もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら

2021年10月25日 (月) 23:21時点におけるピポー快速たいら塚 (トーク | 投稿記録)による版
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  1. 愛知青少年公園をつぶして選手村を建設。
  2. 愛知万博はなかった。
    • いや。瀬戸会場だけになっていた。
    • 世界デザイン博覧会(史実では1989年に名古屋で開催)も海外か別の都市で開催されていた。
    • 2005年の万博は福岡あたりで開催されていたかも。
  3. IOCは腐敗しなかった。
    • 結果、当時のソウルオリンピック招致委員長ノ・テウ氏が1987年の大統領選に出馬することもなかった。
      • 結果、87年の大統領選は金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、金鐘泌(キム・ジョンピル)のいわゆる3金の中から選出されていた。
      • 或いは軍事政権が未だに続いていた。
      • 当時の情勢を踏まえるといずれは民主化されていたと思う。
      • ただし流血の惨事が発生していた恐れが高い。
    • 誘致に積極的だった当時の愛知県知事・仲谷義明氏が自殺をすることはなかった。
    • 北京オリンピックや韓国の都市がオリンピック開催地に立候補する事もなかった。
      • 中国が韓国より先にオリンピックを誘致したかも。
    • そうなると長野オリンピックもない。
  4. 大韓航空機爆破事件は起きなかった。変わりにJALANAが大変な目に・・・・と思ったら、当時はかの国と険悪な関係では無かったので、結局何も起きなかったと思われる。
    • 当然金賢姫が世界的に知られることはない。
  5. 開会式でつボイノリオは「名古屋はええよ!やっとかめ!」を熱唱。
    • 北島三郎(サブちゃん)の『なごやの女』でもOK。
    • 名古屋生まれの舘ひろしが、故・石原裕次郎が名古屋を歌った『白い街』を歌うのもアリですねw。
    • つボイノリオが再度全国に進出し、全国区のタレントとして定着。
    • 放送業界での名古屋の局の地位が、史実よりやや高くなっている。
      • 名古屋の放送局のアナウンサーが全国ネットの番組に登場する機会も史実より増えていた。
        • この頃「燃えよドラゴンズ!」を歌っていたCBCの久野誠アナの知名度も現実以上だった。
  6. アキュラやレクサス、インフィニティの登場時期が3年早くなる。
    • フラッグシップのレジェンド(現RL)やLS(セルシオ),Q(シーマ)の登場時期も3年早くなる。
    • センチュリーやプレジデントに代わり海外のVIPを乗せるオフィシャルカーとして起用。
    • マツダも、高級チャンネル「アマティ」を立ち上げて、フラッグシップのアマティ1000もオフィシャルカーとして起用されている。
    • デボネアはシーラカンスのまま。フェスティバも存在しない。
    • いや、デボネアも三菱グループの威信にかけてとっくに3ナンバーサイズのボディにモデルチェンジをしているはずでは?
