もし九州新幹線が○○だったら

2015年3月7日 (土) 10:57時点における>無いですによる版 (→‎博多~熊本: ぶら下げ位置を変更)
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一次開業区間が違っていたら

九州新幹線は2004年に新八代~鹿児島中央が部分開業しましたが、もしこのとき開業したのが別の区間だったら?

博多~熊本

  1. のぞみは1時間に1本熊本まで乗り入れ。
    • ひかりレールスターも1時間に1本熊本まで乗り入れ。博多~熊本間は各駅停車。こだまは基本的に博多打ち切り。
    • 早朝・深夜に限り博多(小倉)~熊本の区間列車を設定。各駅停車で「こだま」(かつての東北新幹線仙台~盛岡間の「あおば」のような状態)。
    • JR九州の新幹線はひかりレールスター専用だけになっていた。
      • 形式名は800系もしくはひかりレールスターと同じく700系になっていた。
    • 熊本駅のホームはのぞみに合わせて16両対応。その他の駅は8両対応。
    • ひのくに号が大打撃。九州新幹線開業時点で運賃値上げや減便は必至だった。
      • いや、バスの方が安く移動できるので新宿~甲府や広島~福山のように鉄道と共存できていた。
    • 博多~熊本にある中間駅は久留米・新大牟田のみになっていた。
  2. 博多~熊本間の有明は廃止されていた。特急つばめは熊本~西鹿児島間の運転になっていた。
    • つばめの熊本駅発車時間はのぞみの熊本到着時間に合わせて設定されていた。
    • 特急が廃止され線路容量に余裕ができるので、博多~熊本間に新快速が設定される。
  3. 八代~川内間の第3セクター化は無かった。
    • この区間でも817系が走っている。
      • この区間は鹿児島車両所(青いCT)の817系で運用。
      • 青いCTの817系はたまに熊本に乗り入れている。
      • 熊本所属の815系と817系は出水まで乗り入れ。
  4. ドリームつばめも残っていた。
  5. 寝台特急なはも残っていた。
  6. 余剰になった787系は783系の置き換えで長崎・佐世保系統(かもめ・みどり)に転用されていた。783系は485系置き換えでにちりん・きりしま系統に転用されていた。
    • かもめは「白いかもめ」と「黒いかもめ」になっていた。
    • 「みどり」用のの787系は愛称に合わせてダークグリーンに塗装変更される。
  7. 工事が打ち切られ鹿児島中央まで開通することはなかった。
    • かわりに鹿児島中央へは四国・幸崎・宮崎経由で四国新幹線と東九州新幹線が出来ていた。
      • 東名阪から鹿児島へは四国周りのほうがルート上有利なため。
      • 建設費や建設にかかる期間などを考慮するとまずありえない。
        • 上記のルートの総延長はなんと500キロ以上(熊本~鹿児島中央間は約160キロ)。
        • さらに途中の豊予トンネルは水深が深いため青函トンネル以上の難工事が確実視されている。
        • その上九州新幹線と四国新幹線・東九州新幹線は法的な位置づけが全く異なる。
        • またJR九州がそのような不自然なルートでの建設を認めるとは思えない。
    • 熊本で工事が打ち切られるのを見越して、現在の新大牟田経由ではなく大牟田駅経由にルートが変更されていた。
      • 大牟田以南は荒尾・玉名の海岸線近くを通り、金峰山の下を潜って熊本市の中心部へ。
        • 新玉名駅ではなく在来線の玉名駅に新幹線が併設されていた。
      • かえってその方が利便性は高くなっていたかも。
  8. 鹿児島は間違いなく衰退していた。

熊本~鹿児島中央

  1. 新八代通過の新幹線が誕生していた。
    • 最速達新幹線は熊本~鹿児島中央間でノンストップ。
  2. 新八代駅にアプローチ線が設けられることはなかった。その代わり熊本駅にアプローチ線が設けられていた。
    • 新八代はただの相対式2面2線のホームになっていた。
    • 熊本駅で現実と同じく「つばめ」と「リレーつばめ」の対面乗換えが実現していた。当然、豊肥本線側からもアプローチ線が設けられ、「九州横断特急」とも乗り継ぎが可能になっていた。
  3. 「有明」は「リレーつばめ」に統合されていた。
  4. 新幹線開業と同時に高架化が部分的ながら完成していた。
  5. きりしま号のリバイバルはなかった。
    • 一次開業時に一旦廃止されていた。

