もし廃藩置県が行われていなかったら
行われていなかったら
府県への移行自体が無かったら
- 非効率な行政が続き財政が悪化し近代化が遅れる。
- 太平洋戦争に至るまでの日中戦争あたりで敗戦国となっていた。
- 日本は47の州と302の県からなる国家となる。
- 302県もあったら高校野球とかはものすごく大変そう。
- 地域別の代表決定試合が当たり前になる。
- 302県は市町村扱いになって、あとは道州制になるんじゃない?
- 加賀百万石や薩摩肥前のように藩は県より大きいんだから市町村扱いではない。
- ところで、廃藩置県が行われていなかったら302県はおかしくないか?
- 302藩だな。なんか合併しそうな気がする。
- 303藩では?302藩は琉球藩を除いたものだし。
- おそらく、現実の1都1道2府43県のように、1都1道45藩になると思われる。
- 302県もあったら高校野球とかはものすごく大変そう。
- 平成の大合併でひらがな・カタカナによる藩名で議論を呼ぶ。
- 待て、藩同士で合併するのか?
- 実質、今と変わらなさそう。
- 地方分権が進んでいるため、大阪は史実ほどには衰退しなかった。
- 逆に東京一極集中は緩和されている。
- むしろ幕府が消滅し、参勤交代がなくなり、藩主が東京に常駐して藩政を行うから東京一極集中が進む。
- 敗戦後にGHQによってアメリカ型の連邦制に大改編させられていた。
- その場合は、日本国憲法で「参議院議員は藩と…を代表する選挙された議員でこれを組織する」と最初から書かれ、参議院議員の選挙区は藩を越えて合区されることはない。
- 藩札も廃止されなかった。
現在も府県と藩が並存していたら
- 元々府県は天領や旗本が新政府の直轄地に移行したものなので、史実でも府県と藩が並存していた時期があります。
- 早ければ西南戦争終結~帝国憲法制定、遅くてもGHQによる占領期に府県と変わらない行政区分と化してしまう。
- 前者であれば「武家社会を屈服させた見せしめとして藩を残した」と言う俗説が出来ていたかもしれない。
- 知藩事もそのまま藩知事に統一される一方、敗戦までは大名家にゆかりのある人物が就任し続けるのが暗黙の了解となる。
- 少なくとも沖縄は太平洋戦争まで藩のままだった。
- 本土復帰時に琉球藩にするか琉球県にするかで少なからず議論が起こっていた。
- 財政悪化で廃藩→県に移行する所も幾つかあったと思われる。
- 藩境の整理を表向きの目的として、飛び地を国が買い取り隣県の一部にすると言うケースも多々あった。
- 不祥事などによって藩を取り潰すこともあった。
- 史実の英領インド→インド帝国の「藩王国」と比較される。
現在まで府県の数が変わらなかったら
- 廃藩置県がおこなれたとき、日本は3府302県であったほど県の数が多かった。では、都道府県に一度も変化がなく、現在まで3府302県のままだったらどうなっていただろうか???
- 道州制が既に導入されていた。
- 北海道は最終的に全て館県が支配する。
- 北海道も支庁(空知、後志、上川、函館、札幌、網走、室蘭、河西、釧路、檜山、留萌、増毛、宗谷、浦河、根室、小樽、岩内、寿都、亀田、松前、紗那)が県に移行する。
- 東京23区などなく、品川区や足立区は今でも別の県のまま。
- あまりにも県の数が多いので、郵便番号帳で郵便番号を探すだけでも一苦労。
- どこもかしこも県だらけで日本地図がカオスな事になっている。
- 細かすぎて、日本全土を1枚の地図にしようとすると訳が分からなくなる。
- このゲームもカオスになっている。
- テレビ局・ラジオ局はほぼ全て複数の県を視聴範囲にする。
- 放送エリアが旧国単位になっている。
- 市町村合併によって「一県一自治体」という県が現れるようになる。
- 市町村の制度ができたのは302県が統合されるずっと後。よって、1つの県が広域合併で誕生した市のようなものだろう。
- プロ市民ではなくプロ県民になるのか?
