もし鳥取県庁が米子市に置かれていたら
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岡山県庁が○○
倉敷市
- 岡山vs倉敷の対立はいま以上に激烈を極める。
- 人口も逆転しているかもしれない。
- 新幹線は新倉敷駅ではなく倉敷駅に停車。
- 岡山駅との間隔が近すぎるだと?もっと近いところがあるだろーが。新○道-三(以下略)
- のぞみを岡山じゃなくて倉敷に停めろ、という話も出てきて、ここでも論争が激化。
- この場合でも倉敷と岡山を含む大型合併が検討されるがやはり頓挫。
- 総社も倉敷市に飲み込まれていた。
- 水島地区に「倉敷港」が作られている。
- 倉敷市中心部は空襲被害によりかつての面影をとどめていない。
- 本四連絡のメインルートが「倉敷~丸亀」に。
- 讃岐国は丸亀が県庁所在地の「那珂県」になっていた。
- 宇野線も倉敷から分岐していた。
- 児島湾の干拓は史実ほど進まなかった。
- 原因はおそらく岡山藩が幕府方に肩入れしすぎたため。
津山市
- おそらく、「美作県」や「津山県」といった県名になっていた。
- 明治政府の方針を考えると旧国名そのままの前者はまずありえない。
- 津山市が現在より栄えているはずなのは間違いないが、県内一となっていたかどうかは微妙。
- 「晴れの国」と呼ばれることは無かった。
- 特に明治時代には交通不便のため県政運営に悪影響が及んでいた。
- 吉井川の水運がかなり重視された。
- 河口にある西大寺が大繁栄していた。
- 吉井川の水運がかなり重視された。
- 津山藩が少なくとも美作・備前全域くらいは支配していないと実現の見込みはなかったと思われる。
- 現実通りの県域の場合備中が「県庁が遠すぎる」として分県運動を起こしていた。
広島県庁が○○
東広島市
- 東広島市は広島市に。史実の広島市は西広島市に。
- もちろん立場も逆に。
- 地名の由来を考えるとありえない。
- 「広島」という地名は毛利輝元が太田川河口部の三角州で一番広い島に築城したことにちなむ。
- 安芸国分寺が大規模な寺院として存続していないと厳しい。
- こうなると毛利元就か輝元が「大規模な門前町であり山陽道の要衝でもあった」西条に目を付けても不思議ではない。
- 西条杜氏たちは大都会化による地下水の水質悪化を懸念していた。
尾道市
- 明治9年ごろに実際に県庁移転計画があったが前島密の反対により中止された。
- 史実の計画通り県名は「御調県」になっていた。
- 少なくとも現在の人口は福山市よりは多くなっている。
- 旧松永市は尾道市に編入されていた。
- 沼隈半島もほとんど尾道市域に。
- 平地の確保にかなり苦しめられた。
- 各地で現実以上の規模の山の切り崩しや海の埋め立てが行われた。
- 「尾道水道を埋め立て向島と陸続きにする」といったとてつもない計画も一時期真剣に検討されていた。
- 空襲被害や開発のせいで中心部の歴史ある街並みはあまり残っていない。
呉市
- 陸軍も呉に拠点を置いていたらこうなっていた。
- 土地不足や機密保持の都合により敗戦まで民間産業はあまり発展しなかった。
- こうなると「政治の中心:呉、経済の中心:広島」といった役割分担ができていたかもしれない。
- 勾配回避も考慮して山陽本線が現実の呉線のようなルートになっていた。
- 広島市ではなくこちらに原爆が投下された恐れも小さくない。
- 本四架橋のルート案に「呉-松山」があった。
鳥取県庁が○○
米子市
- 米子市の人口は鳥取市を超えていた。
- 境港市や西伯郡全域も吸収合併していた。
- 倉吉の人口も現実と違って多い。
- 米子と倉吉の人口はそれぞれ40~50万人台は擁していただろう。
- 何故なら他地域から流れて来た人達で栄えた地域だから。
- いや、倉吉の人口も米子に流れるだろうから、せいぜい10万人くらいだろう。
