もし阪神・淡路大震災が別の時代に発生していたら

2022年1月17日 (月) 10:46時点における梅田十三 (トーク | 投稿記録)による版 (→‎26年後(2021年))
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戦前

88年前 (1907年)

  1. 「xx07年発生の地震」であることに変わりはない。
  2. 日韓併合が早まったかも。
    • 史実での経緯を見る限り国内の状況はあまり影響しなかったのでは。
  3. 小林一三が関西に来なかった可能性あり。
    • 史実ではこの年に大阪に開業する予定だった証券会社の支配人になるため来阪している。
      • 震災があれば小林の来阪前に話が消えていた。
    • この場合箕面有馬電気軌道の計画は潰れ後の阪急も成立しなかった。

72年前 (1923年)

  1. 関東大震災と同時発生だったら、日本は混乱状況に。
    • 首都を地震の少ない京城や札幌への移転が議論されていた。
    • 同時でなくても二大主要都市が壊滅したため十分大変なことになっていたと思う。
    • 復興院は阪神大震災の復興事業も担っていた。
  2. 史実では翌年に完成した甲子園球場の工事が遅れていた。
    • 1924年中にできなければ名称が変わっていた。

終戦~1970年代

50年前(1945年)

  1. 前年の東南海地震と同様に戦意の低下を防ぐため情報が伏せられた。
    • 後世の研究に悪影響が及んだ。
  2. 阪神間の軍需工場が大きな被害を受け戦争継続がより困難になった。
    • 終戦が早まっていた可能性も。
  3. 神戸が受けた空襲の回数が減った。
  4. 米軍の伝単の題材にされていた。
  5. 火垂るの墓は制作されなかった。
    • 避難先?で野坂昭如が空襲や家族の死に直面していれば結局書かれたと思われる。
    • 「アドルフに告ぐ」や「少年H」でも題材にされた。

1958年(37年前)

  1. 宝塚歌劇団の香月弘美が舞台装置に巻き込まれて亡くなるという事故は起こらなかった。
  2. 東京タワー開業の喜びが減っていたかも。
    • 地震発生が史実通り1月17日なら日本社会を励ますニュースになっていたのでは。
  3. 被害規模によっては日清食品がチキンラーメンを発売する前に潰れていた。
    • インスタントラーメンの発祥が少なくとも数年は遅れていた。
      • 上手くいけば史実ののちの、浅間山荘事件の時のカップヌードルみたく大震災の被災者が食べていたことでチキンラーメンが有名になっていそう。

1959年(36年前)

  1. 同年の南海ホークス日本一が「被災した関西を勇気づけた」と言われるようになった。4連投4連勝のエース:杉浦忠は史実以上に英雄視されていた。
    • 「涙の御堂筋パレード」が史実以上の感動を呼んでいた。
  2. この年の日本は伊勢湾台風と並んで2度の大災害に見舞われたことになっていた。
  3. 春までに起こっていた場合、皇太子(現上皇陛下)ご成婚が盛り上がらなかった。
    • 場合によっては延期もあったかも。
    • ご成婚自体は史実通りだったとしても派手なパレードなんかは行われなかった。

1960年(35年前)

  1. 日米安全保障条約改定が遅れていたか、もしくは改定自体行われなかった。
  2. 浅沼稲次郎が暗殺されることはなかった。
  3. 民社党が結成されず、西尾末広らは社会党に戻っていた。
    • 後の佐々木更三と江田三郎の対立からの江田離党・社会市民連合結成や楢崎弥之助、田英夫、秦豊の離党も避けられていた。
    • 場合によっては社会党の衰退が冷戦終結まで遅れていたかも知れない。その代わり公明党や共産党の影響力は低下していた。

1964年(31年前)

  1. 東京五輪開催や東海道新幹線の開通に影響していた可能性も。
    • 結局、復興という建前の元、東京人の娯楽目的でもっと盛大に開催していたと思われる。
      • 資金や人材の不足が発生しかねないため史実と同じ規模でとどめていたのでは。
  2. 1970年の万博は最初から関西での開催が既定路線。
    • 羽田空港跡地などが会場候補として考えられることは全くなかった。
    • 震災復興を名目に神戸が会場に選ばれていたかも。
  3. 御堂筋決戦の注目度が(少なくとも関西では)史実より高かった。
  4. 『華麗なる一族』の中で大きな出来事として扱われていた。
  5. 同年の新潟地震ではなくこの地震が地震保険誕生のきっかけとなっていた。
  6. 同年に新潟地震が起こったこともあり新潟-神戸歪集中帯が早くから知られるようになっていた。
  7. 神戸高速鉄道は震災復興支援の一環で建設。国鉄が震災からの復旧が早かったため,大阪・神戸間平行私鉄は,利用者を(一時的に)国鉄に奪われる。そのためか阪急・阪神・山陽の直通特急が神戸高速鉄道開業から間もない(大阪万博の頃)に直通特急の運行を開始する。開始時は(阪急)梅田-山陽姫路間・(阪神)梅田-山陽姫路間合わせて2本/h運行。

1968年(27年前)

  1. 1~3月に発生した場合神戸高速鉄道(史実では同年4月開業)の開業は地下トンネルが被害を受けたことなどから半年~1年遅れていた。
    • 逆に山陽電鉄の路面区間(西代~兵庫間)は神戸高速鉄道開業まで仮復旧で運行していたか、震災を機に廃止され暫定的に西代折返しとなっていた。
  2. 神戸市電は震災で被災し全廃になっていたかも。
    • 阪神国道線も上甲子園以西が廃止されていた可能性もある。
  3. 神戸市は前年(1967年)の水害に続いて2年連続で大災害に見舞われたことになっていた。
  4. ウルトラセブン第14話・15話「ウルトラ警備隊西へ」が震災直前の神戸の様子を収めた貴重な映像となっていた。
  5. 阪急ブレーブスは史実通りリーグ優勝していた。うまくいけば前年のリベンジで日本一になっていたかも。
    • 「被災した関西を元気付けた」と語り継がれる。

1969年(26年前)

  1. 同年7月21日にアポロ11号が月に到達したことや人類が月に着陸したことの扱いが史実よりも小さくなっていた。
    • もしアポロ11号の月面着陸と同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制となっていた。
  2. 翌年(1970年)に開催予定だった大阪万博は開催されなかった。
  3. 史実通り1月17日に発生していたら東大紛争における安田講堂の封鎖解除が遅れていた。

