夜行列車/あ・か行

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あ行

あおもり

  1. 日本海の補完として運転されていた臨時列車。
    • 元々は日本海81・82号だったが、20系客車があまりにも老朽化したので急行に格下げとなった。
  2. 元々は名古屋発着の急行列車だった。
    • 横浜から大宮まで客扱いはなく、東京・上野は通過と言う凄まじい停車駅となっていた。
      • 常磐線経由も運転されていたが、こちらも品川の次は土浦。
    • 仮に定期化されたうえで特急に格上げされていれば、東京を深夜に通過する唯一の列車になっていただろう。最も東北新幹線の工事が始まる前に定期特急化されればの話だが。

あかつき

  1. 関西~長崎・佐世保方面のブルートレインの印象が強いが、かつては西鹿児島行や熊本行もあった。
    • 客車:「あかつき」、電車(583系):「明星」と棲み分けていたため。S50.3改正から行先別となって長崎本線系統に専念。
      • その後も「明星」とくっついて運転される列車が多々あった。最期は「なは」とくっついて終わったが、どうせ廃止されるなら最期の相方も「明星」にしてほしかったな。
    • 実は西鹿児島発着時代は食堂車が営業。更に20系の西鹿児島発着列車は、1972(昭和47)年3月ダイヤ改正から4か月間はナロネ22が共通運用の「はやぶさ」と共に連結されており、関西発着の夜行列車では個室寝台連結列車第1号である。
  2. 佐世保編成が筑豊本線(冷水峠)を経由していた時代がある。
    • 鳥栖~肥前山口間の停車駅では、同じ名前の列車が2度来ることで話題になった。
      • 西村京太郎にネタにされた。
      • 誤乗トラブルも多かった。
        • 肥前山口で分割併合せず門司で機関車交換ついでに分割併合してた。
  3. 14系のB寝台2段化版である14系15形が真っ先に投入され、国鉄末期まで独占していた。
  4. JR化後に夜行バス対抗で連結された「レガートシート」車(3列独立シート座席車)が、異彩を放っていた。
    • 「なは」のレガートシート車はブルートレインのカラーを踏襲したが、こちらは青を基調としながらも白帯に鮮やかな赤の斜めラインが3本。
      • 青白赤の3色はテールマークと同じ色からだったんだろうけど、じつはオランダ国旗の色なんじゃないのか?と長崎でだけ噂になっていた。
      • レガートシート車には豪華な化粧室・トイレがあったが、事もあろうに女性専用だった。
    • 編成の端に連結されていたが、これは車内通り抜け防止のため。
  5. 「本日のあかつき号は日本海側の大雪により運休となります」
    • 「雷鳥」や「日本海」で下ってきた編成がそのまま「あかつき」の運用に入ることがあるため、このような事態が発生していた。
  6. 暁の超特急」と呼ばれた人とは関係 … ないのかな?
  7. 最盛期は7往復だったらしい。すごいね。
  8. 途中分割併合があったのだから、貫通幌を装備した電車である583系が最もふさわしい列車だったのだが、結局投入されず。電車なら肥前山口や門司での長時間停車・機関車の連解結をせずに済んだのにね。
  9. 何気にブルートレイン用に造られた客車形式(20系、14系、14系15形、24系、24系25形)をコンプリートしている。
    • 特に14系15形は「あかつき」のために作った客車。
  10. 東京発着急行時代は不定期列車の期間が長かった。

安芸

  1. 悲運のブルートレイン。
    • わずか3年半程で廃止。しかも運行していた時期はヘッドマークの廃止直後で、かつイラスト入りテールマークもまだ無かった時代だった。
  2. 呉線を走った唯一のブルートレインである。
  3. 客車急行時代はヘッドマーク付きのC59やC62が、10系客車で統一された編成を牽き驀進する・・・なんて感動モノの光景が広がっていた。
  4. 急行列車としては風格ある名前だが、寝台特急としては極めて地味な印象。
    • ヘッドマークもテールマークも採用されなかった寝台特急である。
  5. 「きたぐに」より先に食堂車で火災が発生している。
  6. 下り列車は、関西と呉線を結ぶ新聞輸送列車の重責も担ってた。利用率が低いにも関わらず、車両が20系からいきなり最新の24系25形が充てがわれたのも、14系だと荷物車がないためである。

