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==社会==
*モノレールは[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール]]へ記載するようお願いいたします。
#新しい価値観に溢れた日本人像が創られる。
*地下鉄は[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄]]へ記載するようお願いいたします。
#*「0」ゼロの概念が変わる。
#**普通日本人は「全てを失った」と悲観的になるが、福岡では「最初から始められる。ラッキー」。
#バブル後の失われた10年を一気に取り返すことができる。
#思想による左右中道のカテゴリ分けは起こらない。
#間違いなく外国から舐められない。
#*グローバル化の波に上手く乗れる。
#物価は角打ち価格(¥500以内)が基本。
#元寇の際に日本が中国の属国に成り下がる、または、九州のみ中国に割譲。
#Tモリ、A生太郎の発言をきっかけに尾張を中心とした東海地方で独立戦争が勃発。
#*当然、即鎮圧。賠償目的に[[トヨタ自動車|'''あの資本''']]を横取り。
#*実際には敵陣まで来たところで、恐れをなして引き下がる田舎モノ達の姿が目に浮かぶ…
#**ダ埼玉も参戦。
#***どこから埼玉の話が???
#紙幣の肖像画は聖徳太子より菅原道真が多用される。
#*おかげでお店の人がよく勉強してくれます。
#*広田弘毅もお目見え。
#祝い事では博多手一本がスタンダードに。


==福岡及び九州==
==静岡==
#[[福岡空港]]が手狭になるので、現在の[[佐賀空港]]の場所に新空港が出来ていた。
===小田急沼津~湯ヶ島間の新線===
#*佐賀空港は「新福岡国際空港」として[[成田国際空港]]と同じ存在価値に。
*沼津を起点に長岡・修善寺を通り湯ヶ島へと至る路線計画。御殿場線直通列車を沼津まで延長したうえでこの路線に乗り入れさせる計画があったとか。
#**国家予算を大量に注ぎ込んで干潟埋没から死守。
#駿豆線の開業よりも後に計画されたため、当然伊豆箱根鉄道との競合は避けられなかった。
#***現実の成田と違って1つの空港で国内線・国際線の乗継が容易になっていた。
#*箱根山戦争に続いて伊豆戦争がさらに過激化し、伊豆箱根鉄道各駅から東海バスが締め出されていた。
#****成田を「阪東国際空港」「八州国際空港」、佐賀を「西海国際空港」か「鎮西国際空港」とする。(坂東だと、茨城県坂東市の空港と誤解されるから。関東は地方名として正しくないので、阪東か八州とする。九州国際空港とすると、北九州と紛らわしいので、西海、鎮西いずれかを選択。)
#*西伊豆・中伊豆フリーパスも駿豆線と伊豆箱根バスが対象から外されていた。
#*あるいは役人が「福岡空港はもう限界だな。」と判断したところで玄界灘に海上空港ができていた。
#御殿場線直通列車は特別準急の時代から沼津乗り入れを果たしていた。
#**もちろんその玄界灘に作られた海上空港も内際兼用である。
#*勿論現在も「ふじさん」の全列車が湯ヶ島まで運転されている。
#[[北九州空港|新北九州空港]]はそのまま出来ていた。
#*国鉄末期には御殿場線の小田急への払い下げも検討されていたかもしれない。
#ブリヂストンや[[日産自動車]]、[[ソフトバンクグループ|ソフトバンク]]、[[旭化成]]など、九州をルーツとする企業は原点回帰の意味で九州に本社移転。
#線内普通列車は本線系統の中古車両で補われている。
#本四3橋に加え、九四2大海底トンネル、紀淡海峡トンネル、伊勢湾トンネル、青函・大間トンネル建設。
#*2400形や2600形、5200形の最後の地は間違いなくここだった。
#NEXCO西日本の本社は[[大分]]に置かれる。
#**現在は独自のカラーに塗られた1000形が往復運転をしている。
#現在の[[九州旅客鉄道|JR九州]]+現在の[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[中国地方]]エリアで新生JR西日本誕生。本社は福岡に置かれる。
#*大野工場に入場する際はJR線内を甲種輸送の形で回送されている。
#*但し現実のJR九州的な会社で、車両などのデザインは水戸岡氏が担当。
#西武グループとの関係次第にもよるが、東海バス共々「ラブライブ!サンシャイン!!」とコラボ出来ていたかどうかは不明。
#*快速系統は早くなるのだろうか。
#*同路線が沼津駅に乗り入れていることを生かして小田急側になびいた場合、西武ドームでのライブが実現できなかった可能性がある。
#福岡地区を特別区として再編成。アイランドシティにお台場、海ノ中道に浦安の遊園地が引っ越してくる。
#*接近メロディの導入も駿豆線より早かった。
#仲が悪いか良いのかは別として[[韓国]]との交流が密になる。
#**F-Trainの経験を生かして、派手なラッピング車両を走らせていたかもしれない。新宿には来ないから条例に引っかかることもないし。
#*韓国、[[中華人民共和国|中国]]、[[台湾]]などと競い合っているが、昨今の右傾バカなケンカではなく、良きライバルとして戦う仲になる。
#*台湾などの中華圏、[[東南アジア]]、中近東、[[ロシア]]、東欧諸国、英連邦諸国、[[アフリカ]]諸国との交流が密になることもね。
#*[[釜山]](約450万人)より大きな大都市に成長。熊本まで都市圏に収める。
#**うち人口の3分の2くらいは台湾系及び香港系の華僑の他、インド系・マレー系、アラブ系、アフリカ系黒人などの英連邦諸国、ロシア系や東欧系の住民で溢れる。
#***世界有数の多民族都市として名を馳せますな。
#****右傾純血日本人が米国のKKKのような組織を結成し排外ナショナリズムを煽るが相手にされず。
#*****弾圧の対象になるのは間違いない。
#**単純な都市規模では東京特別区に劣るように見えるが凋落気味だった北九州港が大復活、国際貿易が活発化し経済規模では今の東京を凌駕するほどに進歩。
#*対馬に韓国人が溢れ、済州島に日本人が溢れる。
#*博多〜プサンを結ぶ海底トンネルが開通、日帰り海外旅行がブームに。
#私鉄があと5社。地下鉄があと6本開通してたかな?
#*[[西日本鉄道|西鉄]]が日本最大の企業グループに。
#[[佐賀]]が「[[関東]]地方の埼玉」と同じポジションになっている。
#*某芸人は佐賀生まれの埼玉育ちで、最初に「[[埼玉|埼玉県]]」が大ヒットする。
#*埼玉育ちを隠す美人女優がいたりする。
#*あるいは内陸の[[福岡/筑豊|筑豊]](改め飯塚県)のほうが埼玉的かも。その場合北九州(改め小倉県)が千葉か。
#**[[北九州市|北九州]]は[[川崎市|川崎]]・[[横浜市|横浜]]が当てはまると思う。ついでに、佐賀と[[久留米市|久留米]]は北(ry
#*佐賀市が政令指定都市になり「さが市」になり笑いの的に。
#*埼玉県は1987年まで埼ナンバーが交付されていた。
#**1988年から現在まで埼玉ナンバーが交付されている。
#***1999年から分類番号が3桁になっている。
#福岡都(あるいは博多都)の範囲は、福岡都市圏と壱岐対馬まで。
#[[山口/長門|長州]]・[[山口/周防|周防]]は首都圏の一部。
#*Chakuwikiでは「[[山口]]は福岡圏か地方か」で議論になる。
#JR九州が株式を福証、東証、大証、札証などに上場。
#*そのJR九州は中国地方エリアを管轄することから現実のJR九州的なJR西日本で、福証、東証などに株式を上場することも。
#大分新幹線「ソニック」登場。
#各テレビ局のキーステーションはNHK=福岡放送センター(JOLK)、JNN系=RKB毎日放送、ANN系=KBC九州朝日放送、FNN系=TNCテレビ西日本(TNCテレビ日本に改名)、NNN系=FBS福岡放送、TXN系=TVQ九州放送に。STSサガテレビは独立UHF局になり、福岡各局は佐賀県内に中継局を設置。
#*RKBが本家毎日放送を名乗りMBSの方がMBS毎日放送と名乗っていた。(むしろRKBの略称がMBSになった?)
#**そして大阪の毎日放送がRKB(Kは関西の略)を名乗っていた。
#*KBCは本家朝日放送で略称ABCに。逆に大阪の朝日放送は'''関西朝日放送'''となって略称はKBCに。
#*STSでは、水曜深夜の時間帯に「釣りよかでしょう。」が放送されている。
#中波ラジオ放送はJRN=RKBラジオ、NRN=KBCラジオになり東京・大阪の文化放送、ラジオ大阪が独立局に。
#FM放送はJFN=fm fukuoka、JFL=CROSS FM、MegaNet=LoveFMがキーステーションに。
#九州大学が最難関大学に、福岡大・西南学院大が早稲田・慶応の代わりに…。
#*東大や京大は単なる地方大学に凋落し北海道大学が日本第二の名門大学に変貌。
#*九州産業大学や日本経済大学がMARCHや日東駒専のようなイメージとなっていた。
#雑餉隈の読み方が現実の[[日暮里]]並に知られている。


