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{{地域|name=備中|reg=中国地方|pref=岡山|ruby=ひつちゆう|eng=Bitchu}}
==飛鳥時代==
==備中地方の噂==
===継体天皇(第26代)===
{{備中}}
#武烈天皇が嗣子無くして崩御し天皇家断絶の危機に応神天皇の血をひくものとして越の国から天皇に祭り上げられる。
#鍬。(教科書では『四つ目』)
#*そもそも天皇家の血をひいていなかったのではという説があるが血縁があったとしても前代とはかなり離れているので実質新王朝。
#なんというか、広島。
#**そんなことで「天皇家は万世一系」とか言うと引き合いに出される人。あ、そういう議論はChakuwikiではなしでよろしく。
#*意味不明。
#*なかなか大和地方に入れず、周辺であちこち遷都している。根強い反対派も居たらしい。
#**西に行くほど広島との繋がりも濃くなる。
#ここから天皇家の系譜がはっきりし始める。
#***厳密に言うと「西に行くほど広島の備後東部エリア、というか福山市との繋がりが濃くなる。」。尾道以西になると、さすがに井原・笠岡からでも遠すぎて繋がりが薄い。ちなみに新見市だと、旧東城町エリアとの繋がりは多少あるけど、それより西の旧・庄原市エリアや三次市との繋がりは薄い。
#*少なくとも現在の皇室が継体天皇の血を引いているのはほぼ確実。
<!--#媚中とも言う。美男と媚北(ビナンとビホク)からできている。-->
#歴代天皇で唯一の地方出身者(越の国)
#備南と備北に大まかに分かれる。
#遠く離れた場所にいる人と会話ができたらしい。
#*ちなみに[[広島/備後|備後]]北部も備北という。
#**しかし[[岡山/備前|備前]]北部を備北ということはない。そこは[[岡山/美作|美作]]という別の地域となっているため。
#[[岡山市]]もちょい含まれる。
#北部は倉敷や笠岡方面とのつき合いが悪いので、[[中国・四国のナンバープレート#倉敷ナンバー|倉敷ナンバー]]はボツとなった。
#玉島~笠岡の間の2号線や山陽線の谷の部分は14世紀頃は明の大船も余裕で航行できる海峡だったらしい。


===安閑天皇(第27代)===
==主な市の噂==
#欽明天皇と両朝並立し内乱となったという説がある。
*[[倉敷市]]
*[[総社市]]
*[[高梁市]]
*[[新見市]]
*[[笠岡市]]
==都窪郡の噂==
#都宇郡+窪屋郡。早島町は旧都宇郡なので、旧窪屋郡域は全滅している。
===早島町の噂===
#岡山県南部の「[[モナコ|モナコ王国]]」的存在。昔の「い草長者」や「早島I.C.」のおかげで超裕福な町。税金安いし施設も立派。
#*だから倉敷市や岡山市との合併なんて論外。
#**でもどこかと合併しないと実はちょっとやばい。
#*でも最近ちとヤバ目で住民負担が増えつつある。町のサイトに広告をつけて少しでも稼ごうとしている。
#*あの状態だと、合併するなら倉敷か岡山に限定される。
#*住民は岡山に向いていても行政は倉敷に向いている。
#'''渋滞時は早島インターからでも倉敷市街に行けます。'''
#*2号線近くならむしろ早島インターが便利
#実は昔、島だった。干拓によって内陸となった。
#*だから「早'''島'''」…。
#昔は戸川と言う氏族の領地だったらしく、記念館が町内にある。
#*江戸時代に旗本・戸川氏の領地で、早島知行処と呼ばれた。
#町議会議員が万引きで逮捕された。(ノД`)とほほ…
#1889年の町村制施行後、合併で消滅せずに存続している数少ない自治体。
#*村から町に変わってはいる。
#現在は岡山市と倉敷市に挟まれてポツンと存在しているが、1970年代までは倉敷市、都窪郡庄村・吉備町・妹尾町・茶屋町、児島郡興除村と隣接していた。


===宣化天皇(第28代)===
==加賀郡の噂==
#安閑天皇の跡を継いだが、引き続き欽明朝と争い、ついに敗れたのではないかと言われる。
#郡名に違和感を感じるのは[[石川/加賀#加賀市の噂|北陸人]]だけではあるまい。
#*むしろ町名に違和感を感じる。
#*御津郡加茂川町の「加」と上房郡賀陽町の「賀」を合わせて加賀郡だなんて・・・そんなんでいいのか?
#*つうか、郡名って勝手に決めてええんかい!
#*加賀国にも加賀郡は無かった。全国に5つほどしかない平成生まれの郡の一つ。


===欽明天皇(第29代)===
===吉備中央町の噂===
#継体天皇の子で、以降の天皇は皆、彼の子孫。
#町名のネーミングが…。しかもわざわざ郡まで合併する必要はあったのかと…。
#子沢山で、子供たちは皆、兄妹(姉弟)で結婚している。ものすごい近親婚・・・
#*しかも、合成郡名…。全く無意味なことしてくれたもんだ…。
#横走りとジャンプが得意だったらしい。
#*群合併は備中と備前がほぼ半々になるから、住民感情を意識してのものかと。無意味ではない。合成郡名は勘弁だけど・・・
#*ドンとやったり、どこまでもやったり、金曜日にやったり・・・。
#旧賀陽町と同じ名前の賀陽郡が明治時代に実際に存在したものの、旧賀陽町が合併及び加賀郡発足前は上房郡(江戸時代までは賀陽郡の一部だったが)に属していたのに対し、明治の郡制後の賀陽郡は吉備郡となった。旧吉備郡で旧賀陽町域に属するのはほんのごく一部。しかも、旧賀陽町役場があった(現在はちょうど吉備中央町役場になっている)のは江戸時代に旧賀陽郡から上房郡として分離した方の所だ。{{long article L}}
#*御津郡は備前、上房郡は備中、町役場の位置(旧賀陽町)を優先してこっちに入れましたが、結局どっちとも言えない。
#**備中と備前に跨っているって点が倉敷の水島地区そっくり
#**ちなみに岡山県の行政区分では備前県民局エリア。
#賀陽と加茂川で警察の管轄が高梁と御津(岡山市)に分かれていたが、警察再編で吉備中央全域を管内に含んだのは[[岡山市/北区#御津|御津]]の方だった。
#*ちなみに、御津の警察は「岡山北署」
#**でも、やっぱり岡山市よりも高梁との方が繋がりが濃い気が…。
#岡山県が吉備高原都市という無駄な開発を行わなかったら、賀陽町は高梁市と合併していただろう。
#忘れてはいけない国立の職業医療リハビリセンターの存在。
====賀陽====
#「かよう」という響きの割に、役場のある竹荘辺りとICや道の駅のある大和辺りとの間に距離感があるような・・
#賀陽ICにあるBSから高速バスで岡山市内に直行できる。
#*だが本数が少ないしBSのある所が集落から結構遠いので、使っている人いるのだろうか?


