ページ「もしあの鉄道路線が開業していたら/東海」と「もしあの戦国大名が天下を取っていたら」の間の差分

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*モノレールは[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール]]へ記載するようお願いいたします。
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==静岡==
==明智光秀==
===小田急沼津~湯ヶ島間の新線===
#前提として[[もしあの戦国・安土桃山時代の戦いが○○だったら#もし山崎の戦いで明智光秀が勝っていたら|山崎の戦いで勝っていた。]]
*沼津を起点に長岡・修善寺を通り湯ヶ島へと至る路線計画。御殿場線直通列車を沼津まで延長したうえでこの路線に乗り入れさせる計画があったとか。
#*というより、羽柴秀吉が毛利の返り討ちに遭い、山崎まで大返しできなかったパターンの方がありそう。
#駿豆線の開業よりも後に計画されたため、当然伊豆箱根鉄道との競合は避けられなかった。
#**あっさり首を取られてしまうと毛利の勢力が大きくなるので、両者で膠着状態になって、どちらも消耗するのがベストな展開。
#*箱根山戦争に続いて伊豆戦争がさらに過激化し、伊豆箱根鉄道各駅から東海バスが締め出されていた。
#**そのうちに、どちらかが光秀に臣従して、力を借りて相手を倒そうと計る。
#*西伊豆・中伊豆フリーパスも駿豆線と伊豆箱根バスが対象から外されていた。
#明智光秀の評価は「正義のために暴君を討った英雄」となっていた。
#御殿場線直通列車は特別準急の時代から沼津乗り入れを果たしていた。
#*どうかな。足利尊氏とか天下取ったのに評判悪いし。
#*勿論現在も「ふじさん」の全列車が湯ヶ島まで運転されている。
#**尊氏の評判が悪いのは、後醍醐天皇を裏切るなど皇室をないがしろにしたから。このスタンスは、むしろ信長に通じるものがある。
#*国鉄末期には御殿場線の小田急への払い下げも検討されていたかもしれない。
#**光秀は勤皇家で、信長が皇室を利用してるのが許せなかったと思われているので、大丈夫。
#線内普通列車は本線系統の中古車両で補われている。
#信長・秀吉の評判は悪い。
#*2400形や2600形、5200形の最後の地は間違いなくここだった。
#*これもまた微妙。
#**現在は独自のカラーに塗られた1000形が往復運転をしている。
#三日天下という言葉はない。
#*大野工場に入場する際はJR線内を甲種輸送の形で回送されている。
#*同様の意味のことわざはナポレオンの百日天下か。
#西武グループとの関係次第にもよるが、東海バス共々「ラブライブ!サンシャイン!!」とコラボ出来ていたかどうかは不明。
#果たして光秀自身が将軍なりなんなりになれるのか。信長でも右大臣になるまでには相当時間かかったのに。ものすごい勢いでものすごい功績を重ねまくらないと無理そう。足利将軍あたりを呼び戻した方が現実的かも。
#*同路線が沼津駅に乗り入れていることを生かして小田急側になびいた場合、西武ドームでのライブが実現できなかった可能性がある。
#*鞆から呼び戻すことを条件に、足利義昭の猶子になることを承諾させればOK.
#*接近メロディの導入も駿豆線より早かった。
#娘の玉(ガラシャ)の影響が強くなるので、もっとキリスト教が普及する。
#**F-Trainの経験を生かして、派手なラッピング車両を走らせていたかもしれない。新宿には来ないから条例に引っかかることもないし。
#天下を取った光秀はすっかり変わってしまって晩年暴君になる。そして忠実では大河ドラマ等で悲劇の主人公として扱われることが多い光秀の人気が落ちる…なんてことになっていた可能性も。
#*もっとも年齢が年齢だし、暴君化することもなく、天下を取った後すぐ光秀は死んでいた可能性も。
#細川氏・筒井氏は譜代大名になっていた。


===静岡鉄道三保線===
==朝倉氏==
#急行電車が新静岡・新清水~三保間に運行されていた。
#金ヶ崎の戦いで信長死亡。
#旧型電車の巣窟となっていた。
#[[もし日本の首都が福井県の都市になっていたら#Case1.福井|日本の首都が福井に。]]
#国鉄清水港線は1970年代に東海道本線の支線に格下げされていた。
#太平洋側より日本海側のほうが栄えている。
#当路線が通る場所によっては、三保の松原が景観上の問題から富士山の世界文化遺産の構成遺産になれなかった可能性があった。
#朝倉宗滴在命の時に天下統一を果たすので、リアルより若干早めに戦国時代が終了した。
#清水が舞台のアニメ『ちびまる子ちゃん』に登場した可能性も…。
#*織田信長は、史実の伊達政宗ポジションに据えられて、「生まれる年があと少し早ければ、天下を取れただろうに…」と言われることになっていた。
#**時を経て現代、[[カプコン|某ゲームメーカー]]の[[戦国BASARAファン|アクションゲーム]]で、変な恰好をして「Let's Party!!」と連呼する役になっていた。


===伊豆急行線(未成区間)===
==尼子氏==
*鉄道敷設法第61号に記載されている区間のうち、修善寺-大仁-松崎-下田(伊豆急下田)間が未成区間。残りは伊東線・伊豆急行・伊豆箱根鉄道駿豆線として開業済。
#条件としては経久の子政久が戦死せず大内の大寧寺の変で一気に介入して勢力を拡大し新宮党とも敵対せずにできれば可能かと。
**なお、実際に伊豆急が建設に着手しようとした区間は伊豆急下田-石廊崎間だという。
#まず前提として有田中井手の戦いで勝ち、毛利氏を傘下にする。
#伊豆箱根線延長としての開通か。
#*この場合元就は何も活躍せず終わっていた。
#伊豆半島の鉄道空白が解消された。
#大寧寺の変で大内家・陶家を一気に滅ぼし中国地方を制圧。政久も父に劣らぬ武将だったので晴久のようなことにはならなかった。
#何処かに伊豆駅と名乗っていたかもしれない。
#*そして北九州に進出、諸侯を傘下におさめる。
#伊豆急と駿豆線が国鉄の路線になっていたらありえたかもしれない。
#いずれにせよ天下を取るのは晴久。
#*途中で国鉄再建法が施行され、未成線になった可能性もあるが。
#*しかし毛利家に苦しめられることもなかったので巷にいわれるほど暗愚にはいわれることはなかった。むしろ内政手腕は一流だったので名君扱い。
#「踊り子」が伊東経由と修善寺経由で下田まで運行。
#**「尼子ハルヒさの憂鬱」などとは言われなかった。
#*混乱防止の為、どちらかが別の名前になっていた可能性が高い。
#**石見銀山の開発が早まっていた。
#とりあえず、「尼子十勇士?誰それ?」なんて、言われてはいない。
#*山中幸盛は尼子の天下を支えた名臣として知られた。鴻池家は山中家の庶流として別の歴史を辿っていた。
#**となると大阪を代表する商人はどこになったのだろうか。


===遠三鉄道===
==今川氏==
愛知電気鉄道系列の浜松延伸構想で、気賀口から浜松鉄道(遠州鉄道に合併(奥山線)された後廃止)に乗り入れる予定だった。
#まずは[[もしあの戦国・安土桃山時代の戦いが○○だったら#桶狭間の戦いで今川義元が勝っていたら|義元が桶狭間で勝っていた。]]
#JRの浜松~豊橋間の新快速・特別快速は通過運転していた。
#その後は齋藤・六角を倒して上洛。
#*愛知の静岡免許線も開業していたら静岡まで競合線区になっていた。
#*六角は滅ぼさないと思う。将軍を保護するようなのを、滅ぼしていくとは思えない。そこまで今川は、強くないと思う。
#浜松鉄道は愛電に買収され、遠三鉄道も戦時統合で名古屋鉄道に組み込まれていた。
#*六角が上洛を邪魔しなければそうだろうが、邪魔した場合は戦わないとどうにもならない。
#*遠州鉄道も名鉄の子会社になっていた。
#足利家の親戚なので、養子だのなんだのこじつけて室町幕府の将軍になる。
#*どう考えても名鉄浜松線になることは避けられない
#*「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とも言われたので、仮に将軍家不在の場合は、義元が普通に将軍になれるかと。
#*義輝暗殺が史実通りに起きればそうなる。
#天下を取った後は公家化が進む。
#戦国時代の文化と言えば茶道や鷹狩りではなく蹴鞠だった。千利休なんて出番無し。
#今川氏真も名政治家として知られていたかも。
#家康は今川の重臣として紀州なり会津なりで200万石くらいの大大名になっている。
#*氏真の死後史実の様に暗躍して将軍家を立ち上げ最悪の場合、今川直房の代で今川氏を滅ぼした。
#秀吉は今川の元で出世していった。
#*史実ほどではないにしろ加賀100万石くらいには出世している。
#*桶狭間より後に信長に仕官するようになった明智光秀や松永久秀・荒木村重なども今川家に仕えていた。


