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令和時代全体に関わる話題をまとめます。時期や業界、界隈特有の話題はそれぞれのページにお願いします。
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#上皇天皇の生前退位によって始まった。
==一般国道421号の噂==
#*令和が始まる1月前の4月1日に告示されたため、令和の名は事前に知らされていた。
#経由地:[[近江八幡市]]~[[東近江市]]~([[東近江市|旧永源寺町]])'''~(問題区間)~'''([[三重/北勢#大安|旧大安町]])~[[三重/北勢#いなべ市の噂|いなべ市]]~東員町~[[桑名市]]
#**その記者会見で「めいわ…」と聞こえた人多数。手話通訳も間違える。
#1981年に主要県道3号近江八幡員弁線を昇格。
#***ちなみに「めいわ」は江戸時代の元号の1つに存在する。
#石榑峠区間(特に三重県側)を語らずして、この国道は語れない。それほどインパクトの強い酷道としてマニアの間では有名。
#***30秒前でもいいから手話通訳に「れいわ」と伝えておけばよかったところ、それをしなかったと思われる
#*かの有名なコンクリートブロックに多く存在する擦った傷跡がこの区間の過酷さを物語る。
#**その記者会見を待ってるときの興奮は凄かった。
#**このコンクリートブロックが設置されたのは確か80年代後半{{極小|だったと思う}}。
#***確か11:30か12:30に発表だったのに、10分くらい遅れた。
#**当時、三重県側のブロック設置箇所の脇に山小屋があって、自転車小僧が野宿していた。<!--まあ、自分のことなんだけどね。-->
#***生で見たかった。([[利用者:おおぞら|私]]は部活中で見られず、美術部の顧問の先生がドア越しに紙で教えてくれた)
#*それに、峠に入る前(平野部)から2トン車以上通行不可と書かれている看板の多さからもその過酷さが伝わる。
#「令」という字は史上初、一方で「和」という字は昭和以来2代ぶりに登場。
#*三重県側の場合、荒れたコンクリート舗装・極端な隘路・離合可能箇所の少なさに加え、エンジンブレーキや性能のいいエンジンが要るような急坂がその過酷さを増す。離合する際には相当の覚悟が必要。
#*明治以降の元号に使われた字は使われないと思ったのでこれは意外だった。
#**ある意味、[[国道308号]]の暗峠と共通点がたくさんある。
#*2019年の「今年の漢字」も「令」になった。
#**急坂での離合は、上りの場合でも下りの場合でも操作が相当難しい上に離合可能箇所がほとんどないので、長くバックしなければならないケースが多い。
#ゴールデンボンバーが令和という楽曲を発表当日に公開した。
#***ゆえに、素人には絶対オススメできない。
#*PVの大部分は発表前に制作、発表後に「令和」という部分を制作。なんとわずか2時間で公開に至った。
#**一方、滋賀県側はというと三重県側と比べたらさほど過酷な道ではない。
#令和の発表の仕方は平成と同じ。おそらく次の元号以降もこのまま受け継がれるだろう。
#***気候面では滋賀県側のほうが厳しいです。冬季通行止めになるのも、滋賀県側の半端じゃない積雪量が原因じゃないでしょうか。
#*「令和」を発表した菅官房長官は「令和おじさん」と呼ばれた。1989年の小渕氏が「平成おじさん」と呼ばれたように。
#***ガードレールが埋もれてどこが崖っぷちだかわからないほど積もります。
#**その菅氏は後に内閣総理大臣になった。
#***ちなみに三重県側は断続的に積雪があるものの、最終区間の麓までは比較的簡単にいけてしまいます。
#12月に祝日がなくなってショックを受けた人がいた。名前は変われど明治ですら残っているのに。
#***ただし最終区間は山肌を流れる水がそのまま路面で凍結してピッカピカのアイスバーンになり、大変危険です。
#*10月からも祝日がなくなる。
#*ウィキペディアの該当記事にも[[Wikipedia:ja:国道421号#石榑峠区間|注意を促す記事]]を書かれているほど、過酷な道である。
#**そのうち(上皇様が崩御したぐらい?)に平成の日とかいう名前で祝日になるかもしれない。
#*でも、ここに迷い込む人が多いためか結構交通量も多い。