===敏達天皇(第30代)===
====加茂川====
#初の女帝となる推古天皇の夫。
#加茂川という川は確かに旧町内を流れているが、旧町を代表する川は宇甘川。
#*異母兄妹(姉弟?)での結婚・・・
#*歴史的に見れば「加茂」を名乗る権利は大いにあっただろうが、[[津山市#加茂|既にあった美作の町]]に遠慮したのだろうか?
#橘氏のご先祖様。
#1000年近く続くお祭り「加茂大祭」がある。
#*橘氏の実質的な祖は県犬養三千代という女性だが、敏達天皇の曾孫(玄孫説もあり)・美努王の妻となりその間に生まれた葛城王と佐為王によって母が与えられた橘姓は継承された。故に橘氏は敏達天皇の男系の子孫にあたる。
#「吉備高原のびのび小学校」、「吉備高原希望中学校」という名の学校(私立)がある。
#*「源平藤橘」のうち神別(天津神・国津神の子孫)は「藤」だけで、残りの3つは皇別(天皇の男系の子孫)である。


===用明天皇(第31代)===
==浅口市の噂==
#日本のスーパーヒーロー聖徳太子の父。
#市北部・遥照山西方の阿部山は、かつて安倍晴明が居住していた事がある。
#エフエムゆめウェーブ というコミュニティFM局がある。
#*送信所はNHKや民放の笠岡中継局がある笠岡市の塚の丸山山頂のため、かなり広範囲に聞くことが出来るが、岡山市ではレディオMOMOと混信する。
#国立天文台岡山天体物理観測所がある。
#*市北部の遥照山の山上にある。
#**正確には遙照山の隣、「竹林寺山」にある。
#お笑いタレント「春一番」の出身地。
#麦の茎ストローの時代から現在まで日本一のストローの産地である。
#遙照山からの景色が良い。視界が良ければ倉敷・岡山市内一帯だけでなく、対岸にある[[高松市|高松]]のシンボルタワー、宇多津の[[香川/西讃#ゴールドタワー|ゴールドタワー]]、四国山地も見える。


===崇峻天皇(第32代)===
===鴨方===
#蘇我氏によって射殺された(←歴史の教科書に書いてある)天皇。天皇が臣下に殺されるなんて前代未聞。後にも先にも崇峻天皇のみ。
#鴨方そうめんが有名。
#*ところがこの記述は日本書紀のみ。古事記はスルー。どうなってんのか?
#*手延うどんも有名。ほかにもいろいろな手延べ麺を生産していて、製麺所の多く、その密度は全国有数。
#**古事記の記述は推古天皇までで、最後のほうは時代が近いせいかけっこう手抜きな文章が多いから……それに武烈天皇スルーでも見られるように、あまり不名誉なことは述べないようにしているっぽい。たぶん政治的な隠蔽というより、文学的な言い落としだろうと思うけど。
#*麺まつりかなんかやってなかった?
#*各地の都市が市制100周年を迎えた関係で地方博覧会が乱立した1990年に、ここも町(当時)なのに「めん博かもがた」なる博覧会を開催している。
#**内容は山梨の「ほうとう」などの各地の麺料理を集めたいわばフードコートで、町の開催としては結構頑張ったものだったが、何故か多くの入場者は普通のラーメンに群がっていた。
#小麦の特産地で、粉から鴨方うどん、茎からストローを作っていた。物を無駄にしないエコロジー文化。
#人口が最も多く市役所もある。
#国立の天文台があったはず。


===推古天皇(第33代)===
===金光===
#東洋初の女帝。武則天よりかなり早い。
*金光駅の噂は[[岡山の駅#金光駅の噂|岡山の駅]]を参照。
#かなり美人だったらしい。
#「金光教」の本部のある、宗教都市。
#*夫の敏達天皇が崩御した後、喪に服していると、異母兄弟の穴穂部皇子にレイプされそうになった。推古天皇がこの時すでに30過ぎ(今のオバサーとは全然違います)だったことを考えると、相当な色香があったとしか。
#*旧金光町地区ですが。
#**穴穂部がレイプしようとしたのは、政治的な理由が大きかったと見られているが、彼女を味方につけようとするだけなら他の方法もあったはず。
#*金光教の祭典があるときには団体専用列車(通称:金光臨)で、日本全国から信者がやってくる。
#**穴穂部って名前からエロいから仕方ない
#**JR金光駅のホームが多いのはそのため。
#聖徳太子の傀儡だの蘇我馬子の傀儡だのいろいろ言われてきたが、実は相当にしたたかな政治力を持っていたらしい。
#**こんな田舎にJTB直営の営業所があるのはそのため。
#*即位前から、キングメーカーみたいな暗躍をしていた形跡がある。用明天皇、崇峻天皇などは彼女の掌の上で転がされていた雰囲気。
#**[[鉄道ファン|鉄]]も金光など沿線の駅や撮影スポットなどにやってくる。
#聖徳太子を皇太子として立てていたが、推古天皇が元気で長生きしているうちに、聖徳太子が先に没してしまう。
#**でかい貸切バスも各地から多数やってくる。
#*推古天皇の享年は76歳。当時としては驚くべき長命。
#*金光市の方が全国へのアピールにはよかったんですが。
#*この生命力の旺盛さだけ見ても、芯の強い堂々たる政治家であったことが伺われる。
#**[[天理市]]の所為で変に有名になってしまった天理教の二の舞を避けて、あまり目立たなくいこうとしたみたい(というか天理市だって天理教側は嫌がった)
#**全国でも市町村名が宗教名に由来するのは天理市とここだけ。企業名に由来するものとしては[[豊田市]]がある。
#*「宗教都市」はいいすぎ。ただの門前町。金光教は江戸後期に神道から派生。だから門前町で支障ない(ただし町中心部の一部のみ)。