あけぼの

宮原駅にて
  1. 今でも一定の需要があるのか、しぶとく残っている。
    • 数えきれない程あった夜行列車もその殆どが淘汰された中で、あけぼのは地味に今日も上野駅にその姿を見せてくれる。
    • ただ上野行きだと、青森からはほとんど乗っていなかった。大館~秋田からの乗客が多いようだった。
  2. かつては3往復走っていたものの、山形秋田新幹線の開業や、北斗星の誕生等で現在の1往復になってしまった。
  3. 機関車は、EF64形1000番台→EF81とリレー。
    • 上野~長岡がEF64形1000番台、長岡~青森がEF81。
      • ちょっと前までは通してEF81が引っ張っていたものの、不具合や不都合が多いらしく、現在では上越線(山越え)のプロである「山男」ことEF64の1000番台が上野~長岡を担当する様になった。
    • かつてはルートによって道中で機関車を5回も付け替える事があったらしい。
      • 実際あった。上野~黒磯:EF65PF・黒磯~福島:ED75・福島~山形:ED78+EF71・山形~秋田:ED75・秋田~青森:ED75-700と機関車交代。
  4. リネン抜きB寝台「ゴロンとシート」は、指定席料金のみで横になれる数少ない存在。
    • 「レディースゴロンとシート」という事実上の女性専用車両が連結されている。
    • やろうと思えば、青森~羽後本荘間の利用で、通常のB寝台車で指定席料金のみで横になれる…のか。
  5. 客車は24系25形の白帯と金帯の混編成。
    • たまに金帯一色の編成で運行される事がある。まぁ言う程レアではないけれど。
  6. かつては陸羽東線→奥羽本線を通っていた。だから小牛田-新庄間をDD51が牽引。
    • 現在のルートにされたことで横手市は衰退してしまった。
    • DE10の重連だったはず。
  7. 廃止確定。お疲れ様でした。乗りたかったゾ…。
    • 秋田~青森間の現在の時間帯はつがるが引き継ぐことに。
  8. 臨時として走っているが、ソロは1両のみ、ゴロンとシート、シングルデラックスは外された。 
    • 電源車を除けば末期の富士と同じ6両編成。
  9. ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」に山形経由時代のあけぼのが登場する。
  10. 路車板のあけぼのスレ、では運休することをまけぼのという。
  11. 日本海側沿岸部の住民としての感覚だが、それまで親しんできた「出羽」「鳥海」の名を消滅させてまで、別のルートを走っていてこの地域と縁のなかった列車の名前を持ってくる必要があるのかと、当時思った。
    • 廃止されるというニュースでインタビューを受けた年配の人が「昔これで上京した、廃止は寂しい」と言っているのを見て、この人が乗った時とはルートの違う別の列車なのにと思った。

