もし日本航空123便墜落事故が別の時代に起きていたら
別の時代に起きていたら
1970年代以前
- 1964年
- 東京オリンピックに悪影響を与えた。
- 国内線の事故なら空の旅がまだ大衆化される前なのでそこまで影響はなかったのでは。
- 開業する東海道新幹線の利用客が増えていた。
- 開業前は東海道本線の特急や寝台の需要が増える。
- 該当機種は間違いなくレシプロ。
- DC-6が最もありそう。
- 1966年
- この年は航空事故が多発していました
- おそらく航空需要は現在にいたるまで低迷したまま。
- 当時やその後の航空輸送の動向を考えるとそれはない。
- 日航が連続事故を起こした1972年でも乗客数は国際線・国内線ともに増えている。
- 事故機がコンベア880の場合、翌年あたりまでに全て売却されていた。
- 翌年からの世界一周便の運航はなかったかもしれない。
- 柳田邦男が『マッハの恐怖』の中で取り上げていた。
- この時点で安全対策などが改善され72年の連続事故は回避できたかも。
- 1970年
- 事故機が史実通り747の場合は同機種で世界初の死亡事故になっていた。
- 新鋭機の大幅なイメージダウンによりボーイングの経営がさらに苦しくなっていた。
- 史実と同じ東京~大阪便の事故の場合、万博へ向かう途中だった乗客のエピソードがマスコミに多く取り上げられていた。
- この場合機種は727かDC-8と思われる。
- 747導入に伴う塗装変更にも何らかの影響があった。
- アメリカ映画「大空港」の日本での上映は見送られていた。
- ドラマ「アテンションプリーズ」は日航全面協力ということで放送中止または打ち切りの可能性大。
- 1971年
- 全日空も死亡事故を起こしているため、業界へのダメージが大きかった。
- 特にボーイングの経営はさらに苦しくなっていた。
- 両社とも塗装を変更していた。
- 日航の727も事故を起こした場合。その場合は全日空機も早期に全機売却される。代替で737-200を導入(1990年代まで活躍)。
- 両社とも同じ路線(東京-札幌線)で事故を起こした場合。青函トンネル(海峡線)の早期開通の要求が高まり、遅くても東北新幹線上野-大宮間開通までに青函トンネルが開通する。
- 史実での工事難航を踏まえるとまず無理では。
- 翌年の連続事故の幾らかは回避できた。
- DC-8が事故機の場合,早期に全機売却。代替は737-200に。
- 航続距離が絶望的に不足するので不適当すぎる。
- そもそも史実でも日航はDC-8を7機も事故で失っているのに87年まで延々使い続けている。
- この時期に導入できる飛行機を(性能面も)考慮するとB707になるのでは...?
- 1972年
- 事故を起こしたのは国内線用のDC-8-61か。
- 類似点の多そうな5月15日の羽田での暴走事故が史実より深く記憶されていた。
- 発生時期が変わらない場合は連続事故真っただ中での発生なので流れは史実とあまり変わらない。
- あるいはもっと安全対策が進み11月のモスクワでの墜落事故くらいは回避できていたかもしれない。
- 1974年
- 油圧が原因の場合、パリのトルコ航空DC-10墜落事故と同じ年ということもありワイドボディ機の油圧に関する問題が世界的に注目されていた。
- オイルショックとも相まって日航の経営はさらに悪化していた。
- 路線の大幅縮小の恐れもある。
- 同時期にハイジャックが相次いだこともあり「呪われた航空会社」などと一部で言われていた。
- アメリカ映画「エアポート'75」は上映中止ないし、延期されていた。
- 1978年
- マスコミに成田空港反対過激派を騙り偽の「犯行声明」を送りつける悪質な事件が発生していた。
- 史実同様の修理ミスが原因の場合日本でのボーイングの印象は悪化していた。
- 日系航空会社でのエアバス導入がもう少し活発になっていた可能性がある。
1980年代
- 1982年
- 羽田沖にも墜落していたら日航は運行停止。
- そして倒産・・・。
- 日本のナショナルフラッグキャリアで唯一の国際線運航会社(ともに当時)をそう簡単に潰すとは思えない。
- 世界第2位の経済大国が国際線を一切飛ばさなくなるという選択肢はさすがにまずいのでは。
- むしろ45/47体制崩壊が早まった。
- それでも乗員の訓練などを考慮すると空白期間ができるのは避けられなかった。
- 上述の72年の連続事故(死亡2件、全損2件、一部破損1件)の際にも運行停止にはなっていない。
- 1984年に徳光和夫が放った「広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれない」発言はなかった。
- 86年では?