===舒明天皇(第34代)===
===寄島===
#パパとママは異母兄妹。
#寄島町アッケシソウがある、アッケシソウを守る会の人たちが世話をしている
#蘇我蝦夷によって立てられた蘇我氏の血が入っていない天皇。
#*確か、本州で唯一の群生地。
#*その息子の入鹿は舒明天皇の長男を天皇にしようとしたが、その理由は父とは逆で蘇我氏の血が入っているから。
#瀬戸内海の漁港町。
#「舒」の字の左側は「舎」ではない。
#*[[貝#牡蠣|牡蠣]]の直売所がある。殻付き10kgで4400円は安い。
#二男は天智天皇、三男は天武天皇。先述の長男は結局天皇になれずじまい。
#農業用の干拓地が造成されたが、多目的に転換されたため、新見のカエルの会社が進出している。
#三ッ島とかいう三連島がある。
#*[[女子伝/日本#神功皇后|神功皇后]]の所縁の地らしい。なんでも三韓征伐の際に立ち寄ったとか。
#*干潮時にはひとつに繋がる。
#花火大会を毎年やっている。
#*会場が広い公園なので、寝転がって見てても良いらしい。


===皇極天皇(第35代)===
==浅口郡の噂==
#舒明天皇の妻。ただし以前に結婚歴があり。その時の子が漢皇子=天武天皇という説がある。
#浅口郡は元々、現在の倉敷市西阿知から笠岡市西大島までの27村があった。
#乙巳の変では眼前で蘇我入鹿の首が飛び、そのショックにより日本初の譲位。
#旧寄島町は1876年に寄島村となって以降、大島村柴木地区の編入しかしていない。
#*厳密には(少なくとも記録に残っている上では)継体天皇(26代)が史上初の譲位を行っている。第一皇子の勾大兄皇子(安閑天皇)に譲位し、その日の内に崩御した。ただ、譲位した日と崩御した日が同日であるため後世のように上皇として院政を執ったわけでもないので、あまり認識はされていない。
#鴨方町と六条院町が合併した際、金光町も合併に誘われていた。{{Wikipedia L}}
#実は即位してないとか言われることもある。


==大化の改新~奈良時代==
===里庄町の噂===
===孝徳天皇(第36代)===
#物理学者の仁科芳雄の故郷。
#乙巳の変の首謀者中大兄皇子に担ぎ出されて即位。
#浅口市に入らなかった。
#*近年、孝徳天皇首謀者説もある。
#*そりゃ、金持ってるもん、笠岡とも嫌!
#しかし中大兄皇子と対立し、難波宮に置き去りにされるガッデム。
#県南では有名な仁科百貨店の発祥の地。
#*しかも奥さんまでついて行ってしまう。まあ、中大兄皇子と兄妹相姦の仲だったらしいから仕方ないか・・・。
#1905年まで新庄村が存在していた。
#かつて「八ちゃん」のブランドで知られていた横山製麺工場があった。
#*ここの麺はフリーズドライ製法で作られているため、色が白いのが特徴だった。
#*主に中四国で流通していたが、大阪でもここの製品を買うことができた。


===斉明天皇(第37代)===
==井原市の噂==
#皇極天皇が重祚。重祚後の方が事歴が多い。阿倍比羅夫に命じて蝦夷と樺太の征討、有間皇子謀反、百済救援など。
*[[中国地方の寺院#嫁いらず観音院|嫁いらず観音院]]
#木之子町(きのこ町)が存在し、「きのこ中学校出身です」というと、ネタだと思って相手にしてもらえない。住民は変な名前だということに気づいていない。
#2000年に井原鉄道ができたが、赤字。常に1両編成で、たまに運転士と二人きりに。切符は車内で買います。
#*1999年(平成11年)1月11日午前11時11分に始発列車が走り出したと思います。
#*どうせ1並びにしたいのなら、11月11日午前11時11分にすればよかったのにと思うのは俺だけか?
#*2010年度は第三セクター鉄道としては珍しく黒字に転じたものの、収益は沿線自治体からの補助金頼み。
#美星町や芳井町と合併する際、県内の他の同規模の市が新設合併を選ぶ中、珍しく編入合併した。
#*編入合併は岡山市、倉敷市、津山市、井原市だけ。他は全て新設合併。
#「いはら」と言われる度に激怒。
#*「いばら」と読みます。
#*'''いはら'''は前の[[岩国市]]長。
#**いや、アジアの壁でしょ?フツーは。
#広島の人は[[広島市/安佐北区|こっち]]と勘違いする
#*井原にはない「井原市(いばらいち)駅」があるから。
#ジーンズが名産だがイマイチ陰が薄い
#*近場に有名な[[倉敷市#児島|児島]]があるため?
#*井原は昔からジーンズに限らず、繊維産業が盛ん。
#実質「福山市井原」。岡山県という意識が薄い。
#*たしかに実質福山。だけど、岡山県という意識が薄い→それはない。というより福山が広島県という意識が薄い気が。
#最近の男性の生涯未婚率の上昇はここの大江町(おおえちょう)にある[[中国地方の寺院#嫁いらず観音院|観音様]]のせいと言われている。
#だいたい旧後月郡。
===芳井===
#千鳥のノブの故郷。
#*しかし、結局はその芳井の存在が北木島のカゲに隠れてしまう…。
#特産品はゴボウ。どっちの料理ショーにも取り上げられた。幻の一品らしいが真偽は不明。
#*このゴボウを使った『銘菓 ごぼう羊羹』なるものが存在する。
#よく[[岡山/備前#吉井|こちらの吉井町]]と間違われる。ツチノコを見つけても賞金は出せません。