あさかぜ

20系保存客車
  1. 博多あさかぜは、20系時代はロネを6両も連結したこともあるなど、いわば九州ブルトレの旗艦的存在だった。
    • なのに民営化後「みずほ」とともに真っ先に切られた。
    • もしかしなくても戦犯は新幹線だろう。丁度のぞみ登場と重なるのかな
  2. 一方、地味な存在だった下関あさかぜは、JR化後にカニ22以来となるパンタグラフ集電方式の電源車を復活させて(スハ25)、ファンを驚かせた。
    • もう一目瞭然だけど、現在の北斗星やトワイライトの食堂車と同じく485系(系列)特急用電車からの転用。
      • スハ25の種車は12系では?
    • カニ22と違うのはパワーエレクトロニクスの進化でインバータ制御可能になって電源車が要らなくなったから。
  3. 日本で最初のブルートレイン。
    • それ以前から「あさかぜ」は存在していたものの、青い車体の20系客車を使う様になって「ブルートレイン」という言葉が生まれた。名付け親は鉄道ジャーナル誌初代編集長である竹島紀元氏というのは有名な話。
  4. タモリ倶楽部の鉄道博物館に行った回でこの列車の所に来た時、タモリが若い頃に九州から上京した時の思い出を語っていた。
  5. かつて「殿様列車」と呼ばれていたが、末期は「落ち武者列車」と化していた。
    • 食堂車が売店化して上りダイヤの博多発が東京行き最終「のぞみ」より前の発車となった1993(平成5)年3月ダイヤ改正期以降は特に。
  6. 民営化されてからの博多あさかぜはJR東受け持ちになったがグレードアップ改造施されて車体に金帯を巻いた。
  7. 上りの下関あさかぜの東京到着時刻は、朝ラッシュが始まるギリギリ前の時間に設定されていた。
    • そのため、ダイヤが遅れて東海道線の朝ラッシュに重なってしまうと、線路に余裕のある羽沢線、品鶴線経由に変更して横浜は通過(てか通らない)、終着も品川に変更されていた(実乗経験あり)。
  8. 下関あさかぜを285系で置き換えという話もあったらしい、サンライズゆめという広島行きの臨時がその名残(今は走っていないが)。実際285系にはあさかぜの方向幕がある。

阿蘇

  1. 筑豊本線経由だった。
  2. 最初はなぜか博多行だった。
  3. 時が進むにつれてだんだん区間が短くなっていった。
  4. 寝台がついてなかった。
  5. 一時全車指定席だった。
    • そのためにあっそ。と乗客に見放され、廃止になった。
      • 座布団1枚
  6. そしてワンマンの特急の名前に転落した。
  7. EF61牽引で名古屋に発着していた。

天の川

  1. 上野~秋田間の上越・羽越線経由の寝台急行。
  2. 運行区間が急行「鳥海」と殆どかぶっていた。違いは新潟を経由する(白新線経由)点のみ。
    • 早とちりして、何で「鳥海2号」じゃないの?と思ったテツもいたかも。
    • その分、上野~新潟間でもなんとか夜行利用できるダイヤになっていた。電車のため寝台が無い夜行「佐渡」と役割分担していた様だ。
    • 編成面では、座席車が多い「鳥海」に対し寝台専用という違いはあった。
  3. 夜行列車の愛称としては汎用性がありそうだが、上記列車以外に使われたことは無い。
    • 松尾芭蕉の俳句で「佐渡」とセットにされたからだろうか。

出雲

  1. 全盛期は出雲を超えて石見の浜田まで走ってた。
    • 出雲1/4号。付属編成は出雲市回転だったが。
  2. 「いなば」が米子から出雲市まで運転区間を延ばしたことで仲間が増えた。
    • その後国鉄からJRになってから、時代に逆行するかのように客車三段B寝台を連結。割引きっぷを発売して高速バスに対抗するためだったらしい。
      • 割引きっぷの名は「出雲B3きっぷ」。当時の米子支社作成の宣伝パンフは、ゴジラとみられるフィギュアの後姿どアップ写真に「凄いヤツがやってきた」のコピー。なかなかインパクトの強いものだった。
      • この切符だと鳥取~東京間の場合往復¥20,000で夜行バスと全く同額!(特急、寝台料金は徴収しないに等しい。) 確かに「凄い奴」だった。
    • やがて、この列車が「サンライズ出雲」に変身した。
      • ただし、山陰線全線走破から山陽線・伯備線経由になった。
      • 「出雲B3きっぷ」も事実上「ノビノビ座席」に引き継がれた。
  3. 最後までブルートレイン純正の食堂車(最初から客車用の食堂車として製造されたもの)を連結していた。
    • 最後のブルートレイン北斗星の食堂車がスシ24、つまり485系からの改造車のため。
  4. 末期はJR東日本が受け持っていた。(代わりにサンライズ出雲がJR東海・JR西日本に)
  5. 東京発の定期寝台特急で単独運転だった(他の列車と併結しなかった)のはこの列車が最後。
  6. 1950年代の一時期急行「いずも」は急行「せと」(宇野行き)と併結していた。
    • 分割併合は大阪で行っていた。当時の「いずも」が福知山線経由だったため。