==対九州外、九州外、九州外から対九州==
===静岡鉄道三保線===
#旧JR西日本の残りのエリアとJR東海そして東海道新幹線・東海道線・中央線を合わせてJR中日本誕生。
#急行電車が新静岡・新清水~三保間に運行されていた。
#西九州・山陽・中央・北陸・羽越・奥羽・北海道新幹線建設。
#旧型電車の巣窟となっていた。
#*山陽新幹線は[[博多駅|博多]]~西明石~伊丹~[[京都駅|京都]]~[[米原駅|米原]]~中津川。
#国鉄清水港線は1970年代に東海道本線の支線に格下げされていた。
#**神戸へは西明石から、大阪へは伊丹から支線を建設し乗り入れ。
#当路線が通る場所によっては、三保の松原が景観上の問題から富士山の世界文化遺産の構成遺産になれなかった可能性があった。
#*北陸新幹線は京都~[[福井の駅#敦賀駅の噂|敦賀]]~[[金沢駅|金沢]]~[[富山駅|富山]]~[[長岡駅|長岡]]~[[新潟駅|新潟]]~[[山形の駅#山形駅の噂|山形]]~[[仙台駅|仙台]]。
#清水が舞台のアニメ『ちびまる子ちゃん』に登場した可能性も…。
#*中央新幹線は敦賀~[[岐阜/東濃#中津川市の噂|中津川]]~[[新宿駅|新宿]]~[[宇都宮駅|宇都宮]]。
#*羽越新幹線は[[名古屋駅|名古屋]]~中津川~[[松本駅|松本]]~長岡~[[秋田の駅#秋田駅の噂|秋田]]~[[青森の駅#弘前駅の噂|弘前]]。
#*奥羽新幹線は新宿~宇都宮~[[福島の駅#会津若松駅の噂|会津若松]]~山形~[[秋田の駅#大曲駅の噂|大曲]]~弘前。
#*北海道新幹線は弘前~[[札幌駅|札幌]]/[[新千歳空港]]。
#*リニア新幹線は福岡~東京を2時間で結ぶ目的のもと、現実よりも早く開通していた。
#東北新幹線はなるべく東山道に沿ったルートで、敦賀~[[高山市|高山]]~松本~[[高崎駅|高崎]]~宇都宮~仙台。
#日田周りで四国・東海道新幹線を建設し、他にも東九州・南四国新幹線を建設。
#*東九州・南四国・四国・東海道新幹線はJR四国の担当。
#JR四国とJR西日本・JR中日本・JR北日本の競争が展開。
#NEXCO東日本の本社は千歳。
#NEXCO中日本の本社は[[東京]]でも[[名古屋市|名古屋]]でも[[大阪]]でもなく中津川。
#*担当エリアは兵庫県以東から茨城~富山のラインまで。
#[[北海道]]・[[四国]]と共に本州を見下す。
#山陰や北近畿、北陸が発展。
#東京は人口が激減し、[[台北]]程度の人口に。
#名古屋は東海の盟主の座を[[浜松市|浜松]]に明け渡され人口が半分減少。逆に浜松と静岡の人口が増えて発展する。
#*京阪神圏が現実の福北大都市圏程度に。
#大阪はお笑いの街として生き残る。
#*しかし、拠点都市としての重要度は半減。
#京都は映画の都として生き残る。
#仙台・山形・秋田・三陸地方が意外に発展。
#日本海側の政令指定都市として新潟が飛躍的に発展。
#*山陰にも政令指定都市ができる。
#千歳が北東アジアのハブ空港都市として発展。
#室蘭・苫小牧がコンテナハブ港として発展。
#福岡空港と札幌丘珠空港間に定期便が就航。ドル箱路線になる。
#関門海峡には、新幹線1、高速道路2、JR在来線2、私鉄2、国道3、で合計10本のトンネルか橋が通っている。
#寝台特急は江戸・横浜行き「あさかぜ」、木更津行き「はやぶさ」、安房鴨川行き「阿蘇」、西那須野行き「さくら」、宇都宮行き「みずほ」。


