もしあの鉄道路線が開業していなかったら/関東
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JR
南武線
- 武蔵野線が鶴見駅起点であることが現実より知られていた。
- 川崎市を縦貫する高速鉄道の計画が出ていた。
- 川崎市営地下鉄は頓挫せずに開業出来ていた。
- 浜川崎支線は鶴見線の一部だったかも。
- 横須賀線の武蔵小杉駅はSM分離運転開始からあり、新川崎駅は無かった。
- 溝の口駅、登戸駅、京王稲田堤駅、分倍河原駅は単なる中間駅。
- 川崎市営地下鉄が開業していれば、溝の口ではなく宮前平が乗り換え駅として重要視されている。
京葉線
- 東京ディズニーリゾートの来園者数が史実より少なかった。
- そのTDRへは東西線浦安駅などからのバスが一般的になる。
- また、東京駅などからの高速バスが史実以上によく利用される。
- JRバスの「ファンタジア号」が現存していた。
- また、東京駅などからの高速バスが史実以上によく利用される。
- 流石にTDRの最寄り駅はある気がする。モノレールか私鉄のアクセス用は作っていたかもしれない。
- もしやディズニーリゾートラインが浦安駅まで延伸されていた?
- 海浜ニュータウンまでのアクセス路線は必要だから、有楽町線と千葉都市モノレールがそれぞれ海浜幕張まで乗り入れる。結果的に武蔵野線が来ない事と乗り換えを必要とする事以外は案外史実と変わらないかも。
- そのTDRへは東西線浦安駅などからのバスが一般的になる。
- 内房線・外房線の特急が史実以上に衰退する。
- 成田新幹線の東京駅ホームは放置されたままか、別の活用で何とか機能していたかも。
- あそこのホームって新幹線の用地を流用しただけだから、京葉線が出来なければ何も建設されずに放置されていただけなのでは。ウルトラCでリニア中央新幹線のコンコースにすると言う手もあるけど。
- 幕張本郷〜海浜幕張(に相当する場所)間で新交通システム(千葉都市モノレールの飛地?)かLRTが開業していた。
- 有楽町線が千葉市まで延伸されていた?
- 京成電鉄が舞浜までの鉄道を建設していたかもしれない。
武蔵野線
- 山手貨物線を通る貨物列車が多いので、湘南新宿ラインは設定されなかった。
- 埼京線は池袋以南は山手線に乗り入れていた。
- もしかしたらりんかい線はJR貨物の路線になっていた。
- 越谷レイクタウンや新三郷ららシティもない。
- 圏央道の鉄道版を作ろうという動きがあったかもしれない。
- おそらく京葉線、りんかい線も未開業。
- 開業していないととなると貨物路線のままなので貨物ターミナル駅に強化を入れていた。
- 自動改札機が本格的に導入されたのは山手線だったかもしれない。導入時期も史実よりやや遅れていたかも。
- 元々別路線だった新松戸-西船橋間は建設されるが、起点・終点が柏と船橋に変更されていた。
- 東武野田線と重複しないか?
- もしかすると代わりに野田線が国有化されていたのかもしれない。
- 新座市に鉄道が通っていないと誤解する人が多かった。
- 東上線志木駅に「志木新座駅」などへの改称要望があった。
上越線
- 吾妻線は高崎起点になっていた。
- むしろ吾妻線は史実通りで、両毛線が高崎〜新前橋間を含んでいた。
- 東武鉄道の路面電車が水上に乗り入れていた。
- 6.があれば廃止される。
- 信越線の碓氷峠の交通量が激増したため、北陸新幹線が早期開業していた。
- 一方新潟と関東のつながりが弱くなるため、上越新幹線は計画止まり。
- そもそも計画すらされていない。
- 新潟は現実よりも関西指向が強くなり、「サンダーバード」の一部が新潟発着になっていた。
- 東北の日本海側(山形県とか秋田県とかの沿岸部)も同様に関西志向になるので、新潟どころか秋田や青森発着の「サンダーバード」も設定されるが、その代わり「いなほ」は存在しない。
- 新潟地区は場合によってはJR西日本だった。
- 新潟への新幹線は北陸新幹線(この世界では大阪から作られる)が分岐して到達していた。
- 一方新潟と関東のつながりが弱くなるため、上越新幹線は計画止まり。
- 在来線特急ときは磐越西線経由になっていた。
- 磐越西線は新津~喜多方間も電化されていた。
- 上越線を経由していた特急列車等は信越本線経由になっていた。