===天智天皇(第38代)===
===美星===
#中大兄皇子の名前のほうが有名かも。
#合併して生まれ育った町は消滅したが、住所表記は「井原市美星町・・・」名前だけは残り微妙な心境。
#*皇子時代はサッカー好き。[[カマタマーレ讃岐|カマタマーレ]]がお気に入りチーム。
#光害防止条例で話題になった。
#蘇我蝦夷・入鹿父子を誅殺し、蘇我氏に奪われていた実権を皇室に奪還した。
#*県南都市部から比較的容易にアクセス出来るため天文ファンの観測地となっている。最近は天文雑誌に投稿される天体写真の撮影地としてメジャーになってきた。
#*ただし蘇我氏をすっかり亡ぼしたというわけではない。ここ要注意。
#*南東方向は岡山・倉敷、南西方向は福山の影響があり光害皆無ではない。
#**蘇我倉山田石川麻呂という、蝦夷・入鹿とは別系統の蘇我の有力者と結んで本家を倒しただけ。
#*条例施行前、昭和50年代頃は町営グラウンドで行われるナイター草野球のためすさまじい光害だった。
#***もっとも、この倉山田石川麻呂も、のちに難癖をつけて攻め殺されている。
#**当時私は中学生でしたが照明の消える午後9~10時以降活動していました。
#**政治の表舞台からは消えたが、蘇我氏の繁栄はもう少し続きます。
#*ちなみに名前だけはきれいだが、「美山」と「星田」の合成地名。天文云々は当然後付け。
#***例えば、蘇我氏の血を引いている女性しか「皇后」になれない、という暗黙の規則は、のちに光明皇后(藤原氏出身)に破られるまでは確固たるものだった。
#美星の子供は美星小学校・美星中学校と9年間同じメンバーで過ごし転校生も殆どいない純粋培養。中学卒業とともに矢掛・井原・成羽等の高校へ進学し、そこでカルチャーショックを受ける。このショックの受け止め方次第で人生の大まかな軌道が決定する。
#*イルカを殺したので、反捕鯨団体から大顰蹙を買った。
#*美星で雪が降っていても高校に着くと雨に変わっている。クラスで話が合わない。
#*この事件を「乙巳の変」といいます
#美星小学校校歌2番に「窓をあければ瀬戸の海~~」とあるが実際には海なんてまず見えない。すごく天気がいい日に先生が「海が見える」と校内放送した。みんなで高学年棟の2階から見てみると遥か彼方にかすかに見えた。感動した。
#大化の改新を始める。
#*美星小学校では名札のことを「めいかん」という。
#*「大化」は日本史上はじめての元号。
#**それは美星小に限ったことではないが・・・
#なかなか天皇になろうとしなかった。
#*美星小学校の体育館にあるモナリザの絵、手の重なり方が反対になったとか、表情が変わったとか、いろいろ心霊現象を見たと騒ぐ者が続出した。昭和50年頃の話。
#*蝦夷・入鹿を倒した時点で、母・皇極天皇は退位し、中大兄皇子に譲位するという話があったが、実際に即位したのは皇極天皇の弟の軽皇子(孝徳天皇)。
#*校歌の「明日の郷土をにないます~」という部分もなんだか・・若者の多くは町外へ出て行き、学校の教えを守っていない。
#*その後孝徳天皇と中大兄の意見が食い違うようになり、中大兄は皇族や文武百官を引き連れて出て行き、孝徳天皇は難波京に置き去りにされ、憤死。
#*ほとんどの児童はバス通学のため小学校にバスターミナルがある。
#*今度こそ中大兄が即位するかと思ったら、母の皇極上皇が重祚して斉明天皇となる。ちなみに天皇の重祚はこれが本邦初。
#**バスは1号車、2号車、3号車、と5号車。4が無いのは縁起が悪いからか?
#*斉明天皇が崩御した後も、7年くらい即位せずに皇太子のまま統治を続ける。だからこの7年間、日本に天皇は不在。
#**大倉・東水砂方面は井笠バスを利用。これを4号車という者もいた。
#**この不在期間中の年を、「天智称制●年」と年号風に呼ぶこともある。あ、称制ってわからなければ検索してね。
#**徒歩通学とバスの境目は確か3キロ。私はギリギリ徒歩圏内。おかげで足腰は丈夫になった。
#*天皇になると、儀式などで忙しく、皇太子のままで実権をふるっていたほうが何かと自由でやりやすかったらしい。地位よりも権力を欲した人だったと思われる。
#*でも基本的にはいい歌だよ。つらいときはいつも口ずさんでいる。美星っ子でよかった。
#最近の新説・大化の改新は軽皇子(孝徳天皇)黒幕説だと、英傑成分が軽皇子ないし大海人皇子に持って行かれ、彼ら野心家たちに振り回された可愛そうな人という解釈になる。
#*隣り合っているとはいえ、井原との合併は住民として違和感あり。井原は福山圏だけど、美星は矢掛とともに倉敷との繋がりが強い。大倉敷市・大福山市が実現したら倉敷市へ割譲希望?
#*白村江の戦いの後、古代山城を作りまくったり、[[大津市|大津]]なんて浮いた場所に都を移して引きこもった事を考えると、こうした解釈も一理あると思う。
#小倉百人一首にもその名を連ねる歌人でもあった。
#*1番目の歌の作者。暗唱できる人も多いはず。
#★毎年6月10日、関西地方ではニュースの時間で、この人の名前が聞かれる。
#度々言うが、このころ母違いのきょうだいが結婚するのは禁忌でなく、むしろ奨励されていた。しかし、天智天皇は同父同母の妹、間人皇女と契ったため、変態扱いされている。一方で、姉の娘である間人皇女を妃にした孝徳天皇は、誰からも反対されていない。しきたりというものは、それが何故あるのかわからないことが多いものである。


