もし任天堂のゲームハードが○○だったら
- 新規項目追加時はハードの発売順にお願いします。
据置型
カラーテレビゲーム
カートリッジ交換式だったら
カラーテレビゲームは三菱電機との共同開発で初めて発売した据置型ですが、後の据置型のようにカートリッジ交換式だったら?
- 史実上で発売されたゲーム機はこのゲーム機の一ソフトとして発売されていた。
- 「シェリフ」や「スカイスキッパー」等の初期業務用ゲームも移植していたかも。
- 当然「第2世代ゲーム機」として扱われていただろう。
ファミリーコンピューター
コントローラー着脱が可能だったら
当初はコントローラー着脱を想定していましたが、コストの問題で直付け式になりました。
- 改造コントローラーが多数販売されていた。
- 史実でも連射やパチンコ用などがあったものの、史実より売り上げはよかった。
- ゴムボタンから丸ボタンへの交換も、交換用コントローラーは本体を持ってくればその場で無償提供など別の方法で対応がなされていた。
- ミニファミコンのコントローラーもミニNESやミニスーファミのように当時のサイズのまま&外部コントローラー使用可能になり、コントローラー関係で不評を買うことがなかった。
バッテリーバックアップを想定した構造だったら
- 当然「リセットボタンを押しながら電源をお切りください」のメッセージは流れない。
AV接続に対応していたら
- ニューファミコンは発売されなかったかもしれない。
- ケーブルは後のスーパーファミコン・NINTENDO64・ゲームキューブにも使いまわせるように配慮されていた。
ディスクシステム
ブランクディスクの販売も行っていたら
B面だけブランクのディスク(A面のみゲームデータが書き込まれている)はありましたが、完全なブランクディスク(両面ともゲームデータ未記入)は任天堂から発売されませんでした。
- ソフトの定価や書き換え料からして、ディスク自体は2,000円~2,500円程度になっていた。
- 主に書き換え専用ソフトを入手する目的で使用され、書き換え専用ソフトが中心となる末期(SFC発売以降)には重宝されたと思われる。
成功していたら
決して売れなかったわけではないものの、ロムカセットの大容量化やディスクそのものの耐久性のなさなどで存在の意義が薄れて失敗に終わった。
- ディスクシステムとロムカセットを並行して販売し続けることはなかった。
- 任天堂はロムカセットに固執し続けることはなかった。
- スーパーファミコンやNINTENDO64のソフトは磁気ディスクベースだった。
- ソフトの定価も史実より安かった。
- ゲームキューブ以降は史実通りに光ディスクベースだろう。
一体化していたら
ディスクシステムはディスクを読み取る本体とソフト情報をファミコン本体に供給するRAMアダプタの二つからなるものでしたが、もしそれが一体化することになっていたら?
- おそらく後ろの配線は少しスッキリしたけど、ディスクシステム本体がその分厚くなっていた。
- ファミコン本体との接続は拡張コネクタになるので、AVファミコン対応のディスクシステムが作られていたりする。
- なのでディスクシステム本体にも拡張コネクタができたかもしれない。
- 史実の接続部分であったファミコンカセット差込口にはシステムカセットかバックアップカセットが入っていたはず。
スーパーファミコン
FC・SFC両用ファミコンが発売されていたら
ファミコン・スーパーファミコンの製造が打ち切られた2003年秋から出回っている「ファミコン互換機」ですが、その中には任天堂からは発売されなかった、ファミリーコンピューターとスーパーファミコンの両方のカートリッジを1台で楽しめる機種が出回っています。
もし、任天堂がファミリーコンピューターとスーパーファミコンを1台で楽しめるファミコンを発売していたら?
