もし小田急が大山街道沿いを通っていたら
国有化されていたら
戦前あたりに東海道本線の代替路線として国家買収されていたと想定します。
下北沢 | ||||
しもきたざわ | ||||
代々木上原 | 成城学園前 | |||
Yoyogi-Uehara | Shimo-Kitazawa | Seijogakuen-mae |
下北沢 | ||||
しもきたざわ | ||||
東北沢 | 世田谷代田 | |||
Higashi-Kitazawa | Shimo-Kitazawa | Setagaya-Daita |
下北沢 | ||||
しもきたざわ | ||||
池の上 | 新代田 | |||
Ikenoue | Shimo-Kitazawa | Shin-Daita |
武蔵永山 | ||||
むさしながやま | ||||
はるひ野 | 多摩センター | |||
Haruhino | Musashi-Nagayama | Tama-Center |
相模大野 | ||||
さがみおおの | ||||
町田 | 東林間 | |||
Machida | Sagami-Ōno | Higashi-Rinkan |
くげぬまかいがん | |||
鵠沼海岸 | |||
● | Kugenuma-Kaigan | ● | |
ほんくげぬま Hom-Kugenuma |
かたせえのしま Katase-Enoshima |
全般
- 箱根登山鉄道や江ノ島電鉄は独立した会社。
- JRなので運賃が高い。ので藤沢から乗る場合はどうしようもなくなる。
- 小田原〜新宿・東京間は経路特定区間となり、短い距離の路線で運賃が計算されていた。(旅客営業規則69条・158条)
- 駅トイレの設備は現実より劣っている。
- 東京行進曲の「いっそ小田急で逃げましょか」の歌詞はどうなっていただろう?
- 東武辺りが出ていた。
- 管轄支社は多摩川を境に新宿方が東京、小田原方が横浜。旧帝都線が国有化されていた場合、久我山以西は八王子の管轄。
- 国鉄時代は生田までが東京西管理局、それから先が東京南鉄道管理局の管轄だった。
- 御殿場線との相互直通次第では東京南鉄道管理局・静岡鉄道管理局の境界が変わっていた可能性が考えうる。場合によっては横浜鉄道管理局誕生?
- 国鉄時代は生田までが東京西管理局、それから先が東京南鉄道管理局の管轄だった。
- 五島慶太と話し合いができる役員がいなくなるため大東急は現在でも存続している。
列車
- 「あさぎり」が1時間ごとに走っている。
- まず間違いなくJR東日本管内となるため沼津発着の「特急あさぎり」の誕生はありえない。最悪御殿場線乗り入れ廃止もあるかと。
- 御殿場線がJR東日本の路線になれば問題なし。
- 意外に御殿場線ともどもJR東海の管轄になっていたりして。
- その場合小田原~東京都内でJR東日本とデッドヒートを繰り広げてられていた。
- 意外に御殿場線ともどもJR東海の管轄になっていたりして。
- 御殿場線がJR東日本の路線になれば問題なし。
- 新松田駅は松田駅になっていた。
- JR東日本管轄になっていた。
- 国鉄時代に連絡通路が設けられ、改札内で小田急〜御殿場線の乗り換えが可能になっている。
- 東海道本線の大都市近郊区間(東京~熱海)が運行見合わせになった際の迂回路代わりになった。
- いずれにしても「連絡急行」と言う呼称は生まれない。
- 特急格上げまでは165系が担当。
- 185系誕生とともに特急に格上げされていた可能性も?
