もしあの県が存続していたら
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独立項目
- もし都道府県が廃藩置県から一度も変化がなかったら
- もし3府72県のままだったら
- もし39道府県のままだったら
- もしあの県が分離独立していなかったら
- もしあの県が分裂したままだったら
- もし弘前県が存続していたら
- もし水沢県が存続していたら
- もし鶴岡県が存続していたら
- もし磐前県が存続していたら
- もし新治県が存続していたら
- もし大石川県が存続していたら(石川+富山+越前)
- もし浜松県が存続していたら
- もし豊岡県が存続していたら
- もし堺県が存続していたら
- もし大島根県が存続していたら(島根+鳥取)
- もし三潴県が存続していたら
- もし九州が九県あったら(小倉県、八代県)
東北
胆沢県
- 現在の岩手県と宮城県にまたがる地域。
- 水沢が県庁所在地に。
- 合併後も奥州市とはならずに、水沢市のまま。
- 水沢を拠点とした小沢一郎が強い一方で、胆沢県外への影響力は小さい。
- 胆沢県からの議席は衆議院1議席のみ。
登米県
- 現在の宮城県北東部
- 県庁所在地の登米市が石巻市より栄えている。
- 東北本線は鹿島台から国道346号・県道15号・国道342号の、登米県庁を経由するルートで建設されていた。
- 陸軍大臣直轄の東北鎮台→第二師団は石巻に置かれていた。
- 登米空港が建設されていた。
- 三陸の物産は宮城県ではなく登米県の名産に。
角田県
- 現在の宮城県南部
- 角田市が県庁所在地に。
- 国道4号線、東北本線、東北自動車道、東北新幹線は、角田市を経由していた。
- 国道349号線が白石市を通っていた。
- 村田ジャンクションー仙台南ジャンクション間は山形自動車道として建設されていた。
- 東北自動車道は福島飯坂インターチェンジ-伊達-角田-柴田-岩沼-仙台南インターチェンジ。
関東
岩鼻県
- 現在の群馬県各地・埼玉県北西部
- 岩鼻(現高崎市南端部)が県庁所在地に。
- 岩鼻市になっている。
- JA高崎ハムはJA岩鼻ハム。
- 関越自動車道の高崎玉村スマートインターチェンジは、岩鼻インターチェンジの名前で関越自動車道開通当初からあった。
- 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構高崎量子応用研究所は、岩鼻大学(国立)の敷地になっていた。
熊谷県
- 領土は入間県と群馬県の大部分
- 政治・経済規模で熊谷県は旧埼玉県に勝っていたため、旧埼玉県だけ「ださいたま」とみなされていた。
- 上越新幹線は大宮よりも熊谷に多く停車し、駅前も熊谷駅前は大宮駅前よりも発展していた。
- 高崎線と東北線が分岐する駅も熊谷駅になっているであろう。
- 東京一極集中が進んだところで熊谷県より東京寄りである埼玉県に逆転されそうではあるが・・・
- 天気予報で、埼玉県は浦和(さいたま)よりも熊谷の気象を予報することに関して、県南の住民たちもそれほど違和感は感じないと思われる。
- 熊谷県南部の住民は熊谷より浦和(さいたま)の予報をあてにする。
- 3〜4地域に分ける場合は「水上(みなかみ)」「熊谷」「秩父」「所沢」になっていたはず。
- 熊谷県南部の住民は熊谷より浦和(さいたま)の予報をあてにする。
- あまりにも、旧埼玉県が熊谷県と比較して弱いがために、旧埼玉県が東京都になっていた。
- 熊谷県は群馬的な要素も含まれてくるので、旧埼玉県は南関東、熊谷県は北関東とみなされたかもしれない。
- ザスパ草津の天皇杯初出場が遅れていた可能性がある。
- 毎年「日本一暑い県」と呼ばれる。
- 県の形が「シャチホコみたい」と言われていた。