- 仮にその場合でも東名阪に移住する人が少なくなる(この場合県庁所在地である米子を目指す為)
- そして倉吉はベッドタウンと工業の街になった。(理由は数段下で述べているように交通の利便性が良くなっている為)
- 何故なら他地域から流れて来た人達で栄えた地域だから。
- 米子と倉吉の人口はそれぞれ40~50万人台は擁していただろう。
- 米子駅は高架化されていた。
- スーパーはくとは米子まで運転されていた。
- 勿論電車特急である。
- 寝台特急出雲は電車化されていた。又はカートレイン化されていた。
- 博多-米子・鳥取間にも電車特急が運行されている。
- 伯備線も1970年代に電化されていた。
- 鳥取県ではなく、米子県だっただろう。
- 今の鳥取県よりは栄えているはず。
- 瀬戸内側の諸県とタイマン張れる県になっていた。
- 県名は米子県になっている可能性が高い。
- 鳥取市がかなり地味に。
- 米子空港は美保基地に隣接ではなく、多分米子と倉吉の中間あたりに出来ていたかも。
- もちろん山陰自動車道も並行して出来ている。
- 鳥取空港はなかった。
- 美保基地は竹島問題絡みで純粋な基地として強化されている。
- テレビ局は3局は出来ていたかも。
- もちろん現実の島根県のテレビ局と相互乗り入れしている。
- 島根県側には2,3局はあったはず。
- NHK米子放送局は支局に降格されず、鳥取放送局が支局(場合によっては報道室まで)に格下げ。
- 山陰中央鉄道が現存して米子市内に路面電車を運行している。
- 史実とは逆に日ノ丸自動車を吸収合併。
- 元を辿れば法勝寺鉄道である。
- 現在の鳥取市に城を築いていなかった場合、廃藩置県時より米子が県庁所在地になった可能性大。
- 米子城は史実同様明治時代に取り壊され、現在は城跡が残るのみ。
- 仮に鳥取城が存在したとしても、これまた現在は城跡が残るのみ。
- ガイナーレ鳥取ではなくガイナーレ米子になっている。
- 但し、日立の影響力が強い場合は米子レイソルになっているかも(この場合柏レイソルはなし)。
- 鳥取大学ではなく米子大学が出来る。
- 現実の島根県東部も県域に入っているはず。
- 現実の島根県石見地方は山口県の萩や長門市と併せて浜田県。
- よって大島根県は誕生しなかった。
- 交通体系は今より便利になっているので倉吉-出雲市間の人口密度は現実より高いはず。
- 現実の島根県に替わって竹島問題で注目されている。
- 韓国の都市とは姉妹都市提携は結ばない。
- 鳥取ナンバーではなく米子ナンバーになっている。
- 日本海新聞の本社も米子に置かれる。
- パワーバランス的にも妥当
- 瀬戸内側の諸県や南四国、九州各県との交流は今以上に活発。
- やがて瀬戸内側気質の延長で北瀬戸内地方と呼ばれている。
- 何せ瀬戸内側・北部九州地域からの移住者が多い為。
- 日立金属安来工場に加え、他の日立グループ系企業もここだけでなく浜田県にも幅を利かせている。
- よってこれは現実になっている。
- 日立製作所の本社も米子県内に置かれた可能性もある。
- そもそも鳥取という県自体が存在しなくなる。
- 米子市は鳥取が島根から独立しようとした際に最後まで渋っていたところ。県庁所在地になれないのもそのため。
- 鳥取県は関西広域連合に参加しなかった。
- 「もし」に「もし」を重ねて申し訳ないが、新幹線を通すことになったら米子と松江のどちらに駅を設けるかで論争になる。
- 安来~彦名に橋が出来てる。また、そこから夜見まで片側2車線の道路も出来てた。
倉吉市
現在、鳥取県では鳥取市と米子市が両端で同じくらいに発展して、こんなことしてますが、もしど真ん中にある倉吉市に県庁がおかれていたら、どうなっていたでしょう。
- 史実では人口が鳥取と米子に分散しているが、この場合は倉吉に人口が集中して40万くらいになる。
- 国道53号線の津山から北は、人形峠越えのルートが指定されていた。
- 因美線は存在しない。代わりに「伯美線」が存在する。
