もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら/鉄道/私鉄
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- 営団地下鉄や各地の公営鉄道(東京都電車や市電・公営地下鉄)のネットワークは史実より広大になっていた。
- 各地の市電の市営地下鉄や市営バスへの置換は史実より若干遅れる傾向にあるが、それでもモータリゼーションは不可避なのでどの道早期に置換された。
- 営団地下鉄は以下のようになっていた。
- 地下鉄のネットワークは史実より広大になっていた。
- 民営化されて東京メトロになることはなかった。
- 多角化は史実より進みモノレールや新交通にも参入していた。
- ゆりかもめも営団の所有・運営になっていたかも知れない。
- 銀座線の変遷が史実と異なる
- 雖も路線の変遷は史実と殆ど変わらず
- 丸ノ内線の開業は史実と同時期
- 延伸は史実より早まった
- 東京駅乗り入れも史実より早かっただろう
- 新宿延伸と荻窪延伸も史実より早まる
- 方南町支線の開業も史実より早かっただろう
- 300形・400形・500形・900形の登場は史実と変わらず
- 赤色の車体とサインウェーブは史実と同じ
- 100形が移籍してくることはなかった
- 02系の登場は史実より数年早い
- オリジナルの姿でサインウェーブがないのは史実と同じ
- 初期型・前期型はリニューアルされずに廃車された
- 後期型・末期型はリニューアルされ今後も使用を継続
- 延伸は史実より早まった
- 日比谷線は以下のようになっていた。
- 開業は史実より数年早かった。
- 東武伊勢崎線との相互直通運転は史実より早くに開始された。
- 東急東横線との相互直通運転は史実と同時期に開始。
- 車両規格は当初より20m4ドアだった。
- なので3000系も20m4ドア車体となった。
- 相互直通先の東武2000系と東急7000系も20m4ドア車体となった。
- 03系も20m4ドア車体となっていた。
- 東西線は以下の通りになっていた。
- 開業に際しては岸信介首相夫妻が試乗する様子が全国に向け報道された。
- 高田馬場~大手町は1963年までに開業していた。
- 大手町~東陽町も1964年の五輪開催の直前に開業した。
- 中野~高田馬場の開業は史実と同時期かと。
- もっともこの区間も史実より開業が少し早まる可能性も否定できない。
- 5000系の登場は東西線の開業が史実より早いので史実より早まる。
- 当初はステンレス製になるも、途中からアルミ合金製になるのは史実と同じ。
- 20m4ドア車体なのも史実と同じ。
- 東陽町~西船橋は1967年頃に開業。
- 西船橋~勝田台は1985年頃には開業した。
- 営団地下鉄の路線として開業。東葉高速鉄道は誕生しなかった。
- 国鉄中央・総武緩行線との相互直通運転は西船橋延伸の1967年頃に開始。
- 国鉄への直通電車は津田沼~地下鉄~三鷹の運転。
- 都電と都営地下鉄は以下のようになっていた。
- 東京都の東京特別市への移行で、東京都電車は東京公営電車に、都営地下鉄は東京公営地下鉄になっていた。
- 東京都電車(都電)のネットワークは戦後史実より拡充されていた。
- ただし、モータリゼーションの進展で段階的に廃止されるのは史実と変わらず。
- 荒川線の成立は史実と変わらず。
- 赤羽線は存続できている。
- 荒川線と赤羽線以外にも史実には存在しない戦後敷設された郊外の路線が存続している。
- 都営地下鉄のネットワークも史実以上に広大になっていた。
- 先述した通り、特別市への移行に伴う都制廃止で、東京公営地下鉄に改称。
- 東京公営地下鉄の最初の路線は史実にない第3軌条方式の路線である。
- 東京都電車(都電)のネットワークは戦後史実より拡充されていた。
- 東京都の東京特別市への移行で、東京都電車は東京公営電車に、都営地下鉄は東京公営地下鉄になっていた。
- 大手私鉄の経営拡大は史実より圧倒的に進んでいた。
- 路線網も史実より遥かに広大な事例が多い。
- 中小私鉄の大半が大手私鉄の傘下に入っている。
- もしくはそのまま大手私鉄に吸収合併され、大手私鉄のネットワークに組み込まれている。
- 大手私鉄の海外進出は盛んに行われている。
- 韓国や台湾には早期より進出している。
- 香港やシンガポール、マレーシアにも比較的早期より進出している。
- 更に年代が進めばタイやインドネシアにも進出。
- 阪急と阪神の経営統合はなかった
- 大都市の都心部への乗り入れ規制は史実より緩和されていた
- 東京の山手線の内側への私鉄乗り入れも解禁されるようになる
- 時期的には1964年の東京オリンピックの数年前