1970年代前半

  1. 1970年に発生していた場合、大阪万博は開催されなかったか会期途中で中断されていた。
    • 1972年発生の場合、札幌オリンピックの感動が震災にかき消されていた。
      • 同年にはあさま山荘事件や日中国交回復・沖縄復帰などもあったことから特別な年として言い伝えられることになっていた。
  2. オイルショックによる不況がさらに深刻化していた。
  3. すでも団塊の世代から晩婚化が進んでいたため、第2次ベビーブームは1970年代後半~1980年代前半に到来していた。
  4. 1970~1971年に発生していた場合、神戸市電は震災で被災し廃止されていた。(史実では1971年廃止)
    • 阪神国道線も廃止されたかも。
    • あるいは路面電車は災害に強い(復旧が早い)ことが証明されたので、震災で軒並み不通になった鉄道路線の代替路線として活躍し、その結果路面電車が見直される結果になって廃止が撤回されていたかもしれない。
      • 神戸市電や阪神国道線だけでなく京都・名古屋・横浜・仙台の市電なんかも廃止されなかったかもしれない。
  5. 京阪神急行電鉄→阪急電鉄の社名変更が早まったかもしれない。
  6. 『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』などのヒットに象徴されるような終末ブームがさらに加速していた。
  7. 田中角栄内閣の初期までに発生していたらいわゆる「日本列島改造論」の中身はかなり変わっている。
  8. 1970年4月に発生していた場合、天六ガス爆発事故はこの地震が原因と見なされていた。

20年前(1975年)

  1. 1973年に起こったオイルショックと合わせ、震災も加わって不況が長期化していた。
    • 回復するのは1980年代になっていたかも。
  2. 山陽新幹線の岡山~博多間は史実通り開業するものの、新大阪~岡山間が不通になったことから、開通当初は岡山以西での折り返し運転となっていた。
    • 東海道区間への直通は全線復旧後となっていた。
    • あるいは震災復旧に時間をとられ、同区間の開業は1975年夏頃にずれこんでいた。
  3. 同年開催された沖縄海洋博覧会が盛り上がらなかった。
  4. 神戸市営地下鉄西神・山手線の新長田~名谷間の開業(史実では1977年3月)が1年ほど遅れていた。
    • 須磨ニュータウンの開発にも影響が出ていた。
  5. 「ポートピア81」は震災復興をテーマとした博覧会となっていた。
  6. この年の阪急ブレーブスの日本一は「被災地を勇気づけた」と描写されるのがお決まりに。
    • その代わりに「がんばろうKOBE」が存在しないので、1995年のパの優勝チームは西武になっていたかもしれない。
      • ロッテでは?(1995年は2位ロッテ、3位西武)
        • ロッテ優勝の場合、バレンタイン監督の解任はなかった。
  7. 異人館街の被害次第では2年後の連続テレビ小説「風見鶏」が制作されなかったかもしれない。
  8. 近鉄けいはんな線の荒本~新石切間は阪神高速との2階建て高架にはならなかった(史実では阪神大震災により阪和線と阪神高速の2階建て高架建設が中止され、阪和線だけが高架化された)。
    • その場合、けいはんな線は新石切駅手前まで地下線となっていた可能性が高い。

1980年代

15年前(1980年)

  1. 翌年(1981年)に開催予定だった「ポートピア81」は開催されなかった。
    • ポートアイランドが液状化の影響で使用不能になり、他の沿岸地域も同じように液状化の影響が甚大だったため、開催の中止を余儀なくされていた。
  2. 神戸市営地下鉄西神・山手線の全通が遅れた。
    • 新神戸延伸が1988年頃、西神中央まで全通するのは1990年代に入ってからになっていた。
  3. 新快速117系化のペースが鈍くなる。下手すれば10月のダイヤ改正まで全面置き換えが完了しなかった。
  4. 大平首相没~鈴木善幸内閣誕生までの期間に発生していたら被災地の復旧に悪影響が出ていた。
    • 加藤友三郎首相没後に発生した関東大震災の例もあり「首相が現役死→大地震」のジンクスが誕生したのではないかと一部で噂される。
  5. 「東京大地震マグニチュード8.1」は放送中止を余儀なくされていた。
    • 「地震列島」という映画も上映中止に追い込まれていた。
  6. 近鉄バファローズは史実通り優勝し、前年のリベンジで日本一になっていたかも。
    • 近鉄が55年間日本一にならないまま消滅することもなかった。
    • 「被災した大阪を元気付けた」と語り継がれる。

13年前(1982年)

  1. 2月発生ならホテルニュージャパン火災や日航350便墜落事故もあって、報道陣は大混乱に見舞われていた。
  2. テレビ大阪の開局に悪影響が出ていたかも。

11年前(1984年)

  1. 発生時期にもよるが、阪急六甲駅での衝突事故と西明石駅での寝台特急「富士」の脱線事故のいずれかが起こっていなかった可能性がある。
  2. 同年に発生したグリコ・森永事件は史実ほどマスコミに取り上げられなかった。
    • そもそもグリコの社長が狙われること自体なかったかもしれない。
  3. 阪急ブレーブスが被災した地元ファンのために奮闘し、日本一になれたかもしれない。

10年前(1985年)