- そのため軽井沢~横川間は廃止されていない。
- 寝台特急あけぼのも信越本線経由になる。
- 新潟地区の鉄道路線は交流電化になっていた。
- 信越本線における交直流の境界は妙高高原か新井あたりか。
- 北陸本線における50Hz/60Hzの境界は糸魚川。
- 群馬県内では水上までが「水上線」、新潟県内では越後湯沢までが「湯沢線」として開業していた。
- 「水上線」は単線だった可能性が高い。
- 「湯沢線」は魚沼線の延長として開業していたかも。
- 特急「新雪」は新潟~越後湯沢間の臨時特急になっている。
- 川端康成の「雪国」は存在しなかった。
- 北越急行ほくほく線も開業していない。
- 仮に開業したとしても越後湯沢まで延伸していた。
- 六日町以降の駅名が異なり、上越国際スキー場前駅と石打駅はそのままで、しおざわ駅、おおさわ駅、ほくほく湯沢駅という駅名になっていたかもしれない。
- 特急かがやきはほくほく湯沢に経由を変更していた。
- 六日町以降の駅名が異なり、上越国際スキー場前駅と石打駅はそのままで、しおざわ駅、おおさわ駅、ほくほく湯沢駅という駅名になっていたかもしれない。
- 仮に開業したとしても越後湯沢まで延伸していた。
- 清水越往還が廃道になることはなかった。
- 国道17号は清水峠経由になり、国道291号が三国峠を通っていた。
- 清水峠の方は整備されているが、三国峠の方は整備されず、酷道で有名になっていたかも。
- 魚沼市と南魚沼市が誕生しなかった可能性大。
山手線
川越線
- 西武大宮線は現在なお走っている。もちろん普通の鉄道路線として走っていた。
- こちらが高麗川駅まで延伸していた。
- 埼京線は最初から高崎線直通になっていた。
- そのため埼京線の車両基地は浦和に建設されていたかも。
- さいたま市西区は史実ほど発展しておらず田舎のまま。
埼京線
- 新幹線は速度制限する事はなく大宮以南も240km/hになっていたかもしれない。速度制限があったとしても170km/hになっていた。
- 「埼京線が建設されない=史実のルートで建設できなかった」という可能性もある。この場合は東北貨物線の用地を転用して新幹線の高架を建設していた。
- 東北新幹線は地下に建設されていた。(地下案が頓挫して地上線建設→反対運動で見返りに埼京線を建設だったので)
- 代わりに都営三田線の延伸が実現出来ていた。もちろん戸田市にも駅が出来ている。
- 少なくとも史実の武蔵浦和駅まで建設出来ていただろう。
- りんかい線は開業出来たとしても史実ほど発展していなかったかもしれない。
- 大宮ー赤羽間がパンク状態になったので、武蔵野線方面の列車が増発されていた。
- 戸田市は川口市に吸収されていた。
- 川越線は非電化ローカル線のまま。
- 川越以西や八高(南)線さえ電化されてるんだから、さすがに電化されるでしょう。
- さいたま新都心が大規模になっていたかも。
- 旧赤羽線区間に湘南新宿ラインが通っていたかもしれない。
- りんかい線は湘南新宿ラインと相互直通運転していた。
- 新宿駅の5・6番線(成田エクスプレス・東武直通特急ホーム)は設置されなかった。
湘南新宿ライン
- 横須賀線が被害を受けることはなかった。
- 高崎線・宇都宮線・東海道線・埼京線も被害を受けることはなかった。
- 小田急では快速急行(湘南急行・多摩急行)が設定されず、無料種別では急行が最高位のままだった。
- ロマンスカーはいまだに向ヶ丘遊園や新松田に停車し、多摩線乗り入れも廃止されなかった。
- 複々線化がある程度進んだ2004年にいきなり快速急行としてできる。
- 東急東横線では特急が設定されず、急行が主力のまま。
- それもさすがにあると思う。ただし中目黒を通過する代わりに日吉に停車。
- 北関東⇔南関東の直通という概念が生まれず、直通運転がここまで大規模になることは無かった。
- 千代田線は3社相互直通運転など行われないし、副都心線にfライナーがあったか怪しい。
- 逆に地下鉄の広範囲直通を開始→好評だったのでJRも追随。というパターンだったかも。
- 上野東京ラインも無かったか品川折り返しが大半になっていた。
- 高崎線・宇都宮線・常磐線の東京駅・東海道線乗り入れは史実通りだと思う。ただし、「上野東京ライン」の名前はなく「東海道線(宇都宮線直通)」という案内になっていた。