#**10月の方は東京オリンピック関連では?2022年からは10月に戻る。
#**なぜか、渋滞も発生することもよくありうる。2トン車以上通行不可という文字からあまりにも狭い道であることが推測できんのかな…
#今まで平成を冠していた物は軒並み改名。
#**鈴鹿越えの裏道と信じてくる人が多い。滋賀県側から上ってきて、ブロックでびびる人は多いが、三重県側から上って来た人は結構普通に突っ込んでいく。
#*令和の常識やってTry、令和教育委員会…。
#**カーナビとネットが普及する以前は閑散とした道でしたよ。
#出典は万葉集から。
#***当時も、一般的な道路地図であたかも普通に国道が通っているように書いているものがあったので、迷い込んでくる者はいた。
#*出典に日本の書物が使われるのはこれが初めてらしい。
#**永源寺の道路標識に「→桑名」と気軽に書いてあるのはいかがなものかと思う。
#*その唄を詠ったのは大伴旅人という人である。
#*もし探検するのであれば、(冬季閉鎖区間なので)春か秋かつコンパクトカーで。コンパクトカーじゃないといきなりコンクリートブロックでする危険性があるし、急坂でのエアコンつけながら離合などのほぼ無理。
#**お陰で太宰府は観光地として一躍注目されることになった。
#石榑峠の三重県側は、その峠の上のNTTドコモの電波中継塔のための道というイメージが強い。
#*典拠は本当は中国の書物で、国粋主義の安倍首相(当時)を皮肉ったものだ、などとまことしやかに言われたが真偽不明
#*一見元NTT専用道路を無理やり国道にしたように見えるが、意外にも八風街道という別名を持つ伝統ある街道なのね。
#山形や徳島から百貨店が無くなるなど、地方の百貨店にとっては危難の時代になる見込み。
#**本来八風街道は別の道で、ちゃんと八風峠という峠を越えるんですよ。
#*並びにテレビ局に関しても密かに再編が検討されるなど、地方からあらゆるモノが消えていく時代になる見込み。
#**滋賀県側からR421を上ると、途中に八風キャンプ場にいく脇道があるんだけど、そちらが本来の八風街道。
#*加えて地域のスーパーや家電量販店などの大型店舗も次々と閉店…。生活が不便になっていく。
#**三重県側はR306田光から三重県側の八風キャンプ場までが旧八風街道に相当するんじゃないかなと思われ。
#*県庁所在都市に限れば大津市もなくなった。
#**思われ・・と書いたのは、過去に立て看板を頼りに途中まで車で行ってみましたが、とんがり屋根のロッジのようなものがあるところで道を見失って峠までは到達できなかったためです。
#最初は「令和?」という感じで馴染めなかったが、1年経った今、完全に受け入れられている。
#石榑峠区間以外はいたってまとも。
#元号が変わる2019年4月30日~5月1日までの間、NHKおよび民放各局では、カウントダウンの特別番組を放送。
#*最近は聞かなくなったけど、昔は雨が降るとすぐに路肩が決壊して、長期間通行止めになることが多かった。
#*もちろん、「テレ東伝説」でおなじみのテレビ東京も、御多分に漏れず特番を編成。
#**ところが現在絶賛崩壊中。
#*ただし、大半の局は普段放送している夜のニュース番組を拡大しただけなのはご愛敬。
#*だが、永源寺ダム周辺は1.5車線が多くて石榑峠の難所がなくなったのに「大型車通行困難」と出すほど。ここもダム湖の上などを使って改良工事絶賛進行中。
#*なんと、NHKEテレもカウントダウンの際には、ご丁寧にも「さよなら平成 よろしく令和」というテロップを挿入していた。
#**酷道にさほど興味を持たない一般人にとって、三重県側から来た場合、石槫トンネル~道の駅までが快走であり、酷道ではなくなったと思えるが、実は道の駅の先に酷道が待ち構えていたというオチになる。
#*あの頃の盛り上がりが遠い昔のように感じる…。
#あと、紅葉で有名な永源寺へのアクセスロードとしても有名。
#令和を地名に冠するところはなかったが、人名に使われていたケースがそれなりにあったようで、彼らが一躍時の人になった。
#*滋賀県側に「名水 京の水」という湧水があり、シーズン中は迷惑路上駐車が酷い。
#*カズレーザーの男の方は「令和」ならぬ「和令」。
#**現在建設中の石榑峠道路も、「京の水」周辺がやたら幅広になっている。休憩所でも作るんかな?
