もしあの高校が野球弱小校だったら

2021年12月11日 (土) 21:13時点における黒衣(くろご) (トーク | 投稿記録)による版 (内容補足。)
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  • 掲載条件は甲子園春夏通算5回以上の出場経験があって、ベスト8以上に進出したことがある学校。
  • マンネリ化しているため、以下のみに関する投稿は原則禁止とします。
    • 「別の強豪校の出場回数が増えていた」
    • 「あの選手は別の高校に行っていた」
    • 「あの年の甲子園決勝戦には別の高校が進出していた」
    • 「あの年の決勝戦のカードはこうなっていた」
もしあの高校が野球弱小校だったら 目次
北海道 青森
秋田 岩手
山形 宮城

島根 鳥取

福井

新潟 福島
佐賀 福岡 広島 岡山
長野 群馬 栃木
長崎
大分


埼玉
宮崎 愛媛 香川
山梨 東京
鹿児島 高知 徳島 和歌山 愛知 静岡 神奈川
沖縄

北海道

南北海道

駒大苫小牧

  1. 今でも北海道にとって甲子園優勝は夢のまた夢だった。
  2. 現在でも真紅の大優勝旗は津軽海峡も白河の関も越えていなかった。
  3. 現在でも東北勢が決勝に進出すると「白河越えなるか」と言われていた。
  4. 現在でも甲子園最北端優勝校は作新学院だった。
    • 最東端優勝校は銚子商だった。
  5. 田中将大は関西の強豪校に入学していた。
    • あるいは青森の光星学院あたりに進学していたかも。その場合坂本勇人とは高校まで同級生だったことになる。
  6. 室蘭支部があまり強豪地区にならず、南北海道代表は札幌支部からがほとんどだった。
    • その後北照の台頭で小樽支部も強豪地区になる。
  7. リードしていてノーゲーム→再試合で負け、といえば1965年夏の岡山東商か1993年夏の鹿児島商工か2009年の如水館のイメージだった。
    • 他には1982年夏の八幡大付もある。
  8. 決勝戦での引き分け再試合は現在でも松山商-三沢だけだった。
  9. 早稲田実の斎藤佑樹は史実ほど有名にならなかった。
    • 田中将大が「マー君」と呼ばれることはなかった。
    • 田中将大が別の学校に進学し、甲子園決勝で延長15回引き分け再試合を戦っていたかもしれない。
  10. 2013年に駒大岩見沢の代わりに廃校になっていたかもしれない。
    • 逆にマー君が岩見沢に入学し、優勝してたかも。
    • あるいは苫小牧駒澤大学とセットで経営譲渡されたかも。
  11. 駒大苫小牧といえば今もアイスホッケー。
  12. この嘘ニュースもなかった。

北海

  1. 第100回大会を終えた時点で、夏の甲子園最多出場校は松商学園だった。
  2. 2016年夏の決勝は作新学院対秀岳館となっていた。

青森

青森山田

  1. サッカーが史実以上に強豪になっていた。
    • または強化が卓球に一極集中していた。
  2. 光星学院の甲子園初出場が早かった。
    • その後も決勝で何度も阻まれることはなかった。
  3. 青森は光星学院→八戸学院光星の1強となるが、八戸工大一や聖愛など地元主体のチームの甲子園出場も増えていた。
  4. 校名に青森大学を付けていた。

八戸学院光星

  1. 野球でもサッカーでも青森は青森山田の1強状態だった。
    • しかしサッカーと違って八戸工大一や聖愛など地元主体のチームの甲子園出場も増えていた。
  2. 青森県勢の決勝進出は1969年夏の三沢以来なかった。
    • または代わりに青森山田が3季連続準優勝をしていたか。
  3. 青森山田が実際のように3回戦の壁に阻まれてた場合、青森は21世紀以降ベスト8未経験の県になっていた可能性も。
  4. 坂本勇人は地元の強豪校に進学していたか駒大苫小牧あたりに野球留学していた。
    • 駒大苫小牧の場合、マー君と高校まで同級生だったことになる。
    • 北條史也も地元の強豪校に進学していたかも。大阪桐蔭の場合、藤浪晋太郎と高校から阪神で引き続きチームメイトになっている。

秋田

金足農

  1. 農業高校の甲子園出場回数・勝利数は大きく減っていた。
    • 国内の高校では新潟の新発田農の通算3勝・ベスト16が最高成績だった。
    • 外地の学校を含めると台湾の嘉義農林の通算5勝・準優勝が最高。
  2. そのため農業高校が甲子園に出場した場合の注目度は実際より大きかった。
  3. 金足農業高校といえば佐々木希の母校(実際は中退だが)のイメージだった。
  4. 秋田朝日放送のTwitterが壊れることはなかった。

秋田商

  1. 金足農や秋田高校あたりの甲子園出場回数が史実以上に増えていた。
  2. 1997年の夏は秋田の別の高校が出て初戦で負けていたかもしれない。そうなると、秋田県勢は1996年~2010年まで夏の甲子園で歴代ワーストの15連敗を喫していた。
  3. 秋田商はサッカーのイメージが史実以上に強かった。

岩手

花巻東

  1. 菊池雄星や大谷翔平は別の高校に進学していた。
  2. 史実以上に一関学院が活躍していた。
    • 近年では盛岡大付の1強になっていたかも。
  3. 公立校と間違える人が増えていた。
  4. 岩手県勢は未だに甲子園で決勝まで進んだことがなかったかもしれない。
    • 岩手は弱いというイメージが史実以上に強かった。
  5. 2019年の岩手代表は大船渡だった。

宮城

仙台育英

  1. 仙台育英と言えば駅伝、ラグビー、サッカーのイメージだった。
    • 進学校としての地位を確立することもできていた。
  2. 宮城代表は東北独占…とはならず、毎年入れ替わるように多くの学校が出場していた。

東北

  1. 宮城は仙台育英の1強となるが、利府や東陵や仙台商の甲子園出場回数も増えていた。
  2. ダルビッシュの入学先が変わっていた。
    • おそらく大阪桐蔭かPL学園といった地元大阪の強豪校、あるいは誘いがあったと言われている明徳義塾に進学していた。
    • 兵庫の育英という可能性も。仙台育英が誘っていたと勘違いして取ったという説がある。
  3. 東北といえばゴルフかフィギュアスケートのイメージだった。
  4. ダルビッシュ有と宮里藍がCMで共演することはなかった。

