もしあの年の大相撲本場所で○○だったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
1970年代[編集 | ソースを編集]
1972年[編集 | ソースを編集]
- 初場所初日の結びが北の富士VS琴櫻ではなかったら
- その後数年間、横綱・大関の対戦が序盤に組まれることはなかった。
- 春場所に前の山が無気力相撲と認定されることもなかった。
- この場所の北の富士は少なくとも勝ち越していた。
- 春〜名古屋場所でもまともな成績を残せていた。
- 史実通り栃東が優勝争いに加わっても千秋楽結びで相撲を取ることはなかった。
1980年代[編集 | ソースを編集]
1984年[編集 | ソースを編集]
- 秋場所で立会いが正常化されなかったら
- 手つき不十分で行司や審判が待ったをかけることはない。
- 3日目の逆鉾-北天佑はやり直しにならなかった。
- 行司が「手をついて」と声を出す場面もない。
- 北の湖や隆の里はその後の成績がもう少しマシだった。
1989年[編集 | ソースを編集]
- 初場所が中止になっていたら
- 北勝海が3場所連続休場明けで優勝できたか怪しい。
- 春場所で3横綱3大関が中日勝ち越しという記録はなかった。
- 朝潮の引退時期は史実と変わらず。
- 若瀬川の最高位は西前頭筆頭のままだった。
- 千代の富士の通算勝星記録の更新も史実より遅れた。
- 国民栄誉賞受賞もその分遅れる。
1990年代[編集 | ソースを編集]
1991年[編集 | ソースを編集]
- 初場所の幕内定員が38名のままだったら
- 大輝煌の十両1場所通過はなかった。
- それどころか入幕できずに現役を終えていた。
- 栃天晃の十両昇進も遅れた。
- 2004年初場所でやっと40名に増員される。
- 十両が30人になったかも?
- 巴富士の入幕も遅れるため、新入幕での敢闘賞受賞はなかった。
2000年代[編集 | ソースを編集]
2000年[編集 | ソースを編集]
- 春場所で「武蔵丸の悲劇」が起こらなかったら
- 十日目の武蔵丸と貴ノ浪の取組が長引いた影響で、後に放送された『カードキャプターさくら』の開始時間が4分順延。不幸にもその回が最終回だった為、録画の失敗が相次いで阿鼻叫喚の様相だったという。
- この取組の時点で18時2分を過ぎていた為、これよりも前の取り組みも早く終わっていることが絶対条件になる。
- 取組がすぐに決まっていたとすれば、史実とは逆に武蔵丸が勝っていた可能性も十分あり得る。
- ≒「貴ノ浪に上手を取られなかったら」でもある。
- 貴闘力はこの場所で優勝できなかったかもしれない。
2008年[編集 | ソースを編集]
- 九州場所の座布団が変更されなかったら
- 福岡国際センターの枡席ではこの年から4人1組の「飛ばせない」座布団が導入されました。
- 九州場所初日は2年連続で座布団の舞が見られた。
- 2010年2日目の白鵬63連勝ストップが更なる大騒ぎに。
- 2013年14日目の「万歳」コールはなかったかもしれない。
2010年代[編集 | ソースを編集]
2010年[編集 | ソースを編集]
- 名古屋場所が中止になっていたら
2010年の名古屋場所は、野球賭博問題の余波で中継が取りやめになりましたが、一時は名古屋場所そのものの中止も検討されていました。
もし名古屋場所自体が中止されていたら?
- 秋場所以降の開催も危うくなっていた。
- 日本相撲協会の存廃論も現実以上に唱えられていた。少なくともトップは親方ではなく、外部有識者(相撲関係者以外)になっていただろう。
- 現実以上にサッカー日本代表のベスト16に関心が集まった。
- 朝青竜の断髪式も開催が史実より大幅に遅れた可能性も。
- 「朝青龍」の間違いでは?
- 白鵬はモチベーションを下げて、その結果、秋場所(開催されたと仮定して)で連勝はストップしていただろう。
- 連勝を止める力士は、日馬富士が最有力。稀勢の里や琴欧洲辺りも候補だが、意外な伏兵に敗れるかも。
- 琴光喜や大嶽親方(元・貴闘力)以外にも賭博で角界を追放処分になった力士が出る。
- プロ野球のイメージダウンも史実より懸念される。
- 巨人3選手の野球賭博も2015年より前に発覚していたかもしれない。
- 魁皇が次の場所で角番にならなかった。
- 携帯電話を回収しての調査が早まっていれば、八百長事件も2010年中に発覚したかもしれない。
- そうなると2010年いっぱい本場所が中止されていただろう。
- 同年の秋巡業・冬巡業も中止に。
- 野球賭博で謹慎、かつ八百長にも関わっていた力士はそのまま二度と土俵に上がることなく引退勧告を受け引退していた。
- そうなると2010年いっぱい本場所が中止されていただろう。
- もしかしたら秋場所が技量審査場所になっていた可能性がありそうだ。(史実では2011年5月に開催)
- ニコニコ動画での中継実施が早まる。
- 某相撲評論家(元NHKアナウンサー)が「大相撲は反社会勢力に屈した」と大騒ぎする。
- 九州場所で豊ノ島が優勝していたら
- この時点で日本出身力士が優勝する事になるので、旭天鵬が優勝しても史実ほど議論にはならなかった。
- 白鵬から最初に金星を挙げた力士でもあるので、これ以降白鵬との取り組みが「因縁の対決」としてよりクローズアップされていたかもしれない。
- 国技館の優勝額が外国出身力士で占められることはなかった。
- 2016年に「日本人優勝額消滅の危機」が叫ばれるが、初場所に琴奨菊が優勝して回避される。
- 2016年九州場所までに引退していた可能性もある。この場合朝赤龍は「錦島」以外の年寄名跡を襲名する。
- 史実通り現役続行なら幕内優勝経験者が幕下で相撲を取る初のケースになっていた。
2011年[編集 | ソースを編集]
- 春場所が中止にならなかったら
- この年は八百長の影響で春場所が中止、夏場所が技量審査場所として開催されました。
- 予定では3月13日が初日になる予定だったが、ほぼ確実に震災の影響で順延になっていた。
- 懸賞金や化粧廻しも幾らか自粛されていたかもしれない。
- 史実の1995年初場所みたいになる。
- 仮にも当初の予定通り開催したとすれば、八百長の件も相まって相撲協会に批判が殺到していた。
- 状況が状況なのでNHKも実況をやっている暇など無かっただろう。
- 懸賞金や化粧廻しも幾らか自粛されていたかもしれない。
- 力士や親方が義援金を募る場面が報道でも大きく取り上げられていた。
- 夏場所も本場所扱いになっていただろうから、白鵬の優勝額が最低1枚は増えていた。
2012年[編集 | ソースを編集]
- 夏場所で栃煌山が優勝していたら
- 「日本出身力士」と言う回りくどい表現は登場しなかった。
- その分旭天鵬の引退報道は若の里の引退共々隅っこに載る程度になっていた。
- この次の場所で大負けしているので不確実ではあるが、大関昇進のチャンスがもう少し増えていたかもしれない。
- ネット上では「シャケが鯛を持つ」などとして盛り上がっていた。
- 平幕優勝だったので一部の好角家は複雑な心境で、6年ぶりの日本出身力士の優勝を見届けていただろう。当時は琴奨菊などまだ未優勝だっただけに。
- 夏場所初日が5月13日だったら
- 場所全体の入場者数が増えていた。
- 序盤の観客動員はもっとマシだった。
- 後半には東京スカイツリーとセットで訪れる客もいた。