「もしあの番組が別の時代に放送されていたら」の版間の差分
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#1985年の[[阪神タイガース]]のリーグ優勝及び日本一を達成した時には角淳一が番組内で大喜びしていた。 | #1985年の[[阪神タイガース]]のリーグ優勝及び日本一を達成した時には角淳一が番組内で大喜びしていた。 | ||
#*「ちちんぷいぷい」の優勝記念特番も放送されていた。 | #*「ちちんぷいぷい」の優勝記念特番も放送されていた。 | ||
#ABC・KTV・YTVなども夕方にワイド番組をぶつけ、関西から夕方ワイド戦争が始まっていた。 | |||
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2011年10月5日 (水) 18:21時点における版
「列島縦断 鉄道12000キロの旅」が国鉄全盛期に放送されていたら
NHKではJR線全線に乗車する番組として、2004年に「列島縦断 鉄道12000キロの旅~最長片道切符でゆく42日~」が、翌2005年に続編として「列島縦断 鉄道乗りつくしの旅~JR20000km全線走破~」が放送されました。もしこれらが、国鉄全盛期に企画・放送されていたら。
- 当時はパソコン・コンピューターが無いので、東京大学の頭脳を持ってしてもルート割り出しにかなりの時間がかかる。
- 「最長片道切符…」は、おそらく2ヶ月(実史は42日(=6週間))位かかる。
- 「のりつくしの旅…」も実史の1.5倍の日程、もしくは(実史の)春・秋編以外に冬編が放送される。
- 実史での四国特別編は、国鉄連絡船に宇高航路・仁堀航路がある為、通常のルートとなる。
- 旅人は誰だろうか?(実史は関口知宏)。
- 放送時期にもよるが、多分渡辺文雄(実史で日テレ「遠くへ行きたい」に出演)かも。
- 放送時期にもよるが、宮脇俊三が監修を務めていた。
「東京フレンドパークⅡ」が昭和40年代に放送されていたら
- 全体的にアトラクションが地味になっていた。
- ゲームをクリアした際にもらえたのは普通のメダル。
- 番組名はどうなっていたことか…。
- 当然ながら他系列への番組販売も行われていた。
- もしかしたら腸捻転時代の朝日放送で放送されてたかもしれない。
- それはどう考えても「番組販売」ではなくただの同時ネット。
- グランドスラムで行ける旅行は「憧れのハワイ○日間」あたりになっていた。
- ダーツで当たる自動車は「三菱・パジェロ」ではなかった。
- 「トヨタ・クラウン」あたりが有力か?
- 同じ三菱のデボネアかもしれない。
- ダーツで当たる自動車は「三菱・パジェロ」ではなかった。
- 特番ではウルトラシリーズや「キイハンター」のメインキャストが出ていた。
- V9期には秋になると毎年「読売ジャイアンツご一行」が来園していた。
- 司会は大橋巨泉あたりか?
「ナニコレ珍百景」が1990年代に放送されていたら
- 改造前の阪神春日野道駅が「日本一せま~いホーム」として紹介されていた。
- 日テレの「投稿!特ホウ王国」とネタがかぶっていた。
- 2000年代も続いていた場合、「トリビアの泉」ともかぶっていた。
- 深夜枠ではなく当初からゴールデンでオンエアされていた可能性もある。
「クイズ!ヘキサゴン」が平成初期に放送されていたら
- 逸見政孝またはビートたけしが司会をやっていた。
- 「平成教育委員会」の姉妹番組になっていた。
- 「平成教育委員会」自体無かったかも。
- 「平成教育委員会」の姉妹番組になっていた。
- 出演者はどうなっていたことやら・・・
- 出演者によっては実史より早く『おバカブーム』が到来。
- ただし、ヘキサゴンメンバーによる歌は出されていなかったかも。
- おそらく「クイズ!年の差なんて」のヤングチームで出演していたメンバーあたりが出ていそう。
- 出演者によっては実史より早く『おバカブーム』が到来。
- フジテレビ系列土曜夜7時枠で放送され、「クイズダービー」や「おぼっちゃまくん」といった番組を終了に追い込むほどの人気番組になっていた。
「開運!なんでも鑑定団」がバブル絶頂期に放送されていたら
- 鑑定額がグーンとアップしていた。
- 1,000万や億は当たり前、中には1兆円の値がつけられる物も登場。
- せいぜい史実の10倍くらいの鑑定額が限度ではないかと。
- 放送は、テレビ東京ではなかったかも。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が昭和40~50年代に放送されていたら
- 現在よりもはるかに路線バスの多い時代であったのでスムーズに行程が進んでいた。
- 史実ではゴールできなかった東京~京都間などもゴールできていた。
- 名古屋~京都間は忠実に東海道に沿ったルートをたどっていた可能性が高い。
- 国鉄バス亀草線などが存在していたため。
- これ以外にもルートに国鉄バスの路線が入っていた。
- 国鉄バス亀草線などが存在していたため。
- 現在よりも高速バスが少なく、その分一般路線バスが多かったことも有利に働いていた。
- 路線バスの愛好者が現実より増えていた。
「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」がもっと早く放送されていたら
- 歴史の教材に使われていた。
- どのような場でどういった人々を対象としたものになっていたのだろうか?
- とりあえず1970年代以前の放送はない。
- 描写や構成がTBS系で実際に放送されたワイドショー番組により近かった。
- 珍説や偽書の類を「真実」として扱い後に問題視された。
- 騎馬民族征服説や『武功夜話』あたりを扱っていたら…。
- 例の「ビデオ問題」が起こったときに放送されていたら、何らかの影響を受けていた。
- 司会は関口宏がやっていた。
「ちちんぷいぷい」が1980年代半ばに放送されていたら
- 関西地区における月~金曜日の午後5時台は「夕やけニャンニャン」と激しい視聴率競争が繰り広げられていた。
- 角淳一は史実よりも早く高い知名度を誇るようになっていた。
- 1985年の阪神タイガースのリーグ優勝及び日本一を達成した時には角淳一が番組内で大喜びしていた。
- 「ちちんぷいぷい」の優勝記念特番も放送されていた。
- ABC・KTV・YTVなども夕方にワイド番組をぶつけ、関西から夕方ワイド戦争が始まっていた。