- 名古屋も私鉄の都心への乗り入れ規制を早期に撤廃していた。
- 大阪も私鉄の都心への乗り入れを解禁するのは史実と同じ。史実以上に市営モンロー主義に固執しなくなっていた。
- 東京の山手線の内側への私鉄乗り入れも解禁されるようになる
- 近畿日本鉄道(近鉄)は以下の通りになってるだろう。近鉄の路線網の拡大は史実をも遥かに上回るレベル。
- 奈良線の車両の大型化と新生駒トンネル開通による孔舎衛坂駅廃止は史実より10年ほど早い。
- 奈良線の史実の急行は高度経済成長期までに運転を開始した。
- 但し当初は布施を通過していた。石切停車は史実と変わらず。
- 奈良線の別料金不要の特急は史実と変わらず。快速急行への改称も同じ。
- 奈良線での有料特急の運転開始は史実より早い。
- 昭和後期まで学園前を通過していた。
- 奈良線での有料特急の運転開始は史実より早い。
- 奈良電気鉄道を買収して京都線とするのは史実と同じ。
- 東生駒駅開業は史実より早い。
- ラグビー場前駅の「東花園」への改称と臨時駅から常設駅への昇格も史実より早い。
- 阪神なんば線開通と同時に大阪難波~東花園間が複々線になっていた。
- この場合、阪神なんば線は1970年代のうちに開業済み。
- いや、おそらく奈良線は阪神なんば線の開業を待たずに複々線化されるかと。
- 大阪上本町~東生駒は1960年代に複々線化
- 近鉄奈良線は近鉄奈良から東へ伊賀・北勢方面へ延伸された
- いや、おそらく奈良線は阪神なんば線の開業を待たずに複々線化されるかと。
- この場合、阪神なんば線は1970年代のうちに開業済み。
- 大阪線の大阪上本町~五位堂は1960年代に複々線化されていた。
- 大阪線の急行と区間急行が快速急行と区間快速急行になるのは史実と同時期。
- 現在の大阪線の急行の登場は史実と同時期。
- 区間快速急行は廃止されず現在も存在。
- 急行の榛原以東の停車駅が史実のように増えまくることはなかった。
- 史実の現在の急行は区間急行になっていた。
- 大阪上本町~名古屋の快速急行と急行は現在も存在。
- 京都線と橿原線は以下のようになっていた。
- 京都線急行の運転系統は基本的に京都~近鉄奈良、京都~天理、京都~橿原神宮前に分かれるのは同じ。
- 近鉄奈良発着の急行の半分は奈良以東の延伸線に乗り入れる。
- 八木西口と畝傍御陵前は通過している。
- 小倉、寺田、三山木、近鉄宮津、西ノ京には全ての急行が停車する。
- 東寺と桃山御陵前に停車するのは変わらず。
- 準急の運転が朝夕に限定されるのは変わらず。
- 一部は近鉄奈良発着となる。
- 快速急行が廃止になることはなかった。
- 朝夕のみ運転され、近鉄奈良発着と橿原神宮前発着がある。
- 途中停車駅は竹田、近鉄丹波橋、大久保、高の原、大和西大寺。
- 近鉄奈良方面は大和西大寺から新大宮に停車。
- 橿原神宮前方面の停車駅は近鉄郡山、平端、大和八木。
- 普通は京都~新田辺、京都~大和西大寺、京都~近鉄奈良、京都~橿原神宮前、大和西大寺~天理、大和西大寺~橿原神宮前が基本。
- 京都市営地下鉄烏丸線への直通便があるのも史実と変わらず。
- 京都線急行の運転系統は基本的に京都~近鉄奈良、京都~天理、京都~橿原神宮前に分かれるのは同じ。
- 阪急電鉄(阪急)は以下の通りになってるだろう。阪急の路線網の拡大は史実をも遥かに上回る。
- 京阪神急行電鉄から阪急電鉄への改組は史実と同じだがその時期が史実と異なるかも知れない。
- 場合によっては権威主義復古後に京阪と再合流してるかも知れない。
- 可能性としては低いが。
- 神戸本線は権威主義復古後に三宮(当時:阪急神戸)から西へ延伸されていた。
- 姫路と岡山を経て宇野まで延伸された。
- この場合山陽電鉄は阪急に買収されていたかも。
- いや、阪神かと…(詳細は後述)
- 宇野延伸開業で快速特急の運転が開始されていた
- この場合山陽電鉄は阪急に買収されていたかも。
- 神戸本線の神崎川~芦屋川は1960年代に複々線化されていた。
- 史実より後年まで神戸本線の特急は西宮北口を通過していた。
- 1970年代までに西宮北口に停車。現在は夙川にも停車するのは史実と変わらず。一方で岡本は阪神・淡路大震災の後も現在まで特急と通勤特急は通過している。
- 姫路と岡山を経て宇野まで延伸された。
- 宝塚本線の有馬延伸構想は小林一三の死後にすぐ再燃し、高度経済成長の洗礼を受け有馬延伸が行われていた。
- 小林米三が音頭を取った。
- 最終的には有馬からさらに三田方面のニュータウンまで延伸されていた。
- 船坂で分岐していた。
- 更に丹後海陸交通の縁で福知山を経て天橋立まで延伸された。
- 三田のニュータウン新線より約20年早く開業する。
- 更に丹後海陸交通の縁で福知山を経て天橋立まで延伸された。
- 史実の神鉄公園都市線は阪急の路線になっていた。