- この場合の「市民」は古代ギリシャの都市国家に由来する言い回しなので日本の地方自治制度とは関係ない。
- 市町村はこうなってる可能性も。
- 市町村の制度ができたのは302県が統合されるずっと後。よって、1つの県が広域合併で誕生した市のようなものだろう。
- 廃藩置県の時には県になっていなかった沖縄はどうなるのだろうか・・・。
- 琉球庁?
- 流石に沖縄県だけは後から追加されただろう。
- 廃藩置県時点の県名は、似た名前が多いので、混乱する。
- 県名の改称が相次ぐ。
- 県名の改称がなければ、「仙台県」「名古屋県」が今でも存在する。
- 宮武外骨が「幕府方は県庁所在地と県名が一致しない」という説を唱えることはなかった。
- 48都道府県なら暗記できる人もいるが、305府県になるとほとんどの人が暗記できない。
- 48都道府県っていつの時代だよ?
- 48都庁府県だった時代ならあったが(樺太が日本領だった時代)。
- 48都道府県っていつの時代だよ?
- 府県間の経済格差が深刻な問題となった。
- 旧藩時代からの飛び地の整理に現実より手間取っていた。
- 夏の高校野球の場合、各府県ではなく複数の府県を合わせて1校が甲子園に出場という形をとっていた。
- 現実とはかなり区割りが変わっていたことも考えられる。
- もし305府県全ての代表が全国大会に出場していたとしたら、全ての試合を甲子園で行うことはできなかっただろう。
- 薩摩(鹿児島県)は廃藩置県時点で都城(同年中に分離)と琉球(翌年に分離)を含んでいる他ほぼ現在と変わらない。廃藩置県以降に範囲が大幅に狭くなった唯一の例かもしれない
- 山口と高知も変わらないはずだし、佐賀と長崎は同じ県のままだった。
- 山口は各支藩が別の県とされたので、完全には一致しない(岩国、長府→豊浦、清末など。現実には1871年内に合併して山口県になる)。肥前にしても唐津やら大村、平戸、島原、対馬などがある。
- 山口と高知も変わらないはずだし、佐賀と長崎は同じ県のままだった。
- 能登国、伯耆国、隠岐国、壱岐国、大隅国、伊賀国、淡路国が他県から分離してしまう。
- 衆議院の選挙区が1府県につき1人選出になっていた。
- 令制国が現代人にも身近な存在になっていた。
- 住所は「○○国○○県」といった表記になっていた。
旧藩の分割が行われなかったら
廃藩置県の際に行われた県の統廃合について、嘗ての加賀藩→現在の石川県+富山県のように分離された例や盛岡藩→北部は青森県に編入、等と言うように分離や、再統合が行われた例が多いですが 仮に廃藩置県や県の再編の際に旧藩の分離が無く、統合のみで行われていたらどうなっていたでしょうか
- 大石川県が現在まで存続している
- 青森県は誕生せず、現実の青森県西部にある弘前県が存続する
- 盛岡では県庁が遠すぎるので中部の三戸町が県庁移転の運動をしている
府の数が削減されなかったら
- 明治維新直後には箱館、神奈川、新潟、甲斐、奈良、渡会、長崎にも府がありました。
- 東京府と箱館府に関しては史実通りの歴史を辿るだろうから、現在では1都1道8府37県になっているはず。
- 「府=各地域の重要拠点」と言う定義が成立してしまうと、一部地域の対立が面倒な事になりそう。
- 特に怪しいのは埼玉・千葉vs神奈川・山梨、福岡vs長崎辺り。
- 山梨が府である事から、首都圏に入っている事に関してだけは違和感がなくなるか?