- 現在でもマリンブルーくじらなみ号が運転されていたかもしれない(埼玉北部・群馬県民の海水浴客が直通列車により日本海側の新潟沿岸から太平洋側の湘南海岸などにシフトしたため)
- E231系は東海道線のみ投入され、高崎・宇都宮線に投入されなかった。
- さすがにそれは無い。投入時期が遅くなっていた可能性はあるが。
- 北関東の路線にグリーン車が導入されなかったかも。
- 新宿駅の5・6番線(成田エクスプレス・東武直通特急ホーム)は設置されなかった。
- それでもさすがに宇都宮・高崎線の新宿行き(湘南新宿ラインの前身)はあると思う。
- 代わりに「上野東京ライン」が史実より早く実現していたが、その名称ではなかった。
京王相模原線
- 京王多摩川までは史実通り建設されるが、現在まで競馬場線クラスの支線として放置される。
- 都営新宿線からの直通列車は全列車が高尾山口へ向かっていた。
- この路線の代わりに西武の多摩ニュータウン延伸構想が実現していた。
- 中央線に悪影響を与えないように、上石神井-武蔵境間も同時に着工されていた。
- 西武資本なら財力にも余裕があるので、観光開発も兼ねて津久井までの延伸もすんなりと実現できていたかもしれない。
- 神奈川県に京王電鉄の駅は無かった。
小田急多摩線
- 新百合ヶ丘駅は開業しなかった。
- 宅地開発などの影響で開業した可能性はあるが、駅名が「万福寺」とか「西百合ヶ丘」だったかもしれない。
- 利用者数にもよるが、急行は通過した可能性もある。
- 宅地開発などの影響で開業した可能性はあるが、駅名が「万福寺」とか「西百合ヶ丘」だったかもしれない。
- こちらの場合も小田急の代わりに西武の多摩ニュータウン延伸構想が実現していた。
- 相模大野発着の千代田線直通準急は今でも健在。
- 2018年の完全複々線化に伴って多くが史実通り向ヶ丘遊園/成城学園前始発に短縮。
東急田園都市線
- 未だに横浜市青葉区一帯は田舎と馬鹿にされていた。
- 東急世田谷線は渋谷まで伸びていた、というか玉川線が残っていた。
- 新玉川線と田園都市線の計画は元々別のものだったから、当初の計画通り銀座線が二子玉川まで乗り入れる形になっていたかもしれない。
- かわりに横浜地下鉄が小田急まで伸びていた。
- ただし接続先は新百合ヶ丘ではない可能性大。
- こどもの国線は現在でも休園日になると1時間に1本しか運転されない。
- 長津田駅には横浜線しかないことから、こどもの国線はJR風の雰囲気になっていた(さすがにJR線そのものにはなっていない)。
- 横浜市の人口は250万人程度にとどまっていた。
- 二子玉川-溝の口間は大井町線になっており、二子新地・高津両駅もそちらに属していた。
- 新玉川線(あるいは半蔵門線の二子玉川延伸)が開業した場合、JRとの連絡のために溝の口までは直通しているが、史実とは逆に溝の口行きが二子新地・高津両駅を通過する。
- 今でも南林間の方が中央林間より地位が高かった。
西武秩父線
- 路線名称上の吾野〜西武秩父間のみとします。
- 現在でも池袋線は吾野止まり。
- 某ハゲタカファンドの圧力により、飯能以遠はあっさり廃止してしまったかもしれない。
- ただそれでもJRとの連絡のために東飯能までは残すかも。
- 某ハゲタカファンドの圧力により、飯能以遠はあっさり廃止してしまったかもしれない。
- 西武最長のトンネルである正丸トンネルは当然建設されなかった。
- 秩父市の人口がかなり減っていた。
- 秩父鉄道が秩父市唯一の鉄道となるため、利用者数は一応増えていた。
- 吾野周辺が西武資本で観光開発された可能性も高い。
新京成電鉄
→もし京成電鉄が○○だったら#鉄道連隊演習線が民間に転用されなかったら
つくばエクスプレス
- つくばみらい市は誕生しなかった(つくばみらい市の由来はみらい平駅から)。
- 高速バス「つくば」号は相変わらずドル箱路線で減便もない。
- 常磐線は未だに403系/415系。
- あれはもうガタが来ていたから、開業していなくても置き換えられただろう。
- でも、E531を130Km/h運転対応にはしなかったかと。
- 史実通りグリーン車を導入していたら普通車利用客の苦情が現実以上に多かった。
- 415系は1500番台がまだ上野に乗り入れていた。
