • 奈半利以遠は工事の進捗状況からしてさすがに厳しかった気がする。
  3. 宿毛線の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。

宿毛線

1970年代
  1. 窪川~中村~宿毛間が宿毛線になっていた。
    • 土讃線に編入されていたかもしれない。
  2. 特定地方交通線に指定され、1988年3月に土佐くろしお鉄道に移管していたのは史実通り。
    • その代わりに、路線名は、窪川~中村~宿毛間で宿毛線となっていた。
  3. 1997年10月には、ごめん・なはり線が開業していた。
    • ごめん・なはり線の開業が史実よりも遅れたのは宿毛線の建設に力を注いでいたため。
  4. 宿毛駅が史実とは異なった場所に設置されていた。
    • 宇和島方面へ延伸できる構造になっていた。

中村線

1930年代
  1. 土讃線の延伸で開業した。
  2. 窪川~佐賀間は与津(のち興津)村を経由する。

三江線

1910年代
  1. カーブだらけの線形だった。
    • 現実よりトンネルの数が少なく長さが短い。
  2. 木炭や銀など主に沿線や石東の産物が多く輸送された。
    • 旅客が少なくてもその輸送量次第で幹線入りしていた可能性も。
1980年代以降
  1. 第三セクター鉄道として開業していた。
  2. 観光鉄道として売り出していた。

土讃線

須崎-窪川

1920年代後半
  1. 現実より海沿いを通る線形になっている。
    • 恐らく久礼~窪川間は旧上ノ加江町と旧東又村を経由するルート。

可部線

横川-可部

1951年
  1. 広島国体に合わせ開通。
  2. 当初非電化。

可部-三段峡

1970年頃
  1. '70年代に浜田への延長が実現していたかも。
    • でも全線電化されない。
      • キハ40か66・181系が現実より多く導入された。
    • その一環で横川-可部が複線化された。

倉吉線

1950年代
  1. 早い時期に全通していた。
    • 陰陽連絡線になれていた。

宇品線

1900年代
  1. 山陽線の支線扱いだった。

大社線

1900年代
  1. 山陰線の支線扱いだった。

山口線

1900年代
  1. 山陰本線の一部だった。
  2. 益田~正明市→長門市~幡生間は「正明線」となっていた。

九州

筑豊電気鉄道

1930年代
  1. 地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
  2. 黒崎駅へは自力で乗り入れ。
  3. 戦時統合で西鉄の路線になっていた。
    • 路線名は「西鉄筑豊線」。
      • 北九州線全廃あたりで(史実の西鉄SS相当の)「西鉄交通S」に移管されたかも。
  4. 開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
  5. 飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
    • それでも八木山峠は結局越えられず。
  6. 貨物輸送はさすがにやっていない。

沖縄都市モノレール

終戦直後
  1. 沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
    • 沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
    • むしろ地元資本による開業。
      • 当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
  2. 走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
    • 場合によっては一部車両が現在も保存されている。
  3. 少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
    • コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
  4. そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
    • 現在では右側通行時代の車両が保存されている。
    • 併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
      • 自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
    • そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
    • 「日本国内で右側通行の貴重な鉄道路線」として注目される。
1970年代(返還直後)
  1. 沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
  2. 現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
  3. こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
    • もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
1987年
  1. 海邦国体に間に合うように開業。
    • 開業が1年早まった可能性も。
  2. 新都心開発が史実より早まる。
  3. 2000年頃までに4両化される。
  4. 南西放送が開局したかも。
    • でもセブンが2000年頃進出するわけないか。
1990年代
  1. 首里城公園が開園した1992年か九州沖縄サミットに開催された2000年(前年の1999年)に開業していた。
  2. 2003年には、浦添前田駅までに延伸開業していた。
    • 2019年には、てだこ浦西駅までの延伸開業をしていた。
    • むしろ、2003年にてだこ浦西駅までに開業していた可能性もあった。
  3. 会社自体は82年創設なのでこうならなかったのがむしろ不思議。
  4. 現在までに4両編成化されている。
  5. 那覇新都心における再開発が史実よりも進んでいた。
2001年
  1. 21世紀最初の年に開業いていたこともあって、注目された。
  2. 2002年のFIFAワールドカップの開催を機にラッピング列車が運行されていた。
  3. 沖縄タイムスの移転など那覇新都心の開発事業が史実よりも進んでいた。
  4. 2003年頃に石嶺駅まで先行開業していた可能性もある。
    • てだこ浦西駅までの延伸開業は史実通り2019年に開業していた。
    • いや、当初の予定通り、2019年春に開業していた。
    • 2003年にてだこ浦西駅までに延伸していた可能性もある。