いなば

  1. 東京~米子間のブルートレインだったが、ブルートレインの名前としては「安芸」と同じ位短命だった。
    • ただし、こちらは運行区間延長による「出雲」への発展的統合だったので、悲劇性はさほどなかった。
      • 浜田市発着「出雲」と比べ食堂車が営業休止である事は変わらず。
  2. 東京~名古屋間は「紀伊」との併結だった。
    • 分割併合駅の名古屋が上下とも深夜帯なので連結器の衝撃音で目を覚ましてしまう苦情が絶えなかった。
      • 分割併合駅の名古屋は旅客に無関係な停車(運転停車)なので時刻表上は通過だった。そのため「走行中に分割するのか?」という問い合わせがあった。
  3. その後、愛称は岡山駅 - 鳥取駅間を山陽本線・智頭急行智頭線・因美線経由で運行する特急列車に使われ、現在は頭に「スーパー」がついている。
    • 何が「スーパー」なのだろうか。
      • かつてキハ181系使用の「いなば」があったので、新型車両(キハ187系)使用でグレードアップした列車には「スーパー」がつけられた。智頭急行のHOT7000系使用の「スーパーはくと」も同様。
  4. ある意味サンライズ出雲の源流となった列車である。(いなば→出雲2/3号→サンライズ出雲)

エキスポドリーム

  1. おそらく歴代の夜行列車の中では最も走行距離が短い。
    • つくば科学博開催中に土浦-万博中央を結んでいた。
      • 厳密に言うと土浦→引上げ線に向かい停泊→朝に土浦に戻る(ここで降りる事も可能)→万博中央が正しい経路。車両自体は折り返しの関係上佐貫まで回送されていた。
  2. 夜行列車と言うよりは列車ホテルの性質が強かったが、20系や583系が使われていたという。
  3. この列車がおおむね好評だったことから「ナインドリーム甲子園」などの列車ホテルが後々にも出てきた。
    • 2025年の大阪万博開催中には285系を使用した列車ホテルが登場するのだろうか。

エルム

  1. 北斗星を補助する臨時夜行特急、1989年から2007年まで走っていた。

尾瀬夜行・スノーパル

  1. 日本で唯一JRが関わってない夜行列車。東武線の夜の珍客。
  2. 東武トラベルのツアー客専用なので普通の切符じゃ乗れない変わった電車。
    • その代わり、復路は任意の特急列車に乗車可能だったりいろいろな特典が付いてくる。
  3. 車両は型落ち特急(改装した元りょうもう車)なのでリクライニングしない欠点…夜行なんだから少しは勉強して欲しい。
    • もっと昔は快速の車両でボックスシートだったのだが。
    • 2018年度からは新型車リバティでサービス面が大幅に一新。
      • コンセントや無料wi-fiがある。
  4. 東上線の客を呼び込むため新越谷にも停まる。同駅に停まる唯一の特急。
    • 実際は東上線からより、武蔵野線で千葉方面から来る人の方が多い気も・・・。
      • 武蔵野線なら多摩地方から来る人も無視できない。
  5. 終点に着いたら迎えのバスが来るまで仮眠タイム。
    • 寝台特急にしては距離が短く、終点に着くのがへんな時間。
      • 浅草~会津高原尾瀬口の距離は東京~静岡と同じくらい。
      • 尾瀬夜行は午前3時頃で4時台のバスまで1時間以上あるが、スノーパルは5時半の到着でバスは6時出発。
      • バスは復路も用意してくれる。なお、バスは当列車利用者用に特別に用意されたものであるため、列車に合わせた運行しかしない。宿泊する場合は路線バスを利用することになる。要するにこのツアーは日帰りのもの。
  6. 「スノーパル23:55」、「尾瀬夜行23:55」と呼ぶことも多い。ちなみに時刻部分の読み方は「ニーサンゴーゴー」。
  7. 「スノーパル」は日本最後のスキー客向け臨時夜行列車。
  8. スノーパルの方が申し込み特典が充実している。フルにつけるとスキーウェア・リフト券・朝食にスキー教室が付く(プラン選択で減らすこともできる)。一方で尾瀬夜行はほとんど何もない。