- 同年に放送されたアニメ「超時空要塞マクロス」にも悪影響を及ぼしていた。
- 史実の123便の事故で内容の修正や打ち切りに追い込まれたアニメなど聞いたことがないが…。
- でも、飛行機の墜落を連想させるアニメなら影響があっても、おかしくないと思う。
- 史実の123便の事故で内容の修正や打ち切りに追い込まれたアニメなど聞いたことがないが…。
- 1988年末
- 発生時期が昭和天皇の崩御と重なれば日本中は大混乱。
- 発生した日が大晦日だった場合、1988年のレコード大賞と紅白歌合戦は中止になっていた可能性もある。
- 史実と変わらない報道体制なら少なくとも前者は合間に大量のニュース速報を挟みながら無理やり放送していた。
- 1989年1月7日に発生した場合、昭和天皇崩御の特番にテロップが出た。
- 日英間中継の可能性も( ブリティッシュミッドランド航空92便不時着事故 の前日に日航機墜落事故が発生していたことになる。)
- この事件がきっかけでバブルが史実より速く崩壊していた。
- 現実の事故ではそれに伴う景気の落ち込みは発生していないのでそれはない。
- 原因に関係なく一部で「完全民営化の弊害によるもの」と呼ばれていた。
- 日航の事業多角化は大幅に抑えられた。
- 後に発生する経営の悪化はそこまでひどくならなかったかもしれない。
- 翌年からの新塗装が「事故からのイメージ回復狙い」とみなされる。
- この漫画のファンが「DBがあればこの事故をなかったことにできればいいじゃないか?」などと言っていた。
- このころにはDNA鑑定があったため、身元確認が迅速に進んだ。
- 「墜落遺体」の内容は大きく変わっていた。
- ただ、このころの精度は数百人に一人なので遺体の取り違えが出ていたかも。
- 1989年
- 新元号「平成」は波乱のスタートを切ったと言われていた。
- 新時代の幕開けのはずなのに暗いニュースから始まることになってしまった。
- あるいはその後の「失われた20年」を始めとする激動の時代の幕開けの出来事だったと後になって言われていた。
- 史実でも天安門事件、東欧革命、消費税導入、幼女連続誘拐殺人事件などがあり十分激動していたのでは。
1990年代
- 1990年
- 同年には大阪で花博が開催されていたので、墜落の時期によっては花博に向かう人も搭乗していただろう。
- その人のエピソードもマスコミに取り上げられていた。
- 1992年
- のぞみの利用率が史実以上に上がっていた。
- 1999年ごろにのぞみ中心のダイヤになっていたかもしれない。
- 岩崎恭子の「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」は流行しなかった。
- 事故がバルセロナ五輪直前なら発言自体ない。五輪後だった場合は岩崎が事故で小中学生が犠牲になったことについてコメントしていた可能性がある。
- 初場所直後ならその時に優勝した貴花田(貴乃花)もしていたかも。
- 事故がバルセロナ五輪直前なら発言自体ない。五輪後だった場合は岩崎が事故で小中学生が犠牲になったことについてコメントしていた可能性がある。
- 1994年
- 8月までに発生していた場合、同年9月に開港した関西国際空港の利用が当初は低迷していた。
- 仮に開港が墜落事故と重なっていたら祝賀行事や記念イベントなどは自粛されていただろう(史実でいう東日本大震災発生翌日に全線開通した九州新幹線と同じような感じに)。
- 同年は松本サリン事件や就職難もあり、バブル崩壊後の暗い雰囲気を現実以上に痛感するようになっていた。
- もし松本サリン事件と重なっていたら、報道陣は大混乱に陥り、結果的に松本サリン事件の扱いが小さくなっていた。
- ルワンダ虐殺に至ってはより一層まともに報道されなかった。
- もし松本サリン事件と重なっていたら、報道陣は大混乱に陥り、結果的に松本サリン事件の扱いが小さくなっていた。
- 中華航空の名古屋での事故もあり日本の94年は「航空事故が何度もあった年」というイメージが強くなっていた。
- 1995年
- 阪神大震災と同時期なら、報道陣営は1982年以上の混乱を招いていた。
- 3月に起こっていた場合、地下鉄サリン事件におけるマスコミの扱いが小さくなっていた。
- 時期によっては被災地に向かう報道関係者やボランティアが犠牲になっていた。
- 福岡ダイエーホークスの1996年のチームスローガンは「一二三いかせます。」にはならなかった。
- 清水エスパルスのユニフォームスポンサーから撤退していた可能性も。
- 発生直後はオウム真理教によるテロの可能性も一部で言及されていた。
- この年以降に起こった場合、年末の「今年の漢字」に影響が出ていたかも。
- 場合によっては「落」とかが選ばれていたかもしれない。
- 1998年
- その年の高校野球選手権に初出場した日本航空高校が風評被害を受けていた。
- 1992年の明徳義塾のようないたずら電話が殺到し、その後の甲子園出場回数が減っていた可能性も。
- おそらく2001年・2002年・2005年・2008年に発生した場合も。
- 2009年(日本航空石川が出場)も入るか。
- この年はICEの事故もあったため、事故の影響による新幹線へのシフトは進まなかった。
- 全日空の利用者が増え横浜フリューゲルスの合併消滅は回避されたかも?
