もしあのお笑い芸人が○○だったら
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全般
M-1グランプリが漫才ブームの頃から行われていたら
- 第1回はB&Bかツービート、紳竜辺りが獲得していた。
- 下記の「お笑いスタ誕」や「テレビ演芸」で審査員をやった人間が来るとどうなることやら
- 話芸中心の「漫才師」の地位が向上していた。
- 今のようにリアクション芸と掛け持ちするような人はほとんどいない。
- 「お笑いスタ誕」や「テレビ演芸」など関東で発信される若手の登竜門番組が生まれなかった
- ただM-1グランプリ成功の流れで2番煎じで番組誕生という形もありうる
- 90年代はナインティナインや爆笑問題が獲得していた。
- 中川家は90年代後半にもう優勝していたかもしれない。
- 当初は「東西漫才名人決定大会」という名で行われていただろう。
- いつの間にか「漫才グランプリ」やらへと名を変貌。
- それこそ「THE MANZAI」じゃないかと。
- それでも漫才ブームの終息と同時に休止、その後2001年にに「二代目」の「M-1グランプリ」が行われるようになる。あとは史実通りか。
1980年代の漫才ブームがなかったら
- もみじ饅頭は広島みやげの定番になっていなかった。
- 「笑ってる場合ですよ!」も存在せず、当然後続の「笑っていいとも!」もなかった。
- 「オレたちひょうきん族」もなかったので、日本のお笑い界は随分つまらない物になっていた。
- 島田紳助は最後まで松本竜介とコンビを組んでいたが、知名度は関西限定だった。
- ツービートは味のある超ベテランコンビとして地味に人気者である。
- たけし軍団もなかったので、東国原英夫は宮崎県議会議員を経て知事になった。
- 明石家さんまは売れない落語家として終わる。
- タージンのポジション→森脇健児のように東京進出→失敗・タージンのポジションかな
- 「8時だよ!全員集合!!」がメンバーの体力が続く限り存続する。
- または、いかりや長介逝去までだな。
- 「佐賀のがばいばあちゃん」も世に出なかった。
- 「M-1グランプリ」も行われなかった。
- 田園調布に家が建たない
- 漫才師の活躍の場はそれまで通り寄席中心。
- お笑いスクールは作られず、みな弟子入りしていた。
- 三遊亭小遊三は真打昇進を果たせなかった。
- さすがに↑はないとは思われるが、落語芸術協会
拭く副会長になれたかは疑問。
- さすがに↑はないとは思われるが、落語芸術協会
- フジテレビ系CS局のフジテレビ721・739の開局が無いか、チャンネルが1つしか無かった。
- 吉本興業は関西ローカルの芸能事務所のまま。
- 在阪民放テレビ局の株主になる事は有るかもしれないが、在京民放テレビ局の株主になる事は無かった。(実史は在阪・在京民放テレビ局の株主に連なり、その中でも、「フジメディアホールディングス(旧フジテレビジョン)」の出資比率が最も高い。)
- 漫才師がオリジナル曲をレコード・CDで発売することは史実ほど一般化しなかった。
人物別
あか行
雨上がり決死隊
- 宮迫博之が警察官採用試験に合格していたら
- 相方の蛍原徹は、ピンで活躍か、別のメンバーと違うグループ名で活動。
- 又は、蛍原自体も、吉本に入っていないか?
- かつての相方「こらあげんはいごうまん」とのコンビで普通にそこそこ売れていた
- 同じ吉本所属の先輩格である「リットン調査団」「Mrオクレ」「村上ショージ」位のランクで…
- 蛍原本人は北海道好きなので、よしもとクリエイティブ・エージェンシー札幌支社に所属することがある。
- テレビ朝日で木曜深夜に放送の「アメトーーーーーー-ク」は当然放送が無い。
- 土田、ケンコバ、サバンナ高橋、有吉、ねづっちのブレイクもなし。オードリー若林も史実とは違うキャラになっていた。
- ホテルアイビスの知名度も皆無。単に「芸能人がよく泊まっているホテル」という印象しかなかった。
- 『アメトーク』が無いので、アメトークで放送される「○○芸人」も当然無く、これに出演するお笑い芸人の知名度も余り上がらなかった人がいたかも。
- あるいは別の司会者で似たような番組をやっていたか?