==産業・商業==
===伊豆急行線(未成区間)===
#商業、サービス業、金融業が発達
*鉄道敷設法第61号に記載されている区間のうち、修善寺-大仁-松崎-下田(伊豆急下田)間が未成区間。残りは伊東線・伊豆急行・伊豆箱根鉄道駿豆線として開業済。
#*[[ソフトバンクグループ|ソフトバンク]]は本当に世界一へ大躍進。
**なお、実際に伊豆急が建設に着手しようとした区間は伊豆急下田-石廊崎間だという。
#*ライブドアもコングロマリットとして、世界有数の企業に大躍進。
#伊豆箱根線延長としての開通か。
#*なぜかバージングループの日本法人も置かれる。
#伊豆半島の鉄道空白が解消された。
#ベンチャー企業と、デカいのにベンチャーな企業が大いに発展する。
#何処かに伊豆駅と名乗っていたかもしれない。
#[[ダイエー]]は福岡に本社を移していた。
#伊豆急と駿豆線が国鉄の路線になっていたらありえたかもしれない。
#*途中で国鉄再建法が施行され、未成線になった可能性もあるが。
#「踊り子」が伊東経由と修善寺経由で下田まで運行。
#*混乱防止の為、どちらかが別の名前になっていた可能性が高い。


==音楽・芸術・文化・スポーツ==
===遠三鉄道===
#音楽産業の街として発展。
愛知電気鉄道系列の浜松延伸構想で、気賀口から浜松鉄道(遠州鉄道に合併(奥山線)された後廃止)に乗り入れる予定だった。
#*音楽喫茶「照和」と須崎公園、少年文化会館はフォークの聖地として現代建築物初の国宝指定。
#JRの浜松~豊橋間の新快速・特別快速は通過運転していた。
#「めんたいロック」がジャンルとして確立する。
#*愛知の静岡免許線も開業していたら静岡まで競合線区になっていた。
#*HIP HOP排斥運動が起きる。
#浜松鉄道は愛電に買収され、遠三鉄道も戦時統合で名古屋鉄道に組み込まれていた。
#U2が[[福岡ドーム]]orマリノアor海の中道でライブしに来てくれるようになる。
#*遠州鉄道も名鉄の子会社になっていた。
#*「city of blinding lights♪」を最高のシチュエーションで歌ってくれる。
#*どう考えても名鉄浜松線になることは避けられない
#*もしくは福岡空港でPVを撮影してくれる。
#「再チャレンジ支援法案」に「芸能界チャレンジ」の項目が仲間入り。
#「癒し」ブームは起きない。
#福岡は、地元人がしゃべる博多弁と、地方からきた人達がしゃべる標準語にわかれる。結果、昔ながらの博多弁を使っている人は、江戸弁のように重宝がられる。
#「東京事変」が「福岡事変」になる。
#*いや、やっぱ「博多事変」でしょ。
#**百道浜も君も室見川もある
#[[西鉄ライオンズ]]は日本を代表する球団に。
#*つまり、西鉄ライオンズと読売巨人軍の立場は正反対に。
#*ライオンズは福岡に居座っていた。
#**だからホークスは、福岡には来なかった。
#*西日本パイレーツが合併されず、21世紀になってから本拠地を移転する。


==主要都市の重要度ランキング==
==愛知==
#福岡(北九州・長崎・佐賀・大分・熊本・下関・広島は実質都市圏として吸収)
===愛知中央鉄道===
#*鹿児島・東京・札幌が重要拠点都市へ
[http://www.city.nagakute.lg.jp/jyouhou/kouhou/kouhoushi/documents/201310nagakute201310app.pdf 詳細 (PDF)]
#*辛うじて岡山は拠点性を維持
#後に瀬戸電気鉄道と合併し、名鉄の路線になり同社の南瀬戸線になっていた。
#名古屋・横浜・千葉・さいたま・仙台・新潟
#*本笠寺あたりで名鉄名古屋本線と接続して大江まで至っていた。なので、名鉄瀬戸線が孤立路線にはならなかった。
#那覇・高松・神戸・京都・大阪・静岡
#**ミュースカイに尾張瀬戸発着が設定される。
*関西圏の重要度が半減する。
#国鉄に買収されていた場合、品野~瀬戸間を岡多線の一部にする計画が浮上していた。
**特に京都がただでさえ苦境を強いられているにも拘らず建築基準のせいで今以上に凋落。三都として賑っていた威光は完全に過去の物に...
#当初は瀬戸の陶磁器を名古屋港まで直接鉄道で運べるので重宝する。
***[[太宰府市|太宰府]]並の扱いに急落。
#*いずれにしろ窯業の衰退で貨物輸送は取りやめている。
*辺境(札幌・新潟など)が、拠点性を発揮。今以上に重要になる。
#長久手市は昭和のうちに市制施行していた。
*東京は太平洋側の重要拠点として、引き続き繁栄。
#リニモは建設されていない。
*新三大都市圏として[[福岡]]・[[東京]]・[[札幌市|札幌]]は相性が良いと思う。
#*愛知万博の際に万博会場への支線が出来ていたかもしれない。
**因みに、バンド「クラムボン」のメンバーは、それぞれ上記三大都市の出身。
#**そもそも万博会場が長久手で確保できなかった可能性もある。
***そもそも、最新参者で大都市圏ではない札幌(北海道)が三大都市圏に入らないだろう。まともに、ラジオ・テレビ放送網が整備されていないのだし。
#覚王山までの支線が出来ていれば、そのまま名古屋市電に乗り入れていた。
むしろ、沖縄県と薩南諸島を大統合して、「(大)沖縄市」あるいは「沖縄都」にして大都市圏入りしてもいい。
#高針ー覚王山支線が自然に地下鉄東山線のルートとなり、香具山車庫設置。星ヶ丘以東のルートは大幅変更となりおおむね名東本通(中馬街道岩崎ルート)に沿って星ヶ丘ー西山ー高針ー梅森坂ー岩崎(香具山車庫)となる。豊田新線が鶴舞線ではなく東山線の延長として建設された可能性も否定できない。
*どうやら松山は拠点性を失うようだ。
#*その一方で本線の利用が伸びないまま一部廃止された可能性を否定できない。
**松山って何処ですか?(九州人)
#*高針駅としては主要集落である古谷、北島が面する札木(現:西友高針店付近)が好ましいと考えられるが、その一方で、勢子坊〜極楽に最初の着工区間があること、その位置から札木までを直線で結ぼうとすると松井池、その沿岸の丘陵、新屋敷の集落等が障害となることから、本線は松井池の西岸を真っ直ぐ南下し、これが中馬街道岩崎ルートにぶつかる地点(現:梅森坂口付近)に分岐駅としての高針駅(東高針駅)を置き、本線は牧野池の東岸、南岸を沿って植田に向かい、札木には必要であれば分岐線最初の駅を置く方が実現可能性が高いと考える。
**ねーよwwwwww(別の九州人)
*四国が意外にもベッドタウンのベッドタウンとして発展。
**お遍路の有難味が半減。