- 道州制の州庁に関しても基本的には府庁がそのまま移行する事が考えられるが、九州に関しては長崎案と福岡案が真っ向から対立した状態になる。
- 多くの都会化が進む県で府を目指す動きがあった。
- 特に怪しいのは埼玉・千葉vs神奈川・山梨、福岡vs長崎辺り。
- 政治権益の強さにもよるが、九州新幹線は長崎ルートが先に開業していたかもしれない。
- 旧国名は都道府県名に使わないという原則にのっとると甲斐府は「甲府」か「山梨府」になっている。
- リニア新幹線は長野・岐阜・愛知(と静岡)以外は府を通ることに。
28道府県制が導入されていたら(府県廃置法律案)
1903年(明治36年)に内務省が策定した法律案「府県廃置法律案」では、47道府県を大幅に合併して削減し、「28道府県」に再編する計画を立てていました。
(東京都は当時「東京府」でした。また北海道と沖縄県は当時の扱いが特殊だったため法律案では言及されず、正確には「45府県を26府県へ再編する法案」でした。)
この法律案によれば、再編後の28道府県は以下のような区割りになっていました。
- 新たな28府県 ※人口は1903年当時のもの。
地域 | 新府県名 | 旧府県の区域 | 人口 | 面積(km2) |
---|---|---|---|---|
北海道 | 北海道庁 | 北海道(令制)の11ヶ国(千島国を含む) | 859,534 | 78,421 |
東北地方 | 青森県 | 青森県、岩手県(江刺・胆沢・気仙・西磐井・東磐井の5郡を除く8郡) | 1,058,235 | 21,541 |
秋田県 | 秋田県、山形県(置賜3郡を除く) | 1,422,414 | 18,503 | |
仙台県 | 宮城県、岩手県の内(江刺・胆沢・気仙・西磐井・東磐井の5郡=旧仙台藩の領土) | 1,114,434 | 10,669 | |
福島県 | 福島県、山形県の内(置賜3郡) | 1,277,314 | 16,239 | |
関東地方 | 宇都宮県 | 栃木県、群馬県、茨城県北部(東茨城・西茨城・那珂・久慈・多賀の北部5郡) | 2,101,549 | 15,745 |
千葉県 | 千葉県、茨城県南部(北部5郡を除く南部9郡) | 1,072,518 | 8,278 | |
東京府 | 東京府、埼玉県、山梨県 | 3,756,603 | 10,452 | |
神奈川県 | 神奈川県、静岡県東部(伊豆国と駿河国) | 1,582,908 | 7,608 | |
中部地方 | 新潟県 | 新潟県 | 1,740,350 | 12,584 |
長野県 | 長野県 | 1,262,799 | 13,562 | |
金沢県 | 石川県、富山県、福井県(敦賀郡と若狭国を除く=嶺北)、岐阜県の内(大野郡・吉城郡=飛騨−下呂) ※「大石川県」よりも大きい | 2,094,741 | 14,852 | |
名古屋県 | 愛知県、岐阜県(大野郡と吉城郡を除く)、静岡県西部(遠江国) | 3,042,089 | 15,048 | |
三重県 | 三重県、和歌山県の内(東牟婁郡) | 1,071,664 | 6,700 | |
近畿地方 | 京都府 | 京都府、滋賀県、福井県の内(敦賀郡と若狭国=嶺南) | 2,793,780 | 9,729 |
大阪府 | 大阪府、奈良県、和歌山県(東牟婁郡を除く)、兵庫県の内(川辺郡) | 1,814,703 | 10,765 | |
兵庫県 | 兵庫県(川辺郡を除く)、鳥取県東部(因幡国) | 1,810,727 | 9,604 | |
中国地方 | 松江県 | 島根県、鳥取県西部(伯耆国) ※「大島根県」よりは小さい | 953,688 | 8,686 |
岡山県 | 岡山県、広島県東部(備後国) | 1,712,423 | 11,268 | |
広島県 | 広島県西部(安芸国)、山口県(豊浦郡を除く) ※領域が西へスライドする | 1,692,390 | 9,723 | |
四国地方 | 高松県 | 香川県、徳島県 | 1,375,023 | 6,024 |
愛媛県 | 愛媛県 | 992,540 | 5,678 | |
高知県 | 高知県 | 620,061 | 7,105 | |