- 船坂で分岐していた。
- 大阪空港連絡線は無事開業していた
- 京都本線の大宮(当時:阪急京都)から河原町への延伸は史実より10年近く早い。
- 河原町から東へ祇園、山科、大津、八日市を経て名古屋まで延伸された。
- 大阪の大都市制度の再編(広域直轄市の大阪特別市への移行)で高槻市は高槻に、茨木市は茨木に駅名を改めている。
- 京都本線の淡路~高槻は1960年代に複々線化されていた。
- 新大阪連絡線も無事開業していた。
- 崇禅寺と南方を経由するのは一部の区間運転の準急と普通と千里線直通の一部電車のみになっている。
- 京都本線の準急は1961年頃に運転を開始していた。
- 急行は大阪万博の頃まで茨木を通過していた。
- 茨木に急行が停車するようになってからも長岡天神に急行は停車しなかった。
- 長岡天神停車の急行が誕生するのも、全ての急行が長岡天神に停車するのも史実より遅い。
- 一方、名古屋方面は笹島、八田、八社には古くより急行が停車していた。
- 主要経由地の野代、大泉原、石槫にも急行は停車。
- 急行は長らく石槫~石山は各駅に停車していた。
- 茨木に急行が停車するようになってからも長岡天神に急行は停車しなかった。
- 新大阪連絡線も無事開業していた。
- 京都線でも快速特急の運転が開始されていた
- 快速特急の運転開始と同時に特急は桂と高槻(史実:高槻市)への停車を開始した。
- 伊丹線は伊丹本線に昇格し単独で梅田に乗り入れていた。
- 塚口駅は立体化されていた
- 伊丹から先へ宝塚まで延伸されていた
- JAN計画は実行に移され無事日の目を見ていた。
- 実現したところで失敗することはなかった。
- 大阪・中島には阪急が独占して開発した副都心が出来ている。
- 実現したところで失敗することはなかった。
- 史実に存在する路線系統はこんなところ。
- 史実に存在しない路線系統は以下のようになっていた。
- 東京丸の内~四ツ谷~新宿~新中野~高井戸~武蔵野崎~府中~高幡街道~豊田~八王子~高尾の東京本線が開業した。
- その後、大月~甲府~上諏訪~木曽福島~南木曽~中津川~恵那~瑞浪~高蔵寺~勝川~大曽根~名城公園~名古屋へ延伸された。
- 創業者の小林一三が山梨県出身という縁から。
- 阪急における東京~名古屋のメインラインになる。
- 開発独裁により開業。
- 創業者の小林一三が山梨県出身という縁から。
- その後、大月~甲府~上諏訪~木曽福島~南木曽~中津川~恵那~瑞浪~高蔵寺~勝川~大曽根~名城公園~名古屋へ延伸された。
- 東京丸の内~四ツ谷~新宿~新中野~高井戸~武蔵野崎~府中~高幡街道~豊田~八王子~高尾の東京本線が開業した。
- 車両は以下のようになっていた。
- 800系の増備は1957年頃まで継続された。
- 700系の増備も1957年頃まで継続された。
- 810系の増備は1964年頃まで継続。
- 710系の増備も1964年頃まで継続。
- 610系の登場は史実よりやや早かった。
- 610系の増備は1966年頃まで継続。
- 210系の登場も史実より少し早い。
- 1000形と1010系は同一形式の1000系になる。
- 試作車は1950年頃に、量産車は1953年頃に登場。
- 増備は1967年頃まで継続された。
- 1100系も1954年頃に登場。
- 1964年頃まで継続増備。
- 宝塚線に配備されるのは変わらず。
- 1200系は1956年に登場するのは史実と変わらず。
- 1300系は1955年頃に登場。
- 特急用は1800系に形式分離された。
- 1300系の増備は1965年頃まで継続、1800系の増備も1966年頃まで継続。
- 1800系の神宝線仕様の1700系も登場した。
- 1600系の登場時期も史実と同時期。
- 1000系列の末期型は両開き扉になっていた。
- 1000系と1100系は史実ほど混合編成を組まなかった。
- 2000系と2300系の登場は史実より1年早かった。
- ローレル賞を受賞することはなかった。
- 2000系と2300系の増備は1978年頃まで継続。
- 神戸線の昇圧が史実より早まるため2021系は登場しなかった。
- 2100系の登場は史実より1年遅れていた。
- 2800系は史実より1年早く登場した。
- 2800系の神宝線仕様の2700系も登場していた。
- ローレル賞は2800系が受賞していた。
- 2000系列の初期型・前期型は片開き扉。
- 2000系列で史実の両開き扉になるのは中期型以降。
- 京阪は1970年代までに1500V昇圧を果たしていた。
- 中之島線は西九条以西まで延伸し、阪神と直通していた。
- 交野線の生駒延伸は高度成長期に実現。反対側も枚方市から高槻方面に延伸していた。
- 1300系と1700系は史実より量産されていた。
