もしあの国鉄路線が全通していたら/北海道

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オホーツク

美幸線

  • 美深~仁宇布~北見枝幸
  1. 結局、開業しても10年足らずで白糠線と同様に廃線となった。
    • 白糠、万字線は終点に何もないドンづまりだったがこちらには歌登、枝幸というそこそこの町があるから事情が違う。
  2. 当然「天の川トンネル」はありえない。
  3. 全国最悪の収支係数の座に終止符を打った。
  4. 線内折り返しはなく、全列車名寄まで直通する。
    • 宗谷本線と間違えてしまう人が出る。
    • 美深で折り返せない理由もないし、名寄直通は史実と同じく送り込みぐらいじゃね?
    • 交流のある歌登~北見枝幸間の区間列車は数本設定されるだろう。むしろ美深側のほうが少ない列車本数になる。
  5. たまに熊が出て遅れる。鹿でも遅れる。
  6. キハ54形が入っている
  7. キハ183のリゾート車両が投入され興浜線と共に観光路線になっている。
  8. 国鉄再建法による特定地方交通線に指定されるも仁宇布~北見大曲間の「代替道路未整備」による除外規定により現在でも存続。
    • おかげで北見枝幸駅が今の日南線志布志駅みたいな感じに……
    • 最北端の秘境線として一躍観光路線の定番になり、赤字でさっさと廃止したいJR北涙目。
    • こっちのリゾート列車は海が望める終点北見枝幸まで直通する。(途中、歌登にも停車する)
  9. 美幸線全線開業に奔走した美深町長の長谷部秀見氏が執筆した「日本一赤字ローカル線物語」の続編「日本一赤字ローカル線物語 涙の全線開業」なる書籍が全国の書店に並んでいた。
    • 添田線にも何らかの影響を与えていた。
  10. 日勝線ほどでなくとも、瑞祥路線ブーム(路線名本体)に乗ったら、北見枝幸や美深に観光客が増えるか?
  11. 松山湿原はもう少し有名になっていた。
  12. 札幌~北見枝幸間の優等列車が設定されていた。
    • 現実でも高速バスがあるくらいなので一定の需要はある。
    • 高規格の美幸線、後に行われる宗谷本線高速化事業の恩恵を受けてバスより優位に立つ。
    • 国鉄時代は興浜北線・天北線経由の稚内行き急行、JR化後は北見枝幸止まりの特急が走る。
      • 当初は美深まで別列車と併結していたが、雪によるダイヤ乱れが常態化して後々単独運転になる。
    • JR北海道の経営危機で特急車両が不足した場合、こちらにもキハ40臨時快速が走る。ただし別列車との接続を前提にした名寄発着で。
  13. もし美幸線が国鉄末期からの廃止ラッシュに巻き込まれなかった場合、興浜北線を存続・吸収して浜頓別までが美幸線になる可能性も。

興浜線

きたみえさし
北見枝幸
Kitami Esashi
おかじま
Okajima
  といまき
Toimaki
  • 浜頓別~北見枝幸~雄武~興部
  1. 稚内から網走までの直通列車が設定された。
    • それどころか天北線の南稚内~浜頓別間、名寄本線の興部~中湧別間、湧網線、釧網本線を統合して「オホーツク本線」となり、釧路から稚内まで直通の特急列車が設定された。
      • その場合興部と中湧別でスイッチバックとなる。
        • あるいは、興部と中湧別の駅配線がオホーツク縦貫線がスイッチバックしないで走れるように変更されていた。
          また、稚内駅も1番線 宗谷本線方面、2番線 天北線、オホーツク線方面、3番線 特急・急行列車発着のターミナル駅としての体裁を保っていた。
          • 震災前のリアスシーライナーと同じくたまに観光臨時列車が走るぐらいで基本は線内完結だろう。
  2. 開業時は流氷鉄道として脚光を浴びた。
  3. 音威子府と北見音稲府と元稲府の区別がつかないことがネットで話題になる。
  4. 表定時速が100㎞/h以上出るように路線改良されていれば、札幌発名寄本線、興浜線、天北線経由稚内行きの特急スーパー紋別が運転されていた。
    • 主な停車駅:札幌、岩見沢、深川、旭川、上川、遠軽、中湧別、紋別、興部、北見音標、北見枝幸、浜頓別、鬼志別、南稚内、稚内
      • 旭川~南稚内が、宗谷本線を通るよりは距離としては長くなる。
      • 現実の宗谷本線の音威子府以北・幌延経由(旧・2代目天塩線)の線形の悪さを回避できるのは利点。
  5. また、定期夜行急行や臨時で北斗星が上記ルートで運行されていた。
    • 札幌から遠回り過ぎるのでさすがにありえない。良くて団体列車だろう。
  6. JR北海道にも「クルーズトレイン」が登場し、この路線で運行されていたかも。