山形

日大山形

  1. 山形県勢は未だに夏の甲子園でベスト8以上に進出できていなかったかもしれない。
    • 春に至っては平成16年の東海大山形が勝つまで1勝もできなかった。
  2. 山形県勢の甲子園の勝率は史実以上に悪かった。

福島

磐城

  1. 磐城といえば進学校か吹奏楽のイメージだった。
  2. 福島県勢は甲子園で決勝はおろか準決勝すら進出したことがなかったかもしれない。

聖光学院(福島)

  1. 関東の人にとって「聖光学院」とは神奈川にある男子進学校のことだった。
  2. 史実通り2001年の夏の甲子園に出場していた場合は、20点差の大敗のことで知られていただけであった。
  3. 福島県は21世紀にはいってから甲子園で1勝もしていない、ブッチギリの高校野球弱小県になっていた。
    • 福島代表は、毎年別々の高校が出場機会があったかも。
      • 学法石川や日大東北の存在感がもう少しあった。

茨城

常総学院

  1. 木内監督は名将とは呼ばれなかった。
    • 取手二のみの一発屋だった。
    • または取手二が平成に入ってからも強豪になっていたか。
  2. 2001年春と2003年夏のどっちか、または両方で東北勢初の甲子園優勝を達成していた。
    • 坂克彦は甲子園で優勝しなかったかしても話題にされなかった。
    • 霞ヶ浦高校があそこまで県大会決勝で涙を見ることはなく、1回目の決勝で優勝できていた。

取手二

  1. 木内監督は常総学院の監督にもならずこっちの歴史も変わっていた。
  2. 常総の強豪化もないため、茨城県は関東地方で唯一の全国優勝が無い県になっていた。
    • 山梨県も高校野球では関東ですが。
      • 山梨が高校野球では関東地区なのでシンプルに関東で唯一とは言えず、関東「地方」とあえて書かなければならない。
    • あるいは県央勢が強くなり、水戸商あたりが達成していたかもしれない。

栃木

作新学院

  1. 史上初の春夏連覇達成校は1966年夏の中京商だった。
    • 春夏連覇はできないというジンクスが破れるのが3年遅かった。
  2. 作新学院といえば競泳の萩野公介のイメージだった。
  3. 2007年秋以降の栃木の県外試合連敗記録がもう少し伸びていた。
  4. 江川卓は恐らく磐城高校に進学していたかもしれない。
    • 史実以上に福島県は野球強豪県になっていた。
      • もうとっくに白河の関越えは果たしていたかも。
    • 八木沢荘六は県内の公立に進学していたか?
    • 江川は作新か小山かの選択で作新を選んだので小山高校だったと思う。
      • 当時は強かったので小山高校を甲子園優勝に導いていたかも。
    • ドラフト拒否後の浪人時代は法政大学で過ごしていた。
  5. 栃木県は関東地方で唯一の全国優勝が無い県になっていた。
    • 山梨県も(ry

群馬

桐生一

  1. 群馬県勢の夏の甲子園初優勝は2013年の前橋育英になっていた。
    • 夏の甲子園初出場も史実より早くなっていたかも知れない。
  2. 正田樹、一場靖弘、藤岡貴裕といった選手は違う高校へ入学していた。
  3. 桐生一(昔の桐ヶ丘)は篠原涼子の母校、というイメージだけだった。

前橋育英

  1. 群馬は健大高崎の1強状態になっていた。
  2. 前橋育英と言えばサッカーのイメージだけだった。
  3. 2013年の夏は延岡学園か日大山形が県勢初優勝を果たしていた。
    • 準々決勝のアクシデントが無ければ常総学院だったかもしれないが。

埼玉

浦和学院

  1. 森士監督は無名の存在だった。
    • 「迷将」と呼ばれることはなかった。
    • 紅白歌合戦の司会になることもなかった。
  2. 埼玉は春日部共栄・聖望学園・花咲徳栄などが入り乱れる混戦地区になっていた。
    • 鷲宮・市立川越・上尾などの公立校が勝ち進んだ回数も多かったかも。
  3. 浦和といえば浦和市立、浦和南といった高校やレッズのイメージで史実以上にサッカーの印象が強くなっていた。
    • 浦和学院自体がサッカーに力を入れ強豪校になっていた可能性もある。
  4. オリンピック野球日本代表に似せたユニフォームも有名にならなかった。
  5. 2013春の優勝校は済美であり、選抜大会無敗という珍記録を出していたかも。

春日部共栄

  1. 春日部といえばクレヨンしんちゃんからき☆すたのイメージだった。
    • 最近なら内山高志も。
  2. らき☆すたファンが高校野球板に来ることはなかった。
  3. もしあの学校が高校野球全国大会に出場したらに掲載され、西宮北とセットで扱われていた。
    • おそらくらき☆すた枠は鷲宮(1995選抜出場)になっていた。
  4. 春日部共栄といえば水泳かバレーボール。

上尾

  1. 上尾市が「うえおし」と誤読される率が上がっていた。
  2. 野本監督が就任しないもしくは結果を残さないので浦和学院高校野球部の監督に就任することも無くこちらの歴史も変わっていた。
  3. 浦和学院の森士監督は高校野球の監督をやっていなかったかも
  4. 桐生第一の福田監督は上尾に越境せず、群馬県の高校に進学していた。
  5. 仁村徹は上尾に行かず兄の仁村薫と同じ川越商(現市立川越)に進学し、同校は史実より早く甲子園出場を果たしていた。

熊谷商

  1. 深谷商が代わりに県北の強豪校になっていた。
    • ゴルゴ松本も熊谷商ではなく深谷商に進学していた。

大宮

  1. 現実より早く進学校化し、県下一の進学校になっていた。
  2. 埼玉県の公立男子校・女子校の共学化が現実より進んでいた。
    • 大宮高校自体も併学を史実より早くやめていた。
  3. 国体での埼玉県勢の硬式野球優勝は未だになかった。

花咲徳栄

  1. 「はなさきとくえい」と誤読されていた。
    • とくえいじゃなかったの?
  2. 女子は強いのに男子はといわれていた。
  3. 花咲徳栄といえばボクシングか女子野球。
  4. 系列校である埼玉栄の甲子園出場が増えたかも。
  5. 埼玉県勢の夏の優勝経験は今もってない。