- 1800系と1810系の登場も史実と変わらず。
- 600系Ⅱは片開き扉となっていた。
- 史実の600系Ⅱは700系Ⅱになっていた。
- 史実の700系Ⅱは800系Ⅱになっていた。
- 700系Ⅱに冷房装置を装備した900系も登場していた。
- 史実の600系Ⅱは700系Ⅱになっていた。
- 奈良電気鉄道買収の失敗を受け、開発独裁の洗礼を受けた自社線での奈良乗り入れを果たしていた。
- 先述の交野線の生駒延伸線がそのまま奈良へ延伸され繋がったかも知れない。
- 大阪市内とのアクセスを考えるとむしろ本線の萱島あたりで分岐し、清滝峠を越えて奈良県に入っていた。
- 先述の交野線の生駒延伸線がそのまま奈良へ延伸され繋がったかも知れない。
- 1900系の登場は史実と同時期
- 淀屋橋延伸も史実と同時期
- 京都都心区間の地下化は史実より20年早かった
- 2000系の登場は史実と同時期
- 昇圧後も2600系に改番されることはなかった
- 2600系は史実の2630系だけが襲名していた
- 昇圧後も2600系に改番されることはなかった
- 2200系の登場は史実と同時期
- 2200系に冷房装置を装備した2400系の登場も史実と同時期
- 5000系の登場は1963年頃に早まる
- 鴨東線は1978年頃までに開業していた
- 鴨東線の開業後に叡山電鉄を吸収合併して自社線にしている
- 比叡山鉄道(比叡山ケーブル)も合併し自社線に
- 叡山線はもちろん京阪線と直通している。
- 鴨東線の開業後に叡山電鉄を吸収合併して自社線にしている
- 3000系の登場は史実と同時期
- 3000系の登場で1900系は一般車に格下げされるのも史実と同じ
- 鴨東線の開業による特急の増発も3000系の増備で賄われる
- 京阪百貨店の本店は守口市ではなく京橋にできていた。
- 京都の三条にも開店していた。
- 南海電気鉄道(南海)の経営拡大は史実より進んだ。
- 悲願の四国進出を達成していた。
- 結果として国鉄は四国では壊滅的な状態に陥っている。
- 徳島県が全国で唯一電車の走ったことのない県にはなっていない。
- というか徳島県は都道府県合併で消滅
- 南海線は輸送力の増強が史実より早くから史実以上に行われていた。
- 昇圧は史実より約15年早かった。
- 岸里~羽衣は1970年頃までに複々線化されていた。
- 史実の11001系は当初より1000系を名乗っていた。
- 高野線が大運転と区間運転に分けられるのは変わらず。
- 20000系は史実より増備されていた。
- 21000系は2000系を襲名
- 22000系は2100系を襲名
- 南海線と高野線区間運転の車両形式の共通化は古くから行われた
- 初の新性能通勤電車の3000系が1959年頃に登場した
- 3000系のツードアボックスシート版の5000系も登場、急行に使用された
- 6000系と7000系は南海線と高野線に均等に配備された
- 6000系の登場は史実と同時期
- 7000系の登場時期も史実とそう変わらない
- 6100系と7100系も南海線と高野線に均等に配備された
- 6100系の登場は史実より1年早い1969年頃
- 7100系の登場は史実より2年早い1967年頃
- 6200系の登場は史実より早い1972年頃
- 6200系の普通鋼製仕様の7200系も1973年頃に登場した
- 8000系の登場は史実と同時期
- 1編成しか製造されないことはなく量産へと至っていた
- 悲願の四国進出を達成していた。
- 阪神電気鉄道(阪神)は以下のようになっていた。
- 戦後もしばらくは中型車の導入が続くのは変わらず。
- 初の大型車の3011形の導入は史実と同時期か史実より半年~1年ほど早い。
- 帝国復古を記念して導入された可能性もあるだろう
- セミクロスシートなのも変わらず
- 梅田~三宮ノンストップの特急に使用されるのは史実と変わらず
- 戦後の阪神も史実と同じく大手私鉄では最も盛んに千鳥式運転を行う
- 3301・3501形の登場は史実より約半年早い
- 増備も1967年頃まで継続
- 末期型は両開き扉に
- 末期型でも両開き扉になるのはおそらくごく一部
- 末期型は両開き扉に
- 増備も1967年頃まで継続
- 5001形の登場も史実より少し早まる
- セミクロスシートなのは変わらず
- 片開き扉だった
- 5101・5201形の登場も史実より約半年早い
- 初期型・前期型~中期型は片開き扉に
- 両開き扉になるのは後期型・末期型
- 増備も1967年頃まで継続
- 初期型・前期型~中期型は片開き扉に
- 5151形の登場も史実と同時期
- 野田~甲子園は1960年代序盤までに複々線化された
- 大物~尼崎は三複線に
- 山陽電気鉄道を子会社化を経て吸収合併していた。