渚滑線

  • 上川~北見滝ノ上~渚滑
  1. 紋別へ抜ける最短ルートとなっていた。
    • 札幌~紋別間に国鉄時代は急行、JR化後はキハCO261特急「スーパー紋別」が運転される。
    • 高速バスに対し優位の勝負ができていた。
    • 石北本線と一緒に軌道強化の対象になり一線スルーなど特急優先の設備中心に整備される。
    • 特急の線内停車駅は北見滝ノ上のみ。線内全通過便も存在する。
  2. 名寄本線が廃止されても存続する。
    • その場合、渚滑~紋別間のみを存続させて全線を「紋別線」に改称。
    • それどころか名寄本線も廃止されずに済んだかもしれない。
      • さすがに渚滑以西の存続は厳しかったのでは。
  3. 紋別市から鉄道が消えることはなかった。
    • 人口が3万を切ることもない。
  4. 北見滝ノ上~上川間に駅が設定されるがどれも過疎駅で、ここ十数年の駅淘汰の波に抗えず廃止される。

歌登線

  • 小頓別~歌登(~北見枝幸)

美幸線建設運動に隠れてしまいましたが、かつて町営軌道があったルートも予定線になっていました。 美幸線とは違い実際に経済交流もあったこのルートが優先され実際に開通していたら……?

  1. 北見枝幸までスムーズに開通できた。
    • 町営軌道次第だが、距離も短く、美幸線部分にも難工事がないため昭和40年代には開業できた。
  2. 美幸線建設運動が大規模に萎む。
    • 史実の開業区間さえ開業あるいは建設すらされなかった。
    • それでも旭川方面への短絡効果を主張してしばらくは粘っていた。
  3. 枝幸町が美幸線に忙殺されることがないため興浜線の建設運動に注力できた。
    • 史実の枝幸町は二つの鉄道建設運動に振り回されていた。
    • 北見音標以北の本格的工事も進んでいた。
    • 歌登線よりは遅れるもののこちらも全通できた。(その後の路線維持は別にして)
  4. 天北線から急行列車が乗り入れていた。
    • 小頓別で「天北」と分割・併合されて札幌~北見枝幸間を結ぶ。
    • 愛称は特別設定されず「天北」の枝幸編成という形に。
    • 国鉄末期に客車化された時に廃止、あるいは併結相手が「礼文」に変わり分割駅も音威子府に変更。
      • 札幌に直接乗り入れられなくなって地元でプチ騒動に。
  5. 国鉄末期~JR化の廃線ラッシュ危機にも直面。
    • 周囲の接続路線が全部廃止されているので現存は厳しいか。
    • 仮に存続できるとしたら距離もそれほどではなく歌登町と枝幸町がそれなりの規模ということか。(あくまでそれなり)
    • 存続した場合は音威子府~小頓別間が歌登線に組み込まれる。
    • ただ昨今のJR北海道経営危機の際には真っ先に槍玉に挙がっていた。
  6. あるいは3セク化もされていた。
    • 同じ支庁内で経済交流もあるということで道もしぶしぶゴーサインを出す。
    • 会社名は「宗谷オホーツク鉄道」か。

十勝・釧路・根室

北十勝線

  • 新得~足寄
  1. 札幌~南千歳~新得~足寄~北見~網走の急行・特急が設定される。
    • この場合、池北線は3セク化も廃線も無く、代わりに石北線の北見以西が消えていたかも……
      • 部分廃止はなくても優等列車は消滅、今の「きたみ」的な快速が2往復程度運転されるだけになっていたかも。
        • 旭川発着の特急列車「大雪」と札幌発着の特急列車「オホーツク」が運行されていた。
  2. 白糠線と同時に開業していたなら、高規格な分だけ新得~釧路の所要時間を短縮できたかもしれない。すなわち帯広を「おおぞら」は経由しない。
    • 白糠線との組で「道東版・天浜線」と呼ばれたり(ry)
      • 白糠→掛川、新得→新所原、士幌線(帯広~士幌)→遠州鉄道というイメージ
  3. 士幌線の士幌~上士幌間は北十勝線に編入され、士幌線の上士幌~十勝三股間は廃止され、帯広~士幌間が士幌線となる。
  4. 開業直後の祝賀列車には松山千春が乗車して歌を歌う。
  5. 足寄駅にて鈴木宗男が例のごとくw高級スーツに安物のスニーカー姿で開業一番列車を「走って」追いかけ回すw
  6. 池田~足寄~網走間は、網走本線、旭川~北見間は、石北本線となっていたかも。

