ページ「もし日本が太平洋戦争で勝っていたら/日本が支配する戦後世界篇」と「もしあの鉄道車両がもっと長く使われていたら」の間の差分

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#今頃イラクで日本軍グダグダ。
*新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
#*さすがに中東までは行ってないだろう…。
#**いや、インド洋から英国を追い出して日本の勢力圏にしてるだろうし、石油確保の必要もあるから、中東派兵はするでしょうね。
#*むしろフセインも親日だったから和解ですんだでしょう。
#**それには「アメリカの敵だった」っていう前提があるから……ここの場合だと仏教徒の中東侵略とか言って日本に反発してそう。
#*イスラエルは恐らく極東に建国されて、パレスチナ問題も史実のようにはなっていないだろうし、親日国と親独国に共産主義国家が入り乱れて、中東情勢は全く違ったものになっていただろう。
#中国は超親日(=傀儡国家)の「中華民国」に。
#*毛沢東は中華民国最大野党党首としてそれなりに活躍。
#*当然満州国はそれとは別の独立国。
#**満州国は、日本並みに戦争が最強になってる。
#*初代大統領は汪兆銘。首都は南京。
#**北京は北平として、南京・上海に次ぐ中国第三の都市に。
#**(北平は北京のままだろ、日本軍の占領によって一時的とは言え北京の名称が復活した訳だし)
#**って、汪兆銘は1944年に亡くなっているんですけど……
#***汪兆銘を首班とする政府の成立(っても認めたの枢軸国だけだけど)は1940年です。
#*大躍進政策や文化大革命がなかったため、中国は現実よりも発展。
#**1960年代~70年代には高度経済成長期に入り、1972年に南京オリンピック、1975年に上海万博が開催されている。
#***むしろメキシコみたいな立ち位置になり、南京オリンピックは1968年に、上海万博は1974年に、北京冬季オリンピックは1976年に開催されている。
#****ただし、現実のメキシコより発展しており、1970年代中にGDPが日本を抜いて世界最大の経済大国になっていた。
#*チベット、ウイグル、内モンゴルはそれぞれ独立を達成。
#**モンゴルは資本主義国家として内外統一される。
#*無論、2003年のSARS流行や2020年のコロナウイルス流行もなかった。
#世界の公用語が日本語に。国連での使用言語も日本語。西米や北露では日本語が義務教育に。
#*「新星」日本語学校が世界中にチェーン展開される。日本人フリーターは、海外旅行中に講師のバイトで旅費を稼ぎ、たまに生徒をつまみ食いする。
#*アメリカのメジャーリーグでも「Strike」「Out」を「よし」「だめ」に変更。
#**太平洋戦争に勝ったら海軍の発言力が強くなるから、海軍英語だらけになっている気もする。
#*英語のことを日本語ではフランス語やドイツ語のように「イギリス語」若しくは「英吉利語」と表記するようになり、ブリテン島の南のほうでしか話されなくなる超ローカルな方言となる。インドやオーストラリアのような国々に於いても英語は全く使われなくなる。
#**インドでは英語に変わってロシア語が使われるんじゃない?
#*外国の学生は助詞などの使い分けに苦労する。
#アジアの長兄と言い張り朝鮮系日本人が大陸人を迫害している。
#*さらに白色人種や有色人種も迫害し日本政府に怒られる。
#**「日本政府に怒られる」ではなく、「日本政府が(迫害された被害者から)怒られる(日本のイメージが低下する)」が正解では。朝鮮は日本(朝鮮の人も日本人という事に)の一部になっているのだから。
#***総督府を置いて「指導」している立場だから「日本政府が怒る」でいいと思う。もっとも、この時点で台湾総督府はもう廃止されているだろうけど。
#***ところでこの話って、確か実際にあった筈なんだけど。朝鮮系日本人(当時)と中国人が朝鮮地域か中国のどこかでいさかいを生じ、集団で双方殺しあったとか。
#****朝鮮半島。下関条約で日本に独立させてもらった直後から朝鮮人による中華系の虐殺が起こった。
#相変わらず欧米からJapanと呼ばれても平気。
#*でもJap(ジャップ)と言われたら相手をジュードーで投げ飛ばすかカラテで殴り倒す、と言われている。
#**Japと言った者に対し、日本人はいかなる傷害を加えても無罪放免である。
#**逆に日本人がアメリカ人を「アメ公」とか「ヤンキー」と言っても不問。
#***しかし現在は「ヤンキー」は日本の不良の代名詞に。
#***西洋人に対する蔑称は「毛唐」だろう。
#*英語で我が国の事を表記するのはJapanからNihonへと変更され、Japanは死語になる。むろん、インターネット上の奴も.jpなどではなく、.日本となる。
#**ド、ドメインが…
#***ドメインはむしろ世界一と言う名の特権で.comとなり、アメリカが.co.usになると思う。
#****.comは .商 だと思う。.net は .網、.org は.慈
#**正式名称ならNipponになるんじゃ?というか日本語が公用語になるなら「日本」になるはず。
#**あるいはGreat Japanese Empire=GJEかな。
#*nipは死罪。
#パラオに独立してもらおうとして、やめてくれと懇願される。
#*独立したら、やっぱり親日国だと思う。
#国際連盟と東亜連盟が合併・統合。旧コミンテルン参加国もお情けで加入を認める。
#国連では日本はもちろん常任理事国。アメリカや中国が「私たちも入れてください。お願いします日本様」と懇願してくるが、拒否権行使で即却下。
#*でもなぜかイギリスもちゃっかり常任理事国。他にはドイツ、イタリア、タイ、トルコ。
#**トルコは少し微妙かも…。
#***オーストラリアだと英連邦がかぶるし、スペインはドイツとイタリアが嫌がるだろうし……ってとこで親日中立のトルコかなーと。(書いた人)
#***あ、フィンランドがあったか。
#***ポルトガルもありますね。
#**それだったらもうとっくに現実の日本も常任理事国なんですけど・・・
#**ともかく常任理事国は日本・満州・タイ・ドイツ・イタリアに。
#***常任理事国は、日本・ドイツ・スペイン・タイ・インド、って所でしょう?!
#***むしろ日本・ドイツ・イタリア・満州・中華民国(汪兆銘政権の後継)になっていた。
#*アメリカなどの敗戦国は結局冷戦崩壊までには殆ど加盟できていると思う。