千葉

銚子商

  1. 「黒潮打線」という言葉はなかった。
    • 市立銚子か高知県辺りの高校で使われていた。
  2. 篠塚和典等は別の高校に進学していた。
  3. 斉藤一之監督は有名にならなかった。
    • 息子は銚子商の監督にならなかったかもしれない。
  4. 史実より早く銚子水産高の統合に手を付けていた。
    • 水産との統合で校名が違うものになっていた。
  5. 市立銚子が現実よりも強豪校の地位を確立していた。

習志野

  1. 習志野市が「しゅうしのし」と誤読される率が上がっていた。
    • 「津田沼市」が存在すると勘違いする人も多くなる。
  2. 習志野市から千葉県に移管されて県立高校になっていた可能性もある。
  3. 千葉県も近隣県同様の私学王国になっていた。
  4. もしくは隣市の市立船橋が現実以上の強豪校になっていた。
  5. 掛布雅之の進学先が変わっていた。
    • 阿部慎之助の父親と同級生でチームメイトにならなかったかも。
  6. 吹奏楽部の美爆音応援も話題にならなかったかも。
    • 吹奏楽部が強豪にならなかった。

東京

東東京

帝京

  1. 早稲田実の西東京への移転後、東東京の高校野球レベルが大きく下がっていた。
    • 東京はいわゆる「西高東低」になっていた。
  2. 東東京の夏の甲子園優勝は大正時代1916年夏の慶応普通部だけ(東東京に現存する学校に限れば優勝未経験)だった。
  3. 東東京は混戦地区になっていた。都立高校の出場回数が増えていた。
    • 関東一、修徳、成立学園などの甲子園出場回数も増えていた。
      • 二松學舍はもっと早くから甲子園に出場していた。
    • 埼玉県の高校野球のレベルも上がっていた。
  4. 仙台育英は東北勢初の甲子園優勝を達成していた。
    • 星稜も石川県勢初・北陸勢初の甲子園優勝を達成していた。
  5. 帝京といえばサッカーだけのイメージだった。
  6. とんねるずは結成されなかった。またはあっても野球の企画はあまり盛り上がらなかった。
  7. 中高一貫教育路線に転換して一流大学(東大早慶など)への進学に力を入れるようになっていた。

関東一

  1. 明徳義塾は初出場から2010年夏までの間甲子園で1度も初戦敗退が無かった。
  2. 関東一は他のスポーツに史実以上に力を入れていた。

西東京

日大三

  1. 桜美林が史実以上に強豪になっていた。
    • 日大二、堀越、東亜学園、創価などももっと強豪になっていた。
      • 系列校である日大二高にそれなりに流れていた可能性が高い。
    • 埼玉の聖望学園ももっと強豪になっていた。
  2. 2006年以降は西東京は早稲田実の1強状態だった。
    • 上にある通り他の西東京の学校も強くなっているだろうから、史実よりも出場校の入れ替わりが激しくなっているんじゃないだろうか。
  3. 2001年夏は近江が、2011年夏は光星学院がそれぞれ初優勝を果たしていた。
  4. OBを代表する人物としては、故・辻邦生氏(小説家)、故・大川橋蔵氏(俳優)あたり?

早稲田実

  1. 「大ちゃんフィーバー」も「ハンカチ王子」もなかった。
    • 「大輔」「佑樹」という名前の子供が減っていた。
    • 松坂大輔の下の名前が変わっていた。
    • 田中将大が「マー君」と呼ばれることもなかった。
    • 別の学校に進学して同じように人気になっていたかもしれない。
    • 斎藤佑樹は地元の群馬の高校に行っていた(桐生第一あたり?)
    • 王貞治は巨人に入団せず早稲田大学に進学して、そのまま電気技師になっていた。
  2. 駒大苫小牧は夏の甲子園3連覇を達成していた。
  3. 決勝戦での引き分け再試合は現在でも松山商-三沢だけだった。
  4. 『ダイヤのA』のライバル校は稲城実業ではなかった。
  5. 「そうじつ」といえば総合商社の双日を連想する人が多くなっていた。
  6. 初等部は開校しなかったかもしれない。
  7. 国分寺への移転も無かった。
    • 上の初等部開校や共学化もそうなんだが、移転に関しては当時の学長が無理やり押し切ったらしいから避けられなかったと思う。
      • 押し切ったという事実自体が野球の強豪という歴史を踏まえた上での話だから、そうじゃなければ都心回帰傾向の時代の郊外移転は無かったのでは?
  8. 校名から実業が消されていた可能性もある。
    • 系列校に早稲田中学・高等学校が別に存在するからそれは無いと思う。ついでに言うと「実業」が消えると正式名称が「早稲田学校」になってしまうから、面子を保つためにもそのままにしていたのではなかろうか。
      • 単純に実業だけ取るのではなく、早稲田○○みたいな校名になる可能性は高い。
    • 野球よりも進学校としてのイメージが強くなっていた。
  9. 清宮選手も別の学校に行っていた。

神奈川

東海大相模

  1. 東海大相模といえば柔道のイメージだった。
  2. 夏の甲子園に出場できないことが七不思議と言われることはなかった。
  3. 「東海大相撲」というネタはなかった。
  4. 原辰徳は日大三高辺りに進学していたかもしれない。
    • 父の原貢が監督をやっている学校に進学する可能性が高い。三池工業のままか九州のどこかの私立高校に進学。
    • そうなっていた場合、東海大へ進学することはなく高卒段階で巨人軍に入団していた。
      • 彼を入団させようとしていた巨人側に対して当時の東海大の総長が抗議することはなかった。
    • 菅野智之も東海大相模→東海大への道は歩んでいなかったかもしれない。
      • そもそも菅野は生まれていなかった。
  5. 東海大菅生もはじめとした東海大の系列高校の野球のレベルは下がっていた。
  6. 2015年の夏は仙台育英が東北勢初優勝を果たしていた。