- 土田、ケンコバ、サバンナ高橋、有吉、ねづっちのブレイクもなし。オードリー若林も史実とは違うキャラになっていた。
- TBSテレビで火曜夜に放送の「リンカーン」も別のお笑い芸人が出演。
- いわゆる「恐妻家タレント」がひとり減ることに。
- もし何かあって芸能界入りするとしたら宮川大助・花子(花子は元警官)に弟子入りしていただろう。
- 2010年にフジテレビで放送されたドラマ「絶対零度 ~未解決事件特命捜査~」で演じた役を、職業として就いていた可能性があった。
- (実史で)2012年12月のガン手術は、一部の警察関係者と身内しか知らない。
- もし、ガンの手術後に職務復帰できなかったら、実家のたこ焼き屋を引き継いだか?
- 当然ながら、「アフラック」のCMに出る事も無かった。
- 不倫騒動も表ざたにはならなかったかも知れない。
- 不倫で処分されたかもしれない(警察官の不倫は時に処分対象になりうる)。
- 大阪府警の取り調べで恫喝事件を起こしていたかも。
- または、容疑者に自白を強要して、処分されたかも。
- 蛍原は関西弁ではなく、北海道方言で話す。
- 東京吉本から札幌吉本に移籍していたかも。
- 遠藤憲一がネット上でエア迫と呼ばれ動画等のネタにされる事も無かった。
アンジャッシュ
- 児嶋一哉がジャニーズ入りしていたら
- アンジャッシュの児嶋は2018年6月11日放送の『スッキリ』(日テレ)「クイズッス」で、「15才(中学3年)の時にジャニーズ事務所に写真を2回送ったが、結局(選考に)落ちた」と言ってました。もし、この時、選考に受かり、ジャニーズ事務所に入っていたら?
- 当然、相方の渡部は別の人とコンビを組んでいたか?
- 「アンジャッシュ」というコンビ名でなかったかも。
- そもそも渡部は児嶋に誘われて芸能界入りした経緯があるので、児嶋がジャニーズに入ってたら一般人として生活していた可能性がある。
- 渡部と佐々木希との結婚も実史とは違う展開(結婚してないか「一般人男性」との扱い)になっていた。
- 「アンジャッシュ」というコンビ名でなかったかも。
- ジャニーズに入った児嶋は、TOKIOに入っていたりして。(年齢的に実在のTOKIOメンバーの年齢にほぼ近い為。)
- SMAPかもしれないな。
- 当然、お笑い番組やバラエティー番組で、「アンジャッシュの渡部じゃない方」や「○(児ではない)嶋さん」と言われる事もなかった。
- 2018年ドラフト3位で千葉ロッテに入団した小島(おじま)和也選手がキャンプ取材で、「おじまだよ!」と言うネタも無かった。
- 史実で出演している『われポン』(フジテレビONE)に、事実上のレギュラー扱いでなく、いわゆるイケメン枠扱いで、出ていた。
ANZEN漫才
- みやぞんが甲子園に出場していてスカウトを受けプロ野球選手だったら
- それはそれで持ち前のキャラで人気選手となっていたかも。
伊集院光
- 現在でも落語家だったら
伊集院光は当初、三遊亭円楽一門で三遊亭楽大という芸名だった。
- 笑点の大喜利のメンバーになっていた。
- 春風亭昇太と林家たい平の二人と同時期に加入していた。
- この場合、圓楽勇退・歌丸司会就任に加えて木久蔵引退ということになっていたかも。あるいは昇太の代わりにメンバー入りし現在司会という可能性も。
- 春風亭昇太と林家たい平の二人と同時期に加入していた。
- もちろん落語家仲間で草野球チームを結成していた。
- 若手大喜利でライバルだった桂竹丸と『ゲーム王国』で共演していたかもしれない。
- 現・楽大は違う芸名だった。
- ポアロは結成されなかった。
オードリー
- ボケとツッコミが逆転しなかったら
結成当初は若林がボケ、春日がツッコミを担当していた。
- 今でも主にコントをやっていた。
- M-1ではなくキングオブコントに出場していた。
- 「ズレ漫才」は存在しなかった。
- 春日の影が薄くなっていた。
- アメトーークのじゃない方芸人に出ていたのは春日の方。
- 春日がテクノカットになることはなく、衣装もアレではなかった。