#どんな辺鄙な国にも吉野家が出店。各国固有の食文化を破壊すると一部から批判が。マクドナルドやケンタッキーは米国内のみでチェーン展開中。
#*インドでは宗教的理由により「世界の山ちゃん」が。
#**吉野家も「豚丼屋」としてインドに進出。日本でも販売開始。
#***イスラム教徒も多いので「鳥丼屋」もしくは「野菜丼屋」になると思う。野菜丼は「安くてヘルシー」と日本でも人気メニューに。
#**その吉野家を皮肉った著書『牛丼屋が世界を食べ尽す』(後に社会派ドラマ『牛丼の帝国』として映画化)が出版され、ドキュメンタリー映画『特盛下さい!~1ヶ月間1日3食吉野家生活~』が公開され話題となる。
#***「ビックマック指数」ならぬ「牛丼特盛指数」がある。
#*あと、回転寿司屋も。コンビニはファミリーマートが世界を席巻。
#**ポプラが後に続く。
#**日本名「家屋」に改称。yeah!ではない。
#***「家族屋」じゃないの?
#*世界の大きな駅のほとんどに立ち食いそば屋が出店。
#*どこの国に行っても平野水とひやしあめの看板がある。
#*ケンタッキーフライドチキンは1985年に1号店が大阪にオープンし、以降日本でもチェーン展開。
#**むしろ赤福餅がアメリカに進出。
#***日本国内で製造日偽装が発覚した際、アメリカ支店は忠実に守っていたことが判明。「本店が創業の精神を忘れるとは何ごとか!」と大いに反省する。
#*モスは日本発祥のハンバーガーショップだから・・・
#**名称「苔」で全世界チェーン展開。(綴りが違うのは気のせい)
#***そこのマスコットキャラがニコニコでネタにされる。
#**ドーナツ屋の代わりに、店内で食べる和菓子店(当然持ち帰りも可能)『まんじゅう紳士』や『新鮮餡まんじゅう店』がチェーン展開され、お店で手作りの出来立ての和菓子とお替りし放題のお抹茶が評判となる。
#*あと、コカ・コーラやペプシ・コーラなどは、米国内においてのみ飲まれるローカルな清涼飲料水となる。その代わり、伊藤園のお~いお茶などは、世界的に愛用される清涼飲料水として発展する。
#**しかし緑茶なのに甘い。
#**「三ツ矢サイダー」と「キリンレモン」も早くから世界展開される。
#**なぜか「ドクターペッパー」は日本でも展開されている。
#**「大和ラムネ」はどうですかね?
#*おタバコは、世界的に「峰」や「わかば」が吸われるようになり、今のように訳の分からん英字が記載されている奴は自然と廃れてくる。
#**「峰」は昭和46年発売、「わかば」は昭和41年発売。何れも史実の戦後文化の中で生まれた銘柄。
#**日本の長寿銘柄は「ゴールデンバット」(明治39年国内発売)、「ピース」(初代は大正9年発売。現在のそれは2代目・昭和21年発売)。和名タバコでは最古が「しんせい」(昭和24年)なので、基本的に日本ではタバコは最初から横文字だった。
#**このタバコの例に代表される通り、明治維新後の日本は基本的に脱亜入欧で、戦争に負けるまでもなく横文字は日本社会に氾濫していた。
#***教えてくれてありがとう。私はタバコは吸わないしタバコにも詳しくはないけど、吸ってる輩を見ると「お前、峰を吸え!」などといってからかってるから、「峰」と「わかば」以外は知らない。
#**戦中は「ゴールデンバット」敵性語として「金鵄」変わってたぞ。
#*吉野家とすき家が史実のマクドナルドとバーガーキングのような立場になる。
#戦火の傷跡が殆ど無いスペインでマドリード万博開催。丹下健三設計の大日本帝国館とアルペルト・シュペーア設計のドイツ第三帝国館が道一つ挟んで対峙し、注目を集める。
#超重爆撃機「富嶽」の一部機体が民生転用(武装撤去・大改修)され民間旅客機「ふじさん」「ほくさい」に。半官半民で起業された旅客会社「汎日本航空」の太平洋航路で運行利用される。
#*東京駅の正面に巨大な本社ビル(通称「PANJAP」ビル)を建造し、「都市景観を破壊した」「歴史的建造物を覆い隠してしまった」と総スカンを食う。
#**更には略称「PAN''JAP''」であることから余計に総スカンを食らい、遂には航空会社の名前そのものを旧称の「[[wikipedia:ja:大日本航空|大日本航空]]」に戻すハメに。
#***「汎亞細亞航空(略称・PANAS)」と「[[日本航空]]」のどちらかに名前を変更するのもありかも。
#*同社はスーパー・ボウルのメインスポンサーにもなり、優勝授与では毎回、英語の下手な社長がスピーチ。
#**世界の公用語が日本語になっているのだから英語が下手だろうが日本語でスピーチするんじゃないの?
#***現実の日本は戦争に負けても英語が公用語にはなりませんでしたが、何か
#****現実の日本語は国連の公用語になってないからダメ
#**規制緩和政策で破綻したかも・・・? (現実の[[パンアメリカン航空|パンナム]]みたいに)
#***その場合現在は生命保険会社の本社ビルとなっているか丸の内再開発計画で取り壊されていたか。
#*その後ジェットエンジン化され退役。
#東側世界では日本の皇紀が標準の暦になるので2000年問題は起きない。
#*代わりに皇紀2700年問題が急浮上。
#**リアルな話、安田生命が1970年代にコンピュータを導入した際、西暦下二ケタで処理すると早々、2000年に1900年と誤動作すんじゃねって技術者が気づいて本当に皇紀でシステム組んでいる。しかも、マイナス下二ケタ処理できるようにしたことで2140年まで日付リセットされないようにしたらしい。日本人変態だろ…
#**西側が騒いでいるのを横目で見ながら40年かけて対策をとることにした。
#*我が国における皇紀が、事実上の世界共通の暦となる。現在使われている西暦は、ごく一部のキリスト教の聖職者や宗教学者らにおいてのみしか通用しなくなり、キリスト教徒がマジョリティを占める国においても、ふだんは皇紀を用いるようになる。
#*そんな東側では毎日千代田区の皇居に向けて最敬礼。
#*テンノウヘイカバンザイ(英吉利人)
#*皇紀だけでなく元号も国内では日常的に使用。海外でも日本の元号が使われている。日本国内では皇紀と元号の併用が当たり前。
#半導体はシリコンではなくゲルマニウムが主流。
#*トランジスタに相当する物は史実のベル研究所ではなく(敗戦国なので握りつぶされる)、当時同様の研究をしてたNHKの発明とされている。
#**さらに、名前も漢字で和風なものに。(例えば鉱石増幅器とか)
#フィート・ポンド法は英国以外では殆ど全滅している。
#*その代わり、我が国古来から用いられている尺貫法が、事実上世界共通の度量衡となり、メートル法も廃れる。
