もしあの鉄道車両が○○だったら/国鉄・JR
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- 新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
- 安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式が打ち止めになっていた」「あの路線が開業していたら十分あり得た」など)。
- 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
独立項目
電車
新幹線
100系
全車平屋建てだったら
- 食堂車の構造は0系と殆ど同じだった。
- G編成以降はカフェテリアのみが設置され、V編成で食堂車が復活する事も無い。
- 少なくとも個室を設置する事は絶対に無理。
- 2階建て車が開発されないので、200系新幹線も最大12両編成になっていた。
V編成の最高速度が270km/hになっていたら
- 「グランドひかり」こと100系V編成は270km/hでの運転が可能でしたが、営業運転で実現する事はありませんでした。
- それでも「のぞみ」に使用されることはないはず。
- ただし300系と同じスピードを出せる事には変わりないので、東海道新幹線では専ら新横浜・名古屋・京都にのみ停車する「ひかり」に使われる。
- 速度自体は変わらないので、食堂車目当てで「ひかり」を選ぶ乗客も幾らかいた。
- K編成・P編成に組み替えられた後も270km/h運転を維持できるようにして、「こだま」のスピードアップに寄与していたかもしれない。
- むしろこだまに転用されず廃車になっていた。
500系
JR東海が導入を受け入れていたら
- 開発時から東海も700系プロトである300Xを作っていたから有り得ないと言えばそれまでだが、JR東海が700系の開発を中止し、500系の導入を受け入れていたらどうなっていたか。
- 700系は製造されず、九州新幹線800系は500系ベースで700系を名乗っていた。
- その後史実のN700系にあたる車両が開発され、「800系」としてデビューする。
- あるいは九州新幹線に「600系」が誕生し、N700系にあたる車両が「700系」、さらにN700系7000/8000番台にあたる車両が「800系」を名乗るかもしれない。
- 「ひかりレールスター」も500系ベースの車両となっていた。
- 山陽区間内のみ運転の「のぞみレールスター」が運行されていた。
- 「ウェストのぞみ」じゃない?実際にこの愛称をつける計画があった。
- むしろ当初の計画通り「のぞみストリームスター」では。
- 「ウェストのぞみ」じゃない?実際にこの愛称をつける計画があった。
- 山陽区間内のみ運転の「のぞみレールスター」が運行されていた。
- ドア位置・座席数も300系・700系・N700系と同一にする。JR東海の技術なら出来たはず。
N700系
喫煙室がなかったら
- それでも喫煙車存続はない。
- 500系V編成への喫煙ルーム設置も行われなかった。
- 東海道・山陽新幹線は完全禁煙化されていた。
- 近鉄も喫煙ルーム廃止に動いた可能性も出て、日本国内の鉄道車両は全面禁煙となった。
特急・急行形
157系
下降窓を採用していなかったら
- 早期廃車はなかった。
- 185系登場まで残留することができていた。
- 保守に手を焼く存在になってしまうこともなかった。
- 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられてしまうこともなかった。
485系
1500番代が北海道での運用に成功していたら
- 781系は登場しなかった。
- その分、485系1000番代の製造数が増えていた。
- その玉突きで本州に回されることもなかった。
- いしかり→ライラックへの改名はなかった。
- 何故か北海道に回されたグリーン車が組み込まれていたかも。
- 置き換えは789系と同時期に行われていた。
- 4両編成への短縮はサハ481から改造していた。
- 同時期に製造されていた100番代辺りから改造していた。
E657系
基本7両、付属4両編成だったら
E657系は10両貫通編成で製造されましたが、置換え対象である651系とE653系のように基本7両、付属4両編成だったら?
- 基本編成同士の14両編成も運行していた。
- 両数に余裕があるので「ひたち」「ときわ」の全席指定化はなかった。
- 先頭車は貫通路付きだった。
- その分、グリーン車は普通車との合造車で製造され、無駄なスペースが生じることはなかった。
- 常磐線全線復旧時にいわき以北での輸送力過剰が心配されることもなかった。
785系
「モハ785-500番台」が3号車として連結されていたら
- 785系の旧・付属編成は2002年に2本を1本にまとめて新たにモハ785-500番台が4号車として連結され5両編成化されました。もし、これが3号車として連結されていたら?
