もしあの銀行が合併していなかったら

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平成以降(都市銀行)

太陽神戸銀行と三井銀行

※史実では1990年4月1日に合併し、「太陽神戸三井銀行」となった。

  1. 銀行名が長くなることはなかった。
  2. 三井住友銀行は誕生しなかった(これは太陽銀行と神戸銀行が合併しなかった場合とおなじ)。
  3. 協和埼玉改めあさひ銀行と太陽神戸銀行が合併し、(旧あさひと旧太陽とで)店舗網の共通性と名前の類似性から整理されて「あさひ神戸銀行」となっていた。略称はTKB改めAKB
    • 三井銀行は、どこと合併していただろうか。
      • 大和銀行かもしれない。
      • 三和銀行の可能性もある(共に上位都銀、地盤が被らない、人の三井と規模の三和なら相乗効果も生まれやすいかも)。
  4. 兵庫県内は「あさひ神戸銀行」、埼玉県内は「あさひ埼玉銀行」、ほかは「あさひ銀行」。

埼玉銀行と協和銀行

※史実では1991年4月1日に合併し、「協和埼玉銀行」となった。

  1. 埼玉銀行は、未だに「サイギン」として埼玉県民から愛される地域に密着した金融機関であり続ける。
    • と同時に、多摩地域を中心に東京都内にもそれなりに店舗網を擁していた埼玉銀行は、所謂「埼玉都民」の利便性にも役立っている。
  2. 「サイギン」という愛称は今でも使われ続け死語になっていない。
  3. 大和銀行と協和銀行が合併して「りそな銀行」となっている。
    • 無論埼玉りそな銀行は誕生していない。

三和銀行と東海銀行

※史実では2002年1月15日に合併し、「UFJ銀行」となった。

  1. 東海銀行はあさひ銀行と合併した。
    • 大和銀行とも合併し「りそな銀行」になったかも。
  2. 三和銀行は一度流れた東京三菱銀行との合併を再検討した。

東京銀行と三菱銀行

※史実では1996年4月1日に合併し、「東京三菱銀行」となった。

  1. 三菱銀行は都銀最下位となっていた。
    • 三菱グループ全体が低迷していた。
    • 三和銀行と合併して「三和三菱銀行」になっていたかも。
  2. 東京銀行はりそな銀行と合併していた。

あさひ銀行と大和銀行

※史実では2003年3月2日に合併し、「りそな銀行」となった。

  1. 大和銀行は国有化されていた。
    • もしくは、三井住友銀行に吸収されていた(大和銀行がアメリカで損失を出した時に、住友銀行が救済する話があった為)。
  2. あさひ銀行はメガバンク(三井住友orみずほ)に吸収合併されていたか98年の計画にそってUFJ銀行と合併していた。
    • 東海銀行との合併が実現したかもしれない。その逆で群馬銀,足利銀,常陽銀,千葉銀,東京都民銀,横浜銀,山梨中央銀の←すべてかいずれかを合併したかもしれない。
  3. りそな銀行の国有化はなかった。

UFJ銀行と東京三菱銀行

※史実では2006年1月1日に合併し、「三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)」となった。

  1. UFJ銀行はアレすぎて分裂&経営破綻。
    • いずれにせよ愛知と大阪の経済は混乱。
  2. 一方東京三菱銀行はひっそりと「三菱銀行」に改名。
  3. 旧東海銀側は第一銀行・日本興業銀行(両行とも現在のみずほ銀行)と共同で中央信託銀行を設立した関係で、みずほグループが「東海みずほ銀行」を設立(東海3県の旧UFJ銀・旧みずほCB・旧みずほ銀から実質営業譲渡)、東海系人事が主流になる。
  4. 旧三和銀側はりそな銀行辺りに営業譲渡された。
    • 旧三和銀派閥はりそなの旧大和銀派閥と組んで、旧あさひ銀派閥を追い出そうとする。

平成以降(地方銀行)

(旧)北洋銀行と札幌銀行

※史実では2008年10月1日に合併し、「(新)北洋銀行」となった。

  1. 北海道の第二地銀一本化は実現しなかった。
    • ということで、現在も北海道の銀行は3行体制(北海道・北洋・札幌)のまま。
      • 逆に道銀と札銀が合併した可能性も。
  2. 北洋銀行の経営は圧迫していただろう。