#東南アジアの国々は日本の衛星国家となり、資本主義国家として発展していく。
#*国内総生産が社会主義のヨーロッパの国々を追い越してしまう。
#*インドネシアはスマトラ・ジャワなどに分裂されている。
#**ベトナムは分断されずにベトナム共和国として独立していた。
#**そのためアジアは安定していたはず・・・
#*難民がやはり現れるが現実と違って主にヨーロッパから来ている。
#**「彼らには[[ナチスドイツ|ナチス]]のせいで国が無い」として難民を受け入れる。
#赤い星や鎌と鎚の紋章を公的な場所で使うことは禁忌とされるようになる。
#*特に[[ロシア]]では「ウラー」という言葉を使うことも禁忌となり、「ウラジミール」や「ヨシフ」といった男性名も全くといっていいほど使われなくなる。
#**「えいえいおー」が世界的な掛け声に。
#今頃なら国際問題にウルトラマンティガのTPC(地球平和連合)のような組織が対応してるはず。
#我が国に於ける通貨である円が、事実上世界どこでも通用するハード・カレンシーとなり、米ドルなどは米国内でしか使えなくなり、カナダなどに於いても通用しなくなる。
#*当然、円の紙幣や硬貨に記載されている言語は日本語のみである。米ドルなど他の国の通貨は、上(表)に日本語が記載され、下(ウラ)にその国々の諸言語が併記して記載されるようになる。
#*UKポンド、民国元も強いんじゃないかと思う。円の占める立場は「キーカレンシー」。
#**(民国元=現実の台湾ドル。英略号にするとNC$('''N'''ew '''C'''hinese '''$''')。
#*旧西側のキーカレンシーは当然ライヒスマルク。だが第三帝国崩壊後のドイツマルクは力を落とし気味。
#日本軍を中核に[[wikipedia:ja:地球防衛軍|地球防衛軍]]が成立し、奈良の山麓に統合参謀本部が設置される。
#*それに伴い国防省の内局として地球防衛庁が新設される。
#ナチスに滅ぼされた[[ソビエト]]の残党が北極に作った基地に逃げ延び、そこでソビエト連邦の復活を謀っているという噂が幾度となく流れる。
#*スターリンはインドに亡命して21世紀まで存命したという話もオカルト雑誌などで度々取り上げられる。
#*月に逃げたソビエトの残党が地球を侵略しに来るという内容の映画も製作されていた。
#未だに拷問があり、特高もある。
#*大学紛争・摂理やポルポト一派は特高によって壊滅している。
#**新興宗教も目をつけられてる。オウムや統一教会なんかどうなっていたか…
#*クー・クルックス・クランも西米では特高の捜査を受けて壊滅。
#*当初は肉体的な拷問による尋問が主だったが、人道的な問題から代わりにプロファイリング等科学的捜査が導入されるようになり、何時しか凶悪犯罪捜査のプロフェッショナルとして知られる事に。
#「東宝」「ジブリ」「ハリウッド」が世界の映画業界を寡占。
#*「京アニ」は?
#京都アニメーションがディズニーと並ぶアニメ制作会社になる。
#*京アニランドが千葉の舞浜に(ry
#**米西海岸にも(ry
#**むしろ京都市に(ry
#*数年遅れて東映が「東映米國映画村」をロサンゼルス近郊に開園。
#マーベルは少年ジャンプ,DCはマガジンのような立場になる。
#*アベンジャーズはルフィや悟空など,ジャスティスリーグは仮面ライダー,ジョーなどが実写化される。
#*(アメイジング北斗の拳),(シビルウォー:モンキー・D・ルフィ),(ラオウ),(シティハンター:GUNMAN),(ドクターストーンレンジ)などが公開された。
#*最近では(銀魂)がR15指定を受けて話題を呼んだ。
#*(インフィニティ―・ウォー)、(エンドゲーム)に出てくるラスボスはやっぱりフリーザだった。
#*今後は(デーモンスレイヤーズ),(キンニクマン2),(キャプテン・タカオ),(ファンタスティック・ボーボボ),(マイティ・リョーツ)などが公開される模様だった。
#*大人向けに(GHOUL-MEN),(ゴールデン・オブ・カムイ),(ワンパンマン)もあった。
#ロシアで『スターリン ~最後の12日間~』が上映。“呪われた男”スターリンを“人間”として描かれた事で「ロシアは遂にタブーを破った!」と全世界激震!
#*「私もやっておくべきだった!ユダヤ人迫害を、ヒトラーのように!」
#**それがニコ動でいじられたりしている。
#***そのニコ動が「イギリスの動画サイト」のものなので、ジョーク動画が史実の日本より内容が濃い且つブラックな方向の内容へ。
#***スターリン「boob, rub! rub!(おっぱい、もみもみ!)」
#*そして2012年にロシア人小説家によって『帰ってきたスターリン』という小説が発表され、大きな反響を呼ぶ。2015年には映画化もされた。
#西米で、ロサンゼルス空襲のさなかを生きた兄妹を描いたアニメ映画『The grave of the firefly』が公開され、多くの西米国民の涙を誘う大ヒットとなった。
#*「マリア、それはキャンデーじゃない……マーブル(ビー玉)だ……」
#*兄弟が疎開するのはロングビーチあたり。
#**ネット上で妹が死んだのは兄のせいかロングビーチのおばさんのせいか議論になる。
#鳩山由紀夫が首相になって、「日本は核兵器を最初に行使した国として、核兵器を廃絶する責任がある」と言ったりするのだろうか?
#*その代わりにオバマ大統領が長らく続いた共和党政治とそれによる構造改革とその弊害に終わりをつけるのだろうか??
#上記のほかに第二次大戦を描いた映画といえば、西米ではグラマンF6Fヘルキャットの開発者や技術者・パイロット達を描いた『Hellcat burning』『Frying Gunman』や学徒出陣するアメリカの若者を描いた『Listen; the voice of Jesus Christ』が公開され、日本では一式陸攻(四発)に搭乗する若き航空兵たちの青春を描いた『或る陸攻乗りの青春』が製作され全世界配給された。
#*TVドラマでは、日本国内では『三田軍曹の戦い』(TBS)が平均視聴率30%以上を叩き出す人気番組となり、対して西米では戦犯となったニューヨークの下町の理髪店主を描いた『I want to become the shellfish』(NBC)が高視聴率となり、全西米のお茶の間に感動の涙を誘った。
#「TAXi」は一応製作されるが敵役の車は基本的にベンツやフィアットなどの旧"西側"国家だけ。三菱なんかもってのほか。
#*「TAXi NY」が製作されないがその代わり「TAXI Tokyo」が製作される。