横浜

  1. 愛甲猛、松坂大輔、涌井秀章など多くのプロ野球選手の入学先が変わっていた。
    • 松坂大輔は帝京に入学していた。
      • 帝京の甲子園優勝回数が増えていた。
  2. 上地雄輔も別の学校に入っていた。
    • 史実通り横浜に入っていた場合、「松坂大輔とバッテリーを組んでいた」というネタがなかった。
  3. 春夏連覇達成校が1つ減っていた。
    • 2010年の興南が平成以降初かつ21世紀以降初の春夏連覇だった。
    • または上の帝京が春夏連覇していたか。
  4. 野球で「横浜」といえば横浜ベイスターズのことだった。
    • そのため野球で横浜は弱いと言われていた。
  5. 東海大相模が33年間夏の甲子園から遠ざかることはなかった。
  6. 神奈川は東海大相模、慶應義塾、桐蔭学園、桐光学園などが入り乱れる混戦地区になって、日本一の激戦区になっていた。
    • ただし神奈川の甲子園での勝利数は減っていた。
  7. 1998年の名勝負が大きく減っていた。
    • 1998年の名勝負といえば豊田大谷-宇部商。
      • 横浜ベイスターズが史実通り優勝・日本一になっても「横浜イヤー」を飾れなかった。
    • 1990年代最大の名勝負は松山商-熊本工か松商学園-四日市工になっていた。
    • PLのエースから後に日テレのアナウンサーになった上重聡は史実よりも知名度がかなり低かった(松坂と投げ合った、ということで野球ファンからはそこそこ認知されていたと考えると)。
  8. 高校野球は2000年以降も延長戦が18回規定だったかもしれない。
    • しかし2007年夏の佐賀北-宇治山田商の試合があった日の最終試合終了時刻が21時を過ぎたことが問題になり、結局は15回に短縮されていた。
  9. 21世紀になって共学化されていた。
    • 同時に中高一貫進学校路線に転換していた。
  10. 京急のエアポート急行は能見台に停まらなかった。
  11. 知名度が低いままなので公立と間違うケースが増えていたかも。
  12. 今夏限りで渡辺監督が引退するため、もしかしたら↑のようなるかも。
  13. 横浜高校OBのスポーツ選手と言えばボクシングの大橋秀行かアーチェリーの山本博だっただろう。
    • ボクシング部が今も残ってるかもしれない。

桐蔭学園

  1. 高校野球で「桐蔭」といえば大阪桐蔭のことを指すようになっていた。
    • 大阪桐蔭という校名にならなかったかも。
  2. 桐蔭学園といえばサッカー、もしくはラグビーのイメージだった。
    • 桐蔭学園自体が野球のみならずスポーツに力を入れていない可能性が高い。
      • 東大早慶などへの中高一貫進学校としてのイメージだけになっていた。

横浜商

  1. 神奈川県は史実より早い時期に私立天下になっていた。
    • 神奈川県内の公立高校の甲子園出場は希望ヶ丘(1951年)まで遡ることになっていた。
  2. Y校の略称は広まらず、自然消滅していた。
    • 野球では無名であっても、Y校は横浜市内の中小企業経営者に多くの人材を輩出しているので、そのようなことは考え難い。

法政大学第二

  1. 法政大学第一(現法政大学高校)の方がスポーツに力を入れており、史実とは逆の状態になっていた。
    • 田淵幸一がもっと早く甲子園で見られたかも。
  2. もっと早い段階で共学になっていた。
    • おなじ神奈川県内にあり、きょうだい校の間柄である法政大学女子も、2018年に法政大学国際に校名変更のうえ共学化。

山梨

東海大甲府

  1. 山梨県勢は未だに夏の甲子園でベスト4以上に進出していなかった。
    • 春を含めても1991年の市川高校の1回だけ。
  2. 1990年のセンバツ準決勝第1試合は延長戦にならなかったかも。
    • そうなると、その年の準決勝がセンバツ球春譜に取り上げられることはなかった。

長野

松商学園

  1. 北信越の甲子園優勝校は飯田長姫だけだった。
    • 飯田長姫の優勝もなかった場合、北信越は東北とともに優勝未経験地区だった。
      • 北信越の甲子園優勝に対して、東北の「白河越え」のような呼び名がついていた。
      • OIDEがおるので「木曽越え」とか「伊那越え」とか?
  2. 夏の甲子園最多出場校は単独で北海になっていた。
  3. 「まつしょう」といえば松山商のことだった。
    • 松山商と紛らわしいと言われることはなかった。
  4. 松本商からの校名変更は商業が付かないものになっていた。

新潟

日本文理

  1. 2009年夏の決勝戦での9回2アウトからの追い上げはなかった。
  2. 新潟は今でも唯一の選抜未勝利の県だった。
  3. 新潟は今でも甲子園で春夏通じてベスト4進出経験がない唯一の県だった。
  4. 新潟明訓が1強状態で、福島で言う聖光学院のような感じになっていたかも。
    • ただ史実通り新潟明訓の監督が代わった場合、毎年違う学校が出場するようなことになっていたかも。

新潟明訓

  1. ドカベンの明訓高校の由来が現実以上に知られていなかった。
  2. 漫画での明訓VS新潟明訓の対決もなかった。
  3. 日本文理が1強状態で、福島で言う聖光学院のような感じになっていたかも。
    • または中越とともに2強状態になっていたかも。

富山

新湊

  1. 新湊が旋風を起こして大盛り上がりすることはなかった。
  2. 富山は甲子園で春夏通じてベスト4進出経験がない唯一の県になっていた(2009年夏以降)。
  3. 新湊高校といえば「立川志の輔が出た高校」というイメージに留まっていた。

石川

星稜

  1. 高校野球史に残る名勝負が1つ減っていた。
    • 松山商-三沢、横浜-PL学園の評価が上がっていた。
  2. 高校野球で隠し球をやるチームはなかった。
  3. 松井秀喜の5打席連続敬遠もなかった。
    • または松井が別の学校に入学し、甲子園で明徳義塾と対戦して5打席連続敬遠を受けていたか。
  4. 星稜といえばサッカーのイメージだった。
    • アニオタには「新谷良子の出身校」のイメージだった。
    • 星稜=サッカーも強豪、というイメージは本田圭佑の台頭以降なだけにそれ以前は地元民以外の知名度は低かったはず。
    • 野球の知名度を利用できないのでサッカーの強豪になれなかった可能性もある。
  5. 石川は甲子園で春夏通じてベスト4進出経験がない唯一の県になっていた(2009年夏以降)。
    • または金沢がベスト4進出を果たしていたか。
  6. 能登半島からの甲子園初出場が20世紀中に実現していた。
  7. 「金沢経済大学」が「金沢星稜大学」に校名変更することはなかった。
    • 同校のキャリア支援プログラムがニュースで報道されたり本で紹介されたりすることはなかったかもしれない。
    • 星稜高校が逆に星稜の名を外して金沢経済大学付属高校になっていたかも。
  8. 小松大谷との8点差の大逆転もなかったかも。