- 所沢が東京都への編入を求めていた。
- ベイシアが埼玉県内に史実以上に出店していた。
- 史実で埼玉西部が地盤のベルク、ヤオコーはそこまで大きくなかった。
- 一方で(ここでの)埼玉県内ではそこまで強くなく、茨城のカスミなどが強かった。
- セーブオンは最後まで同地域から撤退しなかった。
- 西日本では熊本県と勘違いする者も多かっただろう。
日光県
- 有名観光地の日光と同じ県名ということで県のブランド力が高い。
- 那須地方も新幹線駅のある那須塩原は日光県。
- 栃木県西部だけでなく東部の芳賀郡と上三川町も日光県。
- 宇都宮によって東西に分断されている。
若森県
- 現在の茨城県西部
- だいたい土浦より西。
- つくば市が県庁所在地となっていた。
- つくば市の中心地は若森。
- 若森市になっていた。
- つくばエクスプレスは戦前に国鉄路線として開業していた。
- つくば駅は経由せず。研究学園駅手前のカーブを直進し、若森へ。
- 研究学園駅は北側にあった。
- 若森からさらに北上し、筑波高校前を経由して筑波山ケーブルカー駅手前まで。
- つくば駅は経由せず。研究学園駅手前のカーブを直進し、若森へ。
- 国道125号線に沿った、土浦-若森-下妻-古河の鉄道も出来ていた。
- 常磐自動車道土浦北インターチェンジがもっと北西にあって、若森インターチェンジとなっていた。
- 筑波大学は駅弁大学に格下げ。
- 若森県(わかもりけん)と和歌山(わかやまけん)が紛らわしい。
印旛県
- 現在の下総国に相当する地域(新治県除く)
- 佐倉が発展、千葉は…
- 全部下総なので「常総市」は誕生しなかった。
- 県内のどこかに下総市が誕生した
- TDR、成田空港はここ。
- 旧埼玉県が存続していたら、そこといがみ合う。
- 「ジェフユナイテッド市原」の後ろに千葉はつかない。
- 総武本線、常磐線、東北本線がすべて通る。
- 新治と合わせて「インバリ」と言われていた。
- 藤代高校が未だに甲子園出場を果たせていないかもしれない。
- 古河と野田を結ぶ鉄道が開通していた。
韮山県
- 領土は東京都多摩地域・山梨県東部・神奈川県西部・静岡県東部
- 東京都の範囲は狭くなっていた。
- 東京都区部+横浜市+川崎市+三浦半島ぐらいになる。
- 県庁所在地が伊豆に置かれるため、御殿場と大月を結ぶ鉄道が建設されていた。
足柄県
- 領土は現在の神奈川県西部と伊豆半島
- 相模原は政令指定都市になれなかった。
- もしくは県庁が相模原に移動していた。
- 現実の相模原市の市域は神奈川県と足柄県に分かれているので、相模原市は現実とは違った形で誕生していた。
- 史実における相模原市の高座郡に相模原市が出来て、津久井郡には津久井町が出来ていた。
- 小田原が県庁所在地になるため、東海道新幹線は三島駅より小田原駅の方が多く停車している。
- 新幹線開業前の東海道本線の特急も停車本数が多かった。157系特急「あまぎ」も4往復中2往復が停車していた。
- 現在は東海道新幹線の小田原駅発も計画されるが実現しないまま現在に至る。
- 東海道新幹線の新横浜駅~小田原駅間の新駅は神奈川県と足柄県が争っていた。結果的には足柄県の平塚市内に出来ていたかもしれない。
- 相模川が県境になるため、「湘南」ブランドは存在しない。
- サザンの地盤は鎌倉や江ノ島で、足柄県は含まれない。
- 史実の湘南ベルマーレが、七夕に由来するチーム名になっていたかもしれない。
- 湘南は神奈川県。西湘が足柄県になっていた。
- 平塚市は神奈川県なのか、茅ヶ崎市は足柄県なのか混乱していた可能性が高い。
- 静岡県駿東郡小山町の足柄駅は別の駅名に。
- 竹之下駅になっていた。
- 戦後、小田原に「足柄大学」という駅弁大学が設立されていた。