  1. 1980年代後半~1990年代初頭のバブル景気はなかった
    • 不況の到来が早まっていたかも。
      • もしこうなっていたら、現実のバブル世代は存在せず、彼らは就職難に巻き込まれていた。
        • 人口の多い第2次ベビーブーム世代はさらに悲惨なことになっていた。
          • あるいは先輩のバブル世代が就職で苦労しているのを見ているので、彼らの大学進学率は現実より下がっていた。
        • 1980年代後半の女子大生ブームはなかった。
        • おニャン子クラブもなかったか、史実ほど話題にはならなかった。
          • 秋●康の後継グループも生まれていない。逆に1990年代に似たようなグループを作っていて、盛り上がったかも。(そうなったらなったで、沖縄の女性4人組変動が激しい某グループが生まれていたかどうか…)
          • このグループに所属していた女性芸能人は、ひっそりとしたまま終わったことだろう。少なくとも、S.KがT.K(SMAP)と、M.WがJ.N(人気お笑い芸人グループ[男性3人組])と結婚することはなかった。
          • 1980年代中盤にアイドル冬の時代が到来し、バンドブーム全盛期となった。
    • バブルの発端は85年9月のプラザ合意と86年からの原油価格下落なのでむしろもっと強烈な地価高騰などが発生していたと思う。
      • 震災から時間が経っても何も建っていない空き地や傷んだ建物が次々と地上げ屋に買い取られた。
  2. 1985年の阪神タイガースのリーグ優勝・日本一はなかった。
    • 2003年のリーグ優勝は39年ぶりということになる。
    • 案外、オリックスみたく「がんばろうKOBE(またはNISHINOMIYA、HANSHIN)」とスローガンを掲げ、史実通りの結果になったかも。また阪急も阪神に負けじと頑張り、なんと夢の対決が実現
      • 史実でも日航ジャンボ機墜落事故で当時の球団社長が犠牲になってからそれを糧に奮闘していたし、どっちみち優勝した可能性は大きい。
      • 史実で3位だった近鉄が優勝していたかも知れない。その場合後の阪神なんば線開業時には当時を振り返るエピソードとして語られた。
    • 佐藤義則の最多勝・石本貴昭の最優秀勝率が村田兆治の復活・工藤公康の最優秀防御率以上にクローズアップされていた。
      • 野手では松永浩美の盗塁王が注目されていた。
    • 南海ではなく前年同様日本ハムが最下位に沈んでいたかも知れない。
  3. 同年8月の日航ジャンボ機墜落事故の扱いがやや小さくなっていた。
    • 日航ジャンボ機墜落事故と同時期なら、テレビはそれこそ大混乱となり、終夜大震災と日航機事故の両対応に追われる。
      • 1982年の時みたいな報道体制になっていた。(この年にはホテルニュージャパン火災事故の翌日にJALは逆噴射事故を起していた。)
      • 「家族が震災で命を落とす→残された父親も123便事故で死亡」という一家全滅が発生した恐れさえある。
        • 逆も然りで、123便事故で親or子どもを亡くしその後の震災で残った家族が後を追うこともあるだろう。
  4. 現実に震災が起こった1995年に比べて耐震性の低い建造物が多かったため、死者は1万人近くになっていた。
    • ちょうど同じ年に地震で沢山のビルが倒壊した直後のメキシコシティのような光景が広がっていた。日本ではメキシコ大地震はあまり話題にすらならなかった。
  5. ユニバーシアード神戸大会(史実では1985年に開催)は中止されていた可能性もある。
    • つくば科学万博も開催中止こそされなかったものの、華美な演出や芸能人のイベントなどの余興は自粛され、兵庫県に本社のある企業はパビリオンの出展を中止していた。
      • 入場者数も現実よりも少なくなっていた。
  6. 阪急・阪神・山陽電鉄の利用客が震災後民営化前の国鉄に移行していた。
    • 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も1980年代末に実現。
      • 阪急は史実より早く山陽電鉄への直通を中止していた。
  7. 下水道普及期に災害時のトイレ問題が出てくるためその後の下水道普及・水洗化は停滞方向へ…
    • 史実の時点ではもはや水洗化を止められない段階まで下水道が普及した時代だがこの時代ならばギリギリ汲み取りに回帰できる段階といえる。
      • ただそうなった場合二階建ての家はレアになるだろうなあ…。汲み取りだと二階に設置しづらいから。
      • 結局完全水洗化に押し切っていたとは思う。
        • 確かに汲み取りは過密都市には対応しきれないからねえ…。
      • 本当に汲み取りに回帰した場合は人口が減少に転じた2010年代までずっとドーナッツ化現象が続いていたと思われる。
        • 首都圏は拡大して名古屋圏や仙台圏も吸収するレベルに…。
        • 東日本大震災において大津波が発生したためトイレ問題は少なかっただろうが、感染症の問題は史実以上に惨いことに…。
          • 津波が汲み取りトイレの便層をかき混ぜて津波という名の汚水が押し寄せることになるから。
          • 史実でもノロウィルス感染症等が発生したが、この場合は赤痢や腸チフスといったものまで大流行の恐れがあるかも。
      • むしろバイオトイレや無水トイレが現実よりも早く発明されていた。
  8. 復興関連の国会審議に時間を取られて男女雇用機会均等法の成立が遅れた可能性あり。
  9. ウィ・アー・ザ・ワールドは復興支援ソングとして作られていた。
    • グループ名も「USA for JAPAN」だった。
  10. 史実通り1月17日に発生した場合、ハッピーマンデー制度は10年早く実施されていた(成人の日が移動休日になったのは震災が影響したため)。

1988年末~1989年

  1. 1988年末に起こった場合昭和天皇の容態悪化と重なったため1988年大晦日の紅白歌合戦は中止された可能性が高い。
    • 翌年1月7日の昭和天皇崩御と重なればテレビなど報道体制は大混乱となっていた。
  2. バブル崩壊が少し早まっていた。
  3. もはやリクルート事件追及どころではなくなっていた。
    • 結果として竹下内閣の寿命が史実よりやや伸びていた。
  4. 88年夏のなだしお事件の汚名を返上すべく海上自衛隊が積極的に被災地支援に乗り出していた。
  5. 発生時期によっては南海や阪急の身売りにも影響が及んでいた。
    • もしこの年に近鉄が10.19決戦に勝ち優勝出来ていれば被災した関西を元気付ける優勝として語り継がれた。

1990年代

1990年

  1. 同年3月から大阪鶴見緑地で開催予定だった国際花と緑の博覧会は開催されなかった。
    • 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の開業も遅れていた。
  2. 六甲ライナーの開業が半年~1年ほど遅れていた。(史実では1990年2月開業)
  3. やはりバブル崩壊が早まっていた。
    • 阪急8200系は登場していなかった可能性が高い。
      • バブル崩壊に加え、震災で利用客が減るタイミングが史実よりも早かったと考えられることから。
  4. 宝塚大劇場は倒壊、あるいは大きく損傷していた(史実では震災直前の1993年に建て替え)。
    • 建て替えは震災復旧と同時に行なわれていた。
    • それ以前に震災があった場合も同じ。
  5. 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の舞台は史実より1年早い1989年になっていた。
    • 神戸出身or(歴史改変がなければ)震災で不幸に突き落とされる主要人物が設定されている。

