トーク:国鉄115系電車
ナビゲーションに移動
検索に移動
画像について[編集 | ソースを編集]
- 画像が少し多くなってきた思うのでギャラリー化しても良いですか?コメントがあるので慎重には行いたいと思いますが。--I.T.Revolution 2012年8月29日 (水) 12:27 (JST)
- 意見等ありませんので勝手ながらギャラリー化処理をさせて頂きました。またそれに伴いトップに私の画像を置かせて頂きましたが、これについては「自分の画像が1番良く撮れてる」と調子に乗っての蛮行ですので、この度の処理全般と合わせてクレーム等あればお願い致します。--I.T.Revolution 2012年11月2日 (金) 15:02 (JST)
ノート移設について[編集 | ソースを編集]
- トーク:国鉄113系電車を、ご参照下さい。--I.T.Revolution 2019年1月8日 (火) 21:18 (JST)
活躍している(していた)場所[編集 | ソースを編集]
関東甲信越[編集 | ソースを編集]
両毛線、信越本線(高崎〜横川)、上越線、吾妻線[編集 | ソースを編集]
- 東日本最後の湘南電車となった。
- 4両と3両の二種類がいたが、今では3両のみ残存。
- 4両編成のうち2本が、クモハ+モハ+サハ+クハであった。
- かつては前面の「普通」幕があったが◯◯防止に緑板で塞がれてしまった。
- 107系が無き今、かつての上野口みたいな組み合わせになってしまった(相方が211系のため)。
高崎線、宇都宮線、湘南新宿ライン[編集 | ソースを編集]
- 最長15両で活躍していた線区であったが、グリーン車連結前に113系より先に引退。
- 晩年は7両+4両の固定になっていた。
- 湘南新宿ラインでの活躍を始めたのは高崎線撤退後の話であったため、横須賀線-宇都宮線直通のみになった。
- 臨時でもいいので東海道線の熱海にも来てもらいたかった。
中央本線、富士急行線、篠ノ井線[編集 | ソースを編集]
- スカ色(通称山スカ)と信州色の二種類がいた。
- スカ色は豊田、信州色は長野所属であった。
- 長野色のうち6両は松本から転属であった。
- JR発足当初はアイボリーに緑帯と裾下に赤帯であったが、長野冬季オリンピック以来、189系と同じ配色に変わった(ただし窓下は薄緑)。
- かつては松本にもスカ色がいた。
- 300番台6両と800番台3両がいた。
- 300番台6両のうち一本は豊田の波動輸送用として転属された。
- 300番台6両と800番台3両がいた。
- スカ色は豊田、信州色は長野所属であった。
- 河口湖乗り入れは豊田のスカ色が使われていた。
東海地区[編集 | ソースを編集]
伊豆急行[編集 | ソースを編集]
- 全車両が松本からの転属車。200系に改称された。
- 800番台の初期型AU712分散冷房グループ(スリットタイフォン)と300番台量産冷房グループ(フタ式タイフォン)が二種類ある。
- 中間車の配色は113系組とは異なり台形をあしらっている。
- 赤編成は、分散冷房車2本と集中冷房車3本で伊豆急の中では多かった。
- 青編成(113系と同じ色であるが中間車の配色が少し異なる)とトランバガテル(河津バガテル公園)色(紺色)編成は全て分散冷房車グループ。
- 老朽化したとは言え第二の人生を歩ませたのは苦肉の策と言わざるをえない。
- 分散冷房車の各色につき一編成には金属押さえ(205系タイプ)のドアを装備していた。
東海道本線、御殿場線、身延線[編集 | ソースを編集]
- 国鉄時代はワインレッドにアイボリー帯であったが、民営化以降は湘南色(前面はU字ライン)に変更。
- 冷房準備蓋付きで新造されたが、民営化以降に実際に冷房化された。故に分散クーラーを搭載。
- モハは2600番台を名乗っていた。
- こちらも最後まで国鉄時代からのブルーシートを維持していた(但し牛革製のシートカバー付き)。
- 313系が入ってから、身延線専属の115系も東海道本線や御殿場線での運用にも用いられるようになった。
- かつては御殿場線専用の編成(低屋根ではない初期型)も存在していたため、それの玉突きでの老朽取替をしていたのでもある。
- その御殿場線用の初期車編成には低屋根車も存在していた。
- かつては御殿場線専用の編成(低屋根ではない初期型)も存在していたため、それの玉突きでの老朽取替をしていたのでもある。
- 晩年は専ら東海道本線での運用であった。
- 身延線も引退まで活躍していた(早々と撤退した線は御殿場線)。
飯田線[編集 | ソースを編集]
- こちらも当時は静岡所属であった。
- 終焉まで大目玉と鋼製ドアを装備していた車両もいた。
中央西線[編集 | ソースを編集]
- 313系が導入される前、松本〜中津川間で使われていた。
- 導入後は飯田線、東海道線に転属。
- 一部、東日本の長野色3連が乗り入れる運用もあった。
- 今は211系に置き換わって現在に至る。
西日本、四国地区[編集 | ソースを編集]
舞鶴線[編集 | ソースを編集]
- ワンマン化された食パン編成のみいた。
- 山陰本線京都口にも乗り入れていた。
福知山線[編集 | ソースを編集]
- 113系と共に、117系に準じた塗装をしていた。
- 但し福知山線の117系はこれとは異なり白に緑帯だった。
- 福知山線撤退後は2007年度の全般検査までそのままの塗装で広島地区を走っていた。
山陽本線、伯備線、宇野線、瀬戸大橋線、予讃線、土讃線[編集 | ソースを編集]
- 今でも湘南色疾走中。
- 当初は全編成末期色に変更する予定であったが、地元民から残してほしいという強い願望があったため急遽残すことに。
- 四国でもリニューアル車を見かける。
- 岡山から瀬戸大橋を経由して土讃線の琴平に乗り入れる。
- 下関では117系の側面や設備を持つ115系もいた。
- 一部は東武みたいなドアを持つ車両もいた。
- 当初から115系として新造された3000番台と117系から改造した3500番台があり、前者はコイルバネ台車なのに対し後者は空気バネ台車だった。
- 115系3000番台は115系と117系の合いの子的な車両。車内も蛍光灯にカバーがなかったりドア脇がロングシートだったりと117系とは異なる。
- 三原以西はクリーム色に青帯の瀬戸内色が走っていた。
- 一部は大目玉の土台を残したシールドビーム化改造車や鋼製ドアが長く活躍していた。
- 実は兵庫県内まで乗り入れてくる。姫路駅でもその姿が見られる。
東海道・山陽本線(関西地区)[編集 | ソースを編集]
- 大多数の113系に混じって115系が少数だが京阪神近郊の快速に使われていた。
- 113系との連結運転も行われていた。