ページ「偽スーパー戦隊シリーズの特徴/2010年代以降」と「東海道」の間の差分

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==偽ジャッカー電撃隊の特徴==
{{Pathnav|街道}}
#最初から5人戦隊で登場した。
==東海道の噂==
#巨大ロボ戦がある。
*区間:[[日本橋(東京)|日本橋]]~[[川崎市/川崎区|川崎]]~[[平塚]]~[[小田原市|小田原]]~[[箱根町|箱根]]~[[三島市|三島]]~[[静岡市/葵区|府中]]~[[掛川市|掛川]]~[[浜松市|浜松]]~[[豊橋市|吉田]]~[[岡崎市|岡崎]]~[[名古屋市/熱田区|宮]]~[[桑名市|桑名]]~[[亀山市#関|関]]~[[甲賀市#水口の噂|水口]]~[[草津市|草津]]~[[京都市/東山区|京都三条大橋]]


===キャラクター===
#言わずと知れた江戸時代の五街道の筆頭、現在でも交通の大動脈。
====ジャッカー====
#現在ではJRの[[東海道本線|東海道線]]や[[東海道新幹線]]、国道は[[国道1号|1号]]、[[東名高速道路|東名]]~[[名神高速道路]]とかがおおよそこの街道を踏襲していると言って良い。
;偽番場壮吉 / ビッグワンの特徴
#*ただし、難所の箱根峠と鈴鹿峠は別ルートを通っていることが多い。
#実は新命明の弟だ。
#**国道1号を除いては箱根部分は高速道路は御殿場経由、鉄道は熱海経由。鈴鹿峠部分は、鉄道、高速道路ともに関ヶ原から米原方面を経由する方を通ってしまっている。
#***大本となる東海道本線がもともと琵琶湖海運を活用する形で整備され、更に当時は中山道線としての計画だったのが大きい。
#****岐阜から[[名古屋駅|名古屋]]・大府を経て武豊までの区間は本来、武豊港から中山道線の建設資材を山中に運びこむため造られた支線だった。しかし東西幹線が東海道経由に計画変更されたことで、大府以北は東海道線の一部に。残る区間が武豊線となった。
#****岐阜~熱田はルートとしては「美濃路」に相応する。江戸時代から東海道における木曽三川の難所を避けられる迂回路として使われていた脇街道ではある。
#***東海道新幹線は、北陸連絡強化と建設期間短縮・費用圧縮のために鈴鹿貫通が断念されて東海道線と同様の米原経由に。高速道路は[[新名神高速道路]]が後に本来の東海道に近いルートを通るようになった。
#****前身の弾丸列車計画では鈴鹿経由か米原経由か最後まで決まらなかった。
#***実は、京~熱田のルートは、元々、飛鳥や奈良に都があったことの名残だったりする。
#****飛鳥時代、東海道は飛鳥→桜井→榛原→名張→上野→加太→関→亀山→鈴鹿→伊勢湾連絡船→三河御津と伸びており、奈良時代には、奈良→加茂→上野のルートに変更されている。
#*****結局、都が京都に移っても東海道は関以東のルートを活かそうとして、宿駅を整備した結果、草津から水口、土山、関と、わざわざ峠越えをして南東へ向かっておきながら、その後、北東に進路を向けて、さらに、木曽三川河口部の湿地帯という難所を抜けるような非効率なルートを取る羽目になった。
#*****都が京都にある場合、三河国府と京都の間を、なるべく労力を取らずに進むことができるのは、平安初期の地形と操船技術、荷馬の価値等を鑑みると、[[関ケ原町#今須|不破の関]]までは東山道と同じルートを行き、そこから、羽島までは概ね名神高速沿い、羽島から名古屋までは概ね新幹線沿いに名古屋まで進んだあと、国道1号線沿いに行くルートらしい。そう、平安初期の人にとっても草津・亀山回りは実は遠回りだった。
#**箱根越え区間については、東海道線も元々は御殿場迂回だった。
#***高速道路は鉄道と違い、勾配をそこまで気にせず済むので、山際を通る現在の東海道線ルートではなく[[御殿場線]]ルートを踏襲したようにも思える。
#*静岡県区間は国道1号線に沿ってはいるが、本道(ほとんどバイパス)と重複しているところはあまり多くない。
#基本的には「東海道五十三次」として、お江戸日本橋から京の三条大橋まで53の宿場町がある街道として知られる。
#*浮世絵でも東海道五十三次は有名。
#**多くの宿場町の資料館でコレクションされている。
#*ところが、京都からさらに大坂まで五十七宿で東海道、とする説もあるようで。
#**残り四つは伏見・枚方・守口・大坂だっけか?
#***淀宿もあったと思う。
#**この区間は「京街道」とも呼ばれている。
#**いや、京都とかもう東海道じゃなくて区分は畿内でしょ。地図帳でそう色分けされてた。何にでもしゃしゃり出てこないでほしい。
#***色分けとか畿内とかはそりゃ五畿七道の話しでしょ。ここは街道としての東海道の話しですんで。
#最も有名な旅行者はなんと言っても弥次さん喜多さん、東海道中膝栗毛の主人公二人だろう。資料館や道ばたの説明板でも、その道中の模様が描かれていたりする。
#東海道沿いを辿って徒歩旅する人がいるが、見た限り、東京から京都方面に歩く人が多く、逆向きはそんなにいない模様。
#静岡・愛知あたりでは灯籠なんかに「秋葉神社」の銘が入っていることが多い。秋葉神社は火除けの神様で[[浜松市/天竜区]]にある。宿場町に限らず、江戸時代は火事が多いしね。
#律令国の東海道の範囲も街道の東海道の経路とほぼ一致する。異なるのは律令国の東海道の範囲は日本橋以東にも広がっている事くらい。
#*ところでこれ、律令国と街道名が一緒なのは単なる偶然なんだろうか。山陽道や北陸道はともかく、東山道・[[和歌山|南]][[四国|海道]]・[[九州|西海道]]は街道としての名もあるのかどうか分からんし。
#**東海道は少なくとも五畿七道の継承で今の名前になったと思う。徳川政権時代より前も道の名称として「東海道」が使われることはあった。
#**五畿七道の七道にはそれぞれ実際に都から国府への道があった。時代による変遷があるので完全では無いにせよ、江戸期以降の東海道もおおよそその時の道を踏襲していると言って良いかと思う。国道1号は東海道を踏襲している、と言うのと同レベルで。
#**[[中山道]]も江戸時代中期までは東山道などと呼ばれることがあった。
#*律令国の東海道は江戸期以降の東海道が通る範囲に加え、伊賀、甲斐と安房・上総・下総・常陸。江戸期以降の東海道は近江を通るが、律令国の近江は東山道。
#*余談過ぎるが、東海道自然歩道は全然別物。
#**正確には「[[遊歩道・ハイキングコース#東海自然歩道|東海自然歩道]]」ですな。主な経由地である東海地方からの命名です。
#***すまん、記憶違いだったわ。
#難所が多いため、迂回ルート(脇往還)が幾つか存在した。
#*上の美濃路もその一つ。七里の渡しに対して十里の渡し、佐屋街道・三里の渡しもあった。また浜名湖をまたぐ新居辺りでの姫街道なども。
#江戸時代、大井川など大河川に橋をかけなかったのは幕府の戦略と言われてきたが、実際には渡し屋の反対と当時の建設技術に基づくところが大きいらしい。
#*そういった場所では方言・食文化などの文化的な境界も生じている。
#*川が多いことから女性は遠回りでも中山道を行くことも多かったらしい。幕末の皇女和宮の降嫁の時も中山道経由。
#*そして大井川では明治になって橋が架かり、失職した渡しの人足たちは、同じく失職した元徳川幕府の武士の人たちと共に牧ノ原台地でお茶の生産に励むことになる。
#*ただし一部の資料館などでは今でも旧説に基づく説明がされている。
#東海道と[[北海道]]が同じ「行政区分」(五畿八道)に因んだ名前であったことを知らない人は多い。今では「東西のルート」と「四島の一つかつ都道府県の一つ」で大きく立ち位置が異なるから。
#*そして南海道と西海道もあるのだが、知名度が大きく劣る。南海道は[[南海電気鉄道]]の由来でもあるのだが。
#**南海電鉄および関連会社以外にも、和歌山四国には「南海」がつく社名はある。西海のほうは[[長崎/彼杵#西海市|長崎県西海市]]っていうのができたけれど。
#*2016年に[[北海道新幹線]]が開業し、立ち位置が異なるまま共に新幹線路線の名前となる。
#かなり古い時代から紀行文が書かれている。


====クライム====
==各宿場・街並みの噂==
;偽鉄の爪 / アイアンクローの特徴
*この項目では地域順に割込を許容します。要約欄に「地域順割込」の旨をお書き下さい。
#実は'''徹'''の爪だ。


==偽科学戦隊ダイナマンの特徴==
===東京都・神奈川県区間===
#初回から一貫して25分枠で放送された。
#東京都内区間は、品川付近を除いてほぼ国道15号線を辿る。世界の高級ブランドが軒を連ねる銀座の街並みや、田町の札の辻交差点の歩道橋から見る東京タワーは、現代の旅の始まり(京都側からだと終わり)と大都会東京を象徴する華やかな眺め。
#風が叫ばない。
#*但し始点の日本橋付近は1号線になっている。1号線は永代通りで曲がり、日比谷通り→内堀通りを経由し、桜田通りとなった後に第二京浜(五反田~横浜間)として、横浜駅付近まで東海道の内側を走る。
#*嵐を呼ばない。
#**この第二京浜は、第一京浜≒東海道とは比較にならぬほどアップダウンが激しく、先人の道選びの賢明さを改めて思い知らされることとなる。
#劇場版をテレビシリーズで放送するなどもってのほか。
#*一方の15号は、ローカルでは中央通り(新橋まで)→第一京浜(新橋~横浜間)と称される。道中、部分的に「旧東海道」が分離している区間も存在するが、第一京浜区間では基本的に通常の舗装道路である。
#初期案通り野球戦隊として製作された。
#日本橋から出てから初めて街道っぽい雰囲気を出してくるのが品川宿。左右に商店が並ぶ街並みは、古い歴史を感じるような商店から、和の雰囲気に凝ったカフェまで色々あって、歩いて楽しい。
#*関東大震災や東京大空襲の被害を奇跡的に免れたので古い家屋が残った。
#幕末にアメリカから神奈川を開国するよう迫られたが、宿場町を開放したくない幕府は近隣の横浜村を神奈川として開港した。
#横浜駅付近で第一・第二京浜が合流して以降は、基本的に1号線沿い。
#ハマのアメ横とも称される洪福寺松原商店街のメインストリートはこの街道の程ヶ谷宿手前(京方面)の部分である。松原の由来は東海道に植えられた防風林だったとか。
#*そして日本橋から歩いて初日の宿泊地として栄えたのが程ヶ谷宿。
#程ヶ谷宿から権太坂(箱根駅伝の難所ではない旧道の方)を越えてしばらく行くと今なお完全な状態で残っている品濃一里塚がある。
#廃止された戸塚駅横の大踏切も東海道の一部であった。
#藤沢宿は箱根駅伝でも有名な遊行寺の門前町でもあった。
#茅ヶ崎の少し京都寄りに左富士という名所がある。有名なのは富士市吉原の方であるが。
#平塚宿は現在の平塚駅前の商店街に位置している。
#平塚~大磯は東海道五十三次の中でもかなり短い。二宮の方がバランスがいいようにも思えるのだが…。
#小田原宿は日本橋を出発して最初の城下町であった。
#天下の険・箱根峠越え。箱根湯本で国道1号と別れ、県道に入ってからの登りがえぐい。
#*休みの日なんかは自転車(レーサー等、スポーツ車)で登る人が大勢います。そりゃいいトレーニングになるでしょう。
#*本当の旧東海道は県道から離散集合(?)を繰り返しながらハイキングコースのようなものがあります。石畳も。静岡県に入ってからも三島に下るまで、国道1号に並走するハイキングコース、部分的に石畳の道がある。
#**石畳の道は、畳というにはかなり凹凸が激しいので、少し歩くぐらいなら雰囲気があって良いが、全区間を通して歩こうとするとかなり足や靴に負担が大きいので、初心者は注意。
#*この箱根越えの終盤に箱根関所が設置されている。また、当初は小田原宿と三島宿から住民を移住させて宿場を作ったとされ、「小田原町」「三島町」という小字が今も残っている。