==愛知==
==上杉氏==
===愛知中央鉄道===
;天下統一まで
[http://www.city.nagakute.lg.jp/jyouhou/kouhou/kouhoushi/documents/201310nagakute201310app.pdf 詳細 (PDF)]
#天正6年3月の遠征前に死亡せずに、関東侵略、信長を打倒し、京へ上洛した。
#後に瀬戸電気鉄道と合併し、名鉄の路線になり同社の南瀬戸線になっていた。
#*本笠寺あたりで名鉄名古屋本線と接続して大江まで至っていた。なので、名鉄瀬戸線が孤立路線にはならなかった。
#**ミュースカイに尾張瀬戸発着が設定される。
#国鉄に買収されていた場合、品野~瀬戸間を岡多線の一部にする計画が浮上していた。
#当初は瀬戸の陶磁器を名古屋港まで直接鉄道で運べるので重宝する。
#*いずれにしろ窯業の衰退で貨物輸送は取りやめている。
#長久手市は昭和のうちに市制施行していた。
#リニモは建設されていない。
#*愛知万博の際に万博会場への支線が出来ていたかもしれない。
#**そもそも万博会場が長久手で確保できなかった可能性もある。
#覚王山までの支線が出来ていれば、そのまま名古屋市電に乗り入れていた。
#高針ー覚王山支線が自然に地下鉄東山線のルートとなり、香具山車庫設置。星ヶ丘以東のルートは大幅変更となりおおむね名東本通(中馬街道岩崎ルート)に沿って星ヶ丘ー西山ー高針ー梅森坂ー岩崎(香具山車庫)となる。豊田新線が鶴舞線ではなく東山線の延長として建設された可能性も否定できない。
#*その一方で本線の利用が伸びないまま一部廃止された可能性を否定できない。
#*高針駅としては主要集落である古谷、北島が面する札木(現:西友高針店付近)が好ましいと考えられるが、その一方で、勢子坊〜極楽に最初の着工区間があること、その位置から札木までを直線で結ぼうとすると松井池、その沿岸の丘陵、新屋敷の集落等が障害となることから、本線は松井池の西岸を真っ直ぐ南下し、これが中馬街道岩崎ルートにぶつかる地点(現:梅森坂口付近)に分岐駅としての高針駅(東高針駅)を置き、本線は牧野池の東岸、南岸を沿って植田に向かい、札木には必要であれば分岐線最初の駅を置く方が実現可能性が高いと考える。


===桃花台新交通桃花台線(桃花台東-高蔵寺間)===
;天下統一後
*延伸計画はあったものの、着工されることなく全線が廃止されてしまった。
#幕府が越後春日山付近に開かれる。
#当時の名鉄小牧線と違い名古屋市中心部に直接アクセスできるルートが形成されるので、間違っても廃止になることはなかった。
#*下にも書かれているが、上杉謙信が足利氏存続中に上洛できていれば管領などの形で幕府を支えたのでは。
#桃花台東駅のループ構造が折り返し運用を除いて無駄になっていた。
#**足利氏は将軍として存続するが、上杉氏が管領あたりの役職で鎌倉時代の執権北条氏の様に実権掌握という感じか。
#*高蔵寺方面への利用客が中心になった場合はますます無用の長物化していた。
#*もしくは養子縁組などを駆使し、足利家に政権を返還する。
#名古屋ガイドウェイバスと直通させようとする無謀な構想を誰かが浮かべていた。
#*全国の大名家が新潟の積雪・寒さを経験することになる。
#道路の幅員からして春日井ネオポリスや藤山台の辺りを経由していた可能性大。
#直江津が港として栄える。
#桃花台新交通の一次開業が1980年代後半か,名鉄が桃花台新交通をグループ化できたら,十分考えられる。
#佐渡金山から金をたくさん産出する。
#足利義昭を奉じて管領就任→謙信の死後に養子の景勝と景虎で泥沼の争いという、細川政元亡き後の細川家と同じ末路を辿る。
#*戦国時代再来。
#*我の強い越後の国人衆が上杉氏の天下統一に伴い勢力拡大していれば面倒なことに。
#直江家が米沢藩主として存続する。
#*米沢は豊臣秀吉による上杉家会津移転によるものだからどうだろ。
#現在でも政教分離が進まなかった。
#*毘沙門天信仰が盛んに。
#大判・小判といえば牛舌形というイメージになっていた。
#*「小判形」といえば牛舌形を指していた。


===愛知電気鉄道市内乗入線===
===上杉管領家===
*名鉄名古屋本線の鳴海~神宮前間に別線を敷く[[wikipedia:ja:愛知電気鉄道#市内乗入線|市内乗入線]]計画が実現していたら?
#内輪もめがすぐにおさまるのが大前提。
#東海道本線に対する本線東部の競争力がより高まっていた。
#戦国時代に突入してすぐに関東を統一。
#両線とも存続していた場合、市内乗入線が急行線、旧線が緩行線になっていた。
#*後北条氏の出る幕はない。
#*特急は全て急行線、普通は全て緩行線を走行。堀田駅が旧線側にあるので急行は系統ごとに走る路線が異なっていた。
#上洛後、室町幕府の内乱に加わる。
#*完全な通過線とするなら途中駅は存在しない方が良いが、それだと地元の同意を得られそうにないので、結局数駅は設けていたかも(鳴海 - 笠寺 - 戸部下 - 新伝馬町 - 神宮前)。
#細川家に代わり実権を握る。
#**普通は全て緩行線を通るので急行線途中駅は急行を停めることになる。すると急行が急行線を走るとかえって遅くなる(緩行線の停車駅は1駅、急行線の停車駅は数駅)という逆転現象が起きる。
#結果として戦国時代は史実より短かった。


===豊川鉄道御油支線===
==黒田官兵衛==
*[[wikipedia:ja:豊川鉄道|豊川鉄道]]が、豊川〜御油(現・愛知御津)の支線を建設して、豊川と東海道本線駅を短絡する計画が実現していたら?
#関ヶ原の戦いが長引くことが前提。
#愛電線開業で苦境に陥るも、蒲郡方面からの短絡路線としてかろうじて残る。
#関ヶ原から'''慶長の大乱'''と呼ばれる状態にまず持ち込む。
#国有化は、財産区分けの関係や名古屋方面へ順行になるから、吉田(現・豊橋)への本線ではなく、支線の方が対象になり、飯田線の起点は東海道本線・御油駅になる。
#*官兵衛はその最中、鍋島直茂・加藤清正らと共に九州を制圧。
#*対象とならなかった豊橋―豊川間もどのみち名鉄線になっている。一方で豊川線が史実のような形で建設されたかどうか疑問。
#**島津がどこまで粘るか。関ヶ原にもそんなに出してないし。
#**軌道規格で新線作るより西豊川支線拡張の方が必要資材も少なく輸送量も多そうなので史実の豊川市内線は作られなかったかも。
#で、合戦が泥沼化し、徳川家康が戦死。黒田長政は命からがら生き残る。
#***そして名鉄線となった豊橋―豊川(―西豊川)間が「豊川線」になる。
#そして黒田長政が徳川の敗残兵とともに挙兵し東部を制圧。<!--結構無理やり-->
#***西豊川支線の行末は川鉄国有化時の判断次第。国有化されたなら史実通り、名鉄線のまま国鉄線から工員輸送列車を直通させたなら戦後も豊川線の一部として存続(ただし国鉄への貨物列車が残存)
#官兵衛の寿命の方が明らかに早いので、息子長政や一族の気力・器量によって変わるだろう。
#***ダイヤは名古屋本線が特急4本、急行数本、普通2本、小坂井支線経由で豊川に行く急行2本。豊川線は先述の急行と下地・船町だけ通過の急行あわせて計4本と普通2本くらいか。本数制限解除に合わせたダイヤ次第で名古屋―豊橋間は史実より便利になるかも。{{極小|しかし豊川―名古屋間利用者は史実より不便である。}}
#*ぶっちゃけ残った部下も優秀なので前項の状態となれば後は楽だろう。
#**豊川線が作られた場合は小坂井支線を廃止し、国府・豊川・豊橋で巨大なデルタ線を構成。
#*ただその息子の代ではお家騒動が起きる。
#***路線名に困る。国府―豊川間、豊橋―豊川間のどちらが「豊川線」になっても、どっちも目的地(終点)が豊川だからもう一方の名前が決めづらい。
#*貨物・旅客共に豊橋方面の需要があるので後になって豊橋方面の路線の買収を…しようとして名鉄に反発されたので、愛知御津付近に短絡線を設置。東三河にデルタ線が2つ出来ていた。
#**長距離ローカル列車などは史実通り豊橋発着で、御津―豊川を走る旅客列車は特急や朝夕時に豊川を発着する快速系。一部の列車は豊橋方面からの列車と蒲郡あたりで増解結。