- 春日のツッコミ間違いが史実ほど酷くなければこうなっていた。
オリエンタルラジオ
- 中田敦彦が赤坂御用地不時着事件で謹慎処分を受けていたら
赤坂御用地不時着事件についてはこちらを参照。
- オリエンタルラジオは、この事件の責任をとるかたちで高校生クイズのメインパーソナリティーを降板していた。
- タカアンドトシあたりが彼らの代役を務めていただろう。
- 場合によっては番組自体放送中止、当時視聴率がどん底だったため最悪打ち切りも考えられた。
- オリエンタルラジオの仕事が現実より減ってたかも。
- 「笑っていいとも」レギュラー登板が史実(2006年10月)より遅れていた。
- その分、タカアンドトシのいいともレギュラー登板が早まっていた(史実では2007年10月から)。
- それかココリコがもう少し続投していた(史実では2006年9月卒業)。
- 仕事どころか国内の情勢が荒れている国だったらその場で銃撃されていた。
- 「笑っていいとも」レギュラー登板が史実(2006年10月)より遅れていた。
- 最悪の場合、山本圭一(元・極楽とんぼ)みたく解雇されてたかも。
- その場合、相方の藤森慎吾は(山本圭一の相方だった)加藤浩次みたく単独での仕事を余儀なくされていた。
- それか別の相方で組み直して再出発していた。
- ひょっとして、前述の加藤浩次とコンビを組んでたかも・・・。
- 実史より早くチャラ男キャラとして路線転換していた。
- それか別の相方で組み直して再出発していた。
- 朝ズバッ!の「一面ざっと見」でみのもんたに「こんな奴、解雇で当然!二度と芸能界の敷居を跨いでくるな!!」と罵倒されていた可能性大。
- その可能性はありえたかも・・・。
- しかしその場合、みのもんたの次男が窃盗で逮捕された際、みの本人へのバッシングはさらに激しいものになり、朝ズバッ!だけでなくケンミンショーも降板した可能性アリ。
- その場合、相方の藤森慎吾は(山本圭一の相方だった)加藤浩次みたく単独での仕事を余儀なくされていた。
- 福田萌とは結婚していなかったかもしれない。
- あるいは相方の藤森と結婚することになる。
- 中田本人は田中みな実と結婚するか一般人女性と結婚することになる。
- あるいは相方の藤森と結婚することになる。
- 実弟、FISHBOYはブレイクしなかった。
くりぃむしちゅー
- コンビ名を海砂利水魚に戻していたら
改名のきっかけは当時出演していた番組におけるさまぁ〜ず(旧:バカルディ)との「改名対決」によるものですが、上田晋也が「くりぃむしちゅー」という名前を好んでいなかったことや、その番組のMCである内村光良がコンビ名を変えてしまったことに対して責任の重さを感じてしまい、元の名前に戻すことが検討されていました。もしこのとき「海砂利水魚」に戻していたら?
- 当然のことながら、その後二人の冠番組につけられた「くりぃむ」は全て「海砂利」になっていた。
- 果たして現実のような地位を確立できていただろうか……。
- その後改名のきっかけを作ったさまぁ〜ずの方もバカルディに改名していたかもしれない。
極楽とんぼ
- 山本圭壱が太らなかったら
昔の山本圭壱は痩せていて、イケメンでした。もし、太らなかったら?
- 史実より早くドラマに出ていた。
- 相方の加藤がシリアス路線に走ることもなかったか。
さ行
ザ・プラン9
- 浅越ゴエがアナウンサー採用試験に合格していたら
- 当然、本名の浅越浩志名義で活動している。
- ザ・プラン9は4人組だった。
- 史実通り鈴木つかさとなだぎ武が脱退していた場合、コンビになっていた。
- 「しっくりこないニュース」のネタは存在しない。
- 報道番組で実際にニュースを読んでいた。
- (実際に採用試験を受けていた)毎日放送に入社していた場合、この番組で何らかのコーナーを任されていた。
- 2019年現在、この番組でメインキャスターを務めていた。
- ytv『かんさい情報ネットten.』の木曜日コーナー「アナタの味方!お役に立ちます!」も存在しなかった。
- 2004年のR-1ぐらんぷりでは誰が優勝していたのだろうか?