===キャラクター===
===静岡県区間===
====ダイナマン側====
#三原宿~吉原宿間は千本街道という脇往還がある。山側の今の県道163号が東海道、海側の県道380号が千本街道。街道にこだわらず歩く・サイクリングならさらに海側、松原の中の道を行くのも良いかもね。
;偽弾 北斗(ダイナレッド)の特徴
#*Web地図のマピオン、千本街道と東海道が逆に書かれとる。
#沖縄県出身だ。
#*<del> 三原宿 </del>三島宿~吉原宿間はぱっと見は普通の二車線県道だが、左右に神社お寺へがいっぱい、旧街道っぽい。
#夢を追いすぎた発明なんてしない。
#*三原宿? [[沼津市#原|原宿]]か[[三島市|三島宿]]ならあるけど……
#ウルトラセブンとウルトラマンエースの両方に変身できる。
#**三島の誤タイプでした、でも地図を見直すと沼津宿~吉原宿の方が実態に近いな。
#江戸側からきて、吉原宿手前に「左富士」という場所がある。通常は富士山を右側に見て歩いてきたのが、この区間だけ左側に富士山が見えるという場所。
#*とはいえ、真左に見える訳ではない。だいたい左前方20度くらいかな。
#*これ、吉原宿が海側から山側に移転したために起こった街道の付け替えでこうなった。
#**吉原宿は2回宿場の移転を行っている。そう言われると地図をみたら吉原あたりにはそれっぽい道が他にもあったり、吉原宿の京都側に不自然な曲がりがあったりする。
#**付け替えの原因は大浪による物らしい。最近「旧街道の山側は津波等が来なくて安全」とかいう話があるが、この付近(付け替えられていない部分)ではそれは当てはまらないということになる。ま、地元の方は地形等からわかっておられるのだろうけれど。
#**吉原宿は現在商店街になっているこれはこれで旧街道らしい現在の街並み。が、江戸側から来ると商店街の途中で街道が分岐して非常にわかりにくい。
#*「左富士」はバス停の名前として今もそこに残っている。
#[[静岡市/清水区#蒲原|蒲原]]から[[静岡市/清水区#由比|由比]]宿あたりも国道1号の山側に分かりやすく残っている。蒲原、由比ともに資料館有り。
#*だいたいその辺りが例の世界一列………。
#蒲原宿のところに、一里塚の跡の小さいお社を囲うようによけて建てられている民家がある。民家の持ち主の方、律儀だなぁ。
#由比から[[静岡市/清水区#興津|興津]]へのさつた峠(さつたは薩と土偏に垂の字)は昔から交通の要衝。
#*現在も狭い範囲にJR東海道線、新幹線、東名高速が密集。その上の崖を旧東海道の道がある。
#*旧東海道は時代によって3本くらい峠道がある。海沿いの道もあり、一旦使われなくなったが、江戸時代に地震による海岸隆起で再び使えるようになったとか。
#*難所だけあってここで合戦も起こっている。南北朝時代(足利尊氏軍vs足利直義軍)と、戦国時代(武田信玄軍vs今川氏真軍)。
#*今はハイキングコースになっている。
#清水駅前付近、国道1号から分岐しているそれっぽい道がいくつかある。どうも時代による街道の変遷があったらしい。
#*県民にはCMでお馴染みの「漢方薬の荷居屋」も街道沿いにある。街道を行き交う旅人の荷物預が発祥であるらしい。
#静岡は駿府城の城下街だけあって経路が折れ曲がってる。県庁所在地の繁華街でも(おそらく)一番賑わっている通りを通る。
#*その手前で貨物ヤードが街道を分断しているのだが、その迂回路である北村地下道はクラクションが絶えず鳴らされ、旅人をビビらせている。(狭いためトンネル進入時にクラクションを鳴らすのが暗黙のルール)
#[[静岡市/駿河区#丸子|丸子]]宿はととろご飯が有名。昔も今も。浮世絵に描かれた店が今もそれっぽい店構えで営業中。
#*ただし、昭和の頃は一旦普通の建物になっていたものをまたを昔風の建物にしたので、江戸時代からずっと残っている建物というものではない。
#*丸子宿は「まりこ」と読む。昔は鞠子とも書いた。
#[[静岡市/駿河区#宇津ノ谷|宇津ノ谷]]峠は旧東海道が2本残る。江戸時代のと、さらに、昔の物と。
#*ついでに国道1号のトンネルも、明治期の物と昭和初期、昭和後期、平成の4時代のものがある。昔から道の取り付けに苦労する難所なんですな。
#*鉄道、高速道路は南側を石部トンネル、日本坂トンネルで抜けているが、どちらも一筋縄ではいかなかったようで。
#**鉄道はトンネル崩壊、弾丸列車用のトンネル転用、新幹線敷設により旧トンネル再活用。高速道路は火災、トンネル2本化。
#[[静岡/中部#岡部|岡部]]宿、ガラ付きの布をサッカーボールの五角形、六角形形状に貼り合わせて鞠にしたのをぶら下げている家がちらほら。
#藤枝宿、[[島田市|島田]]宿は今は商店街。
#[[東海の河川#大井川|大井川]]は橋をかけられず、人足に渡してもらっていた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。」
#*三代将軍家光の時に、将軍の実弟の徳川忠長が利便のために舟橋を架けようとしたが、「天下の大井川に橋を架けるなどけしからん」と激怒したとか。防衛のためにわざわざ架けなかったらしい。
#*水位が高い(胸元以上)だと川渡しは行われない。長雨が続くとそのあいだ川の両側(島田宿・金谷宿)で足止め。足止めの間に持ち金がなくなって江戸に引き返す人もいたとか。
#**そのため島田宿・金谷宿は儲かったんだろうな。
#*上にもあった通り、幕府発足直後はともかく、中期以降は実際は技術的な困難と川越人の失職を恐れた幕府の癒着&事なかれ政策の結果というのが最近は真実と思われつつある。
#**そもそも大井川は暴れ川で、近代に治水が行われるまで洪水の度に川の流れる場所が変わったとか。木の橋をかけるなんて金の無駄という声が出てもおかしくない。
#**治水が進んだ現代でも近代以降の技術を用いた鉄橋でなく、木製の橋は台風等が来る度に流されて架け替えられている(蓬莱橋が有名)。2000年代以降でも既に4回崩壊してる。
#***「東海の河川」では3回崩壊って書いてあるけど、どっちやねん?
#****2000年は20世紀であって21世紀じゃないからです(同年に崩壊)
#金谷過ぎに夜泣き石というのがあり、乳飴がある。茶店では乳飴ソフトクリームがあるよ。でも国道1号にバイパスができて交通量は減っているはず。
#*交通量減少のあおりで2軒あった茶店が1軒になってしまった。
#*これと大井川があるために東西の文化が別れる。
#[[掛川市|掛川]]は城下街なんでやっぱり折れ曲がる。やっぱり旧街道宿場町感はそれほどでもない。
#*復元だけど、掛川城や大手門付近なんかがいい雰囲気なだけにちょっと中途半端でもったいない。
#掛川~袋井宿は松並木が少しある。この辺は旧街道っぽい。
#袋井宿は江戸・京都どちらからも27番目の中間宿。そんな袋井市のキャッチコピーは「どまんなか袋井」
#*宿場町内には「どまんなか茶屋」もある。
#磐田市内は高低差が激しい。両側の袋井浜松が平坦であるのでちょっと異色。
#浜松も城下街なんでやっぱり宿場町感はない。でもそれほど街道筋がそんなに折れ曲がってない。元々がこんなものなのか、昔の道筋が残っていないのか。
#舞阪、松並木が残って良い感じ。
#*東海道で唯一脇本陣が現存している。
#舞浜~新居は浜名湖河口を渡る、今切りの渡し。
#[[湖西市#新居の噂|新居]]には関所があった。今はその資料館がある。
#*今その辺りで最も目立つのは競艇場。
#*幕末に建てられた関所の建物が残っているほか消滅した建物も復元整備中。
#見附から御油までは「姫街道」という脇往還があった。浜名湖に宝永地震で4kmもの渡し船区間ができてしまったため、海路を避けるルートとして人気を呼ぶ。
#静岡最西端の白須賀宿は大津波によって宿場が内陸に移転している。


;偽星川 竜(ダイナブラック)の特徴
====姫街道の噂====
#徳川幕府の子孫だ。
#「姫街道」というのは新居関所を避けた女性陣から着いた名前。しかし旧東海道の宿場にとっては大打撃だった。
#宇宙人に興味はない。
#気賀から三ヶ日のあたりは昭和になって鉄道で同じような理由における迂回路線として「二俣線」が敷設された。後の[[天竜浜名湖鉄道|天浜線]]である。
#黒田官平と同一人物だ。
#東名高速は姫街道のルートに近いルートを通過している。
#実は[[スーパー戦隊シリーズ/1990年代#14代目・地球戦隊ファイブマン|星川5兄弟]]の親戚。
#*こう考えると、道路公団が高速を敷く時までは姫街道ルートの優位性に誰も気づいていなかったということになるのかもしれない。
#*スターファイブやアーサーG6は、実は彼が設計した。
#**[[浜松市]]街を避けるルートなのが大きいと思う。高速道路は一般道と接続するから市街地を通る必要ないからなあ。


