「大さいたま帝国」の版間の差分

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[[画像:Flag_of_G-Saitama_s.gif|frame|'''大さいたま帝国国旗'''<br>世界を呑み込む様子を表している。]]
[[画像:Flag_of_G-Saitama_s.gif|frame|'''大さいたま帝国国旗'''<br>意味:世界を呑み込む様子を表している。]]


[[さいたま帝国]]発展初期に時空の歪みで発生したパラレルワールドに誕生した国。しかしその本体は2079年12月26日、日本に復帰した。
[[さいたま帝国]]発展初期に時空の歪みで発生したパラレルワールドに誕生した国。しかしその本体は2079年12月26日、日本に復帰した。

2006年11月12日 (日) 20:11時点における版

大さいたま帝国国旗
意味:世界を呑み込む様子を表している。

さいたま帝国発展初期に時空の歪みで発生したパラレルワールドに誕生した国。しかしその本体は2079年12月26日、日本に復帰した。

  • 国名:正式名称はだいさいたまていこく。日本語表記は大さいたま帝国。通称はさいたま、埼と略される。決してださいたまではない。ださいたまと言った奴は死刑。英語表記はThe Empire of Great Saitama。
  • 首都:
    • うらわ市(2007~2079)
    • さいきん市(2079~2X45)
  • 民族:さいたま人(さいたまじん)、日本人ほか
  • 公用語:さいたま語(さいたまご)
    • 語彙・文法など日本語に極めて近いが、漢字を全て廃止している。
      • カタカナ文化も廃れていった。事実上、ひらがなが国字になっている。
  • 宗教:主にさいたま教(さいたまきょう)
    • 太陽を唯一の神とする宗教。
  • 国歌:希望(ゆめ)のまち(旧さいたま市歌)
  • 国是:せかいせいふく

政治

  • 皇帝:初代 つちやよしひこ
  • 総理大臣:あいかわそういち
  • 国防大臣:のはらしんのすけ

政党

  • 与党:うらわレッドダイヤモンズ党(うらわ・れっどだいあもんずとう)
  • 野党:おおみやアルディージャ党(おおみや・あるでぃーじゃとう)
  • 野党:せいぶライオンズ党(せいぶ・らいおんずとう)
  • 野党:チチビアン民主党(ちちびあんみんしゅとう)
    • 後にチチビアン民主独立党と名乗る。

軍事

  • 作戦の立案と実行までの間にほとんどタイムラグがないのが特徴。
  • 突撃の時は「さいたまー!」と叫びながら。
  • 間違って「ださいたまー!」と叫んだらその場で銃殺刑。

経済

主要企業グループ

  • あいかわ=なんぶべいこくこんつぇるん
  • さいたまみつびしこんつぇるん
  • えす・てぃ・てぃ(STT;NTT関東がさいたま帝国民族資本に買収されて成立)
  • こくど・せいぶ・ぷりんすこんつぇるん
  • せぶんあんどあいほーるでぃんぐすひゃっかてんぶもん

産業

  • じゅうまんごくまんじゅう
  • そうかせんべい
  • そふとめん
  • ほうとう
  • ごかぼう
  • いもけんぴ

農業

  • ぶろっこりー
  • さやまちゃ
  • むらさきさつまいも
  • ほうれんそう
  • ふかやねぎ

歴史

2000年

4月 ★大宮・与野・浦和市の合併での新市名が「さいたま市」に決定。

2001年

5月1日 - ★浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市が誕生。

  • ここで上尾市と伊奈町奪取を企む。しかし上尾がいち早く逃げたため失敗。

2002年

11月 - ★政令指定都市後の新区名発表。区名を巡り一部で暴動が起きる。

2003年

4月1日 - ★政令指定都市に指定される。

2005年

4月1日 - ★岩槻市を併合。

2006年

7月20日 - ★千葉県柏市・松戸市等の関係者が周辺都市(埼玉に隣接するとんがった部分全域)を含めた合併によりさいたま市を超える大都市(政令都市)を目指していることが発覚(これは事実です)

