もしあの人物が○年度生まれだったら
2018年1月23日 (火) 20:47時点における>まっくすによる版
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芸能人
愛河里花子
現実は1967年10月7日生まれ。
- 1967年(10月7日以外)生まれ
- 「42107」(しにとおない)ネタは生まれなかった。
- ただし7月31日は別。
安室奈美恵
- 現実には1977年9月20日生まれ
- 1978年生まれ
- 浜崎あゆみや椎名林檎と同い年になるので、1978年生まれは女性歌手の当たり年となっていた。
- 現実以上に彼女らと比較されていた。
- 結婚・妊娠が現実通りだったとしたら、未成年の19歳ということで現実以上に大騒ぎとなっていた。
岩田光央
現実は1967年7月31日生まれ。
- 1967年(7月31日以外)生まれ
- 「42731」(しになさい)ネタは生まれなかった。
- ただし10月7日は別。
植木等
植木等は1926年12月25日(大正天皇崩御の日)に生まれたが、出生届を出し忘れたため戸籍上とは2ヶ月以上差がある。
- 1927年2月25日生まれ
- 戸籍遅れで彼の父が罰金を食らうことはなかった。
- 昭和元年生まれの有名人が一人減る。
梅田彩佳
- 現実では1988年度(1989年1月3日)生まれ。
- 平成(1月8日以降)生まれ
- この場合もAKBグループに昭和64年生まれはいなかった。
- (NMBに移籍した場合、)NMBに昭和生まれはいなかった。
- 1989年度生まれ
1989年4月2日以降に生まれていたら?
- AKBグループに昭和64年生まれのメンバーはいなかった。
- AKBにおいては倉持明日香以外の1989年度生まれのメンバーが増えていた。
- 史実どおりにNMBへ移籍ならNMBに昭和生まれのメンバーはいなかった。
押切もえ
- 現実では1979年生まれ
- 1981年生まれ
- 同年に「萌」の漢字が人名用漢字に採用されたため「押切萌」と漢字表記になっていた可能性もある。
- 現実ほど蛯原友里(現実には同じ1979年生まれ)と比較されることはなかったかもしれない。
- 「エビもえ」という言葉も生まれなかったかも。
佐々木希
- 現実では1988年2月8日生まれ。
- 1988年度(1988年4月2日以降)生まれ
- 1988年生まれではなく1988年度生まれということで、現実以上に同学年の新垣結衣・戸田恵梨香・堀北真希・吉高由里子などと比較されていた。
- 逆に同学年(1987年度生まれ)の木下優樹菜とは現実ほど仲が良くならなかったかも。
- 1988年2月4日生まれ
- 同姓の俳優である佐々木蔵之介と同じ誕生日でしかもちょうど20歳違いということが話題になっていた。
ザ・たっち
史実では1982年11月10日生まれ。
- 1984年?以降生まれ
- 史実では上杉和也事故死以前に生まれたため「拓也」「和也」だったが、この場合かずやも名前を変えていた(「勝也」など)。
- 場合によっては全く別の名前になっていたかも。
- それでも兄が達也になるかは微妙なところ。
志田愛佳 (欅坂46)
史実では1998年11月23日生まれ。
- 1990~91年度生まれ
- 年齢的にはNegiccoに入っていただろう。
- その後Negiccoを卒業して入ったアイドルグループはAKB48か乃木坂46だったかもしれない。
篠田麻里子
史実では1986年3月11日生まれ。
- 1986年度生まれ
- AKB48時代においてメンバー組閣後に最年長であることは史実と変わらない。
- 沢尻エリカ、上野樹里、北川景子、石原さとみ、井上真央などとともに1986年度生まれ一員として名を馳せていた。
- 1986年度生まれは女性芸能人にとっての黄金世代と呼ばれていた。
関根勤
史実では1953年8月21日生まれ。
- 1950年以前
- 「森田一義アワー 笑ってもいいとも!」 (フジテレビ系) には番組開始当初 (1982年) から出演していた。
- 途中でタモリの代理司会を担当することがあったかも。
瀬奈じゅん
- 1974年度生まれ
史実では彼女の生年月日は1974年4月1日ですが、もし彼女が史実より1日以上遅く生まれていたら?
- 史実通り宝塚の入団が1992年だったら大空祐飛がトップになれたか怪しい。
- 大空祐飛がトップになれずに退団した場合は壮一帆や北翔海莉もトップにならずに宝塚を去っていた。
- 彼女がぎりぎりで宝塚に入団できる1995年に入団していたら史実で男役トップになっている真飛聖か大和悠河のどっちかが危うい状態になっていた。
- 新人公演主演の回数が増えていたかも。
滝沢秀明
- 1982年度生まれ
滝沢秀明は昭和57年3月29日生まれですが、もし現実より4日以上遅く生まれていたらどうなっていたのでしょうか?