首里~てだこ浦西

2003年

2003年8月に最初から、那覇空港~首里~てだこ浦西間が開業していたら…

  1. 3両編成で運行されていた。
  2. 浦添市でも住宅団地の整備が史実よりも進んでいた。
    • セブンイレブンやドンキホーテなどの企業が史実よりも早く沖縄県に進出していた。
    • てだこ浦西駅周辺の開発も史実よりも早く進んでいた。
  3. 沖縄県において、パーク&ライドが流行していた。
  4. 首里で折り返す列車は通常ダイヤで設定されなかった。
2015年
  1. てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
  2. 2019年の開業の時とあまり変わらなかった?
  3. 浦添市にとって、市制施行45周年という記念すべき年であったので、二重の喜びであった。
2019年春
  1. てだこ浦西駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
  2. 浦添市の市街化が史実よりも進んでいた。
  3. 当路線でのSuicaの利用開始も延伸開業を機に同時に行われていた。

大分交通別大線

1930年代
  1. 別大国道の整備と並行して建設される。
  2. 両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
    • 大分側にはトキハ本店が入居していたかもしれない。
  3. 大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
  4. もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
  5. 場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
    • それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
  6. 時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。
1960年代
  1. モノレールで開業

長崎本線

1840年代
  1. 最初はオランダ側が無許可で作ったものなので数年で撤去された。
    • 出島のオランダ人は商館長の江戸訪問時を除き島の外に出られなかったのでそれはない。
  2. 開通当初は長崎の住民に恐怖が充満した。
    • むしろ「恐怖半分興味半分」とでも表記したほうが正確な状態では。
  3. 最初はウシが引いていたが、しばらくして蒸気機関車の使用も開始された。
  4. いったい最初の開業区間はどこなのか…

鹿児島本線 (八代~川内~鹿児島)

1900年代
  1. 当然、九州自動車道の八代以南は西回りで建設された。
  2. 人吉~吉松間は建設すらされなかった。
    • 代わりに立野-延岡間が1930年頃に全通。
    • 現実より急勾配・急曲線が多く、トンネルの数が少ない。
  3. 宮崎方面へは水俣駅で分岐していた。
  4. 人吉は平成の大合併まで市制を敷けなかった。
  5. 現実以上に曲線が多かった。
    • 電化時に一部区間の線路が付け替えられる。

福岡市営地下鉄七隈線

1980年代
  1. 1000系電車と同じタイプの車両が登場していた。
  2. 天神~橋本間or博多~橋本間として、開業していた。
1990年代
  1. 遅くても、1999年頃までに開業していた。
  2. 3000系電車の登場は史実通り。
  3. 史実通りに天神南~橋本間として、開業していた場合、2005年に天神南~博多間が開業していた。
    • 博多駅前道路陥没事故は起きていたのであろうか?
    • 九州新幹線が全通した年である2011年に開業していた可能性もある。
      • その代わりに、東日本大震災の影響により、開業記念イベントは中止となっていた。
  4. キャナルシティ博多の利用客が史実よりも多くなっていた。
    • キャナルシティ博多イーストビルの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。

南阿蘇鉄道

1914年
  1. 「宮地軽便線」で開業。

篠栗線

吉塚-篠栗

1930年代
  1. 西鉄前身の会社が建設。
    • 標準軌が採用されDC600V複線電化。

篠栗-桂川

1904-1910年
  1. 当初峠越えの区間は急な勾配や曲線が多かった。
    • 鉄オタに難所で知られた。
  2. 「筑前山手」駅は「山手」駅で開業していた。
  3. 長尾線→筑豊線の一部になっていた。
    • 史実の桂川-原田は開業しなかったか遅れていた。
      • 開業していたら「原田線」に分離された可能性も。
    • 戦時中まで吉塚-桂川-飯塚が複線化された。
    • 20世紀中に吉塚-桂川-折尾が電化された。
      • 電車運用は鹿児島線と共通に。
  4. もし全国の炭鉱や鉱山を存続させていたら沿線がかなり発展していた。

西日本鉄道

西鉄大川線

1980年代
  1. 史実で(天神)大牟田線に編入された津福-大善寺は1930年代に開業していた。
    • 安武-犬塚の線形は史実より良かった。
  2. 九州国際空港の実現を見越して建設され「空港線」になっていた。
    • 史実の「地下鉄空港線」は「地下鉄博多線」になっていた。
    • 「空港線」開業前に大牟田線の試験場前-大善寺が複線化された。
  3. 5000形が史実より多く導入された。
    • 6000・8000形登場が早まったかも。