猿岩石
- ユーラシア大陸横断ヒッチハイクの選考から落選していたら
- その後のブレイクも無いので早々と解散、森脇は舞台俳優へ進んでいた
- 或いは現在まで解散せずエンタの神様でブレイクしていた
- やっていたのがあの芸人だったら
- バナナマン
- バナナマンは実史よりも早いブレイクを果たす
- 下記のウリナリ解散総選挙でもどちらかが当選していた
- 日村が旅の途中で激ヤセ体系に・・・は無理かな
- 劇団ひとり
- さすがにピンは厳しいのでもう一人適当な人が連れてかれた
- 当時はスープレックスというお笑いコンビを組んでいたので相方と一緒に行っていただろう。
- TKO
- 後にこの時代の木下と現在の木下を比べてネタにされていた
- ウリナリ解散総選挙で当選していたら
+有吉のみ当選していたら
- 少なくとも有吉の人気は数年もったはず・・・
- コンビ解散が早まっていた
三中元克
- 『めちゃ×2イケてるッ!』の再オーディション企画で合格していたら
史実ではデータ放送による視聴者投票の結果、不合格に終わり『めちゃイケ』を降板することとなりましたが、仮に合格して『めちゃイケ』降板が回避されていたら?
- 臼杵寛とのコンビ『サンプライズ(現・dボタン)』の人気がもう少し上がっていた。
- その臼杵も、『めちゃイケ』レギュラーに抜擢されていた。
- サンプライズ→dボタンとしても、何本か(『めちゃイケ』以外の)レギュラー番組を持っていただろう。
- それでも、臼杵とのコンビ解消→ピン転向(厳密には再転向)は史実通り?
- gooランキング「売れっ子だけど実力が伴ってないな~と思われている芸能人」で上位にランクイン。
- 『めちゃイケ』終了決定時に、三中が『6年もいたんですよ』発言をすることはなかった。
- とにかく明るい安村に『自分が悪いんじゃない?』と言われることもなかった。
サンドウィッチマン
- 伊達みきおが会社員を続けていたら
2018年8月26日に放送された日本テレビ「24時間テレビ」で、「高校卒業後にコンビを組むために、富澤が伊達に声かけするも約3年間は断られ、3年経ってから富澤の熱意に折れ、コンビを組む事になった。」と言ってました。もし、伊達がコンビを組む事を拒否し、そのまま会社員を続けていたら?
- 伊達はそのまま生命保険会社に勤め続け、うまくいけば、今頃管理職あたりに昇進か…。
- 富澤は、別の人とコンビを結成か、ピンでお笑い芸人となっていた。
- 最悪、バイト生活を送っていた可能性もあった。
- 伊達みきおが警察官になっていたら
2020年5月23日放送のテレ朝『バスサンドの旅』の中で、伊達みきおが『宮城県警の採用試験に2度落ちた』と言ってました。もし、伊達が宮城県警の採用試験に合格していたら?
- ↑にある『伊達が会社員を続けていたら』の2番目にある事が現実になっていたかもしれない。
- 当然、伊達が保険会社に入社する事は無かった。
- 2011年3月11日に発生した『東日本大震災』に、別の形で関わっていた。
- もしかしたら、東日本大震災で犠牲になった可能性も。(実史でも、多くの警察官が犠牲になった。)
- 解散していたら
また、上にある「24時間テレビ」では、「なかなか仕事が入らず、コンビ結成7年目で、伊達からコンビ解散の提案があったが、コンビ結成の誘いをした富澤が責任を感じ、頑張る事を決意。」。その後、2007年の「M-1グランプリ」で王者になるなど、以後の活躍はご存じの通りです。もし、この時、富澤が伊達の提案を受け入れ、コンビを解散していたら?
- 伊達はおそらく元の職種に戻り再就職か…。
- 富澤はしばらくバイト生活していたかも。
- 2007年の「M-1グランプリ」王者は誰になっていたかな?
- 2013年3月7日正午から運用開始した「新津波警報」の啓発ポスターに起用される事もなかった。
次長課長
- 次長課長社長時代に山下正人が脱退しなかったら
次長課長はもともとは次長課長社長として活動し、社長こと山下正人を含めた3人組でしたが、後に山下が脱退して次長課長に改名し、現在に至っています。もし、社長こと山下正人が脱退していなかったら?