- 車種は183系→E257系。
- まず間違いなくJR東日本管内となるため沼津発着の「特急あさぎり」の誕生はありえない。最悪御殿場線乗り入れ廃止もあるかと。
- とっくの昔に代々木上原~向ヶ丘遊園の複々線化は完成していた。
- この区間の緩行線はすべて千代田線に乗り入れる。
- 常磐線北千住~取手と合わせて「JR千代田線」と呼ばれる。
- むしろ「東西線」と似たような扱い。
- 車両もメトロの車両か203系しか走っていない。
- 207系900番台、209系1000番台も。
- そしてE233系が導入される
- 207系900番台、209系1000番台も。
- むしろ千代田線直通がなく、営団が単独で喜多見まで延伸していたかも。この場合、複々線は通勤五方面作戦(六方面?)などの一環として行われていた。
- 常磐線北千住~取手と合わせて「JR千代田線」と呼ばれる。
- 快速線の駅は代々木上原・下北沢・登戸・向ヶ丘遊園のみ。
- むしろ輸送需要が類似した中央線+青梅・五日市・八高線と同様な運転方法になっていたのでは?(以下は中央線を置き換え+この項の書き込みを元に想定)
- 中距離近郊列車 町田・相模大野・海老名~小田原(以遠熱海方面)
- 快速線通勤電車 新宿~本厚木 (一部藤沢線・多摩線・小田原線本厚木以遠へ直通)
- 快速: 新宿・代々木上原・下北沢・経堂・成城学園前・登戸・稲田登戸から各駅に停車
- 特快: 新宿・代々木上原・下北沢・登戸・万福寺・町田から各駅に停車
- 一部列車は新宿から中央線へ乗り入れ東京発着で運行される。通称:相模特快。
- 藤沢方面の列車は湘南特快を名乗る…あれ?
- 一部列車は新宿から中央線へ乗り入れ東京発着で運行される。通称:相模特快。
- 通特: 新宿・万福寺・町田・相模大野・海老名/大和から各駅に停車
- 緩行線各駅停車 新宿~稲田登戸 (一部と朝夜は町田・相模大野まで)
- 緩行線地下直通 取手~稲田登戸 (一部と朝夜は町田・相模大野まで)
- 北沢線 吉祥寺~渋谷 (一部中央線・町田方面直通)
- 多摩線 万福寺~橋本 (一部快速線・八王子方面直通)
- 高座線 町田・相模大野~藤沢 (一部快速線に直通)
- 鵠沼線 藤沢~片瀬江ノ島 (東海道本線の支線)
- 寧ろ中電は新宿乗り入れを続けている可能性が高いのでは?もちろんグリーン車付きで。
- 常磐線みたいに中電と快速が共存しているか、快速線は中電のみになった可能性もある。
- 寧ろ中電は新宿乗り入れを続けている可能性が高いのでは?もちろんグリーン車付きで。
- この区間の緩行線はすべて千代田線に乗り入れる。
- そもそもロマンスカーがない。
- 「あまぎ」(のちに「踊り子」)は小田原線経由。
- 中央線に直通でもしない限り東京発着に出来なくなるうえ横浜に寄れなくなるのでそれは考えづらい。
- 藤沢~片瀬江ノ島は折り返し運転のみにされていた可能性も。
- 東海道本線との直通列車が運行されていたりとか。
- この場合平塚ではなく藤沢で15両中5両が分割され、5連で片瀬江ノ島まで直通する列車があった。
- 東海道本線大船〜藤沢間が複々線化され、藤沢〜片瀬江ノ島間が10両対応化されて京浜東北線から直通もあるかも。
- 東海道本線との直通列車が運行されていたりとか。
- 快速の停車駅が多すぎる上、年々増加するという東日本にはありがちな事態に。
- 2004年より経堂に停車開始…あれ?w
- 通勤六方面作戦の複々線化による遠近分離がされて、複々線完成時に経堂停車になってそう。
- 複々線化は昭和のうちに完成していただろう。
- 通勤六方面作戦の複々線化による遠近分離がされて、複々線完成時に経堂停車になってそう。
- 2004年より経堂に停車開始…あれ?w
- 一部の九州ブルトレが新宿駅発着、小田原線経由となっていた。
- 貨物列車の一部も小田原線経由で八王子・立川・武蔵野線・新宿へとショートカットされていた。
- 小田原線経由で新宿~大阪・神戸を結ぶ夜行急行も運行されていた。
- 夜行バスが一般化するまでは関西と新宿を乗換なしで結ぶ列車として重宝されていた。
- 新宿で機回しが出来ないうえ客車区もないので難しいだろう。583系でも使うか?
