京阪3000系電車 (初代)
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京阪旧3000系(8000系30番台)の噂
- 8000系と無理やり仕様を合わせた新しいのか古いのかよくわからない車両。
- 新塗装にする気はあるのだろうか…
- 確か最後に旧塗装で塗られた車両はこれだとか。
- 新塗装化計画のプロットが発表された時はこれも対象に入っていたけど、結局それは幻に終わった。
- 当時のパンフレットに本系列の新塗装が載っている。
- 新塗装化計画のプロットが発表された時はこれも対象に入っていたけど、結局それは幻に終わった。
- 確か最後に旧塗装で塗られた車両はこれだとか。
- この手の車両としては珍しく地方に案外輸出されている。
- 京阪最初のダブルデッカーだが、何と旧車体を流用して中央部を大改造した。恐るべき京阪の技術力。
- 車体まるごと新造した方が手っ取り早かった気もしないでもないが、こんなプラモ細工みたいな事を平気でやるのも京阪らしい。
- ちなみにダブルデッカー部は山形の鉄工所に依頼して作ったらしい。
- その割にリニューアルされた1編成以外は3扉化格下げなどの改造工事を行わずに廃車された。
- 故1900系の格下げ工事とか更新冷改工事がかなり金かかったせいで、こうなったらしい。
- そう言う意味では時代に翻弄された悲運の電車とも言える。
- 当初は鴨東線開業に合わせて必要最小限の数だけ製造された8000系の評判良すぎて、客が「もっと入れろやゴルァ!」と言って来たからねぇ・・・。
- んで当時はバブル経済最盛期。あっさり大半の車両が置き換えられた。バブル期後だったらリニューアルで済ませていたかな?
- 後継の8000系もある意味時代に翻弄されていると思う。ダブルデッカーを連結したかと思ったら停車駅増加に伴う一部ロングシート化とテレビ撤去、プレミアムカー連結と。
- 当初は鴨東線開業に合わせて必要最小限の数だけ製造された8000系の評判良すぎて、客が「もっと入れろやゴルァ!」と言って来たからねぇ・・・。
- そう言う意味では時代に翻弄された悲運の電車とも言える。
- 故1900系の格下げ工事とか更新冷改工事がかなり金かかったせいで、こうなったらしい。
- 旧3000系は車体裾が絞られているために1階席の幅が狭く座席が1-2列の配置になっている。これに対し8000系0番台は断面が直立形状のため座席は2-2列配置となり転換も可能になった。
- 京阪も2階建て車両に全力を注いだのか、通路に絨毯が敷かれていたり内装がやたらと凝っている。
- 車体まるごと新造した方が手っ取り早かった気もしないでもないが、こんなプラモ細工みたいな事を平気でやるのも京阪らしい。
- 一応前面に方向幕があるが、特急運用時は鳩マークで隠される。
- 前面方向幕は更新改造時に設置されたもの。それまでは、特急運用時以外は鳩マークを隠していた。
- 旧3000系時代は京阪で唯一の電気連結器付き密着連結器装備だった。後にも先にもこの車両のみ。
- かつては3+3あるいは3+4連に分割可能で深夜時間帯には実際に分割して運用されていた。
- 噂によると叡山電鉄への直通を視野に入れていたとか。
- 実現していたら、鞍馬の火祭の時だけは乗り入れ中止だったろうな、あの混雑っぷりじゃ2扉転クロでは到底捌けるとは・・・。
- 噂によると叡山電鉄への直通を視野に入れていたとか。
- かつては3+3あるいは3+4連に分割可能で深夜時間帯には実際に分割して運用されていた。
- 旧3000系時代には一時期8000系(0番台)の中間車を1両だけ組み込んだ編成があった。
- 8000系が増備されるまではその車両だけ混んでいたらしい。
- 昔発行されていた「グラフ京阪」という鉄分度がかなり高かった冊子で、(旧)3000系特集という号があったが、その組み込んだ編成の走行写真が載っていたのはさすが京阪というべきか。
- そんなこんなで波乱万丈の人生を歩んできた旧3000系改め8000系30番台だがついに2013年春の引退が決定orz
- ありがとう8000系30番台、さようなら旧3000系
- ついに廃止かー、時代たったしな。お疲れ様。
- この車両が改番をしてまでこうも長く走っていたのは、社長がこの車両に思い入れがあって長く走らせていたらしい。
- 下手な他社の有料特急車よりも最後まで特急車らしかったこの車両、どこかで保存する価値はあると思う。特に改造ダブルデッカー。
- 2012年9月より引退を記念してクラシックスタイルと称して前面を登場当時の姿に復刻した。
- 2013年3月10日をもって営業運転からは引退、それと共にダブルデッカーもお役御免。月末に運転の惜別臨時列車は往年の7両編成で運行される。
- Photo Galleryでは「卒業おめでとう。」のメッセージと共にその姿が。
- 設計段階では十数年後に登場する阪神8000系のような前面スタイルも検討されていたらしい。
- リニューアル前には座席指定の列車に運用しないにもかかわらず、車内の壁面に座席番号が張られていた。
- リニューアルの時に撤去されたものの、クラシックスタイルになるときに復活した。
- しかしそれを盗んだ馬鹿野郎が現れた。
- リニューアル前の妻面には装飾が施されていたが、本当の金箔を使った豪華なもの。今もくずはモールに行けば見られる。車内に金箔を使ったと言えば他にJR九州の800系新幹線くらいだろう。
- リニューアルの時に撤去されたものの、クラシックスタイルになるときに復活した。
- 8000系登場前は外部塗装の色調が今よりも若干暗かった。
- 実は歴代の京阪特急車両で唯一ロングシートを装備したことのない系列である。
- 何やら旧3505号車が引退時のスタイルのままで、寝屋川車庫からどこかへ搬送されたらしい。保存か?