1991年

  1. 同年の国内は阪神大震災・バブル崩壊に加え、信楽高原鐵道列車衝突事故や雲仙普賢岳の火砕流災害、台風19号災害(いわゆるりんご台風)などと踏んだり蹴ったりの状態だった。
  2. この年の近鉄は被災した地元ファンのために奮闘し、リーグ優勝していた。場合によっては広島を下して日本一になっていたかも。

1992年

  1. 7月までに発生した場合、岩崎恭子の「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」という発言はなかった。
    • バルセロナ五輪後に発生した場合は発言自体はあったがその後に震災の被災者に対してお見舞いのメッセージを述べていた。
      • この場合、流行語にはならなかった。
  2. バブル崩壊による不況の深刻化のペースが現実よりも早いペースで起こっていた。
    • 就職氷河期も1~2年早く到来していた。
  3. 年末に発生していた場合、現宝塚大劇場のオープンが数ヶ月遅れていた。
  4. 阪神5500・9000系の登場は2年ほど早まっていた。
  5. ひょっとしたらこの年の阪神は優勝できていたかも。
    • 近鉄も優勝出来ていて、日本シリーズでの関西ダービーが実現していたかもしれない。
  6. 六甲ランドAOIAの閉鎖は史実より早まっていた。
  7. 平成の申年(1992年・2004年・2016年)はいずれも国内で震度7の地震が起こったことになっていた。

1994年夏

  1. 関西国際空港の開港が遅れていた。
  2. 神戸西武は震災がきっかけで閉店に追い込まれていた。
  3. この年のオリックスの成績にも何らかの影響があったはず。
  4. 熱中症死亡者数が現実の1994年の4倍以上だった。
    • これらも震災関連死に含まれていた。

1994年末

  1. 年末年始の帰省ラッシュの時に山陽新幹線が不通になっていたため、1994~1995年の年末年始輸送は大混乱していた。
    • というより旅行や帰省を諦めた人も多かっただろう。
    • それでも関西から九州・四国・沖縄方面に向かう航空機は連日満席になり、臨時便が多数増発される。
      • 開港したばかりの関西国際空港がフル稼働していた。
      • 羽田・小牧から岡山・広島への臨時便も多数増発されている。
      • 関西から四国・九州への帰省には長距離フェリーも大活躍。
    • 震災で被害を受けなかった山陰本線経由で九州方面への臨時列車が運行されていた。
  2. 会場が軒並み震災で被害を受けたため、1995年の成人式は被災地では多くが中止になっていた。
    • または震災復旧が一段落した頃に改めて開催されていた。
      • 1年遅れで開催されていた可能性もある。
    • 西宮神社の十日戎も1995年のみなかった。
    • それがきっかけで成人の日は12月の最終月曜あたりに移されていたかも。
      • 2019年以降は旧天皇誕生日の12月23日が成人の日になっていた可能性もある。
  3. 年末年始特番が多数中止に追い込まれた。
    • 第45回NHK紅白歌合戦も中止されているか、あるいは関西地区のみ未放映(もしくは教育テレビで放送)という条件付きで開催されている。
    • 仮に開催された場合も被災者に配慮して派手な演出は自粛されていた。
    • 関西の鉄道における大晦日~元日の終夜運転は中止されていた。
  4. 東京キー局では震災による火災を「箱根の温泉街」ではなく「松明の篝火」と表現していた。
  5. 同じ時期に三陸はるか沖地震も発生したので、12月は東西ともに地震のニュースで持ちきりになっていた。

1995年春

  1. 同年3月20日に発生した地下鉄サリン事件の扱いが史実よりも小さくなっていた。
    • もしサリン事件と同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制となっていた。
    • それでも近畿以外ではオウムの扱いの方が大きかったかもしれない。
    • 地震発生がサリン事件より後の場合は「ボランティアを装って大量のオウム信者が入ってきた」などオウム関連のデマが流れていた。
  2. 同年の選抜高校野球は中止されていた。
    • あるいは会場を変更して開催していた。
    • 3月に発生した場合、プロ野球公式戦も開幕が1ヶ月ほど延期されていた。
    • 仮に大会期間中に震災が発生した場合、大会が途中で中断されただけでなく選手や関係者にも死傷者が出ていた可能性もある。
      • 夏の高校野球の期間に発生した場合も同様。
      • そのトラウマがあるため、翌年から会場が変更された可能性もある。
  3. 花見やお出かけ日和などが控えられていた。
    • 同年における造幣局桜の通り抜けは中止されていた。
  4. 関西に修学旅行に来ていた学生が震災を経験していたかも。
    • 特に山陽・九州地方の学校の場合新幹線がストップしたことから帰りの交通手段に困る事態に陥っていた。
      • 普通に考えると飛行機だが、飛行機も満杯であることが考えられ、フェリーなども活用されていた。あるいは山陰などを回る迂回ルートで臨時の団体臨時列車が仕立てられていた。
  5. 被災地において卒業式や入学式、入社式が軒並み中止になっていたかもしれない。

1995年夏

  1. 冷房のない避難所生活の中、熱中症が問題になっていた。
    • 1994年のような暑さじゃないから、前年よりはましであろう。
  2. 火災は少なくなっていた可能性がある。
  3. 1995年のプロ野球阪神並びにオリックス戦はどうなっていたのだろうか?
    • 多分この年の夏の高校野球は中止になっていた。
    • 西京極か岡山マスカット球場辺りを臨時に借り切ってやっただろう。あるいは70年代のロッテみたく、ジプシー球団と化したか。
    • 近鉄もお忘れなく。
  4. 地震が発生した時期にもよるが、祇園祭・天神祭・京都五山送り火のいずれかが中止になっていた可能性もある。
    • あと多くの花火大会が中止されていたかも。
  5. (日本国内のみ) 三豊百貨店崩壊事故の扱いが史実よりも小さくなっていた。
  6. 『新世紀エヴァンゲリオン』はこの地震が原因で放送中止or延期されていた。

1年後(1996年)

  1. この年被災地でO157が大流行し、史実以上に被害が大きくなっていた。
  2. この年オリックスは日本一になれなかった可能性も。
    • ヴィッセル神戸の成績(この年Jリーグ昇格)にも影響し昇格が数年遅れていた可能性も。
    • 「がんばろうKOBE」が合言葉になるのが1年遅れた。
  3. 『ウルトラマンティガ』は放送中止を余儀なくされていた。
    • 史実の「ネオス」の経緯から推測すると1年くらい待てば普通に放送できたのでは。