オリエント・エクスプレス'88

  1. オリエント急行を日本で走らせるという現在じゃ考えられないことが行われていた。
    • しかも某テレビ局の開局30周年の記念で。
    • 今後同じような企画が立てられなければ、ヨーロッパの駅で「TOKYO」の行先表示が見られた最初で最後の例になると思う。
  2. 車両の規格が違うために線路の移設をまでしたらしい。
  3. 青函トンネルに石炭レンジを使った食堂車が通った唯一の例。
  4. パリからソ連を通って香港から船に載せて広島から東京に到着した。
  5. 「オリエント・エクスプレス」らしく種別は急行だった。
  6. これをきっかけに夢空間とかトワイライトエクスプレスがつくられたそうな。
  7. 香港までと日本上陸以降だと編成が若干異なる。
    • 日本だと何両か取り外した代わりに20系と50系が1両ずつ増結されていた。
      • これらの客車はただ単に連結しただけでなく、塗装もオリエント急行に近いものに変更されていた。
        • 20系ことオニ23は全面塗り直してそれっぽくなったが、50系のほうは手抜き感が…
    • KATOの鉄道模型ではこれらの仕様がどちらも再現されている。最初は日本仕様だけ売っていたのが、再販時に上陸前の編成まで再現するという凝りっぷり。
  8. 良くも悪くもバブル期を象徴する派手な企画だったと思う。
  9. 国内で運行するのに車籍が必要になるので妻面に日本の車体表記が書かれていた。
    • 帰国後も所有会社の意向で「日本を走った証」として残されたが、その会社が倒産してしまい車両ごと行方不明に…
    • アルファベット入りの形式も今でこそ当たり前のようになったが、当時はかなり異質だった。
  10. 日立製作所がこの企画のメインスポンサーとなっており、日本で走るための整備も担当していた。
  11. 実は当時の食堂車だけ箱根に現存する。

か行

カートレイン・MOTOトレイン

  1. カートレインは専用、MOTOトレインは既存列車に連結して運転されていた。
    • カートレイン始発駅は汐留→恵比寿→浜松町と変わった。
  2. 車運車では無く、荷物車など改造して車を乗せていた。
  3. バイク輸送車両は必ず最後尾に連結されていて、青森駅ではわざわざ連結位置変更が行われた。
    • 「MOTOとレール」という愛称ついてたが…JR側にとって「モト取れール」だったのかな?(笑)
    1. 車を載せる際にバイクは燃料を抜かないといけない、狭軌なのでサイズに制限がある(ピギーバック輸送も同じ理由で廃れた)などの問題で無くなってしまった。
    • JRが「元取れん」(特に九州に入ってすぐの東小倉駅までの運転だったJR九州の取り分が少なかった)状態になったのも原因。
  4. 運賃+料金はカーフェリーよりやや高め、ジェット&レンタカー(航空機とレンタカーを組み合わせた旅行商品)より安く設定された。MOTOトレインはオートバイの運搬費の他に運賃・特急料金・急行料金・B寝台料金が含まれるパック料金だった。
  5. 東京地区発着は特急列車・名古屋発着は急行列車扱いの専用列車だった。MOTOトレインは既存列車に増結の形で運転された。
  6. 夏季限定運転だったので、MOTOトレインで北海道に渡るライダーに「ミツバチ族」という俗称がついたが、この列車が消えるのと歩調合せるごとく死語になっていった。