金沢

  1. 石川県の高校野球は星稜の1強状態が永らく続いていた。
    • 現在は遊学館とともに2強となっていた。
      • もしかすると2002年から2006年まで5年連続で夏の予選の決勝は星稜対遊学館になっていたかも。
  2. 石川県外の人から県立高校と勘違いされていた。
  3. 輪島や大翔山の影響で相撲強豪校のイメージが強かった。

福井

福井商

  1. 20年連続夏の県大会決勝進出の記録はなかった。
  2. 福井における甲子園出場校は敦賀気比と福井工大福井の二択になっていた。
  3. 敦賀高校が史実ほど低迷しなかった。

敦賀気比

  1. 内海哲也は関西圏の高校に進学していた。
    • 勿論あの事件に巻き込まれることもなかった。
  2. 福井県勢はおろか北陸勢は未だに甲子園で優勝できていない。

静岡

常葉大菊川

  1. 常葉橘とともにサッカー部を強化していたかもしれない。
  2. 静岡県は未だに平成以降ベスト8進出なしの県になっていた。
    • 代わりに常葉橘あたりが達成していた可能性もある。
  3. 大阪桐蔭の中田翔は2007年春の甲子園で優勝していた。

静岡

  1. スポーツでの学校裁量枠を使わず、進学に特化した学校になっていた。
    • つまり全国各地にある公立名門校と同様の位置づけ。
  2. 宿敵である静岡商業の甲子園出場機会が増えていた(とくに70年代以前)。

愛知

愛工大名電

  1. バントのことを「メイデン」と呼ぶことはなかった。
    • 実況板の「ナイスメイデン」は単に「ナイスバント」になっていた。
  2. ローゼンメイデンファンの間で僅かに知られていた。
    • アイアン・メイデンファンの間でも。
  3. イチローは中京大中京あたりに進学していたか?
  4. 夏に弱いメイデンとは言われなかったかも。

中京大中京

  1. 甲子園勝利数1位はPL学園だった。
  2. 夏3連覇を達成した学校は存在せず、2006年の駒大苫小牧は史上初の快挙に挑んでいた。
    • 春夏連覇・夏春連覇達成校も1つ減っていた。
  3. 愛工大名電・東邦が史実以上に強豪になっていた。
    • 享栄も今ほど低迷はしなかった。
  4. 愛知県は夏はあまり勝てなかった。
    • 愛工大名電・東邦が夏も強い学校になっていたかもしれない。
  5. 中京大中京はサッカーかフィギュアスケートのイメージだった。
    • それ以前にスポーツに力を入れていなかった可能性が高い。
  6. 嶋基宏は遠距離通学することもなく、岐阜高か大垣北に進学していた。
  7. 2009夏は日本文理が新潟県勢初優勝していたかも。

東邦

  1. センバツの優勝回数は中京大中京が単独で1位。
  2. 1989の春は上宮が優勝していた。
  3. 愛工大名電と中京大中京が史実以上に強豪となっていた。

岐阜

県立岐阜商

  1. 中京、大垣日大の甲子園出場回数が増えていた。
  2. 県外で岐阜商といえば市立岐阜商だった。
    • 県立の方は21世紀になって校名から「商業」の看板を外していた。
      • 戦後の一時期、県立岐阜高校などの普通科高校と統合し、その後分離独立した歴史をもつが、全国ナンバーワンと称される簿記部を擁していることを考えると、それはあり得なさそう。

大垣日大

  1. 2007年の春は帝京が優勝していたかもしれない。
  2. 阪口監督が東邦からここに来ることはなかっただろうし、仮に監督に就任しても成績不振で監督を辞めていただろう。

三重

三重

  1. 下手すれば、三重県勢は1999年夏から2014年夏まで16年連続で初戦敗退していた。
    • 史実以上に三重県勢は弱いというイメージがついていた。
  2. 2018年の春、大阪桐蔭はぶっちぎりで優勝していた。
    • 準決勝で負けそうになることなどなかった。

滋賀

近江

  1. 滋賀県勢は未だに甲子園で決勝に進出したことがなかった。
    • 史実以上に滋賀は高校野球の弱小県のイメージが強かった。

京都

福知山成美

  1. 福知山のイメージはJR福知山線の脱線事故のとばっちりで史実より悪くなっていた。
  2. 現実より早く福知山女子との再統合に踏み切っていた。
  3. 今でも校名が「福知山商業」のままだったかも。
  4. 現実以上に「ふくちやまなるみ」と読み間違える人が多かった。

京都外大西

  1. 外大の付属校であることを生かし国際系の授業やクラスにより力を入れていたかも。
  2. 校名は今でも「京都西」だったか「京都外国語大学付属西」のようにより京都外大との連携を強めた名前になっていた。
    • 前者の場合、公立と間違えられることが増えていた。
    • 西を校名から外していた。

龍谷大平安

  1. 春夏通算甲子園最多出場校は松商学園になっていた。
  2. 京都が野球強豪都道府県になることはなかった。
  3. 第1回優勝校の鳥羽(旧京都二中)が現在でも強豪になっていたかもしれない。
  4. 京都は1990年代は京都成章と京都西の2強、21世紀以降は京都外大西と福知山成美の2強になっていた。
    • 1990年代は北嵯峨の出場も史実以上に増えていたかも。
  5. 1951年に熊谷高校が優勝し埼玉県は夏の優勝が無いといわれなくて済んだ。
  6. 2008年の龍谷大学への移管で「龍谷大付属高校」に校名変更され、平安という校名はなくなっていた。
  7. 2014年のセンバツは履正社が優勝していた。