博多~新八代

  1. 「博多~熊本」の場合とほとんど同じ。
  2. 熊本~新八代間のみ利用する客もそれなりにいた。

全線開業

  • 一度に博多から鹿児島中央まで開業していたら?
  1. ひのくに号・桜島号は大幅減便に追い込まれた。
    • きりしま号のリバイバルもなし。
  2. 長崎ルートの計画も変わっていた。
    • 福岡・熊本・鹿児島を結んでいる特急や快速はおそらく廃止されていた。
  3. 開業当初から新大阪~鹿児島中央間の直通列車が運行されていた。
  4. 博多から宮崎市へも鹿児島中央経由が最短ルートになっていた。
    • ゆくゆくは新八代~宮崎間の「宮崎ルート」が具体化する。
      • 2010年までに実現していた場合、東国原英夫氏が祝福に訪れるかも。
  5. 福岡-鹿児島の航空便も廃止に追い込まれていた。
  6. 山陽新幹線の小倉~博多間も編入(=JR九州への割譲)されていた可能性も。
    • この場合新幹線特急料金はどうなっていたのだろう?(もし小倉で分割すると新下関以東~博多間の特急料金が値上げとなる)
    • バーターとして東海道新幹線の京都~新大阪間も編入(=JR西日本への割譲)されていた。但し、実際の運行は新大阪と博多が運行上の境界駅となっていた。

開業時期が異なっていたら

現実では2011年3月に博多~鹿児島中央間が全通した九州新幹線だが、もし開業が現実よりも早かったら・・・

1990年前後に全線開通していたら
  1. 「のぞみ」は九州新幹線開通と同時にデビューしていた。
    • もちろん300系車両も。
  2. 西鹿児島→鹿児島中央の駅名改称もその時に行われている。
  3. 九州新幹線は16両対応で建設されていた。
    • 「のぞみ」のうち1時間に1本が東京~鹿児島中央の直通になっていた。
      • 博多~鹿児島中央の停車駅は久留米(一部)・熊本となっていた。
      • 300系に食堂車が連結されていた。
  4. 寝台特急「はやぶさ」「なは」は九州新幹線開業と同時に廃止されていた。
  5. 愛称は東京直通が「のぞみ」、新大阪・博多~鹿児島中央間運転の速達型が「はやぶさ」、博多~鹿児島中央間各駅停車のタイプが「つばめ」となっていた。
    • 「みずほ」は東北新幹線で使われていた可能性もある。
    • 東海道・山陽・九州新幹線の愛称名は平仮名三文字という決まりがあるので、「はやぶさ」の採用はない。
  6. 1990年3月までに開通していた場合、同年に大阪で開催されていた「国際花と緑の博覧会」に合わせて新大阪~鹿児島中央間に「エキスポはやぶさ」が運転されていた。
  7. 開業時はちょうどバブル景気の真っ最中だったので、特に関西や名古屋あたりから九州への旅行が大ブームとなっていた。
  8. 鹿児島本線八代~川内間の第三セクター移管はなく、新幹線開通後もJR九州が運営していた。
  9. 熊本市が現実よりも早く政令指定都市に昇格していた。
    • 鹿児島市も政令指定都市になっていた可能性がある。
    • あるいは両市共にストロー現象で衰退していた。
  10. 500系車両はJR西日本とJR九州の共同開発となっていた。
  11. 長崎ルートも2010年前後に開通している。
  12. 黒川温泉はもっと早く注目されていた。
  13. 東海道・山陽新幹線と九州新幹線に跨る場合も特急料金は通しで計算されていたため、運賃+料金が現実よりも安くなっている。
    • そのため関西~熊本・鹿児島間では現実よりも新幹線のシェアが高くなり、名古屋や東京からでも新幹線を利用する人がある程度はいるようになっていた。

並行在来線が全線JRから経営分離されていたら

2004年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業に伴い八代~川内間がJRから経営分離された鹿児島本線ですが、もし九州新幹線との並行部分がすべてJRから経営分離されていたら・・・

全般
  1. 鹿児島本線は門司港~博多間と鹿児島中央~鹿児島間に分断されていた。
    • 鹿児島中央~鹿児島間は日豊本線に編入されていた可能性もある。
博多~八代間
  1. 博多~熊本間は新規の第3セクター鉄道を設立して運営するか西鉄が経営を引き受けていた。
  2. 博多~熊本間がJRとは別会社となるため、新幹線に対抗して運賃だけで乗れる快速電車を運行していた。
    • 新幹線より時間はかかるものの、運賃・料金が安いのでこちらを利用する客もある程度いる。
    • 福岡~熊本間高速バス「ひのくに」が打撃を受けていた。
    • 大牟田や荒尾・玉名の各市から博多へは新幹線より在来線の方が利便性は高くなっている。
      • その結果、九州新幹線の熊本以北は現実より利用が低迷していた。
  3. 熊本~八代間は八代以南と同じく肥薩おれんじ鉄道が運営。
    • 三角線も同時に転換されていた。
  4. 長崎本線・佐世保線直通の特急は鳥栖駅から別会社に乗入れて博多駅に向かう形をとっていた。
    • 久大本線直通の特急は久留米駅から(ry
    • 新鳥栖や久留米で新幹線と乗り継ぎする乗客が増えている。
  5. 新八代〜八代間で別料金を徴収されるので肥薩線利用者から大ブーイング。
  6. 上のことを考えると少なくとも熊本までは経営分離したらJR九州にとっても乗客にとっても大きな痛手になっていた。
川内~鹿児島中央間
  1. 肥薩おれんじ鉄道は電車を使用していた
  2. 川内以北から鹿児島中央に直通する列車も現実よりは多かった。