もし大石川県が存続していたら
2008年1月23日 (水) 08:29時点における210.143.241.70 (トーク)による版
- 現在の石川県・福井県(嶺南は除く)・富山県は明治の初めは一つの県でした。仮に大石川県(仮名)が存続していたら、今の北陸地方はどうなっていたと思いますか。
- 「北陸地方」という括りはおそらく無い。
- 県庁所在地の位置を巡って揉めて、結局高岡市に置かれる。
- 或いは金沢に県庁が置かれるが政治が金沢、経済が富山と群馬県みたいになる。
- 現実も同様だが、高岡より富山や金沢の人口は多く、能登半島の人口も多い。
- 加越能鉄道が金沢-富山間を代表に、稠密な路線網を誇っている。
- 北陸鉄道や富山地方鉄道は存在しない。
- 結果、北陸鉄道が名鉄グループ入りしていなかった。
- 京福電鉄や福井鉄道は残っていたでしょう。
- 高岡から輪島に向かって鉄道が出来ている。
- のと空港は存在しない。
- 富山空港は氷見か高岡の辺りにできていた。
- 小松空港は自衛隊小松基地として存続。
- とっくの昔に北陸新幹線が出来、能登半島にはミニ新幹線かフリーゲージトレインが走る。
- 能登半島にはとっくの昔に高速道路が出来ている。
- テレビ局は5局くらいは開局している。
- 新聞は北国新聞と中日新聞系の新聞の2紙。
- 又は1紙だったかも。
- コマツは大石川県を代表する企業のひとつに。
- 越中には大企業が多く存在している。
- 金沢産業と呉羽自工は今でも残っている。
- 或いはどちらかが潰れていたか、合併していたかも。
- 嶺南は滋賀県のまま。嶺南から苦情がきたため彦根に県庁所在地が移転。
- 若狭は北陸から脱退したいから是非。
- 富山市と金沢市は平成の大合併で念願の政令指定都市に