  • さいたま市に危機感広がる。

2007年

  • 8月4日 - さいたま市議会が埼玉県庁を占拠。さいたま市の独立を求める。(さいたま革命
    • 日本政府がさいたま市の政令都市の指定を解除する。
  • 8月10日 - 上尾・桶川・北本・鴻巣・伊奈町に侵攻。
  • 8月14日 - 鴻巣・行田・東松山・吉見町に侵攻。
    • この頃別働隊は東部(草加・越谷・春日部・三郷・吉川など)を制圧。千葉県側に工作員を送り込む。
      • 当初は政令市実現妨害が目的だったが、後に合併させて丸ごと乗っ取る方針に転換。
  • 8月20日 - 熊谷市に侵攻。しかし暑過ぎるので撤退。
  • 8月23日 - 朝霞・志木・ふじみ野・川越・鶴ヶ島・坂戸・滑川町・小川町・寄居町が合併。東上市を名乗りさいたまと全面対決へ。埼玉県庁を川越に移転。
  • 8月29日 - 入間・狭山・所沢・飯能・日高・秩父・横瀬町が合併。『西武市』を名乗りさいたまと全面対決の姿勢を示す。
  • 西武市と東上市、『西埼玉連合』を設立。
  • 9月2日 - 入間基地から発進した航空自衛隊機、さいたまを初空襲。朝霞からは陸上自衛隊がさいたま市内に侵攻。どさくさにまぎれて練馬区を併合。
  • 9月8日 - 西埼玉連合対さいたま市最大の激戦となる荒川の戦いが行われる。西埼玉連合、さいたま軍に押し戻される。
  • 9月11日 - さいたま、荒川を渡り川越に侵攻。西埼玉連合・東上市崩壊。埼玉県庁は所沢に移動。
  • 9月13日 - 川越から新宿線沿いに西武市内に侵攻。これが俗に言う『西武新宿戦線』。
  • 9月14日 - 所沢市域に侵攻。入間市に県庁を移転。
  • 9月15日 - 入間市域に侵攻。埼玉県・西武市は最後の望みを賭け、元大滝村役場に県庁を移転。俗に言う『秩父大本営』
  • 9月17日 - 秩父市域を完全に占領。西武市は消滅。
  • 9月18日 - 埼玉県が降伏。これにより、埼玉県がさいたま市の支配下となる。
  • 同9月18日 - 唯一生き残ってた熊谷に、敗走した議員団による埼玉県臨時議会が成立。
  • 9月19日 - 日本国からの独立を宣言。土屋義彦を皇帝とする帝国が成立。
    • 同時にさいたま市の合併を解消。
  • 10月1日 - 涼しくなってきたので熊谷の臨時議会を攻撃。しかし富岡清率いる熊谷軍の戦術に苦戦し赤城おろしの風で多くの戦死者を出し併合失敗。未だ熊谷市生き残る。
  • 10月2日 - 地名を全てひらがなにする。
  • 10月14日 - 首都をうらわ市に制定。
    • おおみや市がこれに反発。
  • 10月27日 - 漢字を全て廃止する法律ができる。

2008年

  • 5月4日 - さいたま政府は東京都に対し池袋地方の割譲を要求。
    • 東京都はこれを拒否。日本政府は遺憾の意を表明する。
  • 5月9日 - 池袋を奇襲攻撃。
  • 5月18日 - 豊島区と北区を併合する。
  • 7月 - 千葉県で松戸・柏・流山・野田・我孫子・鎌ヶ谷の6市議会において相次いで合併決議可決。10月17日の合併を目指し市名の公募が始まる。
    • 「東葛市」「東葛飾市」「東かつしか市」の3つが候補として残る。最初の案は旧柏市の名称だったとして松戸側が猛反対、後2者が決選投票にかけられた。勿論最後のはさいたまのスパイ(ひらがなこうさくいん)の陰謀であった。
  • 10月16日 - 僅差で「東かつしか市」が採択された。しかし、市名の賛否をめぐり大混乱に・・・・
  • 10月17日 - 「東かつしか市」発足。人口137万人。発足したばかりの市内では至るところでデモが発生。
    • 「平仮名反対」vs 「ひらがなだいさんせい。さいたまへんにゅうしじ」
  • 10月18日 - 千葉県知事が「さいたま人は漢字も読めない馬鹿」と発言。
    東かつしか市に人口で抜かれて逆上していた千葉市長も県知事の発言を受け「東かつしか市民はは漢字も読めない『ばかつしか』」と発言。
  • 同10月18日 - つちや皇帝は千葉県知事・千葉市長の発言に激怒。「ちょうばつこうい」と称して千葉県に宣戦布告。(埼千戦争
  • 10月21日 - 千葉県に侵攻。柏をさいたまに取られるのをよしとしない茨城人も加わって大乱戦となる。
  • 10月24日 - さいたまに隣接するとんがってる地域、すなわち東かつしか市を占領。
  • 10月29日 - 東かつしか市がさいたま側に寝返る。さいたま軍と共闘する。
  • 11月3日 - 千葉市陥落。千葉県が降伏する。東かつしか市は即日「ひがしさいたま」に改称。
  • 11月4日 - さいたま・よのし(しんとしん)においてさいたま帝国と千葉県代表による講和会議が始まる
    • 講和会議の最中、さいたまありーなに落雷。これにより時空の裂け目が生じ、異なる2つの未来が生じた。
    • こちらの世界では穏健派のどうじく(動軸)将軍が落雷死。強硬派のちょうえつ(超越)将軍は一命を取り留め、病床より会議を指揮。
    • さらに、会議に参加していた千葉県側の要人の多くも落雷死。交渉能力も統治能力もゼロに。
  • 11月11日 - 千葉県はよの講和条約を受諾。これにより、千葉県全土をさいたま帝国に譲渡。千葉県消滅。千葉を併合したさいたま帝国は「大さいたま帝国」と改称した。
    • ひがしさいたま市で捕虜になった茨城人たちは「ちちぶ」へと連行・抑留されることになる。
      • 勿論これは、訛りのひどい(失礼)茨城を攻略するためのふるさと工作員養成のためであった。
    • 念願だった海を手に入れ、さいたま国民は大喜び。11月11日を「海の日」に制定する。
  • 11月23日 - 戦艦「さいたま」の進水式。その様子は国営放送のテレビさいたまで全国生中継され、初めての海に国民は皆感動、胸を躍らせた。
  • 同日-しかし、何を血迷ったのか現○重工に発注していたため、進水と同時に浸水して沈没。
    • 大さいたま政府は韓国政府と現代○工に謝罪と賠償を要求。
    • 韓国政府・○代重工共にそれを拒否。
  • 12月1日 - 大さいたま帝国は報復として竹島に「みさいる」を発射。竹島消滅。
    • 韓国政府は激しく抗議。謝罪と賠償を求められる。韓国各地で反埼デモが起こる。
      • 大さいたま政府は「じごうじとくだ」と言ってそれを拒否。
        • 更には「むしろにっかんゆうこうにこうけんしてやったではないか」と言い放つ。
    • 日本政府は遺憾の意を表明する。
  • 12月15日 - 韓国が報復の報復として大さいたま帝国に向けてミサイルを発射。
    • しかし日本のミサイル防衛(MD)に阻まれ打ち落とされてしまう。
  • この一連の出来事が恒久的な埼韓関係悪化に繋がる。