#**主役のタクシーはスープラのエンジンを搭載したクラウンコンフォート。それが首都高などを爆走する。
#**日産車の場合=GT-Rのエンジンを搭載したセドリックセダンorクルー。
#**GTOの6G72をぶち込んだギャランでは?
#ロシア人「スターリンはロシア人ではなくてグルジア人だ!」<BR>グルジア人「スターリンはグルジア人ではなくてロシア人だ!」
#*グルジア人「ついでに、トルストイはロシア人じゃなくグルジア人だからな!」
#*ベリヤにいたっては、グルジアでは存在自体無かったことにされている。
#ロシアでは南北統一後の経済政策の行き詰まりから、新共産主義(ネオ・コミュニズム、略称「ネオコム」)が台頭して治安が悪化する。
#*「ネオ・ボルシェビキ」じゃなくて?
#*但し、構成しているのはユダヤ人やチェチェン人、黒人、アジア系等非ロシア系が殆ど。
#多分シンガポールと香港は保有国がイギリスから日本に移っただけで後は史実とあまり変わらない。
#ディストピアの代名詞が浦沢直樹の「20世紀少年」。ジョージ・オーウェルの「1984年」は読まれるものの、1984年を境に次々と飽きられて今では読者が殆どいない。
#*有名ミュージシャンや作家等は必ずといっていいほど、「20世紀少年」における“ともだち”の下りを引用したり題材にしたりする。
#**平沢進は「Big Brother」ではなく「ともだち」を作曲していた。
#スペインではフランス、ポルトガル、モロッコの自治区に置いているが、独立をめぐってしょっちゅう暴動が起き、ガルディア・シヴィルは対処に頭を悩ませる事に。
#戦勝国でありながら戦後教育は天皇崇拝位しか口を出さない日本だが、アニメやゲーム面でどうも日本の美化や強豪化が多くなってしまい(その方が国内外問わず売れるのもある)、敗戦国右翼は「サブカルチャーで洗脳されている」とぼやく。
#2chの「名無しさん」が世界中の著作権法や検閲などに反発しサイバー攻撃や突発オフなどで報復。
#*表に出るときは「カオナシ(@千と千尋の神隠し)<!--ふさわしいお面があったらさしかえてください-->」の覆面をかぶる。
#**そこは「能面」を推します。
#世界的鉄道車両メーカーと言ったら川崎重工業。それに東急車輛製造とシーメンスが続く。
#イギリスでは英教組の教師が国歌斉唱の時に起立しないことが問題になっていた。
#アウシュビッツではなくコルィマ鉱山が世界遺産になっている。
#シベリアか極東ロシアに第二の満州国を建国する。
#*ロマノフ家を元首に担ぐ。
#*しかし実権を握るのは日本人官僚。
#*アメリカが敗北しているため、反対する勢力があまりないので満州国の時と違いスムーズに建国される。
#*シベリア鉄道が第二の満鉄になっている。
#**特急列車の名前は「ぼすとーく号」。
#ハイウッドでは「大統領のいない八月」という元大尉が寝台列車を乗っ取る映画が作られる。
#満州国の康徳帝の一代記を描いた「ファーストエンペラー」という映画が作られ大ヒットする。
#「裏切り者」の代名詞が「ホー・チ・ミン」になり、日本でも「放置民」の漢字があてがわれて悪口の代名詞になる。
#*ホー・チ・ミン「放置民、ただいま参りました!」<BR>ソ連軍高官「で、あんたの名前は?」
#「領土不拡大の原則」は無かったことになるので、いずれどこかの国が日独と同じノリで勢力圏拡張に乗り出し、第三次世界大戦が始まる。
#NHKが世界展開し、海外向けにはSHK(世界放送協会)と名乗り、世界中から受信料を徴収し、世界最大の放送ネットワークになる。
#*そもそも敗戦国の文字であるアルファベットは使われず、日本放送協会ないしは世界放送協会と一般的にも言われ、略称が「日放協」ないしは「世放協」と言われていたかもしれない。(あるいは「日放」ないしは「世放」か?)
#*民放も世界展開し、電通などの広告代理店とタッグを組み、世界各国の企業からスポンサーを募り番組を作っている。
#*日本放送協会も民放も世界から集めた潤沢な資金があるため、ドラマやドキュメンタリーなどを巨額の製作費で作りあげ、ハリウッドやBBCなど問題にならないコンテンツを作りあげる。
#*オリンピックなどの世界的スポーツイベントの中継も日本放送協会や日本の民放・電通の影響力が最も強いため、開催地に関わらず基本的には日本のゴールデンタイムに合わせて各競技の決勝などが行われる。
#伊勢神宮や橿原神宮や八紘之基柱が世界的聖地の一つになっている。
#敗戦国の通信会社となったATTやBTは日本の逓信省の傘下に(独伊との合弁)。逓信省は日本の通信だけでなく世界の通信も牛耳っている。
#*逓信省は公社化も民営化もされず現在も官営。
#**そのため電話料金や通信料金の高騰が問題になっている。しかし対抗勢力がないため国民もあきらめている。
#Appleは米国限定のベンチャー企業で世界展開しておらず、世界的知名度も低い。
#*IBMは世界展開しているが、日本には日本電気や富士通などとの合弁で進出しており、影響力は小さい。逆に日本電気や富士通の国際的影響力や技術力は絶大。
#**東京通信工業は「SONY」を名乗っておらず、愛称も「東通工」で通っている。もちろん国際的影響力も技術力も絶大。
#任天堂は史実同様世界的巨大ゲーム企業。
#*ゲーム業界では東京通信工業と熾烈なトップ争いを繰り広げている。ここまでは史実と近いが、セガや日本電気(二社とも史実では撤退)も現時点で一定の世界シェアを確保している。逆にマイクロソフトはゲーム業界に参入しておらず、MS自体も米国限定のOS企業である。
#*史実における「マリオ」や「ポケモン」などのゲームは、より日本の伝統に沿ったキャラになっている。
#*任天堂伝統の花札もゲーム業界において重用されている。逆に外国のゲームであるトランプは重用されていない。
#現在でも夫婦同姓の国が大半を占めている。
#日本が商業捕鯨を続けたせいでクジラが数種類絶滅。世界中から非難を浴びる。
#*ちなみにこの世界のIWCは日本主導で設立されたため、捕鯨反対派の国はそもそも加盟すら認められなかった。
#*クジラが高級料理になることもなかった。今でも学校給食なんかでクジラの大和煮が出てくる。
#日本映画界で「[[ベタな「勘違い日本」の法則|勘違い欧米]]」が横行する。
#*必ず騎士が出てきたり、街並みがローマっぽかったり、意味不明なドイツ語の看板があったり・・・。
#Google、Apple、Microsoftは、日本企業だった。
#*Windowsは日本発祥だった。