- 小田原を本店とする地方銀行も設置されていた。一方、横浜銀行の県内の支店は平塚・厚木・秦野・小田原だけ。
- 「足柄新聞」という県域紙が発行されていた。また、テレビ放送は関東広域圏ではあるが、「テレビあしがら」という独立局(旧UHF局)も設立されていた。
- 小田原市はおおよそ20万人~30万人はいた。
- 少なくとも前橋市や水戸市ぐらいは人口が居た。
- 箱根町は5万人以上居て箱根市となっていたかも。
- 大磯は市制施行していたか怪しい。
- 熱海市と湯河原町と真鶴町の合併は問題無く合併出来ていた。
- 逆に神奈川県は多摩地域を領有したまま。
中部
筑摩県
- 北陸新幹線の松本駅停車案が求めるのが当県になる。
- それはありえない。もし新幹線を誘致するとしたら中央新幹線(中山道新幹線)だろう。
- 一番広い県にはなれる。
- 霞ヶ関や企業などのエリア区分では、筑摩県は、甲府・静岡・浜松などと一緒のエリアに編入され、直江津や富山などと一緒の「北陸」や「北陸信越」のエリアには編入されない。
- 内陸同士、列びに内陸⇔沿岸の交通網が激変していた。
- 県域テレビ局として、「テレビ筑摩」「筑摩放送」などが存在する。
- テレビ朝日系列のテレビ局は、「筑摩朝日放送」という名称になっている。
- 人口が少ないので3局どまり。
- FMラジオ局も「FM筑摩」。「FM長野」はコミュニティFM。
- テレビ朝日系列のテレビ局は、「筑摩朝日放送」という名称になっている。
- 史実の信州大学は、「筑摩大学」という名称になっていた。
- この他に、「筑摩県立大学」が高山に立地している。
- 井上正治原作の漫画「マラソンマン」に登場する学校名は、「筑摩大学」ではなく、別の名称になっていた。
- あるいはこちらが「信州大学」で、長野県の国立大学が「長野大学」になっている。
- 私立大学として「信州大学」や「松本大学」が立地している。
- 県域新聞として、「筑摩新報」が松本に立地する。
- 第十四銀行(本店:松本)が、筑摩県最大の銀行になっている。
- 銀行名が「第十四」なのは、高松の「百十四」銀行との混同を避ける為。
- 長野銀行は、松本ではなく長野に本店を置く地方銀行。
- 当然、「筑摩銀行」も存在する。
- 県内の天気予報は、松本(筑摩県北部)、飯田(筑摩県南部)、高山(筑摩県飛騨)の3箇所が表示されている。
- 松本山雅FCのJFL入りとJ2昇格が、史実より早かった。(史実では、2010年にJFL入り、2012年にJ2昇格)
- 松本市の人口は30万人を越えて、中核市入りを果たしている。
- 高山と松本を安房峠経由で結ぶ飛濃線が計画されるが、火山帯をぶち抜くことや急勾配で断念。代わりに長峰峠、権兵衛峠経由で高山ー木曽福島ー伊那市が結ばれる。
- 関連項目
新川県
- 現在の富山県・石川県射水郡。県庁所在地は魚津市。
- 射水郡は石川ではなく富山県では?
- 魚津駅が新幹線駅になる。黒部市に新幹線駅なんて有り得ない。
- 新魚津駅は魚津駅と一緒になっていたかもしれない。
- 富山市は少し寂れている。
- 富山テレビ放送は新川テレビ放送に。
- あいの風とやま鉄道があいの風にいかわ鉄道になっている。
近畿
- 関連項目
久美浜県
- 現在の京都府北部(旧丹波・丹後国)・兵庫県西部(播磨国)・北部(但馬・丹波国)・岡山県北部(美作国)
- 恐らく西日本では最も面積が広い県となっていた。
- その面積の広さゆえ現実の兵庫県以上に県としてのまとまりに欠けていた。
- 山陰本線は久美浜経由となっていた。
- 播但線は久美浜県を南北に結ぶ幹線となっていた。
- 久美浜県の南端は加西あたりだから北条線を伸ばして建設されていた。
- 豊岡市よりも久美浜の方が発展していた。
- 県庁が久美浜では不便なので結局姫路市に移転する。
- 県外の都市に県庁を置いたら一層不便になるのでは?
