もし東北本線が日光街道沿いに敷設されていたら

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中山道沿い

日光街道沿い

東北本線は、中山道に沿って敷設された上野・前橋間鉄道(現:高崎線など)より大宮で分岐する形で敷設されたために現行ルートとなりましたが、では同線が千住から栗橋まで日光街道・奥州街道沿いに敷設されていたら?

春日部
かすかべ
一ノ割   北春日部
Ichinowari Kasukabe Kita-kasukabe
南越谷
みなみこしがや
蒲生   越谷
Gamō Minami-koshigaya Koshigaya
  1. 越谷が埼玉県の県庁所在地になる。
    • 越谷市・春日部市・岩槻市・庄和市・松伏市が合併して「さいたま市」誕生。
      • 行田市はさほど反発しなかった。
    • 越谷と春日部が現実の浦和と大宮のような関係になっていた。
    • 浦和はともかく大宮が現実のような地位(人口50万規模の商業都市、また「東北の玄関口」として機能)を築けなかったことは断言できる。
      • ↑の場合大宮は市制施行が遅れ(史実は戦前の1940年)、「大宮市」の名称を他府県の地域が名乗っていた可能性が高い。戦後になり東京のベットタウンとしてようやく発展し始め「武蔵大宮市」or「東大宮市」or「氷川市」として市制施行した。
        • 静岡県に大宮市が存在していた(現実には1942年に富士宮市として市制)。富士宮焼きそばも「大宮焼きそば」として知られてたかも・・・?
        • 大宮台地に相当する台地の名称は「浦和台地」だった。
        • もちろん大宮アルディージャもなければ大宮ナンバーもなかった。
        • 鉄道博物館も置かれなかったのは言うまでもない。
      • 埼玉県内最大都市は県庁所在地・浦和市(現実の合併前もそうだったが)で変わらなかったが大宮が発展しなかった分、浦和市の人口は現実よりも多かったと思われる。一方大宮は人口30万に届かず、多くても現実の春日部・上尾レベルの人口だった。 
        • 草加・越谷・春日部は東北本線の沿線だが、いずれも他の主要幹線の乗換駅にでもならない限り、現実とさほど変わらなかった。
    • 1883年の日本鉄道上野~熊谷間開業前の1871年には浦和宿に埼玉県庁が置かれているので、時期的に「越谷が埼玉県の県庁所在地になる」のは限りなく可能性が低いと思うけど。
  2. 高崎線は春日部から分岐し、中山道から離れた場所を通っていた。
    • もともと中山道線として東北本線より先に敷設されたわけだから、起点駅(板橋か上野、千住)で分岐していたのでは?
    • 東北本線(東京~春日部~栗橋以北現ルートと同じ)と高崎線(現ルートと同じ)の共通区間が存在しない(現ルートでは上野~大宮)ので、両線ともにダイヤに余裕が生まれ、上尾事件のような乗客による暴動は起きなかった。
  3. 東武伊勢崎線は池袋-中山道-鴻巣-羽生-伊勢崎の路線となっていた。日光線は大宮で分岐。
    • 東上線が離れ小島になることはなかった。
    • 東武鉄道そのものが存在すらしていなかった可能性もある。東上線は「東上鉄道」のまま。
    • 南北線・埼玉高速鉄道(武州鉄道)と同じく鳩ヶ谷・岩槻・蓮田を経由したと思う。
  4. らき☆すたでかがみ、つかさは登場しなかっただろう。鷲宮町から春日部市まで直接行ける交通手段が無いから陵桜学園に通学していない。
  5. 北千住を通ることになるので常磐線は北千住始発に
    • 北千住から上野まで複々線ないし6線にて乗り入れるのでは?現在の上野・日暮里間が北千住まで延びるだけだと思いますけれど。
  6. 京浜東北線は越谷か春日部が終端となっていた。
    • 武蔵野線開業時に南越谷駅が設置される。
    • あるいは横浜・川崎・東京方面から高崎線(中山道沿い)の川口・蕨・浦和方面に乗り入れた可能性も大いにあり(県都・浦和を通るため)。この場合、名称は京浜「東北線」ではなくなる。 
  7. 東北新幹線は越谷から西よりルートで東京に達した。
    • 越谷ではなく春日部に駅が設置された可能性がある。
    • 埼京線は現在の日暮里・舎人ライナーとほぼ同じルート。
      • 武蔵野線との交点に武蔵越谷駅が開業していた。
    • 東北新幹線は越谷or春日部付近に駅はできただろうが、規模は現実の大宮駅ほどの規模にはならず、最速達のはやぶさ号は全列車東京~仙台ノンストップに。その上、現実の大宮経由のルートよりも距離を節約できるため、東北各地⇔東京はもっと時間短縮ができたかも。
    • 上越新幹線は現実に近いルート(中山道・国道17号沿い)を辿ったが駅は大宮ではなく県都・浦和市内に置かれた。また東北新幹線と上越新幹線の共通区間がないため、現実のような線路容量逼迫の問題に直面しなかった(現実には北陸・北海道新幹線開業後に大宮始発便が設定されると噂されるが)。
      • 上越新幹線が新宿駅に乗り入れていた。
        • 上越新幹線の本来の起終点は新宿駅らしい。
      • 東北・上越新幹線の埼玉県内での110km/h運転という事態は発生しなかった。
  8. 久喜市よりも幸手市のほうが人口が多かった。というより久喜市は生まれなかった。
    • 史実とは逆に久喜が栗橋に吸収合併されていた。
    • そもそも現実でも新設合併だけどね。吸収じゃなくて。しかも新設合併という言葉は俗語で法令上は対等合併。
  9. 川越線と野田線は春日部が起点になっていた。
    • 総武鉄道は京成に併合されていた。
    • 実質埼玉の野田市~春日部間は複線化されていた可能性がある。春日部以西は暫く単線だったが、やっぱり荒川越えないし今2019年ぐらいの時期に複線化工事を始める。
  10. 足立区のイメージ(?)は現実よりもかなり都会的なものとなっていた。。