- 米子も交通の要所として一応発展する。人口15万人くらい。
- 対する鳥取は、山陰の端にあるただの小さい市になってしまう。
- インフラ整備もあまり進まない。ちょうど実際の倉吉みたいなもん。
- よってこんなことは起こり得なかった。
- しかし、米子と張り合うこともなく、県庁も近くにあるということで、鳥取の関西(但馬)志向はそんなに強くはなっていない。
- 鳥取空港も米子空港も建設されず、倉吉に倉吉空港が建設される。
- インフラ整備もあまり進まない。ちょうど実際の倉吉みたいなもん。
- そもそも鳥取県じゃない。倉吉県になっている。
若桜町
鳥取、倉吉米子でもめるのが嫌だと、まるきり関係ない場所にあえて持ってきたと言うことで。
- 現在の鳥取県の分離運動が盛り上がってる。
- 智頭急行は開通せず、逆に若桜鉄道が国道29号沿いに姫路まで延伸されている。
- 若桜鉄道ではなく国鉄→JRの若桜線だったかもしれない。
- 山陰本線が若桜から戸倉峠を越えて八鹿か和田山に延びていた。このルートが国道9号になっていた可能性もあり。
山口県庁が○○
防府市
明治時代、山陽鉄道(現・山陽本線)が県庁所在地・山口市を経由しない路線になったのでそれでは不便ということで、下関市と防府市が新たな県庁所在地の候補に名乗りを上げた、もしこの時防府に移転していたら。
防府 | ||
ほうふ Hōfu | ||
はなぎ/すおうみやいち Hnagi/Shuō-Miyaichi |
むれ Mure |
→ |
- 県庁を誘致したために下関とは犬猿の仲。
- 山口県はそれほど地味ではなかった。
- 明治維新で活躍したのに、県名と市が一致しないため小学生を中心に混乱を招く。
- 宮武外骨が「幕府側に付いた藩は県庁所在地の名を県名にできなかった」という説を唱えることはなかった。
- そもそも「山口県」にならない。今の県名はもともと広域地名ではなく、「県庁が置かれた場所の地名。すなわち防府県になる。
- 山梨県の県庁所在地甲府市が「甲斐国」の「国府」で「甲府」なように,「旧国+府名→県名」そのままにはなりにくいのでは? 「佐波県」「吉敷県」とかかな?
- 維新で活躍したのに県名が違うのは長州が蛤御門で御所に発砲したからだと噂される。
- 山梨県の県庁所在地甲府市が「甲斐国」の「国府」で「甲府」なように,「旧国+府名→県名」そのままにはなりにくいのでは? 「佐波県」「吉敷県」とかかな?
- 防府は明治時代とっくに市になっている。
- その代わり、山口市の市制施行が昭和にまでずれ込む。
- 現実でも昭和だが。
- 市制施行なんて無理でしょう。
- 現実でも昭和だが。
- その代わり、山口市の市制施行が昭和にまでずれ込む。
- 防府駅は昭和時代にとっくに高架化していた。
- もちろん2面2線以上。
- 駅ビルまで完成している。
- もちろん2面2線以上。
- 防石鉄道は予定通り完成し、国鉄に買収された後「山口線」となる
- いや、防石線になる。
- そして山口市内に鉄道は通ることはありませんでした・・・。
- いや、防府から萩に向けての防長線がバスではなく鉄道化され、その中間駅に湯田・山口ができる。
- そして山口市内に鉄道は通ることはありませんでした・・・。
- いや、防石線になる。
- 宇部線は防府が起点に。
- 小郡はただの田舎町となり、防府のベッドタウンとなる。
- 宇部線は私鉄のままで、本州最西端の私鉄に。
- いや、どのみち戦時中に買収されている。
- 宇部線は私鉄のままで、本州最西端の私鉄に。
- 小郡はただの田舎町となり、防府のベッドタウンとなる。
- 新幹線は防府に止まる。
- そうなると山口県内の駅は新下関・防府・徳山・新岩国?
- そして平成になり防府にのぞみが止まるようになる。
- 平成9年に新宇部駅が設置される。
- そして平成になり防府にのぞみが止まるようになる。
- そうなると山口県内の駅は新下関・防府・徳山・新岩国?