- 山陽電気鉄道から中国地方延伸計画を継承し、高度経済成長期に開業させていた。
- 最終的には下関まで達していただろう。
- 山陽電気鉄道から中国地方延伸計画を継承し、高度経済成長期に開業させていた。
- 尼崎宝塚線は戦後計画が再燃し、開発独裁により宝塚まで鉄道線が開業していた。
- 史実で現在尼崎止まりの急行は宝塚まで走っている。
- 尼崎市内の高架化事業の完成も史実より約40年早い
- 西宮市内の高架化事業も昭和後期までに行われた
- 西宮東口駅は昭和後期には廃止された
- 3601・3701形の登場は史実と同時期
- 増備は1976年頃まで継続
- 末期型の一部は両開き扉に
- 電機子チョッパ制御化され7601・7701形にはならなかった
- 増備は1976年頃まで継続
- 7801・7901形の登場は史実と同時期
- 初期型・前期型が片開き扉なのは史実と同じ
- 中期型は両開き扉となるのは同じ
- 中期型のドア窓が角張ったスタイルになるのは変わらず
- 後期型・末期型も両開き扉なのは史実と同じ。ドア窓は角張ったスタイルにはならず
- 7801・7901形の後期型は史実より相当量産された。
- 7801・7901形の増備は1985年頃まで継続
- 名古屋鉄道(名鉄)は以下のようになっていた。
- ネットワーク拡大は史実以上に進んでいた。
- 石油危機以降の路線網の縮小も史実ほどではないか或いはほとんど進まず。
- 史実で未成線に終わった路線は全て開業させていた。
- 中部地方の中小私鉄の大半を買収していた。場合によっては吸収合併。
- 単独で北陸へ乗り入れ、北アルプスもこの北陸へアクセスする新線を経由
- キハ8000系気動車も8000系電車に
- 後継のキハ8500系気動車も8500系電車に
- 国鉄には乗り入れない
- 北アルプスは2019年現在も存在
- キハ8000系気動車も8000系電車に
- 既存路線のインフラ整備も史実より進んだ
- 神宮前~栄生は複々線化
- 名鉄名古屋駅や名鉄岐阜駅は高度経済成長期に拡張された
- 新名古屋、新岐阜という言い方は早期に取り止めていた
- ネットワーク拡大は史実以上に進んでいた。
- 西日本鉄道(西鉄)は以下のようになっていた
- 東武鉄道(東武)は以下のようになっていた。
- 史実と同じく本業中心だが、史実より経営の多角化は進んでいた。
- 路線のネットワークは史実をも更に上回るだけ広大になっていた。
- 本線系統のネットワークは史実以上に広大になり、東日本を席巻するまでの規模になった。
- 本線系統の新たなる本流として上野延伸線が昭和30年代前半に開業していた。
- 伊勢崎線の列車の多くが上野発着となる。
- 10両編成は全て上野発着となっていた。
- 営団地下鉄日比谷線との相互直通運転開始も史実より早まる
- これらによる結果、伊勢崎線沿線の都市化が史実より早まった
- 日光線も一般列車の多くが上野発着になる。
- 伊勢崎線の列車の多くが上野発着となる。
- 伊勢崎線の北千住~北春日部は1960年代前半に複々線化。
- 1960年代前半に東北地方まで路線を拡げる。
- 結果として東武は大手私鉄で最初に東北地方への進出を果たす。
- 本線系統の新たなる本流として上野延伸線が昭和30年代前半に開業していた。
- 東上線は上州延伸計画が戦後再燃していた
- 東上本線の高崎延伸構想が再燃し昭和30年代後半までに実現した
- 第3の幹線として東京・日本橋~房総半島の路線が開業。本線系統、登場線系統に次ぐ、第3の路線系統を確立した。
- 名称は東総線か、東上線に倣って。
- 主流の東総本線は日本橋~銚子の路線に。
- 名称は東総線か、東上線に倣って。
- 第4の幹線として上野~常磐地域の幹線が開業し、第4の路線系統を確立した。
- 柿岡地磁気観測所がある関係で交流区間や非電化区間が多い路線系統に。
- 私鉄で最初に交直流電車と交流型電車を所有したのも東武となった。
- 私鉄初の交流電化区間も東武鉄道の路線に。
- 柿岡地磁気観測所がある関係で交流区間や非電化区間が多い路線系統に。
- 本線系統のネットワークは史実以上に広大になり、東日本を席巻するまでの規模になった。
- 昭和中期の車両はこうなる
- 7300系と7800系の登場は史実より早い
- 5700系の登場は史実と同時期
- 1700系と1720系の登場は史実より1年ほどそれぞれ早まるかと思われる
- 2000系の登場は地下鉄日比谷線との相互直通運転が早まる分だけ史実より早い
- 直通先と違って普通鋼製なのは変わらず
- 初期型・前期型は片開き扉に、両開き扉になるのは中期型以降
- 開発独裁の影響で地下鉄日比谷線の車両規格が20m4ドアとなるため、20m4ドア仕様の車体となっていた。
- 8000系の登場は史実より若干早い