- 大垣夜行救済臨の一部が新宿発着になっていた可能性は十分考えられる。アルプスの間合い運用で松本運転所の165系が充当されることもあったはず。
- 千代田線への直通列車が現在よりも増えていた。
- 新宿より先は中央快速線の線路を利用して東京への乗り入れを果たしていた。
- 中央快速線も線路容量が限界っぽいので、新宿~東京に地下新線を建設して京葉線と直通していた。
- リニア中央新幹線の駅は相模大野に建設されていたかもしれない。
- 中電は御殿場線乗り入れも視野に入れて115系で運行されていた。
- 上手くいけば御殿場線の車両が静岡運転所ではなく海老名運転所の管轄となり、分割民営化後はJR東日本の路線に。
- 3ドアだと世田谷区内で詰まるので混雑緩和も兼ねてE217系の番台区分がこちらにも投入されていた可能性が高い。
- 常磐線とほぼ同時期にグリーン車を投入。
- 快速線は常磐快速線と同じく延々103系で放置された後にE231系に置き換わる。
- 実際の運用がどうかはともかく、江ノ島線も快速線と同じ形式を用いる。(中央快速線に対する青梅線・五日市線、常磐線に対する成田線のノリ)
- 緩行線はカナリアの103系→209系500番台・E231系0番台→E231系0・500番台。一部列車は中央・総武緩行線に乗り入れて千葉まで運行。
- 千代田線直通は史実通り203系・207系900番台→E233系2000番台。
- 世田谷区内の駅では「西船橋」「津田沼」「千葉」「柏」「我孫子」「取手」と発車標に千葉県・茨城県内の駅名が続出。
- 町田から先のローカル区間は115系の聖地。
- つい最近になってやっと211系の転用が決定された。
- むしろ本厚木で系統分断されていたのでは。
路線
- 多摩線は建設されない。
- 新百合ヶ丘駅も建設されない。
- できたとしても「麻生中央(あさおちゅうおう)」とか別の駅名になっていた。
- 「西百合ヶ丘」か「万福寺」だろうな。
- 意外に「西川崎」かも。
- 建設されても終点は橋本。
- 唐木田を目指すのは京王相模原線の方だ。
- その場合、多摩センター駅付近で京王相模原線との立体交差をどうするかが問題かも。
- 唐木田を目指すのは京王相模原線の方だ。
- 旧国鉄線がニュータウン新線を建設した事例は皆無のため。
- 建設されたとしても別の民間会社か第三セクターが行なっていた。
- たぶん史実の北総線みたいになってた。
- 志村ー、成田新幹線計画、成田新幹線計画。
- 建設されたとしても別の民間会社か第三セクターが行なっていた。
- あるいは西武多摩川線が多摩ニュータウンまで延伸されていた。
- よってここでも東急西武間の抗争発生。東急相模原線改め多摩線と西武多摩川線が毎日デットヒートを繰り広げる…
- 新百合ヶ丘駅も建設されない。
- 電車特定区間は最長で本厚木までかな?
- 最低でも町田までは電車特定区間になっていた。
- 八王子~橋本~横浜~大船のラインが西限なので町田までだね。なので、町田を過ぎて神奈川県内に入ると運賃が跳ね上がる。
- 多摩線は電車特定区間、江ノ島線は・・・どうだろう。
- 葉山や逗子に飽き足らず藤沢辺りも東急が開拓してたら案外ありえてたかもしれない。
- 八王子〜橋本〜町田〜相模大野〜藤沢のラインまでが電車特定区間になっていたかもしれない。
- 最低でも町田までは電車特定区間になっていた。
- 戦中のどさくさで井の頭線も国鉄(後にJR)に?