- 価格はスーファミの定価+10,000円ぐらい。
- 1993年までに発売されていたらニューファミコンは発売されなかった。
- ファミリーコンピューターの製造も、両用ファミコン発売とほぼ同時に打ち切られていた。
- いわゆる「ファミコン互換機」について、任天堂が取締りを強化していた。
- 地デジのご時世になってRF接続で苦しむ必要がなくなった。
- AVファミコン涙目w
- スーファミコントローラでファミコンをやるとき、ABボタンはそのままABだがXYはそれぞれABボタンの連射となってジョイカードいらず。
- あとⅡコンのマイクはLとR同時押し。
- スーファミでファミコン周辺機器を使うアダプタも登場したが、ジョイカードは先述のSFCコントローラに、ファミリーベーシックはバッテリーバックアップに、光線銃はスーパースコープに取って代わられ引退。
1989年に発売されていたら
スーファミは1990年11月に発売されましたが、当初は1989年中に発売予定でした。何度か延期されて実際の発売日まで延期されましたが、もし予定どおり1989年中に発売されていたら…
- 「ドクターマリオ」や「ヨッシーのたまご」のSFC版が出ていた。
- ドクターマリオはニンテンドウパワー書換専用でスーファミでも出てました。お間違えのなきよう。
- あくまでニンテンドウパワー書換専用ではなく、ROMカセットで出ていたという意味です。
- ドクターマリオはニンテンドウパワー書換専用でスーファミでも出てました。お間違えのなきよう。
- ディスクシステムは実史以上に衰退が進み、ソフト供給は1990年7月頃に終了し、ディスクライターも1991年10月頃には消滅していた。
- SCEとの交渉結果が変わっていた可能性もあり。
- 当時はCDの弱さがさらにデメリットだったため、提案なんかされず、よって蜜月状態は解消されない。
- セガやNECが失敗騒動をしまくって、ある程度時期が経って、ようやく光ディスクの質が整い、スーファミようプレステが販売される。
- 一部のファミコンソフトがスーパーファミコンに変更して発売される
- 「ドラゴンクエストⅣ」はスーパーファミコンで発売されていた。
- 大容量を生かし、イベントなどが増えていた可能性も。
- 現実には没になったモンスターも普通に出てくる。
- AIの作戦に「めいれいさせろ」が追加されていた。
- リメイク版にあったクリア後の話もこの時からありだったかも。
- 大容量を生かし、イベントなどが増えていた可能性も。
- コナミのスーパーファミコン参入第1段は「グラディウスⅡ」だった
- FC版「パロディウスだ!」は発売されず最初からスーパーファミコンで発売されていた
- PCE版は発売しなかったかも知れない
- SFC用のドラえもんゲームシリーズの第1作目は「のび太と妖精の国」ではなく「ギガゾンビの逆襲」だった。
- FC版は発売しなかった。
- そのため「のび太と妖精の国」は第2作目に変更された。他の作品も徐々にずれた。
- 第4作目「のび太と月の王国」はプレイステーションで第1作目として発売された。
- 「魔界のダンジョン」は存在したかどうかは微妙。
- 第4作目「のび太と月の王国」はプレイステーションで第1作目として発売された。
- そのため「のび太と妖精の国」は第2作目に変更された。他の作品も徐々にずれた。
- FC版は発売しなかった。
- 他の任天堂ハードも1年ずつ早まっていたかもしれない(NINTENDO64=1995年、ゲームキューブ=2000年、Wii=2005年、Wii U=2011年)。
- 携帯ハードも同様かも(ゲームボーイポケット=1995年、ゲームボーイライト・カラー=1997年、DS=2003年、DS Lite=2005年、DSi=2007年、3DS=2010年、New3DS・LL=2013年)。
NINTENDO64
CD-ROM形式だったら
- 任天堂とソニーの決別はなかった。
- PS本体も史実以上に大ヒット。
- 仮にソニーと決別しても、後継ハードの売り上げはPSをしのげなくとも現実より売り上げはよかった。
- 売り上げの順番に関してはプレイステーション>NINTENDO64>セガサターンになっていた。NINTENDO64の売り上げは600万台か700万台になっていた。
- スターフォックス64はロムカセットの容量の少なさからボイスデータを圧縮してできた雑音を無線の通信のように仕立てるというテクニックが使われたがそれは行われなくなる。
- 64DDは発売されていたか?あっても、それほど注目されなかったと思う。
- NINTENDO64のソフト不足は起きなかっただろう。カービィのエアライドも予定通りNINTENDO64で販売されていた。
ゲームキューブ
予定通り、2001年7月に発売されていたら
- 2000年夏に行われたニンテンドースペースワールド2000においてゲームキューブを発表したときに当初は2001年7月に発売予定とアナウンスされたが、もし予定通りに発売されていたら…
- ピクミンやスマブラDXなども9月中に発売されていた。
- 動物番長も2001年内に発売されていた。
- セガは現実よりも任天堂ハード向けのソフトに積極的だった。
- ソニックアドベンチャー2はドリームキャストでは無くゲームキューブで発売されていた。
- あるいは両方同時発売になっていたかもしれない。
- シェンムー2も
- ソニックアドベンチャー2はドリームキャストでは無くゲームキューブで発売されていた。
- 現実よりもハードの売り上げも高く、ゲーム機自体の色の種類も現実よりも多かったかもしれない。
- 64時代末期のゲームソフトがゲームキューブ版でいくつか登場していた。
- どうぶつの森も最初からゲームキューブのソフトに移植していた可能性が高い。
- その年の夏休みの思い出といえばゲームキューブっていう子が多数いた。
- その分、プレイステーション2の売り上げは現実より少なくなっていたかもしれない。
Wii
HD画質に対応していたら
Wii発売当時、他社がHD画質に対応させる一方、任天堂はHDは時期尚早としていました。
- 2010年頃以降ソフト不足に苦しむことはなかった。
- 代わりに発売初期はソフト不足に苦しんでいた。
- WiiにもHDMI端子が搭載されていた。
- 但し、ケーブルはコストの関係で別売りになっていた。
- Wii本体の価格が史実よりも高かったが、普及台数は史実と同じぐらいだったと思われる。
- 史実とは逆に、発売当初よりも後期のほうがハードやソフトの売れ行きが良かったと思われる。
- TVCMでは「HDMIケーブル1本で接続できます」と接続の簡単さもアピールしていたかもしれない。
WiiU
ゲームパッドに携帯機の機能を持っていたら
ゲームパッドでゲームをすること自体は可能ですが、単体での使用を想定したものではないため、携帯機としての役割を果たしていません。
- ソフトはカード形式で供給されていた。
- 任天堂は携帯ハードに強いので史実以上の売上だった。
- Nintendo Switchの登場が遅れていた。
- 携帯に特化したWiiU Liteも登場していた。
- 3DSの立場がなくなっていた。
- スマブラForはWiiU版のみ発売されていた。
- アイスクライマーやポケモントレーナーも参戦できていただろう。
Nintendo Switch
多機能ゲーム機だったら
Nintendo Switchは現代のゲーム機には珍しくゲームに特化された設計であり、多機能とは言えません。もし、多機能ゲーム機として発売されていたら?