- 河本の母親が生活保護を不正受給することもなかったかも。
- 財力のある山下の存在でそれすらなかった。
- ケンミンショーではレギュラー出演していなかったかも。
- コント赤信号同様に、何らかのMCで活躍していたかも。
- 次長課長への改名は当然なかった。
- 山下は理容室を運営していなかった。
- 山下のポジションは社長なので河本が次長、井上が課長というポジションだった。
- なお、現在の次長課長には明確なポジションはない。
- 河本と井上はルックスで対比されていたので山下はフツメンだった。
志村けん
- ザ・ドリフターズ以外に弟子入りしていたら
志村けんはザ・ドリフターズの付き人を経てメンバーに加入し現在に至ってますが、当初由利徹の弟子入りを考え、その後ドリフかコント55号のどっちにするか迷ってました。もし、ドリフでなく別の芸人に弟子入りしていたら?
- マックボンボンは結成されなかった。
- ドリフには井山淳(史実ではマックボンボンでの志村の相方)が加入していた。もちろん井山次第でドリフの運命は変わっていた。
- 師匠があの芸人だったら
- 由利徹
- 芸名は「東村山一郎」とかになっていた。
- 年を取って髪が薄くなったら植毛にしていた。
- コント55号
- 芸名は本名を通していただろう。
- 「欽ドン!」や「欽どこ」などに出演していた。
スピードワゴン
- 吉本興業を辞めなかったら
- M2カンパニーがホリプロコムにならなかったかも?
- 名古屋吉本の地位がもっと上がっていた
た行
太平サブロー・シロー
- 松竹芸能から吉本興業への移籍がなかったら
『ヤングおー!おー!』に出演したいために吉本興業へ移籍しようとしていましたが、そんなことを考えずに松竹芸能に留まっていたとしたら?
- 師匠であるレツゴー三匹が一芝居打つ必要はなかった。
- 今日では「吉本のオール阪神・巨人、松竹の太平サブロー・シロー」と言う具合のポジションで仕事をしていた。
- 吉本興業から独立しなかったら
大阪の仕事に増して東京での活動を希望、実際独立し結局テレビから徐々に干され、コンビ解消の遠因となりましたが、我慢して大阪で仕事を続けていたら?
- 今日では「漫才ならオール阪神巨人か、太平サブロー・シローか」と言う具合のポジションで仕事をしていた。
- どちらかはM-1グランプリの審査員を務めていた。
- コンビを解消していなかったら
干されても仲違いすることなく、コンビを継続していたら?
- 史実でサブローが吉本幹部に許しを乞うた時に、シローも一緒に伺い吉本復帰
- 吉本復帰が叶わない場合でも、松竹芸能は所属芸人にすることはない。
ダウンタウン
- 浜田雅功が競艇のテストで合格していたら
- 松本人志もお笑いに行かず、そのまま就職していた(浜田に誘われたのがきっかけだった)。
- 『タウンワーク』(就職情報誌)に、違う形で出ていたかもしれない。
- 紳助・竜介は史実より長く活動していた(ダウンタウンを目の当たりにして解散を決めた)。
- NSC第1期生で一番の成功者はトミーズ?