2年後(1997年)

  1. 日本におけるダイアナ元皇太子妃の事故死の扱いが史実よりも小さくなっていた。
  2. 神戸連続児童殺傷事件と同時に発生したら神戸は史実以上の混乱となっていた。
    • 震災による混乱もあるので、むしろ事件自体が起こっていたかった可能性が高い。
  3. 12月の地球温暖化防止に関する国際会議の会場が京都ではなかったかもしれない。
  4. 大阪ドーム開業の盛り上がりも小さくなっていた。
  5. なみはや国体は開催中止になっていたか、予定を変更しながら開催していた。
  6. 3月までに起こっていた場合、JR東西線の開業が遅れていた。
    • JR西日本が震災復旧を最優先したため。
    • 明石海峡大橋の開通も半年~1年遅れていたかも。

3年後(1998年)

  1. 同年7月25日に発生した和歌山毒物カレー事件の扱いが史実よりやや小さくなっていた。
    • もし毒物カレー事件と同期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
  2. 史実では同年4月に開通していた明石海峡大橋は予定通り開通できなかった可能性が高い。
    • 震災がきっかけで橋の長さが1m延びたため。
    • 場合によっては主塔を除き橋を作り直した可能性もある。
  3. 長野五輪が現実ほど盛り上がらなかった。
    • マスコミは「メダルを取って被災地に元気を届けよう」などと煽っていた。
  4. 阪神梅田~山陽姫路の直通特急は全線復旧後一段落した頃に運転開始していた。
    • 全線復旧直後は阪神を中心に車両不足とかがあったため。

1999年夏

  1. 日本内のみノストラダムスの予言はこれを指していた、という解釈になっていた。
    • 史実では世界でもほとんど例がなかった都市型の地震災害として全世界に衝撃を与えていたので海外でもノストラダムスとよく結び付けられていた。
  2. 同年9月に発生した某臨界事故の扱いが史実よりやや小さくなっていた。
    • もし臨界事故と同期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
    • じゃあそうなった場合JCO事故当日に優勝を決めたあの球団の胴上げやビールかけなどの祝勝イベントはどうなる・・・・・・?(前回の優勝時は昭和天皇の体調不良を鑑みてビールかけなどを自粛。もしこうなったら2回連続で自粛かよ・・・・・・こうならなくてよかった)
    • 同月に発生していた921大地震も。
  3. もしかしたらこの年の阪神はリーグ優勝できていたかもしれない。

2000年代

5年後(2000年)

  1. ユニバーサルスタジオジャパンの開業はなかったか、史実よりだいぶ遅れていた。
    • 工事自体はかなり前からなので開業はできていたと思う。
  2. 大相撲春場所における貴闘力(神戸市出身)の平幕優勝が被災地を勇気づけるニュースとして大きく取り上げられた。
  3. 阪神間での平成合併の枠組みがやや変わっていた可能性も否定できない。

6年後(2001年)

  1. 日本国内では9.11テロの扱いが史実より小さくなっていた。
    • もし9.11と同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
  2. 7月だった場合、明石花火大会歩道橋事故は起きなかった(震災の影響で花火大会そのものが開催中止になっていた可能性が高いため)。
    • 5~6月だったら附属池田小事件も。
    • 事故後に震災が発生していたら明石は史実以上の混乱となっていた。
  3. 上記の5年後と同様、USJの開業は史実(2001年)よりやや遅れた上に、開業の盛り上がりも小さくなっていた。
    • 開業は3月ではなく、12月ごろになっていたかもしれない。
  4. 大阪オリンピック候補に影響していた可能性も。
    • 最終選考より前に辞退に追い込まれていたかもしれない。
  5. 森喜朗が震災関連で何らかの失言をしてしまった恐れが高い。
    • これがきっかけとなり森内閣は史実よりやや早く総辞職に追い込まれていた。
  6. 大阪近鉄バファローズは優勝出来なかった、あるいは現実以上の奮闘で日本一になっていた。
  7. 21世紀に入ってすぐに大震災が起きたため、「新世紀も波乱の幕開けになった」と言われていた。

7年後(2002年)

  1. 日本国内では「2002 FIFAワールドカップ」が盛り上がることはなかったか、盛り上がったとしても史実よりやや地味になっていた。
    • 日韓開催である以上流石にそんな事は無いだろう。
  2. 史実で会場に選ばれていた神戸ウイングスタジアムで試合を開催できたのか気になる。
    • 会場が復旧していても交通アクセスなどの問題があるため。
    • 地震発生が4月以降だったら開催できていなかった可能性が高い。
    • 兵庫県津名町(現・淡路市)はイングランドのキャンプ地として使われなかった。
    • 代替の試合会場は豊田スタジアムあたりか。
  3. 史実ではこの年に連載が開始された『太陽の黙示録』が書かれることはおそらくなかった。
  4. 同年に発売されたゲーム「絶体絶命都市」にも悪影響が及んでいた。
    • 作品の性質上無事に出せた気がしない。

8年後(2003年)

  1. 2003年の阪神タイガースのリーグ優勝はなかった。
    • もし優勝していたら被災地に希望を与えたとして現実以上に大盛り上がりしていた。場合によっては日本一になっていたかも。
      • 近鉄も阪神に負けじと頑張り、日本シリーズで関西ダービーが実現していたかもしれない。
  2. 日本国内では同年3月に発生したイラク戦争の扱いが史実よりやや小さくなっていた。
    • もしイラク戦争と同期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
    • 陰謀論者が「日本国内でのイラク戦争反対の世論を弱らせるためアメリカが神戸で地震を起こした」といった説を唱えていた。

9年後(2004年)

  1. 新潟県中越地震の扱いが史実より小さくなっていた。
    • もしこの2つの震災が同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
    • 新潟-神戸間に「ひずみ集中帯」があるのでこの2つの地震の関連性も指摘されていた。
    • この年は中越地震をはじめ、台風や浅間山噴火などの自然災害が特に多かったのでその象徴になっていた。
      • 今年の漢字が「災」になるのは史実通り。
  2. アテネ五輪で関西出身の選手がメダルを取るたびにどこかのマスコミが復興と関連付けたコメントをしていた。
    • 刈屋アナの「栄光への架け橋だ」も別のセリフになっていた可能性あり。
  3. オリックスと近鉄の合併含めた球界再編問題にも影響していただろう。