- インターネットブラウザ、メール、メディアプレイヤー、カメラなどを搭載していた。
- 音楽ファイルはハイレゾ音源にも対応していた。
- 3DSソフトとの互換性もあったし、バーチャルコンソールにも対応していただろう。
- WiiUとの互換性もあったらディスクドライブも発売されていた。
- その分、WiiUからSwitchへの移植が減っていた。
- Nintendo Switch Onlineはなかった。
- WiiUとの互換性もあったらディスクドライブも発売されていた。
- LINE、Twitter、InstagramなどのSNSアプリも提供されていた。
- SwitchでYoutubeやニコ動が見られることが史実以上にプッシュされていた。
- 現実より5000円~10000円高く発売されていた。
- 史実より売れなかった可能性もあるが、PS Vita亡き今では独走していた可能性も。
- 3DSの存在が薄れていた。
- 3DSはSwitchより格下の位置づけになっていたかも。
携帯機
ゲームボーイ
電池が充電式だったら
- 本体価格が上がっていた。
- 電池交換費用も相当なものとなり、「電池交換よりも買い換えたほうが安い→高過ぎ→コケる」という地獄にはまっていたかも知れない。
元からポケットだったら
- ゲームボーイcollarが早めに発売された。
ニンテンドーDS
ゲームボーイを名乗っていたら
- 当初第三のハードとして売り出し、失敗したら新型ゲームボーイ(次世代機)を発売する予定でしたが、もし最初から新型ゲームボーイ(次世代機)として売り出したら。
- 発売は2005年末になったかも。
- 初期の一部のソフトがアドバンスで発売される。
- PSPに遅れを取り、史実よりシェアを取られる。
- ポケモン本編の発売が遅れた可能性も。
- もちろん史実の3DSもゲームボーイを名乗る。
- Wiiがあったかは微妙。
初期のDSにアドバンスとの互換がなかったら
- DS、DS Liteにはゲームボーイアドバンスの互換がありました。
- ポケモンは第二世代に続き第三世代でも再び互換切りになっていた。
- アドバンスはさらに短命になっていた可能性も
- 3DSにDS互換があったかも怪しい。
初期のDSにゲームボーイシリーズの互換があったら
- 初代とライトにはゲームボーイアドバンスの互換がありましたが、ゲームボーイシリーズとの互換も存在したら…
- 当然通信プレイはできないが、DSとのダブルスロットは期待できるかも。
- ゲームボーイシリーズはゲームキューブとは違う意味で息の長いハードになっていたはず。
- だがプレイする時はアドバンス同様にカラーとしてのプレイになっていた。
ニンテンドー3DS
短期で15000円に値下げしていなかったら
- 3DSLLの販売までには史実通り値下げは行われていたと思う。やはりWiiと同じく20000円辺りまで値下げか?
- 現在は18000円辺りまで値下げされている。
- たぶん「スーパーマリオ3Dランド」の発売前後で2万円ほどに値下げされる
- それでも3DSは史実通り売れていると思われる。ただ、史実ほど売れていたかどうか…。
- 任天堂は赤字に頭を抱える事は無かっただろう。しかし、WiiUの売り上げ次第で史実通り赤字になっていたと思われる。
3D機能がなかったら
- そもそも「3DS」という名前ではなかった
- 「NewニンテンドーDS」だったかもしれない。
- それでも3D機能を使わないソフトには影響がない
- 3D機能がない代わりにもっと高性能だった可能性も
- 初期価格はそれでも安くて20000円か、それとも25000円のままだったか
- ソフトの形は史実と変わらずか?
最初から15000円で売っていたら
- 赤字がさらにひどくなっていた替わりにもっと早く普及していた……というのはやはり無理があるか。
- アンバサダープログラムはなかった。
- なので、アドバンスのソフトがVCで出ていた可能性もある。
DSとの互換がなかったら
- VCでDSのソフトが出ていた。
- 最初から15000円で発売されていた可能性もある。