- 同年開催された長野オリンピックの感動が半減していた。
- 墜落時期がオリンピック開催期間中だった場合、オリンピック中継の最中に臨時ニュースが入れられるなどして観戦どころではなかった。選手がメダルを獲ってもニュースは日航機墜落にかき消されてしまう。
- この年は和歌山の毒入りカレー事件があったこともあり、オリンピックがあったのに暗いニュースが目立つ1年となっていた。
- 他の日本開催の五輪の年も暗い事件が多かった気がする。
- 64年→新潟地震、72年→あさま山荘事件など
- 1999年
- 迷走飛行を続けたため、墜落原因がこの年の7月に起きた全日空61便ハイジャック事件と同じではないかと思われた。
- 間違いなく誰かが「ノストラダムスの大予言はこの事故のことだった」と言っている。
- 同年10月のエジプト航空機墜落事故の原因調査にも何らかの影響を与えていた。
2000年代
- 2001年
- 発生時期がアメリカ同時多発テロと被っていれば世界中は大混乱。
- 発生時期が9月12日以降なら報道が錯綜して途中まで模倣テロと誤認されていた。
- 日米で航空会社が大打撃を受けていた。
- もしかしたら日米以外にも世界中で。
- このころになるとインターネットが発達していたこともあり墜落場所の特定が早く、生存者の数が増えていたかもしれない。
- 「マインドクラッシャー」に当事故の遺体の画像が多数使われていた。
- 翌年登場した「太陽のアーク」塗装がイメージ回復狙いと捉えられる。
- この年は多発テロに加え、附属池田小事件・明石の歩道橋事故・新宿の歌舞伎町ビル火災と立て続けに事件や事故が発生していた為、21世紀最初の年でありながら暗いニュースが目立つ1年となっていた。
- 2004年
- 事件・災害が多い年だったので、その象徴となっていた。
- 発生時期が秋口だと、日本中が大混乱となっていた。
- この時期は中越地震に加え、台風上陸・浅間山噴火・広島県と奈良県での女児殺害と立て続けに事件・事故が発生していた為、マスコミ陣がそれらの取材に時間を取られてしまい、墜落場所の特定さえままならない状況になりかねない状況になっていた。
- また三菱リコール問題もあったことで、自動車業界全体に不安感が広がり、三菱以外の会社も点検に乗り出していた。
- 同じ日付に起こっていた場合、翌日に起きた沖国大米軍ヘリ墜落事故と無理矢理結びつける陰謀論者が出ていた。
- 2005年
- 原因に関わらず同年発生のJR福知山線脱線事故と無理やり結び付ける論者が出てくる。
- 書籍などで「2005年は公共交通の安全が問われる年だった」とまとめられている。
- JRも事故を起こしたため、新幹線へのシフトは進まなかった。
- 旅行を取り止める人も多かっただろう。
- 同年の「今年の漢字」は「愛」ではなく「事」とかになっていた。
- JASとの統合に伴う何らかのトラブルなどが原因ではないかと疑われる。
- 日航のワンワールド加盟はもう少し遅れていた。
- 「機種:747-200、原因:機体の老朽化」といった展開が予想される。
- この3年前に発生した中華航空B747の空中分解事故と瓜二つの展開になっていた。
- 翌年JAL協力でリメイクされた「アテンションプリーズ」のリメイク版(上戸彩主演)はなかった。
- 当然ドラマ出演が縁で相武紗季がCMに出演することもなかったはず。
- 甲子園出場校で大会前に暴力事件があったことも合わせ日本航空高校が上記の1998年以上の風評被害を受けていた。
- ネットは「出場辞退すべき」という書き込みの嵐。
- 最悪校名変更ということになっていたかも。
- 2008年
- 東原亜希と無理矢理結びつける人が出ていた。
- ブログに日本航空に関する記事や、搭乗していた人の名前がないか探される。
- 「これはだめかもわからんね」がネット流行語大賞になっていた。
- この頃には「アップダウンクイズ」(または日本航空のスポンサー番組)の代替番組はプロ野球中継ではなく、紀行番組か事故の特番になっていた。
- その紀行番組が船に関するものだったら間違いなく誰かが「Nice boat.」とネタにされていた。