現実の東北新幹線と同じルート

  1. 市の中心から離れている駅ばかりなので反発を受けていた。
  2. 東北本線の茨城県に駅が2つあったかも。
    • 五霞駅か
  3. 少なくとも伊奈町は市制されていたか?
  4. 七戸十和田駅ではなく七戸駅が存在していた。
    • 大湊線は七戸か八戸が起点だった。
      • 南部縦貫鉄道は存在せず。
    • 十和田観光電鉄も三沢方面と十和田方面で別々の路線だった。
  5. 青森空港のアクセス駅も開業。
  6. この場合、赤羽~大宮間は史実の埼京線と入れ替わる事に。
    • さいたま市の市街地が西寄りにずれる。
    • 与野本町駅が与野駅を名乗っていた。
    • 戸田と川口の立場が逆転していた。
  7. 一ノ関-盛岡間は北上を除いて北上川の東岸を通るため、平泉、水沢、花巻を通らない。
    • 現在の奥州市は水沢よりも江刺の方が発展した。
  8. 釜石線は新花巻が起点になっていた。
  9. 栗原電鉄はくりこま高原駅から分岐していた。
  10. 古川と小牛田の立場が逆転していた。
  11. 利府支線はなく、かわりに仙石東北ラインの一部として松島支線が存在した。
  12. 西郷村が白河市を名乗っていたかもしれない。
  13. 南栗橋に駅が出来、東武日光線との乗り換えが便利に。逆に久喜は今の南栗橋のように&東北新幹線のホームがあったかもしれない

川越・館林経由

  1. ルートは赤羽-富士見-川越-坂戸-東松山-吉見-鴻巣(北鴻巣駅辺り)-行田-羽生-館林-佐野-栃木-壬生-宇都宮-…辺りか?
  2. 東武東上線のルートは大宮市経由になっていた。
    • 東松山-今泉-川島-指扇(現実の西大宮駅辺り)-三橋-大宮-…。
  3. 大宮市と川越市の立場が逆になっていた。
    • 大宮市は氷川神社の門前町のイメージのまま。
  4. 川越市と富士見市は現実の大宮と浦和のような関係になった。

岩槻・幸手経由

熊谷・足利経由

宇都宮-矢板間が長久保経由

  1. 烏山線は直接宇都宮に出る。
    • あるいは川島駅が起点。(前身の会社の当初案はこう。)真岡を通るので真岡鉄道になっていたかも。
  2. 岡本駅と宝積寺駅の地域は鉄道とは無縁。

現実の常磐線のルート

  1. 史実の東北本線は「宇都宮線」か「野岩線」で開業。
    • 北千住で分岐して日光街道沿いを通っていたかもしれない。
  2. 全線複線化されていた。
  3. 宇都宮市より水戸市の方が発展していた。
    • 福島県内も中通りと浜通りの立場が逆転。
  4. 東北新幹線に関しては言うまでもない。
  5. 柿岡に地磁気観測所が移転することはなかった。
  6. 上野〜日暮里〜三河島〜南千住や石岡〜友部〜水戸の迂回が不思議がられる。