[[カテゴリ:もし日本が太平洋戦争で勝っていたら|にほんかしはいするせんこせかいへん]]
==国鉄・JR==
===機関車===
====DD54形====
#=欠陥がなかったらである。
#国鉄末期まで運用されていた。
#DD51の製造数が減っていた。
 
====EF510形====
=====500番台=====
;JR東日本
#事業用車として活用された。
#*名鉄EL120と比較される。
#**自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
#***一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
#*0番台の製造数がその分増えている。
#*JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
#*「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
#**SL関連列車の牽引にも使用。
#勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
#*キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
#**DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
#*国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。
 
===電車===
====62系====
#72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
#*115系の区分番台が増える。
#*静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
#JR化後にインバータクーラーが設置された。
#*新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。
 
====101系====
;山手線
#103系の誕生が遅れていた。
#山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
#そのまま201系が導入される。
 
====103系====
;大和路線・おおさか東線
#2019年以降も残っていた場合、[[おおさか東線]]新大阪延伸により[[新大阪駅]]まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
;JR東海車
#愛知万博輸送がラストランになっていた。
#名古屋の103系の知名度が上がっていた。
 
====113系====
;東海道本線(JR東日本)
#湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
#国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
#*2000番台の一部もロングシート化されていた。
#211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
#2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
 
;横須賀線・総武線快速
#2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
#ATOS導入後も普通に営業についていた。
#ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
#*東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
#E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
#1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
 
;成田線(我孫子支線)
#日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
#他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
 
;東海道本線(静岡地区)
#JR西日本を見習って延命工事をしていた。
#*一部は313系に準じた車内に改装されていた。
#**体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
#313系と同じドアチャイムが後付された。
 
;関西本線・奈良線
#0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
#*史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
#2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
#単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
#奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
#*故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
 
;福知山線
#新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。
 
====165系・167系・169系====
;全般
#直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
#ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
 
;JR東日本車
#2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
#*183系ととも臨時用に活躍。
#**全廃は2013年ごろ。
#しなの鉄道の169系との連結もあった。
 
;JR東海車
#全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
#*快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
 
;JR西日本車
#全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
#福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
#一部はJR西日本色になり後に単色になる。
#宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。
 
====157系====
#下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
#*同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
#*205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
#*急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
#185系が登場するまで活躍していた。
#*185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
#「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
#クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
#保存車両が存在していたかもしれない。
#一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。
 
====0系====
:全般
#=新幹線がスピード主義にならなかったらである。
#史実で実現しなかった動態保存が実現していた。
#*実車として残っていない車両も何らかの形で動態運転していた。
 
;JR東海車
#4列普通車指定席が史実より長く残った。
#100系以降の新幹線にも4列普通車指定席が引き継がれる。
 
;JR西日本車
#100系の引退も史実より遅れる。
 
====201系====
;青梅線・五日市線
#四季彩以外も生き残っていた。
#四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
#将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。
 
====205系====
;山手線
#鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
#*JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
#6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
;埼京線
#相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
#*内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
#*リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
#*JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
#6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。
 
====100系====
;全般
#=新幹線がスピード主義にならなかったらである。
#新幹線食堂車・カフェテリア車の営業終了が現実より遅れて100系16両編成ラストランと同時だった。
#*もしかすると食堂車は日本の鉄道において今でも営業が盛んだったかもしれない。
 
;X編成
#整備が行き届いていたらもっと走れた。
#ラストラン時に2階建て車両のNSマークが復活。
 
;G編成
#カフェテリアが史実より長く営業した。
#*主に区間運転のひかりで営業。
 
;V編成
#東京-博多間運行のひかりの廃止が現実より遅れていた。
 
=====X編成=====
 
====209系====
=====0番台=====
;京浜東北線
#6ドア車はしぶとく残った。
#自動放送装置が後付された。
#行先表示器のLED化も施工された。
#座席のクッションの交換も行われていた。
 
;南武線
#E233系の置き換え対象にはならなかった。
#*8500番台は登場せず。
#自動放送装置の設置対象にもなっていた。
 
=====500番台=====
;京浜東北線
#209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
#*2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
#E233系5000番台の製造分が増えていた。
#*現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
#武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。
 
====253系====
#183系や185系を置き換えていた。
#*踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
#「あかぎ」に転用されていた。
#*したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
#そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
#小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。
 
====E331系====
#増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
#*209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
#故障が少なければ最低でもこうなっていた。
#*経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。
 
====E351系====
#E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
#*登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。
 
====785系NE1~5編成====
#さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
#*編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
#*むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
#*気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
#**この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
#「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。
 
===気動車===
====キハ01系====
#それでもワンマン運転は実現しなかった。
#特定地方交通線廃止時まで使われていた。
#国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。
 
====キハ58系====
#ワンマン対応車が増えた。
#*西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。
 
====キハ110系300番台====
キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?
#「陸中」に転用されていた。
#*と同時に特急に格上げされていた。
#**JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
#**快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
#*JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
#*捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
#**盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
#*「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
#**ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
#史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
#引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。
 
====キハ130形====
#キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
#キハ40系の老朽化は問題にならなかった。
<!--#香椎線からキハ200・220が撤退することもなかった。
#*JR北海道の車両なので関係ないと思うが。-->
 
====キサロハ182形550番代====
#「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
#一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
#*普通車個室は座席車に改造されていた。
 
===客車===
====50系====
;JRで長く使われていたら
#保線コストは高まっていた。
#筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
#電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
#12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
#運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた
 
==私鉄==
===秩父鉄道===
====2000系====
#編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
#冷房化くらいはされていた。
#7500系導入と同時期に置き換えられていた。
 
===東武鉄道===
====1700系====
1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?
#5700系を置き換えていた。
#快速急行だいや・おじかの運用についていた。
#*遜色急行扱いされることはなかった。
#200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
#*250系は当初から完全新造車として計画されていた。
#*いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。
 
====1800系通勤転用車====
#館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
#*800、850系は存在しなかった。
#2010年代まで活躍していた。
#*時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。
 
====2000・2080系====
#最終増備車くらいは生き残っていた。
#2080系への改造数も増えていた。
#2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
#短編成化の上、支線に転用されていた。
#*3000系の置き換えに回していた。
#*その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
#2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
#上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
#*↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
#3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。
 
===西武鉄道===
====旧101系====
#9000系は登場しなかった。
#*10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
#LED行先表示器搭載編成も登場。
#末期は各駅停車専用車両になった。
#分散冷房車もまだ生きていたかも。
#*あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
#**客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
#多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
#黄色一色化は史実通り行われた。
 
===東京都交通局===
 
====8000系====
#「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
#それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
#7500系の引退が早まっていた。
#*そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。
 
====10-300R形====
#先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
#10両編成化されていた。
 
===京成電鉄===
====AE形(初代)====
#AE100形の製造数が減っていた。
#3400形は登場しなかった。
#2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。
 
====AE100形====
#都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
#シティライナーは廃止されなかった。
 
===東京急行電鉄===
====デハ200形====
#それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
#代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
#塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
#*屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
#**青ガエルミニの方がありそう。
#鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
#特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
#*最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。
 