    • メガクルーザーもトヨタの(販売価格に見合った)高級SUVとして史実より10年早く登場。
  7. バブル崩壊の被害が日本一大きかった。
    • 場合によっては、『世界・食の祭典』の影が史実以上に薄くなっていた。
    • オリンピック終了から6年後の1994年に開催された「わかしゃち国体」までに市内の再開発がほぼ完了する。オリンピック終了後も好景気が続いたため。94年頃になると再開発ビルは空きスペース,市内の空き家率が増加する。
  8. ナゴヤ球場が国際規格の立派なスタジアムに改築される。ゆえにナゴヤドームはできていなかった。
    • あるいはナゴヤ球場の場所にナゴヤドームが建設されていた。
      • 実際オリンピックのメインスタジアムとして使用後、中日の本拠地として使うドーム球場の建設が検討されていたことがあるんですよ。
    • ノリタケドームが日本初のドーム球場になったかも。
  9. その後、ほとぼりが冷めた頃に韓国は2000年か2008年頃にソウル五輪が決定する
    • いや、そもそも開催が決定した1981年の時点ではまだ商業五輪の方針が固まっておらず、モントリオールの失敗もあって、世界中が五輪の開催を嫌がっていた時期だからこそ、現実においてソウルが開催できたのである。その後、五輪が儲かる事業となってしまった以後の厳しい開催地選考レースに、韓国が、先進諸国やBRICsなどの強敵相手に勝てることは永遠にないと思われる。
      • 強いて上記に挙げた年以外でソウル開催が最も可能性が高いなら2004年だろうか?まあ開催都市がアテネだからってのもあるが
    • ソウルワールドカップ競技場は陸上トラックがついていた
      • 或いはソウルオリンピック開催の実績が無いので2002年のワールドカップは共催ではなく日本の単独開催になっていた
    • 北京オリンピックは2032年ごろ
    • 東京オリンピックはさらに遅れて2052年ごろ
  10. やくみつる(はた山ハッチ)が漫画で描いた事が本当に起こる(その年ドラゴンズが優勝してファンが選手の帽子を奪ったから)。
  11. 2008年オリンピックに大阪や横浜は立候補しなかった。
    • 2020年の夏季五輪が東京でなかった場合、大阪は2024年大会に立候補していたかも。
  12. 直前に昭和天皇が倒れ、開会宣言は皇太子殿下となり、「天皇陛下に金メダルという薬を!」が合言葉だった。
    • 金メダルはひょっとしたら16前後まで取ったかもしれない。
      • 国策による選手の強化も名古屋五輪以前から行われ、それ以降2000年シドニー大会までの日本のメダル低迷期もなかった。
        • ナショナルトレーニングセンターも昭和のうちに開設されていた。
        • 1960年代生まれがメダル不毛世代になることはなかった。
  13. 1県4局政策が早めにスタートし、開幕までに史実より20局多く開局。
  14. 中部国際空港は昭和のうちに開港していた。
    • 逆に関西国際空港の開港は21世紀になってからだった。
      • 大阪空港の発着枠を補完する存在として中部国際空港が活用されている。
    • そして神戸空港の開港は無かった。
    • 逆に中部空港の補佐空港として静岡空港の開港が早まったか…
      • 中部国際空港へは名鉄常滑線が延伸扱いで空港まで延伸。「パノラマSuper」が空港開港と同時に登場。名鉄名古屋(旧新名古屋)-空港間を30分以内で結ぶ。名鉄特急の120km/h運転がこの時実現。「パノラマSuper」は加速性能を高めるため,7700系以来の全電動車方式を採用した。
    • 特急「北アルプス」は運行区間短縮と共に中部空港に乗り入れ。
  15. 近鉄「アーバンライナー」の登場は2~3年早まっていた。
    • オリンピック開催までに全ての名阪ノンストップ特急を「アーバンライナー」に置き換えていた。
    • オリンピック期間中は近鉄特急が大阪方面からのオリンピック観戦列車として利用されていた。
    • 関西の新快速がオリンピック期間中は名古屋まで延長される。
      • それがきっかけで姫路~豊橋間の直通新快速が実現していたかも。
    • その場合80000系「ひのとり」の登場も数年早くなっていた。
  16. 新幹線「のぞみ」の登場が早まったはず
    • のぞみはあくまで航空機に対抗するために登場したものなのでそれはない(東京・大阪~名古屋に国内航空路線はない)。
    • むしろ「グランドひかり」の方だと思われ。
      • 当然JR東海用の100系V編成も存在する。
    • むしろJR化当時は100系X編成(2階建て車2両,8号車が食堂車)だろう。100系は1985年3月のダイヤ改正(つくば万博が同時期に開幕)で登場。3年後までに20編成程度製造される。五輪開催の頃には1時間1本程度の東京-博多間速達「ひかり」(山陽新幹線内岡山・広島・小倉停車)に運用される。東京-博多間の最速所要時間が6時間を切った。