大阪

大阪桐蔭

  1. PL学園の衰退とともに、大阪の高校野球レベルは大きく下がっていた。
    • 近畿全体のレベルが下がっていたかもしれない。
  2. 春夏連覇達成校が1つ減っていた。
    • 大阪の春夏連覇達成校はPL学園だけだった。
  3. 21世紀以降の近畿地区の甲子園優勝校は報徳学園と龍谷大平安だけだった。
  4. 沖縄水産は沖縄県勢初の甲子園優勝を達成していた。
    • 光星学院も東北勢初の甲子園優勝を達成していた。
    • 2014年夏は三重が三重県勢では久しぶりの優勝を果たしていたかも。
  5. 大阪桐蔭と言えば進学校というイメージが現実以上に強かった。
    • 野球で知名度を上げて進学校化という流れだったと思うので進学校にもなれなかった。
      • その場合同じ学校法人が運営する大阪産業大学との連携を現実以上に強化し、「大阪産大桐蔭高校」とかに校名が変更されていたかもしれない。
    • 最近では女子バスケのイメージが強くなっている。
      • 女子バスケも弱小であれば乃木坂46・松村沙友理の出身校のイメージしかなかった。
  6. PL学園への入学を希望していたもののセレクションで不合格となり「打倒PL」を目標にして大阪桐蔭に入った西岡剛はどこの高校に行ったのだろうか?
  7. 藤浪晋太郎など多くの選手もPL学園など別の強豪校に入学したかも。
    • 中田翔は地元広島の強豪校(広陵など)あるいは関西の他の高校に入学していた。
  8. 2007年夏は金光大阪、11年夏は東大阪大柏原がそれぞれ現実以上に甲子園で勝ち進んだかも。
  9. 履正社が史実通りの強豪なら2012年と2014年夏は履正社が優勝してたか。
    • 2017年春も。
  10. PL学園低迷・廃部後は案外大商大堺が強豪になっていたかも。
    • あるいは近大付や東大阪大柏原。
    • それなら100回記念大会で南大阪はレベルが低いと言われることはなかった。

PL学園

  1. アルファベットの校名は甲子園とは無縁だった。
    • 「大阪にアルファベット校名の学校がある」というのがトリビアになっていた。
    • 過去の出場校までさかのぼっても飯田OIDE長姫(旧飯田長姫)くらい。
  2. 清原和博、桑田真澄、立浪和義、前田健太など多くのプロ野球選手の入学先が変わっていた。
    • 清原と桑田は別々の学校に入学し、「KKコンビ」はなかった。
      • 清原は天理へ入学していたはず(母親が奈良出身で天理に行って欲しい、と希望していたが最終的に天理かPLの二択でPLを選んだとか)
    • 福留孝介は出身地の鹿児島実業あたりか?
      • 入来祐作も兄の智と同じく鹿実へ入学していたかも。
    • 京都出身の片岡篤史は平安(現龍谷大平安)に進学し同学年でその後阪神でチームメートとなる桧山進次郎と中軸を組んでいたかも知れない。
  3. 春夏連覇達成校が1つ減っていた。
    • 夏の甲子園で3年連続決勝に進出したのは中京商は駒大苫小牧だけだった。
  4. 1970年代・1980年代は明星が大阪の盟主だった。
    • 2000年代は大阪桐蔭の1強だった。
      • 上宮・上宮太子・近大附属の出場回数が増えていたかも。
    • 2010年代は大阪桐蔭と履正社の2強だった(これは実際とあまり変わらない?)。
    • 浪商→大体大浪商の出場回数も現実以上に増えていて、現在でも強豪校の1つだったかも。
  5. 池田は史上初の夏春夏3連覇を達成していた。
  6. 「逆転の○○」といえば逆転の報徳か逆転の箕島だった。
  7. 野球漫画で「BL学園」とか「EL学園」とかいう学校は登場しなかった。
    • 「LP学園」も。
  8. 「BL学園」のもじりで腐女子に知られていたかもしれない。
  9. 全寮制のメリットを活かして海陽のような学校になっていたかもしれない。
  10. 21世紀に入ったあたりでひっそりと廃校になっていた。
  11. もしかすると高校野球自体の人気も史実より低かったかもしれない。
  12. PL教団の勢力も史実より小さかった。
    • PL教団といえば富田林の花火大会。それも衰退とともにもしかしたら廃止、縮小されていたかも。

履正社

  1. 大阪はPL学園の衰退とともに大阪桐蔭の1強状態が史実以上に強かった。
    • よって、2017年のセンバツ決勝が大阪勢対決になることもなかった。
  2. 山田哲人は大阪桐蔭に入学していたかもしれない。
  3. 史実以上に中等部からの外部進学に特化した学校になっていた。

兵庫

報徳学園

  1. 西宮市は甲子園がある市でありながら甲子園出場校が少ない市だった。
  2. 東洋大姫路と育英が史実より強豪になっていた。
  3. 神戸国際大付は史実より早く夏の甲子園に初出場し、兵庫の常連校の1つになっていた。
    • 場合によっては前身となる八代学院時代に出場していた。その場合九州の学校と勘違いする人がいたかも。
  4. 「逆転の○○」といえば逆転のPLだった。
  5. 21世紀に入ってから共学化されていた可能性も。
    • 同時に中高一貫進学校路線に転換していた。

育英

  1. 育英といえば仙台育英のイメージだった。
  2. 史実通り仙台育英に未だに優勝経験がなければ、「育英」とつく校名が初めて甲子園で優勝したのは2013年の前橋育英。
  3. 1993年夏は春日部共栄が優勝していた。

東洋大姫路

  1. 日東駒専の付属高校で東洋大学の付属高校だけが甲子園出場がなかった。
    • 日東駒専の東を「東海大学」と勘違いする人が増えていた。
  2. 兵庫県西部からの甲子園出場回数が激減していた。
    • そのため80回・90回記念大会の区割りにも影響が出ていた。
    • 明石や加古川北の甲子園出場回数が増えていた可能性もある。
  3. 東邦は夏も甲子園優勝を経験していた。
    • バンビ坂本の知名度は史実上だった。

滝川

  1. 最初から進学に力を入れ、滝川第二高校は開校しなかった。
  2. その結果、兵庫県の高校サッカーの歴史も変わっていた。
    • 大迫半端ないの発言者も滝川高校か、別の高校に進学していた。
  3. 「滝川ルネッサンス」という言葉はなかったかもしれない。
    • 問題の事象にかかわったとされている元生徒の進学先や就職先が発覚することはなかった。
  4. 北海道にあると勘違いされていた。

奈良

天理

  1. 「天理市」が誕生することはなかった。
    • 「八王子市」が「創価市」になるという噂もなかった。
  2. 智弁学園が史実より強豪になり、そのため智弁和歌山はなかったかもしれない。
  3. 沖縄水産は沖縄県勢初の甲子園優勝を達成していた。