;偽島 洋介(ダイナブルー)の特徴
===愛知県区間===
#[[wikipedia:ja:利尻島|利尻島]]出身だ。
#二川宿は街道の街並み復元に結構力を入れている。
#*あるいは、[[wikipedia:ja:礼文島|礼文島]]出身だ。
#*資料館で江戸時代のコスプレできる。
#[[#偽超獣戦隊ライブマンの特徴|超獣戦隊ライブマン]]でレッドファルコンを演じていた。
#豊橋市内は旧の吉田藩城下なので、右へ左へうねうね曲がる。おい、そっち反対方向やぞ、という方向に一旦戻ったり。数ある城下街でも屈指の折れ曲がり。
#御油の松並木は結構残っていて良い感じの景観。
#*御油宿と赤阪宿は近い。松並木を隔てて隣、というと言い過ぎだが、そんな気がする。名鉄で一駅、2km足らず。
#**半里程度で宿場が並ぶ例って他にどっかあるんだろうか……?
#**平成の合併までそれぞれ別の自治体(豊川市と旧音羽町)だったとはマンホールを見ない限り信じられない。
#藤川宿は東側の入り口付近を整備していたり、札所があったりぼちぼち整備されている。街並みとして悪くない。
#*資料館があるが、無人だったりする。小さい資料館だが、街道の模型があるしちょっと立ち寄るのは良いかも。
#*藤川宿の先の松並木もそこそこ残っていて良い感じの街並み。
#*名物だったむらさき麦を今は地元の小学生が育てている。
#岡崎の城下は二十七曲がりといわれていたくらい、曲がりくねっている。
#*現在の地図で数えると二十曲がりくらいだが、訳のわからん右折左折の連続。
#知立宿、昔は池鯉鮒と書いた。字面のイメージが違いすぎる。
#有松は宿場町ではなかったが、良い街並みが残る。東海道を歩き通した人が、東海道で一番の街並みと絶賛していた。
#*それでも重伝建地区になったのは2016年と意外と遅い。
#熱田神社の参道を真っ直ぐ行ったところに「七里の渡し」の船着き場がある。かつてはここから桑名までの7里は船で渡った。
#*江戸時代は木曽三川の河口部分を架橋したり徒歩で渡るのは難しかったのだろう。
#*実は佐屋路廻りというコースもあったらしい。ルートとしては熱田~金山~鳥森~千音寺~神島田~佐屋~海津~多度~桑名と行くらしく、今も佐屋街道としてその一部ルートをたどることができる。
#*その他、四日市まで行く十里の渡しもあった。
#東海道線よりも[[名鉄名古屋本線]]の方が旧東海道を踏襲している。
#*蒲郡を経由したことについて、かつては岡崎や御油・知立などの[[ベタな鉄道忌避伝説の法則|「鉄道敷設反対運動」によるという説]]が有力だったが、今日では「蒸気機関車では困難な勾配を避けるため」というのが一般的に。名古屋本線は愛知電気鉄道により昭和に出来たもので、開業時より17‰の登坂能力があった電車運転だった。
#名古屋の手前の熱田(宮)から海路に入る。
#*しかし海路を避けるために使われた脇往還の美濃路は名古屋宿を通る。こちらも需要がそれなりにあったとか。
#**実をいうと高低差、距離等々を鑑みると、こちらの方が合理的なルートであった。詳細は総論の項目を参照。
#*名古屋は東海道も中山道も中心を通っていない。しかし街の発展が美濃路と善光寺道をメインに引き寄せ、交通拠点にしてしまった。


;偽南郷 耕作(ダイナイエロー)の特徴
===三重県区間===
#ラーメン嫌い。
#桑名は七里の渡しの京都側の湊。桑名城の割と近く。往事は湊に近づくにつれて桑名城がよく見えたことだろう。
#スーツアクターは、最終回まで柴原孝典が担当した。
#*桑名も城下街、東海道はうねうね曲がる曲がる。
#*「その手は桑名の焼き蛤」で有名な桑名の蛤、名産なのは実は富田と言うところで今では[[四日市市]]になってしまった。当時は桑名藩領だったから桑名の焼き蛤で間違いなかったんだけどね。
#*四日市まで直行できる十里の渡しのほうが人気があったらしく、桑名宿の人が幾度か訴えてる模様。
#**似たような話が上街道(木曽街道)の宿場町で下街道(善光寺道)に対する訴えとして…尾張はそんな話が多い。
#*渡し場には伊勢神宮の一の鳥居が建っている。
#四日市宿は現在ではすっかり商店街。でもその南の方では街道っぽい街並みも残っている。
#*その商店街を除き、日永あたりまでは国道の抜け道に使う車が多く走っており、結構危ない。
#四日市の日永の追分で伊勢街道と別れる。お伊勢参りの人たちはここを左へ、京へ上る人は右へ。東海道を行くが伊勢神宮には行かない人のための遙拝の鳥居と、道標が残ります。
#*分岐点の少し北には小さいながら資料館あり。
#三重県で東海道の宿場町と言えば関が有名だが、亀山も街並みは良い。昔の家の屋号が書かれたいたりする。城下街なんでやっぱり道は折れ曲がっている。
#三重県区間の東海道にそう区間に引かれたのは、上述のような理由で官営の東海道線ではなく私鉄の関西鉄道となった。
#*現在の関西本線柘植以東と草津線に相応する。
#**昭和末まではこのルートで名古屋と京都を結ぶ急行「平安」があった。
#*道路では新名神高速道路が21世紀に。
#鈴鹿峠区間にある坂下宿まではなだらかな登坂だが、峠の手前で急勾配となる。が、箱根峠ほどでもなく、割とあっさり峠に到達する。
#*大昔は急勾配の区間に宿場があったようで、森の中に石垣が見える場所がある。


;偽立花 レイ(ダイナピンク)の特徴
===滋賀県・京都府区間===
#アレルギーは持っていない。
#鈴鹿峠を越えると、そこから水口まではダラダラ下る。
#フェンシングの腕前は初心者レベルだ。
#*土山には宿場があった。そしてそんな宿場町にある田村神社は東海道有数の厄除けの神様として崇められたとか。
#ユリアンにも変身できる。
#**鈴鹿馬子唄に「 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と唄われていた。そこから現代版宿駅と言える道の駅の名前は「あいの土山」。
#水口は宿場町と城下町が一体ではなく川を挟んで両者が併存する形だったとか。城下町区間では鍵曲がちょこちょこと存在する。
#水口を出ると石部宿までは松並木が続いていたとか。今はそんな気配すら感じさせないけど。
#*野洲川を跨いだ横田渡の跡地にはどでかい常夜灯が有る。
#*途中の夏見に茶屋があったらしい。因みに黒蜜をかけて食う心太は、そこが発祥だとか。
#石部の宿場は京都を朝出ると、だいたい夕刻に着けるところだったということでかなり栄えていたとか。
#*そんなところだったからか、地元はかなり力を入れて整備している。資料館やら茶屋を再現した無料休憩所やら宿場風テーマパークなど……
#草津宿で[[中山道]]と合流する。そんな所だから、結構大きい宿場だった。
#*今でも草津宿本陣が残っているが、これは現存する国内全ての本陣の建物のなかで最大のものらしい。
#草津~大津は瀬田の唐橋を通るルートが一般的で、膳所城下の義仲寺横を抜けて浜大津へ行くのが通常ルートだった。
#*ただ、矢橋帰帆島~浜大津に高速船があったらしく、これだと瀬田経由よりも速かったため、こっちを使ってショートカットする人も多かったらしい。因みに「急がば回れ」という諺は、急ぐなら船に乗らず瀬田を回れという格言が元らしい。
#大津は、西近江路経由北国街道と東海道の分岐にして、京都にとっては日本海方面への外港であったため、宿場町に登録されていたが、どっちかというと港町という感じ。
#大津から先、蝉丸~追分~四宮~山科~蹴上~三条は石畳だったとか。理由は馬や牛車による輸送が盛んなため地面を傷めないようにということらしい。
#*大津から追分を目指して行くと、脇に関蝉丸神社がある。ここで手を合わせた旅人はさぞかし多かったことであろう。
#*逢坂の関まで来ると、目の前に盆地が開ける。しかし、それは、京都盆地ではなく山科盆地。そして、そこから下りに転じてもまだ[[大津市|江州]]。
#**ただ記録によれば江州であるにもかかわらず逢坂の関までは畿内として扱われていたという。
#**関所ではあるが、ただの関所ではなく、休憩所としての役目も果たしていたとか。
#*逢坂を過ぎると伏見・大阪方面への京都飛ばしルートと分岐する。だからそこを追分と呼んだ。因みに今もその分岐が住宅街の中に残るが、そこが京滋の境。
#*山科からは天智天皇陵をかすめ、そのまま蹴上を過ぎて南禅寺の南側抜けると青蓮院の傍を通り、粟田口へ出る。


====ジャシンカ帝国側====
==京街道==
;偽帝王アトンの特徴
[[ファイル:Moriguchi-kyoukaido.jpg|200px|サムネイル|守口市内の京街道]]
#レトロ遺伝子の奪取に成功した。
*区間:[[京都市/東山区|京都三条大橋]]~伏見~淀〜枚方~守口~[[大阪市/中央区#淀屋橋・北浜・本町・天満橋|大阪高麗橋]]
#京都と大阪を淀川左岸を通って結ぶ。
#*[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]]はこれに沿って敷設された。
#**但し、枚方~守口は京阪が門真市内を経由するのに対し、京街道は淀川沿いを通る。淀川の堤防上を通ってる場所も。
#*現在の東海道本線は淀川右岸を通るが、鉄道開通以前は左岸が京阪間のメインルートだった。
#一般に東海道は江戸から京までの五十三次だが、この京街道を含めて江戸~大坂の五十七次と解釈する場合がある。
#*京都を避けたい人が江戸-大阪を直行するためのルート。要はイケズとばし。
#守口市内で高架状になっている道路はこの街道の名残り。
#[[八幡市|橋本]]あたりでは遊郭の町並みが残る。


;偽カー将軍の特徴
[[Category:道路|とうかいとう]]
#[[スーパー戦隊シリーズ/1990年代#20代目・激走戦隊カーレンジャー|カーレンジャー]]の6人目の戦士だ。
[[Category:東海道|*]]
 
==偽超獣戦隊ライブマンの特徴==
#初回から5人戦士だった。
#*ロボットも最初からスーパーライブロボ。
#**それどころか6人目の戦士も登場し、グラントータスやマシンバッファローもライブロボと合体する。
#実は『ドライブマン』だ。
#ライブマンだけに、ライブシーンがある。
#昭和天皇崩御の日も普通に放送し、[[テレビ朝日]]ごとバッシングを浴びてしまった。
#ウルトラマンタロウに倒された怪獣ライブキングを復活させて戦力としている。
#実はヤプール人の手先だ。
#*メンバーはレッドベロクロン、ブルーバキシム、イエローブロッケン。追加メンバーはブラックカウラとグリーンザイゴン。
 
===キャラクター===
====ライブマン側====
;偽天宮勇介(レッドファルコン)の特徴
#科学アカデミアでの成績は優秀だ。
#スポーツ嫌い。
#ファルコンパンチを使う。
 
;偽大原丈(イエローライオン)の特徴
#「いつもそうやって切り抜けてきた」ことに自信を持っているわけがない。
#勇介と成績のトップを争っていた。
#演じたのは、西村雅彦さんだ。
 
;偽岬めぐみ(ブルードルフィン)の特徴
#長崎県出身だ。
#科学アカデミアの成績は最下位だった。
 
;偽矢野鉄也(ブラックバイソン)の特徴
#初回から戦闘に参加していた。
#K1選手を目指している。
 
;偽相川純一(グリーンサイ)の特徴
#ブラックバイソン同様、初回から戦闘に参加していた。
#休学していない。
#変身後の名前は「グリーンライノス」。
 
;偽コロンの特徴
#実はオモッチャマ。
 
====ボルト側====
;偽大教授ビアスの特徴
#ケロン人である。
#実は大教授[[コードギアスシリーズファン|ギアス]]だ。
#毎週日曜日の朝に、オーズの使えるコアメダルをチェックしている。
#ゴーカイジャーのライブマン編で復活した。
 