===名鉄大曽根線===
==斎藤氏==
{{駅名標/名鉄|name=上飯田|ruby=かみいいだ|roma=Kami iida|back=大曽根|back2=Ōzone|next=味鋺|next2=Ajima}}
#史実とは逆に、斎藤氏が織田領へ侵攻。織田を滅ぼす。
*現在の小牧線の未成区間であり、上飯田-大曽根間に軌道を敷設する計画だった。
#その後は近江を攻め、上洛し、朝倉や武田を滅ぼし‥と史実の信長と同じく領土を拡大。
#瀬戸線の大曽根駅と駅舎が統合され、全列車が栄町まで乗り入れるようになっていた。
#道三の時代で上洛→天下統一までのタスクがある程度まで完了していることがポイント。
#*車両に関しても瀬戸線と共通運用が組まれるので、6750系が犬山まで行く事があったかもしれない。
#*義龍とのいざこざは起こると思われるので、後継者選定に苦労しそう。
#*それでも名古屋本線とは直接接続しない為、線路こそ繋がっているものの史実同様実質独立した線区扱いとなる。
#**龍興の覚醒イベントが起こるかどうかは微妙。
#*もしくは、味鋺~大曽根間が地下化されて、名古屋市営地下鉄名城線と相互直通運転を行っていた可能性もあった。
#**その場合、名古屋港~大曽根~犬山・小牧間として運行されていた。
#**京阪京津線と同様に名鉄電車が乗り入れるという片乗り入れという形になっていた。
#地下鉄上飯田線は計画自体は存在するものの建設されずに終わっていた。
#間内駅付近に車庫ができていた。
#栄町駅のホームが2面4線の頭端式ホームになっていた。
#桃花台新交通が廃止されることはなかった。
#名鉄300系電車の登場は史実通り。
#*しかし、史実よりも遅れて登場していたかもしれない。
#名古屋市電御成通線は開業しなかったかもしれない。


===名鉄名古屋空港線===
==真田氏==
*味美~名古屋空港
#大阪の陣で豊臣方が勝ち、徳川が敗走。
#中部国際空港の建設が史実より遅れていれば具体化していたかもしれない。
#一旦は豊臣が天下を取り戻し、真田幸村は五大老クラスの大大名に。甲斐、信濃、上州、飛騨を治める。
#中部国際空港開港以前は全列車が平安通始発となっていた。
#秀頼死後の跡目争いで真田が勝って天下を取る。
#*開港以降はほぼ全ての列車が線内折り返し運転を行っている。運行間隔も30分に一本ぐらいまで減少。
#それより関ヶ原の戦いで家康討ち死に→数十万石の大名→そのあと再び天下が乱れてかつての武田や毛利のような形で領土拡大。の方が可能性がまだ高いかと
#*三菱の工場への通勤需要がメインになっていれば朝夕に限ってはそこまで衰退していない。
#**休日も空港見学やエアポートウォークの客で少しはにぎわっていた。
#豊山町唯一の鉄道路線となっていた。


===名鉄三河線===
#*幸村は悲劇の戦国武将として人気が高いわけであり、忠実みたいにあんなに人気になれなかった。
*西中金~足助
#**お兄ちゃんの信之の方が人気が出るようになるかもしれない。
#三河線(猿投~西中金間、碧南~吉良吉田間)の廃止はなかった。
#*下手したら天下を取った後の晩年暴君になってしまい評判を落としてしまったりして…。
#*廃線になるとしても、碧南~吉良吉田間の廃止に留まっていた。
#ペリー来航後は佐久間象山の構想通りに公武合体を行い、史実より早く文明開化した。
#新鵜沼~知立~足助間の臨時特急が運行されていた。
#*それどころか一度も三河山線の定期特急は廃止されない。知立-梅坪間は高速化される。
#香嵐渓に訪れる観光客が増えていた。
#*名鉄グループが熱心にそこを開発したかも。
#足助町の人口が史実よりも多くなっていたかもしれない。
#*それでも豊田市に合併される運命は変わらなかった。
#ディーゼルカーでの運行はなかったかもしれない。
#6000系電車が史実よりも多く製造されていた。
#近鉄の「青の交響曲」のような観光列車が運行されていた可能性が高い。
#名鉄三河線において、知立~豊田市間が複線化されていた可能性が高い。
#*遅くとも豊田市-梅坪間の複線化までにそうなる。


===名鉄小牧線===
==柴田氏==
*上飯田~押切町
#本能寺の変後、明智光秀を討てば可能。
#一宮線に乗り入れて、柳橋まで乗り入れていた可能性が高い。
#*でも、それを保てるほどの器量があるかは、疑問。
#*戦後、名鉄名古屋まで乗り入れていた。
#織田一族は信孝の系統が生き残る。
#**駅のキャパシティがさらに逼迫していた可能性大。
#柴田勝家の死後は、勝政派と勝豊派で争う。
#無論、名古屋市営地下鉄上飯田線の計画はなかった。


===名鉄瀬戸線関連===
==島津氏==
====品野延伸====
#[[もし日本の首都が鹿児島県の都市になっていたら|鹿児島が首都になっていた。]]
#JR東海バスの一般路線撤退がもっと早まっていた。
#*東北まで目が届かないので、南部氏か伊達氏辺りが乱を起こしていた。
#東濃鉄道の名鉄グループ入りに前後して笠原への延伸を求める声があった。
#**目が届かないことをいいことに、仙台藩(伊達氏)が密貿易に精を出す(実際の薩摩藩のように)
#*愛環の多治見延伸計画の廃止の代替としてその声が高まっていた。
#***北米に進出して西海岸一帯を開拓していたかもしれない。
#品野~多治見のバスは現在でも運行されていた。
#天下を取った後は奄美・琉球のみならず台湾や比島にまで侵攻。
#*瀬戸電時代に笠原鉄道を併合して、笠原まで延伸(笠原-新多治見間電化)できたらそれと同時に廃止。
#捨て奸が日本国内で広まり、時代が変わって銃火器による近代戦争に変わってもそのまま戦術として用いられ続けた。
#*それが実現できた場合昭和50年代までは名古屋-多治見間の鉄道利用者は瀬戸電(名鉄)の方が多かった。上手くいけば、[[もし名古屋鉄道の誕生に至る合併がなかったら|瀬戸電は名岐鉄道と合併しなかった]]。
#*時が過ぎ、太平洋戦争では米兵からは「Oh! crazy jap!!」と言われるようになる。
#*また、釣り野伏も近代戦争で技術や兵器を変えて用いられている。
#島津氏が史実の徳川幕府の扱いになるとした場合、長宗我部氏辺りが薩長の側にあたると思われる。
#*戸次川の戦いで長宗我部信親が討たれたことを、いわゆる幕末まで怨みとして残していた。
#*琉球の尚氏もこれに呼応して島津幕府の討幕し、明治維新を迎えて晴れて琉球王国の復活を果たすことになる。
#**旧幕臣は、北海道函館まで逃げるのは大変なので、台湾に逃げ込んで「小琉球共和国」を樹立。
#関ケ原の合戦を挟むのであれば、島津豊久を失った怨みから井伊家は断絶。
#*そのため「ひこにゃん」は誕生しなかった。
#幕末、西郷隆盛と勝海舟の立ち位置が逆転していた。西郷隆盛の方が、無血開城の交渉にあたった。


====藤岡延伸====
==武田氏==
#藤岡町と瀬戸との結びつきが強まっていた。
;天下統一への道
#*平成の大合併では史実の豊田市ではなく瀬戸市と合併していた。
#たぶん、武田勝頼が天下を取る。
#藤岡に名古屋へ通勤する人向けの大規模なニュータウンが出来ていた。
#*そのため勝頼の方が信玄よりも有名。武田信玄はちょっぴり通好みの武将。
#**正確には、武田信玄→京まで上る、武田勝頼→全国統一。
#**いや、信玄が上洛、勝頼がほぼ統一、仕上げるのは勝頼の子の信勝あたりになるだろう。
#**通好みはむしろ信虎な気が・・・
#**勝頼を冷遇した父親像が先行して、現実ほど信玄人気は無かったりする。
#**この場合どちらにせよ徳川を滅亡させるか従属させるかが第一条件。


====守山~志段味支線====
#*「桔梗信玄餅」が「桔梗勝頼餅」のネーミングになる。
#志段味地区の開発はもっと早く進んでいた。
#織田氏と徳川(松平)氏は、現実の織田信長に対抗した浅井・朝倉氏的なポジションになる。要するに天下統一を邪魔するだけの存在。
#*早い段階で名古屋への通勤圏となり大規模な開発が行われていた。
#*織田信長が時代を先取りした先進的なリーダーとしてのイメージ像ではなく、大うつけのバカ殿として現在に伝わる。
#高蔵寺までの路線延伸が取りざたされている。
#*徳川は武田に寝返ってたのでは?というよりそれが第一条件かと。
#ゆとりーとラインは存在しなかった。
#*存在したとしても現状よりさらに経営状態は悪かった。
#瀬戸西線は民営化直後に廃止されていた。
#*瀬戸地区は経営が支えられず史実よりも早く撤退している。


