福岡県内の地域対立

2009年12月19日 (土) 19:31時点における221.190.119.88 (トーク)による版
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福岡市vs北九州市

  1. 福岡市は千年以上の歴史を持つ商業都市に対し北九州市は明治近代以降軍事都市、工業都市として発展し九州で最初の政令指定都市になった輝かしい経歴を持つ。
  2. 世界一利便のいい空港や新幹線の終着駅として九州の中枢を担う福岡市はもはや九州だけでなく関西以西の中枢都市といえる。一方の北九州市はその名称と裏腹に方言などを見ても九州色があまり感じられず、大分と共に山口広島の方言と共通性がある。
    • 「いい」と言う返事も九州らしい「よか」ではなく「ええ」であり、「とげ」を意味する「すいばり」を使うのも広島と山口の瀬戸内沿岸部と北九州都市圏だけである。http://www2u.biglobe.ne.jp/~sasak/suibari/bunpu_map.htm

筑前vs筑後vs豊前

  1. 福岡は近代まで博多中心の筑前久留米中心の筑後小倉中心のに分かれた三国志状態でそれぞれ気質などが異なっていた。
    • 博多、小倉はともかく久留米は筑後の「中心」とは認められていない。
  2. 筑前はお祭り好きな進取性があり、古くから中国朝鮮などの外国と交流してきた結果、長崎と共に九州の中では最も開放的で社交的な性格である。
  3. 筑後は近隣の肥前佐賀や肥後熊本の影響を受け、地味で頑固であり閉鎖的な面は拭えないものの粘り強い努力家で福岡県人の中で最も九州色が強いといえる。
  4. 豊前は豊後大分と共に個人主義的で九州人としてより瀬戸内人としての気風が強い。明治近代以降は工業や軍事面で九州外からの人間も集まり最も九州カラーの希薄な土地になってしまった。

福岡市内の地域対決:福岡部vs博多部

  1. 福岡市内を流れる那珂川を境に西が武士の街・福岡、東が商人の街・博多であり、この双子都市は長年相容れない間柄で言葉遣いもかなり違っていた。
  2. 明治22(1889)年、全国の主要都市で市制が引かれることになったが、そのおり市名を福岡市にするか博多市にするかでもめ、多数決でわずか1票差で福岡に軍配があがり福岡市と決まった。
  3. 気の治まらない博多部住民に対し福岡部は鉄道駅の名称を博多に譲り、国鉄の駅名は博多駅になったことはあまりにも有名。

北九州市内の地域対決:八幡vs小倉

  1. 福岡市vs北九州市の章で北九州市は瀬戸内文化圏と定義したが、厳密にいうと北九州市の中心の門司の豊前地域がそれに当てはまる。他の戸畑若松は博多と同じ筑前部であり、方言もやはり博多弁に類似する。小倉や門司は大分や山口、広島に類似。
  2. 北九州市の二大中心は八幡と小倉であり、片や八幡製鉄を代表する工都、片や西日本最大の小倉陸軍造兵廠が存在した広島と並ぶ軍都で昔からしのぎを削る仲だった。
    • それゆえに小倉は太平洋戦争時、京都や広島と共に原爆投下の最優先候補地だった。
      • 京都は文化財が多いということで長崎に振り返られたが、小倉は広島と共にずっと原爆投下の最優先候補として残った。小倉が救われたのは曇天の他、ライバルの八幡の空襲で出来た煙で原爆の惨禍から逃れたというのが何とも皮肉。

筑後の地域対立:久留米vs大牟田vs柳川

  1. 筑後の中心を気取る久留米と、それに反発する大牟田・柳川。
    • 筑後の最大都市は久留米であるのは間違いないが、その勢力圏は意外と小さい。
    • 最大都市が柳川→久留米→大牟田→久留米と目まぐるしく移り変わった歴史を持つため、それぞれプライドが高い。
      • 一方で、比較的地味ながらしっかり存在感を持っているのが八女地区。
    • あくまでも「筑後」を名乗りたい柳川に対し、大牟田はむしろ独立して「大牟田」を名乗りたい、と柳川・大牟田の立場は微妙に異なる。
      • wikipediaの「筑後弁」の項でもずいぶん論争になりました。
  2. 三池藩を柳川藩の支藩扱いしたい柳川と、あくまで独立した藩であると主張したい三池。
  3. 地域対立というより、互いに排他意識が強い側面もある。
    • 新幹線の駅が福岡・北九州地区それぞれ1駅であるのに対し筑後地区だけで3駅できるのはその証拠。
  4. 福岡熊本の中間として何とか立て直しを図りたい大牟田と、熊本の存在を否定した上で大牟田を福岡の飼い殺しOKの地域にしたい久留米。

その他の福岡県内の地域対立

飯塚vs田川vs直方の筑豊の地域対立がある模様。