;偽月形剣史(ドクター・ケンプ)の特徴
#普通の血液型である。
#最終的にボルトを裏切った。
#*そして精神病院に収監された。
#剣を使って戦う。
 
;偽仙田ルイ(ドクター・マゼンダ)の特徴
#勇介と交際していた。
#あくまでも生身の肉体で戦う。
 
;偽尾村豪(ドクター・オブラー)の特徴
#最初から天才。
#体が強い。
 
==偽鳥人戦隊ジェットマンの特徴==
#「戦うトレンディドラマ」として、月9で放映された。
#当初からメンバー全員が戦士としての使命に燃え、団結力も抜群だった。
#メンバーが変身前から互いに戦士名で呼び合う。
#お約束のように毎回変身し、巨大ロボ戦がある。
 
===キャラクター===
====ジェットマン側====
;偽天堂竜(レッドホーク)の特徴
#怠け者。隠れた性格は生真面目な正義漢。
#メンバー中唯一の民間人。
#大酒飲みで、好きな飲み物はマッカランのストレート。
#元恋人のリエが敵幹部にされたことを知っても、何の躊躇もなく殺してしまった。
;偽結城凱(ブラックコンドル)の特徴
#寂しがり屋の良い子。隠れた性格はクールでキザな一匹狼。
#下戸で、好きな飲み物はホットミルクの砂糖抜き。
#最終回で一人だけ生き残った。
;偽大石雷太(イエローオウル)の特徴
#キザな一匹狼。隠れた性格は気は優しくて力持ちの田舎青年。
#小食でガリガリに痩せている。
;偽鹿鳴館香(ホワイトスワン)の特徴
#僻みっぽくケチな女。隠れた性格はおしとやかなお嬢様。
#極貧にあえいでいる。
;偽早坂アコ(ブルースワロー)の特徴
#夢見る乙女。隠れた性格は元気一杯だが金にうるさい現金な娘。
#時給1500円で鳥人戦隊に入隊した。
;偽小田切綾長官の特徴
#既婚者だ。
;偽ジェフリィ(グリーンイーグル)の特徴
#本編でも登場している。
#仲間思いの男子。隠れた性格はノリの軽い青年。
 
==偽恐竜戦隊ジュウレンジャーの特徴==
#最初から赤・青・緑・黄・黒の5人で予定通りに決まった。
 
===キャラクター===
====ジュウレンジャー側====
;偽ゲキ / ティラノレンジャーの特徴
#ブライの義理の弟である。
#スーツカラーはブラックだ。
 
;偽ダン / トリケラレンジャーの特徴
#ブローラーズの戦士だ。
#スーツカラーはグリーンだ。
 
;偽メイ / プテラレンジャーの特徴
#妖怪を探している姉妹の妹だ。
#スーツカラーはレッドだ。
#*そのために初の女性レッド戦士となっており、一番の主人公となっている。
 
;偽ブライ / ドラゴンレンジャーの特徴
#黒い翼の天使の少女だ。
#スーツカラーはゴールドだ。
 
====バンドーラ一味側====
;偽グリフォーザの特徴
#体が黒っぽい。
 
====大サタン一派側====
;偽大サタンの特徴
#本名はマークだ。<!--元ネタはドラゴンボールZで、海外では「Hercules」である。-->
#「魔界の貴公子」と自ら称している。<!--元ネタはぷよぷよシリーズで、海外では「Dark Prince」である。-->
#普通に人語を喋る。
 
==偽激走戦隊カーレンジャーの特徴==
#戦隊史上最もハードかつシリアスなストーリー。 
#敵が芋羊羹を食べて巨大化なんてもっての外。
 
===キャラクター===
====カーレンジャー側====
;偽陣内恭介/レッドレーサーの特徴
#元F1レーサー。
#性格は至ってまじめ。
 
;偽土門直樹/ブルーレーサーの特徴
#言葉遣いが非常に悪い。
#5人の中で一番給料が低い。
#超がつくほどの女好き。
 
;偽上杉実/グリーンレーサーの特徴
#広島生まれ広島育ち。
#*広島弁で話す。
#*カープの大ファン。
#5人の中で一番給料が高い。
 
==偽救急戦隊ゴーゴーファイブの特徴==
#途中で、巽兄弟のいとこが変身する追加戦士が登場した。
#[女性声優ファン/た~わ行#林原めぐみファン|林原めぐみ]]が顔出し出演していたことで話題になった。
 
===キャラクター===
====ゴーゴーファイブ====
;偽巽モンドの特徴
#漢字表記は「巽門土」。
#所ジョージが演じた。
 
==偽未来戦隊タイムレンジャーの特徴==
#タイムレッドもタイムファイヤーも未来人である。
#名乗りがタイムピンク以降も「タイム」を付けており、最終的に「タイムレンジャー」と言う時に「未来戦隊」を付けていた。
 
===キャラクター===
====タイムレンジャー側====
;偽浅見竜也 / タイムレッドの特徴
#タイムレンジャーのリーダー。
#未来人であればタツヤとして片仮名になる。
 
;偽ユウリ / タイムピンクの特徴
#リーダーなんてもってのほか。
#家族は今も健在だ。
 
==偽炎神戦隊ゴーオンジャーの特徴==
#タイトルはシリーズ初の片仮名の戦隊タイトルとして「エンジン戦隊ゴーオンジャー」だ。
#キシャモスもティラインもケラインも喋る。
 
===キャラクター===
====ゴーオンジャー側====
;偽江角走輔(ゴーオンレッド)の特徴
#親のことを名前の呼び捨てで呼んでいる。
#*ポニョの発見者だ。
#メンバーの中で一番バカ。
#キャッチフレーズは「ハートキャッチ全開」。
 
;偽香坂連(ゴーオンブルー)の特徴
#バスを運転できる。
#キャッチフレーズは「スイート正解」。
 
;偽石原軍平(ゴーオンブラック)の特徴
#スケベだ。
#元不良である。
#キャッチフレーズは「ハピネスチャージ豪快」。
 
==偽侍戦隊シンケンジャーの特徴==
#実は[[wikipedia:ja:愛國戦隊大日本|この作品]]のリメイク版だ。
#筆頭スポンサーはタカラトミー。
#*[[偽製菓会社の特徴#偽江崎グリコの特徴|江崎グリコ]]もスポンサーとして参加している。
#*いや、『シンケン』だけに[[ベネッセコーポレーション|ここ]]が筆頭スポンサーかも。
#よ~く見ると'''待'''戦隊だ。
#*戦闘中はしゃがんで待ってたりして。
#主人公達は[[江戸時代]]からタイムスリップして現代へやって来た。
#「真剣者」ではなく「親権者」である。
#*「大岡裁き」にある「どちらが本当の親か?」と子供の腕を引っ張らせるのを1年間かけて描く。
#変身アイテムは「仁・義・礼・智・信」それぞれが刻印された玉。
 
===キャラクター===
====シンケンジャー側====
;偽志葉丈瑠(シンケンレッド)の特徴
#愛想がある。
#人を命を守ることなんてできない。
#漢堂ジャン、江角走輔並に声が高い。
#影武者ではない。
#「しば・たける」ではなく「しばた・ける」(柴田蹴)だ。
#苗字は「志葉」ではなく「火宮」だった。
#*または「火赤」だった。
#ダイワハウスの物流部門勤務。
#先祖が黒田官兵衛。
 
;偽池波流ノ介(シンケンブルー)の特徴
#演歌歌手を目指していた。
#不真面目な性格だ。
#演じているのは[[偽嵐の特徴#偽相葉雅紀の特徴|ジャニーズのアイドル]]。
#苗字は「池波」ではなく「水川」だった。
#*または「水青」だった。
 
;偽白石茉子(シンケンピンク)の特徴
#小学校の先生だ。
#頭の回転が遅い。
#結婚願望はゼロ。
#白鳥スワン/デカスワンを演じた。
#苗字は「白石」ではなく「天堂」だった。
#*または「天桃」だった。
#曾祖母の妹が元帝国陸軍従軍看護婦で終戦後にイケメン中国人と結婚し、中国に住んでいる。
 
;偽谷千明(シンケングリーン)の特徴
#[[wikipedia:ja:谷佳知|彼]]の弟だ。
#トラブルとは無縁だ。
#ゲームセンターが大嫌い。
#苗字は「谷」ではなく「木村」だった。
#*または「木緑」だった。
#薫を主人として従っている。
 
;偽花織ことは(シンケンイエロー)の特徴
#なにごとにも消極的だ。
#人の意見に流されることなんてない。
#演じてるのは[[AKB48]]かハロプロのメンバー。
#実は安田美紗子の遠い親戚。
#苗字は「花織」ではなく「土山」だった。
#*または「土黄」だった。
 
;偽梅盛源太(シンケンゴールド)の特徴
#ラーメン屋の屋台を営む。
#*麺っぽい携帯電話とナルト型の秘伝ディスクで変身する。
#機械オンチ。
#[[カレーライス|カレー]]屋に転職した。
#苗字は「梅盛」ではなく「金光」だった。
#*または「光金」だった。
 
;偽志葉薫(姫シンケンレッド)の特徴
#最初からシンケンジャーのリーダーとして戦っている。
#*最終話では丈瑠とのWシンケンレッドでドウコクを撃破した。
#丈瑠とは実の親子の関係。
#苗字は「志葉」ではなく「火宮」だった。
 
;偽日下部彦馬(ジイ)の特徴
#黄門様と道中を供にしていた時期がある。
#*これは初代シンケンレッドや脂目マンプクも同様である。
#[[wikipedia:ja:神風怪盗ジャンヌ|この作品]]のヒロインの祖父だ。
#*いや、[[らき☆すたファン|みさお]]のおじいさんなんだってヴぁ。
#親類が裏稼業をやっている。
 
====外道衆側====
;偽血祭ドウコクの特徴
#ゴーマ一族の生き残り。
#*前の戦いから約15年ほど三途の川で潜伏していた。
#*2009年6月現在新婚ホヤホヤ。
 
;偽骨のシタリの特徴
#ただのイカ。
#*阪神百貨店で烏賊焼きにされる。
#*やはりイカ臭い。
#*でも刺身にすると美味しい。
#*シンケンゴールドに鮨ネタにされる。
#*最終的に烏賊折神と統合される。
#*本当に人間のガイコツだ。
#正体はアルファQ。
#[[男性声優ファン/た~わ行#チョー(長島雄一)ファン|中の人]]が着ぐるみに入って出演している。
#*その縁で三途の川の探検地図を書いた事がある。
#*薄皮太夫をモチーフにした「朴朴さん」という人形を腕にはめて暇を潰している。
#**さらに暇になると「朴朴音頭」を歌いだす。
#函館在住でイカール星人とは旧知の仲。
#[[クトゥルフ神話ファン|H・P・ラヴクラフト]]は、彼をモデルにして「クトゥルフの呼び声」を執筆した。
#イカ娘の祖父で、口癖は語尾に「ゲソ」を付けて喋る。
 