智弁学園

  1. 奈良県の高校野球と言えば天理の1強状態だった。
  2. 智弁和歌山はなかったかも。
    • あっても野球部がなかったか、あってもそれほど強くなかった。
  3. 広島東洋カープ中央大学に似たマークが有名にならなかった。
    • シンシナティ・レッズ(MLB)やシカゴ・ベアーズ(NFL)も。

郡山

  1. 全国屈指の私学王国になっていた。

和歌山

智弁和歌山

  1. もし智辯学園和歌山高校に野球部がなかったらと同じ。
  2. 箕島の衰退とともに、和歌山の高校野球レベルは大きく下がっていた。
    • あるいは今での箕島が何度か甲子園に出場したり、市立和歌山などの公立校も強かった。
    • あるいは近大和歌山に野球部が創部し強豪校になっていた。
  3. 「ジョックロック」はなかった。
  4. 県下一の進学校になることもなかった。

箕島

  1. 高校野球史に残る名勝負が1つ減っていた。
    • 松山商-三沢、横浜-PL学園の評価が上がっていた。
  2. 春夏連覇達成校は全て私立高校になっていた。
  3. これと大体同じ。
  4. 桐蔭・向陽が史実より強豪になっていた。
    • 和歌山の桐蔭も強豪校として知られ、大阪桐蔭・桐蔭学園と鎬を削るくらいになっていたかもしれない。
  5. 「箕島」の知名度が現実よりも低くなっていた。
    • JR箕島駅は「有田市」駅に改称されていたかも。
      • 紀伊有田駅は「有田川」駅あたりにでもなっていたか。
        • 有田川町でもないのにそれはない。
  6. 2000年台に合併により校名としても「箕島」がなくなっていた。
    • 「有田○○高校」あたりになっていた。
  7. 栃乃和歌(当初は野球部入りを希望)の入学先が変わっていた。
    • 下手すると力士にもならなかった。
    • むしろもっと早く春日野部屋に入門したかも。

島根

浜田

  1. 和田毅は他の学校に進学していた。
  2. 島根県勢は1989年から2002年まで夏の甲子園で14連敗していたかもしれない。

岡山

倉敷工

  1. 報徳学園が「逆転の報徳」と言われることはなかった。
  2. 駒大苫小牧、中京(現中京大中京)、報徳学園の名勝負が1つずつ減っていた。
  3. 岡山東商、倉敷商が史実より強豪になっていた。

関西

  1. 近畿地方の高校だと思われていた。
  2. 現実以上に「かんさいこうこう」といわれていた。
  3. 斎藤佑樹は2006年の春にも引き分け再試合を経験することはなかった。
    • 引き分け再試合を経験するのは夏の決勝戦のみ。

岡山理大付

  1. 1999年夏の決勝は智弁和歌山対桐生第一となっていた。
  2. 加計学園問題が話題になるまでは、高校野球ファンですら知らない人も多かった。

広島

広陵

  1. 広島商の衰退とともに、広島の高校野球レベルは大きく下がっていた。
  2. 「こうりょう」といえば千葉の拓大紅陵のことだった。
    • または奈良の大和広陵(旧広陵)。
      • 奈良の広陵が大和広陵に改称することはなかったかもしれない。
  3. 1991年春は松商学園が北信越勢37年ぶりの甲子園優勝を達成していた。
  4. 2007年の夏の決勝戦で佐賀北が逆転満塁ホームランを放って優勝することはなかった。
  5. 中村奨成が夏の甲子園の1大会最多ホームランを達成することはなかった。あるいは別の高校で達成していた。

広島商

  1. 史実ほど野球強豪県のイメージは無かった。
  2. 夏の優勝は呉港中のみとなり、広島県は夏に弱いというイメージを確立していた。
  3. 現実ほどには、日本野球にスモールベースボールの理念が浸透しなかった。

山口

宇部商

  1. 「ミラクル宇部商」はなかった。
    • 1985年夏の決勝は東海大甲府対PL学園となっていた。
  2. 中京の木村龍治投手は別の相手との対戦で完全試合を達成していた。
  3. 1980年代以降の山口の高校野球レベルが下がっていた。

下関商

  1. 昭和初期から中期にかけて山口県勢は柳井高校が史実以上に強かった。
  2. ユニフォームは今では変わっていたかもしれない。

徳島

池田

  1. 「やまびこ打線」はなかった。
  2. 徳島商が1980年代も強豪だった。
  3. 2014年現在、夏春連覇達成校は1960年~1961年の法政二が最後だった。
  4. 2010年台に入って合併により別の校名になっていた。

徳島商

  1. 徳島商-魚津の延長18回引き分け再試合はなかった。
    • 板東英二と村椿輝雄は有名にならなかった。
      • 板東は別の高校に進学しても有名になれていたと思う。
  2. 延長引き分け再試合のルールは存在しなかったかもしれない。
    • あるいは板東英二が別の高校に進学して再試合ルールを作るきっかけになっていたか?
      • 史実通り再試合ルールが作られていた場合、第1号は1962年春の作新学院-八幡商になっていた。
  3. 板東英二や川上憲伸らは別の高校に進学していた。
    • 可能性としては板東は鳴門、川上は池田あたりか?
  4. 徳島商はサッカーのイメージだった。
    • あるいは元首相の三木武夫が在籍していた学校として知られていた。
  5. 池田の時代がもう少し長く続いていた。
    • だが初戦敗退を繰り返し、2006年までの県岐阜商のように甲子園で勝てない古豪と呼ばれていた。

鳴門渦潮(旧鳴門工)

  1. 合併して「鳴門渦潮」という校名になってから校名マニアに存在が知られていた。
    • 21世紀枠の候補になっていたかもしれない。
  2. 清峰高校が強豪になることはなかったか、別の学校の練習を見学に行っていた。

鳴門

  1. うずしお打線は鳴門工に名付けられていたかもしれない。
  2. 2010年代の徳島代表は毎年入れ替わるような状況になっていた。
  3. チアリーダーが話題になるようなこともなかった。

香川

高松商

  1. 1960年の春は米子東が鳥取県勢初優勝を果たしていた。
    • 決勝戦での優勝決定サヨナラホームランも生まれなかった。

尽誠学園

  1. 平成に入ってからの香川県勢の戦績は史実以上に悪かった。
  2. 伊良部投手は別の高校に入学していた。
  3. 尽誠学園と言えばソフトテニスのイメージが強かった。