かいもん

  1. 夜の鹿児島本線を走破する夜行急行。
    • 門司港~小倉は普通列車扱い。
  2. 座席車と寝台車混結だが、座席車のシートがリクライニングシート。
    • 指定席車には給茶機があった。封筒みたいな紙コップじゃなくて小さいながらもちゃんとした紙コップだった。
  3. <日南>と同じような運命をたどったが(列車名はドリームつばめ)こちらの場合は博多を深夜0:06発車。最終の「のぞみ」接続のための措置。乗り継ぎ割引も適用された。
    • スジは2004年までドリームつばめ→有明に編入されて熊本発着→2014年長洲発着。
  4. 上記<日南>とは列車の向きが逆。西鹿児島(今の鹿児島中央)駅到着で同じ向きになるように編成されたため。
  5. 鉄道ファンなら常識かもしれんが、いちおう、列車名の由来は「薩摩富士」とも呼ばれる開聞岳(鹿児島県の山)から。もちろん「買い物」の俗称ではない。
    • 「開門」でもない。

カシオペア

震災後の復帰1号列車
  1. 北斗星(改)。
    • かつての北斗星1号の枠に新造された専用客車を充てたのがカシオペア。なので運行ルート等は基本的に北斗星と同じ。停車駅は当時の1号とは少し変わってるけど。
    • 個人的には西のトワイライトへのライバル意識を感じずにはいられない。トワイライト側も24系25形から新規の車両に移行してくれると面白いんだけど。
  2. 非ブルートレイン。
    • なんと、国鉄時代からどれぐらい振りになるのかは分からないけれど、20系や24系客車とは全く異なる、E26系という専用客車が作成された。
    • 多くの車両が2階建てで、銀色のボディに、上から紫・ピンク・赤・オレンジ・黄色の細い5本線が入っているというデザイン。
  3. 怒涛の個室A寝台のみ。
    • 庶民お断りと言わんばかりの豪華列車で、B寝台が1両たりとも連結されていない。往路だけでも上野大宮)から札幌までで最低3万数千円を要するという破格のお値段。「破格」と言ってしまった時点で自分が知れてくるけど。
    • しかも実質的に1人用の部屋も用意されていない。まさにブルジョアかリア充の為の列車。
      • 一部期間にツインルーム一人利用の特急・寝台料合わせ2万円弱な上野発「カシオペアシングルユース券」・札幌発「カシオペアひとり利用券」なるものも出ていたが目立たず。
    • それでも、人気アーティストのコンサートみたいに、発売されるとその日どころか数分以内に即ソールドアウトとなる人気ぶり。
    • 2つ↑までの理由から「テツヲタお断り」と解釈して差し支えない列車。
    • 全室2人個室・ゴージャスな部屋・1人利用お断り…テツは女に縁の無いので付いた呼び名は「走るラブホテル」。
      • 実際にカシオペアの内部で撮影されたAVが存在する。男優兼カメラマンと女優が二人で航空機で札幌まで移動し、折り返しの車中で撮影。
        • 機関車や客車の外観にモザイクが掛けられているが、丸わかり。
    • 乗り鉄の中には「いつか2人でカシオペアに」と野望を持つ奴も居るが…多分無理。
  4. EF81の一部が専用色に塗り替えられ、EF510の一部は予め専用塗装で誕生した。
    • EF81は白基調に黄色・紺・オレンジなどこれまでの機関車には見られなかった独特な配色。
      • カシオペア色のEF81は79・89・92・99号機の4両。4両とは言うものの、実際は89号機が重度の故障を負ってそのまま廃車になった事で99号機が新たに塗り替えられたので、現存する車両は3両。あと79号機と92号機もそろそろ怪しいので、撮影等は今の内に。
      • 北斗星と同じくEF81はEF510にその役割を譲ってカシオペアの牽引から引退してしまった。
    • EF510はE26系客車に合わせて銀色のボディで、E26系と同じ5色のラインが引かれている。その5色で北斗星塗装の同車と同じ流星が描かれているのも特徴。
  5. 週3日程度しか運行しない。
    • E26系客車が1編成しかないので、行ってしまったら帰って来るのは翌々日。どんなに詰めても1日おきにしか運転できない。なので普段は(下り)火曜・金曜・日曜の運行。行楽シーズンは1日おきに運行される。運転日にご注意下さい。
  6. 「カシオペア」という名前はもちろんカシオペア座から。
    • 実はおおぐま座(北斗七星)の対極にある星座でもある。
  7. 北海道新幹線導入に伴う架線昇圧等のせいで定期列車としては廃止になった、南無。
    • 臨時列車として上野→青森間他で運転することはある。