- 時期によっては同年に放送された『ストライクウィッチーズ』にも悪影響が出ていた。
- 最悪の場合、放送中止or打ち切りに追い込まれていた可能性がある。
- Chakuwikiで「この事故がなければ日本にリーマンショックの影響はなかった」のようなトンデモ論を展開する人がいた。
- 2009年
- 経営再建問題で一部から「こんな企業は救済しなくていい」という声が上がっていた。
- 旧型機の退役スピードがより早まっていた。
- 事故機はおそらく747-300か-400D。
- 「JET STREAM」は事故直後に打ち切られていた。
- 米同時多発テロ時のユナイテッド93便のように多くの乗客が機内からメールなどで情報などを伝えていた。
- Chakuwikiでは事故直後から大規模な投稿規制が敷かれていた。
- 一部は2013年時点でも継続中。
- ワンワールドから追放される。
- 以後どの年でも同様。
- 事故が直接の原因となって航空連合を追い出されたという話は寡聞にして知らない。
- 新型インフルエンザとも重なって、修学旅行を中止にする学校がさらに増えていた。
- 某アニメファンが「エンドレスエイトで夏休みがループしたら事故もなかったことになるんじゃないか?」などと言っていた。
2010年代
- 2010年
- 東海大相模高校の一二三慎太投手に影響が出ていた。
- 間違いなく不吉な名前にされている。
- おそらくドラフトで阪神が指名することはなかった。
- 場合によってはその年のドラフト指名漏れ。
- この辺から事故機はB777-200/300。
- B767-300(ER)という線も。
- 2011年
- 発生時期が東日本大震災と重なった場合、日本中に与えるダメージは甚大なものとなっていた。
- 震災で地軸がゆがんだせいで航空機が墜落したとかトンデモ理論を展開する人が少なからずいた。
- 「墜落事故なんか報道している場合か」などという批判が一部から寄せられていた。
- この頃になるとカメラが普及していたため下手したら墜落する瞬間までの映像が撮影されていた。
- 「youtube」や「ニコニコ動画」でも投稿されていた。
- 一部の乗客が「2ちゃんねる」や「ツイッター」などで実況していた。(可能性は低いが)
- それがばれていた場合、間違いなくそれ(通信)が原因と判断されるだろう。
- もしかしたら上野村や佐久から撮影されていたかも。
- それがきっかけで墜落地点の特定が早まり、救助がスムーズに進んだかも。
- 生存者の数も多かった可能性もある。
- それがきっかけで墜落地点の特定が早まり、救助がスムーズに進んだかも。
- もしかしたら上野村や佐久から撮影されていたかも。
- それがばれていた場合、間違いなくそれ(通信)が原因と判断されるだろう。
- 某アニメのファンが「誰か契約して事故をなかったことにしろ」などと言っていた。
- 別のアニメのファンは「乗客の携帯にDメールを送って救え」などと言っていた。
- 発生時期が夏なら中国高速鉄道の脱線事故やノルウェーの乱射事件、松田直樹の事故死とも重なってなでしこジャパン優勝のムードが一気に吹っ飛んでいた。
- 松田直樹は病死ですが・・・。(間違ってたら申し訳ない)
- その年の年末特番はさらに暗いムードになっていた。
- この年の今年の漢字は「絆」ではなかったかも。
- この時点で2回目となる「災」になっていた可能性がある。
- 2018年は史実通りだろう。
- この時点で2回目となる「災」になっていた可能性がある。
- この年の今年の漢字は「絆」ではなかったかも。
- 2011年末~2012年
- ほこ×たての日本航空マニアVS職員のクイズ対決は放送されずお蔵入りになっていた。
- 放送直後に事故があった場合は「こんな企画やってるから事故が起きたんだ」と番組批判になっていた可能性も。
- 場合によってはマニアvsプロの企画は打ち切り。
- 番組自体の人気も下がっていたかもしれない。
- 結果的に史実より早く打ち切りを喰らっていた。
- 間違いなく誰かが「マヤの大予言はこの事故のことだった」と言っていた。
- 2013年
- 東京オリンピック招致に影響が出ていた。
- 下手するとこの事故の影響で落選?