- その場合、いくつかの駅を廃止して10両編成にして、吉祥寺から中央線に直通。
- 帝都線は中央線の支線のような扱いになり、201系→E233系6連で運行される。
- 旧帝都線は現在も各駅停車のみの運行で、1時間あたりの列車本数も若干減少する。
- 駅間距離が短いため、201系が本領を発揮できたわずかな路線の1つとなっていた。
- あるいは1時間に1本ぐらい八王子方面から直通する渋谷行きの特快が運転されるが、新宿志向の強い利用者からは不評。
- 帝都線は中央線の支線のような扱いになり、201系→E233系6連で運行される。
- もし帝都線だけ買収されずに残ったとすると、帝都電鉄単独で大東急の路線になり、戦後は単独だと規模が小さいため史実通り京王所属になっていたか。
- その場合、いくつかの駅を廃止して10両編成にして、吉祥寺から中央線に直通。
- 東の阪和線として冷遇されている。
- 現実で東海道線の代替として注目されていたし、遠距離用の115・211系や快速線用と緩行線用の103・203・205系が新製配置されていてもおかしくない。
- 103系の古参車が集められていた。
- 千代田線直通開始の頃に半分ぐらいは203系で置き換えられていたと思う。そのあとE231系か他線から押し出された205系によって全廃。
- 常磐線みたいに緩行線を全部地下鉄直通に回すことはできないだろうし、半分と言うより1/3程度かもしれない。
- 千代田線直通開始の頃に半分ぐらいは203系で置き換えられていたと思う。そのあとE231系か他線から押し出された205系によって全廃。
- 「JR小田原線」という名称になっていた。
- ラインカラーは新宿で紛らわしくないスカイブルー…ってあれ?
- 緩行線は中央・総武緩行線直通のためカナリアとなるかもしれない。
- あっ南武線と被るか…。スカイブルーは横浜線に混色車両がいたし、いっそのことエメラルドグリーンというのもあり?
- 緩行線は中央・総武緩行線直通のためカナリアとなるかもしれない。
- 旧帝都線は「下北沢線」か現行と同じ「井の頭線」か。ラインカラーは下の車両の記述からオレンジになりそう。
- 国有化の時期次第では寧ろこっちが相模線を名乗っていた可能性も考えうる。史実の相模線は橋本線を名乗る。
- ラインカラーは新宿で紛らわしくないスカイブルー…ってあれ?
- 湘南新宿ラインが存在しなかったか、この小田原線と東北本線方面を直結して湘南新宿ラインになっていた(横須賀線方面は、現実と一緒)。
- 横浜駅を経由しないので、池袋・埼玉方面から小田原線経由で湘南地域を目指す列車が運行される可能性は低い気がする。
- 江ノ島線の藤沢以南は存続が怪しい。
- 国鉄時代末期までは2両編成の101系が「シーサイドライナーエノシマ」を名乗って藤沢~片瀬江ノ島を往復していた。現在は205系1000番台。
- 繁忙期は臨時急行・快速などが東京や新宿から運転されていて、観光需要でかろうじて存続。
- 江ノ電とか湘南モノレールとかに客を取られていたら、最悪赤字83線指定で廃止になっていたかも。
駅
- 登戸・町田は立体交差駅となり、乗換が便利になる。
- 登戸の小田急〜南武線の連絡線は廃線にならないで存置。
- 向ヶ丘遊園・生田・読売ランド前は「稲田登戸・東生田・西生田」のまま。
- むしろ稲田登戸は登戸と統合で廃駅だろう。
- 百合ヶ丘駅は「新生田駅」として開業。
- 新生田駅からは稲城方面へ武蔵野線の支線が建設される。
- 小田急相模原は「南相模原」になっていた?
- 「西大野」でもいいかも。
- 原町田駅・新原町田駅の統合は国有化直後に行われ、横浜線のホームは現実よりさらに小田原線に近い場所に移動していた。
- 町田市が誕生した辺りで「町田駅」になり、九州の宮原線にあった町田駅は「豊後町田駅」に改名されていた。
- 「町田市駅」かも。
- 町田市が誕生した辺りで「町田駅」になり、九州の宮原線にあった町田駅は「豊後町田駅」に改名されていた。
- 相模線と小田原線の海老名駅が統合されていた。
- 神中鉄道共々国有化された場合、東海道貨物線の列車は海老名から小田原線を経由して小田原に向かっていた。
- その場合、東海道貨物線の横浜羽沢以西、湘南貨物駅等は建設されていない。相鉄本線か小田原線内に貨物駅・操車場・機関区などが新たに建設されていた。
- 神中鉄道共々国有化された場合、東海道貨物線の列車は海老名から小田原線を経由して小田原に向かっていた。
- 藤沢駅の構造が大幅に変わっていた?少なくとも東海道本線から江ノ島線に直通できるようになっていた。
大山街道沿いを通っていたら
現在、小田急は、登戸から鶴川まで津久井道沿いを通っています。もし、溝の口を通って、伊勢原まで完全に大山街道沿いの路線だったら?