[[カテゴリ:もし日本の首都が○○になっていたら|ふくおか]]
===桃花台新交通桃花台線(桃花台東-高蔵寺間)===
[[カテゴリ:福岡市|もしにほんのしゆとになつていたら]]
*延伸計画はあったものの、着工されることなく全線が廃止されてしまった。
#当時の名鉄小牧線と違い名古屋市中心部に直接アクセスできるルートが形成されるので、間違っても廃止になることはなかった。
#桃花台東駅のループ構造が折り返し運用を除いて無駄になっていた。
#*高蔵寺方面への利用客が中心になった場合はますます無用の長物化していた。
#名古屋ガイドウェイバスと直通させようとする無謀な構想を誰かが浮かべていた。
#道路の幅員からして春日井ネオポリスや藤山台の辺りを経由していた可能性大。
#桃花台新交通の一次開業が1980年代後半か,名鉄が桃花台新交通をグループ化できたら,十分考えられる。
 
===愛知電気鉄道市内乗入線===
*名鉄名古屋本線の鳴海~神宮前間に別線を敷く[[wikipedia:ja:愛知電気鉄道#市内乗入線|市内乗入線]]計画が実現していたら?
#東海道本線に対する本線東部の競争力がより高まっていた。
#両線とも存続していた場合、市内乗入線が急行線、旧線が緩行線になっていた。
#*特急は全て急行線、普通は全て緩行線を走行。堀田駅が旧線側にあるので急行は系統ごとに走る路線が異なっていた。
#*完全な通過線とするなら途中駅は存在しない方が良いが、それだと地元の同意を得られそうにないので、結局数駅は設けていたかも(鳴海 - 笠寺 - 戸部下 - 新伝馬町 - 神宮前)。
#**普通は全て緩行線を通るので急行線途中駅は急行を停めることになる。すると急行が急行線を走るとかえって遅くなる(緩行線の停車駅は1駅、急行線の停車駅は数駅)という逆転現象が起きる。
 
===豊川鉄道御油支線===
*[[wikipedia:ja:豊川鉄道|豊川鉄道]]が、豊川〜御油(現・愛知御津)の支線を建設して、豊川と東海道本線駅を短絡する計画が実現していたら?
#愛電線開業で苦境に陥るも、蒲郡方面からの短絡路線としてかろうじて残る。
#国有化は、財産区分けの関係や名古屋方面へ順行になるから、吉田(現・豊橋)への本線ではなく、支線の方が対象になり、飯田線の起点は東海道本線・御油駅になる。
#*対象とならなかった豊橋―豊川間もどのみち名鉄線になっている。一方で豊川線が史実のような形で建設されたかどうか疑問。
#**軌道規格で新線作るより西豊川支線拡張の方が必要資材も少なく輸送量も多そうなので史実の豊川市内線は作られなかったかも。
#***そして名鉄線となった豊橋―豊川(―西豊川)間が「豊川線」になる。
#***西豊川支線の行末は川鉄国有化時の判断次第。国有化されたなら史実通り、名鉄線のまま国鉄線から工員輸送列車を直通させたなら戦後も豊川線の一部として存続(ただし国鉄への貨物列車が残存)
#***ダイヤは名古屋本線が特急4本、急行数本、普通2本、小坂井支線経由で豊川に行く急行2本。豊川線は先述の急行と下地・船町だけ通過の急行あわせて計4本と普通2本くらいか。本数制限解除に合わせたダイヤ次第で名古屋―豊橋間は史実より便利になるかも。{{極小|しかし豊川―名古屋間利用者は史実より不便である。}}
#**豊川線が作られた場合は小坂井支線を廃止し、国府・豊川・豊橋で巨大なデルタ線を構成。
#***路線名に困る。国府―豊川間、豊橋―豊川間のどちらが「豊川線」になっても、どっちも目的地(終点)が豊川だからもう一方の名前が決めづらい。
#*貨物・旅客共に豊橋方面の需要があるので後になって豊橋方面の路線の買収を…しようとして名鉄に反発されたので、愛知御津付近に短絡線を設置。東三河にデルタ線が2つ出来ていた。
#**長距離ローカル列車などは史実通り豊橋発着で、御津―豊川を走る旅客列車は特急や朝夕時に豊川を発着する快速系。一部の列車は豊橋方面からの列車と蒲郡あたりで増解結。
 
===名鉄大曽根線===
{{駅名標/名鉄|name=上飯田|ruby=かみいいだ|roma=Kami iida|back=大曽根|back2=Ōzone|next=味鋺|next2=Ajima}}
*現在の小牧線の未成区間であり、上飯田-大曽根間に軌道を敷設する計画だった。
#瀬戸線の大曽根駅と駅舎が統合され、全列車が栄町まで乗り入れるようになっていた。
#*車両に関しても瀬戸線と共通運用が組まれるので、6750系が犬山まで行く事があったかもしれない。
#*それでも名古屋本線とは直接接続しない為、線路こそ繋がっているものの史実同様実質独立した線区扱いとなる。
#*もしくは、味鋺~大曽根間が地下化されて、名古屋市営地下鉄名城線と相互直通運転を行っていた可能性もあった。
#**その場合、名古屋港~大曽根~犬山・小牧間として運行されていた。
#**京阪京津線と同様に名鉄電車が乗り入れるという片乗り入れという形になっていた。
#地下鉄上飯田線は計画自体は存在するものの建設されずに終わっていた。
#間内駅付近に車庫ができていた。
#栄町駅のホームが2面4線の頭端式ホームになっていた。
#桃花台新交通が廃止されることはなかった。
#名鉄300系電車の登場は史実通り。
#*しかし、史実よりも遅れて登場していたかもしれない。
#名古屋市電御成通線は開業しなかったかもしれない。
 
===名鉄名古屋空港線===
*味美~名古屋空港
#中部国際空港の建設が史実より遅れていれば具体化していたかもしれない。
#中部国際空港開港以前は全列車が平安通始発となっていた。
#*開港以降はほぼ全ての列車が線内折り返し運転を行っている。運行間隔も30分に一本ぐらいまで減少。
#*三菱の工場への通勤需要がメインになっていれば朝夕に限ってはそこまで衰退していない。
#**休日も空港見学やエアポートウォークの客で少しはにぎわっていた。
#豊山町唯一の鉄道路線となっていた。
 
===名鉄三河線===
*西中金~足助
#三河線(猿投~西中金間、碧南~吉良吉田間)の廃止はなかった。
#*廃線になるとしても、碧南~吉良吉田間の廃止に留まっていた。
#新鵜沼~知立~足助間の臨時特急が運行されていた。
#*それどころか一度も三河山線の定期特急は廃止されない。知立-梅坪間は高速化される。
#香嵐渓に訪れる観光客が増えていた。
#*名鉄グループが熱心にそこを開発したかも。
#足助町の人口が史実よりも多くなっていたかもしれない。
#*それでも豊田市に合併される運命は変わらなかった。
#ディーゼルカーでの運行はなかったかもしれない。
#6000系電車が史実よりも多く製造されていた。
#近鉄の「青の交響曲」のような観光列車が運行されていた可能性が高い。
#名鉄三河線において、知立~豊田市間が複線化されていた可能性が高い。
#*遅くとも豊田市-梅坪間の複線化までにそうなる。
 