- 大丈夫でしょ。極論船でも日本には行けるし。
- 下手するとこの事故の影響で落選?
- 発生日が1月14日だった場合、事故原因に雪の影響も考えられた。
- 「成人の日」だったので時間帯次第では犠牲者の中に新成人も少なからずいた。
- ディズニー映画「プレーンズ」の日本での上映は相当遅れていた。
- 2014年
- 世界各地で飛行機事故が多発した年だったので、航空会社は大打撃を受ける。
- 間違いなく「航空機受難の年」と言われた。
- 事故後、年内は連日のように航空事故に関する番組が放送される。
- 史実では9月8日に「池上彰解説塾」で放送された程度。
- アニメ「ハナヤマタ」のOPの歌詞「ひふみ」が不吉がられていた。
- 土曜スペシャルの「空旅~ニッポン空港制覇バトル~」はなかった。
- 収録後に事故があった場合は放送されずお蔵入り。
- 放送直後に事故があった場合は「こんな企画やるから事故が起きたんだ」と番組批判になっていた可能性もあった。
- 日本はもちろん、世界中で事件・事故・災害が特に多かった年だったので、その象徴になっていた(これは2004年に発生していた場合のケースと同様)。
- 事故が御嶽山噴火と同時期で、墜落場所が史実同様群馬県の山であればヤマノススメが打ち切りor放送延期の可能性が上がっていた。
- 終盤の谷川岳編(これも群馬の山)だけお蔵入りの可能性も。
- この事故がきっかけで航空機を敬遠する人が増えた可能性があるので、寝台特急「トワイライトエクスプレス」「北斗星」の廃止はなかったか現実よりも遅れた。
- 寝台特急が見直されるきっかけになったかも。
- 客車の老朽化はどうにもならなかったのでは。
- 9月1日以降なら電波をはっしない録画機器によって墜落までの機内の映像が撮影されていた。
- ボイスレコーダー以上の研究データになる。
- この年代になると犠牲者の中に平成生まれの著名人がいた。
- wikipediaに記事がある初の平成生まれ・平成没の日本人の著名人になっていた。
- 発生日が2月8日(または14日)だった場合、事故原因に雪の影響も考えられた。
- 同年の「今年の漢字」は「税」ではなく「災」とかになっていたかも。
- 2010年代後半
- この時代になるとプライバシー保護の意識が強くなり犠牲者の氏名公表はなかったか時間がかかっていた。
- 中には「氏名を公表しないでほしい」という人も出ていただろう。
- もしほとんどの犠牲者の氏名が公表されなかった場合、報道の意義が議論されていた可能性がある。
- 熊本地震、西日本豪雨、令和2年7月豪雨などでは普通に実名が出されていたのでそこまで揉めなかったのでは。
- そもそも京アニの放火事件以外に氏名公表云々で論争になった事件事故など聞いたことがない。
- 2019年
- 4月までに発生していた場合、「平成は航空事故で終わった」「平成最後の航空事故」と言われていた。
- 5月以降に発生していた場合、新元号「令和」は波乱のスタートを切ったと言われていた。
- この年は台風連続上陸・京アニや首里城などの火災があったこともあり、新時代の幕開けのはずなのに暗いニュースが目立つ1年となっていた。
- 翌年の東京オリンピックの開催にも影響が及ぶかも。
- JALがオフィシャルエアラインを降りていた可能性もある。
2020年代
- 2020年
- 東京オリンピックの開催に影響を及ぼすのは言うまでもない。
- 選手も観客もお通夜ムード。
- 新型コロナウィルス(COVID-19)の大流行で航空需要が低下した時期とも重なり、日本航空は再び倒産の危機に瀕していた。
別の時期に起きていたら
- 1学期中
- 小・中学生の犠牲者は少なく、ビジネスマンの犠牲者が増えていた。
- 搭乗客が300人に満たなかった一方で、生存者はゼロになっていたかもしれない(史実では生存者4人は全員女性で、そのうち2人が小学生のため)。
- その年のお盆は新幹線や高速道路の需要が多くなり、航空機の利用者が減っていた。