- クモハ785がuシート改造されていた。運転席をそのまま乗務員室として利用できたので乗務員室の扉を余計に埋める必要もなかった。
- 編成の外観が妙な感じになっていた。
一般用
119系
静岡地区に転用されなかったら
119系は一部の編成が静岡地区に回された時期がありましたが、もし、静岡地区に転用されなかったら?
- 飯田線に165系が追加投入されることはなかった。
- 中央西線の115系との交換数も減っていた。
- するがシャトル色の119系は存在しなかった。
- 111・113系4連がするがシャトル色になったかも。
- 静岡地区において足を引っ張る存在になることはなかった。
- 車両の絶対数が不足するので111系がJR発足後も四国以外に残留していた。
- モハ62・クハ66が新性能化改造して113系に編入した車両を投入していたかもしれない。
- 111系先頭車の中には冷房化されて2000年頃まで活躍した車両が存在したかも(史実の119系一部編成の代わりに国鉄末期から冷房化開始)。
- 国鉄時代に冷房化された車両はなかった。
- 全車が民営化後にインバータクーラーで冷房化されるため、番台区分が史実と異なっていた。
201系
埼京線に投入されていたら
- 当初から201系導入していれば、短期で205系に置き換えられる事は無かっただろう。
- 2006年頃にE233系に置き換えられていた。
- 場合によってはウグイス色の201系が本当に見られていたかもしれない。
- 志村ー、関西本線、関西本線。
新製当初から豊田電車区に6+4両分割編成が配置され、青梅・五日市線用の既存車も置き換えていたら
- 編成番号はおそらく基本編成がT6○○編成・付属編成がT4○○編成を名乗る。
- 基本編成の方が付属編成よりも少し多く製造された。
- PS24搭載車が史実より多い代わりにPS35C搭載車が少なかった。
- 旧武蔵小金井区の編成は豊田区転入後'07年3月改正まで基本編成が6○○編成・付属編成が4○○編成を名乗った。
- その代わり中央・総武緩行線への201系投入は無く他区所からの103系転属車両数が多かった。
- 黄色5号塗装の201系は存在しなかった。
- 205系中央・総武緩行線用の導入数が多かったかも。
- 結局中央・総武緩行線へのE231系0代導入後に京葉電車区へ転属(史実の201系中央・総武緩行線用の代わりに)。
- サハ8両は先頭車化改造され中原区に転属、代わりに同数のクハが「成東・勝浦運用」充当の為京葉区に転属・10両固定編成から6+4両分割編成に変更された。
- 最終的にE233系5000代6+4両分割編成運用開始まで運用された。
- 中原区から転属してきたクハに電気連結器が装備され6・7号車に組み込まれた。
- 600代以外にも電気連結器装備のクハが存在した。
- 基本編成の方が付属編成よりも少し多く製造された。
- '86~'96年の青梅・五日市線と武蔵野線の共通運用化はなかった。
- 201系の武蔵野線運用と青編成は存在しなかった。
- 101系1000代の青梅・五日市線運用やサハ103-3000の豊田区転入もなかった。
- 上記通り中央快速線と青梅・五日市線の共通運用化が実現した為。
- 後継車E233系も同様だった。
- 青梅・五日市線の103系は国鉄時代に全廃できた(他区所へ転属)。
- 「四季彩」改造車は史実通り存在した。
- 201系の武蔵野線運用と青編成は存在しなかった。
- '85年3月改正で中央快速線に加え青梅・五日市線の所要時間短縮が実現していた。
- 中央快速線と青梅線の直通列車が史実より多かった。
- 青梅・五日市線沿線の宅地開発が1990年頃にかなり進んでいた。
- 秋川市と五日市町の合併時期が史実より遅かったかも。
- 羽村町の市制施行は'80年代のうちに行われた。
- 青梅・五日市線沿線の宅地開発が1990年頃にかなり進んでいた。
- 青梅線立川~青梅間・五日市線へのATOS導入は中央線東京~甲府間と同時だった可能性も。
- 中央快速線と青梅線の直通列車が史実より多かった。
205系
東急車輛製造が技術開示を拒否していたら
この頃の国鉄は独占発注せず、複数社発注が当たり前だった
- ステンレス車両は東急車輛製造の天下だった。
- 国鉄時代に製造されたのは田窓車だけだったと予想。
- むしろ量産車はアルミ車体になった。
- 1980年代以降の鉄道車両はアルミ車体が主流になっている。
- あるいは他の車両メーカーが独自にオールステンレス車体を開発していた(近畿車輛で製造された近鉄3000系という実例あり)。
207系
全て7両固定編成で製造されていたら
史実では、7両固定編成は試作車として1編成のみ製造された。
- 1989年3月に片町線全線で7両編成での運転が実現されたらあり得た。
209系
3100番台が埼京線に投入されていたら
- 恐らくりんかい線がJRに買収されたと言う感じか。
- こうなるんだったら209系導入させた方が良かったんじゃと言う声も入りそうが、果たして?