九州地方 | 福岡県 | 福岡県、大分県、山口県の内(豊浦郡≒下関市)、長崎県の内(壱岐国と対馬国) | 2,464,680 | 12,882 |
長崎県 | 長崎県(壱岐国と対馬国を除く)、佐賀県 | 1,439,476 | 5,698 | |
熊本県 | 熊本県 | 1,149,020 | 7,405 | |
鹿児島県 | 鹿児島県、宮崎県 ※第2次府県統合のときと同じ | 1,565,720 | 15,685 | |
沖縄県 | 沖縄県 | 460,221 | 3,516 |
- 廃止される府県(19個)
地域 | 県名 | 併合先の府県 |
---|---|---|
東北地方 | 岩手県 | 青森県と仙台県 |
山形県 | 秋田県と福島県 | |
関東地方 | 群馬県 | 宇都宮県 |
茨城県 | 宇都宮県と千葉県 | |
埼玉県 | 東京府 | |
中部地方 | 山梨県 | 東京府 |
静岡県 | 神奈川県と名古屋県 | |
富山県 | 金沢県 | |
岐阜県 | 名古屋県と金沢県 | |
福井県 | 金沢県と京都府 | |
近畿地方 | 滋賀県 | 京都府 |
奈良県 | 大阪府 | |
和歌山県 | 大阪府と三重県 | |
中国地方 | 鳥取県 | 兵庫県と島根県 |
山口県 | 広島県と福岡県 | |
四国地方 | 徳島県 | 高松県 |
九州地方 | 大分県 | 福岡県 |
佐賀県 | 長崎県 | |
宮崎県 | 鹿児島県 |
しかし、当時の政治的混乱や、日露戦争の影響などで、この法案は帝国議会へ提出されずにお蔵入りになってしまいました。その後も成立しないまま、現在に至ります。
では、もしこの28道府県制が導入されていたらどうなっていたでしょうか?
全般
史実よりも大きな府県の都となった都市はいっそう発展した。一方、県庁を失った都市は史実よりも発展しなかった
- 宇都宮と金沢は史実より巨大な県の県庁所在地となり、更に巨大な都市になっている
- 両都市共に遅くとも平成の大合併で政令指定都市へ移行できた
- 宇都宮南部の福田屋インターパーク店、及びインターパークショッピングビレッジは史実に10年先駆けて完成している
- 或いは宇都宮市南部は完全に市街地なっている
- 岡山市も史実より巨大な県域を誇るため、政令指定都市移行が早まる
- 西の拠点である福山市と切磋琢磨しあう
- 福山は岡山県の街となったことで、広島よりも岡山の影響を強く受けるようになる。
- 静岡市は県の端っこになり県庁所在地でなくなるため人口が思うほど増えず、政令指定都市に移行出来なかった
- 奈良地方は完全に空気化する
- 前橋市は県庁所在地ではなくなるため人口が半減する
- 多分旧群馬県地域の主導権は完全に高崎に握られる、その高崎も県庁所在地から遠いので人口が史実より減って居そうだが・・・
- 山形市は完全に仙台市のベッドタウンと化す
- 旧山形県エリアは最上地方への人口集中が進まず、県庁が日本海側の秋田市にあるため庄内地方の方が発展している
- 岐阜市は完全に名古屋市のベッドタウンと化す。
- 鳥取市は県庁を失って実際よりさらに人口は少なく、兵庫県内だと豊岡・高砂・たつの市くらいの街になっている。
県の領域が大きく変わったことにより、県庁の移転議論などが起こる
- 東京府から東京市が特別市として分離するとしたら府庁の移転先は浦和か大宮が有力だが、県の中心地に近い秩父や青梅辺りに移転していた可能性もあったかも知れない
- その場合、人口は最低でも30万人は居た、また秩父か青梅を本拠地にするJリーグチームがあったかも知れない
- 交通の要所である大宮は史実通りの発展をするが、浦和は一宿場町のまま。昭和の大合併で大宮市に吸収される。
- 神奈川県では県の中心に近い小田原市が県庁移転を頑なに主張している
- 青森県は県庁所在地の青森市が偏った場所(県の北端)になるので、津軽(県の西部)と南部(県の東部)の争いがヒートアップしていた
- 秋田県の一部となった山形市から、県庁のある秋田市までが遠すぎるため(200km以上)、村山地方からは秋田よりも圧倒的に近い仙台県への移籍運動が起こった。
- 長崎県となった佐賀市や鳥栖市や唐津市などから長崎市まで遠すぎるため、県中央の武雄市などへの県庁移転議論が起こった。