===弘文天皇(第39代)===
==小田郡の噂==
#天智天皇の長男・大友皇子。
===矢掛町の噂===
#*即位したのかどうかわからず、諡号も無かったが、明治になってから「弘文」とおくりなされた。
#「やがけ」ではなく「やかげ」。
#大津の宮で父・天智天皇の政治改革を継承していたが、意見を異にする叔父・大海人皇子(天武天皇)に攻め殺される。世に言う壬申の乱。
#*「やかげ」ではなく「やかけ」じゃなかった?
#*弘文天皇が大海人を殺そうとしたので逆襲されたと言われていたが、怪しい。
#**「やかげ」でまちがいありません。
#**弘文側はほとんど戦争準備をした形跡がなく、大海人の一方的な不意打ちだった可能性が高い。
#美星町との合併を蹴ったらしい。
#この人が壬申の乱に勝利していたら、[[滋賀|滋賀県]]が日本の首都になっていたことだろう。
#*逆です。町民アンケートでは「美星と合併」がトップだったが、美星は井原市との合併を望んだのが真相。拒んだのは井原との合併。(by地元民)
#町は健在だが、警察署は井原に統合された。
#中国地方なのに九州GGCと言う名の会社のもやし工場がある


===天武天皇(第40代)===
[[Category:岡山]]
#天智天皇の弟。
[[Category:宗教とかかわりの深い地域]]
#*実は天智天皇より年上だったという噂もある。
#**ついでに父が違う、あるいはまったく血縁外など異説多数。継体天皇以降で生年不祥なのはこの天皇のみであるため。
#甥の大友皇子(弘文天皇)を攻め殺して即位。
#*大津の宮を破棄し、飛鳥に遷都して、天智→弘文の路線をほとんど全否定。
#**例えば、[[唐]]と断交し、親[[新羅]]政策を採った。
#***'''アノ国のアノ法則'''が発動したのか、天武天皇の子孫はやがて絶え、皇位は天智天皇系に戻る。
#「古事記」「日本書紀」の編纂を命じたらしい。
#*どちらも天武天皇の生前には完成しなかった。
#*ちなみに、「日本書紀」は世界にもほとんど例を見ないほど誠実な歴史書と言える。
#**「一書に曰く」と注記された異説や別エピソードがおびただしく挿入されている。編纂された当初からこんな形で各論併記しているような史書は他にはまず見られない。天皇家を正当化する為の政治文書だとか捏造史だとか言っているセンセイがたには、まずこのことの重みを充分に考えて貰いたい。
#**裴松之註のついた「三国志」の影響であるような気がする。
#「天皇」という称号を使い始めたのはこの人からだったという噂もある。
#乙巳の変ではまるで名前が出てこない。いつの間に有力者となったのか不明。
 
===持統天皇(第41代)===
#天智天皇の娘で、天武天皇の奥さん。
#*父や弟を敢然と見捨て、夫に従った。
#**……とされているが、なんだか天武天皇のほうが彼女にひっぱられていたように思えるのは私だけだろうか?
#日本の8人の女帝の中でも、いちばん有能だった。
#*「女帝というのは皇位の中継ぎ役で、実力者の傀儡に過ぎなかった」と言い切っているセンセイがたでも、持統天皇だけは力量を認めていることが多い。
#皇太子だった一粒種の息子・草壁皇子が若死にしてしまったので、自分が即位。
#*草壁の遺児・軽皇子(文武天皇)はまだ幼少で、即位できない。他の妃が産んだ男子は即位させたくない。仕方なくみずから乗り出す。
#*当初から自分の意思で即位した女帝は持統天皇だけかも。
#*こうした変則的な状況を正当化するために、記紀が捏造したのが神功皇后という説がある。ちょうど編集時期が被るし。
#*連載が20年以上におよぶ名作漫画「天上の虹」の主人公。
 
===文武天皇(第42代)===
#初めて藤原氏の娘(宮子)を夫人とした。ただし皇后ではない。
#実は女系天皇らしい。
 
===元明天皇(第43代)===
#天武天皇・持統天皇の息子だった草壁皇子の奥さん。
#*でもご本人は天智天皇の娘、つまり持統天皇の妹。ややこしいぞ。
#息子の文武天皇が若死にし、その遺児・首皇子(聖武天皇)はまだ幼少なので、自分が即位。
#*実は首皇子に皇位を廻したくなかったから、という真逆な説もある。
#**首皇子の母親は藤原氏出身(藤原不比等の娘・宮子)。持統天皇や元明天皇は蘇我氏系なので、藤原氏系に皇位を渡したくなかった。
#**そこで、状況の変化を待つべく元明天皇が即位したというわけ。
 
===元正天皇(第44代)===
#元明天皇の娘。
#*弟・文武天皇の子である首皇子(聖武天皇)がそろそろ成年に達しそうなのに、母・元明天皇はそれを待たずに娘に譲位した。首皇子に皇位を廻したくなかった説の根拠。
#絶世の美女だったらしい。
#長屋王は義弟。
#*蘇我氏系の最後のふんばりで、藤原氏の攻勢に抵抗し続けたが、呪詛をおこなったという罪状で攻め殺される。
#**現代で言う女系の女性天皇。しかし、「父方の祖父は天武天皇だから、その資格で即位できたのであり、単に母親が天皇であるだけでは即位できない」という主張がある。
 
===聖武天皇(第45代)===
#勇ましい諡号だが、本人はややノイローゼ気味の線の細い人だったらしい。
#*正倉院宝物の聖武天皇筆の書跡は、線が細く女性的な字なのがそれを裏付けていると思う。
#悪疫の流行や九州での謀反などのプレッシャーに耐えかね、奈良を逃げ出してあちこちに遷都。
#*実際には遷都と言っても、いちいち首都を造営したわけではない。宮殿を造っただけだが、それでも結構な物入りで、ひんしゅくを買う。
#大仏を創建。
#*実は仏教に公然と帰依した天皇はこの人が最初。
#**その意味ではキリスト教を国教化したローマのコンスタンティヌス帝に相当する。
#*勝手に出家して娘(孝謙天皇)に譲位し、周囲をあわてさせたらしい。
#**その意味では勝手に出家しては連れ戻されるのを繰り返した梁の武帝に相当する。
#奥さんは光明皇后。
#*初の藤原氏出身の皇后。以後、藤原氏の繁栄が約束される。
#*雄渾な筆跡で書いた「楽毅論」が正倉院に収められている。聖武天皇と反対で、男性的で勇ましい人だったのだろう。
#「法皇」と称される初の天皇と言われることがある。
 