  17. 中京圏の地位が現実より高くなっていた。
  18. バブル景気は1990年代中盤まで続いていたかもしれない。
    • 実態のない土地・株などへの投機が原因となったことを考慮すると、崩壊が早くなることはあっても遅くなることはないだろう。
      • 逆に到来が早まった可能性もある。
        • 少なくともプラザ合意後の円高不況はなかったか早期に解消できた。
    • もしくは「ナゴヤ景気」と呼ばれたかもしれない。
  19. キューバはボイコットしなかったはず。
  20. チェリッシュ(キャンペーンソングを歌った)は誘致決定の81年と五輪開催の88年に紅白歌合戦出場。現在も史実以上の人気と地位を保っている。
  21. 日本のサッカーのプロ化が多少早まっていたかもしれない。
    • JリーグとKリーグの発足時期が史実と逆ぐらいになっていた。
  22. いわゆる「盗まれた金メダル事件」もないので、アマチュアボクシングの採点方法も変更されなかった。
    • ロイ・ジョーンズ・ジュニアの競技人生も変わっていたかも。
  23. 清水義範が小説のネタにしていた。
  24. いわゆる「名古屋めし」の全国区化が早まっていた。
    • 寿がきやが全国に知られるようになっている。
      • それどころか、海外にまで進出。
      • もちろん選手村にも出店。
        • 台湾ラーメンの元祖「味仙」や味噌カツの「矢場とん」、味噌煮込みうどんの店も出店していたかも。
    • 台湾ラーメンやあんかけスパゲティなども五輪をきっかけに全国に知られるようになった。
  25. ソウルの開発はもっと無理のない速度で進んでいた。
    • 三豊百貨店の悲劇は避けられたかも。
  26. JR東海の311系の登場が1年早まり、オリンピックに合わせてデビューする形となっていた。
    • 名古屋市営地下鉄桜通線もオリンピックに合わせて開業。
    • 金山総合駅もオリンピック前に完成していた。
    • 名鉄の「新○○」、「名電○○」はこの時期に「名鉄○○」に改名していた。
      • 「東岡崎」駅も「名鉄岡崎」駅に改名していたかも。
    • キハ85系「ワイドビュー」の登場も1年早く1988年3月改正でデビューしていた。
  27. 在名放送局が挙って、名古屋開催決定を祝う特番を放送していた。
    • ということで、当時の中日新聞に『TVスタジオてんやわんや』や『特番切り替え ザンネン番組』という見出しの記事が載ることはなかった。
  28. 『タモリのオールナイトニッポン』や『山藤章二のブラック・アングル』でネタにされることもなかった(逆に、名古屋開催決定がネタにされていた可能性もあり得るが)。
    • 伊藤さやかの曲「オ・ネ・ガ・イ スーパーコンピューター」も同様。
  29. JTB時刻表1988年9月号の表紙はセマウル号とソウル地下鉄車両ではなく、名古屋圏の鉄道車両が掲載されていた。
    • その中に近鉄「アーバンライナー」も含まれていただろう。
  30. 日韓共同きっぷは発売されなかった。
    • 日韓W杯が史実通りあれば、その時に登場したかも。
  31. 1982年と1988年の中日ドラゴンズの優勝の際には名古屋の街の盛り上がりは現実以上だった。日本一になっていれば尚更。
    • 前者の時には「6年後にはオリンピックもある」と話題にされていただろうし、後者の時も開催年として名古屋イヤーを飾れていた。
    • 少なくともどちらかは日本一にもなれていた。
  32. 後にSKE48に1988年生まれのメンバーが在籍したら、その生まれ年から「オリンピックベビー世代」として注目されるかも。
    • 愛知県出身なら尚更。
  33. 2026アジア大会は別の都市になっていた。史実同様の日本開催なら大阪か福岡あたり。
  34. 新名神高速道路の部分開通も史実より20年早く、オリンピック開催に合わせて開通していた。
    • 伊勢湾岸自動車道もオリンピック開催に合わせて開通していた。
      • 新東名(仮称第二東名)高速道路の愛知県内も同じ位に。
    • 名古屋第二環状自動車道はオリンピックに合わせて開通していた。
    • 東海北陸自動車道も一部区間がオリンピックに合わせて開通していた。
    • 少なくとも平成のうちに全通していた。
  35. 航空自由化が名古屋五輪の開催決定を機に進められた可能性が。日航以外の航空会社の定期国際線進出が早く,TDAのJASへの社名変更が早まる。日航は'85年の事故と完全民営化を機に,五輪までに多くの機体がJAL_塗装に変更。767導入辺りから。
    • 767導入以降に'85年の事故が起こったから,その翌年から?