10年後(2005年)

  1. 明石海峡大橋が損傷し、本四間の輸送が大打撃を受けていた。
    • 橋の長さが1m伸びる為、下手をすると道路部分が海に崩落していたかも…。(怖)
  2. 建設中の神戸空港も大打撃を受ける事に。
  3. 福知山線事故が発生する事はなかった。
    • 発生しても、扱いがやや小さくなっていたかもしれない。
      • もし福知山線事故と同期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
    • 事故後に起きた場合、影響が出ていた可能性も。
    • 地震が原因で事故が発生していた。
  4. 村上ファンドの阪神買収も無かった。
    • 震災復興でそれどころではない。
      • よって、阪急と阪神が統合する事も無かった。
    • 阪神なんば線の開業が1~2年程遅れていた。
  5. 日本の建物や構造物の耐震補強が大幅に遅れていた。
    • 2000年代まで「地下駅は地震に強い」「日本の高速道路は頑丈なので崩壊したりしない」等と信じられていた。
    • 新潟県中越地震の被害も拡大していた。
  6. 安否確認にはインターネットが大活躍。
    • これがきっかけで、国内のインターネット利用者が激増する事に。
    • 携帯電話がパンクするため、公衆電話の重要性が見直されることに。(災害時には公衆電話の方がつながりやすいため)
  7. その一方、ネット掲示板では関西叩きの書き込みが相次ぎ、社会問題になっていた。
    • 被災者を罵倒するような書き込みは勿論、「避難所を爆破します」などといった爆破予告まで書き込まれる。
      • 限度を超えた書き込みが相次ぎ、とうとう某巨大掲示板が一時閉鎖に…。
  8. 神戸高速鉄道の大開駅が崩落したため、阪神車両が山陽電鉄線内に閉じ込められた。
    • 阪神は車両不足がさらに深刻になっていた。
  9. 阪神1000系は震災復旧車として登場していた。
  10. 阪神は震災をバネに頑張り、史実通り優勝。勢いをかって日本シリーズ・アジアシリーズも制覇する。
    • オリックスは戦力不足のため、良くてCS出場が限界。
    • 33-4」は存在しなかった。
  11. 同年開催されていた愛・地球博の内容が少し地味なものになっていた。
    • 被災者に配慮して派手なことは自粛されていた。
  12. 翌年公開予定だった映画「日本沈没」(リメイク版)の公開が見送られた。
  13. 2005年だとするならば震度7が出た新潟中越地震(2004年10月)の後。3ヶ月後とはいえ主要な場所は緊急的な耐震補強がされて被害が少し小さかった可能性もある。
    • 但し兵庫県は2004年の台風23号の被害とともに弱り目に祟り目だった。
    • その新潟中越地震との関連も指摘されるようになっていた。
      • 2005年3月に発生した福岡県西方沖地震とも。
  14. 震災復興関連法案を優先する為、郵政民営化法案の審議が中断していた。
    • 当然、この年総選挙は行われなかった。
    • 郵政民営化は少なくとも1年遅れていた。

2008~2009年

  1. 震災に加え、世界金融危機も加わり不況は想像を絶するものとなっていた。
    • 1994~1995年当時に世界金融危機が発生した場合も同じ。
  2. 阪神なんば線の開業が1~2年遅れていた。
    • 新線開業より被災した本線の復旧を最優先するため。
  3. 阪神電鉄は被災車両が完全に復旧するまでの間、阪急から車両を借り受けていた。
    • 2014年に阪急電車が阪神の線路を走った際もそれほど騒がれなかっただろう。
  4. この頃になると動画投稿サイトに震災発生の瞬間を投稿している人がいたかも。
    • 現実と同じ時間(午前5時46分)だったら早朝なので起きている人は少なかったと思われるが、それでも何人か投稿する人がいたと思われる。
  5. 08年発生の場合は同年の四川大地震と無理やり関連させようとする人が出ていた。
  6. この年の阪神は被災したファンのために優勝し「Vやねん!」はなかった。
    • オリックスも優勝出来ていたかもしれない。
  7. 09年発生の場合は日本で新型インフルエンザが大流行し、史実以上に被害が大きくなっていた。
  8. アニメ「東京マグニチュード8.0」は放送中止を余儀なくされていた。
  9. エンドレスエイトの一件もあって西宮市のイメージ悪化につながっていたかも。