===新三河鉄道===
;武田政権時代
*八事 - 挙母
#武田幕府が開かれる。
#八事が地下鉄と名鉄の境界になっていた。
#*信長のように足利将軍を放逐するとは考えにくい。養子に入るか執権に収まるか。
#不便なので、拠点を[[山梨|甲斐]]からどこか開けた場所に移す。
#*甲斐は副都としてそれなりに繁栄。
#**[[富士市]]辺りが甲斐の外港として駿河の中心地となる。
#*新本拠地で一番有力なのは駿府かな。
#「人は石垣、人は城」が国是になっていた。
#*「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」
#仏教の扱いに苦慮する。
#安芸・若狭・下総などの武田家や、蠣崎などの分流も厚遇される。
#甲州金が全国的に流通。
#*大判・小判といえば円形というイメージになり、「小判形」といえば円形を指していた。
#真田氏は武田家の天下統一を支えた家柄として史実の井伊や堀田のポジションになる。


==岐阜==
;その他
===木曽御嶽鉄道===
#史料が多く残るので、山本勘助の実体がよりはっきりする。
木曽福島~三岳村を結ぶ計画だった。
#[[富士山]]は、当然[[山梨|山梨県]]に含まれる。
#木材輸送と木曽御嶽登山で賑わっていた。
#ほうとうがメジャーな食べ物となる。
#田口線や北恵那鉄道と同じく1076mmの森林鉄道と言われていた。
#由緒ある家紋であるため,[[山口組|某ヤクザ]]の家紋も別の形になっていた。
#森林鉄道全廃のときに貨物営業が廃止され史実よりもファンが押し寄せる。
#赤備はもともと武田氏家臣のものなので、井伊家が赤備を軍装とすることはない。
#森林鉄道廃止後しばらくしてマスコミが井川線のように当路線をもてはやす。
#*よって、[[彦根市|ひこにゃん]]の誕生は絶望的。
#当然信長の野望は無い。
#*変わりに信玄の野望がある。
#**・・・と思ったら信玄の野望は'''本当にあるらしい'''。
#***[http://www.geocities.co.jp/Playtown-Yoyo/9179/ これ]かな?
#**誰かが'''信虎の野望'''とか言い出す。
#勝頼は名君として知られていた。
#信虎は少なくとも武田治世の時代は悪役として扱われるが、終了後は再評価される。


===御嶽開発水無線===
==伊達政宗==  
かつて名鉄は子会社の御岳開発に王滝森林鉄道水無線を買収させており、観光列車を運転させる計画だったが水無キャンプ場の破綻で計画が立ち消えとなった。
;統一まで
#ベールに包まれた林鉄に乗れると多くの観光客が詰め寄せていた。
#単独で秀吉に対抗できたとは考えづらいので、たぶん秀吉に叛旗を翻した家康、および小田原で抗戦中だった北条家と連携して秀吉軍を撃破、その後徳川・北条と三つ巴の権力闘争がおこなわれて勝ち残るというシナリオか。
#*史実の小川森林鉄道赤沢線みたいなポジション。もちろん森林浴発祥の地となっていた。
#*だいぶ時間がかかりそうだけど、政宗がダントツに若いのがポイントかな。にらみ合っているうちに家康と氏政が死ねば、次の代の秀忠や氏直相手なら政宗に分がありそう。
#林鉄廃止後、車両の保存も行うようになる。
#関が原の戦いは東の伊達勢力と西の毛利勢力との戦いになる。
#もし木曽御嶽鉄道が存在した場合、三岳村までの路線を引き取っていた。
#*秀吉が亡びた後、政宗が徳川・北条とにらみ合っているうちに、毛利は島津・長曽我部あたりと競り合ってそう。結局、日本の中央部を誰が押さえるかで勝負が決まるような。
#*この場合は大井川鐵道井川線みたいなポジションとなる。
#おそらく一番現実性が高そうなのが上杉定実に伊達実元の養子入りが成功して、天文の乱が起こらなかったケース。南東北+越後の大勢力に果たして北条・武田は対抗できるはずもない。(つまり晴宗か輝宗の時代にすでに天下取りの基礎部分は整っていた。)
#*伊達家が天下統一できなかったのは地理的要因に加えて、天文の乱で芦名や最上などの傘下勢力の独立や家臣団との関係の変化で伊達家が衰退したため。
;統一後
#[[もし日本の首都が仙台になっていたら|仙台が日本の中心地に。]]
#*この場合政宗自身が仙台に本拠を置いていないので、それはない。会津若松かな。
#*政宗の性格からすると、信長同様、本拠地を移すことにあまりためらいがないように思われる。京都までは行かなくとも、関東地方か東海地方あたりまで進出し、そちらに中心を置いたのでは。
#**確か史実だと関東進出を目指していたはず
#*一族の誰かが(もしかしたら最上が転封されて)陸前一帯に移されたら可能性がある。
#鎖国しなかった。
#*日本でキリスト教が完全に根付く。
#*もしかしたら江戸に本拠地を置いてたかも?
#日本史での東北地方のウェイトが大きくなる。
#*東北地方が[[清]]王朝における満洲みたいな扱いになって、かえって閑散としてしまったりして。
#徳川家は忠輝(家康の六男、政宗の娘婿)の家系が嫡流として続く。
#*えーと、この状態でも忠輝と五郎八姫との結婚はあったんだろうか? 秀吉の死後、家康が伊達を味方につけるために画策した縁談だったと思うが。
#*歴史によっては家康没後、取り込むために画策した可能性も。
#陸奥宗光の実家は親藩大名。


===北濃鉄道===
;そして現在
*高富町-北武芸村間の計画が存在していたそうである。
#東北地方の高校が既に甲子園で優勝している。
#史実の名鉄高富線の延伸区間として開業。
#*「関門海峡越え」という言葉が存在する。
#*おそらく山県市経由だった。
#仙台の政令指定都市移行が史実より早まっている。
#戦後に高富線が「輸送力不足でバス転換」などということにはならなかった。
#青函トンネルの開業が早まった可能性も。
#長良北町以南を専用軌道化できない限り2005年には廃止されていた。
#東北新幹線は1982年の時点で青森まで開通。
もしくは88年に市内線の徹明町以北と運命を共にしていた。
#*北海道新幹線も同時に開業している。
#岐阜市内区間に地下路線を建設して本線と直通していたかもしれない
#ロッテオリオンズが現在も仙台を本拠地にしている。
#ジェフの本拠地も仙台だっただろう。
#仙台平野は広いので、500万人くらいの都市にはなっていたかもしれない。
#「城=天守閣」という誤解が生まれなかった。


===近鉄岐阜線===
==長宗我部氏==
*大垣 - 小熊 - 岐阜羽島と小熊 - 岐阜間。なお戦前から計画が存在し、揖斐大橋は、鉄道が敷設できる構造になっていた。岐阜から高山線に乗り入れる計画だったらしい。戦前の計画では小熊 - 岐阜羽島がなくかわりに結 - 安八の支線を作る予定。
#古来からの「流刑地」土佐が日本の中心に!・・・無理かな?
#かわりに名鉄羽島線は開業しなかった。
#*四国統一の時はすでに白地(阿波池田)に本拠を移していたからねえ。
#*竹鼻線全体が廃止されていたかも。
#**どちみち白地は四国の要衝になっていた。ここが後に[[四国中央市]]を名乗っていたかも?
#**それはない。現在の竹鼻線自体、新幹線アクセスとしてよりも沿線の通勤通学路線としての色彩が濃い。
#*四国にこだわるとすれば、鳴門や高松、徳島あたりになるのかな?
#たぶん現在は養老鉄道の一路線になっていた。
#海運がめちゃくちゃ発展する。
#*むしろ近鉄のままで岐阜~揖斐/養老は特急が走っていた。
#紀貫之と言えば古今和歌集よりも土佐日記。
#*その場合、1435mmへ改軌されていた。
#早めに四国統一。
#高山線乗り入れは現在は廃止されていると思う。
#瀬戸内、熊野の水軍を配下に治め、日本最強の海上勢力となる。
#1990年代あたりでJRに代わって名鉄名古屋本線との乗り入れ計画が浮上し、名鉄岐阜と近鉄岐阜の連絡線が建設されていた。
#安芸氏や本山氏が全国レベルの知名度になる一方、今川氏はマイナーな存在で終わる。
#戦前の計画が実行された場合、戦後安八 - 岐阜羽島が建設されて岐阜・大垣両側から乗り入れていた。
#JR四国全線が電化されている。
#岐阜県庁への足として重要視されていた。
#*最低でも複線化されているだろう。
#聲の形にも登場していた。
#長宗我部版本能寺の変後、河野水軍が仇を打つ形になり、河野通有に接ぐ偉い武将が天下を治める。
#桑名~岐阜間を結ぶ列車と揖斐~岐阜間を結ぶ列車が運行されていた。
#*が、実史では金子のほうが伊予では勇猛っぽいから、いつのまにか金子幕府...で朝鮮がやたら金子氏の出自は朝鮮だと言い張る。
#揖斐大橋と長良大橋が鉄道道路併用橋になっていた。
#*河野氏がそんなに迅速に動けるとは思えない、明智ポジションは無く、単に金子が仇をとって天下を取ると思う。
#*2000年代には分離されていた。
#しかし関が原の戦いで長宗我部氏の天下は終わる。
#一領具足制度を全国的に施行、日本は国民皆兵国家として全世界から恐怖される。
#四国がもっと発展……するかな?
#大阪と広島が今ほど発展していない。
#坂本竜馬は上士の家に生まれたことになっていた。
#*そもそも坂本竜馬が倒幕に画することもなく、普通に過ごしていけたかと。
#長宗我部氏は秦の始皇帝の一族(だと当人たちは信じている)なので、秀吉と同じく明に出兵し、祖先の土地を取り戻そうとする。
#法華津氏の知名度は史実より高かった。
#本能寺の変後に淡路島を経て播磨に進出。
#*毛利氏との戦を終わらせることができなかった秀吉を背後から攻めて滅ぼし、秀吉の勢力下だった備前因幡但馬を得る。
#さすがに本拠地を本州(差し当たり京か堺あたり)に移動させているだろう。
#*四国全土を合わせても100万石無いわけだし。