===孝謙天皇(称徳天皇)(第46・48代)===
#聖武天皇と光明皇后の娘。
#日本史上、天皇になった女性は8人居るが、皇太子になった女性は後にも先にもこの人だけ。
#*もと聖武天皇の皇太子だった弟の基王が早死に。もうひとりの皇子である安積親王は藤原氏の血を引いていないので忌避される。で、空前絶後の「皇太女」誕生となった。
#*愛子さまが二人目になるか? 現時点では微妙なところ。
#実はけっこう有能な人だった。
#*遠縁の淳仁天皇に一旦譲位するが、言うことを聞かないので激怒、策謀をめぐらせて皇位を取り戻してしまう。
#**日本史上二人目の重祚。自分の意思で皇位を奪回したのはこの人だけ。
#*淳仁天皇と組んでいた権臣・恵美押勝(藤原仲麻呂)が乱を起こすが、あっさりと鎮圧する。
#**実権者のクーデターをこれほど鮮やかに鎮圧した天皇も他にはほとんど居ない。
#*日本で初めて荘園を整理しようとしたのは、もっと評価されていいと思う。
#僧・弓削道鏡を寵愛。
#*巨根の怪僧みたいに思われているが、実際にはマジメな学僧だったらしい。孝謙天皇の病気の治癒祈祷に招かれたところから、信頼され政治顧問のような存在になった。
#**里中満智子のマンガ(『女帝の手記』)なんかはそのラインで描いてるね。怪僧のイメージがあったから素朴な坊さんでびっくり。
#*称徳天皇は道鏡に皇位を譲ろうとしたが、これはさすがに無理だった。
#**和気清麻呂が宇佐八幡宮に神託を聞きに行って「不可」だったというが、神託を受けるまでもなくほとんどの人は反対だったろう。
#**しかしこの騒動に懲りたのか、女帝は称徳天皇を最後にぷっつりと途絶え、次は江戸時代の明正天皇まで出てこなくなる。
 
===淳仁天皇(第47代)===
#藤原仲麻呂を重用して孝謙・道鏡ラインと対立、前代未聞の皇位剥奪により淡路に流された。人呼んで廃帝、または淡路廃帝。
#*皇位についたこと自体「なし」にされた。皇位が認められたのは明治になってから。明治天皇より淳仁の諡号が贈られる。
 
===光仁天皇(第49代)===
#なんと65歳で即位。称徳・道鏡時の混乱を収めて息子・桓武天皇に渡す。
#皇位が天武系から天智系に戻るきっかけとなった天皇。この時より、傍系から天皇になると諡号・追号に「光」がつくことが多くなる。
 
==関連項目==
*[[飛鳥時代]]
*[[奈良時代]]
[[Category:バカ人物志/日本|てんのうあすかなら]]

2018年7月7日 (土) 10:42時点における版

備中地方の噂

鳥  取 新庄


新  見
高  梁 吉備
中央

  総 社
矢掛


早島
里庄
瀬 戸 内 海
  1. 鍬。(教科書では『四つ目』)
  2. なんというか、広島。
    • 意味不明。
      • 西に行くほど広島との繋がりも濃くなる。
        • 厳密に言うと「西に行くほど広島の備後東部エリア、というか福山市との繋がりが濃くなる。」。尾道以西になると、さすがに井原・笠岡からでも遠すぎて繋がりが薄い。ちなみに新見市だと、旧東城町エリアとの繋がりは多少あるけど、それより西の旧・庄原市エリアや三次市との繋がりは薄い。
  3. 備南と備北に大まかに分かれる。
    • ちなみに備後北部も備北という。
      • しかし備前北部を備北ということはない。そこは美作という別の地域となっているため。
  4. 岡山市もちょい含まれる。
  5. 北部は倉敷や笠岡方面とのつき合いが悪いので、倉敷ナンバーはボツとなった。
  6. 玉島~笠岡の間の2号線や山陽線の谷の部分は14世紀頃は明の大船も余裕で航行できる海峡だったらしい。

主な市の噂

都窪郡の噂

  1. 都宇郡+窪屋郡。早島町は旧都宇郡なので、旧窪屋郡域は全滅している。

早島町の噂

  1. 岡山県南部の「モナコ王国」的存在。昔の「い草長者」や「早島I.C.」のおかげで超裕福な町。税金安いし施設も立派。
    • だから倉敷市や岡山市との合併なんて論外。
      • でもどこかと合併しないと実はちょっとやばい。
    • でも最近ちとヤバ目で住民負担が増えつつある。町のサイトに広告をつけて少しでも稼ごうとしている。
    • あの状態だと、合併するなら倉敷か岡山に限定される。
    • 住民は岡山に向いていても行政は倉敷に向いている。
  2. 渋滞時は早島インターからでも倉敷市街に行けます。
    • 2号線近くならむしろ早島インターが便利
  3. 実は昔、島だった。干拓によって内陸となった。
    • だから「早」…。
  4. 昔は戸川と言う氏族の領地だったらしく、記念館が町内にある。
    • 江戸時代に旗本・戸川氏の領地で、早島知行処と呼ばれた。
  5. 町議会議員が万引きで逮捕された。(ノД`)とほほ…
  6. 1889年の町村制施行後、合併で消滅せずに存続している数少ない自治体。
    • 村から町に変わってはいる。
  7. 現在は岡山市と倉敷市に挟まれてポツンと存在しているが、1970年代までは倉敷市、都窪郡庄村・吉備町・妹尾町・茶屋町、児島郡興除村と隣接していた。

加賀郡の噂

  1. 郡名に違和感を感じるのは北陸人だけではあるまい。
    • むしろ町名に違和感を感じる。
    • 御津郡加茂川町の「加」と上房郡賀陽町の「賀」を合わせて加賀郡だなんて・・・そんなんでいいのか?
    • つうか、郡名って勝手に決めてええんかい!
    • 加賀国にも加賀郡は無かった。全国に5つほどしかない平成生まれの郡の一つ。