- ジャニーズの昭和57年度生まれが相葉雅紀の一人勝ちになることはなかった。
- 昭和58年4月2日以降に生まれていた場合は結局変わらないけど…(「現実より4日以上遅く生まれていたら」なので、昭和58年度以降に生まれた場合も含まれる)
- 「タッキー&翼」が結成されず、最初からソロで活動していたかもしれない。
- 相葉雅紀とユニットを組んでいたかもしれない。
- 「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」のキャストは史実と違っていた。
- 唯役は1983年度生まれ以降の女優、遥役は1982年度生まれの女優が起用されていた。
- 史実で唯役は深田恭子であるが、深田恭子では同年代になってしまうため。
- 水川あさみあたりが起用されていたかも。
- 史実で唯役は深田恭子であるが、深田恭子では同年代になってしまうため。
- 唯役は1983年度生まれ以降の女優、遥役は1982年度生まれの女優が起用されていた。
- シニア向けヘアカラーのCMに出演することはなかった。
竹内結子
- 1980年度(1980年4月2日以降)生まれ
現実では1979年度(1980年4月1日)生まれ。
- 1980年生まれではなく1980年度生まれの一員となっていた。
- 少なくとも、広末涼子、田中麗奈、優香などと並び称される存在になっていた。
夏川純
- 1983年度生まれ
現実は1980年度生まれですが、事務所の戦略で1983年度生まれに詐称していた時期がありました。もし、本当に1983年度生まれだったら?
- 年齢詐称は起きなかった。
- グラビアから手を引くことはなかった。
中山忍
- 1973年度生まれ
現実では1973年1月18日生まれ。
- 松嶋菜々子、宮沢りえ、篠原涼子などのライバルとして張り合っていた。
- 史実より地味な存在になることはなかった。
- 仕事も2時間ドラマに留まらず連ドラでの仕事にも恵まれていた。
中山美穂
- 1970年度生まれ
現実では1970年3月1日生まれ。
- 1970年度生まれということで同学年の工藤静香、永作博美、加藤貴子、和久井映見、渡辺満里奈などといい意味で比較されていた。
- 特に永作博美とは同学年ながらルックスでのギャップの大きさが比較されていた。
- 永作が20代の頃、ドラマで女子高生役を演じた時には10代で母親役を務めた中山と比較されていた。
- 特に永作博美とは同学年ながらルックスでのギャップの大きさが比較されていた。
- 10代で主婦キャラを演じることはなかった。
- 「ママはアイドル」「若奥さまは腕まくり」はなかった。よって、後藤久美子がブレイクすることもなかった。
- 後藤久美子はCMでもそれなりに注目されていたので史実と違った形でブレイクしていたかも。
- 「ママはアイドル」「若奥さまは腕まくり」はなかった。よって、後藤久美子がブレイクすることもなかった。
福田充徳
- 1985年生まれ
- 彼の名前「充徳」は当時一万円紙幣の肖像だった聖徳太子に因むものだが、この頃には福澤諭吉が定着してくるので名前も福澤に因んだ「充吉」になっていたかもしれない。
- ジャルジャルの福徳と混同されることもなかった。
松平健
- 1684年度生まれ
- 紀州藩主の子供…… ではなく尾張藩領に生まれて徳川継友を暗殺して、八代将軍継友になり変わってたかもしれない。
- 将軍になっていたら、江戸の町を出歩いて色々やっていたかもしれない。
- その目的は、江戸庶民に対する辻斬りや闇討ちによるストレス発散。
渡辺麻友
- 現実は1993年度(1994年3月26日)生まれ。
- 1972年度生まれ
『さばドル』では38歳の高校教師が年齢を21歳詐称して渡辺麻友として活動していましたが、もし、現実(1993年度生まれ)より21年早く生まれていたら?
- 乙女塾に加入していた。
- 史実通りプロダクション尾木所属ならCOCOやribbonのメンバーと何らかの関係を持っていた。
- ソロ曲はポニーキャニオンからリリースしていた。
- 1990年代半ば頃には脱アイドル化し、声優か漫画家に転向していた。
- 『戦う!書店ガール』の亜希役は別のAKBメンバーがやっていた。
スポーツ
内村航平
- 現実では1989年1月3日生まれ。
- 1988年生まれ
- 名前は「航平」ではなかった。
- 昭和生まれで最も若いメダリストではなかったかも。
- 昭和64年生まれの有名人が一人減る。
- 平成(1月8日以降)生まれ
- この場合も名前は「航平」だろう。
- 平成生まれ初の金メダリストになっていた(史実ではソチ五輪の羽生結弦)。
- 1989年度生まれ
- 名前は「航平」・・・だったのかな?