;偽薄皮太夫の特徴
#三味線が下手くそ。
#*歯で弾いたほうが上手い。
#面の皮が異常に薄い。
#実は[[鋼の錬金術師ファン|鋼の錬金術師]]で、最愛の弟を失っている。
#過去に[[ガンダムファン|ターンAガンダム]]を操縦している。
#カフェのオーナーでもある。
 
;偽腑破十臓の特徴
#オルフェノク。
#源太の寿司を「まずい」と一蹴した。
#7人目をひそかに狙っている。
#*そして7人目になった。
#イラストの才能が有る。
#*ゴーバスターズの劇中イラストを描いているのも彼である。
 
;偽筋殻アクマロの特徴
#サイヤ人だ。
#余りにウザいのでドウコクにすぐ倒された。
 
===武器・メカ===
;偽折神の特徴
#紙製。
#*下手に攻撃を受けると破れる。
#「オリジン」と読む。
 
;偽シンケンオーの特徴
#「おでん合体」の方が正しい合体形態。
#無敵将軍の改良型だ。
#毎年5月5日には全国の人形店に出没する。
 
;偽ダイゴヨウの特徴
#化けて出てくるお化けちょうちん。
 
;偽牛折神の特徴
#性格が温和で、周りから親しまれている。
 
;偽サムライハオーの特徴
#非常にスリムで動きが俊敏だ。
 
;偽恐竜折神の特徴
#ティラノ型、トリケラ型、翼竜型の3体セットだ。
#実はジュウレンジャーの守護獣orアバレンジャーの爆竜の使い回しだ。
 
==偽海賊戦隊ゴーカイジャーの特徴==
#レジェンド大戦とは戦隊同士の殺し合いのことである。
#ゴーカイジャーが過去の戦隊の世界を巡る。
#*カードで変身する。
#**「おのれゴーカイジャー!貴様らのせいで、スーパー戦隊の世界も破壊されてしまった!!」
#次作は「山賊戦隊」というところまで即座に決定した。
#[[スーパー戦隊シリーズ/2000年代#32代目・炎神戦隊ゴーオンジャー|ゼンカイジャー、セイカイジャー、マンカイジャー、ユカイジャー、ゲンカイジャー、セカイジャー]]もいる。
#*ゼンカイジャーは現実のものに。
#レンジャーキーで悪の戦隊に変身する。
#*大いなる力は歴代の悪の戦隊から譲り受ける。
 
===キャラクター===
====海賊戦隊ゴーカイジャー====
#メンバーは全員地球出身。
#海上でしか行動しない。
#地味だ。
 
;偽キャプテン・マーベラス(ゴーカイレッド)の特徴
#優柔不断。
 
;偽ジョー・ギブケン(ゴーカイブルー)の特徴
#[[岐阜]]県民だ。
#剣は使わない。
#*典型的な銃使いだ。
 
;偽ルカ・ミルフィ(ゴーカイイエロー)の特徴
#言葉遣いが丁寧。
#弱気。
#幼少期は金持ちだった。
#父親は警察官だ。
#トランプ勝負は全戦全敗である。
 
;偽ドン・ドッゴイヤー(ゴーカイグリーン)の特徴
#考えるより先に行動するタイプだ。
#一人だけ賞金が高い。
 
;偽アイム・ド・ファミーユ(ゴーカイピンク)の特徴
#言葉遣いが荒い。
#実は[[wikipedia:ja:バンプレストオリジナルのキャラクター一覧#第2次スーパーロボット大戦Z|物凄い嘘吐き]]だ。
 
;偽伊狩鎧(ゴーカイシルバー)の特徴
#6人目にして、初めての地球人以外の戦士だ。
#幼少時に親を戦隊に殺されたと思い込んでいた為に、アンチスーパー戦隊である。
#「ヨロイくん」が正しい呼び名。
 
;偽ナビィの特徴
#本名は「鳥」。
#モチーフはオウムではない。従って30分後の世界に、パロディでオウムヤミーが登場することはなかった。
 
====宇宙帝国ザンギャック====
#規模が小さい。
#実はボーゾックとガイアークの残党だ。
#大口を叩いているが、実は大星団ゴズマとクライシス帝国の影響を排除するのに必死である。
#巨大戦艦は巨大ロボットに変形する。
 
;偽ワルズ・ギルの特徴
#皇帝の息子であるという立場に反発している。
#こいつがいる限り作戦が失敗することはない。
#最終回前にクーデターで父親を追放、自らが皇帝になる。
 
;偽バリゾーグの特徴
#バリドリーンなどに加わったゴレンジャーの新しい乗用マシンである。
 
;偽インサーンの特徴
#陣内恭介に惚れることは、一切ない。
 
;偽ダマラスの特徴
#力バカ。
#[[勇者シリーズ#勇者王ガオガイガー|GGG長官]]を兼任している。
 
;偽ダイランドーの特徴
#とても冷徹で残忍な性格だ。
 
;偽アクドス・ギルの特徴
#子煩悩であり、息子に惑星侵略のノウハウを教えるために最初から付きっきりだった。
#*カンゼンゴーカイオーの初陣で敗れ、息子を二代目皇帝として認めた。
 
==偽特命戦隊ゴーバスターズの特徴==
#戦隊シリーズではなく、メタルヒーローシリーズにカウントされている。
#メタロイドが巨大化してメガゾードになる。
#リアル要素が一つも無い。
 
===キャラクター===
====特命戦隊ゴーバスターズ====
#公的組織ではない。
#*一般人からの募金で運営されているNPOだ。
#*実はヴァグラスの隠れ蓑として組織された。ラスボスは黒リン。
#*エネトロンをヴァグラスに奪われる度に、首脳部から解散宣告を突きつけられている。
#ゴーバスターズのメガゾードは人の動きに合わせて動く。
 
;偽桜田ヒロム/レッドバスターの特徴
#ニワトリを見ると動きが速くなる。
#*その為戦闘前には必ず鶏肉や卵を摂取している。
 
;偽岩崎リュウジ/ブルーバスターの特徴
#冷え性のため、カイロを持参。
#*決め技は周囲を凍り付かせることだ。
#*だが、本物の動物戦隊側の本人は…
 
;偽宇佐見ヨーコ/イエローバスターの特徴
#人工甘味料を持参。
#*むしろ激辛商品を食べないと動けない。
 
;偽陣マサト/ビートバスターの特徴
#最初から人間だ。
#*当然年を取っている。無謀な事を行う。
 
====ヴァグラス====
#メンバーはすべて人間。
 
;偽メサイアの特徴
#巨大な電子頭脳だ。
#その正体はジャンク品に並べられていた、カシオペアやPalm、Zaurusなどの残留思念の塊だった。
 
;偽エンターの特徴
#TOKIOのメンバーだ。
#挨拶に、日本各地の方言を交える。
#メイドや女子高生の制服を着たことがある。
#その正体はクラスタースピナーのテイラーである。
 
;偽エスケイプの特徴
#コスチュームデザインが非常に露出度が高い。
#レッドバスターと恋仲になり、組織を裏切る。
#ヴァグラスの怒りを買って、最後は巨大化改造され、ロボ戦に挑む。
#実はコイツがヴァグラスの真のラスボスだ。
 
==偽獣電戦隊キョウリュウジャーの特徴==
#獣電池は手回し充電器でチャージされる。
#千葉繁が全登場人物のアフレコをしている。
#デーボス軍が集める感情が細かすぎて伝わらない。
 
===キャラクター===
====キョウリュウジャー側====
;偽桐生ダイゴの特徴
#クイーンと呼ばれている。
#[[偽ぷよぷよの特徴|格闘女王との噂をもつ女性]]とは知り合いである。
 
;偽イアン・ヨークランドの特徴
#片言でイタリア語を喋る。
#闇の魔導士とは知り合いである。
 
;偽有働ノブハルの特徴
#アメリカンジョークを連発する。
#見習い魔導士の少女とは知り合いである。
 
;偽立風館ソウジの特徴
#剣ではなく銃で戦うのが得意だ。
#半人半竜の少女とは知り合いである。
 
;偽アミィ結月の特徴
#礼儀正しい少女だ。
#半人前の魔法少女とは知り合いである。
 
;偽鉄砕の特徴
#初登場時はフサフサだったが、再登場する度にハゲが進行していった。
#サガスナイパーを使って戦う。
 
;偽ドクター・ウルシェードの特徴
#ビーファイターに登場したシュヴァルツが転生した姿だ。
 
;偽トリンの特徴
#ナビイと同じく「鳥」と呼ばれている。
 
;偽桐生ダンテツの特徴
#七曲署の刑事だ。
#「One for all. All for one.」が口癖だ。
#「おしん」の次男・仁の軟弱な青年期だ。
 
====デーボス軍====
;偽百面神官カオスの特徴
#表情ごとに顔が変わる。
#宇宙戦艦ヤマトに乗っていた為9月ごろまで不在だった。
 
;偽怒りの戦騎ドゴルドの特徴
#空蝉丸の体内に封印されていた。
 
==偽烈車戦隊トッキュウジャーの特徴==
#レインボーラインはイマジネーションが無くても乗れる。
#*シャドーラインでも乗れる。
#アフレコは山口勝平氏が全て担当する。
#トッイチジャーからトッハチジャーまで黒歴史。
 
===キャラクター===
====トッキュウジャー側====
#最初から大人だ。本名で呼んでいる。
#イマジネーションが無くても変身できる。
 
;偽ライトの特徴
#小食だ。
#*食べ物に恨みを持たない。
 
;偽トカッチの特徴
#ヒカリより頭が冴える。
#*100点を取った事がある。
 
;偽ミオの特徴
#家事が下手だ。
#面倒見が悪い。
 
;偽ヒカリの特徴
#成績ではトカッチより下だ。
 
;偽カグラの特徴
#5人の中ではイマジネーションが一番下だ。
#*すなわち、なりきりガールではない。
 
;偽虹野明の特徴
#純正100%の人間だ。
#*こちらが本名だ。
#イマジネーションが無いと変身できない。
#シュバルツ将軍の事はどうでもいい。
 
====シャドーライン側====
;偽ゼットの特徴
#性格が全うとしている。
#「キラキラ」を手に入れた。
 
;偽ノア夫人の特徴
#親の威厳を持たない。
 
;偽ネロ男爵の特徴
#ゼットを毛嫌いしている。
 
;偽シュバルツ将軍の特徴
#闇による征服を目指している。
#*当然ゼットに従う。
#「キラキラ」を手に入れられなかった。
 
;偽グリッタ嬢の特徴
#本当に美少女だ。
 
;偽モルク侯爵の特徴
#大山のぶ代さんが担当している。
 
;偽ヘイ大公の特徴
#本当に「お○ら」という名前から由来している。
 
==偽手裏剣戦隊ニンニンジャーの特徴==
#巻物型の「忍マキモノ」を集める。
#ナレーション:立木文彦。
===キャラクター===
====ニンニンジャー側====
#妖怪の子孫として、現代に蘇った忍者一族と戦う。
 