- 基点は新宿ではなく渋谷になっていた。
- 新宿から代々木八幡を経由して渋谷へ回っていた。
- 線形の都合上池尻で新宿方面の路線と渋谷方面の路線が合流していたかも。
- 新宿から代々木八幡を経由して渋谷へ回っていた。
- 東急田園都市線は作られなかった。
- 原町田は横浜線の小さな駅となっており、その代わり長津田が大発展していた。
- 戦後になると町田にニュータウン計画が持ち上がり、元石川(たまプラーザあたり)から鶴川・町田ニュータウン・原町田へと伸びる町田線が建設された。
- (別論)当初は町田ニュータウン(木曽団地・山崎団地)が終点。横浜線古淵駅開設と同時に古淵に延伸。で、古淵が横浜線快速停車駅になる。原町田は通過。
- 当初町田線は原町田までの予定だったが、地元商店街が用地買収に反対したため頓挫して町田ニュータウン止まりとなり、後に相模原市が市南部開発のため古淵・原当麻方面に延伸させる。
- その結果、町田市役所はニュータウン地区に移転され、原町田はますます寂れる羽目に。
- 町田線はさらに原当麻まで延長され、相模原市南部の足となる。
- 町田線の開業で元石川以東は大混雑となり、元石川~渋谷間の複々線化が計画されるが、やはり世田谷区内の反対運動で大幅に遅れる。
- 町田バスセンターは存在しない。また町田線が大型団地を貫通するため、市民ホール前の道路に異常な本数のバスが走ることはない。
- (別論)当初は町田ニュータウン(木曽団地・山崎団地)が終点。横浜線古淵駅開設と同時に古淵に延伸。で、古淵が横浜線快速停車駅になる。原町田は通過。
- 原町田の中心は今でも町田バスターミナル周辺で、現実世界で小田急百貨店のある辺りは、近年までただの原っぱ、現在は普通の閑静な住宅街。
- 横浜線の快速は設定開始当初から長津田に停車していた。
- 宿場であった原町田は上記の通り寂れ、これだと捏造される。
- 戦後になると町田にニュータウン計画が持ち上がり、元石川(たまプラーザあたり)から鶴川・町田ニュータウン・原町田へと伸びる町田線が建設された。
- 江ノ島線との分岐駅は鶴間となっていた。
- 鶴間以南は現実の路線と同じ。
- 急行停車駅とかから見ると下記の林間都市が今の鶴間駅らへんで(下記の)鶴間は町田側の気がする。
- 鶴間以南は現実の路線と同じ。
- 相鉄はさがみ野あたりまで、その先は小田急線に乗り入れていた。
- そのせいでとっくの昔に小田急に統合されていたかも。
- 駅:新宿-南新宿-参宮橋-代々木八幡-北渋谷-渋谷-上通-池尻-三軒茶屋-上馬-駒沢-桜新町-用賀-瀬田-二子玉川-二子新地-高津-溝の口-東宮前-西宮前-たまプラーザ-江田-中里-玉川学園前(大学そのものを青葉台あたりに誘致)-長津田-鶴間-林間都市-東座間(さがみ野あたり、相鉄と接続)-海老名-厚木-本厚木-・・・
- 急行は渋谷・三軒茶屋・二子玉川・溝の口・たまプラーザ・長津田・林間都市・東座間・本厚木に停車。
- 快速急行は渋谷・溝の口・長津田・東座間・本厚木に停車。
- 開業時期を考えれば、たまプラーザに相当する駅の名前は「元石川」だったでしょうね。
- 当初駅はなく、町田線建設のために新設された駅ということで。
- 千代田線は渋谷から小田急に乗り入れるルートとなる。
- 大東急から抜け出せず、いまだに東急のまま。
- むしろ東急が建設していた。
- 現実世界の相模大野~座間・中央林間あたりは鉄道から見放された辺鄙な地域となる。
- 02.を見ているとそうではない気もしなくはない。
- 二子玉川園は小田急系の遊園地だった。
- 閉園した現在も駅名に「園」がついたまま。
相模鉄道を買収していたら
複々線化が○○だったら
和泉多摩川~新百合ヶ丘も複々線化していたら