白糠線

  • 足寄~北進~白糠
  1. 北十勝線と同時に開業していたなら、高規格な分だけ新得~釧路の所要時間を短縮できたかもしれない。すなわち帯広を「おおぞら」は経由しない。
  2. 単独開業なら、廃線時期が少し延びただけ…
  3. 北進駅は「釧路二股駅」だった。
  4. どちらにしろ民営化の翌年には廃止。
  5. 少なくとも、日本一の赤字ローカル線は逃れられた(?)
  6. 「釧勝線(せんしょうせん)」に改称されていた。

根北線

  • 斜里~越川~根室標津~根室
  1. 上記の興浜線などと併せてオホーツク本線を形成していた。
  2. 途中駅がほとんど設けられず信号場ばかりに。
  3. 札幌~根室~網走~稚内~札幌という壮大なクルージング寝台列車が計画される。
    • 車両デザインは水戸おk(ry
    • 道内完結豪華夜行としてプラチナチケットとなり、カシオペア、トワイライトと組み合わせる富裕層も。
    • 但し釧路湿原を擁する釧網本線と経路が食い合う恐れが。

釧美線

  • 釧路~阿寒~北見相生~美幌
  1. 雄別炭礦鉄道が国有化されて路線の一部となっていた。
    • 当然美幌線(美幌~女満別)の廃止もない。
      • 相生線(美幌~北見相生)の間違いか?
  2. 「おおぞら」「まりも」の一部が阿寒を目指していた。
  3. 阿寒駅が「アカン」ということでおもしろ駅名(爆)の定番となる。
  4. 民営化後第三セクターに移管され、「阿寒湖まりも鉄道」となっていた。
  5. 釧路湿原の観光を主目的とした列車も運転されていた。
  6. 阿寒湖への観光客は史実より多い。

阿寒線

  • 螺湾~阿寒~北見相生
  1. 網走行きのルートが札幌~帯広(北十勝線が開通していれば非経由?)~足寄~螺湾~阿寒~北見相生~網走になっていた。
    • 現実の釧路行き急行「まりも」の愛称がこちらの優等列車にコンバートされていた。
  2. 現実の白糠線が開業していない、或いは運炭線として上茶路までしか建設されなかった。
    • 接続部分となる白糠未成線の足寄~螺湾間を除く。この場合、足寄からが阿寒線となっていた。
  3. 釧美線開通の可能性が高まっていた。
    • 阿寒駅は釧路方面、札幌(足寄)方面のジャンクションとなっていた。
  4. (シャレで関西人が)阿寒に行くのはアカンと言う?
    • 「赤字でアカン線」あたりはしょっちゅう言われていた。
  5. さすがに摩周までは延伸されない。
  6. さすがに阿寒湖近辺~摩周の支線建設はない。
    • 「鉄道未成線を歩く」には上記のコースが白糠線の原案として記述されている

士幌線

  • 帯広~十勝三股~上川
  1. 上川からも建設される。
    • 層雲峡付近まで開通した時点で「層雲峡線」として暫定開業。
  2. 全通時には「大雪線」と命名。
    • 札幌から急行「大雪」が乗り入れる。
      • 渚滑線も全通していたら、その急行「大雪」が「紋別~上川~帯広」と言うコースになっていた。
      • その場合は「大雪山」という列車名になって石北線のエース「大雪」と混乱が起きそう。
  3. 糠平~層雲峡(仮)間の駅は廃止・信号場化される。
    • 現実で休止された十勝三股は要員の配置上、現役の駅として存続できた。
    • 利用客はほぼ0だがそのおかげで逆に知名度が上がり人気が出る。
    • 廃止を免れた他の駅も只見線の田子倉同様、冬季休止になるのがある。
  4. 「観光もできる超秘境線」としてブームになる。
  5. 渚滑線・石北線とこれとの3本の路線が通るジャンクション効果で、上川町が市制施行。
    • モータリゼーションが進んだ社会では単に鉄道路線が増えた程度で人口が数倍にもなることは極めて考えにくい。
  6. 十勝三股~上川でみっくみくな痛列車が走る(近くの国道ネタw)
    • 現実でも石北本線(留辺蘂以降)であるかもしれない。
    • 種車は今や貴重種のキハ183で国鉄車両マニア阿鼻叫喚。
  7. 全通後、広尾線と合併して十勝本線を形成する。
  8. 層雲峡〜留辺蘂間の新線の建設構想が出る。