====9000系====
現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?
#副都心線に乗り入れない運用についていた。
#*サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
#*どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
#大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
#*よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
#5050系の製造数が減っていた。
#*その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
#そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。
 
===小田急電鉄===
====2320形====
*通勤車への改造がなかったら?
#準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
#*箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
#2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
#*史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
#いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
#*多摩線で余生を送ったかも。
#*むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。
 
===長野電鉄===
====10系====
#=木島線が廃止されなかったらである。
#冷房化、ワンマン化くらいはされていた。
 
===名古屋鉄道===
====5000系・5200系====
#冷房化できたら残っていた。
#*5000系の場合同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
#**路面電車用クーラーで冷房化。
#***1998年から廃車がスタートとして2000年に全廃。
#****5000系・5200系を先に廃車しなければならないため名鉄7000系・7500系の廃車が遅れていた。
#5300系は登場しなかった。
 
====8800系====
#リニューアルが行われた。
#座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
#ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
#名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
#*内装も登場時以上に豪華になった。
 
====1000系全車特別車編成・1600系====
#=特急政策の見直しがなかったら、である。
#当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
#*5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
#西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
#*犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
#輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
#1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
#*内外装は1200系と同様のものになっていた。
 
====3700系 (初代)====
#名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
#当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
#100・200・300系の車両番号が大きく違う。
 
====7000系====
#かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
#*できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
#*基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
#本線で運転される機会は多くなかった。
#*津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
#*運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
#場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。
 
===近畿日本鉄道===
====400系====
#冷房化・後にカルダン化していた。
 
====800系・880系====
#冷房していたら残っていた。
#*名鉄5000系と同様、同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
#**バス用クーラーで冷房化していた。バス用クーラーは三重交通・奈良交通の廃車バスからの発生品。
#**860系と同様、ワンマン化していた。
#**800系として残った編成も冷房化。
#**820系として残った編成も820系時代に冷房化。
#**それでも800系は2001年に全廃。880系は2002年には全廃。
#***同時に史実で1993年まで820系として残った車両が2002年に伊賀線に転属。
#****廃車理由は5820系・9820系・9020系の増備が進んだのが理由。
 
====2600系====
#B更新でロングシート化あるいはL/Cカー化が行われていた。
#2021年現在も現役。
#*廃車は2410・2430系と同時期あるいはそれより後になっていた。
#主に伊勢方面への長距離急行に運用されているが、2両に1ヶ所トイレがあるので団体用としても重宝されていた。
#*あるいは2410・2430系とトレードしてトイレ付き編成の増加を図っていた可能性もある。
 
====3000系====
#恐らく[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#3000系界磁位相制御車改造|界磁位相制御車に改造されていた。]]
#*あるいはVVVF制御に改造されていた。
#8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。
 
====10100系====
#30000系は登場しなかった。
#アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
#*したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
#2000系は完全新造車だった。
#1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
#*同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
#*冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。
 
====20100系====
#冷房化が可能だったら残っていた。
#18200系は20100系の補充用の団体用だった。
#*したがって18400系の18409Fの団体用格下げはなかった。
#*楽は登場しなかった。
#**15200系登場と同時に廃車。
 
====18000系====
#さすがに高性能化改造くらいはされていた。
#18400系とともに廃車となっていた。
#南大阪線6800系の台車・モーターと交換して伊賀線へ投入し、同線に有料特急が設定されそれに運用されていた可能性もある。
 
====10400系====
#2001年まで残っていた。
#*10100系と同様、前面・側面の行き先表示機取り付けが行われていた。
#*座席もリクライニングシートに交換されている。
#1980年代に2回目の更新工事が行われ、中間運転台の撤去が行われていた。
 
====11400系====
#2002年まで残っていた。
#*12000系・12200系・18400系の廃車はその後だった。
 
====12000系・12200系・18400系(特急マーク車両)====
*もし特急マーク車両が遅くまで残っていたら。
#2004年まで持ちこたえた場合、21020系か22000系がもっと多く製造された。
#*末期は阪奈特急・京奈特急・京橿特急メインで運用。
 
===京阪電気鉄道===
====1800系(初代)====
*1800系(2代)への改造がなかったら
#昇圧直前まで使用されていた。
#*昇圧で6000系に置き換えられていた。
#**その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。
 
====1800系(2代)====
#1900系と同時期に冷房改造されていた。
#*1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
#最終的には7連×2本に編成替えされている。
#廃車は2000年代になってからだった。
#*代替車両として[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#10000系7両編成|これ]]が実現していた。
#6000系の製造両数が2編成減っていた。
#*京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
#*6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。
 
====2200系2380形====
#2200系の8連は現在に至るまで存在している。
#*あるいは経年が近い2600系30番台に組み込まれ、こちらが8連化されていた。
#代わりに6000系のうち何編成かが7連化されていた。
#*余った中間車は新造の13000系に組み込まれるか10000系の編成替えに使われていた。
 
====3000系(初代)====
*8000系導入後も継続使用される予定でした。
#流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
#富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
#*富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
#2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
#*2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。
 
====9000系====
*現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
#快速急行に充当されていた。
#2代目3000系は導入されなかった。
#*13000系が2008年頃導入される。
#一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
#中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。
 
===阪急電鉄===
====2800系====
#前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
#*特に前面は6000系と同タイプになっていた。
#**電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
#***完全に中間車化された車もある。
#2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
#2300系の引退が早まっていた。
#*2300系更新車の数が少ない。
#富山地鉄への譲渡話は出なかった。
#*1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
#格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
#*6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
#**↑走行機器は別会社製。
#8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
#**8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
#2001年頃に引退していた可能性が高い。
#*1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
#6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
#*そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
#*その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
#**1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。
 
====5200系====
#前面が6000系と同タイプに改造されていた。
#3000系の引退は史実より早かった。
#21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
#能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。
 
====6300系(6330F)====
#「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
#*7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
#*それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
#もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)
 
===阪神電鉄===
====3801・3901形(第1編成)====
#=脱線事故がなかったらである。
#8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
#*7890・7990形電車は登場しなかった。
#*電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。
 
===南海電気鉄道===
====20000系電車====
*当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
#3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
#1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
#みさき公園に設置されることはなかった。
 
===西日本鉄道===
====8000形====
#2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
#2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかもつとなかくつかわれていたら]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もしもつとなかくつかわれていたら]]

2021年5月5日 (水) 11:43時点における版

  • 新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。

国鉄・JR

機関車

DD54形

  1. =欠陥がなかったらである。
  2. 国鉄末期まで運用されていた。
  3. DD51の製造数が減っていた。

EF510形

500番台
JR東日本
  1. 事業用車として活用された。
    • 名鉄EL120と比較される。
      • 自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
        • 一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
    • 0番台の製造数がその分増えている。
    • JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
    • 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
      • SL関連列車の牽引にも使用。
  2. 勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
    • キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
      • DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
    • 国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。