===名鉄関線===
==北条氏==
;新鵜沼~新関間
;天下統一への道
#2000系電車も走っていた。
#さあ難しいぞ。取る気もない天下をどうやって取ろう?
#ダイヤでは、名鉄広見線と同じレベルになっていた。
#*今川存続が条件。義元が実力どおり織田を倒し、東海を制する。
#*名古屋への通勤者向けの沿線開発が進めば、朝と夕方~夜に準急・急行(・高速)・特急・快速特急が、河和・内海・豊橋方面から多く直通する。
#*大勢力になった今川の力を借りて上杉・武田を抑える。その間に東北をなんとかする。
#関市に訪れる観光客が増えていた。
#*義元の死後二代目があの通りなのでうまいこと崩して吸収。上杉・武田も次世代なのでなんとかなる。かも。
#駅設置はどうなっていたのであろうか。
#**史実に近いシナリオなら盟約を裏切って駿河に侵攻した武田家を今川との同盟を存続した北条が攻め入り、そのまま武田を殲滅&今川救援のため徳川も攻めて併呑、東海→畿内方面への勢力拡大。
#新関駅を関(国鉄時代美濃関)駅に統合(同時に美濃町線新関~美濃間廃止)する計画が1980年代に出た。
#*それと共に、長良川鉄道に、キハ8000・8500を使用した急行→特急を直通させる計画が出る。


===美濃電気軌道芥見線===
;北条幕府
;名鉄岐阜(新岐阜)~下芥見間
#この頃には足利将軍の種は尽きているか尽かしているので遠慮なく征夷大将軍任官。
#当然ながら、徹明町 - 北一色間が併用軌道になることはなかった。
#やっぱり小田原に幕府を開く。
#のちに美濃町線となり、廃止になることはなかった。
#京から西には興味はないので投げっぱなし。鎌倉幕府と同じ調子でいこうとする。
#ダイヤでは、名鉄各務原線と同じレベルになっていた。
#*そして平島公方が西側の大名を糾合し、天下分け目の戦いへ。
#併用軌道の時と比べて、駅の数が少なかった。
#*駅設置はどうなっていたのであろうか。
#新岐阜百貨店は閉店することはなく、名鉄百貨店岐阜店として、リニューアルされていたかもしれない。


==三重==
;執権北条氏
===四日市あすなろう鉄道内部線(未成区間)===
#足利幕府はそのまま傀儡として残して、鎌倉幕府の北条氏の名跡を復活させて執権を名乗るようになる。
内部から先も延伸する予定でした。
#*征夷大将軍は世襲にならないよう、都度、源氏姓の武田とか佐竹あたりから適当な人材を迎え入れるようにして、権力だけは握った。
#内部駅は単なる途中駅になる。
#幕府を京に置いておくと何をしでかすかわからないので、元の鞘に戻すかのごとく、室町から足利荘に移動。
#鈴鹿ハンターや深伊沢地区は交通が不便にならなかった。
#笹川経由で伊勢八王子駅につないで一周路線になっていた。
#*従って1974年の災害時も廃止せず復旧した。
#**バスの循環路線のように「内部回り・伊勢八王子回り」と呼んでいた。


===志摩スペイン村新交通システム===
;その後
川島令三氏が本で言っていました。
#海外交易と殖産で力を付けた西国大名に倒される。維新は100~200年は早かった。
#スペイン村はそこまで業績が悪いとは言われない。
#*この場合とっくに自ら開国してる国家が西洋列強を待ち受ける。封建制を色濃く残した独特の近代国家が出来上がった。
#*スペイン村はもっとはやっていた。
#領国はしっかり経営するので容易に崩れず東西別国になっていたかも。
#小田原評定がいい意味で使われる。
#北条氏を名乗る意味がなくなってくるので、元の伊勢氏に姓を戻すことになる。


===三岐鉄道三岐線(未成区間)===
==細川氏==
西藤原から先も延伸を計画していました。
#[[wikipedia:ja:細川政権_(戦国時代)|細川政権]]が恒久的なものになっていた。
#三岐線は行き止まりにならなかった。
#*細川内閣も3年くらい続いてたかもしれない。
#応仁の乱が、東軍勝利で早期に決着していた。
#細川氏以外の守護大名が西軍にも分かれたため没落。ほとんどの国の守護を細川氏で占めるように。
#足利家はただのお飾りで、そのうち皇族から将軍を選ぶように。


===名張-伊賀上野間を結ぶ路線===
==松永久秀==
こちらも計画はされていました。
#三好三人衆に勝利し、三好義継を傀儡にして実権を握る。
#伊賀鉄道が名張市内に来ていた。


[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|とうかい]]
==毛利氏==
;天下統一への道
#[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]で少数の兵による大勝利といえば、有田中井手の戦いもしくは厳島の戦い。
#*決して桶狭間の戦いではない。
#**厳島の戦いは後世の捏造が激しいからなぁ・・・勝てた理由の大半が運だったっぽいのは桶狭間と同様のようだが。
#[[室町時代|室町幕府]]の扱いに苦慮する。
#*室町時代の後に短く鞆時代がある。
#毛利元就の死後に天下をとっていた場合、毛利家で一番有名なのは輝元。
#*と言う事で元就は三国志の曹操のようなポジションになる。
#*長男・隆元は死なずに済んだかもしれない。
 
;毛利政権時代
#家系ゆえに幕府は開かない。
#*毛利氏は土師氏の流れを汲んでいる。かなり大雑把に言えば菅原道真と同系。
#*「源氏でなきゃ征夷大将軍になれない」というのは俗説に過ぎんけどな。
#*名目上足利家の者を将軍とし、実権は毛利家の当主が握るというスタイルになっていた。
#**鎌倉時代の執権政治に近い形。
#小早川氏と吉川氏は100万石を越える大大名となる。
#*輝元がそのあとの当主が「毛利御三家」を作ったため、吉川・小早川の立場は低下し、史実の松平家程度になる。
#**毛利御三家とは、吉川・小早川・穂井田のことである。
#**ラストエンペラーを(毛利元就の庶子である)穂井田家から輩出したことが滅亡の一因と言われるようになる。
#***全員毛利に名字を戻しているかも。
#***椙杜・出羽・天野・末次も一門としてそれなりの地位となった。
#****{{極小|小早川秀包「俺は・・・?」}}
#本拠地を安芸(広島)にした。
#*そして現在、日本国の首都は広島になっていた。
 
;その他
#[[山口|山口県]]からあれほど多数の首相が輩出されることはなかった。
#*下手をすると山口県自体存在しなかった。
#*名前はともかく国の主要な貿易港として栄えることは間違いない。
#弓が武士の主流に扱われ、鉄砲がそんなに重要視されなかっただろう。
#郡山城が修学旅行のコースに組み込まれる。
#原爆は広島に落とされていない。
#*その前に第二次大戦で枢軸国側だったかどうかも…
#*さらに皇居が東京にあるのか?
#*広島大空襲で徹底的にやられるため。代わりに小倉か京都に落とされる。
#和三盆が矢三本に。
#*和三盆の名前は盆の上で三度研ぐことに由来しているのでそれはない。
#厳島神社の世界遺産登録が現実より早くなっていた。
 