#**読み方は「かずのり」。これで「令」が「のり」と読むことを知った人も多いかも。
#*三重県側は宇賀渓での森林浴&川遊びがおすすめ。
#幾多の震災に見舞われた平成から新しい時代になったと思いきや、令和2年は疫病が流行する
#石榑峠区間には大きなトンネルを中心とした壮大なバイパス道路の計画があるので、あの過酷な区間があぼーんする日もそう遠くはない{{極小|…だろう}}
#*56年ぶりの東京五輪も1年延期に。さらに同年は春夏の甲子園も中止された。
#*バイパス開通と同時に、今の石榑峠区間が閉鎖される予定のため。
#*初年には[[京都アニメーション]]放火事件という悲しい事件も起こった。
#**NTTの中継局へのアクセスルートとして存続すると思われ。それが本来の用途だし。
#**2年後の年末には大阪でも起こった。
#***……と思っていたら、中継局はいつの間にか廃止された(アンテナが撤去された)らしい。にもかかわらず、例の区間の復旧工事も始まったようだ(県境側のコンクリブロック脇のガードレールが撤去されて工事車両が往来している様子)。石榑峠道路の供用開始予定まで半年強しかないのに……。
#*1年経った2021年も終息の見通しが立たない…。東京五輪も開催は不透明。
#***滋賀県側旧道は、コンクリブロック前まで到達できます。というのも、峠のコンクリブロック付近に登山縦走ルート(と永源寺ダムの雨量観測施設)があって登山客がコンクリブロック前に車を停めて登山に出かけるから(登山仕様のとびだし坊やあり)。コンクリブロックより先は鎖があるので車両通行不可。
#**経済への影響もバブル崩壊やリーマンショック、阪神大震災や東日本大震災以上に甚大なものになりそう。
#****「県境まで(から)○km」の目安が新設されて、どれぐらいで峠に到達できるかがわかりやすくなった。
#***昭和の大合併、平成の大合併はあったがこの経済状況だったら令和の大合併もありうるかも。
#***一方、三重県側旧道は・・・崩壊されまくって放棄された模様。ただし、車両がいけないだけであって徒歩で下る登山客あり。MTBでも行ける?