===名鉄小牧線===
*上飯田~押切町
#一宮線に乗り入れて、柳橋まで乗り入れていた可能性が高い。
#*戦後、名鉄名古屋まで乗り入れていた。
#**駅のキャパシティがさらに逼迫していた可能性大。
#無論、名古屋市営地下鉄上飯田線の計画はなかった。
 
===名鉄瀬戸線関連===
====品野延伸====
#JR東海バスの一般路線撤退がもっと早まっていた。
#東濃鉄道の名鉄グループ入りに前後して笠原への延伸を求める声があった。
#*愛環の多治見延伸計画の廃止の代替としてその声が高まっていた。
#品野~多治見のバスは現在でも運行されていた。
#*瀬戸電時代に笠原鉄道を併合して、笠原まで延伸(笠原-新多治見間電化)できたらそれと同時に廃止。
#*それが実現できた場合昭和50年代までは名古屋-多治見間の鉄道利用者は瀬戸電(名鉄)の方が多かった。上手くいけば、[[もし名古屋鉄道の誕生に至る合併がなかったら|瀬戸電は名岐鉄道と合併しなかった]]。
 
====藤岡延伸====
#藤岡町と瀬戸との結びつきが強まっていた。
#*平成の大合併では史実の豊田市ではなく瀬戸市と合併していた。
#藤岡に名古屋へ通勤する人向けの大規模なニュータウンが出来ていた。
 
====守山~志段味支線====
#志段味地区の開発はもっと早く進んでいた。
#*早い段階で名古屋への通勤圏となり大規模な開発が行われていた。
#高蔵寺までの路線延伸が取りざたされている。
#ゆとりーとラインは存在しなかった。
#*存在したとしても現状よりさらに経営状態は悪かった。
#瀬戸西線は民営化直後に廃止されていた。
#*瀬戸地区は経営が支えられず史実よりも早く撤退している。
 
===新三河鉄道===
*八事 - 挙母
#八事が地下鉄と名鉄の境界になっていた。
 
==岐阜==
===木曽御嶽鉄道===
木曽福島~三岳村を結ぶ計画だった。
#木材輸送と木曽御嶽登山で賑わっていた。
#田口線や北恵那鉄道と同じく1076mmの森林鉄道と言われていた。
#森林鉄道全廃のときに貨物営業が廃止され史実よりもファンが押し寄せる。
#森林鉄道廃止後しばらくしてマスコミが井川線のように当路線をもてはやす。
 
===御嶽開発水無線===
かつて名鉄は子会社の御岳開発に王滝森林鉄道水無線を買収させており、観光列車を運転させる計画だったが水無キャンプ場の破綻で計画が立ち消えとなった。
#ベールに包まれた林鉄に乗れると多くの観光客が詰め寄せていた。
#*史実の小川森林鉄道赤沢線みたいなポジション。もちろん森林浴発祥の地となっていた。
#林鉄廃止後、車両の保存も行うようになる。
#もし木曽御嶽鉄道が存在した場合、三岳村までの路線を引き取っていた。
#*この場合は大井川鐵道井川線みたいなポジションとなる。
 
===北濃鉄道===
*高富町-北武芸村間の計画が存在していたそうである。
#史実の名鉄高富線の延伸区間として開業。
#*おそらく山県市経由だった。
#戦後に高富線が「輸送力不足でバス転換」などということにはならなかった。
#長良北町以南を専用軌道化できない限り2005年には廃止されていた。
もしくは88年に市内線の徹明町以北と運命を共にしていた。
#岐阜市内区間に地下路線を建設して本線と直通していたかもしれない
 
===近鉄岐阜線===
*大垣 - 小熊 - 岐阜羽島と小熊 - 岐阜間。なお戦前から計画が存在し、揖斐大橋は、鉄道が敷設できる構造になっていた。岐阜から高山線に乗り入れる計画だったらしい。戦前の計画では小熊 - 岐阜羽島がなくかわりに結 - 安八の支線を作る予定。
#かわりに名鉄羽島線は開業しなかった。
#*竹鼻線全体が廃止されていたかも。
#**それはない。現在の竹鼻線自体、新幹線アクセスとしてよりも沿線の通勤通学路線としての色彩が濃い。
#たぶん現在は養老鉄道の一路線になっていた。
#*むしろ近鉄のままで岐阜~揖斐/養老は特急が走っていた。
#*その場合、1435mmへ改軌されていた。
#高山線乗り入れは現在は廃止されていると思う。
#1990年代あたりでJRに代わって名鉄名古屋本線との乗り入れ計画が浮上し、名鉄岐阜と近鉄岐阜の連絡線が建設されていた。
#戦前の計画が実行された場合、戦後安八 - 岐阜羽島が建設されて岐阜・大垣両側から乗り入れていた。
#岐阜県庁への足として重要視されていた。
#聲の形にも登場していた。
#桑名~岐阜間を結ぶ列車と揖斐~岐阜間を結ぶ列車が運行されていた。
#揖斐大橋と長良大橋が鉄道道路併用橋になっていた。
#*2000年代には分離されていた。
 
===名鉄関線===
;新鵜沼~新関間
#2000系電車も走っていた。
#ダイヤでは、名鉄広見線と同じレベルになっていた。
#*名古屋への通勤者向けの沿線開発が進めば、朝と夕方~夜に準急・急行(・高速)・特急・快速特急が、河和・内海・豊橋方面から多く直通する。
#関市に訪れる観光客が増えていた。
#駅設置はどうなっていたのであろうか。
#新関駅を関(国鉄時代美濃関)駅に統合(同時に美濃町線新関~美濃間廃止)する計画が1980年代に出た。
#*それと共に、長良川鉄道に、キハ8000・8500を使用した急行→特急を直通させる計画が出る。
 
===美濃電気軌道芥見線===
;名鉄岐阜(新岐阜)~下芥見間
#当然ながら、徹明町 - 北一色間が併用軌道になることはなかった。
#のちに美濃町線となり、廃止になることはなかった。
#ダイヤでは、名鉄各務原線と同じレベルになっていた。
#併用軌道の時と比べて、駅の数が少なかった。
#*駅設置はどうなっていたのであろうか。
#新岐阜百貨店は閉店することはなく、名鉄百貨店岐阜店として、リニューアルされていたかもしれない。
 
==三重==
===四日市あすなろう鉄道内部線(未成区間)===
内部から先も延伸する予定でした。
#内部駅は単なる途中駅になる。
#鈴鹿ハンターや深伊沢地区は交通が不便にならなかった。
#笹川経由で伊勢八王子駅につないで一周路線になっていた。
#*従って1974年の災害時も廃止せず復旧した。
#**バスの循環路線のように「内部回り・伊勢八王子回り」と呼んでいた。
 
===志摩スペイン村新交通システム===
川島令三氏が本で言っていました。
#スペイン村はそこまで業績が悪いとは言われない。
#*スペイン村はもっとはやっていた。
 
