「大学教授」の版間の差分
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34.地方国立でも、大学教授は旧帝国大学出身であることが多い。人付き合いが苦手であるが、面倒見がよくいい人である。しかし、如何ともしがたいのは、サラリーマンの存在を認めない考え方である。彼らは、高学歴で年収が1000万以上ある、いわゆる、勝ち組に対して、ひどくやっかみをもっており、あえて、嫌みたらしく過小評価を行う。 | |||
35.一方、地元の大学からエスカレートで教員職に就いた人もいるが、助教授のまま一生を棒にふる人もいる。働く気がないのか、仕事ができないのかはさておき、補助金の無駄遣いであることに変わり無い。こういう人間は、このご時世、首を切られるなりするか、世間から白い目で見られ、相応の対応がなされるべき存在であるが、誰もやりたがらない仕事を率先してするため、尊敬される人もいる。例えば、教職員の給料削減の反対デモ。裏を返せば、教職員に直訴したり、過激な思想を主張している人は彼らである。もちろん、例外はある。 | |||
36.33.に関連するが、時間給にすれば、サラリーマンと比べて冷遇されている。サラリーマンといえども様々である。暇な時間は会議や事務の雑事、生徒の指導に費やされる。しかし、お世辞にも、有益な研究を行っているとはいいがたい研究者が、教授クラスでもいると、ワイドショーで報道されるのは、アナウンサーの学力不足や製作者サイドの学力不足が主な原因であり、極めて合理的な判断のもと運営されているとみていい。近年、中村修二教授が企業を相手取り、不当な業績評価に対して訴訟を起こした。これは高学歴が優遇される大学機関の悲しい体質である。それはつまり、研究力という点で民間に劣る研究者が大学機関で一定数存在していることにある。文部科学省の傘下であるから仕方ないとはいえ、改善すべきである。 |
2015年3月30日 (月) 20:19時点における版
- 大多数が教員免許を持っていない事実は,あまり一般に知られていない。というか不要。
- 教育者ではなく研究者という人も多い。
- 資格どころか学歴不問。高卒だって大学教授になる道はある。
- ただし、理系は除く。
- 安藤忠雄(建築学=理系)は高卒で東大教授になりましたが何か?
- ただし、理系は除く。
- テレビに出ずっぱり・中身の薄い本だしまくりでぶっ倒れるアフォ教授が増えた
- 金もらって仕事してるくせに、客である学生に対して偉そうな奴が多い
- 赤字を承知で本を出す。全ては 知名度を保つ為。
- 印税欲しさに、自分の書いた本を授業の教科書に指定する。しかし、何年も改定していないので、先輩や古本で入手する学生が多い。
- 持っていないと単位をくれない。テストは本の中身から出る。
- 試験用紙に表紙のバーコードを切って貼れとまで言うヤツもおる。 訴える場所とか無いんか?
- それ以前に「本を粗末にするんじゃない!」と言いたい。かりにも教育者なのに…
- 学部事務所が匿名授業評価とか実施してない?俺はそれで恨みを書きなぐったけど。
- しかも薄っぺらいのに理不尽に値段が高い本が多い。
- 安くても大体3000円はする。
- そうまでしても印税がたった年数万の教授もいるとか。
- 「印税じゃなくて原稿料契約だから生徒が買っても一文も入らない」ってゼミの教授が言ってたから、おそらくそのパターンだと思われる。
- 大学生の90%に相手にされない。
- 世間の60%はただ崇拝するのみの存在。
- 自分の説を通す為に政治的手段を用いる。
- 変人の集まりなので世間とうまく迎合できない。
- 小生は卒論指導教官に世間話で「就職活動が難しくて」と言ったらまじめな顔で「うーん、ボクは就職したことがないからわからないねぇ」と言われました。浮世離れもここに極まれり?
- サラリーマンの存在を否定している奴までいる。しかも不特定多数の人が見る研究室のホームページにそういうことを平気で書いていたりする。
- 企業の研究者から転身した場合はその限りではない。
- 経営大学院は企業から教えに来ている教員が多い…のだが、日本の経営大学院は学部でも教えている人(つまり本職が大学の研究員)が多い。
- 大学教授は自分の持論が理論だからね。無理に押し込めた持理論&理持論
- 学生の50%にとってはただの害毒でしかない。
- 学生が相手をしてくれないと孤独。
- むしろ孤独さを保ちたがる人が一定存在する。
- たまに学生に対して学生の批判を言う、同じゼミ生の批判なんてザラ、もはや悪口でしかない。
- 研究に没頭して泊り込む人もいれば、サラリーマンのように決まった時間しかいない人、果ては自由業感覚で昼過ぎにやってくる人もいる。千差万別。
- どれも給料は前もって決まってるから。
- 教授会でしょうもない話を延々と続ける。会議が2・3日ぶっつづけになることもしばしばである。
- 「教授様」相手の仕事は大変。事務方の了解は得られても「○○先生がねぇ…」の一言でひっくり返される時がある。理由が大抵理不尽。
- 国立大学の場合は立場が逆転。教授を事務方が翻弄する。必要な研究費をいつまでたっても入金してくれないためにアップアップする教授多し。お役人最強。
- 大学法人化で更にこの傾向が加速。緊縮財政で教授ボロボロ。
- 自分で科研取らないから悪い。
- 国立大学の場合は立場が逆転。教授を事務方が翻弄する。必要な研究費をいつまでたっても入金してくれないためにアップアップする教授多し。お役人最強。
- 講義は自分の研究しゃべってるだけ。テキストは自分の書いた本。
