もしあの政党にあの政治家が所属していたら
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改革結集の会
- 山田太郎(参議院議員)
- 史実通り、民進党にはいなかった。
希望の党
- 山田太郎(参議院議員)
- 2017年の衆議院選挙には当然出馬していた。
- 仮に当選していたら、共同代表に就任していた?
自由民主党
飛鳥田一雄
- 横浜市長への就任は史実と同じ。
- 首都高速道路の整備や市営地下鉄の開業も同じ。
- ただし、首都高速道路の整備は史実より進んでいた。
- 市営地下鉄のネットワークも史実より広大で緻密だった。
- 市営地下鉄の計画の迷走はなかった。
- 本牧界隈が鉄道空白地帯になることはなかった。
- 「ブルーライン」や「グリーンライン」の呼称もなかった。
- 市営地下鉄の計画の迷走はなかった。
- 国鉄の根岸線の開業も史実と同じだが、史実より早い全通となっていた。
- 磯子への延伸開業を「我田引鉄」と問題視されることも史実以上に多かった。
- 下水道の整備が著しく遅れることはなかった。
- 公立学校や公立図書館の整備はむしろ史実より進んでいた。
- 医療機関の整備も史実より進んでいた。
- 首都高速道路の整備や市営地下鉄の開業も同じ。
- 横浜市の行政は完全に自由民主党の一強になっていた。
- 本人への評価は史実以上に上がっていた。
- ただし、保守派からの評価の方が高かった。
- 党内では親ソ派の派閥に属していた。
- 国政に復帰するのは史実と同じ。
- 国政復帰以降に自分を軸とする派閥を結成していた。
- 横浜市に限らず、神奈川県全体が自由民主党の一強だった。
- 大都市圏で最大の保守王国として埼玉県とならぶ存在だった。
- 保守王国としては日本で最大の人口と経済規模を誇っていた。
- 自由民主党は史実よりは左派の受け皿にもなっていた。
- 史実の日本社会党への票の一部は自由民主党に流れていた。
- 55年体制の崩壊がそもそもなかった
- これが現実となっていた。
- 自由民主党は現在に至るまで一貫して保守色の強い政党で、新自由主義や進歩主義への傾倒もなかった。
- 党内でも保守強硬派、保守左派、左派系の議員の意見も史実より尊重されていた。
- 中曽根康弘政権が新自由主義的な政策を行うこともなかった。
- 海部俊樹の後任の首相は。宮澤喜一ではなく江藤隆美だった。
- 小泉純一郎政権の発足もなかった。
- バブル景気もなかったと思われる。
- 政商と労働者の仲介役のキーパーソンとして知られていた。
- これが現実となった場合は、おそらく1963年辺りから現実のものとなっていた。
枝野幸男
自らの政治的立ち位置について、「30年前なら自民党宏池会」と発言したことも。本当に自民党に所属していたら。
- 弁護士出身だけに、法務大臣を経験していた。
- 安倍政権に対しては、反主流派の代表格になっていた。
東国原英夫
- 宮崎県知事時代の経験を買われ、地方創成関係の要職に就いていた。
- 場合によっては「地方創成担当大臣」として、入閣を果たしたかも。
前原誠司
- 郵政民営化法案に賛成票を投じていたらこうなっていた。
- 2005年民主党代表選では誰が新代表に選ばれていただろうか。
蓮舫
- 第2次安倍内閣では閣僚に就任していた。
- 党内では左派的だった。
社会民主党
- 大橋巨泉
議員辞職時には社民党の議員たちが辞職を止める場面も。もし社民党に所属していたら。
- 土井たか子党首辞任後に党首に就任していた。社民党の衰退はこれほど進まず、一定の勢力を維持できていた。
- 福島みずほは、党首になれなかったかも知れない。
- 山田太郎(参議院議員)
- 表現規制反対という点では主要政党の中でもっとも強く掲げているところだが・・・
- ネットからの支持は低かった。
- 2016年の参議院選挙では、党首・副党首が落選しながら彼が当選するという異例の事態になっていた。
- 山田太郎の得票率を足しても獲得議席は増えない。
- 事実上乗っ取って「表現の自由を守る党」にしていたか?
- 山本太郎
- 気づいたら福島瑞穂の後継として党首になってそう。
- 蓮舫
- もしかしたら、今頃は社民党の党首として活躍していたかも。
- 勿論、民進党の代表にはなっていない。
- 場合によっては、社民党は民進党に吸収合併されてたかも知れない?
改革クラブ
- 姫井由美子
- 生活の党には参加せず2013年の任期満了まで参議院議員だった。
- たちあがれ日本と会派を組んでいたら「姫と虎のツーショット」が見られたか。
新党改革
- 小泉純一郎
- 荒井広幸は脱退していた。
- 代表に就任していたら、公約はやはり「改革を止めるな」。
- 舛添要一は代表に就任していなかった。
新進党
- 小泉純一郎
- 新自由主義者として大いに活躍していた。
- 1995年自民党総裁選には当然出馬していない。
- 中曾根康弘
- 首相時代に数々の民営化を行った新自由主義者として有名。
- 元自民党総裁の元首相が2人在籍していた。
- 中曽根派は丸ごと新進党入りしていた。
- 自社さ政権誕生時の首班指名で、社会党委員長の村山富市に投票することに反対していた。この時非自民側が海部俊樹ではなく中曽根を担いでいればあり得たのでは。
- 前原誠司
- 日本新党に在籍していたものの、新進党結党には参加せず新党さきがけに移籍。もし新進党結党に参加していたら、
- 解党後は何処に属していただろうか。
- 1996年衆院選の結果はどうなっていただろうか。
日本維新の会
- 安倍晋三
- 2012年の自民党総裁選では石破茂あたりが選ばれていた。
- 安倍氏に入っていた票が同じ町村派の町村氏に流れていただろうから、首相は町村氏では?