- この区間のノロノロ運転はなくなっていた。
- 乗客の一部が京王線からシフトしていた。
- 各駅停車の向ヶ丘遊園止まりは激減した。
第1期区間が違ったら
- 新宿~代々木上原(下北沢)
- 京王線のように新宿駅に新線新宿駅ができていた。
- 代々木上原~経堂(成城学園前)
- 新宿(千代田線)~経堂(成城学園前)の区間列車が増発された。
- 都心寄りの混雑緩和とノロノロ運転解消は進んでいた。
- 一時的に最混雑区間が喜多見→成城学園前になっていたかもしれない。
- 下北沢~成城学園前
- 朝ラッシュ時の上りに下北沢折り返しの列車を運転していた。
- 昔の京急の神奈川新町止まりの特急、京成の東中山止まりの急行のような存在。
- 最混雑区間は世田谷代田→下北沢なのでありだが、下北沢で降りない通勤客には不評。
- 今より混雑は緩和していた。
箱根登山鉄道が○○だったら
箱根湯本駅が10両対応ホームだったら
- ロマンスカーは20m×10両で製造されていた。
- 現在も新宿発箱根湯本行き急行が運行されている。
- 10両で箱根湯本までそのまま乗り入れ。
- 小田原~箱根湯本間の中間駅は全て通過。
- もちろん新4000形も乗り入れる。
- 江ノ島線直通列車との分割併合はあまり多くなく、早期に運用が消滅していた。
- 快速急行にも箱根湯本発着がある。
- 風祭駅がさらにすごいことになっていた。
- 上のように急行が中間駅通過だったら風祭は通過するのであまり問題はないかと。交換は出来ないが。
- 板橋、風祭、入生田も10両同士の交換がありえるので、すべての駅を10両対応にしなければ意味がない。
- 上のように急行が中間駅通過だったら風祭は通過するのであまり問題はないかと。交換は出来ないが。
- 箱根登山鉄道の車両が現在でも小田原駅まで入線し、急行の通過する箱根板橋・風祭・入生田各駅の利便性を確保する。
- 現在でも小田原―箱根湯本間は3線軌道。
- 小田急統一化はバリアフリー化と通勤需要増大による輸送改善の影響なので、むしろ全駅が10両対応・リニューアル化かもしれない。
- 現在でも小田原―箱根湯本間は3線軌道。
小田急小田原線と同一規格だったら
- 強羅まで行く箱根登山電車が小田原から新松田または本厚木まで乗り入れていた。
- イベント等で新宿発強羅行の列車が運転されていたかもしれない。
- 3線軌道は存在しない。
- さすがに新宿から来る電車は箱根湯本止まり。
- 流石に箱根湯本以遠に20m車は入れないだろうから、専用の車両が用意されていた。
- 新松田-箱根湯本間の乗車目標は2種類用意されることになる。
- 流石にケーブルカーは史実通り…のはず。
あの鉄道会社のグループだったら
東京急行電鉄
- 箱根山戦争は東急の圧勝。
- 小田急の直通は行われるが、規模が小さい。
- 関係ないと思うが、なぜか井の頭線は小田急電鉄の路線になっていた。。
- 2000年代にグループを離脱していた。
西武鉄道
当時日本電力傘下の箱根登山鉄道を譲渡する際に五島慶太に買収を勧めたのは堤康次郎。では五島が断って堤が買収していたら。
- 箱根山戦争は起きない。
- 敵の敵は味方とばかりに小田急ではなく国鉄と直通。踊り子号に箱根湯本行きが誕生。
- 調子に乗って伊豆急も西武が建設。
- 伊豆箱根鉄道も東海自動車も西武グループになってしまう。
小田急御殿場ファミリーランドの閉鎖が史実より遅れていたら
全駅が10両化されていたら
- 1985年以前に10両化されていた場合、開成駅のホームは最初から10両対応になっていた。
- 栢山、富水、螢田、足柄も10両化され、急行はすべて本厚木以西の各駅に停車する。
- 6両の車両はとっくの昔に消えていた。
- 時期にもよるが、2000形は予定通り10両になっていた。