- 防府天満宮が日本最古の物だと現実以上にPRする。
- 大宰府天満宮がある福岡県に敵対心を燃やす。
- 未完成の五重の塔を町おこしに作ろうとする。
- 防府空襲で市街地が壊滅し、防府天満宮が焼失したかも。
- 大宰府天満宮がある福岡県に敵対心を燃やす。
- 現実以上に化学工場が進出しそこそこ発展する。
- その結果徳山・宇部の影が薄くなる。
- 海軍兵学校を防府に移転するように国に陳情する。
- 戦時中、海軍兵学校防府分校はあった。
- 築地から江田島に移転した理由が「田舎」ということなので、移転が実現したとしても周辺の開発は規制される。
- 弥山登山が大平山登山になる。
- 防府の飛行場は海上自衛隊の基地になる。
- 戦時中、空襲の標的になり、市街地はほぼ壊滅する。
- その結果、防府天満宮及びに毛利邸等貴重な史跡が全焼。
- 原爆の標的に入れられた可能性も有り。
- その結果、防府天満宮及びに毛利邸等貴重な史跡が全焼。
- 平成の大合併で政令指定都市を目指し、山口市、宇部市、徳山市、新南陽市を編入する。
- 現在の山口市の吸収合併ほどはおかしくならない。
- 周南という変な名前の町は生まれない。
- その代わり西京市なるものが誕生し格好のネタに。
- 周南という変な名前の町は生まれない。
- 現在の山口市の吸収合併ほどはおかしくならない。
- 広島まではいかないまでも、福山規模の人口になっていた。
- 現在の人口は40万〜50万くらい。
- いや、防府に県庁が移ったくらいでそこまではいかない。ただ、山口が発展しないことや、新幹線の駅が中心にあるといったことを鑑みると、それでも30万都市にはなっていたと思われる。
- 山口の都市は分散型ではなく一極集中へ
- 現実ほど「広島の属国」や「小倉の属国」にはならなかったはず。
- 戦後空襲で焼けた防府の復興計画の一環として港湾と工業地域が開発され下関の機能の一部を奪う。
- 佐波県になっていた。(防府は佐波郡に属する為)
- 向島から一匹も狸がいなくなる。
- 佐波県と下関県に分離している。
- と、議会で可決されそうになるが、県民が傍聴席で県歌を大声で熱唱したために取り消しとなった。
- それでも萩と長門市はちゃっかり浜田県に属している。
- 長門と周防で長州藩だったから分離なんてしないと思う。
- それでも萩と長門市はちゃっかり浜田県に属している。
- と、議会で可決されそうになるが、県民が傍聴席で県歌を大声で熱唱したために取り消しとなった。
- 山口大学ではなく防府大学ができる。
- 防衛大学校と間違えられる。
- 東京に出て行く人が少なくなる、(県庁所在地である防府を目指す人もいるので)。
- 路面電車まで走っている。
- 防府市交通局が設立されるか私鉄になるか。
- CHAKUWIKIに「もし山口県庁が山口にあったら」や勝手に交通整備で「防府市営地下鉄」等のページが作られていた。
- もちろんすでに「偽防府の特徴」のページも作られていた。
- 夏目雅子の墓は違う場所にあったかもしれない。
- ユニクロの本社も置かれている。
- 防府にはアニメイトも進出していたでしょう。
- 山陽本線に華城駅や牟礼駅が設置されていた。
- 人口密度高そう・・・。
- 桃太郎電鉄にも早い段階で防府駅が登場した。
- 防府市を舞台としたアニメも作られていただろう。
- ジャスコ・長崎屋・そごうが出店していた。
- 民放TV局は恐らく在福岡局のエリア。
- 加えて防府に本拠を置く独立U局が置かれる。
- それはどうかな?むしろ在山放送局の本社が防府市に置かれるかも。(実史のKRY本社は、周南市(旧:徳山市)に置かれ、tysとyabは山口市に置かれている。)
- 仮にKRYが徳山で開局しても、テレビ放送開始までには防府に拠点を移しているかも。
- 山口ナンバーはなく、周防ナンバーと下関ナンバーに分かれている。
- 関門橋を西鉄が走っている。
- 周防も会津の敵に見做されていたはず。
- 加えて浜田県になっている石見も。
- 城下町ではないので他の中国地方の県庁所在地にコンプレックスを感じている。
- むしろ、変に縦社会にならずに済んだと思う。必ずしも城下町=県庁所在地ではないので。
- 防府は、律令時代の「国府所在地」を売りにしている。