- 滋賀県は存在せず、旧近江国は京都府に組み込まれていた。
- 姫路銀行・三十八銀行・両丹銀行・宮津銀行・香住銀行が戦時中に統合し「久美浜銀行」を名乗っていた。
- 京都銀行は史実とは異なり戦後地銀として創業していた。また、現実の但馬銀行はなかった。
- 神戸銀行の規模も史実より小さく、都市銀行にはならなかった。太陽銀行や三井銀行、住友銀行との合併も当然なかった。
郡山県
- 現在の大和郡山市など
- こちらの県庁所在地が郡山市を名乗るから郡山市は福島郡山市とならなければならない。
- 「岩代郡山市」の可能性が高いのでは。
- 郡山県唯一の高等教育機関は郡山高専(史実の奈良高専)。
中国・四国
福山県
- もともと備後なので、広島市よりも岡山市との結びつきが強くなっている。
- 「福山大学」の名前は国立の駅弁大学の名称となり、現実の私立の福山大学は「備後大学」という名前を名乗っていた。
- 造船所や製鉄所など製造業が盛んなため面積が小さくてもやっていける。
名東県
- 現在の徳島県+香川県+淡路島
- 史実では四国の国の機関が集まっている都市は徳島市だった
- もしかしたら徳島市が合併で政令指定都市になっていたかもしれない
- (徳島県と香川県の人口を合わせると180万人ほどになるので)
- 上記の大高知県よりは無理が無かったと思う
- 実際戦国時代での日本も細川氏、三好氏が讃岐国と阿波国と淡路島を一緒に支配していたし
- 神戸淡路鳴門自動車道は瀬戸中央自動車道よりも早くに完成していた。
- 現実世界における徳島県内陸部はあまり発展しなかったかも知れない
- 「庚午事変」が起こって結局、淡路島は現実と同じ兵庫県所属ということも・・・
- 史実通り阪神淡路大震災が発生した場合、淡路島内から不平不満が続出し、淡路島は名東県から兵庫県に入れ替わった。
- 後に元の徳島県に改称していたかも知れない
- もし名東県のままだったら、名東区は「猪高区」と名乗っていた。
- 徳島ヴォルティスとカマターレ讃岐の戦いは四国ダービーでは無く名東ダービーと言われる
- もしかすると徳島ヴォルティスはもっと早くにJ1に昇格出来ていたかもしれない
- 四国タイムズが「四国新聞」を名乗っていたかも。
- 四国放送は名実ともに四国新聞の傘下になっていた。
- もしかしたら1952年にラジオ放送開始し、1958年にテレビ放送開始していたかも。
九州
都城県
- 現在の宮崎県南部から鹿児島県東部
- 現在の宮崎市周辺や西都・児湯地域、熊本県球磨地方も併合していた。
- 現実の宮崎県北部は熊本か大分の一部となっていた。
- 宮崎市は昭和の大合併でようやく誕生した。
- 現実の市街地は大淀川の北側だから美々津県。南宮崎駅周辺も都城県の端っこで、郡名由来の宮崎よりは「日向中村」「城ヶ崎」辺りを名乗っていそう。
- いばら
ぎき・みやぎと釣られて、「みやこぎ県」と誤認されてしまう。- もちろん、出身者はご立腹である。
- あるいは「としろ県」と言われる。
- あるいは「とじょう県」。
- 東国原氏は都城県の知事になっていた。
- 都城大丸は上手くいけば山形屋・鶴屋・トキハと肩を並べられる程の規模の地方百貨店になっていたかも。
- 現実の宮崎・大隅よりは活気と魅力に溢れていたと思う。
- 九州新幹線は都城まで通っていたはず。
- 吉都線は現在よりも繁栄している上に、志布志線ももちろん存続。
- 大鹿児島県成立後、旧美々津県と旧都城県の分県運動を糾合できず、そのままになっていたかも。
- 史実では西南戦争時に鹿児島側が都城を見下したから、都城も分県に賛成となったらしい。