愛媛

宇和島東

  1. 上甲監督が名将になることはなかった。

済美

  1. 女子校のままだった場合と同じ。
  2. 「やればできるは魔法の合言葉」の校歌は世に知られる事はなかった。
    • 校歌マニアの間で話題にはなった。

松山商

  1. 愛媛が野球強豪県になることはなかった。
    • 県勢初優勝は西条が達成していたか。
  2. 土佐、三沢、熊本工は甲子園初優勝を達成していた。
    • 三沢はもちろん東北勢初優勝。
    • 奇跡のバックホームは生まれなかった。
  3. 早稲田実-駒大苫小牧は史上初の決勝戦引き分け再試合になっていた。
  4. 「まつしょう」といえば松商学園のことだった。
  5. 「大正」「昭和」「平成」の3つの元号で優勝した学校は存在しなかった。
  6. 2000年以降は校名から「商業」の看板を外していたかもしれない。
  7. 松山東高校商業科のままだった。
    • 普通科高校と統合⇒分離独立、という軌跡は県立岐阜商業も同様。

高知

明徳義塾

  1. 松井秀喜の5打席連続敬遠はなかった。
    • 松井秀喜の知名度が少し下がっていた。
    • 1994年夏の那覇商-横浜での紀田の全打席敬遠が史実以上に騒がれていた。
  2. 明徳義塾といえば朝青龍や三都主や横峯さくらのイメージだった。
  3. 個別指導塾の「明光義塾」と混同する人が多くなっていた。
  4. 千葉ロッテマリーンズと帽子が似ていることも有名にならなかった。
  5. 高知や高知商の甲子園出場回数が増えていた。
    • 2017年の夏の高知代表は檮原高校だった。

高知

  1. 高知は、昭和時代は土佐と高知商の2強状態となり、平成に入ると史実以上に明徳義塾の1強となっていた。
  2. 高知中学校も中学野球の強豪にならなかったかもしれない。

高知商

  1. 高知は史実以上に私学優勢となっていた。
  2. 1985年の夏の高知代表は伊野商だった。
    • PL学園と再戦していたかもしれない。さすがに今度はPLが勝っていたかもしれないが。
  3. 藤川球児は別の学校に入学して、そこで兄とバッテリーを組んでいたかもしれない。

福岡

小倉

  1. 夏連覇達成校が1つ減っていた。
    • 2005年の駒大苫小牧の夏連覇は「65年ぶり」で戦後初だった。

西日本短大付

  1. 1992年の夏は拓大紅陵が優勝していた。
  2. 新庄剛志は福岡の別の学校に入学していた。

九州国際大付

  1. 2011年の春は日大三が優勝していた。
    • 夏も国体も優勝していたと思われるので、日大三はこの年代で史上2校目の高校野球4冠を達成していた。
  2. 九国と言えば進学校のイメージが史実以上に強かった。

佐賀

佐賀商

  1. 新谷投手は佐賀の別の学校に入学してそこでノーヒットノーランを達成していたかもしれない。
  2. 1994年の夏は樟南が優勝していた。
    • 2007年夏の佐賀北が佐賀県勢として初優勝となっていた。

長崎

清峰

  1. 長崎県勢は甲子園で優勝はおろか決勝にすら進出できていない。
  2. 2006年春の決勝は横浜対PL学園になっていた。
    • 2009年春は花巻東が優勝していた。
  3. 上佐々駅が清峰高校前駅に改名されることはなかった。

熊本

熊本工

  1. 「甲子園の土を持ち帰る」という伝統はなかったか別の学校がきっかけになっていた。
    • 東京高等師範附属中が持ち帰ったのが第1号だった。
  2. 1996年夏は松山商が普通に優勝していた。
    • 奇跡のバックホームはなく、その後2016年に熊本で再戦が行われることもなかった。

済々黌

  1. 県外の人から校名を読んでもらえなかった。
  2. 進学に特化して熊本県下一の進学校になっていた。
  3. 熊本県勢は未だに春夏通じて甲子園での優勝経験がなかったかもしれない。
  4. 2012年の夏に「ルールブックの盲点」が話題になるようなこともなかった。

大分

津久見

  1. 大分県勢は未だに優勝はおろか決勝進出すらなかったかもしれない。

明豊

  1. 大分県勢は21世紀に入ってから弱小県になっていた。
  2. 今宮健太は別の高校に入学していた。

宮崎

延岡学園

  1. 宮崎県勢は未だに甲子園で決勝進出経験がない。
    • 2013年の夏、富山第一は富山県勢初の夏の甲子園ベスト4進出を果たしていた。
  2. 延岡学園と言えばバスケのイメージがかなり強かった。

鹿児島

鹿児島実

  1. 鹿児島県勢は未だに甲子園での優勝経験がなかったかもしれない。
  2. 鹿実と言えばサッカー、駅伝というイメージが強かった。
    • 最近では新体操も。
  3. 鹿児島は樟南や鹿児島商の2強体制に。現在は鹿児島商のポジションに神村学園が入ってこの2校で代表をほぼ独占していた。
    • 独占状態にはなるが、史実以上に大隅地区から甲子園に出場する回数は多かった。

樟南

  1. 1994年の夏、決勝戦での佐賀商の満塁ホームランは生まれなかったかもしれない。
  2. 2005年夏の鹿児島代表は神村学園だった。
    • 鹿児島城西は2000年か2009年のどちらかに甲子園に初出場していた。

沖縄

沖縄尚学

  1. 沖縄県勢初優勝は2010年の興南までなかった。
    • 沖縄水産の時代がもう少し続き、沖縄水産が達成していた可能性も。
  2. 比嘉公也の「同じ学校で選手・監督両方で甲子園優勝」はなかった。

沖縄水産

  1. 栽監督は名将とは呼ばれなかった。
  2. 沖縄の野球熱が現実より低く、未だに野球弱小県として扱われていた可能性もある。

興南

  1. 沖縄県勢は未だに夏の甲子園で優勝できなかった。
  2. 2010年の沖縄代表は糸満高校だった。
    • 宮國椋丞は甲子園の成績次第ではあるがドラフト1巡目で指名されていたかもしれない。

関連項目