- 戦前は軍都だった。
- 現在の山口線の方が山陰本線になり、益田から向こうは萩線になっていた。
- 国道9号は防府市で国道2号と合流していた。
- 中国自動車道と山陰自動車道は防府で接続し、防府JCTが設置されていた。
- 山陰自動車道も、防府終点ではなく、萩経由になっていた。
- JRバス防長線は「国鉄防長線」として鉄道で建設されていた。
- 大平山が夜景の名所として有名になる。
- 山口銀行や西京銀行の本店も防府に置かれた。
- 支店経済都市になることは間違いない。
- 接待向けにおいしいフグを提供する店も多くできたであろう。
- 広島・岡山・倉敷・福山・防府と中国地方第五の都市になっていた。
- 防府北基地の位置に防府空港ができていた。
- 秋穂・阿知須が市になっていた。
- 最近になって編入される。
- 北九州・防長工業地帯と呼ばれていた。
- 山陽鉄道開業時から防府を名乗るため三田尻がマイナーになっていた。
- 防石鉄道は電化されて東京の私鉄のお古が走っている。
- 防長交通は防石鉄道に吸収されていた。
- 山梨の甲府と間違えられる(特に、地理に疎い人は混乱する)。
小郡町
- 小郡町は山口市を名乗っていた。小郡駅は山口駅を名乗っていた。
- その場合、現実の山口駅は「大内駅」になっていたかも。
- それはない。「山口」に置かれたから山口県なわけで、小郡に置かれたら「小郡県」→山口町は小郡市に編入されて消滅。
- もしくは小郡市になっていた。
- その場合、福岡県の小郡市は「筑後小郡市」となっている。
- 山口市は小郡市に編入されていた。
萩市
山口県の前身である長州藩は萩市に藩庁がありました。(そのため萩藩とも言われていた)
しかし後に山口市に藩庁が移転し山口藩とも言われるようになり明治時代に山口県となりました。仮に藩庁が萩市のままだったら
- 山口県ではなく萩県になっている
- 山口県北部の交通が多少便利になっていた。
- 山陽新幹線は広島から日本海方面へ建設されていた。
- 山口市はかなり寂れている。
- というか山口市ではなく山口町。
- 周防も会津の敵にみなされていたであろう。
- 山陽新幹線は現実同様に開通しているが、沿線の賑わいは現実の山口県より寂れている。
- 或いは滋賀県のように通過県の一つになっていたかも。
- 山口県の地域区分が山陽地方ではなく山陰地方になっている。
- 岩国市は広島県になっている。下手すると柳井、下松や周南まで・・・?
- 当然ながら中心部の開発がかなり進んでいる。
- 「幕末の地図を頼りに散策する」という行為など相当な知識がないとできない。
- 戦後に萩城の天守閣が復元される。
- 国道9号は萩経由のルートだったかも。
下関市
- 山口市の人口は10万人を割っていた。平成の大合併でようやく人口10万人超え。
- 小郡駅が新山口駅に改称されることはなかった。
- 小郡はのぞみ全便通過。同様に徳山ものぞみ全便通過。
- 代わりに新下関にのぞみが一部停車。
- 下関市の人口が40万台に。
- その分山口市は田舎に。
- 山口町のまま。平成の大合併で小郡市に吸収され消滅。
- その分山口市は田舎に。
- そもそも「山口県」だったのかどうか……
- 下関県になっていた公算が大きいかと。
- 「下関市」という名前になったのは1902年なので「馬関県」になっていた。
- この場合「馬関県」の県庁所在地が「下関市」というややこしい事態が発生していた。
- 旧周防国の住民が県庁移転を求める運動を起こしていた。
- 県庁所在地にもかかわらず、隣接する他県の大都市の衛星都市になり滋賀-京都の関係と似ていた。
- 山口新聞がなく西日本新聞・中国新聞のシェアが大きい。
- 関門日々新聞が存続している。
- ラジオはKBC山口。
- 「山口」の名前が使われるわけないでしょ。
- そこは「関門」でしょ。
- RKBはKBCより先にラジオ中継局を山口県内に設置していた。
- テレビ局が70年代に入ってから独立UHFで開局。
- つまり、TNCを始めとした福岡県のテレビ局の放送対象地域に現在も含まれている(実史では1970年までに県域化)
- 山陰線の列車もすべて小倉までいく。
- 山口新聞がなく西日本新聞・中国新聞のシェアが大きい。