;偽伊賀崎天晴の特徴
#末っ子で優秀だ。
#口癖は「冷めてきたー」。
 
;偽加藤クラウド八雲の特徴
#フランスの騎士学校を卒業。
#口癖は「ディフィカルトだな」。
 
;偽松尾凪の特徴
#資格を取るのが嫌い。
#元てれび戦士だ。
 
;偽伊賀崎風花の特徴
#バカで頼りなく、いとこ達を振り回している。
 
;偽百地霞の特徴
#文系女子だ。
#誕生日は八雲より後。
 
;偽キンジ・タキガワの特徴
#一人称は「わちき」で「~でありんす」と付ける花魁口調だ。
#吸血鬼ハンターの家系だ。
 
;偽伊賀崎好天の特徴
#頭に三角巾を付け、白装束を着ている。
#普段はラーメン屋の屋台を引いている。
#宇宙人とは交信したことがない。
 
==偽宇宙戦隊キュウレンジャーの特徴==
#宇宙の平和を乱す破壊者。
#*ドン・アルマゲは、常に善政を敷く究極の統治者。
#*なので基本的にピカレスク。
#キュウレンオーやギガントホウオーは、惑星を武器扱いする。
#*雷王星を叩きつけたりする。
#ゴレンジャーを除き、イチレンジャーからハチレンジャーまで黒歴史。
===キャラクター===
====キュウレンジャー側====
;偽ラッキーの特徴
#[[とある魔術の禁書目録ファン|口癖が「不幸だ」]]
#*自分から攻撃するより、相手の攻撃を無効化するのが得意だ。
#リーダーぶる割には慕われない。
 
;偽スティンガーの特徴
#壊滅的に不器用。
#決め台詞は「俺の毒にひれ伏せ」。
#尻尾が前にある。
 
;偽ガルの特徴
#猫座星系出身。メス。
#*毎回衣装がコロコロ変わり、ファンから「コスプレぬこさん」と呼ばれる<!--ゲゲゲ五期の猫娘みたいに-->。
#ラッキーにだけ何故かなつかない。むしろ引っ掻く。
 
<!--;偽バランスの特徴-->
<!--;偽チャンプの特徴-->
<!--偽ナーガの特徴-->
;偽ハミィの特徴
#[[手裏剣戦隊ニンニンジャー|忍ぶ処か暴れる]]。
#*透明化は使わない。目立たないから。
#[[スーパー戦隊シリーズ/1990年代前半#18代目・忍者戦隊カクレンジャー|攻撃するとアメコミ風の擬音が飛ぶ]]。
 
<!--偽ラプター283の特徴-->
;偽スパーダの特徴
#食べる専門。
#*宇宙食べログ主宰。
#決め台詞は「[[マグロ|二夜連続]]」だ。
#球技はプロ並み、特に野球の腕は宇宙有数。
 
;偽ショウ・ロンポーの特徴
#実は六子の三男だ。
#一人称は僕と書いて「やつがれ」。
#常に冷静沈着に見えるが、規格外のポンコツ。
#リュウボイジャーが、どう見ても[[スーパー戦隊シリーズ/1990年代前半#17代目・五星戦隊ダイレンジャー|大神龍]]だ。
#*強すぎて合体する意味がない為、リュウテイオーもリュウテイキュウレンオーも出ない。
<!--;偽小太郎の特徴-->
<!--;偽鳳ツルギの特徴-->
==偽快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャーの特徴==
#同じエピソードを、視点を入れ換えて両方から描く。
#*Aパートでルパンレンジャー、Bパートでパトレンジャー。
#*だから話が進まない進まない。
#EDがミニコーナーを含むため、結構長い。
===キャラクター===
====快盗戦隊側====
#キャッチコピーは「輝くものは星さえも、尊きものは命すら。森羅万象たちまち盗む<!--王ドロボウ-->、神出鬼没の大快盗」だ。
#金庫を素手で抉り、中のコレクションを強奪する。
#もしくは奇襲して、バラバラ殺人の如く解体して奪い取る。
#レッドが頭脳派、ブルーは狙撃が得意な皮肉屋。イエローの武器は日本刀。<!--三世ですね-->
#*コグレさんは美女の姿で登場し、手練手管で結局コレクションを持ち去ってしまう。
#ファミレスチェーンを経営し、資金力の高さがウリ。
====警察戦隊側====
#「貴様らには黙秘する権利も、弁護士を呼ぶ権利も無い!」と問答無用で撃ちまくる。
#*そして毎回尋常ではない被害を出し、市民から恐れられている。
#一応正体を隠しているつもりだが、すぐに指差される。
#ジム・カーターは美少女型。
#*当然ツンデレ。
#お詫びの品として出すのは、パトレン饅頭ではなくパトレンコスのピーポくんぬいぐるみだ。
#U号では1号2号が合体し、必然的に一人余る。
#*どうも腑に落ちないぜ、3号のつかさ。<!--サンゴッドのアレです。-->
====ドグラニオファミリー側====
#ヤーブン自身は好好爺。
#*その権力を狙う幹部たちが、独断で地球へ侵攻。
#メドゥのコレクションは、「身体の一部」だけしか効かない。
#*むしろ「おおきくなぁれ」のセリフに反応してスタンダップする。
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2021年6月26日 (土) 04:52時点における版

東海道の噂

  1. 言わずと知れた江戸時代の五街道の筆頭、現在でも交通の大動脈。
  2. 現在ではJRの東海道線東海道新幹線、国道は1号東名名神高速道路とかがおおよそこの街道を踏襲していると言って良い。
    • ただし、難所の箱根峠と鈴鹿峠は別ルートを通っていることが多い。
      • 国道1号を除いては箱根部分は高速道路は御殿場経由、鉄道は熱海経由。鈴鹿峠部分は、鉄道、高速道路ともに関ヶ原から米原方面を経由する方を通ってしまっている。
        • 大本となる東海道本線がもともと琵琶湖海運を活用する形で整備され、更に当時は中山道線としての計画だったのが大きい。
          • 岐阜から名古屋・大府を経て武豊までの区間は本来、武豊港から中山道線の建設資材を山中に運びこむため造られた支線だった。しかし東西幹線が東海道経由に計画変更されたことで、大府以北は東海道線の一部に。残る区間が武豊線となった。
          • 岐阜~熱田はルートとしては「美濃路」に相応する。江戸時代から東海道における木曽三川の難所を避けられる迂回路として使われていた脇街道ではある。
        • 東海道新幹線は、北陸連絡強化と建設期間短縮・費用圧縮のために鈴鹿貫通が断念されて東海道線と同様の米原経由に。高速道路は新名神高速道路が後に本来の東海道に近いルートを通るようになった。
          • 前身の弾丸列車計画では鈴鹿経由か米原経由か最後まで決まらなかった。
        • 実は、京~熱田のルートは、元々、飛鳥や奈良に都があったことの名残だったりする。
          • 飛鳥時代、東海道は飛鳥→桜井→榛原→名張→上野→加太→関→亀山→鈴鹿→伊勢湾連絡船→三河御津と伸びており、奈良時代には、奈良→加茂→上野のルートに変更されている。
            • 結局、都が京都に移っても東海道は関以東のルートを活かそうとして、宿駅を整備した結果、草津から水口、土山、関と、わざわざ峠越えをして南東へ向かっておきながら、その後、北東に進路を向けて、さらに、木曽三川河口部の湿地帯という難所を抜けるような非効率なルートを取る羽目になった。
            • 都が京都にある場合、三河国府と京都の間を、なるべく労力を取らずに進むことができるのは、平安初期の地形と操船技術、荷馬の価値等を鑑みると、不破の関までは東山道と同じルートを行き、そこから、羽島までは概ね名神高速沿い、羽島から名古屋までは概ね新幹線沿いに名古屋まで進んだあと、国道1号線沿いに行くルートらしい。そう、平安初期の人にとっても草津・亀山回りは実は遠回りだった。
      • 箱根越え区間については、東海道線も元々は御殿場迂回だった。
        • 高速道路は鉄道と違い、勾配をそこまで気にせず済むので、山際を通る現在の東海道線ルートではなく御殿場線ルートを踏襲したようにも思える。
    • 静岡県区間は国道1号線に沿ってはいるが、本道(ほとんどバイパス)と重複しているところはあまり多くない。
  3. 基本的には「東海道五十三次」として、お江戸日本橋から京の三条大橋まで53の宿場町がある街道として知られる。
    • 浮世絵でも東海道五十三次は有名。
      • 多くの宿場町の資料館でコレクションされている。
    • ところが、京都からさらに大坂まで五十七宿で東海道、とする説もあるようで。
      • 残り四つは伏見・枚方・守口・大坂だっけか?
        • 淀宿もあったと思う。
      • この区間は「京街道」とも呼ばれている。
      • いや、京都とかもう東海道じゃなくて区分は畿内でしょ。地図帳でそう色分けされてた。何にでもしゃしゃり出てこないでほしい。
        • 色分けとか畿内とかはそりゃ五畿七道の話しでしょ。ここは街道としての東海道の話しですんで。
  4. 最も有名な旅行者はなんと言っても弥次さん喜多さん、東海道中膝栗毛の主人公二人だろう。資料館や道ばたの説明板でも、その道中の模様が描かれていたりする。
  5. 東海道沿いを辿って徒歩旅する人がいるが、見た限り、東京から京都方面に歩く人が多く、逆向きはそんなにいない模様。
  6. 静岡・愛知あたりでは灯籠なんかに「秋葉神社」の銘が入っていることが多い。秋葉神社は火除けの神様で浜松市/天竜区にある。宿場町に限らず、江戸時代は火事が多いしね。
  7. 律令国の東海道の範囲も街道の東海道の経路とほぼ一致する。異なるのは律令国の東海道の範囲は日本橋以東にも広がっている事くらい。
    • ところでこれ、律令国と街道名が一緒なのは単なる偶然なんだろうか。山陽道や北陸道はともかく、東山道・海道西海道は街道としての名もあるのかどうか分からんし。
      • 東海道は少なくとも五畿七道の継承で今の名前になったと思う。徳川政権時代より前も道の名称として「東海道」が使われることはあった。
      • 五畿七道の七道にはそれぞれ実際に都から国府への道があった。時代による変遷があるので完全では無いにせよ、江戸期以降の東海道もおおよそその時の道を踏襲していると言って良いかと思う。国道1号は東海道を踏襲している、と言うのと同レベルで。
      • 中山道も江戸時代中期までは東山道などと呼ばれることがあった。
    • 律令国の東海道は江戸期以降の東海道が通る範囲に加え、伊賀、甲斐と安房・上総・下総・常陸。江戸期以降の東海道は近江を通るが、律令国の近江は東山道。
    • 余談過ぎるが、東海道自然歩道は全然別物。
      • 正確には「東海自然歩道」ですな。主な経由地である東海地方からの命名です。
        • すまん、記憶違いだったわ。
  8. 難所が多いため、迂回ルート(脇往還)が幾つか存在した。
    • 上の美濃路もその一つ。七里の渡しに対して十里の渡し、佐屋街道・三里の渡しもあった。また浜名湖をまたぐ新居辺りでの姫街道なども。
  9. 江戸時代、大井川など大河川に橋をかけなかったのは幕府の戦略と言われてきたが、実際には渡し屋の反対と当時の建設技術に基づくところが大きいらしい。
    • そういった場所では方言・食文化などの文化的な境界も生じている。
    • 川が多いことから女性は遠回りでも中山道を行くことも多かったらしい。幕末の皇女和宮の降嫁の時も中山道経由。
    • そして大井川では明治になって橋が架かり、失職した渡しの人足たちは、同じく失職した元徳川幕府の武士の人たちと共に牧ノ原台地でお茶の生産に励むことになる。
    • ただし一部の資料館などでは今でも旧説に基づく説明がされている。
  10. 東海道と北海道が同じ「行政区分」(五畿八道)に因んだ名前であったことを知らない人は多い。今では「東西のルート」と「四島の一つかつ都道府県の一つ」で大きく立ち位置が異なるから。
    • そして南海道と西海道もあるのだが、知名度が大きく劣る。南海道は南海電気鉄道の由来でもあるのだが。
      • 南海電鉄および関連会社以外にも、和歌山四国には「南海」がつく社名はある。西海のほうは長崎県西海市っていうのができたけれど。
    • 2016年に北海道新幹線が開業し、立ち位置が異なるまま共に新幹線路線の名前となる。
  11. かなり古い時代から紀行文が書かれている。