- 鹿児島県となった延岡市などから鹿児島市までが遠すぎるため、中央の都城市などへの県庁移転論が起こった。
- 旧岩手県地域(仙台県に編入された地域を除く)は山岳部が多いので人口がスカスカになっていたかも・・・
- 青森県は史実より人口流出が激しくなかったかも知れない
- 広島県は県の領域全体が西へスライドするという、第二次世界大戦後のポーランドのような状態となり、行政に混乱が起こる。
- 千葉県は総武線沿線より常磐線沿線のほうが存在感がある。
- 柏が県庁移転運動を行っている。
さらなる再編が起こる
- 高松県ではなく、愛媛+香川、徳島+高知で四国2県になって27道府県になっていたかもしれない。
- 名東県で一度失敗しているのにこの組み合わせは失策、いっそ四国でまとめた方が無難
- 丹波山村小菅村は多摩地方の町村と合併していた。
- 泉南郡南海町と東鳥取町の合併で阪中町→阪中市(大阪府の中部に当たるので)と名乗っていた。
交通
- 青森県内の旧岩手県地域の人口が減少するため、東北新幹線は盛岡までの開通が遅れる
- 秋田新幹線は山形新幹線の延長、すなわち新庄〜大曲〜秋田の改軌という形で開業する。
- 宇都宮県は北関東をほぼ統合するため東西間の交通が史実より早い時期に整備される
- しまなみ海道は既に瀬戸大橋有する岡山県が乗らないため建設までこぎつけない。
- 同じく四国側が乗り気にならない神戸鳴門ルートも建設されない。
- いやしまなみ海道の建設は史実通りなはず確か史実だと最低でも本州四国連絡橋は2本建設する予定になっていたので
- 地方空港の数が半減していた。
- 国道の本数も半減していた。
- JRの会社区分が変わっていた。
- 東海道本線は熱海駅ではなく島田駅がJR東日本とJR東海の境界になっていた。
- 御殿場線・身延線もJR東日本の管轄に。
- 東海道本線は熱海駅ではなく島田駅がJR東日本とJR東海の境界になっていた。
- 九州新幹線の長崎ルートは全線フル規格になっていた。
- リニアが静岡通過問題で困ることはない。
放送局・メディア
- 史実の山梨県全域、静岡県東部はなし崩し的に関東広域放送圏に入るため、山梨と静岡東部はアニメ過疎地にならなかった
- 特に山梨県は東京府に所属していることもあり、東京MXの視聴も可能になり史実と違いアニメの視聴はかなり充実している
- 県の領域が大きくなるのでテレビ東京系列の視聴エリアは史実より拡大している
- その代わり各地域の視聴エリア拡大にとまどり、テレビ北海道の全道視聴エリア化は史実より遅れていた
スポーツ
- 静岡県が無くなるので清水エスパルスの結成とJリーグ初年度加入は無かった
- 日本でサッカー人口の多い県は今も昔も神奈川県になる
- その代わり、ジュビロ磐田かセレッソ大阪がJリーグ初年度から加入している
- 本拠地にしている都市が県庁所在地ではなくなるのでモンテディオ山形、清水エスパルス、ヴァンフォーレ甲府、大分トリニータ、徳島ヴォルティスのプロ化が無くなるか、史実より加入時期が遅くなる
- その代わり史実より巨大な県の県庁所在地のチームである、栃木SC、ツエーゲン金沢、ファジアーノ岡山、カマターレ讃岐、ギラヴァンツ北九州、鹿児島ユナイテッドのJリーグ加入が史実より早まっていた
- 日立製作所本社サッカー部は当初は現在の茨城県北部を本拠地にする予定だったので、Jリーグ空白地域の宇都宮県へ移転してプロ化する
- 鹿島アントラーズは史実と違い千葉県に本拠地があるため県の支援を受けられずプロ化とJ加入時期が遅れていたかも知れない
- 高校野球全国大会は夏の選手権も32代表制だった。
- 北海道、東京に加え神奈川と大阪も毎年2校が出場している。
- 春の選抜も1道府県につき最低1校の出場は保証されていた。秋季大会の成績によっては上記4府県以外から複数校が選出される。
- 現在は一般選考を除き現実と同じ出場枠である。
76道府県のままだったら(第1次府県統合)
1871(明治4年)年7月の廃藩置県の直後には、府県は3府302県もありました。
その後、わずか3ヶ月後に大規模な合併(第1次府県統合)が行われ、府県は3府72県へと削減されました(北海道は当時は開拓地として特殊な扱い)。 さらに紆余曲折をへて、現在の「47都道府県」へ至るわけですが、もし現在でも「76道府県」のままだったら?