#***鉄道のダイヤも減便される一方…。
#*もし開通すると、中京圏と滋賀とのつながりがますます深くなる{{極小|…かも}}
#**開催はされることになったが原則無観客。世論もほとんど盛り上がっていないのが現状。
#**三重ナンバーや名古屋ナンバーが普通に見かけるようになるなど、本当に深くなりました。
#***しかも開幕直前になっていろいろ関係者の不祥事が噴出することに。
#**このおかげで奥永源寺地区に道の駅が出来るまでになり、交通量は相当増えたことがよくわかる。南北にある冬季閉鎖の本当の峠道より、トンネルで一気に抜けられる新しいこちらの方に需要が高まるのは当然か。
#***年末にはすっかり過去のものとして忘れられている…。
#**東近江といなべ両市も関係が深くなったことは分かっているようで、県を越えて両市合同キャンペーンを行うこともあったりする。
#****それでも2021年の「今年の漢字」は「金」になった。
#*開通したけど、今でも猿が出没する。
#**その次の年(2022年)はロシアのウクライナ侵攻で第3次世界大戦が懸念される世の中に…。加えて北海道の知床では観光船が沈没…。
#実はあまり知る人は居ませんが、三重県道140号線と国道306号線の間の区間も以前は集落の間をクネクネとすり抜ける一種の酷道でした。
#*しかもchakuwikiでは谷口一刀さんが亡くなられ、年末にはサイトが閉鎖状況に。
#*国道306号線との接続は、現在の石榑北交差点ではなく、石榑南交差点でした。
#**最終的にはorg版とmiraheze版に分裂した。
#国道306号との交点の石榑北交差点は車両感応式。(国道421号の方にセンサーがある。)立場が分かる・・・。
#「安」の字が絶対入ると思ってた人多いだろ?
#2011.3.26、石槫峠道路開通で大幅に問題区間の所要時間が短縮。石槫峠区間・コンクリートブロックは過去のものになった。滋賀県側に幅小区間はあるものの、極端なものではなく関西の一大酷道の歴史に終止符が打たれた。
#平成初期までは日本がアジアでNo.1だったものの、バブル崩壊後の失われた30年でズルズルと落ち、気がつけば中国や韓国に抜かれていた。それに新型コロナが追い打ちをかける始末。
#*並行する国道306号と国道477号は冬期閉鎖になるが、こちらはトンネルのおかげで閉鎖されなくなった。
#*そのためか平成時代の天皇誕生日だった12月23日は平日になってしまった。
#*21世紀に入ってようやく道路事情がよくなったのだが、昭和初期は名古屋急行電鉄([[阪急京都線|京阪→今の阪急]])が名古屋の熱田までこのルートで通そうとしていたらしく、計画時点で8キロ超えの石榑隧道とかこれを考えれば不可能だったのでは?と思う。
#「親ガチャ」や「もう終わりだよこの国」等といったネガティブな言葉が流行る。特に親ガチャは流行語大賞にノミネートした。
#桑名市内の星川~東名阪道・桑名IC~西別所ICは元は三重県道63号であったが、2008年にルートを交換した。
#[[枚方市]]から下道で[[名古屋市]]へは307→421→三重r5→R258→三重r23→岐阜r125→愛知r68が利用しやすくなった。
#[[西武鉄道]]とは縁が深い。滋賀県側は子会社かつ西武からの転入車が占める[[近江鉄道]]沿線を通る、三重県側は西武からの転入車が占める三岐鉄道沿線を通る。
#国道421号沿線の信号機は全線で西武鉄道との縁が深い[[コイト電工]]の割合が高い。


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{{日本史}}


[[Category:日本史|れいわ]]
[[Category:国道|421]]

2022年4月30日 (土) 22:43時点における版

一般国道421号の噂

  1. 経由地:近江八幡市東近江市~(旧永源寺町)~(問題区間)~(旧大安町)~いなべ市~東員町~桑名市
  2. 1981年に主要県道3号近江八幡員弁線を昇格。
  3. 石榑峠区間(特に三重県側)を語らずして、この国道は語れない。それほどインパクトの強い酷道としてマニアの間では有名。
    • かの有名なコンクリートブロックに多く存在する擦った傷跡がこの区間の過酷さを物語る。
      • このコンクリートブロックが設置されたのは確か80年代後半だったと思う