2010年代

2010~2011年

  1. 関西地区におけるテレビの地デジ完全移行は2012年3月まで延期された。
    • この場合、関西広域4局+サンテレビは停波しないが、他の県域局(TVO・KBSなど)は先に停波するので、兵庫県以外の関西に住んで地デジの対応をしない人から「なんで○○○(県域局の名前)だけ停波するんだ?」などの質問がデジサポに多数寄せられる。
  2. 大阪駅の新駅ビル開業は少し遅れていた可能性がある。
    • 山陽新幹線と九州新幹線の直通運転開始も3ヶ月~半年ほど延期された可能性が強い。
  3. 神戸高速鉄道山陽電鉄は震災復旧を機に近鉄の21m車両が入線可能なように改良工事が行われていた。
    • 震災後に近鉄奈良~山陽姫路間の直通運転が実現している。
  4. 発生時は扱いが大きいが、3月になると扱いが史実より小さくなっていた。
    • 日本は大きく被災し、早期に緊急事態宣言が出されていた。
      • 2020年のコロナ禍以前に緊急事態宣言という言葉が知られていた。
        • その結果、憲法改正への機運が高まっていたかもしれない。
    • 戒厳令が発令されていた。
      • 現行法では緊急時に政府が憲法秩序を一時停止することはできないので実効力のある宣言などは出せない。
  5. 2011年3月以降に起こると東日本大震災の誘発地震として扱われ、名称は東北、長野、静岡、阪神をひとくくりにして「日本大震災」または「本州大震災」になっていた。
  6. 2010年頃に地震が起こっていた場合、映画「阪急電車 片道15分の奇跡」は今津線沿線が大きく被災していたことから現実に公開された2011年の時点では制作されていなかった。
    • 2011年に入ってから起こった場合は映画収録中に被災していた可能性もある。あるいは震災前にクランクアップしていた場合は震災前最後の映像ということで貴重な映画になっていた。
      • そして、震災復興目的で収益の一部が宝塚や西宮の街に寄付されていたかもしれない。
      • 震災が起こった日が近づくと毎年テレビで放映されるようになっていた。
  7. AKB48が被災地を慰問していた。
    • NMB48も被災地慰問し、関西ツアーを復興チャリティーとして開催していた。
  8. 日本の景気が最悪の状況になっていた。
  9. 東阪の二大都市が震災の影響を受けたため、愛知県などに遷都(首都機能移転)すべきという声が上がっていた。
    • 愛知県は南海トラフ大地震などのリスクがあるため日本海側の方が安全かと。
  10. 2012年に大飯原子力発電所が再稼働することはなかったかもしれない。
  11. 当時の民主党政権に対する風当たりが強まっていたのはいうまでもない。
    • 以降に「大規模な災害や事故は神様が為政者に対する当然の天罰」という社会風潮ができてしまい、そのたびに総理大臣が辞任するなどの政治的に影響が出ていた。
      • 少なくない識者が「平安時代でもあるまいし」と苦言を呈していた。
  12. 訪日外国人の数は数年間伸び悩んでいた。
  13. 東京のオリンピック招致に対する国民の支持は高まらなかった。
    • その結果、2020年の五輪開催地はイスタンブールになっていた。
      • あるいはパリが立候補し当選していた。
    • 2025年大阪万博誘致もなかった。
  14. 2012年放送の「純と愛」がさらに鬱展開になっていた。
  15. 2010年1月17日に発生していた場合、数日前のハイチ地震と合わせ世界中が地震報道で持ちきりになっていた。
  16. 発生が2011年3月12日以降なら、東日本大震災から逃げてきた人たちがこの震災で被害を受けていた。
    • 「東日本大震災で親or子どもが死亡→その後の阪神大震災で残された家族も死亡」という一家全滅が発生した恐れさえある。
  17. この頃になるとTwitterでこの震災に関するデマを拡散する人がいたかも。
    • 科学的根拠はないものの、動物の異常行動や空の異変などの「前兆現象」も投稿されていた。
  18. 今上天皇の生前退位が2010年代前半に行われていたかも。
    • 江戸時代までは災いが起こったら改元することが多かったので。

17年後(2012年)

  1. 「マヤの予言はこれの事だったか」と都市伝説化されていた。
    • 但し、日本国のみ
    • むしろ史実で2012年人類滅亡の予言による大騒ぎが発生していた中国の方が大変だったと思われる。
  2. 5月以降に起きた場合、金環日食の影響と見なされる。
    • 被災者、専門家、大手マスコミのいずれもそのような説には見向きもしないと思われるのでコンセンサスにはなりようがないはず。
  3. このあたりから特定民族に対する差別的なデマが発生するリスクが高まってくる。
    • 被災地域を考慮すると在日コリアンや華僑・華人が被害者となっていた。
    • 下手をすると被災地でヘイトクライムを起こすために他地域から侵入する輩も出てきかねない。

18年後(2013年)

  1. 誤報問題以降に起きたら「あの地震は警告か」と都市伝説になる。
    • 誤報以前に起きたら、誤報の方は「また大地震か!」と言われる。
    • 誤報と合わせて発生していたら西日本は尋常じゃない被害を受けていただろう。
  2. 時期によってはあべのハルカスの開業は遅れていた可能性も。
  3. N700A系デビューも遅れていたかも。
  4. 東南海地震の前触れなのではと言われていた。
  5. 4月以降に起こっていた場合、同年4月の淡路島地震はこれの前震だと言われていた。
  6. 1月14日に起こっていた場合、犠牲者に成人式出席予定だった新成人も多くなり、1992年度生まれの悲劇ネタが更に悲惨なものになる。
    • しかもこの日は関東地方を中心に大雪だったため、報道体制は大混乱となり、終夜大震災と大雪の両対応に追われれていた。

19年後(2014年)

  1. 同年4月に行われた消費税率5→8%へのアップは延期されていた。
    • 現実よりも数年遅れていきなり10%に上げられていたかも。
  2. この年は広島土砂災害や御嶽山噴火と合わせ災害の多い年と言われるようになっていた。
    • 「今年の漢字」は「災」あたりになっていた。
    • 韓国におけるセウォル号沈没事故もお忘れなく。
  3. 2014年3月に起こっていた場合、あべのハルカス開業のニュースはあまり報道されていなかった。
  4. もしかするとこの年の阪神タイガースはリーグ優勝していたかもしれない
    • オリックスも優勝出来ていて、日本シリーズでの関西ダービーが実現していたかもしれない。
  5. 野々村竜太郎議員の号泣会見もあったので、西宮市のイメージ悪化に繋がっていたかも。
    • 野々村議員は間違いなくこの震災の事にも言及していただろう。
    • 震災対応に追われて会見自体がなかった可能性もある。
  6. 同年に発生したSTAP細胞騒動の扱いが史実よりも小さくなっていた。
    • STAP細胞騒動が史実と同じくらい大きく扱われたらそれこそ大変な報道体制となっていた。

21年後(2016年)

  1. 同年4月に発生した熊本地震と何かと比較されていた。
    • 同じ内陸直下型地震なので。
    • 熊本地震と合わせ、中央構造線大地震や南海トラフ巨大地震の前触れだと言う人が出ていた。
  2. インバウンドで関西を訪れる訪日外国人が現実よりも少なくなっていた。
  3. 阪神5700系のブルーリボン賞受賞が被災地に希望を与えたニュースとして一般のマスコミにも取り上げられていた。
  4. バス業界の人手不足から、鉄道不通区間の代行バスの手配が大変なことになっていた。
    • そのために一般路線バスを運休するということも行われていた。
    • 場合によっては京都や奈良など被災地から離れた場所のバスも駆り出されていた。
  5. 1月上旬に起こっていた場合、犠牲者に成人式出席予定だった新成人も多くなり、1995年度生まれの悲劇ネタが更に悲惨なものになる。
  6. 同年の今年の漢字は「金」ではなかったかもしれない。
    • この時点で2回目となる「災」だった可能性がある(または「震」)。
  7. (これ以降の場合にも言えるが)特に大阪・兵庫地域の学校においてインターネットを使った遠隔授業が広まっていた。
    • 大阪維新の会が遠隔授業・テレワーク導入推進を公約に掲げていた。