宗谷・留萌・上川・空知

名羽線

  • 朱鞠内~曙~羽幌
  1. 空気を運んで一日2,3往復程度運行。
  2. 車窓から何気にヒグマとか見えそう。
    • 「全てが秘境駅の超秘境線!」とメディアが煽ったせいでマニアが増えるが、不用意なマニアが熊に襲われる事件が起こって大問題に発展する。
    • CS放送「旅チャンネル」で放送『全国秘境駅ファイル』では、間違い無く牛山隆信氏は、ランキング上位にあげるだろう。
  3. マキタ産業は貨車を使って砕石輸送。
  4. 深名線はないので盲腸線。
    • 「盲腸線」どころか羽幌線も廃止されているので現存の可能性はない。
      • 貫気別線みたいになるな。
    • 朱鞠内ー羽幌間開通時に朱鞠内ー名寄間が編入されていた
  5. 少し南にずれて「朱鞠内~苫前~羽幌」という進み方なら、全通できたかもしれない。
  6. 深名線・名寄本線・興浜南線が残っていた場合、以下の再編が起きる。
    • 深川~朱鞠内:「幌加内線」
    • 羽幌~朱鞠内~名寄~興部:「興羽本線」
      • 中国人がその読みに驚く(苦笑)
      • 「興羽」の中国語の発音が「性欲」の中国語読みと似ている。
    • 雄武~興部~中湧別~遠軽:「紋別本線」
      • 渚滑線が廃止されていたら「本線」を名乗れずに終わる。
    • 戦後の国鉄の動きや路線の位置づけを踏まえるとそこまで大きく再編したようには思えない。

芦別線

  • 芦別~納内
  1. 結局特定地方交通線に指定されて、国鉄末期に廃止された。
    • 盲腸線じゃなく距離もそれほど長くないので案外生き延びるかも。
    • 存廃の目安は路線それぞれの輸送密度だったのでよほどのことがない限りは生き残れない気がする。
  2. ただ、故・宮脇俊三氏著「最長片道切符の旅」で書かれた一筆書きルートには、影響を与えた。
    • 富良野→旭川(富良野線)の所が富良野→芦別→納内→旭川のルートになり、少し距離が長くなった。
    • 勿論、ここに書かれている他の未成線が一切開通していないことが前提だが・・
  3. 神居古譚駅に北海道の鉄道博物館的な施設がオープンし、ここは開拓期の展示中心、小樽のは近代期の展示中心と棲み分けができる。
  4. 1950年初頭まで開業していたら、石炭輸送を行っていた。

富内線

  • 鵡川~日高町~占冠~金山
  1. 「金山線」のままで開業。
  2. 振内以北は一日四往復。
  3. 石勝線開通で占冠がジャンクションとなる。
    • 石勝線列車に接続する日高町~占冠間の区間列車が設定される。
    • 占冠~金山間が部分廃止される。
    • 新千歳空港発の「フラノラベンダーエクスプレス」が登場。
  4. ルート次第では登川支線の一部流用があったかも。
  5. 保線車両などの都合で連絡線が設けられる。
    • 普段直通列車はないが、イベント時に札幌~占冠~日高町の臨時列車が走る。
    • 占冠以西でアクシデント発生の場合は富内~日高線経由で大規模な迂回が行われる。
  6. 苫小牧から稚内までの大縦断コースが完成する。
    • 苫小牧~鵡川~日高町(ここがつながる)金山~富良野~旭川~名寄~幌延~稚内
      • 電化とかもあったら特急が通ったりするか?
        • 地図的にはそうだがこのルートにどれだけの需要があるんだ?
        • 観光列車が関の山だろう。
      • 富内・金山・富良野の各駅名を由縁に、「クイズ・ミリオネア」ラッピングの普通列車が1往復出ていた
        • これを通すなら苫小牧~旭川間でもOK。
        • 現状でも根室本線の帯広~幾寅~富良野間で出せるが、こちらの方が「富内」があるのでパワーアップしている。