各宿場・街並みの噂

  • この項目では地域順に割込を許容します。要約欄に「地域順割込」の旨をお書き下さい。

東京都・神奈川県区間

  1. 東京都内区間は、品川付近を除いてほぼ国道15号線を辿る。世界の高級ブランドが軒を連ねる銀座の街並みや、田町の札の辻交差点の歩道橋から見る東京タワーは、現代の旅の始まり(京都側からだと終わり)と大都会東京を象徴する華やかな眺め。
    • 但し始点の日本橋付近は1号線になっている。1号線は永代通りで曲がり、日比谷通り→内堀通りを経由し、桜田通りとなった後に第二京浜(五反田~横浜間)として、横浜駅付近まで東海道の内側を走る。
      • この第二京浜は、第一京浜≒東海道とは比較にならぬほどアップダウンが激しく、先人の道選びの賢明さを改めて思い知らされることとなる。
    • 一方の15号は、ローカルでは中央通り(新橋まで)→第一京浜(新橋~横浜間)と称される。道中、部分的に「旧東海道」が分離している区間も存在するが、第一京浜区間では基本的に通常の舗装道路である。
  2. 日本橋から出てから初めて街道っぽい雰囲気を出してくるのが品川宿。左右に商店が並ぶ街並みは、古い歴史を感じるような商店から、和の雰囲気に凝ったカフェまで色々あって、歩いて楽しい。
    • 関東大震災や東京大空襲の被害を奇跡的に免れたので古い家屋が残った。
  3. 幕末にアメリカから神奈川を開国するよう迫られたが、宿場町を開放したくない幕府は近隣の横浜村を神奈川として開港した。
  4. 横浜駅付近で第一・第二京浜が合流して以降は、基本的に1号線沿い。
  5. ハマのアメ横とも称される洪福寺松原商店街のメインストリートはこの街道の程ヶ谷宿手前(京方面)の部分である。松原の由来は東海道に植えられた防風林だったとか。
    • そして日本橋から歩いて初日の宿泊地として栄えたのが程ヶ谷宿。
  6. 程ヶ谷宿から権太坂(箱根駅伝の難所ではない旧道の方)を越えてしばらく行くと今なお完全な状態で残っている品濃一里塚がある。
  7. 廃止された戸塚駅横の大踏切も東海道の一部であった。
  8. 藤沢宿は箱根駅伝でも有名な遊行寺の門前町でもあった。
  9. 茅ヶ崎の少し京都寄りに左富士という名所がある。有名なのは富士市吉原の方であるが。
  10. 平塚宿は現在の平塚駅前の商店街に位置している。
  11. 平塚~大磯は東海道五十三次の中でもかなり短い。二宮の方がバランスがいいようにも思えるのだが…。
  12. 小田原宿は日本橋を出発して最初の城下町であった。
  13. 天下の険・箱根峠越え。箱根湯本で国道1号と別れ、県道に入ってからの登りがえぐい。
    • 休みの日なんかは自転車(レーサー等、スポーツ車)で登る人が大勢います。そりゃいいトレーニングになるでしょう。
    • 本当の旧東海道は県道から離散集合(?)を繰り返しながらハイキングコースのようなものがあります。石畳も。静岡県に入ってからも三島に下るまで、国道1号に並走するハイキングコース、部分的に石畳の道がある。
      • 石畳の道は、畳というにはかなり凹凸が激しいので、少し歩くぐらいなら雰囲気があって良いが、全区間を通して歩こうとするとかなり足や靴に負担が大きいので、初心者は注意。
    • この箱根越えの終盤に箱根関所が設置されている。また、当初は小田原宿と三島宿から住民を移住させて宿場を作ったとされ、「小田原町」「三島町」という小字が今も残っている。

静岡県区間

  1. 三原宿~吉原宿間は千本街道という脇往還がある。山側の今の県道163号が東海道、海側の県道380号が千本街道。街道にこだわらず歩く・サイクリングならさらに海側、松原の中の道を行くのも良いかもね。
    • Web地図のマピオン、千本街道と東海道が逆に書かれとる。
    • 三原宿 三島宿~吉原宿間はぱっと見は普通の二車線県道だが、左右に神社お寺へがいっぱい、旧街道っぽい。
    • 三原宿? 原宿三島宿ならあるけど……
      • 三島の誤タイプでした、でも地図を見直すと沼津宿~吉原宿の方が実態に近いな。
  2. 江戸側からきて、吉原宿手前に「左富士」という場所がある。通常は富士山を右側に見て歩いてきたのが、この区間だけ左側に富士山が見えるという場所。
    • とはいえ、真左に見える訳ではない。だいたい左前方20度くらいかな。
    • これ、吉原宿が海側から山側に移転したために起こった街道の付け替えでこうなった。
      • 吉原宿は2回宿場の移転を行っている。そう言われると地図をみたら吉原あたりにはそれっぽい道が他にもあったり、吉原宿の京都側に不自然な曲がりがあったりする。
      • 付け替えの原因は大浪による物らしい。最近「旧街道の山側は津波等が来なくて安全」とかいう話があるが、この付近(付け替えられていない部分)ではそれは当てはまらないということになる。ま、地元の方は地形等からわかっておられるのだろうけれど。
      • 吉原宿は現在商店街になっているこれはこれで旧街道らしい現在の街並み。が、江戸側から来ると商店街の途中で街道が分岐して非常にわかりにくい。
    • 「左富士」はバス停の名前として今もそこに残っている。
  3. 蒲原から由比宿あたりも国道1号の山側に分かりやすく残っている。蒲原、由比ともに資料館有り。
    • だいたいその辺りが例の世界一列………。
  4. 蒲原宿のところに、一里塚の跡の小さいお社を囲うようによけて建てられている民家がある。民家の持ち主の方、律儀だなぁ。
  5. 由比から興津へのさつた峠(さつたは薩と土偏に垂の字)は昔から交通の要衝。
    • 現在も狭い範囲にJR東海道線、新幹線、東名高速が密集。その上の崖を旧東海道の道がある。
    • 旧東海道は時代によって3本くらい峠道がある。海沿いの道もあり、一旦使われなくなったが、江戸時代に地震による海岸隆起で再び使えるようになったとか。
    • 難所だけあってここで合戦も起こっている。南北朝時代(足利尊氏軍vs足利直義軍)と、戦国時代(武田信玄軍vs今川氏真軍)。
    • 今はハイキングコースになっている。
  6. 清水駅前付近、国道1号から分岐しているそれっぽい道がいくつかある。どうも時代による街道の変遷があったらしい。
    • 県民にはCMでお馴染みの「漢方薬の荷居屋」も街道沿いにある。街道を行き交う旅人の荷物預が発祥であるらしい。
  7. 静岡は駿府城の城下街だけあって経路が折れ曲がってる。県庁所在地の繁華街でも(おそらく)一番賑わっている通りを通る。
    • その手前で貨物ヤードが街道を分断しているのだが、その迂回路である北村地下道はクラクションが絶えず鳴らされ、旅人をビビらせている。(狭いためトンネル進入時にクラクションを鳴らすのが暗黙のルール)
  8. 丸子宿はととろご飯が有名。昔も今も。浮世絵に描かれた店が今もそれっぽい店構えで営業中。
    • ただし、昭和の頃は一旦普通の建物になっていたものをまたを昔風の建物にしたので、江戸時代からずっと残っている建物というものではない。
    • 丸子宿は「まりこ」と読む。昔は鞠子とも書いた。
  9. 宇津ノ谷峠は旧東海道が2本残る。江戸時代のと、さらに、昔の物と。
    • ついでに国道1号のトンネルも、明治期の物と昭和初期、昭和後期、平成の4時代のものがある。昔から道の取り付けに苦労する難所なんですな。
    • 鉄道、高速道路は南側を石部トンネル、日本坂トンネルで抜けているが、どちらも一筋縄ではいかなかったようで。
      • 鉄道はトンネル崩壊、弾丸列車用のトンネル転用、新幹線敷設により旧トンネル再活用。高速道路は火災、トンネル2本化。
  10. 岡部宿、ガラ付きの布をサッカーボールの五角形、六角形形状に貼り合わせて鞠にしたのをぶら下げている家がちらほら。
  11. 藤枝宿、島田宿は今は商店街。
  12. 大井川は橋をかけられず、人足に渡してもらっていた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。」
    • 三代将軍家光の時に、将軍の実弟の徳川忠長が利便のために舟橋を架けようとしたが、「天下の大井川に橋を架けるなどけしからん」と激怒したとか。防衛のためにわざわざ架けなかったらしい。
    • 水位が高い(胸元以上)だと川渡しは行われない。長雨が続くとそのあいだ川の両側(島田宿・金谷宿)で足止め。足止めの間に持ち金がなくなって江戸に引き返す人もいたとか。
      • そのため島田宿・金谷宿は儲かったんだろうな。
    • 上にもあった通り、幕府発足直後はともかく、中期以降は実際は技術的な困難と川越人の失職を恐れた幕府の癒着&事なかれ政策の結果というのが最近は真実と思われつつある。
      • そもそも大井川は暴れ川で、近代に治水が行われるまで洪水の度に川の流れる場所が変わったとか。木の橋をかけるなんて金の無駄という声が出てもおかしくない。
      • 治水が進んだ現代でも近代以降の技術を用いた鉄橋でなく、木製の橋は台風等が来る度に流されて架け替えられている(蓬莱橋が有名)。2000年代以降でも既に4回崩壊してる。
        • 「東海の河川」では3回崩壊って書いてあるけど、どっちやねん?
          • 2000年は20世紀であって21世紀じゃないからです(同年に崩壊)
  13. 金谷過ぎに夜泣き石というのがあり、乳飴がある。茶店では乳飴ソフトクリームがあるよ。でも国道1号にバイパスができて交通量は減っているはず。
    • 交通量減少のあおりで2軒あった茶店が1軒になってしまった。
    • これと大井川があるために東西の文化が別れる。
  14. 掛川は城下街なんでやっぱり折れ曲がる。やっぱり旧街道宿場町感はそれほどでもない。
    • 復元だけど、掛川城や大手門付近なんかがいい雰囲気なだけにちょっと中途半端でもったいない。
  15. 掛川~袋井宿は松並木が少しある。この辺は旧街道っぽい。
  16. 袋井宿は江戸・京都どちらからも27番目の中間宿。そんな袋井市のキャッチコピーは「どまんなか袋井」
    • 宿場町内には「どまんなか茶屋」もある。
  17. 磐田市内は高低差が激しい。両側の袋井浜松が平坦であるのでちょっと異色。
  18. 浜松も城下街なんでやっぱり宿場町感はない。でもそれほど街道筋がそんなに折れ曲がってない。元々がこんなものなのか、昔の道筋が残っていないのか。
  19. 舞阪、松並木が残って良い感じ。
    • 東海道で唯一脇本陣が現存している。
  20. 舞浜~新居は浜名湖河口を渡る、今切りの渡し。
  21. 新居には関所があった。今はその資料館がある。
    • 今その辺りで最も目立つのは競艇場。
    • 幕末に建てられた関所の建物が残っているほか消滅した建物も復元整備中。
  22. 見附から御油までは「姫街道」という脇往還があった。浜名湖に宝永地震で4kmもの渡し船区間ができてしまったため、海路を避けるルートとして人気を呼ぶ。
  23. 静岡最西端の白須賀宿は大津波によって宿場が内陸に移転している。