==本願寺を中心とする一向宗==
<!--この節は一番下でお願いします。-->
厳密には戦国大名ではありませんが、当時戦国大名同様に活動していた、戦国大名に準ずる存在として取り上げてみました。
#この場合、大阪の石山本願寺が史実における江戸城に相当する存在となる。
#*山科にあった本願寺の跡が聖地化される。
#**山科本願寺を法華一揆で潰された恨みとばかり、法華宗を弾圧するかもしれない。
#本願寺による天下統一が実現するとしたら、それを実現していたのは顕如か次世代の教如もしくは准如。
#天下の主としての肩書きは道鏡以来の”太政大臣禅師”もしくは”法王(法皇ではない)”。
#当然発足当時は祭政一致のガチガチの一向宗専制国家となっている。
#*黒船来航までこの体制が維持されていた場合、確実に攘夷を実行し、諸外国と戦争になる。
#**その結果、日本の近代化がありえたかどうかは疑問。
#身分制度は士農工商の上に僧侶が立つ”僧士農工商”の5身分制。
#当然キリシタンは禁教。
#とりあえず、貝塚?鷺森?なにそれ?
#東西分立は当然なし。本願寺系以外の真宗諸派はもちろん浄土宗も本願寺傘下に。
 
[[category:歴史のif検討委員会 天下統一史|せんこくたいみようてんか]]

2021年4月29日 (木) 16:15時点における版

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明智光秀

  1. 前提として山崎の戦いで勝っていた。
    • というより、羽柴秀吉が毛利の返り討ちに遭い、山崎まで大返しできなかったパターンの方がありそう。
      • あっさり首を取られてしまうと毛利の勢力が大きくなるので、両者で膠着状態になって、どちらも消耗するのがベストな展開。
      • そのうちに、どちらかが光秀に臣従して、力を借りて相手を倒そうと計る。
  2. 明智光秀の評価は「正義のために暴君を討った英雄」となっていた。
    • どうかな。足利尊氏とか天下取ったのに評判悪いし。
      • 尊氏の評判が悪いのは、後醍醐天皇を裏切るなど皇室をないがしろにしたから。このスタンスは、むしろ信長に通じるものがある。
      • 光秀は勤皇家で、信長が皇室を利用してるのが許せなかったと思われているので、大丈夫。
  3. 信長・秀吉の評判は悪い。
    • これもまた微妙。
  4. 三日天下という言葉はない。
    • 同様の意味のことわざはナポレオンの百日天下か。
  5. 果たして光秀自身が将軍なりなんなりになれるのか。信長でも右大臣になるまでには相当時間かかったのに。ものすごい勢いでものすごい功績を重ねまくらないと無理そう。足利将軍あたりを呼び戻した方が現実的かも。
    • 鞆から呼び戻すことを条件に、足利義昭の猶子になることを承諾させればOK.
  6. 娘の玉(ガラシャ)の影響が強くなるので、もっとキリスト教が普及する。
  7. 天下を取った光秀はすっかり変わってしまって晩年暴君になる。そして忠実では大河ドラマ等で悲劇の主人公として扱われることが多い光秀の人気が落ちる…なんてことになっていた可能性も。
    • もっとも年齢が年齢だし、暴君化することもなく、天下を取った後すぐ光秀は死んでいた可能性も。
  8. 細川氏・筒井氏は譜代大名になっていた。

朝倉氏

  1. 金ヶ崎の戦いで信長死亡。
  2. 日本の首都が福井に。
  3. 太平洋側より日本海側のほうが栄えている。
  4. 朝倉宗滴在命の時に天下統一を果たすので、リアルより若干早めに戦国時代が終了した。
    • 織田信長は、史実の伊達政宗ポジションに据えられて、「生まれる年があと少し早ければ、天下を取れただろうに…」と言われることになっていた。

尼子氏

  1. 条件としては経久の子政久が戦死せず大内の大寧寺の変で一気に介入して勢力を拡大し新宮党とも敵対せずにできれば可能かと。
  2. まず前提として有田中井手の戦いで勝ち、毛利氏を傘下にする。
    • この場合元就は何も活躍せず終わっていた。
  3. 大寧寺の変で大内家・陶家を一気に滅ぼし中国地方を制圧。政久も父に劣らぬ武将だったので晴久のようなことにはならなかった。
    • そして北九州に進出、諸侯を傘下におさめる。
  4. いずれにせよ天下を取るのは晴久。
    • しかし毛利家に苦しめられることもなかったので巷にいわれるほど暗愚にはいわれることはなかった。むしろ内政手腕は一流だったので名君扱い。
      • 「尼子ハルヒさの憂鬱」などとは言われなかった。
      • 石見銀山の開発が早まっていた。
  5. とりあえず、「尼子十勇士?誰それ?」なんて、言われてはいない。
    • 山中幸盛は尼子の天下を支えた名臣として知られた。鴻池家は山中家の庶流として別の歴史を辿っていた。
      • となると大阪を代表する商人はどこになったのだろうか。

今川氏

  1. まずは義元が桶狭間で勝っていた。
  2. その後は齋藤・六角を倒して上洛。
    • 六角は滅ぼさないと思う。将軍を保護するようなのを、滅ぼしていくとは思えない。そこまで今川は、強くないと思う。
    • 六角が上洛を邪魔しなければそうだろうが、邪魔した場合は戦わないとどうにもならない。
  3. 足利家の親戚なので、養子だのなんだのこじつけて室町幕府の将軍になる。
    • 「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とも言われたので、仮に将軍家不在の場合は、義元が普通に将軍になれるかと。
    • 義輝暗殺が史実通りに起きればそうなる。
  4. 天下を取った後は公家化が進む。
  5. 戦国時代の文化と言えば茶道や鷹狩りではなく蹴鞠だった。千利休なんて出番無し。
  6. 今川氏真も名政治家として知られていたかも。
  7. 家康は今川の重臣として紀州なり会津なりで200万石くらいの大大名になっている。
    • 氏真の死後史実の様に暗躍して将軍家を立ち上げ最悪の場合、今川直房の代で今川氏を滅ぼした。
  8. 秀吉は今川の元で出世していった。
    • 史実ほどではないにしろ加賀100万石くらいには出世している。
    • 桶狭間より後に信長に仕官するようになった明智光秀や松永久秀・荒木村重なども今川家に仕えていた。

上杉氏

天下統一まで
  1. 天正6年3月の遠征前に死亡せずに、関東侵略、信長を打倒し、京へ上洛した。
天下統一後
  1. 幕府が越後春日山付近に開かれる。
    • 下にも書かれているが、上杉謙信が足利氏存続中に上洛できていれば管領などの形で幕府を支えたのでは。
      • 足利氏は将軍として存続するが、上杉氏が管領あたりの役職で鎌倉時代の執権北条氏の様に実権掌握という感じか。
    • もしくは養子縁組などを駆使し、足利家に政権を返還する。
    • 全国の大名家が新潟の積雪・寒さを経験することになる。
  2. 直江津が港として栄える。
  3. 佐渡金山から金をたくさん産出する。
  4. 足利義昭を奉じて管領就任→謙信の死後に養子の景勝と景虎で泥沼の争いという、細川政元亡き後の細川家と同じ末路を辿る。
    • 戦国時代再来。
    • 我の強い越後の国人衆が上杉氏の天下統一に伴い勢力拡大していれば面倒なことに。
  5. 直江家が米沢藩主として存続する。
    • 米沢は豊臣秀吉による上杉家会津移転によるものだからどうだろ。
  6. 現在でも政教分離が進まなかった。
    • 毘沙門天信仰が盛んに。
  7. 大判・小判といえば牛舌形というイメージになっていた。
    • 「小判形」といえば牛舌形を指していた。

上杉管領家

  1. 内輪もめがすぐにおさまるのが大前提。
  2. 戦国時代に突入してすぐに関東を統一。
    • 後北条氏の出る幕はない。
  3. 上洛後、室町幕府の内乱に加わる。
  4. 細川家に代わり実権を握る。
  5. 結果として戦国時代は史実より短かった。

黒田官兵衛

  1. 関ヶ原の戦いが長引くことが前提。
  2. 関ヶ原から慶長の大乱と呼ばれる状態にまず持ち込む。
    • 官兵衛はその最中、鍋島直茂・加藤清正らと共に九州を制圧。
      • 島津がどこまで粘るか。関ヶ原にもそんなに出してないし。
  3. で、合戦が泥沼化し、徳川家康が戦死。黒田長政は命からがら生き残る。
  4. そして黒田長政が徳川の敗残兵とともに挙兵し東部を制圧。
  5. 官兵衛の寿命の方が明らかに早いので、息子長政や一族の気力・器量によって変わるだろう。
    • ぶっちゃけ残った部下も優秀なので前項の状態となれば後は楽だろう。
    • ただその息子の代ではお家騒動が起きる。