現実の東北自動車道のルート

  1. 南側は下記岩槻案、佐野から先は熊谷分岐案と同じ。
  2. 仙台より北は古川・栗原経由と同じ。
  3. 市街地を避けて建設していたので当初は収益が上がらないかも。
  4. 東北自動車道は別ルートで建設された。
  5. 館林で高崎方面と分岐。
  6. 水戸線の起点は栃木。
  7. 史実で花輪線の建設が始まる1920年代に八戸への鉄道建設が始まり、1930年代になって開通。
  8. 烏山線の起点は史実の宇都宮ICの場所。(宝木駅?)
  9. 現実の喜久田駅が郡山駅と名乗っていた。
  10. 阿武隈急行の起点は村田。
    • もしくは岩沼の方へ向かっていた。
      • 現実の岩沼~仙台間は常磐線の一部になっていた。
  11. 小坂鉄道は小坂駅から精錬所までのみ。
    • 24系客車あけぼの用の保存先が変わっていたか、海外譲渡されていた。
  12. 奥羽本線とは津軽湯の沢駅で合流。
    • 分岐駅として明治時代の内に開業していた。
      • 津刈駅として開業し、平成初期に津刈温泉駅へ改名していた。

丸森・角田経由

東北本線の福島〜槻木間は奥州街道沿いのルートが採用されましたが、当初は阿武隈川沿いの保原・梁川・丸森・角田を経由する予定でした。

  1. 丸森線(→阿武隈急行線)が東北本線になっていた。
    • もちろん複線。
    • ただし駅数は現実より少ない。
    • 東船岡駅が船岡駅を名乗る。
  2. 強風の影響をあまり受けずに済む。
  3. 船岡の桜が鉄道ファンに注目されることはない。
  4. 山梨県の梁川駅は「甲斐梁川」駅として開業。
  5. 伊達市の誕生が早まった。
    • 丸森も市に昇格していた。
      • 丸森駅の位置が史実と同じだった場合、駅名が磐城舘矢間駅、自治体名も舘矢間市か伊具市になっていたかも
    • 保原町が単独市制を施行して、伊達市は出来なかったと思う。
      • そもそも伊達という市町村名すらできていなかった可能性が高い。
        • 現実では長岡村にある長岡駅が郡名由来の伊達駅に改称→町政施行後の町名を駅名から拝借し伊達に決定、という流れがあるため。
      • 旧伊達町ポジションは伊達郡瀬上町が担っており、桑折町の南側は未だに伊達郡伏黒村だった。
        • 瀬上の一大住宅地を失い、福島市の人口は史実よりかなり減っている。
          • むしろ国見と桑折は福島市に編入していた。
  6. 福島交通飯坂東線は初めから存在しなかった。
    • その代わり白石に福島交通の路線が出来ていた。
      • 福島盆地を眺めながら国見峠を国道4号に並走して越える路面電車は高度成長期に廃止になった後も鉄道ファンに語り継がれる絶景路線となっていた
  7. 槻木または角田(あるいはその両方)から白石へ私鉄が建設される。
    • その後仙台~福島を結ぶことを企てる(おそらく実現はしない)。
      • 白石以南は福島交通に接続か?いずれにしても国見越えは難工事となる
    • その路線の白石駅の近くに東北新幹線白石蔵王駅(北海道や熊本との同名回避のためこの名前に)が開業していた。
      • 角田・丸森(東北線開通で史実よりも人口が多い)と熾烈な誘致合戦となる
    • 国鉄白石線として槻木~白石間に開業した可能性もある。史実の丸森線のように輸送改善が十分行われず特定地方交通線になった可能性は高いけど。
  8. 特急「はつかり」は運転開始当初から東北本線経由で運行されていたかもしれない。

利府経由

かつて東北線は利府ー品井沼間を山側を通っていました

  1. 松島に行く仙石線の重要度が高まっていた。
  2. 松島町の市街地が山側に寄っていた。
  3. 愛宕駅は設置されない。
  4. 当然、仙石東北ラインはない。あるいは岩切から新線を引いていた。
    • 西塩釜まで塩釜線を使っていた。
  5. 赤沼信号所が駅に昇格するかは微妙なところ。

古川・栗原経由

十和田(三本木)経由

青森市街地経由