===三岐鉄道三岐線(未成区間)===
西藤原から先も延伸を計画していました。
#三岐線は行き止まりにならなかった。
 
===名張-伊賀上野間を結ぶ路線===
こちらも計画はされていました。
#伊賀鉄道が名張市内に来ていた。
 
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|とうかい]]

2021年4月29日 (木) 15:10時点における版

静岡

小田急沼津~湯ヶ島間の新線

  • 沼津を起点に長岡・修善寺を通り湯ヶ島へと至る路線計画。御殿場線直通列車を沼津まで延長したうえでこの路線に乗り入れさせる計画があったとか。
  1. 駿豆線の開業よりも後に計画されたため、当然伊豆箱根鉄道との競合は避けられなかった。
    • 箱根山戦争に続いて伊豆戦争がさらに過激化し、伊豆箱根鉄道各駅から東海バスが締め出されていた。
    • 西伊豆・中伊豆フリーパスも駿豆線と伊豆箱根バスが対象から外されていた。
  2. 御殿場線直通列車は特別準急の時代から沼津乗り入れを果たしていた。
    • 勿論現在も「ふじさん」の全列車が湯ヶ島まで運転されている。
    • 国鉄末期には御殿場線の小田急への払い下げも検討されていたかもしれない。
  3. 線内普通列車は本線系統の中古車両で補われている。
    • 2400形や2600形、5200形の最後の地は間違いなくここだった。
      • 現在は独自のカラーに塗られた1000形が往復運転をしている。
    • 大野工場に入場する際はJR線内を甲種輸送の形で回送されている。
  4. 西武グループとの関係次第にもよるが、東海バス共々「ラブライブ!サンシャイン!!」とコラボ出来ていたかどうかは不明。
    • 同路線が沼津駅に乗り入れていることを生かして小田急側になびいた場合、西武ドームでのライブが実現できなかった可能性がある。
    • 接近メロディの導入も駿豆線より早かった。
      • F-Trainの経験を生かして、派手なラッピング車両を走らせていたかもしれない。新宿には来ないから条例に引っかかることもないし。

静岡鉄道三保線

  1. 急行電車が新静岡・新清水~三保間に運行されていた。
  2. 旧型電車の巣窟となっていた。
  3. 国鉄清水港線は1970年代に東海道本線の支線に格下げされていた。
  4. 当路線が通る場所によっては、三保の松原が景観上の問題から富士山の世界文化遺産の構成遺産になれなかった可能性があった。
  5. 清水が舞台のアニメ『ちびまる子ちゃん』に登場した可能性も…。

伊豆急行線(未成区間)

  • 鉄道敷設法第61号に記載されている区間のうち、修善寺-大仁-松崎-下田(伊豆急下田)間が未成区間。残りは伊東線・伊豆急行・伊豆箱根鉄道駿豆線として開業済。
    • なお、実際に伊豆急が建設に着手しようとした区間は伊豆急下田-石廊崎間だという。
  1. 伊豆箱根線延長としての開通か。
  2. 伊豆半島の鉄道空白が解消された。
  3. 何処かに伊豆駅と名乗っていたかもしれない。
  4. 伊豆急と駿豆線が国鉄の路線になっていたらありえたかもしれない。
    • 途中で国鉄再建法が施行され、未成線になった可能性もあるが。
  5. 「踊り子」が伊東経由と修善寺経由で下田まで運行。
    • 混乱防止の為、どちらかが別の名前になっていた可能性が高い。

遠三鉄道

愛知電気鉄道系列の浜松延伸構想で、気賀口から浜松鉄道(遠州鉄道に合併(奥山線)された後廃止)に乗り入れる予定だった。

  1. JRの浜松~豊橋間の新快速・特別快速は通過運転していた。
    • 愛知の静岡免許線も開業していたら静岡まで競合線区になっていた。
  2. 浜松鉄道は愛電に買収され、遠三鉄道も戦時統合で名古屋鉄道に組み込まれていた。
    • 遠州鉄道も名鉄の子会社になっていた。
    • どう考えても名鉄浜松線になることは避けられない

愛知

愛知中央鉄道

詳細 (PDF)

  1. 後に瀬戸電気鉄道と合併し、名鉄の路線になり同社の南瀬戸線になっていた。
    • 本笠寺あたりで名鉄名古屋本線と接続して大江まで至っていた。なので、名鉄瀬戸線が孤立路線にはならなかった。
      • ミュースカイに尾張瀬戸発着が設定される。
  2. 国鉄に買収されていた場合、品野~瀬戸間を岡多線の一部にする計画が浮上していた。
  3. 当初は瀬戸の陶磁器を名古屋港まで直接鉄道で運べるので重宝する。
    • いずれにしろ窯業の衰退で貨物輸送は取りやめている。
  4. 長久手市は昭和のうちに市制施行していた。
  5. リニモは建設されていない。
    • 愛知万博の際に万博会場への支線が出来ていたかもしれない。
      • そもそも万博会場が長久手で確保できなかった可能性もある。
  6. 覚王山までの支線が出来ていれば、そのまま名古屋市電に乗り入れていた。
  7. 高針ー覚王山支線が自然に地下鉄東山線のルートとなり、香具山車庫設置。星ヶ丘以東のルートは大幅変更となりおおむね名東本通(中馬街道岩崎ルート)に沿って星ヶ丘ー西山ー高針ー梅森坂ー岩崎(香具山車庫)となる。豊田新線が鶴舞線ではなく東山線の延長として建設された可能性も否定できない。
    • その一方で本線の利用が伸びないまま一部廃止された可能性を否定できない。
    • 高針駅としては主要集落である古谷、北島が面する札木(現:西友高針店付近)が好ましいと考えられるが、その一方で、勢子坊〜極楽に最初の着工区間があること、その位置から札木までを直線で結ぼうとすると松井池、その沿岸の丘陵、新屋敷の集落等が障害となることから、本線は松井池の西岸を真っ直ぐ南下し、これが中馬街道岩崎ルートにぶつかる地点(現:梅森坂口付近)に分岐駅としての高針駅(東高針駅)を置き、本線は牧野池の東岸、南岸を沿って植田に向かい、札木には必要であれば分岐線最初の駅を置く方が実現可能性が高いと考える。

桃花台新交通桃花台線(桃花台東-高蔵寺間)

  • 延伸計画はあったものの、着工されることなく全線が廃止されてしまった。
  1. 当時の名鉄小牧線と違い名古屋市中心部に直接アクセスできるルートが形成されるので、間違っても廃止になることはなかった。
  2. 桃花台東駅のループ構造が折り返し運用を除いて無駄になっていた。
    • 高蔵寺方面への利用客が中心になった場合はますます無用の長物化していた。
  3. 名古屋ガイドウェイバスと直通させようとする無謀な構想を誰かが浮かべていた。
  4. 道路の幅員からして春日井ネオポリスや藤山台の辺りを経由していた可能性大。
  5. 桃花台新交通の一次開業が1980年代後半か,名鉄が桃花台新交通をグループ化できたら,十分考えられる。