- 当たり前のことでも「なぜ?」って考える。かなりひねくれた物の見方をする。
- 程度によるが、あたりまえのことをあたりまえとして受け入れているだけでは何につけ研究開発なんかできやしない。
- 授業が難しすぎると言われるのは学生が馬鹿だからであって、自分の講義が専門的過ぎるからではない。
- 一般的に頭がいいといわれているが、専門的に特化しているために一般教養では一般人にも劣ったりする。
- 授業が比較的良いと感じる教授でも、ゼミでまったく態度が違う事はよくあるので注意。
- 授業はテキトー、ゼミは(自分の将来に関わるので)超真剣
- 仕事と比べて授業は学生向けに優しかったり、文章での説明より口での説明の方が下手だというような乖離もある。
- ゼミを持つ教授は、学生が入ってくれないと寂しいので、大講義室の講義で必ず年一回「飯の種」になる台詞をしゃべっている。
- 研究室に所属している学生を奴隷かロボット扱いする教授はたいてい嫌われる。
- 学生に実験させるだけさせて、成果は自分の物トカナー
- たいてい、というかそもそも嫌われない方がおかしいだろ。
- 研究費を使い切るために滅多と使わないような物まで買う。
- そのため実験室にはいつ・何のために買ったかわからないものであふれる。
- 金がない所では複数の研究室で同じ機材を使いまわし。
- 年度末の道路工事と大差無い。
- 比較的お気楽な職業であると言える。
- が、辿り着くまでは大変。サラリーマンのほうがよっぽど気楽。
- 特定の大学の専任講師となってゼミを持つのが出発点。そこからの道はとにかく長い。
- が、辿り着くまでは大変。サラリーマンのほうがよっぽど気楽。
- 大学に入学したときに持った感想。「高校の先生になるより、大学の先生になるほうが簡単かもしれない。」
- 小学校教師よりも、簡単かも。偏差値のバカ高い教育学部に行けば分かるが女ばっかりの仁義なき戦い。教師になれた女に限って人を平気で罵る。
- 「○○大学教授」という肩書きでマスコミなどに露出した場合、実は全く専門外のことについてデタラメに喋っている場合も多い(経営学部教授なのに毒ガスの話したり)
- 筋肉が専門の筈なのにゲーム脳を提唱する教授等は、自身の学説に箔を付ける為に自身をトップとする『~学会』を新設する。 が、専門家にその出鱈目ぶりを指摘されたりして結局物笑いの種になる事もしばしば。
- 上の人は、脳みその代わりに筋肉が詰まっているような人を対象にしているのだから筋が通っていると言えなくもないかな。
- 筋肉が専門の筈なのにゲーム脳を提唱する教授等は、自身の学説に箔を付ける為に自身をトップとする『~学会』を新設する。 が、専門家にその出鱈目ぶりを指摘されたりして結局物笑いの種になる事もしばしば。
- 医学部の場合、臨床の全く出来ない研究者からバリバリの現場の人までいろんな人種がいる。
- 大学の先生=教授ではない
- 准教授とか講師とか。場合によっては助教も「先生」と学生から呼ばれる。
- 容姿の面においても性格の面においても強烈な個性の持ち主が多い。
- 東大とかなら40代で大抵教授になれる。それ以外は講師とか、助教授のまま定年なんてのは別に珍しくない。要は教授のが給料が高い=人件費がかかるということです。
- 某国立大では8本論文を書いて教授会で承認されれば教授になれる。(by某国立大学生)
- なったらなったで今度は白い巨塔ばりの権力闘争に生きて研究活動ほっぽりっぱなし
- インテリにとっては有名人だが、庶民にとっては知名度は芸能人の足元にも及ばない。
- 一部の教員は強力な睡眠術の使い手。聴講している学生の大半を眠らせることができる。
- 言うことの聞かない学生には“さもなくば留年”という呪文を唱える。そういう教授に限って嫌われ者だったりする。
- ゼミを除くと一年に受け持つ講義は週2~3程度であることが多い。
関連項目
34.地方国立でも、大学教授は旧帝国大学出身であることが多い。人付き合いが苦手であるが、面倒見がよくいい人である。しかし、如何ともしがたいのは、サラリーマンの存在を認めない考え方である。彼らは、高学歴で年収が1000万以上ある、いわゆる、勝ち組に対して、ひどくやっかみをもっており、あえて、嫌みたらしく過小評価を行う。
35.一方、地元の大学からエスカレートで教員職に就いた人もいるが、助教授のまま一生を棒にふる人もいる。働く気がないのか、仕事ができないのかはさておき、補助金の無駄遣いであることに変わり無い。こういう人間は、このご時世、首を切られるなりするか、世間から白い目で見られ、相応の対応がなされるべき存在であるが、誰もやりたがらない仕事を率先してするため、尊敬される人もいる。例えば、教職員の給料削減の反対デモ。裏を返せば、教職員に直訴したり、過激な思想を主張している人は彼らである。もちろん、例外はある。
36.33.に関連するが、時間給にすれば、サラリーマンと比べて冷遇されている。サラリーマンといえども様々である。暇な時間は会議や事務の雑事、生徒の指導に費やされる。しかし、お世辞にも、有益な研究を行っているとはいいがたい研究者が、教授クラスでもいると、ワイドショーで報道されるのは、アナウンサーの学力不足や製作者サイドの学力不足が主な原因であり、極めて合理的な判断のもと運営されているとみていい。近年、中村修二教授が企業を相手取り、不当な業績評価に対して訴訟を起こした。これは高学歴が優遇される大学機関の悲しい体質である。それはつまり、研究力という点で民間に劣る研究者が大学機関で一定数存在していることにある。文部科学省の傘下であるから仕方ないとはいえ、改善すべきである。