- E233系は史実通り導入していた可能性が高い。
- だとすると、やはり八高線に転属していた?
- E233系の置き換え対象となるが、ATACS設置絡みで最後まで残留しそう。
- そして廃車になりかけるが、房総地区に拾われ、BOSO BICYCLE BASEに改造されそう。
- 中間車が不足するので新製数が増えていた。
211系
6000番代が213系だったら
6000番代は当初、213系として登場する予定でした。
- 211系との違いは扉の数と設備の違いを理由としたものではなかった。
- 編成を組むクハは211系であることは変わらなかった。
6000番台の投入先が違っていたら
史実では御殿場線などに投入されましたが、もし、他の路線だったら?
- 飯田線
- 編成を組むクハはトイレが設置されていた。
- 165系を置き換えていた。
- 関西本線
- 213系5000番代は飯田線に投入されていた。
- 213系5000番代が扱いづらい存在になることもなかった。
- 路線の事情にマッチしていた。
213系
5000番代が当初からあの路線に配置されていたら
- 飯田線
213系5000番代は当初、関西本線などに投入され、その後飯田線に転用し、現在に至っています。もし、当初から飯田線に配置されていたら?
- 登場時からトイレを設置していた。但し和式。
- 211系5000番代は関西本線でも運用されていた。
- 115系は中央本線に残留し、飯田線に回されることはなかった(飯田線に115系が回されたのは165系との交換条件であるため)。
- そよ風トレインの種車になっていた。
- 117系とは違い、現在に至るまで運行していた。
- JR東海は観光列車に消極的だからどうだろうか。
- 117系とは違い、現在に至るまで運行していた。
- 扱いづらい存在になることはなかった。
- 中央西線
- 115系を置き換えていた。
- 115系は史実通りに飯田線に回されていた。
- その分、交換条件で165系が回されることはなかった。
- 115系は史実通りに飯田線に回されていた。
- トイレは当初から設置されるが和式だった。
E231系
JR東海区間に乗り入れなかったら
- 沼津乗り入れは211系廃車で終了していた。
- 踊り子修善寺乗り入れも185系廃車で終了していたかも。
E233系
7000番台が製造時からATACS搭載だったら
- 205系1編成が暫定的に残留することはなかった。
- 製造コストが増えたので導入完了が少し遅れていた。
青梅線に投入されなかったら
- 201系の最後の活躍線区は青梅線であった。
- 置き換えは209系かE231系が転属。
- 時期的に209系の転属で対応しそう。
- その分、房総地区への導入数が減り、211系が残留していた。
- 時期的に209系の転属で対応しそう。
- 置き換えは209系かE231系が転属。
- 南武線は現在でも209系が1編成だけ残留し続けていた。
- 運用見直しで編成数を減らすかどうかで議論になっていた。
- BOSO BICYCLE BASEは登場しなかったか?