関西銀行と関西さわやか銀行

※史実では2004年2月1日に合併して、『関西アーバン銀行』となりました。

  1. びわこ銀行は、滋賀銀行と合併していた。
  2. なみはや銀行と同じく、関西さわやか銀行も近畿大阪銀行になっていた。

(旧)関西アーバン銀行とびわこ銀行

※史実では2010年3月1日に合併して、『(新)関西アーバン銀行』となりました。

  1. 当然のことながら、関西アーバン銀行の店舗数が増えることはなかった。
  2. びわこ銀行は、滋賀銀行と合併していた(これは関西アーバン銀行そのものが誕生していなかった場合と同じ)。

西日本銀行と福岡シティ銀行

※史実では2004年10月1日に合併して西日本シティ銀行となりました。

  1. 西日本銀行が福岡りそな銀行となっていた。福岡となのつく銀行が4行もできていた。ややこしくて半端じゃない。
  2. 福岡シティ銀行は当初の予定通り福岡銀行と合併した。
  3. 福岡県内の地方銀行は福岡銀行の一強となっていた。

平成以降(信託銀行)

中央信託銀行と三井信託銀行

※史実では2000年4月1日に合併し、「中央三井信託銀行」となりました。

  1. 中央信託はみずほグループ入りし、のちに「みずほ信託銀行」の一部となった。
  2. 三井信託はこの時点で住友信託と合併し、「三井住友信託銀行」となった。

戦後

朝日銀行と第一銀行

  • ※史実では1964年8月1日に合併し、「第一銀行」となった。
  1. 東京の信用金庫は今ほど多くなかった。
  2. 朝日銀行はもともと今の三井住友銀行の信託部門を独立させた信託銀行だったので三井住友銀行に組み込まれていた。

太陽銀行と神戸銀行

※史実では1973年10月1日に合併し、「太陽神戸銀行」となった。

  1. 都市銀行15行体制が当面維持されていた。
    • '90年頃まで都銀は10行あったかも。
  2. 三井住友銀行は誕生しなかった。
  3. 三井銀行は、1990年4月以降も存続していたor他の銀行との合併を模索していた。
  4. 神戸銀行は70年代前半に三和銀行・大和銀行と合併か,←の時代に住友銀行に吸収された。

第一銀行と日本勧業銀行

※史実では1971年10月1日に合併し、『第一勧業銀行』となりました。

  1. 第一銀行は、(史実では頓挫した)三菱銀行との合併を再検討していた。
    • 日本勧業銀行もほかの都銀との合併を模索していた。
      • 第一勧銀に神戸銀行も合流させる構想があった様だから、勧銀は太陽神戸に合流していたかもしれない。

戦前

第百銀行と(旧)三菱銀行

※史実では1943年4月1日に合併し、「(新)三菱銀行」となった。

  1. 川崎財閥は財閥解体まで金融財閥として存在していた。
    • その後金融ビックバンまで都銀上位行。
    • 「第百グループ(仮)」が結成されていた。
  2. 三菱銀行は財閥解体により他の三菱系企業と切られると規模が小さいため他の都銀に吸収されていた。
    • 中核となる銀行がないので三菱商事や三菱化成はそこそこの企業にはなるが今のような結束力はなかった。
    • 太陽神戸銀行を巡って三井とバトルしてたかも。
      • ただし、太陽銀行の源流が川崎財閥にあるので、第百銀行と太陽銀行が合併していた可能性もある。
      • オンラインシステムの共同開発を持ちかけていた協和銀行と合併した可能性もある。

神戸川崎銀行と浪速銀行と丁酉銀行と(旧)十五銀行

※史実では1920年8月2日に合併し、「(新)十五銀行」となった。

  1. 神戸川崎銀行が川崎財閥の中枢銀行のままのため第一勧銀グループには入らなかった。
  2. 富士銀と第一勧銀が合併しても芙蓉グループの日本鋼管とは同じグループにはならないのでJFEは誕生せず、新日鉄の独壇場。
  3. 新日鉄が世界シェアトップになっていた。
    • ↑の日本鋼管や川崎製鉄,大同製鋼を吸収したかもしれない。その場合,住友金属工業は日本製鋼所と合併した。

森村銀行と(旧)三菱銀行

※史実では1929年5月に合併し、「(新)三菱銀行」となった。

  1. 森村財閥は多角経営化を進めていった。
  2. その後財閥解体に巻き込まれる。
  3. TOTOは富士か住友銀行系の企業になっていた。
  4. 開戦までに他行と合併しなかったら,森村銀は東海銀行の一部になる。

関連項目