2009年

  • 6月23日 - さいたまの語源となった聖地・多摩に侵攻。つちや皇帝が「これはせいせんである」と声明。(埼多摩聖戦
    • 「埼玉(さきたま)古墳説」を完全否定。
  • 7月14日 - 奥多摩町・桧原村を占領。
  • 7月25日 - 青梅市・あきる野市・日の出町を占領。
  • 8月1日 - 福生市・羽村市・瑞穂町を占領。西多摩郡全土を併合する。

2010年

  • 1月7日 - 反さいたま帝国同盟「23区隊」が(区から市になりたがっていた千代田区と、先に占領された、練馬区、豊島区と北区を除く19区によって)結成される。
  • 1月12日 - さいたま帝国は、「23区隊」に唯一参加していない、東京・千代田区(特にアキバ)に侵攻。しかし「何の役にも立たない上に、意外にわがまま」でお馴染みのオタクが、だれにとっても意味不明な猛反発を起こし、撤退を余儀なくされる。みんな頭の上に「?マーク」が出るが「それがオタク」の一言で、とりあえず後回しにされる。識者は「スイスの独自性と同じ原理」と指摘するが、みんなとてもイヤ~な気持ちになる。
  • 1月20日 - いつの間にか「バチカン衛兵と同じ真の聖戦士」とまで思い上がっていたオタクに「ゲド戦記は失敗だったね。やっぱり世襲制は、、、」と、痛い所を突付くと各個に自爆した。
  • 1月23日 - 日本国側は“東京が奪われる!!”と思い、再び京都が首都に
    • 人口の問題だと名古屋・大阪が反発。
    • これにより東京都知事、石原慎太郎が「首都じゃなくなったなら、もういいや。飽きた。」といって突然辞任。これにより23区隊は大混乱。
    • すぐに次の知事がドクター中松に決定する。戦線になぞの発明品が投入される。
  • 1月31日 - あいかわ首相の提案により、23区隊対策として、鉄道の輸送力を生かした戦術の採用が決定。
  • 2月7日 - JR高崎線を確保する為に上野まで侵攻。
    • 赤羽、東十条、王子、田端、西日暮里、鶯谷では23区隊の守備隊が激しい抵抗を見せたが、指揮系統の不統一と、ドクター中松知事の発明品がほとんど何の役にも立たなかった事により、わずか一日で上野まで制圧される。
  • 同2月7日 - さいたま本隊の動きに合わせて、さいたま帝国の千葉県部隊が江戸川を渡河しようとするものの、23区隊に全ての橋を爆破されてしまい、千葉県から東京都への直接の侵攻を断念。また、東京の26市・5町・8村による連合部隊も23区への攻撃を開始。主に杉並区・中野区の制圧を目指す。
  • 2月8日 - さいたまを経由して千葉県部隊が葛飾区・柴又に侵攻。(葛飾柴又の戦い
    • 激戦の末、さいたま軍が勝利。
    • この戦いで葛飾の英雄、両津勘吉が戦死する。
    • さいたま帝国は両津勘吉の驚異的な身体能力を調査する為、遺体を本国へ持ち帰る。
    • 実は影武者であったことが判明。本物はいまだ逃走中。
  • 4月2日 - 群馬県でさいたま帝国への編入合併を望む、群馬・さいたま党(通称:ぐんたま党)が結成される。
    • しかしその実態は、さいたま帝国への懐柔工作する組織であった。(ふるさと工作員)
  • 9月半ば - 群馬県南部で"さいたま編入論"が高まる。
  • 12月10日 - 群馬県南部の市町村で「さいたま帝国編入条例」がことごとく可決される。
  • 12月14日 - 併合を阻止したい北部は「反さいたま北部同盟」を結成する。
    • しかし、みなかみ町までもが「さいたまにへいごうされたい」と言い出し、北部同盟が困惑する。
  • 12月22日 - 北部同盟が南部に特殊部隊を投入。

関連項目