もし東西幹線が中山道ルートだったら

2021年11月25日 (木) 20:49時点におけるかちゅう (トーク | 投稿記録)による版 (改変を取り消し(Chakuwiki:基本方針とガイドライン参照))
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明治時代に東京-京都間の鉄道建設が計画された時、当初は東海道ルートではなく中山道ルートを選定していました。
もし、当初の計画通り中山道が東西の幹線になっていたら・・・。

全般

  1. 中山道本線が開通。
    • 忠実に中山道をたどった路線が建設される。
      • 当然、名古屋もスルー。
        • 名古屋市は戦後まで存在感は史実ほど無かった。
          • 名古屋帝国大学は創設されず、代わりに岐阜か金沢あたりに第九帝国大学が出来ていた。
        • 名古屋駅舎(先代)は豪華ではなかった。
        • 名古屋市と岐阜市の立場が現実とは逆になっていた。従って東海地方の中心都市は岐阜市。
      • 現実の近鉄名古屋線とJR関西本線の終点は岐阜になってた。
      • 高山本線は美濃太田から分岐し、太多線は中山道本線の一部、中央西線の名古屋~多治見は名多線として開通していた。
      • しかしなんだかんだで後述のように東海道ルートがメインになる。それに伴い中枢機能も岐阜から名古屋に移ってくるんじゃない?(実際内陸の岐阜より港のある名古屋の方が便利)
        • 京都市と大阪市のような関係か?
        • 国道19号に沿う現在の中央線・東海道線ルートが後に出来て、そっちがメインにされそう。
    • 現実の池袋駅あたりが「東京駅」となっていた。
      • 現実の東京駅は「丸の内駅」?
      • 当時の池袋は郡部だからそれはない。文京区白山あたりじゃないか
      • その考えだと現実の渋谷駅が東京駅を名乗ってる事になるぞ。
      • 元々あの辺が江戸の中心部なんだし、東京駅の位置は現実とほとんど変わらないと思う。
    • 東北本線は大宮で中山道本線から分岐。よって上野駅は東京の玄関口とならない。
      • 中山道「本」線になっているのだから支線扱いで東北線では。
        • 青森まで史実通り建設されることを考えると、大宮起点でも東北「本」線を名乗って何らおかしくない。
      • むしろ東北本線の栗橋以南は大宮経由ではなく史実の東武伊勢崎線・日光線ルート(旧奥州街道ルート)で建設された可能性も。
    • 東京-大宮間は京都方面、東北・北海道方面、新潟方面の列車がひしめく大幹線に。
      • 少なくとも在来線だけで5複線+埼京複々線くらいになっていた。
    • 彦根〜野洲間も現実の東海道新幹線に近いルートを通る。
      • 能登川より愛知川の方が発展していた。
  2. でも東海道新幹線東名高速道路は史実通り出来ている。
    • しかし史実の東海道本線の現況は酷くなっている(主に静岡)。
      • 単線区間が残り、浜名湖周辺は二股線経由、丹那トンネルは存在したか怪しい。
        • 国府津-熱海は伊東線の一部として開業していた。未だに小田原以南は単線区間のまま。
        • 流石に二俣線経由にはならなかった。
      • 東海道本線じゃなくて静岡線or武美線になっていたかも。
      • 全線が電化されるのはヨンサントオ改正時になっていた。
    • 静岡がいまほど発展していない(現実の長野レベル)。
      • 静岡県と長野県の立場が逆になっていた。
        • 長野県庁が諏訪市や塩尻市に移動していた可能性も。
      • 静岡市も浜松市も、平成の大合併を経ても人口30万人程度にとどまっていた。
        • 現実の長野と松本のような関係になっていた。
        • 清水市は静岡市と合併せず現存(由比と蒲原を合併したのみ)。
        • 豊橋市は15万人程度、沼津市や富士市に至っては10万人を超えていたかも怪しい。
    • 東海道新幹線ではなく中山道新幹線となっていた。東名高速道路も長野県を経由する。
      • 伊那谷経由の新東名(または東岐?)高速道路が2015年現在建設中。
    • 平成に入る直前に静岡自動車道が全線開通。
      • その場合静岡県東部のルートは現実の新東名高速道路のものだった。
    • 現実の東海道新幹線(東京―米原間)の開業は遅れていた。
  3. 未だに碓氷峠に電車が走っている。
    • 少なくとも自力登坂が可能な勾配に緩和された。
      • この場合横川駅はその時点で廃止されていたかも。
        • それでも補機や炭水補給の一大拠点にはなっていた。
      • 御殿場の急勾配を解消した丹那トンネルのように、膨大な資材と人員をつぎ込んで、史実の新幹線碓氷峠トンネルのような長大トンネルが昭和初期に建設されていた。