22年後(2017年)

  1. 神戸開港150周年記念イベントなどが盛り上がらなかった。
    • 「海フェスタ神戸2017」も開催されなかった。
  2. 発生の時期にもよるが「JR西日本30周年記念乗り放題きっぷ」は発売されなかった可能性もある。
  3. 史実において前後の年に震度7の大地震が国内で起きていたため、この年に震災が起きていたら3年連続(2016年・2017年・2018年)で日本は震度7の大地震に見舞われたことになっていた。
  4. 今村雅弘が「神戸もよかった」という発言もしていた。

23年後(2018年)

  1. 2025年の大阪万博招致に悪影響を及ぼしていた。
  2. 6月下旬以降に発生していた場合、同年6月の大阪北部地震はこれの前震だと言われていた。
  3. 翌年5月に平成が終わるので、「平成の最後に起こった大災害」と言われていた。
  4. 同年の関西は阪神大震災・大阪北部地震に加え西日本豪雨や台風21号災害と踏んだり蹴ったりの状態だった。
    • 今年の漢字が「災」になるのは現実通りだっただろう。

24年後(2019年)

  1. 4月までに発生した場合、平成は地震で終わったと言われていた。
    • 平成→令和改元が盛り上がらなかった。
    • あるいは事の重大さを考え、天皇の交代及び改元時期が遅れていたかもしれない。
      • いずれにしても改元時はお通夜ムードだっただろう。
      • 10月1日か、翌年の2020年1月1日か、年度のことを考えて2020年4月1日あたりになっていたかもしれない。
  2. 5月以降に起こった場合、令和は地震で始まったと言われていた。
    • 「令和も平成と同じく多難な時代になるのか…」と嘆く人が多かった。
    • 同年の今年の漢字は「令」ではなかったかも。
      • 昨年に続き2年続けて「災」だった可能性もある。
        • この年は台風15号・19号や京アニ・首里城火災などもあったので。
  3. 関西は前年(2018年)の大阪北部地震や台風21号に続いて2年連続で大災害に見舞われたことになっていた。
    • むしろ大阪北部地震は阪神大震災の前触れだと言われていた。
  4. (日本国内のみ)「聖徳太子の予言とはこれの事だったのか」と都市伝説化されていた。
  5. 九州新幹線全線開業時みたいに相鉄新横浜線開業やゆいレール延伸も盛り上がらなかった可能性がある。
    • 3月までに発生していた場合はおおさか東線新大阪開業も。場合によっては開業自体が遅れていた。
  6. 7月に発生した場合、京アニ火災はこの地震が原因と見なされていた。
    • むしろ京アニ火災は史実ほどマスコミに取り上げられなかった。
      • 詳細時期にもよるが、被告が現地入りできず事件発生を免れた可能性も
  7. 10月に発生した場合、首里城火災の扱いが史実より小さくなっていた。
    • 仮に首里城火災と同時期に発生した場合、それこそ大変な報道体制となっていただろう。
    • 台風19号水害とも重なっていて、関西では大震災、東日本では台風19号と日本の東西の災害で10月のニュースは持ちきりに。ラグビーワールドカップは首里城火災と同様に史実ほどマスコミに取り上げられなかった。
      • マスコミの報道のされかたは2011年の逆パターンになった可能性が高い(史実で2011年3月に東日本大震災、9月に紀伊半島豪雨が起きているので)。
        • 台風より前に震災が発生していたら尚更。
    • 4月だったらノートルダム大聖堂火災なども。

2020年代

25年後(2020年)

  1. 東京オリンピックは開催場所が離れていても、あまり盛り上がらない。
  2. 「2020年代も災害と向き合わなければならないのか…」と嘆く人もいるだろう。
  3. かなり揺れが大きい場合、大阪万博の開催が延期されているかもしれない。
  4. 新型コロナウイルスの流行もあるので、阪神エリアの医療機関は空前に大パニックに陥っていたのは確実か
    • それに震災も加わり、同年は戦後最悪の年だと言われるようになっていた。
      • 少なくとも阪神エリアの経済に悪影響が出ていたのは間違いない。
    • 震災の避難所がクラスターになり、感染が拡大していた可能性もある。
    • 自粛ムードが史実よりさらに大きくなっていたのはもはや言うまでもない。
    • 場合によっては神戸市(北区と西区を除く)・芦屋市・西宮市・伊丹市・尼崎市を対象にロックダウン(都市封鎖)が実施されていた。
  5. 阪神-近鉄直通快速急行の8両運転は2021年2月現在でも行われていない。
  6. 震災が起こった時期によっては京阪3000系プレミアムカーの導入が遅れていた。
    • メーカーである川崎重工業の工場が被災し、納期が遅れることも予想されたので。
  7. 仮に発生日が史実と同様に1月17日なら、同日に死去した元プロ野球選手・高木守道の訃報がほぼかき消されていた。
  8. Webアニメ「日本沈没2020」は配信中止を余儀なくされていた。

26年後(2021年)

  1. 前年の新型コロナウイルス感染症に追い打ちをかけるように大震災に見舞われていた。
    • 「2020年代は最悪のスタートを切った」と言われていた。
  2. 同年の選抜高校野球は前年に続き早々と2年連続で中止が決まっていた。
    • 震災に加えコロナ感染の懸念もあるので。
    • 場合によっては前年から1年延期された東京オリンピックも中止あるいは再延期が決まっていた。
    • 場合によっては夏も中止になっていた。
  3. 史実通り1月に発生した場合、被災地では同年の成人式の多くは中止に追い込まれていた(現実にはコロナの影響で延期した自治体も多かった)。
  4. 史実通り東京五輪が開催されても盛り上がらなかった。
    • 開催後に震災が発生したらなおさら。
    • 被災者に配慮して派手な演出は自粛されていた。
    • 神戸出身の柔道選手である阿部一二三・詩きょうだいは金メダル獲得後のインタビューで震災被災地に対してお見舞いのメッセージを述べていた。
    • 同年の「今年の漢字」は「金」ではなく「震」あるいは「災」となっていた。
  5. TBS系ドラマ「日本沈没 希望のひと」は放送されなかった。

関連項目