- 東北に内陸県が存在していた。
- 四国なのに5つも県があることを不思議がられていた。
- 開拓使が北海道になるのは史実通り。
- ただし支庁ごとに県として独立させる計画があったかもしれない。
- もしかしたら地方の過疎化のスピードが遅くなっていたかもしれない。
- 琉球藩は設置されず当初から沖縄県が設置された。
39道府県のままだったら(第2次府県統合)
上記の第1次府県統合の5年後、1876年(明治9年)にはさらなる府県の統合(第2次府県統合)が行われ、府県数は75府県から38府県へと一気に削減されました(北海道は特殊枠)。
これは現在の47都道府県よりも少ないもので、現存する県のうち8つもの県は数年間にわたり廃止されていました。
しかし、廃止された旧県の地域では、地理的不便や経済的衰退などから不満が噴出し、住民たちが次々と独立運動を起こしました。そのうちいくつかは中央政府にも認められ、独立を許可されました。8つが復活して46府県となったことで、現在へ続く47都道府県の原型が完成しました。
現存する県のうち、当時に廃止されていたものは以下の通りです。
県名 | 併合先の府県 | 復活した年度 |
---|---|---|
徳島県 | 高知県 | 1880年 |
鳥取県 | 島根県 | 1881年 |
福井県 | 石川県と滋賀県 | 1881年 |
富山県 | 石川県 | 1883年 |
佐賀県 | 三潴県 → 長崎県 | 1883年 |
宮崎県 | 鹿児島県 | 1883年 |
奈良県 | 堺県 → 大阪府 | 1887年 |
香川県 | 名東県 → 愛媛県 | 1888年 |
なお、他にも独立運動を起こした旧県は数多くありましたが、実現した例は上記の8県のみでした。
もし現在も「39道府県」のままで、8つの県が消滅したままだったら、どうなっていたでしょうか?
- 石川県は「大石川県」として繁栄する。金沢は政令指定都市となる。一方、富山市と福井市は今ほどは発展していない。
- 北陸新幹線は史実よりも早く開通していた。
- 堺県の堺は県都として現実よりも発展している。奈良市は今ほどは発展していない。
- 嶺南地方は滋賀県の一部となったことで名実ともに近畿地方として扱われ、北陸地方としての色は薄くなる。
- 愛媛県がきわめて細長いのに県庁の松山市が西へ偏っているため、高松市を中心に県庁移転議論が起こる。
- 四国中央市(当時は宇摩郡)はちょうど愛媛県の中央付近にあるため、県庁誘致活動が起こる。
- 高知県も細長いため徳島市や鳴門市などから県庁移転議論が起こるが、県は険しい山によって東西に分断されている(旧徳島県と旧高知県との県境)ため、新たな県都の候補地選びには難航する。
- 島根県(大島根県)もきわめて細長く、東端の鳥取市や西端の益田市では独立論や移籍論が起こる。ただし、県都の松江市は県の中央付近にあるため、県庁移転論は目立たない。
- 「町田は神奈川県」は現実のものだった。
- 「内陸県」は2つ少なかった(滋賀県が海を獲得し、奈良県は存在しない)。