電車

62系

  1. 72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
    • 115系の区分番台が増える。
    • 静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
  2. JR化後にインバータクーラーが設置された。
    • 新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。

101系

山手線
  1. 103系の誕生が遅れていた。
  2. 山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
  3. そのまま201系が導入される。

103系

大和路線・おおさか東線
  1. 2019年以降も残っていた場合、おおさか東線新大阪延伸により新大阪駅まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
JR東海車
  1. 愛知万博輸送がラストランになっていた。
  2. 名古屋の103系の知名度が上がっていた。

113系

東海道本線(JR東日本)
  1. 湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
  2. 国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
    • 2000番台の一部もロングシート化されていた。
  3. 211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
  4. 2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
横須賀線・総武線快速
  1. 2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
  2. ATOS導入後も普通に営業についていた。
  3. ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
    • 東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
  4. E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
  5. 1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
成田線(我孫子支線)
  1. 日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
  2. 他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
東海道本線(静岡地区)
  1. JR西日本を見習って延命工事をしていた。
    • 一部は313系に準じた車内に改装されていた。
      • 体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
  2. 313系と同じドアチャイムが後付された。
関西本線・奈良線
  1. 0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
    • 史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
  2. 2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
  3. 単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
  4. 奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
    • 故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
福知山線
  1. 新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。

165系・167系・169系

全般
  1. 直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
  2. ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
JR東日本車
  1. 2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
    • 183系ととも臨時用に活躍。
      • 全廃は2013年ごろ。
  2. しなの鉄道の169系との連結もあった。
JR東海車
  1. 全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
    • 快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
JR西日本車
  1. 全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
  2. 福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
  3. 一部はJR西日本色になり後に単色になる。
  4. 宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。

157系

  1. 下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
    • 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
    • 205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
    • 急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
  2. 185系が登場するまで活躍していた。
    • 185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
  3. 「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
  4. クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
  5. 保存車両が存在していたかもしれない。
  6. 一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。

0系

全般
  1. =新幹線がスピード主義にならなかったらである。
  2. 史実で実現しなかった動態保存が実現していた。
    • 実車として残っていない車両も何らかの形で動態運転していた。
JR東海車
  1. 4列普通車指定席が史実より長く残った。
  2. 100系以降の新幹線にも4列普通車指定席が引き継がれる。
JR西日本車
  1. 100系の引退も史実より遅れる。

201系

青梅線・五日市線
  1. 四季彩以外も生き残っていた。
  2. 四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
  3. 将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。

205系

山手線
  1. 鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
    • JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
  2. 6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
埼京線
  1. 相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
    • 内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
    • リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
    • JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
  2. 6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。

100系

全般
  1. =新幹線がスピード主義にならなかったらである。
  2. 新幹線食堂車・カフェテリア車の営業終了が現実より遅れて100系16両編成ラストランと同時だった。
    • もしかすると食堂車は日本の鉄道において今でも営業が盛んだったかもしれない。
X編成
  1. 整備が行き届いていたらもっと走れた。
  2. ラストラン時に2階建て車両のNSマークが復活。
G編成
  1. カフェテリアが史実より長く営業した。
    • 主に区間運転のひかりで営業。
V編成
  1. 東京-博多間運行のひかりの廃止が現実より遅れていた。
X編成

209系

0番台
京浜東北線
  1. 6ドア車はしぶとく残った。
  2. 自動放送装置が後付された。
  3. 行先表示器のLED化も施工された。
  4. 座席のクッションの交換も行われていた。
南武線
  1. E233系の置き換え対象にはならなかった。
    • 8500番台は登場せず。
  2. 自動放送装置の設置対象にもなっていた。
500番台
京浜東北線
  1. 209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
    • 2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
  2. E233系5000番台の製造分が増えていた。
    • 現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
  3. 武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。

253系

  1. 183系や185系を置き換えていた。
    • 踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
  2. 「あかぎ」に転用されていた。
    • したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
  3. そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
  4. 小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。

E331系

  1. 増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
    • 209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
  2. 故障が少なければ最低でもこうなっていた。
    • 経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。

E351系

  1. E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
    • 登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。

785系NE1~5編成

  1. さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
    • 編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
    • むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
    • 気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
      • この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
  2. 「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。

気動車

キハ01系

  1. それでもワンマン運転は実現しなかった。
  2. 特定地方交通線廃止時まで使われていた。
  3. 国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。

キハ58系

  1. ワンマン対応車が増えた。
    • 西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。

キハ110系300番台

キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?

  1. 「陸中」に転用されていた。
    • と同時に特急に格上げされていた。
      • JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
      • 快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
    • JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
    • 捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
      • 盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
    • 「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
      • ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
  2. 史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
  3. 引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。

キハ130形

  1. キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
  2. キハ40系の老朽化は問題にならなかった。

キサロハ182形550番代

  1. 「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
  2. 一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
    • 普通車個室は座席車に改造されていた。

客車

50系

JRで長く使われていたら
  1. 保線コストは高まっていた。
  2. 筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
  3. 電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
  4. 12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
  5. 運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた

私鉄

秩父鉄道

2000系

  1. 編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
  2. 冷房化くらいはされていた。
  3. 7500系導入と同時期に置き換えられていた。

東武鉄道

1700系

1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?

  1. 5700系を置き換えていた。
  2. 快速急行だいや・おじかの運用についていた。
    • 遜色急行扱いされることはなかった。
  3. 200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
    • 250系は当初から完全新造車として計画されていた。
    • いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。

1800系通勤転用車

  1. 館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
    • 800、850系は存在しなかった。
  2. 2010年代まで活躍していた。
    • 時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。

2000・2080系

  1. 最終増備車くらいは生き残っていた。
  2. 2080系への改造数も増えていた。
  3. 2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
  4. 短編成化の上、支線に転用されていた。
    • 3000系の置き換えに回していた。
    • その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
  5. 2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
  6. 上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
    • ↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
  7. 3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。

西武鉄道

旧101系

  1. 9000系は登場しなかった。
    • 10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
  2. LED行先表示器搭載編成も登場。
  3. 末期は各駅停車専用車両になった。
  4. 分散冷房車もまだ生きていたかも。
    • あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
      • 客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
  5. 多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
  6. 黄色一色化は史実通り行われた。

東京都交通局

8000系

  1. 「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
  2. それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
  3. 7500系の引退が早まっていた。
    • そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。

10-300R形

  1. 先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
  2. 10両編成化されていた。

京成電鉄

AE形(初代)

  1. AE100形の製造数が減っていた。
  2. 3400形は登場しなかった。
  3. 2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。

AE100形

  1. 都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
  2. シティライナーは廃止されなかった。

東京急行電鉄

デハ200形

  1. それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
  2. 代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
  3. 塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
    • 屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
      • 青ガエルミニの方がありそう。
  4. 鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
  5. 特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
    • 最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。

9000系

現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?