- 青梅線減便で持て余した車両を回してそう。
- 211系から改造していたかも
- 史実通りにE233系へ統一され、8500番台は京浜東北線で持て余した車両が転用されていた。
- 余剰車は休車→7000番台に改造してハエ132編成に組み込んでたか?間が長いのがネックになりそうだけど。
- 1000番台を中央快速に回して捻出した6連を転用させていたかもしれない。
武蔵野線に投入されていたら
- もしE331系が量産されていたらである。
- こちらが5000番台と名乗っていた。
- 総武線のE231系0番台は武蔵野線ではなく相模線に転属していた。
- その分、0番代の多くが6M4T化されてしまい、500番代の転用先が総武緩行線以外にも転用されていたかも。
- 209系はつい最近まで残りそうな気がする。
- 構造的には埼京線とあまり変わらなさそう。
0番台青編成が存在しなかったら
- 編成番号は基本編成がH643編成から・付属編成がH443編成からになっている。
- 基本編成の方が付属編成よりも少し多く製造されるが0代全体の製造両数は史実より少ない(中央快速・青梅・五日市線の予備車を共通化できた為)。
- 史実の8500代相当の車両はは8000代の増備で賄った。
- 史実のT71編成の編成番号は少し繰り上がっていた。
- 基本編成の2階建てグリーン車連結・トイレ設置・H8○○編成への変更がされなかった編成はグリーン車営業開始後地方へ転出した可能性も(付属編成は全編成トイレ設置され青梅・五日市線関連運用が増える)。
- 209系1000代の中央快速線系統への転属は現実同様にあった。
- 中央快速線と青梅線を直通する列車本数が史実より多かった。
- '13年春の改正で中央快速線に加え青梅・五日市線の所要時間短縮が実現していた。
313系
全て転換クロスシートだったら
- 関東地方でも転換クロスシートの車両があった。
- JR東日本涙目。
- JR東海は同じ車両しかないと揶揄された。
- 18きっぱーから「静岡県内が地獄」と言われることもなかったか?
- 逆に普段が地獄になっていただろう。
- キハ25系も全車両転換クロスシートになっていた。
- 観光路線でなおかつ長距離路線である高山本線や紀勢本線では喜ばれていただろう。
8000番台以外オールロングシートだったら
- アンチJR東海が増えていた。
- 名古屋地区の混雑もマシだった。
- 一方名鉄はクロスシート車を増備した。
- キハ25形0・100番台もロングシートになっていたかもしれなかった。
415系
1500番台が九州地区に導入されなかったら
415系1500番台は元々、九州地区への導入する予定はなかったのですが、門司鉄道管理局からの要望で結果的には九州地区にも導入されました。もし、九州地区に導入されなかったら?
- ライトブルー帯の415系は存在しなかった。
- 史実で九州地区に導入された編成は全車常磐線に配置されていた。
- その玉突きで500番台が九州地区に回されていた。
- 1500番台がJR九州に譲渡されることもなかった。
- もしかしたら、1700番台のモハも登場し、ステンレス車だけで組成された7両編成が登場したかも。
- その玉突きで500番台が九州地区に回されていた。
鋼製車の塗色変更がなかったら
- 小田急のパクリと揶揄されることはなかった。
- 常磐緩行線に小田急車の乗り入れに際して誤乗が懸念されてしまうこともなかった。
- 1500番台とE531の帯はピンクだった。
- 常磐線中電のラインカラーもピンクだった。
- JR九州の一般車両の標準色は415系新塗色のアレンジではなかった。
仙台地区に投入されていたら
- 寒冷地仕様の500番台となっていた。
- 史実の500番台は700番台として製作され、800番台は2000番台となっていた。
- 史実で仙台地区に投入された417系や451・453・455・457系や715系は盛岡・秋田地区に投入された。
- よって719系の登場は現実通りだが盛岡地区だけに導入され、701系は登場せず、羽越本線向けに511系(419系の交直流版)が導入され451・453系や715系を置き換えていた。417系置き換えのためにE721系の導入は現実通り。
- 仙台地区にも415系置き換えのためにE531系が導入されていた。
- 運用範囲は東北本線では黒磯~一ノ関間、常磐線では、いわき以北となっていた。
- 仙石東北ラインもE531系電車での運行となっていた。
- 石巻線も電化され、この系列での運行となっていた。
701系
最初からセミクロスシートで製造されていたら
- 猛反発が起きることもなかった。
- 東北の優等列車快速格下げが史実より多くなっていた。
- 通勤形への区分に語弊があると言われていた(元々通勤形として登場したので)。
- 一般形と称していたかも。
- 815系もセミクロスシートだった。
0番台が東北本線・常磐線(仙台地区)に投入されていたら
701系の最初の投入先は秋田地区でしたが、もし、仙台地区だったら?