- ロンドン五輪で金メダルを取っていれば、平成生まれ初になる。
金本知憲
- 現実では1968年4月3日生まれ
- 1968年4月1日以前生まれ
- 現実より学年が1つ上(1967年度生まれ)となるので、桑田真澄・清原和博と同学年となっていた。
- 現実以上にこの2人と比較されるようになっていた。
- 更にもし桑田が1968年度生まれだったら、桑田と金本の学年が逆転していたため、桑田は金本の後輩となっていた。
- 現実以上に1967年度生まれが当たり年と呼ばれている。
- 2009年現在、この年度生まれでは唯一の現役選手となっていた。
- 世代の呼び方が「桑田・清原・金本世代」となっていたかも。
- もしかすると「KKKトリオ」が出来ていたかもしれない。
- 誕生日が3月34日と呼ばれることもなかった。
- 史実通り2016年に阪神の監督に就任していた場合、桑田の巨人監督就任、佐々木のDena監督就任もあり得たかもしれない。
- アレに手を染めてなかったら清原の西武監督就任もあったかも。
- オリックスの監督に就任していた可能性もある。
- アレに手を染めてなかったら清原の西武監督就任もあったかも。
亀田大毅
- 現実では1989年1月6日生まれ
- 1989年1月8日以降生まれ
- 史実通り行けば平成生まれの世界チャンピオン第1号になっていた。
- 史実での第1号は井岡一翔。
- その井岡一翔と、平成元年生まれで同じ大阪市西成区出身なので現実以上に比較されていただろう。
- 史実での第1号は井岡一翔。
- 昭和64年生まれのプロボクサーは1人もいなかったかもしれない。
桑田真澄
- 現実では1968年4月1日生まれ
- 1968年4月2日生まれ
もし桑田真澄の誕生日が実際(4月1日)より1日遅れで4月2日だったら。
- 清原とは学年が異なるためKKコンビは誕生しなかった。
- 1983年夏の甲子園のPL学園優勝は無かった。
- 高校野球人気もそこまで上がらなかっただろう。
- 幽☆遊☆白書の桑原和真も、違う名前になっていた。
- 金本が1967年度生まれだったら金原和憲とかかな?
- 清原の後輩となるので、高校でつぶされた可能性も。
- 野手に転向した。
- 清原をドラフト指名する球団が1球団増えていた。
- 清原が巨人に入団していた可能性も。
- 金本知憲(桑田より2日あとの4月3日生)のコメントにおける桑田の他人称が「桑田さん」ではなく「桑田」(あるいは「桑田君」)になっていた。
- 桑田真澄が1968年4月2日以降生かつ、金本知憲が1968年4月1日以前生だったら、逆に桑田の金本に対する他人称が「金本さん」になっていた。
- 昭和42年度生まれが「KK世代」ではなく、「清原世代」と呼ばれていた。
- そして昭和43年度生まれは「桑田世代」と呼ばれていた。
- 昭和43年度生まれが「KK世代」になっていたかも(この場合もう1つのKは金本のこと)。
- そして昭和43年度生まれは「桑田世代」と呼ばれていた。
- 清原は投手をしていたかも。
- その為、逆に清原が巨人のエースピッチャーだったかも。
- 1986年のドラフト1位指名は桑田、近藤、阿波野の3人で占められることになった。
辻本賢人
- 現実では1989年1月6日生まれ
- 1989年1月8日以降生まれ
- 平成生まれのプロ野球選手第1号になっていた。
- 野球に限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
- 平成生まれが2年早くプロに入っていた。
- 福田秀平は平成生まれのプロ野球選手第1号にはならなかった。
- ただし平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己になったことは変わらない。
- NPBに昭和64年生まれの選手は1人もいなかった。
西岡利晃
- 現実では1976年7月25日生まれ
- 1975年以前生まれ
- 現役時代が史実通りなら、37歳定年を待って引退となっていた。
- 史実ではラストファイトが36歳と2か月強だったので、引退届を提出した。
政治家
東国原英夫
- 1897年生まれ
- 史実通り宮崎県知事になっていた場合、岩切章太郎と一緒に観光宮崎の発展に力を尽くした。
- うまくいけば内閣総理大臣になれた。
- 地元宮崎の交通事情の改善に手を入れ、2016年現在、陸の孤島と称されることはなくなっている。
その他
泉重千代
- 誕生は1865年8月20日とされているが、最近では1880年生まれという説が有力。
- 1863年9月9日(以前)生まれ
- 最高齢の記録はいまだ破られていない。
- 1868年9月8日生まれ
- 最後の江戸時代生まれにはなっていない。
- 最後の江戸時代生まれは中山イサ(1866-1977)。
- 最高齢になったのも1977年になってからだった。
- 1880年生まれ
- 最高齢にはならず、105歳まで生きた人、として認識されたのみだった。
- 少なくとも住んでいた伊仙町では表彰されていただろう。
- 徳之島の知名度はそれほどなかった。
木村次郎右衛門
- 現実では1897年4月19日生まれ。
- 1899年生まれ
- 1899年生まれの男性長寿者が少ないということはなかった。
- 1897年3月19日生まれ
- 本来は3月19日生まれであるものの役所のミスで4月19日となったようです。
- ディーナ・マンフレディーニは存命人物の中で世界最高齢になることはなかった。