「もしあのプロレスラーが○○だったら」の版間の差分
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#京子が1日限定でプロレスのリングに上がっているだろう。 | |||
#*父親はマネージャー。 | |||
#締めを任され、「3!2!1!ハッスル!ハッスル!気合いだ!気合いだ!気合いだあああ!!!」と絶叫した。 | |||
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2012年7月10日 (火) 13:11時点における版
- 新規追加は50音順でお願いします。
アニマル浜口
- ハッスルに参戦していたら
アニマル浜口は娘である浜口京子とともにハッスルからオファーを受けていました。
- 京子が1日限定でプロレスのリングに上がっているだろう。
- 父親はマネージャー。
- 締めを任され、「3!2!1!ハッスル!ハッスル!気合いだ!気合いだ!気合いだあああ!!!」と絶叫した。
アントニオ猪木
- 事業欲がなかったら
- タバスコの日本での普及はなかったか遅れていた(日本に持ち込まれたのは猪木より前だが、猪木が広めたのは事実)。
- アントンハイゼルもないので、ジャパンプロレスもUWFもなかった。
- 永久機関で失笑を買うこともなかった。
大仁田厚
- 日本一周徒歩旅行を達成していたら
大仁田厚は地元の高校を中退後、日本一周徒歩旅行を計画し実行に移しましたが、当時の実家が火災で全焼したため神戸で断念しました。
もし火災に遭わず日本一周を達成していたら・・・
- 長崎に帰ったときの様子が全国紙でも取り上げられていただろう。
- プロレスラーではなく冒険家になっていたかもしれない。
- この場合、FMWはもちろん存在しなかった。
橋本真也
- 引退していたら
橋本真也は2000年の小川直也との一戦に進退を懸けたが、敗れて一度引退を申し出た。しかしファンの子供から復帰を願う折鶴を贈られ引退を撤回しました。
もし引退を撤回しなかったら・・・
- ZERO-ONE(現ZERO1)は誕生しなかった。
- ハッスルもなかった。
- 大谷晋二郎らは史実より長く新日に在籍していた。
- 小川直也もまた新日を主戦場とした後IGFに参加した。
- 坂田亘はプロレスからは離れHERO'S、後にDREAMで戦い、小池栄子とも出会わなかった。
- 引退後は健康管理にも気を配り、早世することもなかっただろう。
ジャイアント馬場
- 夫人の間に子供が生まれていたら
ジャイアント馬場には生涯子供がいませんでしたが、もし子持ちになっていたら・・・
- 結婚の公表もさすがに早かった。
- 男の子が生まれていたらプロレスラーよりむしろ野球選手に育てようとしただろう。
- 野球を断念したとしてもレスラーにはせず、全日のスタッフになっていたであろう。
- 女の子だったら全女に入れたかさもなければ父のマネージャー。
- 嫁が史実ほど金に汚くならなかったかも。