- ロングシート車を運行している仙石線の存在で史実ほど叩かれなかった。
- ただし鉄道ファンの評価は史実と変わらなかった。
- 仙台地区の混雑緩和に貢献していた。
- 50系客車の置き換えが遅れていた。
- 701系1000番台は盛岡地区用に留まっていた。
- 701系1500番代は秋田地区に投入されていた。
713系
日豊本線(大分地区)に投入されていたら
- 運用範囲は中津~佐伯。
- 2018年3月のダイヤ改正以降は重岡まで足を伸ばしているかも。
- 大分地区への415系あるいは815系の配置数が現実より少なかった。
- 815系と共通運用の便もあった。
721系
8次車が最初から6両固定編成で投入されていたら
721系8次車はコストを抑えるため中間車のみを新製し、当時3両編成だった6・7次車の中に組み込んで6両化しました。もし8次車が最初から先頭車を含めた6両固定編成で投入されていたら?
- 今みたいに内装にばらつきがなく統一感があったに違いない。
- F-5001という珍編成は生まれなかった。それでもエアポートの予備車確保のためクハ721-1009の全室uシート化は変わらない。
気動車
キハ54形
500番代が日高本線に投入していたら
- キハ130形は登場しないか別の線区に投入されていた。
- 史実のキハ130形とは違い、塩害に悩まされることなく、早期廃車になることはなかった。
- 踏切事故では修復されずに廃車になっていたかも。
キハ120形
可部線非電化区間にも投入されていたら
鉄道雑誌にそう書かれていたとか
- それでも朝夕はキハ40が使われていたかもしれない。
- 存廃問題は…変わらないか。
- 史実通り廃止されていたら芸備線に転属。
キハ130形
ステンレス車体だったら
- 後にJR西日本が導入するキハ120形に似たスタイルになっていた。
- 前面は史実のキハ130、側面はキハ120に似たスタイルになっていたかも。
- 土佐くろしお鉄道の気動車みたいだな。
- 前面は史実のキハ130、側面はキハ120に似たスタイルになっていたかも。
- 塩害に悩まされることもなかったので早期廃車もなかった。
- キハ40系に置き換えられることもなかった。
投入先が日高本線でなかったら
- 塩害に悩まされることはなかったので早期廃車はなく、現在でも運用していた。
- 宗谷本線あたりに投入されていた。
- 札沼線の石狩当別以北や富良野線も有り得た。
- 投入路線に維持困難路線が多かったので史実通りキハ40より短命になったかもしれなかった。
- 札沼線の石狩当別以北や富良野線も有り得た。
キハ141系
「キハ142-201」が「キハ143-105」に改造されていたら
- 室蘭本線に転用するためキハ143-155とペアを組んでワンマン改造されていた。
- SL銀河の編成は史実のキハ143がキハ141になっていた。
キハ181系
「ひだ」にも運用されていたら
- 特急「しなの」の電車化によって、余剰になった車両を特急「ひだ」に転用される予定でしたが、現場の反対により、実現しませんでした。もし実現していたら…
- 特急「南紀」にも運用されていた。
- キハ181系気動車は史実よりも多く量産されていた。
- 当時の国鉄の感覚では電化を推進していたのでむしろ現実と変わらず。
- 国鉄キハ80系気動車は北海道に集中していた。
- いくらなんでも北海道でも充足していたのでむしろ山陰特急に集約していた。
キハ185系
JR九州に譲渡されなかったら
- 3000番台・3100番台(普通列車仕様)に改造される車両が増えていた。
- ジョイフルトレインはキロハ186から改造していた。
- それでも2020年ごろにはいくつかの車両は廃車になっていた。
- ゆうゆうアンパンマンカーが毎日運転になっていたかもしれない。
キハ200系
500番台が香椎線に残留していたら
キハ200系500番台は香椎線に投入されましたが、その後指宿枕崎線に転出しました。
- その後の増備車は大分地区ではなく香椎線に投入されていた。
- アクアライナー色に変更されていた。
- 日高本線の二の舞になることはなかった。
- BEC819系が投入されたかは微妙。
キハ220-1102が観光列車に改造されていたら
なのはなDX廃止に伴い指定席車として使用されていた当該車両が観光列車に改造されて指宿枕崎線or三角線に投入されるという噂がありました
- 特急「A列車で行こう」か「指宿のたまて箱」に投入されていた。
- 史実通り肥薩線の運用が多いなら「かわせみやませみ」になっていたかも。
- 1両だけなので他のキハ200系列の車両も一緒に改造されていた。
2600系
土讃線での運用に成功していたら
- JR四国でも空気ばね式車体傾斜車両を積極的に増備し続けていた。
- 2700系は登場しない。
- その分、本形式にも半室グリーン車が登場していた。