  1. 副都心線に乗り入れない運用についていた。
    • サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
    • どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
  2. 大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
    • よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
  3. 5050系の製造数が減っていた。
    • その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
  4. そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。

小田急電鉄

2320形

  • 通勤車への改造がなかったら?
  1. 準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
    • 箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
  2. 2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
    • 史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
  3. いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
    • 多摩線で余生を送ったかも。
    • むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。

長野電鉄

10系

  1. =木島線が廃止されなかったらである。
  2. 冷房化、ワンマン化くらいはされていた。

名古屋鉄道

5000系・5200系

  1. 冷房化できたら残っていた。
    • 5000系の場合同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
      • 路面電車用クーラーで冷房化。
        • 1998年から廃車がスタートとして2000年に全廃。
          • 5000系・5200系を先に廃車しなければならないため名鉄7000系・7500系の廃車が遅れていた。
  2. 5300系は登場しなかった。

8800系

  1. リニューアルが行われた。
  2. 座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
  3. ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
  4. 名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
    • 内装も登場時以上に豪華になった。

1000系全車特別車編成・1600系

  1. =特急政策の見直しがなかったら、である。
  2. 当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
    • 5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
  3. 西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
    • 犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
  4. 輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
  5. 1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
    • 内外装は1200系と同様のものになっていた。

3700系 (初代)

  1. 名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
  2. 当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
  3. 100・200・300系の車両番号が大きく違う。

7000系

  1. かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
    • できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
    • 基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
  2. 本線で運転される機会は多くなかった。
    • 津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
    • 運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
  3. 場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。

近畿日本鉄道

400系

  1. 冷房化・後にカルダン化していた。

800系・880系

  1. 冷房していたら残っていた。
    • 名鉄5000系と同様、同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
      • バス用クーラーで冷房化していた。バス用クーラーは三重交通・奈良交通の廃車バスからの発生品。
      • 860系と同様、ワンマン化していた。
      • 800系として残った編成も冷房化。
      • 820系として残った編成も820系時代に冷房化。
      • それでも800系は2001年に全廃。880系は2002年には全廃。
        • 同時に史実で1993年まで820系として残った車両が2002年に伊賀線に転属。
          • 廃車理由は5820系・9820系・9020系の増備が進んだのが理由。

2600系

  1. B更新でロングシート化あるいはL/Cカー化が行われていた。
  2. 2021年現在も現役。
    • 廃車は2410・2430系と同時期あるいはそれより後になっていた。
  3. 主に伊勢方面への長距離急行に運用されているが、2両に1ヶ所トイレがあるので団体用としても重宝されていた。
    • あるいは2410・2430系とトレードしてトイレ付き編成の増加を図っていた可能性もある。

3000系

  1. 恐らく界磁位相制御車に改造されていた。
    • あるいはVVVF制御に改造されていた。
  2. 8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。

10100系

  1. 30000系は登場しなかった。
  2. アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
    • したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
  3. 2000系は完全新造車だった。
  4. 1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
    • 同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
    • 冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。

20100系

  1. 冷房化が可能だったら残っていた。
  2. 18200系は20100系の補充用の団体用だった。
    • したがって18400系の18409Fの団体用格下げはなかった。
    • 楽は登場しなかった。
      • 15200系登場と同時に廃車。

18000系

  1. さすがに高性能化改造くらいはされていた。
  2. 18400系とともに廃車となっていた。
  3. 南大阪線6800系の台車・モーターと交換して伊賀線へ投入し、同線に有料特急が設定されそれに運用されていた可能性もある。

10400系

  1. 2001年まで残っていた。
    • 10100系と同様、前面・側面の行き先表示機取り付けが行われていた。
    • 座席もリクライニングシートに交換されている。
  2. 1980年代に2回目の更新工事が行われ、中間運転台の撤去が行われていた。

11400系

  1. 2002年まで残っていた。
    • 12000系・12200系・18400系の廃車はその後だった。

12000系・12200系・18400系(特急マーク車両)

  • もし特急マーク車両が遅くまで残っていたら。
  1. 2004年まで持ちこたえた場合、21020系か22000系がもっと多く製造された。
    • 末期は阪奈特急・京奈特急・京橿特急メインで運用。

京阪電気鉄道

1800系(初代)

  • 1800系(2代)への改造がなかったら
  1. 昇圧直前まで使用されていた。
    • 昇圧で6000系に置き換えられていた。
      • その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。

1800系(2代)

  1. 1900系と同時期に冷房改造されていた。
    • 1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
  2. 最終的には7連×2本に編成替えされている。
  3. 廃車は2000年代になってからだった。
    • 代替車両としてこれが実現していた。
  4. 6000系の製造両数が2編成減っていた。
    • 京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
    • 6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。

2200系2380形

  1. 2200系の8連は現在に至るまで存在している。
    • あるいは経年が近い2600系30番台に組み込まれ、こちらが8連化されていた。
  2. 代わりに6000系のうち何編成かが7連化されていた。
    • 余った中間車は新造の13000系に組み込まれるか10000系の編成替えに使われていた。

3000系(初代)

  • 8000系導入後も継続使用される予定でした。
  1. 流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
  2. 富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
    • 富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
  3. 2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
    • 2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。

9000系

  • 現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
  1. 快速急行に充当されていた。
  2. 2代目3000系は導入されなかった。
    • 13000系が2008年頃導入される。
  3. 一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
  4. 中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。

阪急電鉄

2800系

  1. 前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
    • 特に前面は6000系と同タイプになっていた。
      • 電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
        • 完全に中間車化された車もある。
  2. 2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
  3. 2300系の引退が早まっていた。
    • 2300系更新車の数が少ない。
  4. 富山地鉄への譲渡話は出なかった。
    • 1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
  5. 格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
    • 6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
      • ↑走行機器は別会社製。
  6. 8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
      • 8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
  7. 2001年頃に引退していた可能性が高い。
    • 1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
  8. 6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
    • そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
    • その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
      • 1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。

5200系

  1. 前面が6000系と同タイプに改造されていた。
  2. 3000系の引退は史実より早かった。
  3. 21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
  4. 能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。

6300系(6330F)

  1. 「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
    • 7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
    • それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
  2. もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)

阪神電鉄

3801・3901形(第1編成)

  1. =脱線事故がなかったらである。
  2. 8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
    • 7890・7990形電車は登場しなかった。
    • 電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。

南海電気鉄道

20000系電車

  • 当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
  1. 3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
  2. 1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
  3. みさき公園に設置されることはなかった。

西日本鉄道

8000形

  1. 2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
  2. 2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。