吉備中央町の噂

  1. 町名のネーミングが…。しかもわざわざ郡まで合併する必要はあったのかと…。
    • しかも、合成郡名…。全く無意味なことしてくれたもんだ…。
    • 群合併は備中と備前がほぼ半々になるから、住民感情を意識してのものかと。無意味ではない。合成郡名は勘弁だけど・・・
  2. 旧賀陽町と同じ名前の賀陽郡が明治時代に実際に存在したものの、旧賀陽町が合併及び加賀郡発足前は上房郡(江戸時代までは賀陽郡の一部だったが)に属していたのに対し、明治の郡制後の賀陽郡は吉備郡となった。旧吉備郡で旧賀陽町域に属するのはほんのごく一部。しかも、旧賀陽町役場があった(現在はちょうど吉備中央町役場になっている)のは江戸時代に旧賀陽郡から上房郡として分離した方の所だ。テンプレート:long article L
    • 御津郡は備前、上房郡は備中、町役場の位置(旧賀陽町)を優先してこっちに入れましたが、結局どっちとも言えない。
      • 備中と備前に跨っているって点が倉敷の水島地区そっくり
      • ちなみに岡山県の行政区分では備前県民局エリア。
  3. 賀陽と加茂川で警察の管轄が高梁と御津(岡山市)に分かれていたが、警察再編で吉備中央全域を管内に含んだのは御津の方だった。
    • ちなみに、御津の警察は「岡山北署」
      • でも、やっぱり岡山市よりも高梁との方が繋がりが濃い気が…。
  4. 岡山県が吉備高原都市という無駄な開発を行わなかったら、賀陽町は高梁市と合併していただろう。
  5. 忘れてはいけない国立の職業医療リハビリセンターの存在。

賀陽

  1. 「かよう」という響きの割に、役場のある竹荘辺りとICや道の駅のある大和辺りとの間に距離感があるような・・
  2. 賀陽ICにあるBSから高速バスで岡山市内に直行できる。
    • だが本数が少ないしBSのある所が集落から結構遠いので、使っている人いるのだろうか?

加茂川

  1. 加茂川という川は確かに旧町内を流れているが、旧町を代表する川は宇甘川。
    • 歴史的に見れば「加茂」を名乗る権利は大いにあっただろうが、既にあった美作の町に遠慮したのだろうか?
  2. 1000年近く続くお祭り「加茂大祭」がある。
  3. 「吉備高原のびのび小学校」、「吉備高原希望中学校」という名の学校(私立)がある。

浅口市の噂

  1. 市北部・遥照山西方の阿部山は、かつて安倍晴明が居住していた事がある。
  2. エフエムゆめウェーブ というコミュニティFM局がある。
    • 送信所はNHKや民放の笠岡中継局がある笠岡市の塚の丸山山頂のため、かなり広範囲に聞くことが出来るが、岡山市ではレディオMOMOと混信する。
  3. 国立天文台岡山天体物理観測所がある。
    • 市北部の遥照山の山上にある。
      • 正確には遙照山の隣、「竹林寺山」にある。
  4. お笑いタレント「春一番」の出身地。
  5. 麦の茎ストローの時代から現在まで日本一のストローの産地である。
  6. 遙照山からの景色が良い。視界が良ければ倉敷・岡山市内一帯だけでなく、対岸にある高松のシンボルタワー、宇多津のゴールドタワー、四国山地も見える。

鴨方

  1. 鴨方そうめんが有名。
    • 手延うどんも有名。ほかにもいろいろな手延べ麺を生産していて、製麺所の多く、その密度は全国有数。
    • 麺まつりかなんかやってなかった?
    • 各地の都市が市制100周年を迎えた関係で地方博覧会が乱立した1990年に、ここも町(当時)なのに「めん博かもがた」なる博覧会を開催している。
      • 内容は山梨の「ほうとう」などの各地の麺料理を集めたいわばフードコートで、町の開催としては結構頑張ったものだったが、何故か多くの入場者は普通のラーメンに群がっていた。
  2. 小麦の特産地で、粉から鴨方うどん、茎からストローを作っていた。物を無駄にしないエコロジー文化。
  3. 人口が最も多く市役所もある。
  4. 国立の天文台があったはず。

金光

  1. 「金光教」の本部のある、宗教都市。
    • 旧金光町地区ですが。
    • 金光教の祭典があるときには団体専用列車(通称:金光臨)で、日本全国から信者がやってくる。
      • JR金光駅のホームが多いのはそのため。
      • こんな田舎にJTB直営の営業所があるのはそのため。
      • も金光など沿線の駅や撮影スポットなどにやってくる。
      • でかい貸切バスも各地から多数やってくる。
    • 金光市の方が全国へのアピールにはよかったんですが。
      • 天理市の所為で変に有名になってしまった天理教の二の舞を避けて、あまり目立たなくいこうとしたみたい(というか天理市だって天理教側は嫌がった)
      • 全国でも市町村名が宗教名に由来するのは天理市とここだけ。企業名に由来するものとしては豊田市がある。
    • 「宗教都市」はいいすぎ。ただの門前町。金光教は江戸後期に神道から派生。だから門前町で支障ない(ただし町中心部の一部のみ)。

寄島

  1. 寄島町アッケシソウがある、アッケシソウを守る会の人たちが世話をしている
    • 確か、本州で唯一の群生地。
  2. 瀬戸内海の漁港町。
    • 牡蠣の直売所がある。殻付き10kgで4400円は安い。
  3. 農業用の干拓地が造成されたが、多目的に転換されたため、新見のカエルの会社が進出している。
  4. 三ッ島とかいう三連島がある。
    • 神功皇后の所縁の地らしい。なんでも三韓征伐の際に立ち寄ったとか。
    • 干潮時にはひとつに繋がる。
  5. 花火大会を毎年やっている。
    • 会場が広い公園なので、寝転がって見てても良いらしい。