斎藤氏

  1. 史実とは逆に、斎藤氏が織田領へ侵攻。織田を滅ぼす。
  2. その後は近江を攻め、上洛し、朝倉や武田を滅ぼし‥と史実の信長と同じく領土を拡大。
  3. 道三の時代で上洛→天下統一までのタスクがある程度まで完了していることがポイント。
    • 義龍とのいざこざは起こると思われるので、後継者選定に苦労しそう。
      • 龍興の覚醒イベントが起こるかどうかは微妙。

真田氏

  1. 大阪の陣で豊臣方が勝ち、徳川が敗走。
  2. 一旦は豊臣が天下を取り戻し、真田幸村は五大老クラスの大大名に。甲斐、信濃、上州、飛騨を治める。
  3. 秀頼死後の跡目争いで真田が勝って天下を取る。
  4. それより関ヶ原の戦いで家康討ち死に→数十万石の大名→そのあと再び天下が乱れてかつての武田や毛利のような形で領土拡大。の方が可能性がまだ高いかと
    • 幸村は悲劇の戦国武将として人気が高いわけであり、忠実みたいにあんなに人気になれなかった。
      • お兄ちゃんの信之の方が人気が出るようになるかもしれない。
    • 下手したら天下を取った後の晩年暴君になってしまい評判を落としてしまったりして…。
  1. ペリー来航後は佐久間象山の構想通りに公武合体を行い、史実より早く文明開化した。

柴田氏

  1. 本能寺の変後、明智光秀を討てば可能。
    • でも、それを保てるほどの器量があるかは、疑問。
  2. 織田一族は信孝の系統が生き残る。
  3. 柴田勝家の死後は、勝政派と勝豊派で争う。

島津氏

  1. 鹿児島が首都になっていた。
    • 東北まで目が届かないので、南部氏か伊達氏辺りが乱を起こしていた。
      • 目が届かないことをいいことに、仙台藩(伊達氏)が密貿易に精を出す(実際の薩摩藩のように)
        • 北米に進出して西海岸一帯を開拓していたかもしれない。
  2. 天下を取った後は奄美・琉球のみならず台湾や比島にまで侵攻。
  3. 捨て奸が日本国内で広まり、時代が変わって銃火器による近代戦争に変わってもそのまま戦術として用いられ続けた。
    • 時が過ぎ、太平洋戦争では米兵からは「Oh! crazy jap!!」と言われるようになる。
    • また、釣り野伏も近代戦争で技術や兵器を変えて用いられている。
  4. 島津氏が史実の徳川幕府の扱いになるとした場合、長宗我部氏辺りが薩長の側にあたると思われる。
    • 戸次川の戦いで長宗我部信親が討たれたことを、いわゆる幕末まで怨みとして残していた。
    • 琉球の尚氏もこれに呼応して島津幕府の討幕し、明治維新を迎えて晴れて琉球王国の復活を果たすことになる。
      • 旧幕臣は、北海道函館まで逃げるのは大変なので、台湾に逃げ込んで「小琉球共和国」を樹立。
  5. 関ケ原の合戦を挟むのであれば、島津豊久を失った怨みから井伊家は断絶。
    • そのため「ひこにゃん」は誕生しなかった。
  6. 幕末、西郷隆盛と勝海舟の立ち位置が逆転していた。西郷隆盛の方が、無血開城の交渉にあたった。

武田氏

天下統一への道
  1. たぶん、武田勝頼が天下を取る。
    • そのため勝頼の方が信玄よりも有名。武田信玄はちょっぴり通好みの武将。
      • 正確には、武田信玄→京まで上る、武田勝頼→全国統一。
      • いや、信玄が上洛、勝頼がほぼ統一、仕上げるのは勝頼の子の信勝あたりになるだろう。
      • 通好みはむしろ信虎な気が・・・
      • 勝頼を冷遇した父親像が先行して、現実ほど信玄人気は無かったりする。
      • この場合どちらにせよ徳川を滅亡させるか従属させるかが第一条件。
    • 「桔梗信玄餅」が「桔梗勝頼餅」のネーミングになる。
  1. 織田氏と徳川(松平)氏は、現実の織田信長に対抗した浅井・朝倉氏的なポジションになる。要するに天下統一を邪魔するだけの存在。
    • 織田信長が時代を先取りした先進的なリーダーとしてのイメージ像ではなく、大うつけのバカ殿として現在に伝わる。
    • 徳川は武田に寝返ってたのでは?というよりそれが第一条件かと。
武田政権時代
  1. 武田幕府が開かれる。
    • 信長のように足利将軍を放逐するとは考えにくい。養子に入るか執権に収まるか。
  2. 不便なので、拠点を甲斐からどこか開けた場所に移す。
    • 甲斐は副都としてそれなりに繁栄。
      • 富士市辺りが甲斐の外港として駿河の中心地となる。
    • 新本拠地で一番有力なのは駿府かな。
  3. 「人は石垣、人は城」が国是になっていた。
    • 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」
  4. 仏教の扱いに苦慮する。
  5. 安芸・若狭・下総などの武田家や、蠣崎などの分流も厚遇される。
  6. 甲州金が全国的に流通。
    • 大判・小判といえば円形というイメージになり、「小判形」といえば円形を指していた。
  7. 真田氏は武田家の天下統一を支えた家柄として史実の井伊や堀田のポジションになる。
その他
  1. 史料が多く残るので、山本勘助の実体がよりはっきりする。
  2. 富士山は、当然山梨県に含まれる。
  3. ほうとうがメジャーな食べ物となる。
  4. 由緒ある家紋であるため,某ヤクザの家紋も別の形になっていた。
  5. 赤備はもともと武田氏家臣のものなので、井伊家が赤備を軍装とすることはない。
  6. 当然信長の野望は無い。
    • 変わりに信玄の野望がある。
      • ・・・と思ったら信玄の野望は本当にあるらしい
      • 誰かが信虎の野望とか言い出す。
  7. 勝頼は名君として知られていた。
  8. 信虎は少なくとも武田治世の時代は悪役として扱われるが、終了後は再評価される。

伊達政宗

統一まで
  1. 単独で秀吉に対抗できたとは考えづらいので、たぶん秀吉に叛旗を翻した家康、および小田原で抗戦中だった北条家と連携して秀吉軍を撃破、その後徳川・北条と三つ巴の権力闘争がおこなわれて勝ち残るというシナリオか。
    • だいぶ時間がかかりそうだけど、政宗がダントツに若いのがポイントかな。にらみ合っているうちに家康と氏政が死ねば、次の代の秀忠や氏直相手なら政宗に分がありそう。
  2. 関が原の戦いは東の伊達勢力と西の毛利勢力との戦いになる。
    • 秀吉が亡びた後、政宗が徳川・北条とにらみ合っているうちに、毛利は島津・長曽我部あたりと競り合ってそう。結局、日本の中央部を誰が押さえるかで勝負が決まるような。
  3. おそらく一番現実性が高そうなのが上杉定実に伊達実元の養子入りが成功して、天文の乱が起こらなかったケース。南東北+越後の大勢力に果たして北条・武田は対抗できるはずもない。(つまり晴宗か輝宗の時代にすでに天下取りの基礎部分は整っていた。)
    • 伊達家が天下統一できなかったのは地理的要因に加えて、天文の乱で芦名や最上などの傘下勢力の独立や家臣団との関係の変化で伊達家が衰退したため。
統一後
  1. 仙台が日本の中心地に。
    • この場合政宗自身が仙台に本拠を置いていないので、それはない。会津若松かな。
    • 政宗の性格からすると、信長同様、本拠地を移すことにあまりためらいがないように思われる。京都までは行かなくとも、関東地方か東海地方あたりまで進出し、そちらに中心を置いたのでは。
      • 確か史実だと関東進出を目指していたはず
    • 一族の誰かが(もしかしたら最上が転封されて)陸前一帯に移されたら可能性がある。
  2. 鎖国しなかった。
    • 日本でキリスト教が完全に根付く。
    • もしかしたら江戸に本拠地を置いてたかも?
  3. 日本史での東北地方のウェイトが大きくなる。
    • 東北地方が王朝における満洲みたいな扱いになって、かえって閑散としてしまったりして。
  4. 徳川家は忠輝(家康の六男、政宗の娘婿)の家系が嫡流として続く。
    • えーと、この状態でも忠輝と五郎八姫との結婚はあったんだろうか? 秀吉の死後、家康が伊達を味方につけるために画策した縁談だったと思うが。
    • 歴史によっては家康没後、取り込むために画策した可能性も。
  5. 陸奥宗光の実家は親藩大名。
そして現在
  1. 東北地方の高校が既に甲子園で優勝している。
    • 「関門海峡越え」という言葉が存在する。
  2. 仙台の政令指定都市移行が史実より早まっている。
  3. 青函トンネルの開業が早まった可能性も。
  4. 東北新幹線は1982年の時点で青森まで開通。
    • 北海道新幹線も同時に開業している。
  5. ロッテオリオンズが現在も仙台を本拠地にしている。
  6. ジェフの本拠地も仙台だっただろう。
  7. 仙台平野は広いので、500万人くらいの都市にはなっていたかもしれない。
  8. 「城=天守閣」という誤解が生まれなかった。