- 戦前のように東京、大阪に次ぐ三大都市圏として関門地域が君臨していた。
- この場合関門は西部地域(今の中国+九州)の中枢となる。
- 第四港湾建設局は廃止されず西部地方整備局として残る。
- 空港は当初宇部興産の意向で宇部市に設置され、のちに西部国際空港を建設し曽根(北九州)と統合。
- 山陽道に先駆けて下関宇部有料道路が建設される。当然山口宇部有料は存在しない。
- この場合関門は西部地域(今の中国+九州)の中枢となる。
- 大洋ホエールズは下関を本拠地にし続けた。
- 広島と大洋の合併が実現していた。
- 横浜スタジアムにはロッテが移転。
- 昭和の大合併で吉田村・王喜村と一緒に埴生町も編入していた。
- 山陽オートレース場に相当する施設は存在しない(実史では下関市外という理由で設置されたため)
- 同時に福岡の県庁所在地が北九州市の場合は史実の京都市と大津市のような関係になっていた。
周南市(徳山市)
- 新南陽市その他と合併しても「徳山市」のままだったかもしれない。
- 人口は30万以上で下関を上回る。
- 平成大合併前でも下関とためを張る規模だったので、「福岡と北九州」のようなの関係になってそう。
- のぞみは半数以上が徳山駅に停車。
- 代わりに新山口駅はのぞみ全便通過。駅名も「小郡」のままだった。
- 逆に徳山駅が新周南駅になっていたかも。
- 代わりに新山口駅はのぞみ全便通過。駅名も「小郡」のままだった。
- 岩徳線が電化され、広島や下関への直通列車も運転されている。
- 無論こっちが「山陽本線」となり、柳井ルートは「柳井線」のままだった。
- 岩徳線ルートが幹線になるので、広島方面から九州方面に向かう運賃は史実より安く済んだ。
- 徳山大学が国立になっている。
- tysとyabに相当する放送局も周南市に置かれるため、県西部の情報が疎かになる。
徳島県庁が○○
三好
- 三好市は昭和のうちに市制施行していた。
- 市名は阿波池田市になっていた可能性もある。
- 大阪ではなくここに池田市ができていた可能性もある。
- 市名は阿波池田市になっていた可能性もある。
- 県名は「徳島県」ではなく「三好県」か「池田県」になっていた。
- 現実の徳島県が近畿扱いされることはなくなっていた。
- テレビ局は県内に2局程度開設され、香川か高知と相互乗り入れしていた。
- 現実と同じように沿岸部では近畿広域圏の番組が視聴できる。ただ関西で徳島県のニュースが報道されることはほぼなくなっていた。
- 阿波池田~川之江間に鉄道が建設されていた。
- この場合江戸時代の阿波国は複数の領主に支配されていたと思われる。
- それ以前の南海道の分岐点も史実とは異なりこの辺りにあった。
鳴門
- 現実以上に徳島県が近畿地方扱いされていた。
- 高徳線は高松~鳴門間の「高鳴線」となっていた。
- 牟岐線の起点は鳴門駅あるいは池谷駅となっていた。
- 本四連絡神戸~鳴門ルートに鉄道が建設されていた。
- 開港場ができていたらありえたかもしれない。
- 淡路島も県域に含まれている。
阿南
- そもそも、阿南市とはならず、「富岡市」となっていた。(もちろんこっちの富岡市より先に)
- 蜂須賀氏の城代による改名がなければ「牛岐市」だった。
- 県名は「富岡県」か「那賀県」。
- 大分市並みの工業都市になる。
- 牟岐線は早くから複線電化。
愛媛県庁が○○
四国中央市
- 四国州の州都になる可能性が高い。
- 県の東端に位置するため、中予や南予がさらに衰退していた。
- むしろ松山市と四国中央市で二分されていたかもしれない。
今治市
- 松山市の人口は50万人を切っていた。
- 四国の玄関口とアピールしていたかもしれない。
- しまなみ海道はもう少し早くかかっていたかもしれない。
- 明治時代は東予・中予にあたる「石鉄県」の県庁所在地だったので、歴史的にはわりとありえた。愛媛県になっても県庁を動かさなかった世界線かもしれない。
- 今治港にはまだフェリー航路が多く残っていた。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
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