浅口郡の噂

  1. 浅口郡は元々、現在の倉敷市西阿知から笠岡市西大島までの27村があった。
  2. 旧寄島町は1876年に寄島村となって以降、大島村柴木地区の編入しかしていない。
  3. 鴨方町と六条院町が合併した際、金光町も合併に誘われていた。テンプレート:Wikipedia L

里庄町の噂

  1. 物理学者の仁科芳雄の故郷。
  2. 浅口市に入らなかった。
    • そりゃ、金持ってるもん、笠岡とも嫌!
  3. 県南では有名な仁科百貨店の発祥の地。
  4. 1905年まで新庄村が存在していた。
  5. かつて「八ちゃん」のブランドで知られていた横山製麺工場があった。
    • ここの麺はフリーズドライ製法で作られているため、色が白いのが特徴だった。
    • 主に中四国で流通していたが、大阪でもここの製品を買うことができた。

井原市の噂

  1. 木之子町(きのこ町)が存在し、「きのこ中学校出身です」というと、ネタだと思って相手にしてもらえない。住民は変な名前だということに気づいていない。
  2. 2000年に井原鉄道ができたが、赤字。常に1両編成で、たまに運転士と二人きりに。切符は車内で買います。
    • 1999年(平成11年)1月11日午前11時11分に始発列車が走り出したと思います。
    • どうせ1並びにしたいのなら、11月11日午前11時11分にすればよかったのにと思うのは俺だけか?
    • 2010年度は第三セクター鉄道としては珍しく黒字に転じたものの、収益は沿線自治体からの補助金頼み。
  3. 美星町や芳井町と合併する際、県内の他の同規模の市が新設合併を選ぶ中、珍しく編入合併した。
    • 編入合併は岡山市、倉敷市、津山市、井原市だけ。他は全て新設合併。
  4. 「いはら」と言われる度に激怒。
    • 「いばら」と読みます。
    • いはらは前の岩国市長。
      • いや、アジアの壁でしょ?フツーは。
  5. 広島の人はこっちと勘違いする
    • 井原にはない「井原市(いばらいち)駅」があるから。
  6. ジーンズが名産だがイマイチ陰が薄い
    • 近場に有名な児島があるため?
    • 井原は昔からジーンズに限らず、繊維産業が盛ん。
  7. 実質「福山市井原」。岡山県という意識が薄い。
    • たしかに実質福山。だけど、岡山県という意識が薄い→それはない。というより福山が広島県という意識が薄い気が。
  8. 最近の男性の生涯未婚率の上昇はここの大江町(おおえちょう)にある観音様のせいと言われている。
  9. だいたい旧後月郡。

芳井

  1. 千鳥のノブの故郷。
    • しかし、結局はその芳井の存在が北木島のカゲに隠れてしまう…。
  2. 特産品はゴボウ。どっちの料理ショーにも取り上げられた。幻の一品らしいが真偽は不明。
    • このゴボウを使った『銘菓 ごぼう羊羹』なるものが存在する。
  3. よくこちらの吉井町と間違われる。ツチノコを見つけても賞金は出せません。

美星

  1. 合併して生まれ育った町は消滅したが、住所表記は「井原市美星町・・・」名前だけは残り微妙な心境。
  2. 光害防止条例で話題になった。
    • 県南都市部から比較的容易にアクセス出来るため天文ファンの観測地となっている。最近は天文雑誌に投稿される天体写真の撮影地としてメジャーになってきた。
    • 南東方向は岡山・倉敷、南西方向は福山の影響があり光害皆無ではない。
    • 条例施行前、昭和50年代頃は町営グラウンドで行われるナイター草野球のためすさまじい光害だった。
      • 当時私は中学生でしたが照明の消える午後9~10時以降活動していました。
    • ちなみに名前だけはきれいだが、「美山」と「星田」の合成地名。天文云々は当然後付け。
  3. 美星の子供は美星小学校・美星中学校と9年間同じメンバーで過ごし転校生も殆どいない純粋培養。中学卒業とともに矢掛・井原・成羽等の高校へ進学し、そこでカルチャーショックを受ける。このショックの受け止め方次第で人生の大まかな軌道が決定する。
    • 美星で雪が降っていても高校に着くと雨に変わっている。クラスで話が合わない。
  4. 美星小学校校歌2番に「窓をあければ瀬戸の海~~」とあるが実際には海なんてまず見えない。すごく天気がいい日に先生が「海が見える」と校内放送した。みんなで高学年棟の2階から見てみると遥か彼方にかすかに見えた。感動した。
    • 美星小学校では名札のことを「めいかん」という。
      • それは美星小に限ったことではないが・・・
    • 美星小学校の体育館にあるモナリザの絵、手の重なり方が反対になったとか、表情が変わったとか、いろいろ心霊現象を見たと騒ぐ者が続出した。昭和50年頃の話。
    • 校歌の「明日の郷土をにないます~」という部分もなんだか・・若者の多くは町外へ出て行き、学校の教えを守っていない。
    • ほとんどの児童はバス通学のため小学校にバスターミナルがある。
      • バスは1号車、2号車、3号車、と5号車。4が無いのは縁起が悪いからか?
      • 大倉・東水砂方面は井笠バスを利用。これを4号車という者もいた。
      • 徒歩通学とバスの境目は確か3キロ。私はギリギリ徒歩圏内。おかげで足腰は丈夫になった。
    • でも基本的にはいい歌だよ。つらいときはいつも口ずさんでいる。美星っ子でよかった。
    • 隣り合っているとはいえ、井原との合併は住民として違和感あり。井原は福山圏だけど、美星は矢掛とともに倉敷との繋がりが強い。大倉敷市・大福山市が実現したら倉敷市へ割譲希望?

小田郡の噂

矢掛町の噂

  1. 「やがけ」ではなく「やかげ」。
    • 「やかげ」ではなく「やかけ」じゃなかった?
      • 「やかげ」でまちがいありません。
  2. 美星町との合併を蹴ったらしい。
    • 逆です。町民アンケートでは「美星と合併」がトップだったが、美星は井原市との合併を望んだのが真相。拒んだのは井原との合併。(by地元民)
  3. 町は健在だが、警察署は井原に統合された。
  4. 中国地方なのに九州GGCと言う名の会社のもやし工場がある