- どうもリニューアル後のくずはモールで保存されるらしいです。
- どうせなら梅小路に建設中の鉄道博物館に行って欲しかった気も。京阪とJR西日本は仲悪くはないんだから。
- んでダブルデッカー車の8831号車が富山地方鉄道に売却されるとの噂が・・・。
- 実際に富山に運ばれました。京阪カラーの編成に組み込むそうな。
- そして「ダブルデッカーエキスプレス」として運行開始。
- 平屋の2両と違って車番が「31」になったので微妙に違和感がある。
- 譲渡後も時代祭イラストはそのままである事にも微妙な違和感が。
- 時代祭ではなく立山黒部アルペンルートか黒部峡谷のイラストに変えた方が良かったのにと思う。
- 平屋の2両と違って車番が「31」になったので微妙に違和感がある。
- そして「ダブルデッカーエキスプレス」として運行開始。
- 実際に富山に運ばれました。京阪カラーの編成に組み込むそうな。
- んでダブルデッカー車の8831号車が富山地方鉄道に売却されるとの噂が・・・。
- 保存車は「デジタル動態保存」という謎の扱いを受けている。
- 保存にあたっては、極力登場当時に近付けたが、車椅子スペースがあったり、座席がバケット式だったり、テレビが液晶だったり、などの差異はある。
- 化粧板も基本的には登場時のものではなく、リニューアル後のもの(8000系のリニューアル前と同じ)。但し妻面だけは登場当時のものに復刻された。
- 車内の路線図も1972年当時のものが復刻されている。
- 保存にあたっては、極力登場当時に近付けたが、車椅子スペースがあったり、座席がバケット式だったり、テレビが液晶だったり、などの差異はある。
- どうせなら梅小路に建設中の鉄道博物館に行って欲しかった気も。京阪とJR西日本は仲悪くはないんだから。
- どうもリニューアル後のくずはモールで保存されるらしいです。
- その一方で2014年2月14日をもって大井川鐵道に譲渡された2両がひっそりと引退決定。
- 一応大井川サイドにもダブルデッカー譲渡の打診はしたんだっけ?
- 大井川鐵道に譲渡された車両は、譲渡先でも「大和田」駅を通っていた。
- 大井川鐵道の車両の中では最も車齢が若かったが、少数派故に異端車扱いされ、現場での扱いが悪く、長野電鉄10系の二の舞に。
- 実は1971年製造の1次車のみ1900系との併結運転が考えられていた。
- ただ実際に併結運転されたことは1度もなかった。
- このため1次車のみ当初ブレーキ装置が1900系と同じ仕様となっていた。
- リニューアル前は定速運転時のみ回生ブレーキが使用可能で、停車時は発電ブレーキを使用していた。
- リニューアル時に8000系と同じ制御装置に更新され、停車時にも回生ブレーキが使用可能となった。
- 「京阪3000系電車(初代)」とあるが、実は本系列の登場前は電動貨車が3000代の車両番号を付けていたらしい。
- リニューアル前はまさに特急専用で、特急以外の列車に運用されることはほとんどなかった。まさに特別な存在だった。
- 例外的に京都競馬開催時に臨時急行の運用や、ダイヤ乱れ時に普通の運用に入ることはあった。
- 1・2次車は当初補助椅子はなかった。
- 補助椅子の場所には仕切り板が設置されていたが、それが凝ったデザインだった。
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