愛知電気鉄道市内乗入線

  • 名鉄名古屋本線の鳴海~神宮前間に別線を敷く市内乗入線計画が実現していたら?
  1. 東海道本線に対する本線東部の競争力がより高まっていた。
  2. 両線とも存続していた場合、市内乗入線が急行線、旧線が緩行線になっていた。
    • 特急は全て急行線、普通は全て緩行線を走行。堀田駅が旧線側にあるので急行は系統ごとに走る路線が異なっていた。
    • 完全な通過線とするなら途中駅は存在しない方が良いが、それだと地元の同意を得られそうにないので、結局数駅は設けていたかも(鳴海 - 笠寺 - 戸部下 - 新伝馬町 - 神宮前)。
      • 普通は全て緩行線を通るので急行線途中駅は急行を停めることになる。すると急行が急行線を走るとかえって遅くなる(緩行線の停車駅は1駅、急行線の停車駅は数駅)という逆転現象が起きる。

豊川鉄道御油支線

  • 豊川鉄道が、豊川〜御油(現・愛知御津)の支線を建設して、豊川と東海道本線駅を短絡する計画が実現していたら?
  1. 愛電線開業で苦境に陥るも、蒲郡方面からの短絡路線としてかろうじて残る。
  2. 国有化は、財産区分けの関係や名古屋方面へ順行になるから、吉田(現・豊橋)への本線ではなく、支線の方が対象になり、飯田線の起点は東海道本線・御油駅になる。
    • 対象とならなかった豊橋―豊川間もどのみち名鉄線になっている。一方で豊川線が史実のような形で建設されたかどうか疑問。
      • 軌道規格で新線作るより西豊川支線拡張の方が必要資材も少なく輸送量も多そうなので史実の豊川市内線は作られなかったかも。
        • そして名鉄線となった豊橋―豊川(―西豊川)間が「豊川線」になる。
        • 西豊川支線の行末は川鉄国有化時の判断次第。国有化されたなら史実通り、名鉄線のまま国鉄線から工員輸送列車を直通させたなら戦後も豊川線の一部として存続(ただし国鉄への貨物列車が残存)
        • ダイヤは名古屋本線が特急4本、急行数本、普通2本、小坂井支線経由で豊川に行く急行2本。豊川線は先述の急行と下地・船町だけ通過の急行あわせて計4本と普通2本くらいか。本数制限解除に合わせたダイヤ次第で名古屋―豊橋間は史実より便利になるかも。しかし豊川―名古屋間利用者は史実より不便である。
      • 豊川線が作られた場合は小坂井支線を廃止し、国府・豊川・豊橋で巨大なデルタ線を構成。
        • 路線名に困る。国府―豊川間、豊橋―豊川間のどちらが「豊川線」になっても、どっちも目的地(終点)が豊川だからもう一方の名前が決めづらい。
    • 貨物・旅客共に豊橋方面の需要があるので後になって豊橋方面の路線の買収を…しようとして名鉄に反発されたので、愛知御津付近に短絡線を設置。東三河にデルタ線が2つ出来ていた。
      • 長距離ローカル列車などは史実通り豊橋発着で、御津―豊川を走る旅客列車は特急や朝夕時に豊川を発着する快速系。一部の列車は豊橋方面からの列車と蒲郡あたりで増解結。

名鉄大曽根線

上飯田
かみいいだ
Kami iida
大曽根
Ōzone
味鋺
Ajima
  • 現在の小牧線の未成区間であり、上飯田-大曽根間に軌道を敷設する計画だった。
  1. 瀬戸線の大曽根駅と駅舎が統合され、全列車が栄町まで乗り入れるようになっていた。
    • 車両に関しても瀬戸線と共通運用が組まれるので、6750系が犬山まで行く事があったかもしれない。
    • それでも名古屋本線とは直接接続しない為、線路こそ繋がっているものの史実同様実質独立した線区扱いとなる。
    • もしくは、味鋺~大曽根間が地下化されて、名古屋市営地下鉄名城線と相互直通運転を行っていた可能性もあった。
      • その場合、名古屋港~大曽根~犬山・小牧間として運行されていた。
      • 京阪京津線と同様に名鉄電車が乗り入れるという片乗り入れという形になっていた。
  2. 地下鉄上飯田線は計画自体は存在するものの建設されずに終わっていた。
  3. 間内駅付近に車庫ができていた。
  4. 栄町駅のホームが2面4線の頭端式ホームになっていた。
  5. 桃花台新交通が廃止されることはなかった。
  6. 名鉄300系電車の登場は史実通り。
    • しかし、史実よりも遅れて登場していたかもしれない。
  7. 名古屋市電御成通線は開業しなかったかもしれない。

名鉄名古屋空港線

  • 味美~名古屋空港
  1. 中部国際空港の建設が史実より遅れていれば具体化していたかもしれない。
  2. 中部国際空港開港以前は全列車が平安通始発となっていた。
    • 開港以降はほぼ全ての列車が線内折り返し運転を行っている。運行間隔も30分に一本ぐらいまで減少。
    • 三菱の工場への通勤需要がメインになっていれば朝夕に限ってはそこまで衰退していない。
      • 休日も空港見学やエアポートウォークの客で少しはにぎわっていた。
  3. 豊山町唯一の鉄道路線となっていた。

名鉄三河線

  • 西中金~足助
  1. 三河線(猿投~西中金間、碧南~吉良吉田間)の廃止はなかった。
    • 廃線になるとしても、碧南~吉良吉田間の廃止に留まっていた。
  2. 新鵜沼~知立~足助間の臨時特急が運行されていた。
    • それどころか一度も三河山線の定期特急は廃止されない。知立-梅坪間は高速化される。
  3. 香嵐渓に訪れる観光客が増えていた。
    • 名鉄グループが熱心にそこを開発したかも。
  4. 足助町の人口が史実よりも多くなっていたかもしれない。
    • それでも豊田市に合併される運命は変わらなかった。
  5. ディーゼルカーでの運行はなかったかもしれない。
  6. 6000系電車が史実よりも多く製造されていた。
  7. 近鉄の「青の交響曲」のような観光列車が運行されていた可能性が高い。
  8. 名鉄三河線において、知立~豊田市間が複線化されていた可能性が高い。
    • 遅くとも豊田市-梅坪間の複線化までにそうなる。

名鉄小牧線

  • 上飯田~押切町
  1. 一宮線に乗り入れて、柳橋まで乗り入れていた可能性が高い。
    • 戦後、名鉄名古屋まで乗り入れていた。
      • 駅のキャパシティがさらに逼迫していた可能性大。
  2. 無論、名古屋市営地下鉄上飯田線の計画はなかった。