- 更新によってVVVF制御や車内案内表示機が導入されていた。
- 2階建て車だけは不便なので先に廃車になっていた。
- 常磐線の特別快速は運転されなかった。
- 通勤快速が現在も運転されていた。
- 鹿島鉄道はまだ走っていたかもしれない。
- 筑波鉄道もまだ走っていたかもしれない。
- 関東鉄道常総線に「快速」が運転されることもなかったかもしれない。
- 守谷の発展は遅れ、昔ながらの田舎町のまま。
- 特に21世紀に入ってからは人口が激減していたかもしれない。
- つくば市はただのハコモノで終わっていたかも。
- つくば市は東京都心への通勤圏には入らなかった。
- 「無用の長物」「バブルの置き土産」とまで称されていた。
- つくばはつくば以外の住民にとって「近くて遠い場所」のままだった。
- つくば市は東京都心への通勤圏には入らなかった。
- 代わりに土浦〜つくば間のLRTが開業している。
- 土浦ニューウェイが当初の計画通りに鉄道線として開業していたかも。
- 八潮市は埼玉県で鉄道が通っていない唯一の市のままだった。
- 筑波大学の学生は未だに自宅外通学(要するに下宿)の割合が高いままかもしれない。東京都区部出身の学生が自宅通学ではなく現地で下宿するため。
北総鉄道
全線
- 千葉ニュータウン自体がもう少し北側に建設されていた。
- 千葉県営鉄道北千葉線は建設中止となることなく開業していた。
- もしかすると千葉県営鉄道(に相当する路線)が第三セクター化され、こちらが「北総鉄道」を名乗っていたかも。
- この場合、起点が高砂ではなく本八幡に変わっていたことと軌間が1372mmだったこと、浅草線ではなく新宿線に直通していたことを除けば史実とあまり変わらない。
- 成田スカイアクセスは存在せず。
小室-印旛日本医大
- 旧住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線
- 草深や松虫は未だに開発されていない。
- もしくは史実通り開発されるも、都心に出るにはバスの使用を余儀なくされていた。
- 千葉県営鉄道北千葉線の早期建設運動がたびたび起こっていた。
- もしくは史実通り開発されるも、都心に出るにはバスの使用を余儀なくされていた。
- 松虫に駅が出来るのは成田スカイアクセスの開業を待たなければならなかった。
- そもそもスカイアクセスが開業できたかどうか…
りんかい線
- ゆりかもめの混雑がひどくなる(特にコミケの時など)。
- 品川シーサイドに本社を構える企業も少なくなっていた。
- 元々京葉貨物線として建設された側面もあるので、開業していないとなると名古屋の南方貨物線のように高架やトンネルが放置されている可能性も…。
- 現在は京葉線延伸計画として旅客化を目指してるかもしれない。
- 但し大崎ではなく羽田空港が終点となっている。
- 埼京線の相鉄直通列車は史実の倍くらいになっていた。
みなとみらい線
- 当然東急東横線は桜木町まで残っている。
- 「横浜高速鉄道」はこどもの国線の所有者として存在するが、知名度は大幅に低くなっていた。
- 社名は変わってるかも。
- みなとみらい地区の開発が滞っていた。
- 関内駅の混雑が現実以上に悪化する。
- 東横線を桜木町から関内まで延伸する計画が出ていたかも。
- 代わりに横浜市営地下鉄の路線として計画されている。但し東横線との直通は無し。
多摩都市モノレール
- 多摩地区の南北輸送は今まで以上に不便だった。
- 交流も少なかった。
- 武蔵野線の本数が増えてたりしてたかも。
- 多摩動物公園駅への京王線の直通が増えていた。
- 大学輸送もあったので混んでいた。
- 明星大や帝京大はともかく、中央大は本気で都心回帰について検討していた可能性が高い。特に主要学部である法学部だけでも都心に戻そうと躍起になっていただろう。
- もしかしたら動物園線が多摩センター延伸してたとか。
- 大学輸送もあったので混んでいた。
- 立川市役所移転はなかったかも。
- この作品の舞台は違う地域になっていた。
- 武蔵村山市は別の形で鉄道路線の開業を要望していた。
- ほぼ間違いなく西武鉄道に路線新設の打診をしていただろう。
埼玉新都市交通
新幹線の見返りとして開業したニューシャトル。もし建設されなかったらどうなる?