      • 当時、三重県側のブロック設置箇所の脇に山小屋があって、自転車小僧が野宿していた。
    • それに、峠に入る前(平野部)から2トン車以上通行不可と書かれている看板の多さからもその過酷さが伝わる。
    • 三重県側の場合、荒れたコンクリート舗装・極端な隘路・離合可能箇所の少なさに加え、エンジンブレーキや性能のいいエンジンが要るような急坂がその過酷さを増す。離合する際には相当の覚悟が必要。
      • ある意味、国道308号の暗峠と共通点がたくさんある。
      • 急坂での離合は、上りの場合でも下りの場合でも操作が相当難しい上に離合可能箇所がほとんどないので、長くバックしなければならないケースが多い。
        • ゆえに、素人には絶対オススメできない。
      • 一方、滋賀県側はというと三重県側と比べたらさほど過酷な道ではない。
        • 気候面では滋賀県側のほうが厳しいです。冬季通行止めになるのも、滋賀県側の半端じゃない積雪量が原因じゃないでしょうか。
        • ガードレールが埋もれてどこが崖っぷちだかわからないほど積もります。
        • ちなみに三重県側は断続的に積雪があるものの、最終区間の麓までは比較的簡単にいけてしまいます。
        • ただし最終区間は山肌を流れる水がそのまま路面で凍結してピッカピカのアイスバーンになり、大変危険です。
    • ウィキペディアの該当記事にも注意を促す記事を書かれているほど、過酷な道である。
    • でも、ここに迷い込む人が多いためか結構交通量も多い。
      • なぜか、渋滞も発生することもよくありうる。2トン車以上通行不可という文字からあまりにも狭い道であることが推測できんのかな…
      • 鈴鹿越えの裏道と信じてくる人が多い。滋賀県側から上ってきて、ブロックでびびる人は多いが、三重県側から上って来た人は結構普通に突っ込んでいく。
      • カーナビとネットが普及する以前は閑散とした道でしたよ。
        • 当時も、一般的な道路地図であたかも普通に国道が通っているように書いているものがあったので、迷い込んでくる者はいた。
      • 永源寺の道路標識に「→桑名」と気軽に書いてあるのはいかがなものかと思う。
    • もし探検するのであれば、(冬季閉鎖区間なので)春か秋かつコンパクトカーで。コンパクトカーじゃないといきなりコンクリートブロックでする危険性があるし、急坂でのエアコンつけながら離合などのほぼ無理。
  4. 石榑峠の三重県側は、その峠の上のNTTドコモの電波中継塔のための道というイメージが強い。
    • 一見元NTT専用道路を無理やり国道にしたように見えるが、意外にも八風街道という別名を持つ伝統ある街道なのね。
      • 本来八風街道は別の道で、ちゃんと八風峠という峠を越えるんですよ。
      • 滋賀県側からR421を上ると、途中に八風キャンプ場にいく脇道があるんだけど、そちらが本来の八風街道。
      • 三重県側はR306田光から三重県側の八風キャンプ場までが旧八風街道に相当するんじゃないかなと思われ。
      • 思われ・・と書いたのは、過去に立て看板を頼りに途中まで車で行ってみましたが、とんがり屋根のロッジのようなものがあるところで道を見失って峠までは到達できなかったためです。
  5. 石榑峠区間以外はいたってまとも。
    • 最近は聞かなくなったけど、昔は雨が降るとすぐに路肩が決壊して、長期間通行止めになることが多かった。
      • ところが現在絶賛崩壊中。
    • だが、永源寺ダム周辺は1.5車線が多くて石榑峠の難所がなくなったのに「大型車通行困難」と出すほど。ここもダム湖の上などを使って改良工事絶賛進行中。
      • 酷道にさほど興味を持たない一般人にとって、三重県側から来た場合、石槫トンネル~道の駅までが快走であり、酷道ではなくなったと思えるが、実は道の駅の先に酷道が待ち構えていたというオチになる。
  6. あと、紅葉で有名な永源寺へのアクセスロードとしても有名。
    • 滋賀県側に「名水 京の水」という湧水があり、シーズン中は迷惑路上駐車が酷い。
      • 現在建設中の石榑峠道路も、「京の水」周辺がやたら幅広になっている。休憩所でも作るんかな?