    • 当時の明治政府には幹線鉄道の輸送量に耐えうるような改修を行うだけの資金はないと思われるので、臼井峠を避けて中山道の脇往還であった下仁田道(本庄から分岐して和美峠を通って借宿で中参道に合流するルート)になったかも
  4. 1960年代に中山道新幹線が開通。
    • 東京-大宮-熊谷-高崎-軽井沢-下諏訪-塩尻-木曽福島-中津川-可児-岐阜-大垣-米原-草津-京都-大阪みたいな感じか?
      • 軽井沢から山をぶち抜いて松本経由も考えられる。
        • 和田峠・塩尻峠越えはないから恐らく松本経由。
      • 岐阜羽島駅はもちろん存在しない。
      • ルートは東京―大宮―高崎―軽井沢―松本―木曽谷―中津川―美濃太田―岐阜―米原―京都―新大阪になっていた。
      • 東海道新幹線も米原通るが草津駅はないから中山道新幹線の場合も草津駅はできないのでは
    • 西日本から軽井沢に行くのが便利になっていた。
      • 軽井沢だけでなく日光・鬼怒川や草津・伊香保といった北関東の観光地へも行きやすくなっていた。
      • 軽井沢は戦前から観光開発が進み、ハイソで閑静な避暑地というイメージではなくなっていたかもしれない。
    • 東北・上越・北陸新幹線の開業も現実より早かった。
      • 北海道新幹線も。
      • 山陽新幹線が東海道新幹線東京―米原間より先に開業。
    • JR東海ではなく岐阜に本社を置く「JR中部」が発足していた。
  5. 東京~大阪間の実質的な距離が少し長くなっていた。
    • 東京一極集中が少し緩和されていた。
    • JRにおける往復割引の適用条件が701km以上となっていた。
    • 東京~大阪間では現実よりも航空機が有利になっている。
    • 関西-北関東間の交流が疎遠になることもなかった(間に東京を通さずに済むので)。
    • 札幌の立場が名古屋をはるかにしのいでいた。
  6. C62 17が129km/hを記録することはなかったかもしれない。
  7. 無事に完成したとしても勾配区間が多く時間がかかるため、結局は昭和初期あたりに東海道本線の方がメインになる。
    • 東海道本線が鉄道国有法公布前にできていた場合、山陽本線や東北本線などと同様、私鉄による開業だったかもしれない。
      • ありそうなのは史実の関西鉄道に相当する会社が「東海道鉄道」を名乗って横浜〜名古屋間を開業させていたとか
    • 名古屋以西は現実の関西本線+草津線ルートで、名古屋〜岐阜間が支線扱い。
      • この支線は鉄道国有法後「国鉄岐阜線」になる
    • 軍部の要請(艦砲射撃や艦載機を避ける)で少なくとも敗戦までは中山道メイン、戦後の復興でもルート選定に時間をかけるよりも早期全通が優先され、新幹線や東名(東岐)高速道路もとりあえず中山道経由になったかも。
    • 東北本線と常磐線のような関係になっていた。
      • 特急ひたち・ときわに相当する「東海道本線経由で中部地方に向かい、中山道新幹線の途中に合流する特急」が存在する
    • その場合国府津〜沼津間は最初から丹那トンネル経由だった可能性がある。
  8. どちらにしても終戦後に東海道本線が開通する。
    • 名鉄が豊橋~小田原間を建設し、小田急と接続していたかもしれない。
      • 名古屋で近鉄とも接続し、東海道経由での東京-大阪直通運転が実施される。近鉄の軌間統一は小田急・名鉄との直通開始と同時に実施されるが、史実とは違って狭軌で統一された。
        • 名阪間のアーバンライナーのような、時間はかかるけどサービスはよくて安上がりの特急で新幹線に対抗する
  9. 豪雪で運休とかよくありそう。
  10. 碓氷峠越のみならず、和田峠を越えるルート選定も苦戦。
    • トンネルの建造技術が発達した後に別ルートが造られる。
  11. 静岡県は福井若狭地域並みの原発銀座になっていた。東西幹線に面していないため、東日本大震災後に菅直人総理が浜岡原発の停止を決断することはなかった。
  12. 国道1号は当然ながら中山道。東京ー高崎ー岐阜ー京都ー大阪を1本で結び、現実のように国道1718192021号などに分割されることもなかった。
    • 逆に東海道に相当する国道は2桁国道であり、現実の中山道のように幾つかの国道に分割されていた。
      • 少なくとも東京・日本橋~名古屋・熱田までは1つの国道。
  13. 名古屋の代わりに岐阜が日本の第3の都市となった。
    • 田中あたりは日本の第4の都市に。
      • 田中は名字でも都市でも4位になっていた。
      • それはさすがにないが、静岡・浜松レベルまでに発展していただろう。
      • なんだかんだいって名古屋も発展はしているだろう。福岡までは行かなくとも広島よりは発展していた。