からまつ

  1. 小樽~釧路を走っていた普通列車。当時はまだ石勝線開通前だったので、滝川まわり。
  2. 季節によっては、下り列車だと夜明け頃に狩勝峠を越えるタイミングになり、壮観だったらしい。
  3. 宮脇俊三ファンには「最長片道切符の旅」で出発点の広尾駅に向かうために乗った列車としておなじみ。
  4. 中古鉄道グッズ店「カラマツトレイン」の名称の由来。

紀伊

  1. 東京~紀伊勝浦間を走っていたブルートレイン。東京~名古屋間で「いなば」(→「出雲3・2」)と併結していた。
    • 下りは深夜の名古屋で分割していたが、運転停車(時刻表上では通過扱い)のため走行中に分割されてると思われてた。
  2. ブルートレインだった当時、伊勢線は既に存在していたにもかかわらず、わざわざ亀山経由でスイッチバックしていた。
    • 下り列車の亀山着は午前3時台。なので対亀山の利用は期待していなかったと思われる。
    • 名古屋と亀山でスイッチバックすることで車両の向きを元に戻せる、というのが大きな理由だったのかも。
  3. ブルートレイン化当初、亀山以南はDF50が牽引していた。
  4. こいつにヘッドマークがついてたついてないという議論は中級鉄オタが一度は通る道。
  5. 國鐵末期でなかったらもうちょっと残ってたかもしれない列車。
  6. 機関士が飲酒運転しながら入換をして客車に激突した不祥事は有名。
  7. 急行時代前半は紀伊国を通らない王寺・鳥羽発着を併結していた。
    • もっとも伊勢国にも紀伊藩領はあったが。

北上

  1. 「はくつる」の前身。ただし常磐線経由だった。
  2. 盛岡電化時に電車急行「きたかみ」として復活するがいわてに統合。
  3. その後は北上線の昼行急行に転身。

きたぐに

  1. 新潟駅にとっては対大阪で唯一の列車。
  2. 水曜どうでしょうファンにとってはサイコロ1で、寝台券が3枚しか取れずに「何らかの方法によって」大泉洋が自由席に座ることになった列車として有名。
  3. 急行というカテゴリー、583系と大きなお友達に人気。塗装は意見が分かれるけど・・・
  4. 残業して疲れ果てて京都駅に着くと、発車標に「0:03 新潟 きたぐに」の文字。何度乗ってやろうかと思ったことか。
  5. 東海道線を走る唯一の急行列車
  6. 2012年春、日本海と共に姿を消す・・・。
    • これで関西と新潟県を直通で結ぶ列車は皆無に。関西と新潟を行き来するには航空機か高速バスということになってしまう・・・。
      • 航空機は天候に左右されるので、この間を移動するにも最悪東京を経由せざるを得ないケースも生じるかもしれない。恐るべき東京一極集中。
        • 北陸本線の特急乗り継ぎも時間がかかりすぎるし。
  7. 「湖西線経由、京都から敦賀まで止まりません」というアナウンスを大阪駅しているらしいが、それならわざわざアナウンスをする必要はないのでは?
    • 定期列車時代は米原経由だったので、混乱を避けるため注意喚起していたのだと思う。湖東では通勤列車としての利用もあったし。
      • 京都 - 敦賀間無停車ならどっち経由だろうと無意味。
  8. 客車時代(大阪~青森)は寝台が10系客車・座席が12系客車と分かれてた時があり、乗務員泣かせだったそうな。
    • 12系は冷暖房が自動調整だったが、10系は各車ごとに調整しなきゃならない「手動」だったため。