- 小川菜摘も別の男性と結婚していた。ハマ・オカモトももちろんいない。
- 当然、「ダウンタウン」のものまねユニット「ダウソタウソ」も結成されない。
- 当然、「HAMADA jungle with T」として、レコードデビューする事も無い。
- 競艇選手の副業としてレコードデビューしていたかもしれない。
- 『ダウンタウン』が結成されてないので、「ダウンタウン」が出演する番組も当然無く、日テレ「笑ってはいけないシリーズ」も放送されないので、大晦日は(視聴率が下がったとはいえ)NHK「紅白歌合戦」の一人勝ちの状態が今も続いていた。(現実は、視聴率で「紅白」に及ばないものの、「笑ってはいけないシリーズ」が、民放で一番高い視聴率を取っている。)
- 日テレ系年越特番は、今も「ぐるナイ」をベースとした番組になっている。
- 当然、年越カウントダウンも行う。(実史上の「笑ってはいけないシリーズ」では、年越カウントダウンは無い。)
- おもしろ荘も31日中に放送されていた。
- 木曜22時の日テレ系は、ドラマを放送?(実史上は、「ダウンタウンDX」を放送。かつては、「木曜ゴールデンドラマ」を放送していた。)
- 日テレ系年越特番は、今も「ぐるナイ」をベースとした番組になっている。
- 漫才同様に若手の頃から競艇で活躍していた場合「水の上では先輩も後輩もない」のCMに浜田が出演していた。(史実では服部幸男)
たけし軍団
- 東国原英夫が政治家にならなかったら
- 今でも、そのまんま東のままだった。
- ゾマホン・ルフィンが「二代目そのまんま東」を襲名することはなかった。
- かとうかず子と離婚することはなかった。
- 「宮崎をどげんかせんといかん」が流行語大賞に選ばれることはなかった。
- ホリエモンや上西小百合と衝突することはなかった。
- 井出らっきょが日本ハム・ファイターズに入団したら
「ビートたけしのスポーツ大将」でたけし軍団全員が日本ハム・ファイターズの入団テストにチャレンジするという企画をやったら、井出らっきょが合格しましたが、年齢制限に引っかかってしまったので不採用になってしまいました。もし、井出らっきょが年齢制限に引っかからず、日本ハム・ファイターズに入団することができたら?
- 裸芸は日本ハム・ファイターズをやめた後にやっていた。
- 森本稀哲の影が若干薄くなっていただろう。
- 引退時期によれば井出竜也の入団で、ダブル"いで"(らっきょの方は本当は井手なので)で話題に。
- 石橋貴明がたけし軍団に入ったら
草野球チームを作ったビートたけしは帝京高校野球部出身である石橋貴明を呼んだことがありましたが、自分の立場がなくなることを恐れた東国原英夫がビートたけしに「石橋は忙しい。」とウソをついて、代わりにほかの先輩芸人を呼んだことが原因で石橋は呼ばれなくなりました。もし、東国原がウソをつかず、ビートたけしに呼ばれた石橋が草野球で活躍し、たけし軍団に入っていたら?
- 石橋貴明が小学生の時、野球をやっていた木梨憲武をビートたけしに紹介したかもしれない。
- とんねるずが史実より売れることはなかった。
ダチョウ倶楽部
- 南部虎弾がグループを脱退していなかったら
- 電撃ネットワークは結成されていなかった。
- ダチョウ倶楽部がパフォーマンス集団として怪我をするほどに身体を張った芸で世界進出していた。
- 「聞いてないよォ」、「ヤー!!」などのギャグは誕生していない。
- 1994年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンで走っていない。
- 志村けんのバカ殿様の側用人のレギュラーになっていない。
- そもそも志村けんと関係を持つこともなかった。
- 肥後克広はリーダーになっていなかった。
- ものまねに力を入れることもなかった。
東京ダイナマイト
- オフィス北野を退社していなかったら
- 『ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV』、『ビートたけしのいかがなもの会』などにレギュラー出演。
- 漫才協会に入会している。
- 浅草キッドや高田文夫と関わりのある春風亭昇太の推薦で落語芸術協会にも所属しているかも。
とんねるず
- コンビ名が「とんまとのろま」だったら
石橋貴明と木梨憲武は最初、「貴明アンド憲武」というコンビ名で活動していましたが、東京・赤坂のレストランシアター「コルドンブルー」で日本テレビの大プロデューサーである井原高忠に「『貴明アンド憲武』、覚えづらいざんすね。T(貴明)とN(憲武)だから、『とんまとのろま』、『とんねるず』。どっちがいいざんす?」と言われた石橋と木梨は「とんねるず」を選びました。もし、石橋と木梨が「とんまとのろま」を選んでいたら?
- コンビ名が原因で史実より目立った活動が出来なかったはず。
- 木梨憲武が野球を続けていたら
子供の時、野球が好きだった木梨憲武は小学校に入った後も野球をやっていましたが、バッティング力が無かったので試合ではレギュラーとして参加できませんでした。そして、小学6年生になろうとした時、少年東京サッカースクールに入っていた友人に誘われたことがきっかけで野球をやめて、サッカーをやることになりました。もし、木梨が友人の誘いを断って野球を続けていたら。
- 石橋貴明と一緒に帝京高校野球部に入っていた。
- 日テレの「生ダラ」でPK対決をやることは無かった。
な行
ナインティナイン
- 岡村隆史が草野球チームを続けていたら
昔、突然、野球にハマりだした岡村隆史が草野球チーム「チームLeeLeeLee」を結成し、ヤクルトの宮本慎也が監督をしましたが、長続きせず自然消滅してしまいました。もし、岡村隆史が草野球チームを続けていたら?