姫街道の噂

  1. 「姫街道」というのは新居関所を避けた女性陣から着いた名前。しかし旧東海道の宿場にとっては大打撃だった。
  2. 気賀から三ヶ日のあたりは昭和になって鉄道で同じような理由における迂回路線として「二俣線」が敷設された。後の天浜線である。
  3. 東名高速は姫街道のルートに近いルートを通過している。
    • こう考えると、道路公団が高速を敷く時までは姫街道ルートの優位性に誰も気づいていなかったということになるのかもしれない。
      • 浜松市街を避けるルートなのが大きいと思う。高速道路は一般道と接続するから市街地を通る必要ないからなあ。

愛知県区間

  1. 二川宿は街道の街並み復元に結構力を入れている。
    • 資料館で江戸時代のコスプレできる。
  2. 豊橋市内は旧の吉田藩城下なので、右へ左へうねうね曲がる。おい、そっち反対方向やぞ、という方向に一旦戻ったり。数ある城下街でも屈指の折れ曲がり。
  3. 御油の松並木は結構残っていて良い感じの景観。
    • 御油宿と赤阪宿は近い。松並木を隔てて隣、というと言い過ぎだが、そんな気がする。名鉄で一駅、2km足らず。
      • 半里程度で宿場が並ぶ例って他にどっかあるんだろうか……?
      • 平成の合併までそれぞれ別の自治体(豊川市と旧音羽町)だったとはマンホールを見ない限り信じられない。
  4. 藤川宿は東側の入り口付近を整備していたり、札所があったりぼちぼち整備されている。街並みとして悪くない。
    • 資料館があるが、無人だったりする。小さい資料館だが、街道の模型があるしちょっと立ち寄るのは良いかも。
    • 藤川宿の先の松並木もそこそこ残っていて良い感じの街並み。
    • 名物だったむらさき麦を今は地元の小学生が育てている。
  5. 岡崎の城下は二十七曲がりといわれていたくらい、曲がりくねっている。
    • 現在の地図で数えると二十曲がりくらいだが、訳のわからん右折左折の連続。
  6. 知立宿、昔は池鯉鮒と書いた。字面のイメージが違いすぎる。
  7. 有松は宿場町ではなかったが、良い街並みが残る。東海道を歩き通した人が、東海道で一番の街並みと絶賛していた。
    • それでも重伝建地区になったのは2016年と意外と遅い。
  8. 熱田神社の参道を真っ直ぐ行ったところに「七里の渡し」の船着き場がある。かつてはここから桑名までの7里は船で渡った。
    • 江戸時代は木曽三川の河口部分を架橋したり徒歩で渡るのは難しかったのだろう。
    • 実は佐屋路廻りというコースもあったらしい。ルートとしては熱田~金山~鳥森~千音寺~神島田~佐屋~海津~多度~桑名と行くらしく、今も佐屋街道としてその一部ルートをたどることができる。
    • その他、四日市まで行く十里の渡しもあった。
  9. 東海道線よりも名鉄名古屋本線の方が旧東海道を踏襲している。
    • 蒲郡を経由したことについて、かつては岡崎や御油・知立などの「鉄道敷設反対運動」によるという説が有力だったが、今日では「蒸気機関車では困難な勾配を避けるため」というのが一般的に。名古屋本線は愛知電気鉄道により昭和に出来たもので、開業時より17‰の登坂能力があった電車運転だった。
  10. 名古屋の手前の熱田(宮)から海路に入る。
    • しかし海路を避けるために使われた脇往還の美濃路は名古屋宿を通る。こちらも需要がそれなりにあったとか。
      • 実をいうと高低差、距離等々を鑑みると、こちらの方が合理的なルートであった。詳細は総論の項目を参照。
    • 名古屋は東海道も中山道も中心を通っていない。しかし街の発展が美濃路と善光寺道をメインに引き寄せ、交通拠点にしてしまった。

三重県区間

  1. 桑名は七里の渡しの京都側の湊。桑名城の割と近く。往事は湊に近づくにつれて桑名城がよく見えたことだろう。
    • 桑名も城下街、東海道はうねうね曲がる曲がる。
    • 「その手は桑名の焼き蛤」で有名な桑名の蛤、名産なのは実は富田と言うところで今では四日市市になってしまった。当時は桑名藩領だったから桑名の焼き蛤で間違いなかったんだけどね。
    • 四日市まで直行できる十里の渡しのほうが人気があったらしく、桑名宿の人が幾度か訴えてる模様。
      • 似たような話が上街道(木曽街道)の宿場町で下街道(善光寺道)に対する訴えとして…尾張はそんな話が多い。
    • 渡し場には伊勢神宮の一の鳥居が建っている。
  2. 四日市宿は現在ではすっかり商店街。でもその南の方では街道っぽい街並みも残っている。
    • その商店街を除き、日永あたりまでは国道の抜け道に使う車が多く走っており、結構危ない。
  3. 四日市の日永の追分で伊勢街道と別れる。お伊勢参りの人たちはここを左へ、京へ上る人は右へ。東海道を行くが伊勢神宮には行かない人のための遙拝の鳥居と、道標が残ります。
    • 分岐点の少し北には小さいながら資料館あり。
  4. 三重県で東海道の宿場町と言えば関が有名だが、亀山も街並みは良い。昔の家の屋号が書かれたいたりする。城下街なんでやっぱり道は折れ曲がっている。
  5. 三重県区間の東海道にそう区間に引かれたのは、上述のような理由で官営の東海道線ではなく私鉄の関西鉄道となった。
    • 現在の関西本線柘植以東と草津線に相応する。
      • 昭和末まではこのルートで名古屋と京都を結ぶ急行「平安」があった。
    • 道路では新名神高速道路が21世紀に。
  6. 鈴鹿峠区間にある坂下宿まではなだらかな登坂だが、峠の手前で急勾配となる。が、箱根峠ほどでもなく、割とあっさり峠に到達する。
    • 大昔は急勾配の区間に宿場があったようで、森の中に石垣が見える場所がある。

滋賀県・京都府区間

  1. 鈴鹿峠を越えると、そこから水口まではダラダラ下る。
    • 土山には宿場があった。そしてそんな宿場町にある田村神社は東海道有数の厄除けの神様として崇められたとか。
      • 鈴鹿馬子唄に「 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と唄われていた。そこから現代版宿駅と言える道の駅の名前は「あいの土山」。
  2. 水口は宿場町と城下町が一体ではなく川を挟んで両者が併存する形だったとか。城下町区間では鍵曲がちょこちょこと存在する。
  3. 水口を出ると石部宿までは松並木が続いていたとか。今はそんな気配すら感じさせないけど。
    • 野洲川を跨いだ横田渡の跡地にはどでかい常夜灯が有る。
    • 途中の夏見に茶屋があったらしい。因みに黒蜜をかけて食う心太は、そこが発祥だとか。
  4. 石部の宿場は京都を朝出ると、だいたい夕刻に着けるところだったということでかなり栄えていたとか。
    • そんなところだったからか、地元はかなり力を入れて整備している。資料館やら茶屋を再現した無料休憩所やら宿場風テーマパークなど……
  5. 草津宿で中山道と合流する。そんな所だから、結構大きい宿場だった。
    • 今でも草津宿本陣が残っているが、これは現存する国内全ての本陣の建物のなかで最大のものらしい。
  6. 草津~大津は瀬田の唐橋を通るルートが一般的で、膳所城下の義仲寺横を抜けて浜大津へ行くのが通常ルートだった。
    • ただ、矢橋帰帆島~浜大津に高速船があったらしく、これだと瀬田経由よりも速かったため、こっちを使ってショートカットする人も多かったらしい。因みに「急がば回れ」という諺は、急ぐなら船に乗らず瀬田を回れという格言が元らしい。
  7. 大津は、西近江路経由北国街道と東海道の分岐にして、京都にとっては日本海方面への外港であったため、宿場町に登録されていたが、どっちかというと港町という感じ。
  8. 大津から先、蝉丸~追分~四宮~山科~蹴上~三条は石畳だったとか。理由は馬や牛車による輸送が盛んなため地面を傷めないようにということらしい。
    • 大津から追分を目指して行くと、脇に関蝉丸神社がある。ここで手を合わせた旅人はさぞかし多かったことであろう。
    • 逢坂の関まで来ると、目の前に盆地が開ける。しかし、それは、京都盆地ではなく山科盆地。そして、そこから下りに転じてもまだ江州
      • ただ記録によれば江州であるにもかかわらず逢坂の関までは畿内として扱われていたという。
      • 関所ではあるが、ただの関所ではなく、休憩所としての役目も果たしていたとか。
    • 逢坂を過ぎると伏見・大阪方面への京都飛ばしルートと分岐する。だからそこを追分と呼んだ。因みに今もその分岐が住宅街の中に残るが、そこが京滋の境。
    • 山科からは天智天皇陵をかすめ、そのまま蹴上を過ぎて南禅寺の南側抜けると青蓮院の傍を通り、粟田口へ出る。

京街道

守口市内の京街道
  1. 京都と大阪を淀川左岸を通って結ぶ。
    • 京阪電鉄はこれに沿って敷設された。
      • 但し、枚方~守口は京阪が門真市内を経由するのに対し、京街道は淀川沿いを通る。淀川の堤防上を通ってる場所も。
    • 現在の東海道本線は淀川右岸を通るが、鉄道開通以前は左岸が京阪間のメインルートだった。
  2. 一般に東海道は江戸から京までの五十三次だが、この京街道を含めて江戸~大坂の五十七次と解釈する場合がある。
    • 京都を避けたい人が江戸-大阪を直行するためのルート。要はイケズとばし。
  3. 守口市内で高架状になっている道路はこの街道の名残り。
  4. 橋本あたりでは遊郭の町並みが残る。