もしジャイアント馬場が健在だったら
2014年3月11日 (火) 23:49時点における>Amberangelによる版 (カテ変更)
- 全日本プロレスが分裂することはなかった。
- プロレスリング・ノアは誕生していない。
- 仮に分裂していたとしても、武藤に乗っ取られたり新日と手を組むことはなかった。
- 夫婦で隠居して鶴田か三沢に円満譲渡できていた。
- 「生涯現役」を掲げてリングに立ち続けるが、体力の衰えに比例して出場回数は減っていた。
- フォールのカウントがさらにゆっくりに……。
- それと反比例するように、タレント活動はどんどん増えていただろう。
- アルビレックス新潟ホーム開幕戦での「十六文始球式(キックイン)」が恒例になる。
- それよりも新潟アルビレックスBCホーム開幕戦での始球式のほうが可能性が大きいかと。
- アルビレックス新潟ホーム開幕戦での「十六文始球式(キックイン)」が恒例になる。
- ジャイアント小馬場の芸を目の当たりにし、笑いながらも内心ムッとしているかも。
- IGFで「禁断の対決」が実現したかも知れない。
- 猪木も「馬場がやるなら」と一夜限りの現役復帰。
- 一方の馬場も「一区切りがついた」とこれを引退試合にしたかも。
- 猪木も「馬場がやるなら」と一夜限りの現役復帰。
- どのような形にしろ、BI砲の再現が見られた。
- ココナッツを使ったスイーツのイメージキャラクターに。
- 故郷の新潟で野球チームを旗揚げしていた。
- アサヒ飲料の缶コーヒー「WONDA(ワンダ)」のCMで、桑田圭佑と実際に共演がされていた。(現実は合成による共演。)
- ただ現実として、馬場さんは素人にプロレス技をかけるという行為を好んでいなかったので、別のスタイルでの共演になっていたかも。
- ハッスルにスペシャルゲストとして参戦してたかも。
- いや、馬場さんはああいうスタイルを認めていなかったから、ハッスルの顔ぶれが相当変わっていたか、ハッスル自体がなかったと思う。
- 趣味の絵画も作品数が増え、何度となく個展が開かれる。
- 二科展にも何度か入選する。
- もちろん関根勤のモノマネは封印されず、さらには娘の麻里にもモノマネされている。
- 三菱トッポ(ekベース)のCMキャラに再びなっていた。
- ジャンボ鶴田の葬儀で弔辞を読んでいた。
- 毎年オフ恒例の「巨人阪神OB戦」にジャイアンツのピッチャーとして参加。
- プロ野球マスターズリーグにも参戦していたかも。