- ヤクルトの試合を盛り上げるためにいろいろ、努力をしていた。
- 次々とヤクルトの選手をメンバーに入れていた。
- 『ビートたけしのスポーツ大将』(復活特番及び第3期)で、どこかのチームと対戦している。
- または、『めちゃイケ』でめちゃイケメンバーとスワローズ選手(OB含む)との対戦をやってたかもしれない。
南海キャンディーズ
- 山里亮太が相方に厳しい指導をしなかったら
山里亮太は南海キャンディーズをやる前に侍パンチ、足軽エンペラーという漫才コンビをやっていましたが、山里亮太の厳しい指導に相方が耐えられなかったことが原因で解散しました。もし、山里亮太が相方に厳しい指導をしなかったら?
- 山里亮太が叩かれる原因が一つ減った。
- しずちゃんとギクシャクすることなんてなかった。
- 仲が悪いコンビとして名を馳せることもなかった。
西川きよし
- 自動車修理工場で火傷を負わなかったら
西川きよしは中学卒業後、自動車修理工場に就職しましたが、事故で火傷を負ったため退社、その際に先輩の勧めでお笑いの道を選びました。もし、この時に火傷を負わず修理工を続けていたら?
- やすしきよしはもちろん結成されず、横山やすしの人生も大きく変わっていた。
- 漫才ブームも起こらなかったかもしれない。
- ヘレン杉本とは結婚せず、忠志、弘志、かの子も生まれなかった。
- かの子が出演していた「ジャパン・オーサカ・馬場町・近所」の番組に、誰が出演していただろう?
- 選挙にも出馬しなかった。
- 後に父と同じタクシードライバーに転じていたかも。
にゃんこスター
- 破局したら
- 破局しても、コンビを続けているはず。
- 番組でアンゴラ村長がスーパー3助の不満を言いまくるはず。
ネプチューン
- クイズを得意としていたら
- ネプリーグは無問題。
- とりあえず海外でも芸能界クイズ代表決定戦が行われる。
- 他のクイズ番組にも出ていたかもしれない。
- そもそも、ネプリーグのクイズが高難易度だったかもしれない。
- ときどきクイズ番組でお助けマンとして出てくる。
- しゃべくりで毎週ゲストにクイズを出す。そしてネプチューンと正誤数を競う。
- (2015年現在)テレビ朝日の水曜日の19時・20時台で、(月曜日と同じような)コラボがあるかも。
は行
爆笑問題
- 結成されなかったら
- 爆笑問題の田中裕二と太田光は、日本大学文学部の入学試験会場で、たまたま一緒になり、無事大学に合格して、コンビとして活動を始めました。もし、この時にお笑いの道に進まなかったら?
- 田中は、アナウンサーの道に進んでいたかも。
- 太田は、どの道に進んでいたかな?
- 母親の影響で舞台俳優に進んでいたかも。
- ニッポン放送の『ビートたけしのオールナイトニッポン』で、太田の言動でたけしファンやリスナー及びニッポン放送を怒らせる事が無かった。
- 独立時に消えていたら
- 田中と太田は、1990年に所属していた事務所を辞め、独立しましたが、これにより、これまであった仕事が無くなり、1993年、NHKのプロデューサーに見出される迄の3年間、田中と後に太田の妻となる光代の2人がミニストップでバイトをして、生活を凌いだそうです。もし、この時に「爆笑問題」が解散(消えて)いたら?
- 田中は、阿佐ヶ谷のミニストップで店長を長く勤めていたか?