- 伊奈町は現実よりも空き地だらけに。
- 最悪の場合伊奈町は上尾市と合併していたかもしれない。
- 鉄道博物館は別の所に建設していたか、神田のままだった。
- 場所を考えると史実通りの可能性もある。流石にアクセス用の何かは作っていただろうが。
- おそらく高崎線か川越線に新駅が出来ていた。
- 場所を考えると史実通りの可能性もある。流石にアクセス用の何かは作っていただろうが。
- ステラタウンのアクセスは宮原駅か土呂駅となってるので現実より悪かったかもしれない。
- 高崎線・川越線大成駅が実現していたら現実よりアクセスが良かった。
- これで史実通り埼京線が開業していたら「不公平だ」と言われていたかもしれない。
- かわりに埼京線が伊奈町に来ていた。
ゆりかもめ
- りんかい線が現実より早く開業していた。
- レインボーブリッジは道路単独橋として建設されていた。
- 東京オリンピック招致の際に、都心~晴海~新豊洲~有明に鉄道を建設すべきという声が出ていた。
- 「公共交通機関が無い豊洲市場への移転は高齢者いじめではないか」という批判が飛んでいたかもしれない。
- 東京ビッグサイトの東館があんな遠くにならなかった(ゆりかもめのルートを失念していたため離れた場所になったらしい)。
- 埼京線は1996年3月に恵比寿延伸ではなく大崎まで延伸し、さらにりんかい線も最初から大崎まで開通し、同時に相互直通運転していた。
東京モノレール
- 羽田空港は1990年代までまともな鉄道アクセスが無い状態になっていた。
- JRの羽田空港アクセス線構想がもっと早くから具体化していたかもしれない。
- 名ばかりの京急羽田空港駅を使う人よりもバスで直接蒲田や都心に向かう人が圧倒的に多かったが、ターミナル移転後は史実通りのシェアに落ち着く。
- そもそも京急空港線自体が早期に羽田空港乗り入れをはたしていたかもしれない。
- 京浜東北線の快速は現在も浜松町を通過している。
- 天王洲アイルの再開発が史実よりも遅れていた。
- 代わりにほぼ同じ区間に普通鉄道が開業していたかも。
- それでも東海道貨物線は転用されない。
東京メトロ
千代田線
- 小田急の代々木上原~新宿間が複々線になっていた。
- 新宿駅の小田急ホームの混雑が半端ないものになっていた。
- 半蔵門線は当初の計画通り松戸まで開業し、常磐線各駅停車と直通運転をしていた。
- 代わりに、常磐線快速電車は松戸~北千住間も各駅に停車していた。
- 東武スカイツリーラインとの直通運転はなかった。
- 営団6000系が存在しないので当然6000系のラストラン時の鉄道ファンによる混乱もなく、営団03系のラストランは大々的に行われていた。
- まあ03系のラストラン時にあれくらいの大混乱が起こる可能性も無きにしもあらずだが。
有楽町線
- 和光市~池袋間及び西武有楽町線は副都心線と同時に開業していた。
- 後者は路線名が「西武副都心線」となっていた。
- 副都心線も開業しなかった場合、あのあたりは鉄道空白地帯になっていた。
- ただ当初の計画通り丸ノ内線がほぼ同じルートで成増まで延伸された可能性も(練馬方面への支線は開業せず)。
- 国際興業バスが史実の有楽町線・副都心線とほぼ同じルートで池袋〜成増間の路線を走らせていた。
- 住吉~豊洲間の鉄道計画が真剣に検討されていた。
- 当初の計画通り丸ノ内線が小竹向原まで延長されていたかもしれない。
- 綾瀬工場まで回送できないため、南北線の車両は鷺沼工場で検査を行っていた。
副都心線
- 新線池袋は健在…と言う事は勿論なく新線池袋自体が存在しない。
- 10000系は史実より少し遅れて登場。
- 塗装は07系に準じたものになっていた。
- 07系も東西線に転出することはなかった。
- 有楽町線のホームドアは東西線と同じタイプになっていた。
- 07系も東西線に転出することはなかった。
- 塗装は07系に準じたものになっていた。
- 東横線渋谷駅地上ホームは現在も使用されている。
- 日比谷線直通も廃止されることはなく、20m・7両化に合わせて独自仕様の5000系が増備されていた。
- 東急9000系の東横線からの撤退が遅れた。
- S-TRAIN?何それ?
- あるとすれば有楽町線方面のみだった。
- 当然土休日も運行。
- あるとすれば有楽町線方面のみだった。
- 西武と東急が今でも仲が悪ければこうなっていたかも(東上線方面のみ直通という可能性もあるが…)。
- 有楽町線の準急は廃止されることはなかった。
- 「交渉人 真下正義」の終盤でクモE4-600がSATに銃撃されて停車する場所はTTR14号線建設現場ではなかった。(14号線のモデルである13号線が存在しないので)
- 13号線の計画が史実通り存在していたら話は別だが。