- 初期型は片開き扉に、前期型以降が両開き扉に
- 中期型までは金属ばね台車で、空気ばね台車が採用されるのは後期型以降になった
- 東武鉄道のネットワーク拡大で史実をも相当上回る数が増備された。
- 「私鉄の103系」の異名は史実と同じ
- 6000系の登場も史実より若干早かった
- 初期型と前期型は金属ばね台車だった
- 中期型以降は空気ばね台車となった
- 1800系の登場も史実より数年早まった
- 同じ車両形式を長期間大量に増備し続ける保守的な姿勢は史実以上に
- 7300系の増備は1967年頃まで継続
- 7800系の増備は1976年頃まで継続
- 1700系の増備は1969年頃まで継続
- 1720系の増備は1972年頃まで継続
- 1967年頃に車内設備のモデルチェンジが確実に行われていた
- 8000系の増備は1994年頃まで継続
- 1986年以降のグループは10000系と同じ車内設備になる
- 車体形状も10000系と同じになっていた
- この1986年以降の増備グループを「8000系とは別の車両形式」と主張する人もいる。
- 1986年以降のグループは10000系と同じ車内設備になる
- 6000系の増備は1987年頃まで継続
- 1986年以降のグループは車内設備がデフォルトで一新されていた
- 車体形状も史実の6050系のものになっていた
- 1986年以降のグループは車内設備がデフォルトで一新されていた
- 1800系の増備は1991年頃まで継続
- 末期車の車内設備は200系と同じものになっていた
- 車体形状も史実より現代的なものになっていた
- 末期車の車内設備は200系と同じものになっていた
- 6000系が車体を入れ替え6050系になることはなかった
- 9000系の登場は史実より早く1978年頃になっていた。
- 史実より大量に増備されたのは確実視される。
- 電機子チョッパ制御を採用するのは史実と同じ。
- 本線系統にも大量に増備されていた。
- 2000系が20m4ドアとなるため、2000系の置換用は9000系になっていた。
- 東上線系統には史実以上に大量に配備された。
- 開発独裁で開業した第3以降の路線系統にも大量配備された。
- 10000系の登場は史実より早く1981年頃になっていた。
- ステンレス製車体なのは史実と同じ。
- 界磁チョッパ制御なのも史実と同じ。
- 8000系の後継車なのも史実と同じ。
- 但し先ほどの記述を見ればわかるとおり、10000系の登場以降も8000系は長期間にわたり大量に継続増備された。
- 西武鉄道(西武)は以下のようになっていた。
- 路線網は開発独裁の洗礼を受け史実より遥かに広大になっていた。
- 企業の政治色の強さ(反共独裁政権とのパイプの強さ)に起因する。
- 車両形式の数も史実より増える。
- 特急レッドアロー号の登場は史実より早い
- 1964年頃に史実にない戦後新たに開業した路線から運行を開始した。
- 史実にある路線でも西武秩父線開業が史実より早いため、運行開始は史実より早まる。
- 路線網の拡大でレッドアローのネットワークは相当広大に
- 夜行特急ブルーアロー号の運行も開始している。
- こぶしがまさにそれ
- 路線網の拡大でブルーアローのネットワークは相当広大に
- 路線は以下のようになっていた。
- 池袋線系統のネットワークは史実より広大になっていた。
- 池袋線の準急が練馬に停車するようになるのは史実と同時期
- 池袋は快速は停車するが急行は通過するのは現在も史実と同じ
- 豊島線は池袋直通列車が主流になるのは史実と変わらず
- 池袋線の駅の数は史実よりやや増えていた
- 秋津~所沢に駅が2つほど開業していた
- 松井村駅が再開されていた
- 松井村駅は駅名を東所沢から松井に改めていた
- 上り屋敷、下原、黒須の3駅が廃止されることはなかった
- 西武市場駅も廃止にならなかったかも
- 秋津~所沢に駅が2つほど開業していた
- 再軍備による空軍の創設で空軍入間基地にアクセスする入間線が開業していた
- 武蔵藤沢~稲荷山公園の新駅から分岐
- 狭山線は史実とそう変わらず
- 単線なのは史実と同じ
- ユネスコ村が史実通り開業していた場合はユネスコ村駅が開業していた
- ユネスコ村駅は西武山口線である。
- 球団発足が史実より早まるため、狭山湖駅が西武球場前駅になるのも史実より早い
- 池袋線の準急が練馬に停車するようになるのは史実と同時期
- 新宿線系統のネットワークも史実より広大になっていた。
- 新宿線は史実以上に各駅停車主体のダイヤになっていた。
- 年代が進みネットワークが拡大するとともに各停偏重のダイヤは徐々に是正されていく。
- 拝島線の開業は史実より早い。
- 国分寺線は開発独裁の洗礼を受け横浜まで延伸されていた