- 太田は光代と結婚する事が無かったか、実史とは違う展開になっていたかも。
- 当然ながら、実史で後に担当した番組での太田の過激発言も無かった。
- 同じく、田中も、TBSテレビ系「S☆1」のMCになっていない。
- 爆笑問題がMCを務める『サンデージャポン』も、別のMCになっていたか、放送自体無かったかもしれない。
バナナマン
- ボキャブラ天国に出演していたら
- 90年代中盤にブレイクできたが、以後は他の芸人同様、埋没してしまう。
- ただ、「キング・オブ・コント」では第2回以降も登場していた。もしかしたら優勝して再ブレイクしていたかもしれない。
- 『内村プロデュース』や『ゴットタン』に出演することはなかった。
- 日村の貴乃花のものまねも日の目を見ることはなかった。
- 設楽が『ノンストップ』の司会にならず、出演時間最長芸人になることはなかった。
- 日村が『いいとも!』の曜日レギュラーになる事も、設楽が『すき家』のCMに出る事も、それぞれ無かった。
はなわ
- 弟ナイツ塙とコンビを組んでいたら
- 「佐賀県」という曲はなかった。
- 「伝説の男~ビバ・ガッツ~」という曲もない。
- 佐賀県は実史以上に「地味~」なイメージになっていたかな…?
- ↑なら、『「吉野ヶ里遺跡」は長崎県にある。』と勘違いする人がいるかな?
- 塙は創価大学の落語研究会に入会はない。
- 土屋伸之は別の人とコンビを組んでいた。
- 土屋はそもそもお笑い芸人を目指さず、公認会計士を目指していた。
- 土屋伸之は別の人とコンビを組んでいた。
- 「ヤホー漫才」は存在していない。
- アメトーーク!で「兄弟でコンビ組んでる芸人」に出演している。
- このコンビ名が「はなわ」になっている。
ブルゾンちえみ
- 学校の教師になっていたら
2016年に芸能界入りしたブルゾンちえみ、当初はネタの原稿書きがうまくできず、芸能界から身を引き、地元岡山で教師になる事を考えたそうです。ところが、2017年正月に出演したナインティナインの正月特番に出た事がきっかけでブレイクし、同年には24時間テレビのマラソンランナーを務めるなど、以降の活躍はご存知の通りです。もし、この時にブレイクしなかった、またはこの特番に出演せず、芸能界を去り、地元で教師になっていたら?
- 恐らく、中学校か高校で体育の教師になっていたかも。
- ブルゾン本人は学生時代に陸上をやっていた。
- 体育ではなく、国語など大学でいうところの文系の科目を教えていたかもしれない。
- 『withB』は、別のユニット名で芸能活動をやっていたか、ピンで活動していたかも。
- 「ブリリアン」というコンビ名は史実通りだったかも。
- オースティン・マホーンの「ダーティーワーク」が配信チャートを上昇することもなく、知名度も低かった。
- 2018年6月21日の『ぐるぐるナインティナイン』「ゴチになります」で、アンパンマンとばいきんまんのコラボレーションなど有り得なかった。
ま〜行
横山やすし
- 吉本興業を解雇されなかったら
- (解雇されなかったということで)やすしが芸能界から締め出されることはなかった。
- 芸人としての評価も史実より若干マシなレベルになっていた。
- 西川きよしとの漫才も続けていた。
- ただし、漫才の仕事はピーク時より減っていただろう。
- 当然のことながら、『MAGMA30・二府四県対抗なんでもコンテスト』がコンビ最後のテレビ出演になることはなかった。
- やすしは(プラスな意味で)『最後の破滅型天才芸人』と呼ばれていた。
- 仮に「このまま飲み続けたらあと10年で死にますよ」と医師に宣告された時点で禁酒していれば、やすしはもう少し長生きできていただろう。
- 講演会などで『禁酒は長生きへの第一歩』と唱えていたに違いない。
- 死んだ時のスポーツ紙の一面がやっさんしんじゃったにならなかったかもしれない。
- 普通に『横山やすしさん死去』という見出しになっていただろう。
- 新間正次と漫才をすることもなかったし、選挙出馬もない。
渡辺直美
- 高校に合格していたら
高校受験で3つの高校を受けて、全部落ちてしまった渡辺直美は高校に進学するのを諦めてしまいました。 もし、高校に合格していたら?
- 中学を卒業した後、3年間、夢庵でアルバイトをすることはなかった。
- フジテレビ「笑っていいとも!」の曜日レギュラーになる事はあっても、その前のいいとも少女隊に入る事は無かったか。