    • 三重県側は宇賀渓での森林浴&川遊びがおすすめ。
  7. 石榑峠区間には大きなトンネルを中心とした壮大なバイパス道路の計画があるので、あの過酷な区間があぼーんする日もそう遠くはない…だろう
    • バイパス開通と同時に、今の石榑峠区間が閉鎖される予定のため。
      • NTTの中継局へのアクセスルートとして存続すると思われ。それが本来の用途だし。
        • ……と思っていたら、中継局はいつの間にか廃止された(アンテナが撤去された)らしい。にもかかわらず、例の区間の復旧工事も始まったようだ(県境側のコンクリブロック脇のガードレールが撤去されて工事車両が往来している様子)。石榑峠道路の供用開始予定まで半年強しかないのに……。
        • 滋賀県側旧道は、コンクリブロック前まで到達できます。というのも、峠のコンクリブロック付近に登山縦走ルート(と永源寺ダムの雨量観測施設)があって登山客がコンクリブロック前に車を停めて登山に出かけるから(登山仕様のとびだし坊やあり)。コンクリブロックより先は鎖があるので車両通行不可。
          • 「県境まで(から)○km」の目安が新設されて、どれぐらいで峠に到達できるかがわかりやすくなった。
        • 一方、三重県側旧道は・・・崩壊されまくって放棄された模様。ただし、車両がいけないだけであって徒歩で下る登山客あり。MTBでも行ける?
    • もし開通すると、中京圏と滋賀とのつながりがますます深くなる…かも
      • 三重ナンバーや名古屋ナンバーが普通に見かけるようになるなど、本当に深くなりました。
      • このおかげで奥永源寺地区に道の駅が出来るまでになり、交通量は相当増えたことがよくわかる。南北にある冬季閉鎖の本当の峠道より、トンネルで一気に抜けられる新しいこちらの方に需要が高まるのは当然か。
      • 東近江といなべ両市も関係が深くなったことは分かっているようで、県を越えて両市合同キャンペーンを行うこともあったりする。
    • 開通したけど、今でも猿が出没する。
  8. 実はあまり知る人は居ませんが、三重県道140号線と国道306号線の間の区間も以前は集落の間をクネクネとすり抜ける一種の酷道でした。
    • 国道306号線との接続は、現在の石榑北交差点ではなく、石榑南交差点でした。
  9. 国道306号との交点の石榑北交差点は車両感応式。(国道421号の方にセンサーがある。)立場が分かる・・・。
  10. 2011.3.26、石槫峠道路開通で大幅に問題区間の所要時間が短縮。石槫峠区間・コンクリートブロックは過去のものになった。滋賀県側に幅小区間はあるものの、極端なものではなく関西の一大酷道の歴史に終止符が打たれた。
    • 並行する国道306号と国道477号は冬期閉鎖になるが、こちらはトンネルのおかげで閉鎖されなくなった。
    • 21世紀に入ってようやく道路事情がよくなったのだが、昭和初期は名古屋急行電鉄(京阪→今の阪急)が名古屋の熱田までこのルートで通そうとしていたらしく、計画時点で8キロ超えの石榑隧道とかこれを考えれば不可能だったのでは?と思う。
  11. 桑名市内の星川~東名阪道・桑名IC~西別所ICは元は三重県道63号であったが、2008年にルートを交換した。
  12. 枚方市から下道で名古屋市へは307→421→三重r5→R258→三重r23→岐阜r125→愛知r68が利用しやすくなった。
  13. 西武鉄道とは縁が深い。滋賀県側は子会社かつ西武からの転入車が占める近江鉄道沿線を通る、三重県側は西武からの転入車が占める三岐鉄道沿線を通る。
  14. 国道421号沿線の信号機は全線で西武鉄道との縁が深いコイト電工の割合が高い。