もし都道府県が廃藩置県から一度も変化がなかったら
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- 廃藩置県がおこなれたとき、日本は3府302県であったほど県の数が多かった。では、都道府県に一度も変化がなく、現在まで3府302県のままだったらどうなっていただろうか???
- 道州制が既に導入されていた。
- 北海道は最終的に全て館県が支配する。
- 北海道も支庁(空知、後志、上川、函館、札幌、網走、室蘭、河西、釧路、檜山、留萌、増毛、宗谷、浦河、根室、小樽、岩内、寿都、亀田、松前、紗那)が県に移行する。
- 東京23区などなく、品川区や足立区は今でも別の県のまま。
- あまりにも県の数が多いので、郵便番号帳で郵便番号を探すだけでも一苦労。
- どこもかしこも県だらけで日本地図がカオスな事になっている。
- 細かすぎて、日本全土を1枚の地図にしようとすると訳が分からなくなる。
- このゲームもカオスになっている。
- テレビ局・ラジオ局はほぼ全て複数の県を視聴範囲にする。
- 放送エリアが旧国単位になっている。
- 市町村合併によって「一県一自治体」という県が現れるようになる。
- 市町村の制度ができたのは302県が統合されるずっと後。よって、1つの県が広域合併で誕生した市のようなものだろう。
- プロ市民ではなくプロ県民になるのか?
- この場合の「市民」は古代ギリシャの都市国家に由来する言い回しなので日本の地方自治制度とは関係ない。
- 市町村はこうなってる可能性も。
- 市町村の制度ができたのは302県が統合されるずっと後。よって、1つの県が広域合併で誕生した市のようなものだろう。
- 廃藩置県の時には県になっていなかった沖縄はどうなるのだろうか・・・。
- 琉球庁?
- 流石に沖縄県だけは後から追加されただろう。
- 廃藩置県時点の県名は、似た名前が多いので、混乱する。
- 県名の改称が相次ぐ。
- 県名の改称がなければ、「仙台県」「名古屋県」が今でも存在する。
- 宮武外骨が「幕府方は県庁所在地と県名が一致しない」という説を唱えることはなかった。
- 48都道府県なら暗記できる人もいるが、305府県になるとほとんどの人が暗記できない。
- 48都道府県っていつの時代だよ?
- 48都庁府県だった時代ならあったが(樺太が日本領だった時代)。
- 48都道府県っていつの時代だよ?
- 府県間の経済格差が深刻な問題となった。
- 旧藩時代からの飛び地の整理に現実より手間取っていた。
- 夏の高校野球の場合、各府県ではなく複数の府県を合わせて1校が甲子園に出場という形をとっていた。
- 現実とはかなり区割りが変わっていたことも考えられる。
- もし305府県全ての代表が全国大会に出場していたとしたら、全ての試合を甲子園で行うことはできなかっただろう。
- 薩摩(鹿児島県)は廃藩置県時点で都城(同年中に分離)と琉球(翌年に分離)を含んでいる他ほぼ現在と変わらない。廃藩置県以降に範囲が大幅に狭くなった唯一の例かもしれない
- 山口と高知も変わらないはずだし、佐賀と長崎は同じ県のままだった。
- 山口は各支藩が別の県とされたので、完全には一致しない(岩国、長府→豊浦、清末など。現実には1871年内に合併して山口県になる)。肥前にしても唐津やら大村、平戸、島原、対馬などがある。
- 山口と高知も変わらないはずだし、佐賀と長崎は同じ県のままだった。
- 能登国、伯耆国、隠岐国、壱岐国、大隅国、伊賀国、淡路国が他県から分離してしまう。
- 衆議院の選挙区が1府県につき1人選出になっていた。
- 令制国が現代人にも身近な存在になっていた。
- 住所は「○○国○○県」といった表記になっていた。