歌志内線

  • 砂川~歌志内~茂尻
  1. 優等列車は歌志内線を経由していた。
    • 「スーパーとかち」は「スーパーおおぞら」との住み分けのため、歌志内線を経由していた。
  2. 歌志内市の衰退はなかったor小さかった。
  3. こちらが根室本線になっていたかもしれない。

胆振・日高・石狩・後志

岩内線

  • 小沢~岩内~黒松内
  1. 函館本線の勾配緩和別線として特急も通していただろう。
  2. 室蘭本線が災害で不通になった際には迂回ルートとして活用…、
    • でも通過できる機関車が限定されたかも?

留萌本線

  • 新川~石狩市~石狩厚田~浜益~増毛
  1. 札幌近郊区間に入っていた。
    • よって留萌本線は地方交通線にならず幹線扱いされる。
  2. 沿線の宅地開発が進み、新川~石狩厚田間は複線電化される。
  3. 札幌~桑園~新川間は複々線化。
  4. 浜益で運転系統が別れる。
  5. 札幌~留萌、羽幌(羽幌線)間にDC急行「いしかり」が運転される。
    • 民営化後特急に昇格。
      • 稚内に延長していたかも。
    • 場合によっては羽幌線の廃止もなかった。
    • その場合現実の北海道初EC特急の愛称は何になるんだろう。
      • それこそ485-1500納入時に仮表示されていた電車急行名「さちかぜ」が特急昇格となっただろうか。
  6. 札沼線の浦臼以北が早期に廃止されていた。
  7. 軌道状態によってはこちらのルートが対稚内のメインルートになっていた。
    • 上記のように羽幌線の廃止はないばかりか高速化事業の対象にもなる。
    • ひょっとすると宗谷本線の名寄~幌延間は廃止されていたかもしれない。
    • 更にそれにより、本線となった羽幌線と名寄を連絡する目的で名羽線が開業していた可能性が微粒子レベルで(ry
    • 天北線が生き残った可能性も(ry
  8. 厚田・浜益は石狩市に編入されずに町制、市制できていた。
  9. 相撲ファンが「聖地巡礼」として乗ってくる
    • とはいえ松前線ほどの人気ではない。
  10. これと、留萌本線の留萌~増毛間と、羽幌線の3つだけではまだ「日本海沿岸本線」には程遠い。
  11. 北海道の鉄道でも屈指の難工事として有名になっていた。
    • ちなみに並行道路が開通したのは1980年代。
    • もしかしたら雄冬が鉄道でしかいけない秘境集落になっていたかも。
  12. 留萌本線が「本線」を名乗っても違和感がなくなっていた。

日勝線

  • 苫小牧~様似~えりも~広尾~帯広
  1. 全線を通しての直通普通列車は設定されず、えりもで系統分割となる。
    • 一日一本通しで走る列車が走る。
      • 運転上は一本だがどこかで列車番号が変わってそう。
  2. えりもへは現在の様似止まり、晩年の広尾行きがそのまま延長されるような形に。
  3. 札幌~えりも~帯広間に急行列車が設定されるも国鉄末期に消滅。
    • えりも~帯広間は普通列車になっていた。
    • JR化後は札幌~えりもの快速に格下げされるが程なく消滅。
  4. 現在まで生き延びた場合は優駿浪漫以外にもシーズンにリゾート特急が運転される。
    • 主な運転区間は札幌~新千歳空港~えりも。
    • オホーツク側より荒天になりにくいので冬季の需要が意外と高い。
    • 帯広側も幸福駅に絡めた帯広~様似間のリゾート列車を企画する。
    • これによりJTの種車となるキハ82やキハ183が実際よりも多く生き残る。
  5. 森進一がえりも駅の一日駅長を務める。
    • 島倉千代子も。
  6. 2重の瑞祥路線ブーム(路線名本体と「愛の国から幸福へ」)が発生する。
    • 少なくとも、愛国・幸福とトマム(石勝線沿い)が同格の観光地になるかも。
  7. 一応、北海道内「太平洋沿岸本線」の完成となる。特急が走るとしたらどういう名前になるか?
    • コース:函館~鹿部~森~長万部~東室蘭~苫小牧~様似~えりも~帯広~厚内~白糠~釧路~厚岸~根室
      • 現実は様似~帯広が途切れている形になっている。
      • そうなっても、コース通りならば、様似~帯広~池田~厚内の間では、太平洋は見えないのだが。
        • 間違えた、様似駅ではなくて大樹駅から。(広尾駅からなら太平洋は見えるはず)
  8. 現実は様似~広尾間でバスを挟んでいた昭和四十年代の急行「大平原」が一本の列車で運転される。
    • 運転区間は札幌~えりも~帯広~糠平
    • 行きか帰りのどちらかが夜行になり、えりも近辺で夜明けを見られるダイヤになる。
    • 夜行ならB寝台も連結。昼行ではかつての「天北」のように座席開放される。
    • JR化後は一旦廃止されるが、団体向け観光列車としてスジそのものは存続する。
  9. 超遠回りだが、石勝線が不通となった時の代行バイパスになる。
    • 逆にこちらが不通になると次の日に廃止が決まる??
    • 滝川・富良野周りがあるからその可能性はない。
  10. おそらく路線名は「日勝線」になっている。
    • あるいは「日高本線」のままの可能性も。
  11. 2015年7月にテレビ東京で放送された「ローカル路線バス乗り継ぎの旅・第20弾」では、最終日の昼前にゴール出来ない可能性があった。(実史は、遠回りながら、バスが繋がった為、最終日の11時過ぎにゴール出来た。)