- 新宿線の駅は史実以上に多かった
- 西鷺ノ宮と東小平の2駅は存続している。
- 高田馬場~田無の駅の数が史実よりかなり増えていた。
- 新宿線は史実以上に各駅停車主体のダイヤになっていた。
- 渋谷を起点とする渋谷線が開業し渋谷線系統を形成している
- 渋谷線は渋谷~自由が丘~新横浜~二俣川~海老名~松田~小田原~箱根湯本
- 企業グループとして夢であった東京~箱根の鉄道路線が開業
- 西武線の渋谷駅は渋谷の西武百貨店の地下にある
- 渋谷の西武百貨店は1963年頃までに開店していた。また同じ場所に渋谷プリンスホテルが開業していた。
- 渋谷松竹映画劇場の閉鎖解体は史実より早かった。
- 渋谷の西武百貨店は1963年頃までに開店していた。また同じ場所に渋谷プリンスホテルが開業していた。
- 渋谷線は渋谷~自由が丘~新横浜~二俣川~海老名~松田~小田原~箱根湯本
- 東京駅を起点とする東京線も開業している
- 東京線は東京~新橋~品川~川崎~横浜~大船~平塚~小田原~熱海~三島~沼津~静岡~島田~浜松~豊橋~新岡崎~岡崎中央~新安城~豊明~熱田~金山~名古屋
- 開業当初は品川が始発駅
- 新岡崎駅は西武百貨店に併設。岡崎中央駅は岡崎の中心街に位置。
- 東京線は東京~新橋~品川~川崎~横浜~大船~平塚~小田原~熱海~三島~沼津~静岡~島田~浜松~豊橋~新岡崎~岡崎中央~新安城~豊明~熱田~金山~名古屋
- 在京大手ではいち早く近畿圏に進出していた。
- 在京資本の大手私鉄で最初に関西に進出したのは西武鉄道だった。
- 西武鉄道の関西の路線は当初は関西法人の西武鉄道関西による運営だった。
- 西武鉄道関西の親会社は西武都市開発だった。
- 西武鉄道関西は数年で西武鉄道へ統合された。
- 西武鉄道の関西の路線は当初は関西法人の西武鉄道関西による運営だった。
- 在京資本の大手私鉄で最初に関西に進出したのは西武鉄道だった。
- 池袋線系統のネットワークは史実より広大になっていた。
- 車両は以下のようになっていた。
- 電車の車両形式は史実以上に多い。
- 気動車も所有している。
- 蒸気機関車が廃れるのは史実よりやや遅れた。
- 内燃機関車は史実よりかなり多く所有していた。
- 電気機関車の車両形式は史実より多い。
- 貨車のバリエーションが史実よりも随分と豊富に。
- 有蓋車の種類は史実よりかなり多い。
- 通風車の形式は史実より多い。
- 家畜車の形式も史実より多い。
- 豚積車や家禽車も大量に在籍している。
- タンク車の形式は史実以上に多い。
- 無蓋車の種類も史実よりかなり多い。
- 有蓋車の種類は史実よりかなり多い。
- 私鉄では荷物電車が多いので有名な鉄道会社の1つ。
- 軍事用車両も史実より相当多い。
- 所沢の陸軍工廠を譲り受け西武所沢車両工場にするのは史実と同じ。
- 戦争で被災し廃車となった国鉄の所謂「焼け電」を大量に譲受し、西武所沢車両工場で再生して走らせるのは史実と同じ。
- 西武所沢車両工場では軍事用車両も殊更大量に製造された。
- 311系の登場は史実と同じ。
- 311系の増備は史実より長期間継続された。
- 311系の増備は1967年頃まで継続。
- 371系の登場も史実と同じ。
- 371系は史実に存在しない路線に配備された編成の方が多い気がする。
- 401系の登場は史実と同じ。
- 501系の登場も史実と同じ。
- 501系の登場は史実と同時期。
- 501系の18m車が351系として独立するのは史実と同じ。
- 当初の501系に20m車と18m車があったのは史実と同じ。
- 501系が赤電を代表する存在になるのは同じ。
- 501系の増備は1972年頃まで継続。
- 451系が登場するのは史実と同じ。
- 初の両開き扉の車両になるのは同じである。
- 先に片開き扉が仕様の421系が登場していた。
- 路線網は開発独裁の洗礼を受け史実より遥かに広大になっていた。
- 東京急行電鉄(東急)は以下のようになっていた。
- こちらも路線網は開発独裁の洗礼を受け史実より遥かに広大になっていた。
- 西武と同じく企業の政治色の強さ(反共独裁政権とのパイプの強さ)に起因する。
- やはり車両形式の数も史実より増える。
- 日本初のステンレスカー導入も史実と同じ
- セミステンレスカーの導入も日本初なのは史実と変わらず
- 初のセミステンレスカーは史実と同じく5200系
- オールステンレスカーの導入も日本初なのは史実と変わらず
- 初のオールステンレスカーは史実と同じく7000系
- セミステンレスカーの導入も日本初なのは史実と変わらず
- 有料特急の運転は高度経済成長期の序盤前後には開始していた。
- 有料特急仕様の車両はアルミ合金製車体が続く
- 路線は以下のようになっていた