長宗我部氏

  1. 古来からの「流刑地」土佐が日本の中心に!・・・無理かな?
    • 四国統一の時はすでに白地(阿波池田)に本拠を移していたからねえ。
      • どちみち白地は四国の要衝になっていた。ここが後に四国中央市を名乗っていたかも?
    • 四国にこだわるとすれば、鳴門や高松、徳島あたりになるのかな?
  2. 海運がめちゃくちゃ発展する。
  3. 紀貫之と言えば古今和歌集よりも土佐日記。
  4. 早めに四国統一。
  5. 瀬戸内、熊野の水軍を配下に治め、日本最強の海上勢力となる。
  6. 安芸氏や本山氏が全国レベルの知名度になる一方、今川氏はマイナーな存在で終わる。
  7. JR四国全線が電化されている。
    • 最低でも複線化されているだろう。
  8. 長宗我部版本能寺の変後、河野水軍が仇を打つ形になり、河野通有に接ぐ偉い武将が天下を治める。
    • が、実史では金子のほうが伊予では勇猛っぽいから、いつのまにか金子幕府...で朝鮮がやたら金子氏の出自は朝鮮だと言い張る。
    • 河野氏がそんなに迅速に動けるとは思えない、明智ポジションは無く、単に金子が仇をとって天下を取ると思う。
  9. しかし関が原の戦いで長宗我部氏の天下は終わる。
  10. 一領具足制度を全国的に施行、日本は国民皆兵国家として全世界から恐怖される。
  11. 四国がもっと発展……するかな?
  12. 大阪と広島が今ほど発展していない。
  13. 坂本竜馬は上士の家に生まれたことになっていた。
    • そもそも坂本竜馬が倒幕に画することもなく、普通に過ごしていけたかと。
  14. 長宗我部氏は秦の始皇帝の一族(だと当人たちは信じている)なので、秀吉と同じく明に出兵し、祖先の土地を取り戻そうとする。
  15. 法華津氏の知名度は史実より高かった。
  16. 本能寺の変後に淡路島を経て播磨に進出。
    • 毛利氏との戦を終わらせることができなかった秀吉を背後から攻めて滅ぼし、秀吉の勢力下だった備前因幡但馬を得る。
  17. さすがに本拠地を本州(差し当たり京か堺あたり)に移動させているだろう。
    • 四国全土を合わせても100万石無いわけだし。

北条氏

天下統一への道
  1. さあ難しいぞ。取る気もない天下をどうやって取ろう?
    • 今川存続が条件。義元が実力どおり織田を倒し、東海を制する。
    • 大勢力になった今川の力を借りて上杉・武田を抑える。その間に東北をなんとかする。
    • 義元の死後二代目があの通りなのでうまいこと崩して吸収。上杉・武田も次世代なのでなんとかなる。かも。
      • 史実に近いシナリオなら盟約を裏切って駿河に侵攻した武田家を今川との同盟を存続した北条が攻め入り、そのまま武田を殲滅&今川救援のため徳川も攻めて併呑、東海→畿内方面への勢力拡大。
北条幕府
  1. この頃には足利将軍の種は尽きているか尽かしているので遠慮なく征夷大将軍任官。
  2. やっぱり小田原に幕府を開く。
  3. 京から西には興味はないので投げっぱなし。鎌倉幕府と同じ調子でいこうとする。
    • そして平島公方が西側の大名を糾合し、天下分け目の戦いへ。
執権北条氏
  1. 足利幕府はそのまま傀儡として残して、鎌倉幕府の北条氏の名跡を復活させて執権を名乗るようになる。
    • 征夷大将軍は世襲にならないよう、都度、源氏姓の武田とか佐竹あたりから適当な人材を迎え入れるようにして、権力だけは握った。
  2. 幕府を京に置いておくと何をしでかすかわからないので、元の鞘に戻すかのごとく、室町から足利荘に移動。
その後
  1. 海外交易と殖産で力を付けた西国大名に倒される。維新は100~200年は早かった。
    • この場合とっくに自ら開国してる国家が西洋列強を待ち受ける。封建制を色濃く残した独特の近代国家が出来上がった。
  2. 領国はしっかり経営するので容易に崩れず東西別国になっていたかも。
  3. 小田原評定がいい意味で使われる。
  4. 北条氏を名乗る意味がなくなってくるので、元の伊勢氏に姓を戻すことになる。

細川氏

  1. 細川政権が恒久的なものになっていた。
    • 細川内閣も3年くらい続いてたかもしれない。
  2. 応仁の乱が、東軍勝利で早期に決着していた。
  3. 細川氏以外の守護大名が西軍にも分かれたため没落。ほとんどの国の守護を細川氏で占めるように。
  4. 足利家はただのお飾りで、そのうち皇族から将軍を選ぶように。

松永久秀

  1. 三好三人衆に勝利し、三好義継を傀儡にして実権を握る。

毛利氏

天下統一への道
  1. 戦国時代で少数の兵による大勝利といえば、有田中井手の戦いもしくは厳島の戦い。
    • 決して桶狭間の戦いではない。
      • 厳島の戦いは後世の捏造が激しいからなぁ・・・勝てた理由の大半が運だったっぽいのは桶狭間と同様のようだが。
  2. 室町幕府の扱いに苦慮する。
    • 室町時代の後に短く鞆時代がある。
  3. 毛利元就の死後に天下をとっていた場合、毛利家で一番有名なのは輝元。
    • と言う事で元就は三国志の曹操のようなポジションになる。
    • 長男・隆元は死なずに済んだかもしれない。
毛利政権時代
  1. 家系ゆえに幕府は開かない。
    • 毛利氏は土師氏の流れを汲んでいる。かなり大雑把に言えば菅原道真と同系。
    • 「源氏でなきゃ征夷大将軍になれない」というのは俗説に過ぎんけどな。
    • 名目上足利家の者を将軍とし、実権は毛利家の当主が握るというスタイルになっていた。
      • 鎌倉時代の執権政治に近い形。
  2. 小早川氏と吉川氏は100万石を越える大大名となる。
    • 輝元がそのあとの当主が「毛利御三家」を作ったため、吉川・小早川の立場は低下し、史実の松平家程度になる。
      • 毛利御三家とは、吉川・小早川・穂井田のことである。
      • ラストエンペラーを(毛利元就の庶子である)穂井田家から輩出したことが滅亡の一因と言われるようになる。
        • 全員毛利に名字を戻しているかも。
        • 椙杜・出羽・天野・末次も一門としてそれなりの地位となった。
          • 小早川秀包「俺は・・・?」
  3. 本拠地を安芸(広島)にした。
    • そして現在、日本国の首都は広島になっていた。
その他
  1. 山口県からあれほど多数の首相が輩出されることはなかった。
    • 下手をすると山口県自体存在しなかった。
    • 名前はともかく国の主要な貿易港として栄えることは間違いない。
  2. 弓が武士の主流に扱われ、鉄砲がそんなに重要視されなかっただろう。
  3. 郡山城が修学旅行のコースに組み込まれる。
  4. 原爆は広島に落とされていない。
    • その前に第二次大戦で枢軸国側だったかどうかも…
    • さらに皇居が東京にあるのか?
    • 広島大空襲で徹底的にやられるため。代わりに小倉か京都に落とされる。
  5. 和三盆が矢三本に。
    • 和三盆の名前は盆の上で三度研ぐことに由来しているのでそれはない。
  6. 厳島神社の世界遺産登録が現実より早くなっていた。

本願寺を中心とする一向宗

厳密には戦国大名ではありませんが、当時戦国大名同様に活動していた、戦国大名に準ずる存在として取り上げてみました。

  1. この場合、大阪の石山本願寺が史実における江戸城に相当する存在となる。
    • 山科にあった本願寺の跡が聖地化される。
      • 山科本願寺を法華一揆で潰された恨みとばかり、法華宗を弾圧するかもしれない。
  2. 本願寺による天下統一が実現するとしたら、それを実現していたのは顕如か次世代の教如もしくは准如。
  3. 天下の主としての肩書きは道鏡以来の”太政大臣禅師”もしくは”法王(法皇ではない)”。
  4. 当然発足当時は祭政一致のガチガチの一向宗専制国家となっている。
    • 黒船来航までこの体制が維持されていた場合、確実に攘夷を実行し、諸外国と戦争になる。
      • その結果、日本の近代化がありえたかどうかは疑問。
  5. 身分制度は士農工商の上に僧侶が立つ”僧士農工商”の5身分制。
  6. 当然キリシタンは禁教。
  7. とりあえず、貝塚?鷺森?なにそれ?
  8. 東西分立は当然なし。本願寺系以外の真宗諸派はもちろん浄土宗も本願寺傘下に。