西鉄貝塚線

1980年代
  1. 地下鉄との相互乗り入れを前提に建設された。
    • 全線複線化前提で踏切は存在しない。
  2. 西鉄と県や古賀・福津・宗像市と新宮町などが株主の3セクが運営。
    • 貝塚-三苫が地下鉄箱崎線でそれ以東を運営。
      • 史実より前者区間の利用者が多い。
    • 当初の保有車は地下鉄1000系同型車。

熊本電気鉄道

菊池線

1960年
  1. 産交熊本国体に合わせ建設。
  2. 開業から市電と直通

佐賀関鉄道

1920年代後半
  1. 省線で開業。
  2. 「日鉱」は駅名に付かない。

福岡市地下鉄空港線

1930年代
  1. 福博電車が一部地下化しただけ。
1984年
  1. 国鉄103系1000代の筑肥・唐津線転用が実現していた

北九州モノレール

1920年代
  1. 「日本初のモノレール」だった。
  2. 日本のモノレール普及が早まったかも。

佐賀電気軌道

1930年代
  1. 最初から普通鉄道で開通し電化。
1980年代
  1. 九州国際空港の実現を見越して建設された。

鹿児島交通枕崎線

1930年代
  1. 「指宿線」の一部だった。

博多南線

1900年代
  1. 要するに那珂川軽便が実現していた。

海外

英仏海峡トンネル

1890年代

ドーバー海峡にトンネルを建設する構想は古くからあり、19世紀に最初の調査・掘削が行われています。

  1. オリエント急行はロンドン発着だった。
    • 後のTEEにも「ブリタニア」「ロンディニウム」などの愛称を持つロンドン発着の列車があった。
  2. 現実より断面が小さい。
  3. 大戦中にドイツ軍の攻撃対象にされた。
    • むしろイギリス上陸作戦の足掛かりとして無傷で確保せよとの指示が出ていた。
      • 作戦名も「アシカ作戦」ではなく「ダックスフント作戦」あたりになっていた。
  4. 欧州大陸と同じ規格で建設されたグレート・セントラル本線が真価を発揮できていた。
    • もちろんビーチング・アックスの魔の手にもかからず現役バリバリだった。
1980年代

1978年に掘削が再開されましたが、その後1986年まで工事中止になってしまいました。

  1. 当初は「世界最長の鉄道トンネル」を名乗った。
  2. TGVは北線が優先的に建設される。
  3. 日本にカートレインが登場する時期が早まっていた。
  4. Class 373はTGV Sud-Estをベースとした車両になっていた。
  5. 日本の青函トンネルが開業した年である1988年になっていた可能性もある。

瀋陽地下鉄(中国)

1940年代
  1. 要するに、この計画が実現。
  2. 北京ではなくこの地下鉄が「中国初の地下鉄」に。瀋陽市民の自慢ネタが増える。

ソウルメトロ(韓国)

1930年代
  1. 御堂筋線の一部区間のように昭和恐慌の失業者対策の一環で建設された。
  2. 日本時代に建設(開通)した路線は左側通行になる。

中国高速鉄道

最初の区間が1964年に開業
  1. 国民党が共産党に勝っていたら実現していた。
    • その場合、1964年のオリンピックが南京で開催されているので南京~上海で建設された。
    • 並びに1980年までに中国全土に高速鉄道網が張り巡らされていた。
最初の区間が1988年に開業
  1. 文化大革命がなかったら実現していた。

泰緬鉄道(タイ・ミャンマー)

1910年代
  • 20世紀初頭にイギリスが検討していたが地形の関係で建設が断念された。
  1. 「戦場にかける橋」の内容が変わっていた。

平壌地下鉄(北朝鮮)

1930年代
  1. 最初は路面電車同様に府の直営だった。
1980年代
  1. 大韓帝国が存続していた朝鮮が西側主導で独立していた南側が朝鮮戦争に勝っていたらあり得た。

韓国高速鉄道

京釜高速線

1930年代
  1. 弾丸列車の実現を見越し建設。
  2. 鉄道連隊が建設に参加している。

バンコク・スカイトレイン(タイ)

1970年代
  1. 国内や東南アジア他国の鉄道整備に大きな影響があったかも。
2010年代後半
  1. 韓流の方が開通式に参加していたかも。

ジャカルタ都市高速鉄道(インドネシア)

南北線

1970年代
  1. 史実同様日本の協力で建設された。
    • 「チカテツ」と呼ばれたかも。
  2. 韓国ソウルメトロ同様国鉄→ペルムカ→KAI→KRL線と相互直通している
  3. INKAの設立が早まっていた

韓国鉄道

京釜線

1600年代
  1. 鉄道の韓国起源説が浮上する。

関連項目