新広線

  • 新冠~十勝八千代~帯広
  1. 道内屈指の難工事になっていたのは間違いない。
  2. 帯広~十勝八千代間は旧十勝拓殖鉄道を買収し国有化。
    • 但し市街地などの一部ルートは変更されていた。
  3. 山岳地帯は石北本線並に駅間が異様に長くなる。
  4. 特定地方交通線に指定されるも、並行道路の未整備を理由に現在も存続。
    • しかし2010年代にJR北海道の経営危機により廃止論議が再燃。
  5. 新広駅がこの路線にあると勘違いされる。

檜山・渡島

戸井線

  • 五稜郭~戸井
  1. JR化前は二両程度の気動車が函館~戸井間をトコトコ運行。
  2. JR化後は函館空港、湯の川温泉へのアクセス路線としてテコ入れされる。
    • 電化はされないが札幌近辺の近郊型気動車が導入される。
  3. 青函トンネルが東ルートで開業していた場合は幹線化。
    • 当然電化される。
    • 用地的に単線化は避けられず、ほぼ各駅に交換設備が設けられる。
    • 八戸・青森~函館の特急(野辺地で分割・併合)が踵を接して走っていた。
    • 優等列車の停車駅は湯の川温泉(仮)と戸井。
    • 北海道連絡が八戸拠点になるので青森市が現実以上に衰退する。
      • それは、どうかな?実史でも東北新幹線が八戸起終点(=北海道連絡)だった2002年12月1日から2010年12月3日までの8年で、大きく衰退したとは思えない。
        • 現実の北海道連絡は夜行以外青森を通るし奥羽側からの接続駅にもなっているが、このルートだと青森は非経由になってしまうのが大きい。
  4. そのままぐるっと戸井-渡島大澗-恵山-椴法華-古部-木直-南茅部-臼尻-渡島大船-本鹿部-鹿部で函館線亀田半島東回りになる。
    • 「太平洋沿岸本線」の一部を構成できる。
    • 大沼公園~鹿部は廃止される。
    • 現実は、渡島大船までは積丹半島並みに「崖がち」な地形で、住宅地を建設しにくい…
    • 青函トンネル・東ルートが完成したら、函館駅を通らない、札幌~苫小牧~(ずっと太平洋岸)~仙台~いわき~水戸~東京の寝台特急も登場する。
      • 東日本大震災とともに廃止される…仙台~いわきで寸断されるため(orz)
        • 仙台以南を東北本線経由にする手もある。
  5. 戸井町は函館市に編入されることはなかったかもしれない。
  6. (陸奥)横浜港が幕末に条約港になっていたらあり得た。

松前線

  • 松前~大島
  1. 戦前までに開業していたら、確実にあり得た。(史実では、1953年に松前までの開業を果たした。)
  2. 急行「松前」が大島までに乗り入れていた。(ただし、松前~大島間は各駅停車。)
  3. 沿線にマンガン鉱山があるので、マンガン鉱の輸送で賑わっていた。
もしあの国鉄路線が全通していたら
北海道/東日本/東海/西日本/四国/九州