- 東横線は桜木町から南へ三浦半島方面へ延伸されていた。
- 三浦半島へのレジャー客向けにデラックス特急が運転された。
- 横浜~桜木町が廃止になるなんてあり得ない。
- 横浜高速鉄道みなとみらい21線との相互直通運転は行われていない。
- みなとみらい21線は当初の予定通り国鉄横浜線と相互直通運転を行っていた。
- 東横線は渋谷から新宿へ延伸された。
- 田園都市線の開業は史実より数年早まった
- 新玉川線も史実通り開業するが、史実より早く昭和後期には田園都市線に編入される。また新玉川線の開業も史実より早い。
- 玉川電気鉄道のネットワークは史実より広大になるが、廃止はどちらにせよ不可避。但し全廃は史実より遅れる。
- 世田谷線は史実と同じく現在も残存。
- 田園都市線は中央林間より西へ小田原まで延伸された。
- 大井町線の高規格化は史実より早かった。
- 急行運転の開始も昭和の間に開始された。
- 目蒲線の運用形態はほぼ同じだが、形態の再編は史実より早かった。
- 目黒線と多摩川線への再編は1980年頃に行われていた。
- 目黒線が地下鉄南北線と公営地下鉄三田線(史実:都営地下鉄三田線)に直通するのは同じ。
- 目黒線では急行運転も1985年頃から開始されている。
- 多摩川線は「東急多摩川線」ではなく「多摩川線」が正式名称だった。
- 多摩川線は羽田空港まで延伸されている。
- 東横線は桜木町から南へ三浦半島方面へ延伸されていた。
- 車両は以下のようになっていた
- 3000系が大量に増備されるのは史実と同じである。
- 路線網の拡大で3000系は史実以上の数が増備され、バリエーションももっと豊富になっていた。
- 普通鋼製車体なのは同じ。
- 5000系の登場は史実と同時期。
- 初の新性能電車なのは同じである。
- 路線網の拡大で史実を遥かに上回る数が増備された。
- 戦後開発独裁初期の東急のフラッグシップ的な存在になっていた。
- 車体は史実と同じ。緑色の塗装とこれらが故の「青ガエル」の愛称も同じである。
- 5200系が登場する時期も同じ。
- 日本最初のステンレスカーなのは同じ。
- セミステンレス製なのに変わりはない。
- アルミ合金製のグループも少数ながら存在。
- 日本最初のステンレスカーなのは同じ。
- 6000系は普通鋼製になり、史実の6000系は6200系を襲名していた。
- 6000系は1959年頃に登場していた。6200系は1961年頃に登場していた。
- 回生制動は6000系には装備されず、6200系で初めて装備されていた。
- 6200系はセミステンレス製が基本ではあるが、アルミ合金製も存在する。
- 6000系も6200系も初期型・前期型は片開き扉で、両開き扉の採用は中期型以降になった。
- 6000系は1959年頃に登場していた。6200系は1961年頃に登場していた。
- 3000系が大量に増備されるのは史実と同じである。
- こちらも路線網は開発独裁の洗礼を受け史実より遥かに広大になっていた。
- 小田急電鉄(小田急)は以下のようになっていた。
- 帝国復古以降に相鉄とともに東急に再合流していた可能性もある。
- 富士急行を買収していた場合は東急との再合流構想は頓挫した。
- 五島慶太の死去で頓挫した可能性が高い。
- 先述した通り富士急行を買収。そして富士急線を新宿まで伸ばしていたかも。
- この場合は経営の主導権は富士急の堀内家が掌握していた。
- 小田急線は以下の通りになっていた。
- 小田原線が本線になるのは変わらず。
- 急行が新松田~小田原が各停になることはなかった。
- 国鉄御殿場線への直通運転は史実と変わらず。
- 後述する通り、年数が経過し、自社線で御殿場と沼津に乗り入れたことで国鉄御殿場線への直通運転は解消。
- 富士急行を買収していた場合は、富士山線として新宿まで延伸されていた。
- 第二小田原線がバイパスとし開業していた。
- 小田原ではなく御殿場を経由し沼津まで延伸されていた。
- 沼津延伸で小田急の国鉄御殿場線への直通は解消。
- 小田原線が本線になるのは変わらず。
- 小田急ロマンスカーは以下のようになっていた。
- 戦前の週末温泉急行の復活が小田急ロマンスカーのルーツなのは史実と変わらず。
- 週末温泉急行が週末温泉特急に格上げされるのは史実と変わらず。
- 1600形の登場は史実と同時期。
- 増備は帝国復古と同時期まで継続。
- 1700形の増備は1954年頃まで継続。
- 特急ロマンスカーの有料化は史実と同時期。
- 1910形の登場と2000形への番号改正は同じ。
- 増備は1958年頃まで継続。
- 2300形の登場は史実より1年早い。
- 1961年頃まで増備を継続。
- 1970年頃まで特急ロマンスカーに。
- 帝国復古以降に相鉄とともに東急に再合流していた可能性もある。