- 遺体安置所は高校の体育館にはならなかった。
- ゴールデンウィーク中
- 小・中学生の犠牲者は史実よりは少なかった。
- 学校はカレンダー通りであるうえ、1985年当時土曜はまだ休みでなく5月4日もまだ休日・祝日ではなかったため。
- 全員の遺体の身元が判明する前に連休が終わったため、犠牲者がいた小・中学校は連休明けは騒然としていた。
- 修学旅行を春に行う学校は、修学旅行を中止・延期するところが出ていた。
- 犠牲者がいた学校ならなおさら。
- 航空機を使わない行き先に変更していたかもしれない。
- お盆への影響は1学期中と同じ。
- これも遺体安置所は高校の体育館にはならなかった。
- 8月上旬
- 犠牲者の中には高校野球選手権大会出場校の選手もいたかもしれない。
- これが現実化したか。
- そもそも甲子園への移動に羽田発伊丹行きの飛行機を使う学校なんてないと思う。1985年当時なら尚更。
- 9月下旬~10月上旬
- 1学期中と同じく犠牲者はビジネスマンが多かった。
- 番組改編期に当たるため、事故に関する特番が放送される回数が増えていた。
- 事故後数年はほぼ毎年、現在でも3年に1度くらいの割合で放送。
- 年末年始
- 交通への影響、犠牲者の年齢層は実際と同じくらい。
- 発生したのが大晦日だったら、紅白歌合戦やカウントダウンイベントに影響が出ていた。
- 実際事故の日の夜の音楽番組が予定通り放送されたので中止にはならないだろうが、何度もニュースが挟まれ史上最悪の紅白歌合戦になっていた。
- 春休み中
- 若年層の犠牲者が多かったと思われる。
- 60代~70代あたりの犠牲者も多かっただろう。春休み中は親が年度替わりで忙しいので祖父母と孫というパターンで出かけるケースが多いので。
- 転勤シーズンでもあるため、転勤・転校のために家族で移動中に犠牲になったケースも多かったと思われる。
- 犠牲者がいた小・中学校は、始業式で進学・進級が幻となってしまった同級生への同情が強くなっていた。
- こちらも番組改編期に当たるため、事故に関する特番が放送される回数が増えていた。
- 日曜日
- 史実では月曜日で、偶然にも次の「アップダウンクイズ」放送が最も遠い曜日だった。
- アップダウンクイズ放送中に第一報を知らせるテロップが出たことになり、番組及びTBSへの影響は史実以上に。
- さすがに苦情電話まではなかっただろうが、批判の1つになっていた。
- インターネットが普及していた時代に発生したら2ちゃんねるのTBS実況板と番組スレがとんでもない大炎上。
- Youtubeには間違いなくその日のアップダウンクイズで事故の速報テロップが出たシーンがアップされている。
- 史実ではNHK・テレビ朝日の第一報の速報テロップと速報ニュース、日本テレビの「ザ・トップテン」放送中の速報ニュースがアップ。
- 土曜日
- 翌日の「アップダウンクイズ」は中止となるが、代替番組の決定が間に合わないため「事故のニュース」で埋められていたか?(史実ではプロ野球)
- 高校野球の4試合日
- 史実では大会5日目の3試合日でした。
- 高校野球の第4試合の試合中に第一報を知らせるテロップが流れていたかもしれない
- もちろん延長戦・打撃戦・中断がなければ第4試合の19時前に試合が終わってることが多い。
- 当時の体験談は「高校野球を見ていたら速報テロップが出た」と語る人が多くいた。
- youtubeにはそのときの映像がアップされている。
- その試合が箕島-星稜クラスの名勝負なら二重の意味で語り継がれている。
- 平凡な試合だったとしても、「日航機事故のときに行われていた試合」として語り継がれている。
- その日の第4試合が19時30分ごろ終わった場合、校歌斉唱のときに第一報を知らせるテロップが出たということもありうる。
- youtubeにはそのときの校歌斉唱の動画がアップされてる。
別の時間に起きていたら
- 日中
- まだ日没前なので墜落場所が早く特定され、救助もスムーズに進み、生存者の数が増えていた。