東西幹線の中山道ルートが○○を通っていたら

  • 新規に項目を追加される場合は東から西の順になるようにお願いします。

関東地方

高崎線と同じルート
  1. 少なくとも川口駅は停車していただろう。
    • それも「川口-浦和-大宮」しか停車出来ない。
  2. 横浜市はあまり発展せず、さいたま市が昭和のうちに政令指定都市になっていた。
    • 現実の横浜市は西日本方面のみだが、この場合のさいたま市は西日本、北陸、上越、東北等各方面の拠点となる為、(港がないことを差し引いても)今の横浜市と同じかそれ以上に発展していた。
    • さいたま市が昭和のうちに政令指定都市になっていたらとしたら「大埼玉市構想」は実現していた…?
      • 史実で言う大宮市と浦和市と蕨市と川口市と鳩ヶ谷市と草加市と戸田市と和光市と朝霞市と志木市と新座市で合併かな。
        • …大宮・浦和と言っておいてなぜ与野が抜けている。
      • 京都・大阪・神戸の様に、関東の三大拠点都市としてさいたま・東京・横浜の構図が出来上がっていた。
    • 逆に横浜市は東海道経由のバイパス新幹線が開通した場合、人口は150万から多くても200万くらいかな。
      • 神奈川県の人口が大阪府を、横浜市の人口が大阪市を抜くことはなかった。川崎市の政令指定都市への移行は21世紀に入ってからで、100万人超えは2010年代半ばになってからであった。神奈川県全体の人口も史実より少なく、21世紀に入る頃にやっと500万人を突破した。
    • さいたま市の人口は20世紀のうちに200万人を超えていた。埼玉県全体の人口も800万人に達していた。
    • 昭和初期までには池袋~大宮間に中山道本線と競合する大手私鉄ができる
  3. 「ムーンライトながら」は新宿発着になっていたかも。
  4. 行田の鉄道忌避伝説は存在しない。
    • 「なんで中山道本線は市中心部を通らないの?」と質問しても「そもそも中山道は忍経由じゃなかっただろ」で片付けられる。
川越経由
  1. 当時の発展している街から考えると少なくとも浦和と与野は通っている。但し大宮は無視。
    • 与野駅は本当に与野地区にあっただろう。
    • まあ、与野駅~熊谷駅を結ぶ路線を開業し、大宮も通っているはず。
    • 最短ルートに絞るなら今の東武東上線八高線のルートな気がするけど。
  2. 川越線は無かったかも。
  3. 想定ルートは川越-東松山-熊谷かも。

中部地方

松本経由

信濃田中から保福寺峠を越えて松本に至るルートが構想されていたようです。

  1. 松本から少なくとも多治見あたりまでは史実の中央西線とほぼ同じルートが取られている。
  2. 中央東線も史実通り建設されるが、路線名が「甲武本線」あたりになっていた。
  3. 松本が長野より発展し、松本県になっていたかも。
名古屋経由

中山道は名古屋経由していませんが、もし中山道本線が名古屋駅を通っていたら…。

  1. 多治見駅から名古屋駅に結ぶ感じのルートになっていた…はず。
    • 岐阜→愛知→岐阜のオセロ状態に。
    • 流石に御嵩経由の上街道ルートはないだろう。現実の中央本線がそのまんま中山道線になっていた可能性が大。
  2. 鈴鹿山脈に通っていた可能性は…無いか。
    • むしろ東海道本線が後から建設された場合その経由地になる。
  3. 高山本線は多治見-美濃太田-富山の路線になっていた。
  4. 三河と東濃の立場が逆転していた。
  5. 大曽根から枇杷島まで名古屋城の北側を真っ直ぐ抜けた可能性はないだろうか。名城公園辺りに名古屋駅。
  6. 知名度では岐阜より高そうなのでこちらを経由していたかも。

関連項目