名鉄瀬戸線関連

品野延伸

  1. JR東海バスの一般路線撤退がもっと早まっていた。
  2. 東濃鉄道の名鉄グループ入りに前後して笠原への延伸を求める声があった。
    • 愛環の多治見延伸計画の廃止の代替としてその声が高まっていた。
  3. 品野~多治見のバスは現在でも運行されていた。
    • 瀬戸電時代に笠原鉄道を併合して、笠原まで延伸(笠原-新多治見間電化)できたらそれと同時に廃止。
    • それが実現できた場合昭和50年代までは名古屋-多治見間の鉄道利用者は瀬戸電(名鉄)の方が多かった。上手くいけば、瀬戸電は名岐鉄道と合併しなかった

藤岡延伸

  1. 藤岡町と瀬戸との結びつきが強まっていた。
    • 平成の大合併では史実の豊田市ではなく瀬戸市と合併していた。
  2. 藤岡に名古屋へ通勤する人向けの大規模なニュータウンが出来ていた。

守山~志段味支線

  1. 志段味地区の開発はもっと早く進んでいた。
    • 早い段階で名古屋への通勤圏となり大規模な開発が行われていた。
  2. 高蔵寺までの路線延伸が取りざたされている。
  3. ゆとりーとラインは存在しなかった。
    • 存在したとしても現状よりさらに経営状態は悪かった。
  4. 瀬戸西線は民営化直後に廃止されていた。
    • 瀬戸地区は経営が支えられず史実よりも早く撤退している。

新三河鉄道

  • 八事 - 挙母
  1. 八事が地下鉄と名鉄の境界になっていた。

岐阜

木曽御嶽鉄道

木曽福島~三岳村を結ぶ計画だった。

  1. 木材輸送と木曽御嶽登山で賑わっていた。
  2. 田口線や北恵那鉄道と同じく1076mmの森林鉄道と言われていた。
  3. 森林鉄道全廃のときに貨物営業が廃止され史実よりもファンが押し寄せる。
  4. 森林鉄道廃止後しばらくしてマスコミが井川線のように当路線をもてはやす。

御嶽開発水無線

かつて名鉄は子会社の御岳開発に王滝森林鉄道水無線を買収させており、観光列車を運転させる計画だったが水無キャンプ場の破綻で計画が立ち消えとなった。

  1. ベールに包まれた林鉄に乗れると多くの観光客が詰め寄せていた。
    • 史実の小川森林鉄道赤沢線みたいなポジション。もちろん森林浴発祥の地となっていた。
  2. 林鉄廃止後、車両の保存も行うようになる。
  3. もし木曽御嶽鉄道が存在した場合、三岳村までの路線を引き取っていた。
    • この場合は大井川鐵道井川線みたいなポジションとなる。

北濃鉄道

  • 高富町-北武芸村間の計画が存在していたそうである。
  1. 史実の名鉄高富線の延伸区間として開業。
    • おそらく山県市経由だった。
  2. 戦後に高富線が「輸送力不足でバス転換」などということにはならなかった。
  3. 長良北町以南を専用軌道化できない限り2005年には廃止されていた。

もしくは88年に市内線の徹明町以北と運命を共にしていた。

  1. 岐阜市内区間に地下路線を建設して本線と直通していたかもしれない

近鉄岐阜線

  • 大垣 - 小熊 - 岐阜羽島と小熊 - 岐阜間。なお戦前から計画が存在し、揖斐大橋は、鉄道が敷設できる構造になっていた。岐阜から高山線に乗り入れる計画だったらしい。戦前の計画では小熊 - 岐阜羽島がなくかわりに結 - 安八の支線を作る予定。
  1. かわりに名鉄羽島線は開業しなかった。
    • 竹鼻線全体が廃止されていたかも。
      • それはない。現在の竹鼻線自体、新幹線アクセスとしてよりも沿線の通勤通学路線としての色彩が濃い。
  2. たぶん現在は養老鉄道の一路線になっていた。
    • むしろ近鉄のままで岐阜~揖斐/養老は特急が走っていた。
    • その場合、1435mmへ改軌されていた。
  3. 高山線乗り入れは現在は廃止されていると思う。
  4. 1990年代あたりでJRに代わって名鉄名古屋本線との乗り入れ計画が浮上し、名鉄岐阜と近鉄岐阜の連絡線が建設されていた。
  5. 戦前の計画が実行された場合、戦後安八 - 岐阜羽島が建設されて岐阜・大垣両側から乗り入れていた。
  6. 岐阜県庁への足として重要視されていた。
  7. 聲の形にも登場していた。
  8. 桑名~岐阜間を結ぶ列車と揖斐~岐阜間を結ぶ列車が運行されていた。
  9. 揖斐大橋と長良大橋が鉄道道路併用橋になっていた。
    • 2000年代には分離されていた。

名鉄関線

新鵜沼~新関間
  1. 2000系電車も走っていた。
  2. ダイヤでは、名鉄広見線と同じレベルになっていた。
    • 名古屋への通勤者向けの沿線開発が進めば、朝と夕方~夜に準急・急行(・高速)・特急・快速特急が、河和・内海・豊橋方面から多く直通する。
  3. 関市に訪れる観光客が増えていた。
  4. 駅設置はどうなっていたのであろうか。
  5. 新関駅を関(国鉄時代美濃関)駅に統合(同時に美濃町線新関~美濃間廃止)する計画が1980年代に出た。
    • それと共に、長良川鉄道に、キハ8000・8500を使用した急行→特急を直通させる計画が出る。

美濃電気軌道芥見線

名鉄岐阜(新岐阜)~下芥見間
  1. 当然ながら、徹明町 - 北一色間が併用軌道になることはなかった。
  2. のちに美濃町線となり、廃止になることはなかった。
  3. ダイヤでは、名鉄各務原線と同じレベルになっていた。
  4. 併用軌道の時と比べて、駅の数が少なかった。
    • 駅設置はどうなっていたのであろうか。
  5. 新岐阜百貨店は閉店することはなく、名鉄百貨店岐阜店として、リニューアルされていたかもしれない。

三重

四日市あすなろう鉄道内部線(未成区間)

内部から先も延伸する予定でした。

  1. 内部駅は単なる途中駅になる。
  2. 鈴鹿ハンターや深伊沢地区は交通が不便にならなかった。
  3. 笹川経由で伊勢八王子駅につないで一周路線になっていた。
    • 従って1974年の災害時も廃止せず復旧した。
      • バスの循環路線のように「内部回り・伊勢八王子回り」と呼んでいた。

志摩スペイン村新交通システム

川島令三氏が本で言っていました。

  1. スペイン村はそこまで業績が悪いとは言われない。
    • スペイン村はもっとはやっていた。

三岐鉄道三岐線(未成区間)

西藤原から先も延伸を計画していました。

  1. 三岐線は行き止まりにならなかった。

名張-伊賀上野間を結ぶ路線

こちらも計画はされていました。

  1. 伊賀鉄道が名張市内に来ていた。