きりしま

  1. なはの原型。
  2. その後愛称は宮崎~鹿児島中央間の特急に使われた。
  3. 初めての京都始発・終着寝台特急だった。
  4. 583系では珍しく走行中に寝台を解体した。

霧島

  1. こっちは漢字。はじめは東京~鹿児島、末期は東京~西鹿児島を鹿児島本線経由で結んでいた。
  2. 寝台特急(こっちはひらがな)に名称をとられて桜島に改称。ちなみに霧島だった時代から同じ区間を運転する不定期急行の桜島が存在。
  3. 末期は高千穂と併結していた。
  4. つばめ・はとの電車化直後は青大将色の客車が連結されていた。
  5. JR化後に新大阪発着の臨時急行として復活し、EF66+20系の組み合わせが実現した。

金星

  1. 名古屋~博多間を走ってた「583」。意外と(?)新幹線との乗り継ぎなどで需要は多かったらしい。
    • 夏休みに走る臨時の「金星51号」は、なぜか遠路はるばる西鹿児島まで行ってた。
      • 旧盆と年末年始に走る臨時の金星は、JR東海の14系客車使用なので簡易リクライニングシートのままで、JR化後はフルストップに改良されたシュプール用の14系座席車使用の快速ムーンライト九州に乗客が奪われて1993(平成5)年3月ダイヤ改正で消滅。末期は名古屋では「名古屋の恥」と言われ、完全に空気輸送であった。
    • 昼間は「しらさぎ」に運用された。
  2. 「金星と明星は何がどう違うんだ?同じ星じゃないのか?ヘッドマークもよく似てて同じようなもんだろw」と言ってはいけません。
    • そもそも「明星」とは姉妹列車という位置づけだった。
  3. 東海道時代は上下で異なる相手を併結した。

銀河

  1. 東京大阪の二大都市を結んでいた寝台急行。やりようによっては需要はあると思うんだが。
    • 廃止まで需要はそれなりにあったらしいが、JR東海の機関士がみな定年になってしまい、その後も機関士を養成する気がないので廃止になったらしい。まぁそれはJR西も東も似たような状況かも知れないが、JR西に583系がもう3編成ぐらいあれば今でも残っていたような気がする。
      • 大阪を新幹線が終わった22時台に出発して東京は7時台着で、出張にはベストタイミングだった。今の東京行きのみサンライズで遅く行けるがその分7時ちょっと過ぎと早いか。
    • 285系で運転していればまた違った結果になったかもしれない・・・
    • 今は上京する場合のみサンライズが代わりになるが、このサンライズが追い打ちをかけたという可能性も少しある。
  2. 旧型客車時代は座席車もあった。
  3. 20系客車の絵入りマーク採用第1号。
  4. 実は長い間上りの東京着が9時台で朝一番の新幹線より遅かった。
    • 1984年に3時間繰り上げたが、TDL開園に間に合わせる配慮もあったらしい。
    • 都合のいい時間帯だと朝ラッシュ時にひっかかるから。
  5. 東海道新幹線開業直前には東京~大阪・神戸の寝台列車が最大7本もあり、銀河・明星・彗星・月光・あかつき・すばる・金星とすべて天体の名前がついていた。
    • 「東海道寝台急行7人衆」と呼ばれたらしい。
    • その中で唯一新幹線開業後も走り続けたのが銀河。彗星やあかつきはその後関西発の寝台列車の名前に転用された。

月光

  1. 583系
    • 走り出した当初は581系だった。
  2. 相方の「みどり」とは違い早期に消えた。
  3. JR化後各地で快速として復活。

JR列車
新幹線 新幹線
在来線(昼行) /い~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
在来線(夜行) あ~こ/さ~の/は~わ
ジョイフルトレイン あ~そ/た~わ