- 石原慎太郎は維新の会に合流せず。
- 太陽の党は自民党に合流していた。
- 場合によっては自維み連立が実現していた。
- みんなの党にも維新の会にも消費増税反対派がいたからそれは無いのでは?(自民党は消費増税賛成。)
- 「維新の党」は結成されず「日本維新の会」のままだった。
- 菅義偉
- 安倍晋三が2012年の自民党総裁選に出馬していなければこうなっていた。
- 令和おじさんとして親しまれていなかった。
- 2014年の分党の際は次世代の党側だった。
- 維新の党ではないか?
- 無所属を経て、自民党に復党していたかもしれない。
- 松原仁
- 2014年分党の際は橋下側だった。
日本のこころ
- 松原仁
- 元々民主党での数少ない保守派議員なので、それなりの地位も得ていた。
- 以降、玄葉・野田・前原などの政経塾会派も日本の(略)に移籍するかもしれない。
- この方が彼の能力を発揮できただろう。もっとも党勢の衰退自体を防げたかどうかは分からないが。
- むしろたちあがれ日本の頃に参加していた。
民主党
- 石破茂
- 1994年に自民党を離党、新進党を経て1997年に自民党に復党しました。もし自民党に復党せず、違う政党に所属し続けていたら。
- 小沢一郎と行動を共にし続けていたら、自由党を経て民主党所属となっていた。民主党内の保守系議員の代表格として頭角を現していた。
- 小泉龍司
- 2009年衆院選では連合埼玉推薦だったものの、民主党に入党せず。もし民主党に入党していたら、
- 党内では右派という扱いになっていた。
- 史実通り消費増税法案には賛成票を投じていた。
- 場合によっては反対票も有り得る。
- その場合は未来の党結成に参加していたかも?
- 場合によっては反対票も有り得る。
- いつの間にか自民党会派に復帰し、自民党に復党する事も無かった。
- 当然だが、自民系分裂戦(追加公認対決を含む)は無かった。
- 小坂憲次
- 羽田孜に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、民主党に入らず自民党に復党した
- 2009年に落選せず、参議院議員転身はなかった。
- 小坂家と関係が深い信濃毎日新聞は民主党の広報紙と揶揄されるような論調になっていた。
- 篠原孝は別の選挙区から出馬していた。
- 左藤恵
- 娘婿の左藤章も民主党から出馬していた。
- それでも2012年衆院選は林原由佳(維新)に議席をとられていた。
- 川条志嘉は2012年衆院選も自民党から出馬していた。
- 鈴木宗男
- 自民党から新党大地結党を経て、現在日本維新の会所属ですが、一時期は民主党に接近した時期もありました。民主党に所属していたら。
- 田中真紀子・辻元清美ら、鈴木宗男疑惑追及の中心だった人たちと同じ政党に所属することになる。
- 武村正義
- つまり「排除の論理」が無かったらである。
- 流行語にはならなかった。
- さきがけが話題になる事は無かった。
- さきがけの解党が早まったか。
- さきがけ自体が民主党に正式合流していた。
- 東国原英夫
- もしかしたら、代表にまで上り積めていたかも知れない。
- その場合、民進党の迷走はなかった・・・?
- 2016年の民進党代表選挙で、かつてタレント時代の同僚だった蓮舫と対決していたかも。
- 舛添要一
- もし自民党ではなく民主党に入党していたら、
- 何となく党内右派だっただろうか。
- 民国政権下では閣僚入りを果たしていた。
民進党
- 山本太郎
- やはり無派閥。
- 国民民主党結党前に離党し、立憲民主党に入党。
- 東京選挙区から比例区への転出は史実通りか。
みんなの党
- 石破茂
- 新進党路線を受け継ぐ数少ない存在になっていた。
- 小泉純一郎
- 2010年参院選では比例区から出馬していた。
- 顧問格に就任していた。
- 2013年の分裂の際はどちら側に付いていただろうか?
- 杉村太蔵
- 青年局長に就任していた。
- たちあがれ日本にはいなかった。
- 2020年現在も議員活動を続けているだろうか。
- 長崎幸太郎
- 所謂小泉チルドレンの一人。2009年に自民党離党し、以後無所属。(後の山梨県知事)
- 当然だが2010年、2013年の参議院選挙では自民党候補を応援していなかった。
- 2010年の方では寧ろ出馬していた。
- 仮に当選していたら、山梨2区に戻る事は無かった筈。
- 解党後は日本を元気にする会結成に参加していたかもしれない。
- 中村喜四郎(2代目)
- 当然、最強の無所属議員とは呼ばれていなかった。
- いつの間にか自民党会派入りする事は無かった。
- 代表代行か副代表に就任していた。
- まさかの2代目代表就任?
- 解党後はやはり無所属か?