    • 全日空の747-300がSRも含め「オリンピアジャンボ」として大量導入。767で採用された塗装で。
  36. 開催地の愛知県を拠点とするトヨタ自動車は松下電器産業(→パナソニック)と同時にワールドワイド・オリンピック・パートナーになる。松下幸之助は間違いなく喜んだであろう。両社とも五輪開催時,世界時価総額でトップ10に入ったかも。
    • トップ50に(愛知県内の企業は)トヨタ自動車・東海銀行・中部電力以外にも,有力企業の何社か入った。(愛知県外の企業で)トヨタグループと親しい,あるいは開催地周辺に事業を展開する有力企業が入った。
      • 特に,トヨタグループと親しい銀行のうち,東海銀行は首都圏ではなく,'名古屋'を拠点とする世界のトップバンクを目指して,海外展開を積極的に推進。のちの三和銀行への合併は変わらず。三井銀行は太陽神戸銀行との合併を早め,東海銀行などに対抗する。
    • 下手すれば名古屋五輪翌年の世界時価総額で,9割日本企業で埋まるかも。
  37. ユニーは世界進出を図り,サークルKサンクスはユニー本体がアメリカの本家の経営権を獲得。間違いなくユニーグループの規模は大きい。ファミリーマートと業務提携はするが,合併しなかっただろう。
  38. 五輪大会が近づくにつれ,名古屋市とその周辺・県内主要工場近くの,通勤・通学時間帯の道路の渋滞が激しくなった。そのため,通勤・通学時間帯の名古屋方面に向かう通勤列車の混雑が激しくなる。
    • 名鉄5300・5700系は3扉車で登場
      • 6500系や6800系は当初からロングシート車として登場し、6000系のロングシート化も早まっていた。
    • 砂田橋から名城線が守山区に延びる。ただ,高蔵寺まで延びるのはまだ先。環状部分より優先的に建設され,瀬戸電の小幡以西の混雑緩和に貢献。
      • 五輪閉幕後,名城線の環状化を2000年までに実現する。
    • ↑はそこまで早くなくても,2010年位には全通しているだろう。
    • 要するに「名古屋のドーナツ化現象」か。
    • 名城線の守山区延伸は工期からして1990年代中ごろから2000年ごろだろう。ドーナツ化現象は名古屋市中心部の地価高騰が続かないくらい難しいだろう。
  39. 開催時期が10月ではなく7~8月だった場合は、マラソン・競歩の開催は飛騨高山で行われていた。名古屋市内では暑すぎるからという理由で。
  40. 焼き鳥聖火はなかった…のか?
  41. 史実通り2020年夏季五輪の開催地が東京になった場合、新型コロナウイルスでの延期による落胆も現実ほどではなかっただろう。
  42. 三重テレビと岐阜テレビがテレビ愛知に合併されていた
    • 社名はテレビ中日本。
  43. リニモの開業が早まっていた。
    • 愛・地球博記念公園駅は青少年公園→茨ヶ廻間→万博会場→愛・地球博記念公園になっていた。
    • 時期からして普通鉄道だったかも